tag:blogger.com,1999:blog-87892913908434271742024-03-13T08:39:07.278+09:00FUMIAKI's messageF髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.comBlogger344125tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-38489616366284988642022-04-29T12:42:00.047+09:002024-03-03T15:03:15.749+09:007「回想,真夜中のローラー・スケート」<div><div><b>前回までのお話し → </b><b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/04/37.html">「37年越しの・・、墓参り」</a></b></div></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」<br /></a><br /><br /><div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="color: #999999;"><span><span style="font-family: inherit;"><b>東京芸術大学 </b><b>1979年〜1982年</b></span></span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="color: #999999; font-family: inherit;"><b>美術学部絵画科 油画アトリエ・・</b></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="color: #999999; font-family: inherit;"><b><br /></b></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="color: #999999; font-family: inherit;"><b><br /></b></span></div>芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。<br />「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」<br /><br />それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。<br /><br />この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。<br /><br />それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。<br /><br />「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」<br />「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」<br /><br />彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。<br /><br />「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」<br />「タ、ツ、ロ、ウ・・?」<br />「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」<br /><br />・・それが、僕たちの会話の始まりでした。<br /><br /><br />それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です)<br /><br />「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」<br />と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。<br /><br />それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって言ってるけど、一緒にいかない?」と言うのです。<br /><br />なぜS君経由だったのかは知りませんが、ともかく彼女とS君と三人で、アメ横の「ムラサキスポーツ」まで、スケートを買いに行くことになりました。彼女はアイス・スケート用のブーツを持参していました。それに新型ローラー・スケートのフレームを取り付けてもらうのだと言うのです。<br /><br />店で取り付けをしたあと、店員に「ちょっと履いてみて」と言われ、試し履きをした彼女は、「足がグニョって傾く!、初めての感触!」と、大騒ぎで店先を滑り回っていました。<br /><br />あたりはもう薄暗くなっていました。彼女を送りがてら飲もうと言うことになって、上野から初台まで移動し、彼女が以前バイトしていたと言うショットバーで三人で飲みました。<br /><br />そうして、店を出るころには時間が遅くなってしまったので、笹塚の彼女の部屋に泊めてもらうことになりました。電車に乗ろうと初台の駅に立つと、ホームにはほとんど人影がありませんでした。<br /><br />「この駅、ピンク・フロイドみたいで好きなの」<br />と彼女は言いましたが、「ロックにうとい」僕には意味が分かりませんでした。<br /><br />笹塚の部屋はお祖母さんの家だと言うことでした。彼女に案内され二階の部屋に上がると、飼っていた猫としばらく遊んで、それから三人で雑魚寝をすることになったのです。<br /><br />慣れない場所では寝付けないタチの僕は、すぐに寝入ってしまったS君の寝息を聞きながら、うつらうつらしていたのです。<br /><br />すると深夜になって、左隣りで寝ていた彼女に揺り起こされました。<br />「スケートしたい。明日まで待てないから」<br />彼女は耳元でそう言いました。一瞬戸惑いましたが、「わかった」と、スケート靴を抱えて二人で抜け出し、寝静まった真夜中の住宅街を滑ることになったのです。<br /><br />そのとき僕はスケートを持っていなかったので、彼女が滑る姿を見ながら、声をかけたりしていました。「ストッパーで地面を蹴っちゃダメだ。足をハの字にして・・、ハの字のまま加速して」<br /><br />すると「こう?」と言って足の格好を見せ、すぐに言った通りのフォームで滑り始めました。彼女は、僕らと普通にキャッチボールが出来るほど、運動神経が良かったのです。<br /><br />「滑りたいでしょう?。だから一緒に買えば良かったのに・・」<br />彼女は住宅街の道路を、僕の周囲を、ぐるぐると滑っていました。<br /><br />街灯の光に見え隠れする彼女の姿を追っていると、僕がつまらなそうに見えたのか、ワザとこちらに突進して来て、笑いながら「危な〜い!」と、両腕を広げ、そのまま僕に抱きついて止まったりしました。<br /><br />そうしてしばらくすると、彼女は少し離れた場所で立ち止まり、<br />「ねえ・・」と、両手を差し出しました。<br />「ねえ、引っ張って!」と、彼女は言うのです。<br />「坂だから・・」<br />道路のその先は、少し上り坂になっているように見えました。<br /><br />近寄って手を握ると、初夏だと言うのに、ビックリするほど冷たい手をしていました。そのせいで、女の子の手に触れた心地よさよりも、"血行が悪いんじゃないのか?" と言う心配の方が先でした。<br /><br />だから、「あの子、死んじゃった・・」との電話を受けたとき、心臓とか循環器系が原因の「病死」なのだと、咄嗟に思い込んでしまったのです。そして、本当の死因を知らないまま、僕は、その後の37年間を生きることになります。<br /><br />「引っ張って!」と言われるままに、彼女の両手を握って後ろ向きで歩き始めました。でも、坂を上り切ってしまったら、この手をどうしようか・・、そればかり考えていました。そして微笑む彼女を見ながら、ひとつ考えが浮かびました。<br /><br />上り切ったかなと思われるあたりで、「スピード出すよ!」と言い、小走りで加速することにしたのです。すると彼女は、強く手を握り返して来ました。そしてヒザを曲げ重心を低くして踏ん張り、「速い!気持ちいい!」と言って笑いました。<br /><br />「その先、角を右に曲がって!」<br />彼女の声に後ろを見ると、ブロック塀の先に路地が有りました。そこを勢いよく手を引いて曲がると、スケートの軌道が大きく膨らみました。<br /><br />「スゴイ!このスケート、曲がりたい方に体重かけるだけで曲る!」<br />彼女は大はしゃぎでした。その笑い声が、深夜の住宅街には響き過ぎていたので、「声、でかいよ」と言いましたが、彼女は気にしない様子で、<br />「そのつぎ、左ね!」と言うのです。<br /><br />土地勘の無い僕は、言われるままに引っ張りました。が、後ろ向きの走りに疲れてしまったので、途中で速度を緩め、ローラー・ゲームのように「そりゃあ!」と、ふざけて彼女を振り飛ばすフリをしたのです。すると彼女は、キャアキャアと笑い転げて、ためらいも無くぎゅっと、僕の腕にしがみ付いて来るのでした。<br /><br />・・その日の彼女は、スケートを買いに行く時からずっとハイテンションで、はしゃいでいて、楽しそうでした。僕は、目の前の彼女の笑顔が、無邪気にはしゃぐ姿が、忘れられなくなっていました。<br /><br />まさか、この夜からわずか数年後に、帰らぬ人となってしまうことなど、まったく、想像をすら出来ませんでした。<br /><br />それから数日後、僕も同じタイプのスケートを購入して、その年の一夏、主に芸大の学食前の広場で、ローラー・スケートをして遊びました。<br /><br /><br />どのくらいした頃だったか、「都美館(東京都美術館)の裏にスゴくいい道があるよ」と、同級生のK氏に教えてもらったので、二人で滑ってみることにしました。そこでひとしきり滑って休憩していると、芸大から帰る途中だった女性Cさんが通りかかりました。<br /><br />「こんなとこで?、二人だけで滑ってたんだ?」<br />と言いながら、Cさんは近づいて来ました。そして縁石に腰掛けて、三人で雑談になりました。<br /><br />Cさんは普段から、彼女を見かけては、僕のアトリエにやって来て、<br />「あの子、階段にポツンと座ってつまんなそうにしてたよ。行ってあげたら?」<br />などと、けしかけるようなことを言う人で、その時も会話の流れにまかせて、<br />「二人、お似合いだね。つき合っちゃえば!?」<br />と、焚き付けるのでした。<br /><br />ところが、その問いにRさんは、思いがけない衝撃の?告白をしたのです。<br />「あたし・・、ダメなの。婚約してるから・・」<br /><br />その時なぜか、僕よりCさんの方がショックだったみたいで、えっ!?と言ったきり絶句・・、そうしてしばらくしてから、<br />「あなた、そう言うこと、なんで最初に言わないの・・」<br />と、よっぽど僕を哀れに思ったのか、最後は涙声になっていました。<br /><br />それから女二人は、長いこと話しをしていました。主にCさんが聞き役でしたが、小声だったので、僕にはほとんど聞き取れませんでした。<br /><br />その翌日から、Rさんは大学に姿を見せなくなり、連絡も取れなくなりました。</div><div><br /></div><div>僕もじつは、二人でスケートをする様子を心配した何人かから、「Rさん、彼氏いるらしいよ」との忠告を受けていたので、警戒しながら接してはいたのですが、想像以上のダメージを喰らいました。・・ただ納得して、あきらめるしかありませんでした。<br /><br /><br />ところが、秋口の心地よい風が吹く頃・・<br />久しぶりに姿を見せた彼女は、何かスッキリしたような表情で、少し微笑みながら言ったのです。<br />「婚約解消しちゃった・・」<br /><br />彼女は、毎日規則正しく通学する人ではなかったし、たまに大学に来て二人で食事する時は、学食ではなく、根津の喫茶店などへ行ったりしたので、それからの二人のことは、あまりみんなに知られていなかったようです。<br /><br />ある日、その食事の席で、「ペルー旅行に行きたい!」とせがまれました。いきなりだったので「いいけど・・」と生返事で答えたのですが、次の瞬間にはもう、下北沢で買い物をする約束になっていました。<br /><br />ペルー旅行には、アウトドア・グッズが必要だと言うのですが、以前バイトした下北沢のアウトドア専門店に、経験者の店主がいると言うので、そこへ行って、必要な物リストを作ったり、軽くレクチャーを受けたりすることになりました。<br /><br />そこから慌てて、費用を貯めるためのバイトを始めたりと、準備を続けていたのですが、残念ながら、実現しない内に色々なことが起こってしまったのです。<br /><br />彼女が婚約解消したとのウワサが流れると、僕以外の何人かの男たちもザワつき始めたのです。が、神経質で、人と争ったり傷つけたりすることを怖れ、それでいてプライドばかり高かったその頃の僕は、彼女が望む、彼らを寄せ付けないような、強くハッキリとした態度に出ることが出来なかったのです。<br /><br />そのために二人の間がゴチャゴチャになり、疲れ切ってしまった彼女は、ある夜、苛立って言い放ちました。<br />「ぜんぶ、お前のせいだからな!」<br /><br />勝ち気で、たまに癇癪を起こすクセが有ると分かっていたはずなのに、僕の気持ちもズタズタで、余裕が無くなっていたんです。その言い方にカチン!と来て、つい言ってしまいました。<br /><br />「だったら!、・・もう、いいよ」<br />その一言で、僕たちは離ればなれになりました。<br /><br /><br /><br />・・それから、何ヶ月もが過ぎました。<br /><br />あれ以来、会うことも口を聞くことも無くなっていました。ところが、卒業間近になったある日・・。卒業制作の大きな絵を描いていると、突然、彼女が僕のアトリエにやって来たのです。<br /><br />なに?と、ビックリしていると、彼女は何気ないフリをして話しかけて来るのでした。「絵の調子はどう?」とか、「ここはどうやって描いたの?」とか、・・しかし、会話はすぐに途切れました。<br /><br />卒業だから、最後の挨拶でもしに来たのか?と僕は思いました。ところが、間が持たなくなって、「そっちはどう?、進んでる?」と言って振り向くと、彼女はどう言うわけか、赤面していたのです。<br /><br />彼女は、何かを言おうとしていました。顔を赤くしながら、それでも笑顔を作って・・。それは、いつもの、物おじしない彼女からは想像も出来ない姿でした。だから、驚いて言葉を失ってしまったのです。<br /><br />そして次の瞬間、誰かが来る物音にハッとして、何も言えないまま彼女が出て行ってしまったとき、情けないことに、僕は、足がすくんで追いかけて行けなかったのです。<br /><br />・・それが、彼女を見た最後でした。<br />卒業してから、3年後に亡くなるまでのことは何も知りません。<br /><br /><div style="text-align: center;">*</div><div style="text-align: center;"><br /></div>かつて、彼女の葬儀の日、仕事の合間をぬって急ぎ駆けつけたのですが、CG会社で休日返上で働いていたため、挨拶もそこそこに戻らねばらなず、結果、何も事情を聞けないまま、あっという間に歳月が流れて行きました。その間に、僕も人並みに結婚をし、また離婚もし・・<br /><br />そうして、彼女が亡くなってから37年・・彼女の本当の死因を聞かされたのはごく最近のことなのです。2022年2月9日、こちらも葬儀以来37年ぶりに再会した芸大同期の女性、Nさんの展示会を観に行った時のことでした。<br /><br />Nさんから聞いた彼女の死因は、僕が勝手に思い込んでいた「病死」ではありませんでした。あえて言葉を選ぶならば「無念の死」・・<br /><br />病死なら、どうにもならない不可抗力だと思っていました。しかし、それは・・、ほんの少しの違いで、救えたかも知れない命でした。卒業後1〜2年間の、「時間の流れ」さえ強引に変えてしまえば、やがて訪れる3年後のその日は、違う未来になっていたかも知れないからです。<br /><br />たとえば?<br />卒業間近のあの日、僕が、彼女を追いかけていたなら?<br />何も言わず、うつむいたまま、アトリエを出ていく彼女の後ろ姿・・・<br /><br /><br />彼女と知り合い接していたのは、大学のわずか4年間、いや、実質的にはもっと短い2年半くらいでしょうか。にもかかわらず、亡くなって37年も過ぎてから、なぜか僕の夢に現れるようになり・・<br /><br />そしてそれが始まったのが、一人残された彼女の母親が亡くなった時期と、ほぼシンクロしていたと言うこと。<br /><br />「お母様も亡くなられたおり、<br /> 故人をご存知の高橋様が墓参りされることは、<br /> 何かの導きのように思えます」<br /><br />これは、彼女の母親が通っていた、教会の牧師様のお言葉です。<br />もし、このお言葉通り、彼女の魂の遠い記憶、想いが、時を経て、他の誰でもない僕に届いたのだとすれば、僕はその「想い」を大切にせずにはいられないのです。<br /><br />彼女の母親が亡くなって、とうとう親子三人がいなくなり、やがて人々が、その家族がいたことさえ忘れかけたとき・・、もし僕が語らなければ、永遠に消えてしまう「想い」があるのなら・・<br /><br />僕が覚えている2年半の中で、<br />「一番楽しそうに、はしゃいでいた日のことを伝えよう」<br /><br />そう思い、64歳になって、あちこちガタの来たオジサンが、未練たっぷりに?書いてみました。これは40年以上も昔々の、古き昭和と呼ばれた時代の、たわいもない、「真夜中のローラー・スケート」のお話しです。<div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div><div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5LPfhp3aRyxy0p20ZBYixKHYv7LwJZWNMK3l1ANZeVacRAERoMYuG0nrZkC34i-Y9vRkeYwfDLObBBymdx0FFbc9QjnI_xeMz2yN3T8CglTZ34qzPUZRYKh5kX16_BwoPJ1nr-6zoxSV1ImnVBp70HnsjftypZ0n0lMHyrx8IJvKiVqdYeF6tJA/s1000/rora2u.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="932" data-original-width="1000" height="298" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5LPfhp3aRyxy0p20ZBYixKHYv7LwJZWNMK3l1ANZeVacRAERoMYuG0nrZkC34i-Y9vRkeYwfDLObBBymdx0FFbc9QjnI_xeMz2yN3T8CglTZ34qzPUZRYKh5kX16_BwoPJ1nr-6zoxSV1ImnVBp70HnsjftypZ0n0lMHyrx8IJvKiVqdYeF6tJA/s320/rora2u.jpg" width="320" /></a></div><br /></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-align: center; text-size-adjust: auto;"><span style="color: #666666; font-family: inherit;"><b>おしまい</b></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: -webkit-standard; text-size-adjust: auto;"><br /></div></div><div style="text-align: left;"><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: center;"><br /></div></div><div style="text-align: center;"><span><span style="font-size: x-small;"><span style="color: #bdbdbd;"> </span><span style="color: #dbdbdb;"> </span></span><span style="font-size: xx-small;"><span style="color: #f3f3f3; font-family: inherit;">ごめんね、R</span></span></span></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-3621016102387014702022-04-12T11:47:00.275+09:002022-09-07T13:32:45.527+09:006「37年越しの・・、墓参り」<div style="text-align: left;"><div><b>前回までのお話し → </b><b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/03/blog-post.html">5「二通の手紙、二つの返信」</a></b></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div><div><br /></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;">★教会の牧師様からの連絡で、37年前に亡くなった女の</span></span><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit;">子と、彼女のご両親が眠るお墓の場所が分かりました。しかし、用事や天候の影響で、実際に墓地を訪れるまでには二週間ほどかかってしまいました。</span></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNCq8VGoUuZbwp75CgB8hn_BvP0Zzbt0q-GoCz3kmYlU58BsgSehwQh13267QYgKjDTzIFSQTvq3I2asacROdPm3NANSrVZOgBcDiXolzmeeOfF2HscXQ0ba7KUgoFIahcSeiLy_MMaWsDe9TuW6cZJGzmxuwJY83fEbXefXspD0ww-x0jjz821A/s1500/iwa_2364.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1125" data-original-width="1500" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNCq8VGoUuZbwp75CgB8hn_BvP0Zzbt0q-GoCz3kmYlU58BsgSehwQh13267QYgKjDTzIFSQTvq3I2asacROdPm3NANSrVZOgBcDiXolzmeeOfF2HscXQ0ba7KUgoFIahcSeiLy_MMaWsDe9TuW6cZJGzmxuwJY83fEbXefXspD0ww-x0jjz821A/s320/iwa_2364.jpg" width="320" /></a></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div><span style="font-family: inherit;">八王子の「東京霊園」までは、ウチから車で1時間半くらいです。圏央道に乗り、ちょっとしたドライブ気分で車を走らせ、ほどなく到着しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br class="Apple-interchange-newline" />とても広い霊園でした。中まで道路が通り、季節の行事の際には周回バスも走るそうです。いちおう霊園地図も用意しましたが、カーナビが効いたので、ギリギリまで難なく辿り着くことが出来ました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">駐車スペースに車を停め、そこから花を持って徒歩で向か</span>います。今回は、近所の花屋で自分で選びました。キリスト教の墓参では、主に白い色の、ユリ、カーネーション、スプレーマムなどでアレンジする、と「冠婚葬祭」の本に書いてあったのですが、仏式が中心のここの売店には無さそうな気がしたのです。</span></div></div></div></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8jfN6Jyo3JD-UhcWWmuzd4UQLV7pn4iAmrNe5Vs45F9mqzHjyEXt-KLplAC6I_GSuSh6EV-OEedKe3yyauqV7stY5dD2AkC3S9tYtv39judWV5ycIPPdTXFP-MqpQ4lloD9WOd74jSo5METJe2H5HMt20pp3Fem3tz0qlqjj7dz3DUqjKeiAAsw/s2000/IMG_2380.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="2000" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8jfN6Jyo3JD-UhcWWmuzd4UQLV7pn4iAmrNe5Vs45F9mqzHjyEXt-KLplAC6I_GSuSh6EV-OEedKe3yyauqV7stY5dD2AkC3S9tYtv39judWV5ycIPPdTXFP-MqpQ4lloD9WOd74jSo5METJe2H5HMt20pp3Fem3tz0qlqjj7dz3DUqjKeiAAsw/s320/IMG_2380.jpg" width="320" /></a></div>そして間も無く教会墓地の前に着きました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">37年ぶり・・、でした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">1985年10月に祭場で拾った彼女のお骨、一度は遠く離れ、長い年月を巡り巡って・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>2022年4月7日、何故かこの地で再会することになりました。目の前の、この固い納骨堂の中にあの子はいるので<span style="font-family: inherit;">す。それも、ご両親の遺骨と一緒に</span></span><span style="font-family: inherit;">・・</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;">最初の印象で、ここで良かったと思いました。綺麗で広くて落ち着いた場所で。特に今日は、二週間遅れが幸いして、ちょうど桜が満開になっていました。</span></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;">「いま、確かに安らかにしている」</span></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;">素直にそう思える場所に彼女はいたのです。</span></span></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg7-A1skhLvpuTrgLIIcH7oWjtc7odCJOKsnjn_X9hofmOnT-turmTheXgyEmiWynkCKEHzOu-AEx--VzvmxXgcB7WxsNqkAmwW6zDi3digDgW1EJ-ZNyEjoXDQFWRPbRzU4mjdYY9rrcTFSMP_Ov8mbryfKdO3B9op1fZpIUEfnqZNnxM1at6vAw/s4032/IMG_2370.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="4032" data-original-width="3024" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg7-A1skhLvpuTrgLIIcH7oWjtc7odCJOKsnjn_X9hofmOnT-turmTheXgyEmiWynkCKEHzOu-AEx--VzvmxXgcB7WxsNqkAmwW6zDi3digDgW1EJ-ZNyEjoXDQFWRPbRzU4mjdYY9rrcTFSMP_Ov8mbryfKdO3B9op1fZpIUEfnqZNnxM1at6vAw/s320/IMG_2370.jpg" width="240" /></a></div><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;">墓前に、まずお花と、Nさんが作った陶器の「白の器」を置きました。そこにウチから持参した水筒で「水」を注ぎます。</span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">キリスト教式では「お花とお祈り」だけだそうですが、そこはそれ、僕は仏教徒だから・・(ニセモノだけど?)お水は上げないと、どうもしっくり来ないのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">それに、ここまで僕の「道しるべ」になってくれたのは「Nさん」だからです。彼女がいなければ、到底ここまで辿り着くことは出来ませんでした。なので、ぜひNさんが作った器でお水を上げたいと思っていたのです。</span></div><div><br /></div><div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">お花を供え、お水を上げ、長い時間手を合わせ祈っていると、</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">「こんなシーン・・、むかし、何かの映画で見たような気がする・・」</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">そう思えて来ました。</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">どうせなら、高倉健みたいにカッコ良かったらいいのに・・</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">いや、彼女は・・、原田芳雄が近所に住んでいて、「たまに見かけて、すごくドキドキする!」と言っていたのを思い出しました。</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">まあ、どちらにしろ、こんなショボいオジサンになってから、やっと来たよ。</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;">もちろん、キミも生きていれば、立派なオバサンだけど・・</span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); clear: both;"><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;">それから、Nさんに報告するため、写真を撮ることにしました。</span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;">「納得するまで、何度でも何度でもお参りしてあげて」</span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;">Nさんにはそう言われていました。</span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><div class="separator" style="clear: both;"><div class="separator" style="clear: both;"><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span>もちろん、この小さな納骨堂に、ホンキで、彼女の魂が眠っていると信じているわけではありません。ただ、こ</span>れは、とうとうやり遂げたと言う安堵感・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">37年も過ぎて、場所も連絡先も分からない、雲をつかむようなところから1年を費やし、遺骨があると言うこの霊園にたどり着くまで・・。もうこの世にいない人との、「夢の中の約束」を果たすには、これしか思いつきませんでした。</span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span>・・ふと、お母様の姿が頭を過ぎりました。</span><span>37年前に斎場で見た、ハンカチで目頭を押さえる横顔、そのおぼろげな記憶です。</span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span>一人娘を失い、やがてご主人も亡くし、お母様はひとり、生まれ育った鎌倉を後にします。そして</span>二人の遺骨も、遠く離れたこの霊園に改葬したのです。</span></div></div><div class="separator" style="clear: both;"><span><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span><span style="font-family: inherit;">それからご自</span>身が亡くなるまで、何度も何度も、同じこの風景を眺めたのに違いありません。いま</span><span>僕が立っている、正にこの場所にたたずんで・・</span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;">とうとう、お会いすることは叶いませんでした。</span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;">勝手に、失礼かも知れませんが・・、<span>代わりにお花を手向けます、</span>何度でも何度でも。<span>いつまで続けられるかは、分かりませんけど・・・</span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span><br /></span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span><br /></span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><span><br /></span></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghuS1p5s2IyTMYaGZ51SQY7njRjuHN5N95tftsa8Dbxte059NzetsFD6Ubk12O-XBJf4JFUtH8eQX5QIrEcDxuzxvLhbup0MOtZAM_T7uJf4m4ZpU2aNKnjurxjbHBlw1dfSRWs3q__Du2uSZGqSIlT_n76wvQQYf0jI-hl2C3H8WDMY7o-5ivfw/s2000/IMG_2376.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="2000" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghuS1p5s2IyTMYaGZ51SQY7njRjuHN5N95tftsa8Dbxte059NzetsFD6Ubk12O-XBJf4JFUtH8eQX5QIrEcDxuzxvLhbup0MOtZAM_T7uJf4m4ZpU2aNKnjurxjbHBlw1dfSRWs3q__Du2uSZGqSIlT_n76wvQQYf0jI-hl2C3H8WDMY7o-5ivfw/w400-h300/IMG_2376.jpg" width="400" /></a></div><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div></div></div></div></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">*</div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><div><div><span style="font-family: inherit;"><span><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrRByISNI4_Dgg_NQoxJF4JTvqBAUd74IlZj50nnROmtMYs8FCnjKAL0-CDGvqoZ5yIuEtR0FFcDB20LXCCKzl0_flge5YX6zQ7WbQEGjb45HhC41ws4jHLysUOutwCAf-Ud7RJSMZ2dKYAlPAv_inEkKd8NxkwXLpXIjJ-Gv-B-y8RcI9TZG_Cg/s4032/IMG_2384.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrRByISNI4_Dgg_NQoxJF4JTvqBAUd74IlZj50nnROmtMYs8FCnjKAL0-CDGvqoZ5yIuEtR0FFcDB20LXCCKzl0_flge5YX6zQ7WbQEGjb45HhC41ws4jHLysUOutwCAf-Ud7RJSMZ2dKYAlPAv_inEkKd8NxkwXLpXIjJ-Gv-B-y8RcI9TZG_Cg/s320/IMG_2384.jpg" width="320" /></a></div><span style="font-family: inherit;"><span>帰りは少し時間があったので、お母様が住んでいたという町に、立ち寄ってみることにしました。</span><span>霊園からは10kmほどで、20分もあれば到着します。</span></span></span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;"><span>着いてみると「遺言執行人」の言葉通り、家は完全に解体され更地になっていました。</span>かつてその場所に「白い綺<span style="font-family: inherit;">麗な家」が有ったことなど、想像すら出来ません。</span></span></div></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">乾いた色の、跡形も無い剥き出しの地面・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">打ちのめされていました。自分が産み育てた一人娘を、若くして失ってしまった母親の、37年間と言う、あまりの時間の長さに・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それはいいのですが、僕はいったい、ここで何をしているんでしょう。見ている内に妙な気持ちになって来ました。親戚でも無い、話しをしたことも無い、赤の他人の住居跡を見ているのです。そして、呆然と喪失感に見舞われているのです・・</span></div></div></div></div></div></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><div><div><span style="font-family: inherit;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOm3qXNuZRtnKH_azGgOfoV05A0n19271KWuQRx3mR9i7cv5sXbp0rNzlI_ySdregcbqL-WZw1ONqDmesvj7VS8sjfcTIOrropsIONUbNo5N3rJabZFM62vSRJ8TmXdFVcHWe-tegL2NZvXMGZ3DYNLc_YJpd49GRSidbsiab1PWvOaFgN-KF8hw/s1500/2022-04-08-13.12.53-1.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="770" data-original-width="1500" height="164" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOm3qXNuZRtnKH_azGgOfoV05A0n19271KWuQRx3mR9i7cv5sXbp0rNzlI_ySdregcbqL-WZw1ONqDmesvj7VS8sjfcTIOrropsIONUbNo5N3rJabZFM62vSRJ8TmXdFVcHWe-tegL2NZvXMGZ3DYNLc_YJpd49GRSidbsiab1PWvOaFgN-KF8hw/s320/2022-04-08-13.12.53-1.jpg" width="320" /></a></div><div><div><div><span style="font-family: inherit;"><span>Googleマップで検索すると、</span>解体前の2019年ごろの家を見ることが出来ます。その庭先には、</span><span style="font-family: inherit;">小さな</span><span style="font-family: inherit;">赤い屋根の「離れ」らしき建物が有る</span><span style="font-family: inherit;">のですが・・</span></div></div></div></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div style="text-size-adjust: auto;"><div><span style="font-family: inherit;"><span>僕の勝手な想像ですが、これは礼拝の部屋だったような気がするのです。</span><span>クリスチャンだった母堂は、来る日も来る日も、ここで祭壇に向かい、</span>祈りを捧げたのではないでしょうか。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>なんて、エラそうに言ってますが、僕は、キリスト教について何も知りません。興味本位で聖書は持っていますが、ペラペラと数ページめくっただけで、教会に行ったことも無いし、</span>「神父」と「牧師」の違いも今回調べて初めて知ったくらいで、とにかく、<span>ホンの上っ面の知識しか無いのです。</span></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><span>だから・・、なんでだろうって、じつはずっと不思議に思ってたんです。</span>一番最初の「土手の上の夢」を見た時</span>のこと。目が覚めて間も無く、布団の中で、遠藤周<span style="font-family: inherit;">作の小説の一節、「若き神父の寓話」のことを考えていたのですが・・</span></span></div></div><div style="text-size-adjust: auto;"><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">なぜ、あの寝起きのボンヤリした頭で、よりによって「キリスト教のたとえ話し」を思い浮かべたのか?、ずっと不思議だったんです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><div class="separator" style="clear: both;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">まさか・・</div><div class="separator" style="clear: both;">「僕を、あの霊園まで導いて下さったのは、お母様ですか?」</div><div><br /></div></span></div></div></div></div></div></div><div><div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">その答えは、返っては来ません。これはただの妄</span>想なんです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕は、空っぽの地面を眺めていました。</span>そこに、根っこが残っていたのでしょうか、水仙の花が咲いているのです。</div><div><br /></div></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgA7lu9ZNGsXkweQft_SjbDeawFe1rsEXIWv5DKCzBJlG0ljuo-Fm5DvFVc775dQSWy54HgK4B2yGzzMOn5IIWBMhXHLIZWopPeDJP_yABYx2Lu0Mj8KDC3SX4sWg6Wv9sydg0OCDOMaW5zVQG6PQvLngvo_cVSDgtopxr2b-3Us4jijHcqzAX3Mw/s2000/iwa_22.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="2000" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgA7lu9ZNGsXkweQft_SjbDeawFe1rsEXIWv5DKCzBJlG0ljuo-Fm5DvFVc775dQSWy54HgK4B2yGzzMOn5IIWBMhXHLIZWopPeDJP_yABYx2Lu0Mj8KDC3SX4sWg6Wv9sydg0OCDOMaW5zVQG6PQvLngvo_cVSDgtopxr2b-3Us4jijHcqzAX3Mw/w400-h300/iwa_22.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><div><br /></div><div><br /></div></div></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: "Hiragino Kaku Gothic ProN"; text-size-adjust: auto;"><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: "Hiragino Kaku Gothic ProN"; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: "Hiragino Kaku Gothic ProN"; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">お墓参りに行ってみて・・、寿福寺では、思いがけず涙も流したので、今回も「もしかして感涙にむせぶのか?」なんて想像したのですが、実際には、清潔な霊園の雰囲気に、むしろ清々しいような穏やかな気分になって帰りました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">で、「思ったより呆気なかったかな?」と、眠りについたその夜・・、午前3時か4時くらいのことです。少し不思議な夢を見ました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・場所は分かりません。ただ、何と言うのでしょう、全体にうす紫色の、ややグレーがかった世界にいるのです。そして僕の目の前には、後ろ姿の女性が立っています。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">僕はその背中に近寄り、思わず後ろから抱きしめてしまうのです。が、それが誰なのか分かりません。顔も見えません。なのに、よく知っている女の人・・、そんな気がしてならないのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">その時ふと、右後ろに誰かの気配を感じます。顔を向けてそちらを見ると、見知らぬお爺さんとお婆さんがいるのです。そして二人とも合掌し、熱心に何か祈っている?ようなのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そして、しばらく祈りを続けたあと、お婆さんの方が大きな声で、</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「よし、だいじょうぶ。はらわれた!」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">と言ったのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・そこで目が覚めました。部屋はまだ暗いままでした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">布団の中で、「何だ?今の・・」と、夢のイメージを思い返していました。内容は意味不明でしたが、<span>映像の鮮明度、記憶の残り方などからして、</span>体験的に「いつもの夢とは違う」と言うことだけは分かりました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">気になったのは、老人二人がお祈りポーズだったと言うこと。そして、お婆さんが放った「よし、だいじょうぶ。はらわれた!」という言葉。「はらわれた」とは、漢字で書くと、「祓われた」になるんでしょうか?。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">だとしたら、意味は「けがれや災いを取り除く、清める」だし、「よし、だいじょうぶ」とは、それがうまく行った、と言う意味になりますが・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">いやいや、夢に意味を求めること自体バカなことかも知れませんね。それに、キリスト教の墓参に行った夜にしては、夢の老人二人が、「仏式・行者風」だったのも奇妙ですけど・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">ただし、一年に及んだ、僕にとってある意味「過去へのタイムスリップ」とも言える、「尋ね人」のこの旅が、「夢」から始まり「夢」で締めくくられる・・、何だか象徴的な出来事だと思ったので、書いておくことにしました。</span></div></div><br class="Apple-interchange-newline" /></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div><b>*最終回のお話しに、つづく・・</b></div><div><b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/04/7.html">7「回想、真夜中のローラー・スケート」</a></b></div><div><br /></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: left;"> </div><div style="text-align: left;"> </div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0東京霊園35.661418 139.2715127.3511841638211521 104.115262 63.971651836178843 174.427762tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-55300548491961768902022-03-28T13:23:00.251+09:002022-09-13T14:30:33.056+09:005「二通の手紙、二つの返信」<div><b>前回までのお話し → </b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/02/blog-post.html" target=""><b>4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」</b></a></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div><div><br /></div><div><br /></div><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;">★2022年、2月17日。鎌倉の寿福寺を訪れ、37年前に若くして亡くなった女性の墓参りをしようとしたものの、すでにお墓は無くなっていました。東京に転居した母親の手によって、何処かの墓地に改葬されたと言うのです。</span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そのおり寿福寺で、母親の転居先が東京の「日の出町」だと教えられた僕は、まず「Googleマップ」で場所を確認してみることにしました。すると、ストリートビューには綺麗な白い家が現れました。さらに門の部分を拡大して見ると、確かに表札には○○との苗字が見えました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">車庫には乗用車が停まっていました。80歳を越えていると言うお母様が運転するとは思えず、もしかすると、どなたか親族の方と同居しているのかも知れないと想像しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ただし、ストリートビューの写真は「2019年」のまま更新されておらず、それを見た僕はふっと思ったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「この2年ほどの間に、何も起こっていなければいいが」と・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">まず、母親宛に手紙を書いてみようと思いました。ありのままを正直に・・、2021年、何度も見るようになったご息女の夢の話しから、芸大時代のローラー・スケートの話し、鎌倉寿福寺での出来事、そしてこの住所に辿り着いたいきさつを・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">とにかく怪しまれぬよう、失礼にならぬよう、慎重に何度も読み返しては書き直し、出来あがるまで結局二週間もかかってしまいました。そして最後に身分証明として、東京芸大の卒業証書</span>のコピーも同封しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">返事はなかなか来ませんでした。3月3日に投函して、一週間過ぎてもまだ来ません。最近は土日に配達しないそうなので、その分だけ遅れているのだと自分に言い聞かせましたが・・。いや違う、母堂を不快な気持ちにさせてしまい、破り捨てられたのだ?・・などなど、様々な想いが去来しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">・・それでも中々来ることはなく、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「頑張ってはみたけど・・、どうやらここまでかなあ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、少しずつあきらめの気持ちになって行った3月12日、土曜の夕方、スマホに着信があったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">見知らぬ番号でしたが、出てみました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「私、◯◯様から遺言執行人を依頼されました、弁護士の◯◯と申しますが・・。高橋様からのお手紙を転送先で受け取りまして、お電話差し上げました」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と言うのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「遺言執行人・・?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">一瞬にして色々なことが頭を過ぎりました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「 ◯◯様はすでに亡くなられております。その遺言に従って、お手紙の宛先となっていたご自宅も、今年(2022)の1月に解体されました。それでお手紙がこちらに転送されて来たわけです」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あっ、そっ、そう、なんですか・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">自分でも分かるほど動揺していました。寿福寺のときと同様、追いかけても追いかけてもたどり着けない・・、そんな無力感に襲われました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「それで、先に亡くなっている娘さんの方は、昭和33年9月生まれで、昭和60年10月に亡くなっていますね。享年27歳です。それはよろしいでしょうか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あっ、はい」と答えながら、昭和33年生まれってことは?、自分と同じ・・、つまり半年違いの同い年だったのか・・、と今ごろ思っていました。(芸大は何浪もして合格する人がいるので、同期でも年齢差が出る)</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「・・で、このお手紙でご質問の、''お墓の場所''の件なんですが、これは私どもにはちょっと分からないんです。ただ◯◯様はクリスチャンで、近くの教会に通われていたようなので、そこで尋ねれば何か分かるかも知れません」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、教会の名称、住所と電話番号、そして代表者の名前を教えてくれました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それらをメモしながらお礼を言うと、遺言執行人は、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「本来は、個人情報上、ここまで漏らすことはふつうは無いんですが・・、お手紙が、その、あまりに丁寧に書かれていたもので、ついつい、これはお伝えしなければと思ってしまいまして・・」そう言って、少し笑いました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「ああ、それは、恐縮です。ありがとうございます!」と言いながら、二週間もかかって、何度も何度も書き直した甲斐があった、と思いました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それから遺言執行人は、「このお手紙を、そのまま、少し書き直して教会に送ってはいかがでしょうか?、この内容ならきっと大丈夫だと思います」とアドバイスしてくださいました。手紙はパソコンで書いてプリントしたものだったので、原版が残っているだろうと察してのことです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「手紙の書き方一つで、事態が大きく変わってしまう」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">そう思いました。もし用件を書いただけの雑な手紙だったら、ここでストップしていたかも知れません。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">・・いや、もしかして?</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">知らぬ間にいくつかの関門を与えられ、それらをクリア出来るかどうか試されているのではないか?、ふと、そんな妙なことが頭に浮かびました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><div><span style="font-family: inherit;">たとえば、最初に見た夢・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「いま、風俗で働いてるの」「歯が抜ける女の子はキライですか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">顔色が悪く、見すぼらしい姿になった彼女にそう言われても、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">そう言い切れたこと・・</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">三夜連続で見た、彼女が男たちに連れ去られる夢では、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕が、</span><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">決してあきらめず、最後まで探し続け</span>るのかどうか・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「意味の無い羅列」のように思えた幾つかの夢が、どうやら一本に繋がった・・、そんな風に僕には感じられたのです。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">こうして、書き直した手紙を、3月15日に教会宛に投函して返事を待つことになったのですが・・。さて、それからの僕は、なんと二日後の3月17日、再び鎌倉へ行くことになるのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span>一ヶ月前に鎌倉を訪れて以来、ずっと「鎌倉」と言うワードが気になっていました。その影響で、急に、いつもは見ないNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に興味が湧き、</span>初めて見てみたのです(第八話「いざ、鎌倉」2月27日放送)。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">するとラストの、ドラマゆかりの地を訪ねる「鎌倉殿の13人紀行」のコーナーで、偶然にも先日行ったばかりの、あの「寿福寺」が映し出されたのです。そして、その映像を見ている内に、「もう一度行かなければ・・」との思いが募り、抑え切れなくなってしまったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">自分ではもう、そう言う「衝動」に不自然さを感じなくなっていました。むしろ「衝動」に従って素直に行動した方が、不思議な巡り合わせで良い結果が得られる・・、そこまで思うようになっていたのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">当日は、車の荷室に小さな折り畳み自転車を積んで出発しました。徒歩では行動範囲が限られてしまうからです。到着してまずは寿福寺を訪問です。すでに更地では有りますが、かつて◯◯家だった墓の跡に、お線香と白いユリの花を供え、お水をまいて、塩で清めて・・、しっかり挨拶を済ませてから、鎌倉の街並みを自転車で走ります。</span></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">が、鎌倉と言っても広うございます・・。彼女から「故郷は鎌倉」と聞いただけで、どこに家が有ったとか、どの辺を良く歩いたなんてことは聞いてません。だからまったく当ては無いのですが、とにかく「鎌倉」と言う土地の空気、風の匂いを確かめてみたかったのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">観光では何度か来たことが有りますが、自転車でトコトコ走るなんてのは初めてです。まず寿福寺から北へ向かってみましたが、いきなり起伏の激しい山道になって・・あきらめました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">その時、「そうだ、逆に南へずっと行けば海に出るなあ」と気づいて、そっちへ行くことにしました。平日でしたが、鎌倉駅周辺はやはり人通りが多くて、そこからは出来るだけ裏道を選んで進むことにしました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">その道すがら、歴史を感じる古い建物をいくつか見つけると、''まてよ、彼女も昔、これを見ていたに違いない?''と思い、しかしすぐに、''いやいや、気のせい気のせい''と言い聞かせながら・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">やがて海沿いの広い国道を渡り、由比ヶ浜の海辺に到着しました。薄曇りながら光が眩しく、少しけぶったような海面がキラキラしていました。そこで自転車を止め、コロナ対策のマスクを顎までズラすと、久しぶりの潮の香りが海から吹き寄せて来ました。そして心地よく、懐かしく、僕をすり抜けて行ったのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・来て良かったと思いました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「たぶん、きっとうまく行く」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">砂浜のずうっと遠いところを歩く人影に、あの子の幻を見たような気がしました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: -webkit-standard; text-size-adjust: auto;"><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguwYx26Uppp-bw6ROagaB_lv36-o91s0b62z_E6Oy4TmfzXEvRH_ef7qYZICisQjmZov_rTXnrE4PcZ7V1xSZBDsbRqUx3AL4ptHw_EwsieTmc23ihdWkSsi1ligDPuUFQmGJDrMl7LitYT4jO52XvCPXWzNmHp0ipm1EAxlgfKxlQvoumnAGavQ/s1500/yuiga.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1096" data-original-width="1500" height="469" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguwYx26Uppp-bw6ROagaB_lv36-o91s0b62z_E6Oy4TmfzXEvRH_ef7qYZICisQjmZov_rTXnrE4PcZ7V1xSZBDsbRqUx3AL4ptHw_EwsieTmc23ihdWkSsi1ligDPuUFQmGJDrMl7LitYT4jO52XvCPXWzNmHp0ipm1EAxlgfKxlQvoumnAGavQ/w640-h469/yuiga.jpg" width="640" /></a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><div><span style="font-family: inherit;"><span face="-webkit-standard" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;">3月15日に教会宛の手紙を出してから、返事が来たのは、翌週の、お彼岸を過ぎた23日でした。僕が送った手紙には、念のため、住所・電話番号・メールアドレスまで記しておいたのですが、返事はメールで届きました。</span><br style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;" /><br style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;" /><span face="-webkit-standard" style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;">「お墓は、八王子市にある東京霊園という大きな霊園にあります」</span></span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・とうとう、彼女が眠るお墓の場所が分かりました。<br /></span><div><span style="font-family: inherit;"><br class="Apple-interchange-newline" />彼女の夢を見始めてから約1年、お墓参りに行きたい衝動にかられてから約5ヶ月・・。ウチ(東久留米市)からは車で1時間半くらいの距離で、もちろん鎌倉よりずっと近い場所に、・・彼女はいました。<br /></span><div><span style="font-family: inherit;"><br />メールには、分かりやすい墓地の見取り図も添付されていました。霊園の一角にクリスチャンのための教会墓地があり、そこに彼女とご両親、親子三人の遺骨が納められているとのこと。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />鎌倉から東京に転居した彼女の母親は、間も無く地元の、その教会に通うようになったそうです。そこで・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「しばらくして、ご家族の墓を改葬したいと申し出られて、教団の墓にご主人と娘さんのご遺骨を改葬されました。・・お歳を召されてから当教会に来られるようになりましたので、娘さんについては存知あげておりません」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">また、その教会(プロテスタント系)では、毎年「合同記念会(慰霊祭)」と言うものが開かれるそうで、それにより「親子三人の弔いは、ずっと続けられるので心配はありません」との説明がありました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そして、牧師様は、次の一文も添えてくださいました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「お母様も亡くなられたおり、故人をご存知の高橋様が墓参りされることは、何かの導きのように思えます」</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「何かの導き」とは、さすがキリスト教の牧師様、まるでドラマのセリフのように仰る・・と、最初は思いました。ですが、次に書かれていた、彼女のお母様が亡くなられた日付を見たとき、ハッとして、漠然とですが、「これだったのか?」と思ったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">お母様が亡くなられたのは、「2020年7月7日」だったそうです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">お母様のご逝去が「2020年」。僕が夢を見るようになったのは、翌「2021年」からなのです。なぜ37年も過ぎてから?と疑問でしたが、ムリ<span style="font-family: inherit;">ムリこじつければ、お母様ご逝去の時期と、夢の始まる時期が「ほぼシンクロしていた」と言うことになるのかも知れません。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">つまり牧師様からすれば、彼女の母親が亡くなって、それと入れ替わるように、</span><span style="font-family: inherit;">見も知らぬ僕が現れ「お墓参りをしたい」と申し出たのですから・・、それこそ「意味のあ</span><span style="font-family: inherit;">る偶然?」のように見えて、少々驚かれたのでしょう。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><div><span style="font-family: inherit;"><span>それと、どうやらお母様は、「お一人で静かに暮らしていた」</span><span>と言うことも次第にハッキリして来ました。</span><span>僕が想像していたような「親族との同居」は無かったようなのです。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">一つには、亡くなって一年半後にはご自宅が解体されたこと。そして二つ目は、牧師様の「親子三人の弔いは、ずっと続けられるので心配はありません」との言葉。これは、仏教的に解釈すれば、「無縁仏になる心配はありません」との意味に取ることが出来るのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">これらのことから、お母様は、ご自分の意思で親族と距離を置き、最後まで孤高と信仰を貫いた、そんな姿が目に浮かぶのです。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">マップを見ると、通われていた教会までの距離が約</span>3km、バスや電車では遠回りでとても不便なのです。なので車庫に乗用車が有ったのも、やはりご自分で運転されていたと考えるのが自然でしょう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">でも、なぜ生まれ育った鎌倉を離れ、いきなり東京の郊外に・・と言うより、「東京の外れ」と言ってもいい場所に転居されたのか?、あえて理由を確かめたい気もしましたが、赤の他人にはここまでが限界でした。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ひとつ残念なのは、家が解体され、遺品としてそこにあったかも知れない、あの子が描いた油絵も処分された可能性がある?と言うこと。出来るなら、短いながらも精一杯生きた証として、彼女の筆あとが残る作品を一枚でいいから手元に置いておきたかった、それが心残りです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">いや、それよりも・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span>かつて、幸福だったはずの親子三人がこの世界からいなくなり、その家族の墓参りのために「僕が導かれた」と言うのなら、</span>遺品を預かるより意味のあることなのかも知れません。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">もし、僕でよろしければ・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">出来るだけ早く時間を作って、霊園を訪れたいと思っています。そして・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「心からの祈りを捧げる」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">そう誓わずにはいられないのです。</span></div></div></div></div></div><div><br /></div><div><div><b><br /></b></div><div><b>*次回のお話しに、つづく・・</b></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/04/37.html"><b>6「37年越しの・・、墓参り」</b></a></div><div><br /></div></div></div><div><br /></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0東京霊園35.661418 139.2715127.3511841638211521 104.115262 63.971651836178843 174.427762tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-65530763851794457382022-02-23T14:46:00.182+09:002022-09-09T19:47:40.345+09:004「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」<b>前回までのお話し → </b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/02/facebook.html" target=""><b>3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」</b></a><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div><div><div><br /></div><div><br /></div><div><div><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><span style="font-family: inherit;">★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。</span></span></div><div><br /><div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhw8vcN4ZkHeo6GU1bLJIFQqp7BFS-waAsb9XeUojrpViqKvzlSuVgALjVmjhd7eW6eHDrvC1oUm0shi8n--cnvsUK-WkptBZ7DEKo_BAaiChvmQhDJcLZKi--C8c6Ln6FO94CkJhXxuu_skPZAH_sEWzFrlHYdE-D3_nD59c4mdcIR693UobRT_Q=s4032" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="4032" data-original-width="3024" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhw8vcN4ZkHeo6GU1bLJIFQqp7BFS-waAsb9XeUojrpViqKvzlSuVgALjVmjhd7eW6eHDrvC1oUm0shi8n--cnvsUK-WkptBZ7DEKo_BAaiChvmQhDJcLZKi--C8c6Ln6FO94CkJhXxuu_skPZAH_sEWzFrlHYdE-D3_nD59c4mdcIR693UobRT_Q=w300-h400" width="300" /></a></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div><span style="font-family: inherit;">2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。<br /><br />そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こ<span style="font-family: inherit;">ちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><div><span style="font-family: inherit;">しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。</span><span style="font-family: inherit;">始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、</span><span style="font-family: inherit;">年が明けた</span><span style="font-family: inherit;">2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><div><span style="font-family: inherit;">その会場で二度目に会<span face="-webkit-standard">ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「それならそうと早く言ってよ!</span></div><div><span style="font-family: inherit;"> あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、強く叱咤するのでした。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり</span><span style="font-family: inherit;">僕が探していた、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">''お墓の場所を知っている人''</span></div><div><span style="font-family: inherit;">でした。</span><span style="font-family: inherit;">それどころか、当時何年もお墓参りに通</span><span style="font-family: inherit;">っていた人物、と言うことが判明するのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そうして、その一週間後の2月17日、東京から車を走らせ、とうとうこの地を訪れたと言うわけなのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">この一年、「夢」から始まった雲をつかむような話しが、今こうして「お墓参り」と言う形で現実になろうとしている・・、それはとても感慨深く、少し不思議なことでした。僕は高揚しがちな気持ちを抑え、冴えた冬の空気の中、木漏れ日落ちる石畳の道を歩いていました。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div></div></div><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">ところがです。墓地まで来てみると、なんと、目的の</span>お墓が見つけられないのです。当初は観光気分で「北条政子の墓」など見物しながら、「すぐ見つかるだろう」と高をくくっていたのですが、まるで分かりません。しかも「わりと古いお墓」と聞いていたのですが、歴史ある墓地なので古いお墓ばかり、文字を読み取るだけで四苦八苦なのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />来る前にNさんに聞いた説明を反芻しながら、「ちゃんと地図に描いてもらえばよかった・・」と、後悔していました。僕は、神経質な反面、妙にいい加減ななところがあって、何とかなるだろうと決めつけて大失敗することが多く、今回もやっちまったか・・と思っていました。<br /><br />墓地を何往復したでしょうか?。それほど大きくない墓地ですが、それでも分からず心細くなった僕は、スマホを取り出しNさんにチャットで助けを求めました。しばらくして返事が来ると、Nさんは場所を再度説明してくれて、それでもダメならお寺で尋ねるがよい、とのアドバイスをくれました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />・・で、けっきょく見つけることが出来ず、言われた通りお寺に行くことにしたのです。お寺は「しん」として人の気配が無く、ちょっと心配でしたが、思い切ってインターホンを鳴らしてみると、70代くらいの女性が現れました。<br /><br />「あのう・・、○○家のお墓の場所が分からないので、教えていただきたいのですが・・」と言うと、</span><span style="font-family: inherit;">「○○家でしたら二つありますけど、どちらかしら?」</span><span style="font-family: inherit;">と、すぐに墓地の見取り図を取り出し、僕に向けて広げてくれました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />一つはずっと離れた場所で、もう一つが、・・ちょっと位置が違う気がしましたが、Nさんの説明と近い場所だったので、「ああ、たぶん、これみたいですね」と言い、スマホで図の写真を撮らせてもらいました。そして、お礼を行って去ろうとした時でした。<br /><br />「元は三つあったんですけどね、今は更地だから」<br />そして、見取り図をしまいながらその女性は言ったのです。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「若い娘さんが亡くなってね、その後、お父様も亡くなられて・・」<br />僕はドキッとして、「えっ?、娘さん?ですか?」と聞き直しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「ええ・・、でも、だいぶ前のことですよ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と言いながら、仕舞いかけた見取り図を再び広げて指差しました。</span></div></div></div><div><br /></div><div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUH-cw7zUqhx8uPQM8KLSaKeNJPYPWN2wGiGS9qKZyFknpvXhQ5ohN83ZPInDAsJPRXWSKT0JZsLiMnSECghmIKwh7x_60pSP5N-7DoRMUBdM0RlwdcOlSE7gSvocNE-jG7L36LHL5lhcb-RvXnma77jSrvIJ5hbYUBOhkP4JTk65uwSVH4E4ykg/s1000/iwahk.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="750" data-original-width="1000" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUH-cw7zUqhx8uPQM8KLSaKeNJPYPWN2wGiGS9qKZyFknpvXhQ5ohN83ZPInDAsJPRXWSKT0JZsLiMnSECghmIKwh7x_60pSP5N-7DoRMUBdM0RlwdcOlSE7gSvocNE-jG7L36LHL5lhcb-RvXnma77jSrvIJ5hbYUBOhkP4JTk65uwSVH4E4ykg/s320/iwahk.jpg" width="320" /></a></div>見ると二重線で消された下に、確かに「○○家」と書いてあります。女性はこちらの事情は知らないので、更地になった墓は関係無いと思ったのでしょう。<br /><br />「確か、お父様は大学教授・・、お母様も鎌倉育ちで、どこかの立派な家のお嬢様だと聞いてます。で、亡くなった娘さんは一人娘で、音大とか芸大生とかで・・」<br /><br />「あっ、芸大です!。僕も芸大出身なんです!」<br />僕は、右手を何度も自分の胸に当てながら言いました。<br /><br />「僕が探しているのは、芸大で同期だった娘さんのお墓なんです。・・それって、もしかして、今から40年近く前のことじゃないですか?、もしそうなら、たぶん、それだと思うんですけど・・」<br /><br />「わたしがここに来て50年だから・・、そうね、確かに40年くらい前の出来事です。だとしたら・・、墓じまいされて、もうここには有りませんね」<br /><br />「ええ!、もう無いんですね!、そうですかあ・・」<br />愕然としました。遅すぎたんです。やっとここまで来たと言うのに、こんな形で結末を迎えるとは・・<br /><span style="font-family: inherit;"><br /><span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">「そうですよね。何十年も過ぎてますもんね」</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">僕は、誰にとも無く言いました。ここを教えてくれたNさんも、自分の気持ちに整理をつけ、足が遠のいたとのことだったので、知らなかったのでしょう。</div></span><br />ところが、落胆する僕をじっと見ながら、女性は続けるのです。<br />「・・わたしね、今日たまたま寺にいたのよ。いつもはいないの。先代の住職が亡くなって代替わりした</span>から、普段は現住職の息子夫婦が寺にいて、わたしは隠居していないはずなの。今日たまたま留守番してたら、あなたがやって来たの」<br /><br />「それはつまり、偶然ってことですか?」<br />「そう。○○家のこと<span style="font-family: inherit;">は、先代の時代のことだから、現住職は何も知らないの。いま知っているのは私だけ。だから、もし今日、わたしがいなかった<span style="font-family: inherit;">ら・・」<br /><span><br /></span></span></span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0);"><div><div><div><span style="font-family: inherit;">「・・僕は、ホントのことを知らないまま、ってことですか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span>そして、''見当違いの</span>墓''の前で手を合わせ、そこにお花を供えて、満足げに帰宅してしまったのかも知れません。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">少し妙な感じを覚えた僕は、女性にこう言ってみました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「じつは僕も、今まで来たことが無くて、今日初めて来たんです」</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">すると女性は何度も納得したように頷き、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「・・そう言うことだったのね」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と呟くのでした。</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div><span style="font-family: inherit;"><span>つまり、2月17日</span>・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕が「墓参りに行こうと決めた日」と、○○家の行く末を唯一知っている人物の「留守番の日」が、たまたま?重なった、と言うことなのでしょうか?</span><br /><br />それから、ご両親の苦悩の日々を聞かされました。母親はもちろんですが、特に父親の嘆き悲しみ様は見ていられないほどで、毎日のように墓参し、ずっとお墓の前でしゃがみ込んでいたそうです。一時は「娘に供えた花を盗みに来る者がいる!」と、言動がおかしくなった時期もあったとのこと・・<br /><br />僕はとうとう、ここへ来たホントの理由を告げてみることにしました。<br />「じつは昨年、その亡くなった娘さんが、何度も僕の夢に出て来まして・・、それでどうしても気になって、今日、伺ったわけなんです」<br /><br />僕がそう言うと、女性は「そうなのね。・・わかります」と言い、少し考えてから、「ちょっと待ってて」と、部屋の奥に何かを探しに行きました。<br /><br />しばらくして戻って来ると、抱えて来た分厚いファイルをめくりながら、<br />「お父様はもう亡くなってるの。その後、お母様はここの墓じまいをされて、東京の多摩地区に転居、お墓もその近くに改葬されたはずですよ」<br /><br />そう言いながら、ある箇所を僕に向け、<br />「これ、お母様の転居先です。ホントは、いけないことなんだけど、わたしはいつも回りから言われるんですよ、お節介が過ぎるって。・・あなたも、スッキリしなければならないんでしょう?」<br />と、書かれてある住所をメモしなさい、と言ったのです。<br /><br />住所を書き写しながら、僕は思いました。<br />物語は終わっていない、この旅にはまだ続きがある。<br /><br /></div><div>しかし、すでに八十半ばの高齢のはずで、何処かの施設にいるかも知れないと、その女性は付け加えました。それから、せっかく持参したお花はお供えして行きなさい、とも・・<br /><br />奮発してお花屋さんにアレンジしてもらった、大きな白い花束を献げながら、悲しみに暮れる父親の姿を思い浮かべていました。その人も亡くなり、失意のうちに墓をたたみ、想い出の多すぎる鎌倉を後にした母親の姿も・・<br /><br />お花を置いて戻る途中、大勢の見学の小学生とすれ違いました。その内の一人が「こんにちは!」と、元気な声で僕に挨拶すると、他の子供たちも調子に乗って次々に挨拶して来るので、僕は少しドギマギしながら、「こ、こんにちは・・、こんにちは・・、こんにちは・・」と、果てしなく頭を下げるのでした。<br /><br />その子供らが行ってしまうと、今度は無性に誰かと話がしたくなって、Nさんにチャットしてみたのです。<br /><br />「お母さんの住所教えてくれました。どうするかは、また考えます・・」<br />「そうだね。よく考えてみて。自分の心に正直に!!」<br /><br /><br /><span style="color: #999999;">"Heal his pain." "Go the distance."<br />(Field of Dreams:1989)</span><br /><br /><br />帰りは、どうしても高速に乗る気持ちになれず、下の道をゆっくりと走ることにしました。鎌倉から賑やかな藤沢を抜けしばらく行くと、気持ち良く晴れた、見晴らしのよい田舎道に変わりました。<br /><br />少し窓を開けて風を入れ、カーステレオの音を大きくすると、ランダムに選曲されたプレイリストから、小田和正の曲「この道を」が、流れて来ました。その歌詞を聴いているうちに、今日の出来事と重なり、不意に目頭が熱くなって、ついに抑え切れなくなってしまったんです。<br /><br />・・学生だったあの頃、同年代の女子たちの多くは、「オフコース」を軟弱だと言ってバカにしてました。なので僕らファンは隠れてこっそり聴いたもんなんです。<br /><br /><br /><br />・・でもねえ<br />こんな時に聴く小田和正は、やけに心に沁みるんですよ・・・</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>*次回のお話しに、つづく・・</b></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/03/blog-post.html" target=""><b>5「二通の手紙、二つの返信」</b></a></div><div><br /></div><div><br /></div></div></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0鎌倉・寿福寺35.3243263 139.54907787.0140924638211573 104.39282779999999 63.634560136178848 174.7053278tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-49892007229915375722022-02-04T13:10:00.089+09:002022-09-08T18:24:12.039+09:003「今ごろ?''facebook''を始めてみた」<div style="text-align: left;"><b>前回までのお話し → </b><b><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2021/11/blog-post.html" target="">2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」</a></b><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /><b>アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・<br /></b><b>外から中の様子を探ることさえ出来ない・・</b></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><b><br /></b>初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそうなのですが、ついに見つけることは出来なかったとのこと・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そして「facebookとは、つまり成功者のツールなのだ」との結論に達したのだと言うのです。うまく行ってる時はいい、しかし、ひとたび何かにつまづいてしまうと、多くの人々の顔(face)に晒される感覚は、耐え難い苦痛なのだと・・<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">この話しも、数々の人生の汚点?、を残して来た僕にとっては荷が重い話しでした。なので、友人や大学の仲間から何度勧められても、どうしても手を付ける気持ちにはなれなかったのです。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">なのに何故、始めることになってしまったのか?。では、それを説明したいと思います。じつは、これもまた「夢の続き」になってしまうのですが・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">昨年2021年、「若くして亡くなった女の子の夢を頻繁に見る」と言う話しをブログに書きました。そして日に日に「彼女のお墓参りに行きたい」との思いが募ってゆくが、場所も連絡先も不明、と言うことも書きました。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">こんな時、現代の我々がまず考えることは「ネット検索」です。衝動を抑えきれなくなった僕は、ムダだと思いつつも、彼女のフルネームを打ち込んで検索してみることにしました。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「○○ ○○子」</span></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">しかしやはり、何人かの同姓同名と姓名判断のページが並んだだけで、情報は出て来ませんでした。ムリもありません、37年前、ネットもスマホも無い時代に亡くなったのですから・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そこで次に、「東京芸術大学。油画。19○○年卒業」などのワードを足して検索してみたのです。やっぱり彼女の情報は得られませんでした。が、今度は、いくつかの芸大情報に混じって、大学同期の女性「Nさん」のWEBサイト(ネットギャラリー)が出て来たのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">Nさんとも、あの葬儀以来、37年間会っていませんでした。(葬儀会場では挨拶も会話もしなかったので、実質的には40年ぶりと言うことになりますか?)</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">Nさん、こんなに活躍してたんだなと思うと同時に・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「Nさんなら何か知っているだろうか?」</span></div></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">ピン?と来るものがあり、サイトメニューを</span>探ってみました。すると連絡用のメールアドレスがアップされていました。最近はスパム対策のため、表に出さない人も多いので幸いでした。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">何十年も音信不通だったのに、突然すぎて怪しまれないだろうか?などと思いつつも、その時にはもう抑えきれない気持ちになっていたのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「どう思われるか分からないけど・・、ダメもとで送信してみるか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">そう思いました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">件名は分かりやすく「芸大同期の高橋です」にしてみました。内容は、いきなり「お墓」の話しはマズいと思い、「お久しぶりです!、偶然ネット検索でWebサイトを見つけました!」と書き出しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それから30分くらい、何度もメール文を直しながら、どうしようかと迷いに迷って、ようやく意を決し、「送信ボタン」を押してみたのです。メールは音を立てて吸い込まれて行きました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そうして、数時間後・・・</span></div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">有難いことにすぐ「懐かしい・・」との返信メールが来まして、添付画像で、一週間後(2021.12初め)に始まる個展の案内も貰いました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そのメールを読みながら、</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「そう言えば・・、Nさんは、夢に出てきた彼女が亡くなった時、訃報をオレに知らせてくれた人だったなあ」と、思い出していたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そのNさんの名が検索画面の上位に出てきたことが、たまたまなのか、それとも奇遇?だったのかは分かりません。が、訃報を知らせてくれたくらいなら、彼女について何か知っているかも?との期待は高まりました。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・しかしながらです。訪問の日が近づくにつれ、「せっかく37年ぶりだと言うのに、いきな<span style="font-family: inherit;">りお墓の話題なんて、失礼な話しだ」との思いが強くなって行きました。</span></span><span style="font-family: inherit;"><span>それに「夢のお告げ?」みたいなことを言えば、笑われるに決まってます。</span>・・いや、それどころか「気持ちワリ〜」なんて思われたら最悪です。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">けっきょく当日は言い出せず、それに、Nさんとのお</span>喋りが楽しくて、けっきょくごく普通の「思い出話し」に終始することになりました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そのNさんは、同期の仲間の行方について良く知っていました。それで僕は、「あの人どうしてる?この人どうしてる?」と、ついつい尋ねる側に回ってしまうことが多かったのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">それを見かねたのか、Nさんは「facebookをやれば色んな人の情報が分かるよ。それに個展の案内とかハガキでやる時代じゃないから」と、盛んに「facebookノススメ」を始めるのでした。<br /><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">せっかくの「ススメ」でしたが、最初はやはり遠慮しました。いろいろ理由をこじつけて、これまで通り、やんわり断るはずだったんです。しかし、だんだんと「まてよ?、今回は、この流れに乗った方がいいのかな?」と思えて来たのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><ul><li><span style="font-family: inherit;">2021年、断続的に見続けた「亡くなった女の子の夢」</span></li><li><span style="font-family: inherit;">その夢の影響による「彼女の墓参りに行きたい衝動」</span></li><li><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">ネット検索で37年ぶりに繋がったのが「彼女の</span>訃報を知らせてくれた人物」</span></li></ul></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そのNさんが、少々強引なくらいの口調で薦める「facebook」には、どうも、何かがシンクロしているような・・、そんな風に思えてきたのです。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そうして、ついに一念発起、2021年12月末から「facebook」を始めることになりました。現時点で一ヶ月ちょっとになりますが、とりあえず芸大同期との繋がりが目的だったので、だいたいそれは果たすことが出来ました。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">ただしまあ、始めた当初は、いきなり群衆の中、雑踏の中に放り込まれたようで少々怖かった?です。それと「知り合いかも」と、ザワザワ出てくる顔だらけの画面も、なんだか圧が強くて腰が引けました。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">それらも一ヶ月過ぎる頃には何とか慣れて来ましたが、果たしてこれからどうなるのか?、どんな結果に結びつくのか?、まだまだ分かりません。<br /><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">しかしながら、僕が妄想するような「何かのシンクロ」であるならば、きっと良い方向へと導かれるに違いない・・、そう信じて、今日も「いいね!」を押し続ける日々なのであります。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: -webkit-standard; text-size-adjust: auto;"><br /></div></div></div><div><br /></div><br /><div style="text-align: left;">*<b>次回のお話しに、つづく・・</b></div><div style="text-align: left;"><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/02/blog-post.html" target=""><b>4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」</b></a></div><br /><br /><div><br /></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-79617423064938028802021-12-30T10:16:00.042+09:002022-03-07T01:02:00.817+09:00ぐんじょういろと群青領域<p> ★「群青領域」、これはNHKの「ドラマ10」で放送された、心に負った深い傷のために演奏が出来なくなった、天才的な韓国人ピアニスト「キム・ジュニ」の挫折と再生の物語です。「群青領域」と言うタイトルに惹かれてちょっと覗いてみたら、最後まで見てしまいました。</p><div style="text-align: left;">◎ <a href="https://www.nhk.jp/p/ts/26R5RYX9NR/" target="_blank">NHKドラマ10「群青領域」</a></div><p><br /></p><p>「ぐんじょういろ」</p><p>幼稚園の頃、初めて手にした画材「クレヨン」に、そんな名前の色が有りました。青よりもっと暗い、黒に近い青色のことでした。そして、意味も分からず、この言葉の響きだけがやけに耳に残りました。</p><p>中学生になったある日、美術の時間に、一人の女子が「あれ、ぐんじょういろの絵の具が無くなってる!」と言うと、近くにいた生徒たちが、「ぐんじょういろ?。今どき、’’ぐんじょう’’なんて言うか?!」とからかいました。</p><p>その頃になると、僕たちは濃い青のことを「紺色」と呼ぶようになっていました。「ぐんじょういろ」とは、幼稚園児のような子供が使う色のことで、あか抜けない、ダサい呼び名と言うことになっていたのです。ところが、あるとき僕は「ぐんじょう」の漢字を知ることになります。それは・・</p><p>「群青・・、青の群れ」</p><p>なんて美しい言葉だろう、と思いました。その時から「群青」は、僕にとって特別な単語になったのです。</p><p>たとえば、村上龍氏が武蔵美在学中に「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞したときも、このブルーは「群青」に違いない、と勝手に思ったくらいでした。</p><p>なので、「群青領域」と言うタイトルを見たとき、「このドラマを見てみたい・・」、そう思いました。</p><p>主人公の「キム・ジュニ」はバンドでキーボードを担当していましたが、ある出来事に傷つき失踪します。たどり着いた場所は海辺・・。そこで「死ぬつもりはなかった。消えたかっただけ」と、海に飛び込んでしまうのです。</p><p>それを助けたのが、海で仲間を失い、やはり心に傷を負って潜れなくなった水中カメラマン「蓮(れん)」でした。</p><p>自殺か?と驚いた蓮が飛び込んで、海の底へと沈みゆくジュニに追いつき、抱きかかえた時、二人は透き通った美しい青に囲まれていました。そこが、心の大きな傷を包み込む深層世界、「群青領域」だったのです。</p><p>僕にも、もがき苦しんだ時期が有りました。このドラマを見るまですっかり忘れていたことですが・・</p><p>僕は二浪して芸大に合格しましたが、じつは、現役での大学受験を受け損なっているのです。受験会場前まで行きながら、足がすくんで中に入れなかったんです。</p><p>主に十代のころ、様々な神経症に見舞われました。最初は小学校の低学年時代・・。クラス替えをすると、初めて出会う子供がみな外人に見える、と言う症状でした。</p><p>(これは後に、確か?漫画家「樹村みのりさん」が、自伝的漫画で「見知らぬ級友がカッパに見える」と言う症状を告白しており、同じような人がいるのだと安堵したことがあります)</p><p>やがて中学に上がると、赤面恐怖症から始まり、読書時の雑念恐怖症。それらを克服しても、閉所恐怖症、発汗恐怖症、先端恐怖症などなど次から次へと・・。毎日が苦しみの連続でした。</p><p>強迫神経症と闘いながら、親にも友人にも知られないよう振る舞うことにも疲れ果てていました。だから、物心ついてから、生きていて「楽しい」とは、残念ながら一度も思ったことが有りません。</p><p>最悪だったのは高三のころ、大学受験の間際に陥った「群衆恐怖症」でした。大勢の人々、群衆を見ると、意味も無く恐怖心を抱いてしまうという強迫神経症です。</p><p>東京芸大や武蔵野美術大学の受験料を払い、受験票を手にしてそれぞれの会場に向かったのですが、続々と集まる、見知らぬ少年少女の群衆を見たとき、僕は恐怖のあまりパニックを起こし、足がすくんで動けなくなってしまったのです。逃げるようにその場を去り、あてもなく町を歩き続けました。</p><p>両親には言えませんでした。ただしばらくしてから、「受験、落ちた・・」とだけ伝えました。その後、二浪を経て芸大に合格することが出来たので、結果オーライではありますが、両親は最後までこのことを知らずにこの世を去りました。</p><p>あのころが一番苦しい、僕の「群青領域」だったのかも知れません。今でも、ちょっと人混みは苦手だし、軽い閉所恐怖症も残っているのですが、こう言う「告白?」のような文章を、平気で書けるようになったと言うことは、とりあえず人並みに克服した?と言っていいのかも知れません。</p><p>ただ、このドラマを見たとき、あの頃の辛い光景を思い出し、何度も見るのをやめようかと思いました。ジュニが過去のフラッシュバックに襲われ、動けなくなる姿には恐怖さえ感じました。・・が、にもかかわらず、回を重ねるごとに、少しずつ癒されて行く感覚があることに気づいたのです。</p><p>韓国人女優シム・ウンギョンさんが主人公になった理由は知りませんが、彼女のたどたどしい日本語のセリフが、まるで詩を紡ぐように美しい・・、だけでなく、全体がスローテンポで優しく、言葉の一つ一つに救われて行くのです。</p><p>彼女に関わる登場人物が、不自然なくらい良い人たち過ぎる、と言うことも気になりました。ですが、そう言うキャラ設定でなければ、辛過ぎて、このドラマを最後まで見届けることは出来ないと思います。・・少なくとも僕は、途中でやめていたでしょう。</p><p>だから見てない人に、「ぜひNHKオンデマンドか再放送の時には見てください」などとお勧めすることは出来ません。</p><p>でも、このドラマのために書き下ろされたと言う主題歌は、とても心に沁みるバラードなので、これを聴くだけでも価値はあると思います。<br /><br />◎ <a href="https://youtu.be/wH5QbrEs8mY" target="_blank">群青領域主題歌・ビッケブランカ「北斗七星」フルバージョン</a></p><p><br />このドラマを見るまで、僕は勝手に「紺色 = コバルトブルー」、「群青 = プルシャンブルー」と解釈していました。しかしドラマでは、劇中に登場するバンドが、「インディゴエリア」と名付けられていまして、「インディゴブルーか、なるほど・・」という気もしました。</p><p><br /></p><p><span style="font-family: inherit;">群青領域・・</span></p><span style="font-family: inherit;">Indigo AREA・・</span><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"> </span></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-13148743039324032762021-12-21T14:12:00.045+09:002022-05-04T18:12:56.625+09:00二年前の事件の話し・異聞<div><span style="font-family: inherit;"><b style="font-size: small;">*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。</b></span></div><div>◎ 前編「<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2021/12/blog-post.html" target="_blank">二年前の事件の話し</a>」</div><div><br /></div><span style="font-family: inherit;">★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・</span><div>(これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています)</div><div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。</span><span style="font-family: inherit;">どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。</span><span style="font-family: inherit;">これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">なぜなら、</span><span style="font-family: inherit;">唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。</span></div><div><br /></div><div><div><span style="font-family: inherit;">*</span><b style="font-family: inherit;">ゴブリンズ・レターとは?</b></div><div><span><div style="font-size: medium;"><span style="font-size: x-small;"><b><span style="font-family: inherit;">草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが</span>『二年前の殺人事件の話し』だった。</b></span></div><div><span><b><br /></b></span></div><div><span>それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・</span></div><div style="font-size: medium;"><span style="font-size: x-small;"><b><br /></b></span></div></span></div><div style="text-align: center;">*</div><div style="text-align: center;"><br /></div><div><span style="font-family: inherit;">昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、<br />「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」<br />と捕まった。色々説明して、最後に、<br />「鴨川まで行きます」と言うと、<br />「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」<br />と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。<b>飯沼君とは何の因果か解りません</b>。<br /> <br />これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『<a href="https://gobtop.blogspot.com/1992/08/blog-post.html" target="_blank">千葉-鴨川ブレード走行記</a>』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。<br /></span><div><span style="font-family: inherit;">『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』<br /><br /></span><div><span style="font-family: inherit;">年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会社から引っ張って来たが、特に野球が好きと言う訳でもないらしい(ハンド・ボール経験者)。ゴブリンズにはその年入ったばかりで、込み入った話しをしたことは無く、友人として打ち解けたと言う印象も無かった。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それが、気がついたら二人でインライン・スケートをしていた。34歳と21歳の、ほとんど初対面の男二人が、真夏の炎天下、房総半島でローラー・スケートをしている。しかも160kmを</span><span style="font-family: inherit;">三泊四日に渡って・・?。</span><span style="font-family: inherit;">このおかしな光景をもう一度確認する気持ちで、その時僕はこう想ったのだ。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">『<b>飯沼君とは何の因果か解りません</b>』<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">その彼とのおかしな因縁を知るのは、それから1年程経った今年7月こと。ゴブリンズ・レター紙上に書いた、『二年前の殺人事件の話し』をきっかけにして、奇妙な運命の糸が浮かび上がって来たのである。</span></div><div><br /></div><div><span style="font-family: inherit;"><div style="text-align: center;">*</div><br />1993年7月4日、日曜日、飯沼君から電話が有った。ところが、話す調子が何だかおかしい。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あのーっ、いま休日出勤で会社からなんですけど、こないだのゴブリンズ・レターのことで、ちょっと話しておきたいことがあるんです」。彼の口調は、何んかこう、バクバクしていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕はとっさに「あの話し」のことだと想った。そして一瞬、「ああ言う殺人事件の話は書くべきではない」そんな</span><span style="font-family: inherit;">クレームの類いなのかと想い、身構えた。まだ若い彼は正義感をあらわにするタイプだったし、彼の少し興奮気味の声がそう想わせたのだ。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あの、二年前の殺人事件の話し、なんですけど・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">やっぱりだ。だが・・<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「じつは、二年前に、僕の同級生に起こった事件と、あの話しとが、あまりにも似ているので・・」<br /><span style="font-family: inherit;">彼は、一つ言葉を区切るたびに大きく息をする、そんな口調だった。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あまりに良く似てるんで、驚くほうが先にたって、うまく話せないんスけど・・、その友達は・・、高校を卒業してすぐ東京の、’’自動車工場’’に就職したんですけど、そこで働いてた時にですね、殺されてしまったんですよ。そう言う事件が有ったんです」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「ええ?!」<br />彼は穏やかな日曜日に、いきなり、とんでもないことを話し始めている。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「でっ、その友達の死体は、’’ポリ容器’’に入れられたまま、江戸川の川っぷちで発見されて・・、犯人はやっぱり、’’叔母殺し’’でも捕まってるんですよ。しかも動機は、’’借金’’で・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「何んだって?」<br /><span style="font-family: inherit;">「つまり、ゴブリンズ・レターに書いてあったことと、僕の友達の事件とが、そっくり良く似てるんです」</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「・・なるほど」<br />「どう、想います?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「借金、叔母、ポリ容器、自動車工場、二年前か・・、なるほど、確かにキーワード的にはよく似ているな」<br />「でしょう?。僕はまだその時、北海道にいたんですけど、室蘭の地元の新聞を読んで、ガクゼンとしていたわけです」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「そうか。・・でもなあ、あの話しは、オレも記憶だけで書いたから、細かい事実関係は知らないんだよな。だからはっきり断言は出来ないけど・・。それで?、その友達の名前は何んて言うの?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「’’能代’’っていうんですよ」<br />「ノ、シ、ロ、?」<br /></span><span style="font-family: inherit;">「ええ、能力の能に、シロは・・、なんでしたっけ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「ああ、わかるわかる。東京じゃあまり聞かない名字だ。でもあれは・・、そう言う名前だったかなあ。記憶に無いなあ」<br />僕は、一度見ただけの新聞記事を想い出していた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「実はですね、うちの母親もゴブリンズ・レター読んだみたいで、これ、能代君のことじゃないかね、って言うんですよ。後半は出来過ぎててフィクションだと想うけど、でも前半の話は能代君のことだよね、って」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />フィクションとは参った。僕が語る「不思議な話し」は、ちょっと出来過ぎなので話し半分で聞こう、と言う風潮が、最近メンバー間で広まっているらしいが、申し訳ないけど、全部本当の話しを基にして書いている。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕は生まれつき、『出来過ぎた話し』に良く出くわす体質なのだ。全てを信じて貰えないことは解っているが、ちょっとした使命感で、記憶が薄れる前に色々書き残しておこうと想っている。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そして、何を隠そう、日曜日にかかって来た飯沼君のこの電話こそ、僕の一番新しい『出来過ぎた話し』の始まりだったのである。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「とにかく、あまりに共通点があるんで、やっぱり話しておこうと想って」<br />彼の口調はようやく落ち着いて来たようだった。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「それで?、犯人の名前は、村下なのか?」<br />「それは、覚えてないですね」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「うーん、今の段階では何とも言えないが、ひょっとすると同じ事件かも知れないなあ。だとしたらもの凄い確率だけどね・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「はい」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「しかも、もしそうだとしたら、キミとオレとが、二年後に東京で出会うってのも凄いし、いきなりスケート旅行をしたって話しも、凄い偶然ってことになるよなあ・・。まあ、まだ解らんけど」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「これは調べてみる必要が有りますよ。高橋さん、調べてみませんか」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />その言葉を聞いて、急激に興味が沸いて来た。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「そうだな、まず出来ることは、弟が、’’能代’’って言う名前を知ってるのかどうかだ。その、能代君が勤めていた自動車工場って、日産なのかどうかは解んないのか?」<br />「ええ、ただ東京の、としか解らないです」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「そうか・・、待てよ、自動車工場って言うのは、ある程度経験者でないと、アルバイトでいきなり採用ってのは無いんじゃないのかな?。犯人の村下はそれなりの技術を持っていて、いろんなメーカーを転々としていたのかも知れない」<br />「そうですね」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「だとすれば、キミの友人の事件は、’’日産’’じゃなくて、他の自動車工場での犯行ってことも考えられるわけだ。逆に、四人も殺してるわけだから、その内の一人が日産の事件、ってことも十分考えられる」<br />「はい」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「だけど、東京の自動車工場と言っても、ちょっと範囲が広過ぎるよなあ」<br />「ええ。そうなんですよ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「キミは犯人の名前を知らない、オレは被害者の名前を知らない。だから共通する決めてが無い・・。ただ、もしオレの弟が、’’能代’’と言う名前を知っていたら、もう、そこで決まりだけどね」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「大丈夫ですかね。嫌な記憶を想い出させることになりませんか?」<br />「そう言うもんかな?」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「国会図書館とか、大きな図書館には、新聞のストックが有るって言うじゃないですか。そう言う所で調べたほうがいいですよ」<br />「マイクロ・フィルムとか?」<br />「さあ? 解りませんけど」<br /> <br /> <br />それが7月4日のことだった。<br />しかしこの時はまだ、飯沼君の友人が「殺人事件に巻き込まれていた」と言う単純な事実に驚いていただけなのである。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">その後、僕は事件のことを確かめようと想い、まず両親の家に電話してみることにした。しかし、親は事件の詳細は知らず、取っておいた新聞の切り抜きもつい最近捨ててしまったのだと言う。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">では、弟はどうだろう?と聞くと、刑事にしつこく疑われた事が相当なトラウマとなっていて、</span>事件のことをひどく嫌い、<span style="font-family: inherit;">触れたがらないと言うことだった。残念だが、それ以上無理はしないことにして、調べは図書館頼みと言うことになった。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そうこうしている内、僕は夏風邪をひき気管支炎を患って、出歩く気分になれず、事件のことはそのままになっていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それから数週間が過ぎて7月28日。仕事を終え、夜遅く部屋に戻って見ると、自動受信で二枚のファクシミリが届いていた。そして同時に受信されていた留守録にはこんなメッセージが入っていた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />『もしもし、ボスですか。飯沼です。今わたしは朝日新聞本社に来て、ガイシャの身元を洗っています。ガイシャの身元がワレましたので報告しようと想いましたが、あまりに強烈でショックでしたので、実際に話したいと想います。電話待っています』</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">どうやら・・、「太陽にほえろ」のつもりらしかった。<br /> <br /> <br />幕張、NECパソコン・フェア会場・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />飯沼君は仕事で、同時開催中の『パソコン・アート・フェスティバル』に詰めていたが、ここで偶然、紀伊国屋が出展していた、新聞記事検索システム、『7yrs.HIASK』を見つけることになる。あれ以来気になっていた事件のことを、このシステムで調べられるのではないかと、彼は考えた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />『殺人・叔母・借金』<br />試しに、彼がこの三つのキー・ワードで二年前に起きた事件を探してみると、しばらくして七件ほどの記事の見出しが表れた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そしてその中の二件、<br />「<b>910412298 夕 殺人自供、相手は同僚 市川で遺体を発見</b>」 <br />「<b>910317126 朝 26歳のおいを逮捕 藤沢の主婦殺人</b>」<br /> <br />気になった彼は、さらにその中身を確かめようとしたが、デモ用システムのため、それ以上のデータを引き出すことは出来なかった。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">彼は同じようなシステムが、実際に新聞社で使われているはずだと考える。そして各社に電話をかけたところ、朝日新聞社で「有料データ検索サービス」を行っていることをつきとめるのだが、飯沼君は「そう言えば・・」と、</span><span style="font-family: inherit;">デモ機のデータが「朝日新聞社提供」だったことを想い出す。そこで数日後、彼は築地に有る朝日新聞本社を訪れることにした。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">さっそく受付でデータ検索について尋ねると、それは電話によるサービス業務だから、改めて電話で申し込み直すようにと教えられた。通常は電話申し込みの後、郵送かファクシミリで届けられる物らしいのだ。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">しかし彼は待ちきれず、新聞社の表玄関にあった公衆電話から連絡し、応対に出た係の女性に「どうしても今日中に欲しい」と頼んだ。そしてデモ機で探した二つの記事の見出しを告げる。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">相手は、それが殺人事件関連の記事だと解ると、急に神妙な声になり、</span><span style="font-family: inherit;">「わたしが直接お持ちしますので、ロビーのソファーでお待ちください」と言ったのだという。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">10分程経って、おっとりとした感じの女性がやって来たが、20歳そこそこの普段着の若僧・飯沼君を見た瞬間、驚いた様子だったと言う。彼女は飯沼君が、法律事務所の使いだと想い込んでいたのかも知れない。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「料金は別途ですので」<br />と彼女は言い、プリント・アウトされた用紙を新妻君に手渡した。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />そして彼は、受け取った紙に目を通すのだが、その瞬間、体が凍り付いて動けなくなってしまったのだと言う。もはや、文章全体の内容を把握する余裕は残されていなかった。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />………………………………………………………………………………<br />**<b>文書表示</b>**<br /><b>1/2 PAG</b></span><b>E=<span style="font-family: inherit;">1殺人自供相手は同僚 市川で遺体を発見 藤沢の叔母殺害容疑者</span></b></div><div><span style="font-family: inherit;">910412 T 夕刊 23 1社 465字<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">叔母を殺したとして、横浜地検から殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹被告(26)が、別の殺人を自供したとされ、死体が発見された事件を調べている神奈川県警は12日、この遺体は東京都武蔵村山市伊奈平1丁目、日産自動車に勤務していた能代郁夫さん(当時18)との見方を強めている。身元が確認され次第、殺人などの疑いで同被告を再逮捕する方針。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">調べでは、当時、村下被告は能代さんと同じ同社村山工場に勤務しており、能代さんから十数万円の借金をしていたという。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">供述によると、村下被告は89年6月初旬の朝方、能代さんが借金の返済を求めてきた際、当時住んでいた同市榎1丁目の同社村山寮の自室で首を絞めて殺し、死体をポリ容器に入れて千葉県市川市内の江戸川沿いに捨てた、という。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">供述に基づき、同県警が江戸川沿いを捜索したところ、10日になって市川市高谷の江戸川排水溝でポリ容器に入った死体を発見した。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">能代さんについては北海道室蘭市の父親から、「退職して郷里に帰ると連絡があったまま、消息不明になった」として捜索願が出されていた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />………………………………………………………………………………<br />**<b>文書表示</b>**<br /><b>1/2 PAGE=2同僚殺し容疑で再逮捕 遺体、寮に隠す 横浜の叔母殺し男性</b><br />910420 T 朝刊 31 1社 315字</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />神奈川県警と藤沢署の捜査本部は19日、叔母を殺したとして横浜地検から強盗殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹容疑者(26)を、元同僚を殺して金を奪ったなどとして強盗殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕した。殺した同僚の遺体をポリ容器に詰め、10カ月もの間、寮の部屋で『同居』していたという。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />調べでは、村下容疑者は武蔵村山市の自動車メーカー村山工場に勤めいた89年6月9日早朝、当時、住んでいた同市榎1丁目の会社寮の自室で、同僚で同市伊奈平1丁目の別の寮に住んでいた能代郁夫さん(当時18)を絞殺し、現金百数十万円を奪ったうえ、死体をポリ容器に入れて隠し、翌年4月上旬、千葉県市川市高谷の江戸川沿いに捨てた疑い。<br />………………………………………………………………………………</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">『</span><span style="font-family: inherit;">この遺体は、日産自動車に勤務していた<b>能代郁夫さん</b>(当時18)との見方を強め・・』</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">『<b>能代郁夫さん</b>・・』<br /><br />「こりゃあ、シャレにならんぞ!」<br />僕はファクシミリに目を通しながら、受話器の向こうの飯沼君に言った。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「これを読んだ時、僕は、血の気が引いて行きました。名前、出身地、それに時期的にみても、僕の同級生の能代君に、まず間違い有りません」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「弟が入っていたのは日産村山寮。犯人の名前が村下。ポリ容器が江戸川で発見された言う事実は、君の言ったことと合致する。間違いない。・・これは弟が出くわした事件だ」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">驚いた。いったいこれは、何という引き合わせなのだろう・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />つまり僕の弟が、知らずに運ばされたポリ容器の中に入っていたのは、こともあろうに飯沼君の同級生だったのだ。そして、その友人・飯沼君と、兄・高橋とが、時を経て出会っていたのである。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">飯沼君から記事を捜し出すまでのいきさつを詳しく聞きながら、僕はこの奇遇について想いを巡らせていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">たとえば、人の一生の中で、自分の友達が殺される確率をどのくらいだと考えたらいいのだろう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">そして、会社の同僚が殺人犯で、知らずに遺体を運ばされる確率・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;">さらに、その遺体の友人と、その遺体を運んだ男の兄とが、巡り巡って、出会うために必要な確率なんて言ったら、イッタイどのくらいの数値になるのか!</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「シャレに、ならん!」<br />「こんな風にモロに目の前に出されると、もう、ビックリするしかないですよ」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">実際それは、あまりにも無表情な現実だった。本当は笑って話せるような話しではない。だが僕達は時折り、無理に笑いを交えながら話し続けるしかなかった。これ以上シリアスにしたくはなかったのだ。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「もしかすると、って言う段階ではむしろ、ワクワクしてたような気がするけど・・」<br />それはリアルなミステリーを読んで行くような感覚だった。<br />「そうなんですよ。ここまで目の当たりすると、事件そのものに対しては、なんかかえって冷静になっちゃいましたよ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「確かに。名前が解る前は、死体は単なる物体に過ぎなかったけど、こうなると、突然、匿名性が失われて、目鼻立ちまで見えて来そうだからな」<br />「僕は、彼の姿を知ってますからね」<br /><span style="font-family: inherit;">二人とも驚いてはいたのだが、それを伝える言葉に逡巡していた。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「でもですね、僕はむしろ逆に、希望のある話しとして考えようかと想ってます」<br />突然、飯沼君は変なことを言い始めた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「何んだそれ?」<br /></span><span style="font-family: inherit;">「えっ?、いやあ、だから・・、人生にはこんな変わったことも起きる、色んなことが有るだろう、まだまだ捨てたもんじゃないと言う意味ですよ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">おかしな表現だったが、意味は解った。<br />「なるほど、そう言う考え方も有るのかな」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">彼の言う通りだった。新聞記事のみだと、暗く陰惨なイメージに引き込まれるが、僕達は何処かで、この事件そのものよりも、事件にまつわる、運命の不可思議さのほうに興味を持ち始めていたのだった。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">当時、東京と北海道の、それぞれ別の場所で事件を知った二人が、二年間のどんないきさつを経て、東京の草野球チーム「ゴブリンズ」で出会うことになったのか。<br /><br />たとえば、こんな風に考えてみる。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />何処かへ出掛けようとして駅のホームに降り立つと、すでに出発のベルが鳴り、電車はドアが閉まる寸前。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">君は一瞬迷って、飛び乗ってしまうか、一本遅らせるか、どちらかに決めようとする。もちろん、待ち合わせに遅れそうなら飛び乗るかも知れないし、雨なら滑って転ぶのを恐れ、一本遅らせると言う手もある。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />しかしそんな時、君は知らず知らずの内に、微妙な運命の選択をも行っていると言うことに、気づいているだろうか。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">例えば、君も一度くらいは、出掛けた先でばったりと知り合いに出くわした、と言う経験を持っているだろう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">もしその人が、自分がずっと想い続けた異性であったとしたら?。あるいは大きな仕事を抱え君の連絡先が解らず困っていた先輩だったとしたら、乗る乗らないの選択に因って生じた数分の差が、人生を左右する重要な時間差になりうるかも知れないのだ。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />乗り物だけでは無い。朝何時に起きたか、何を食べたか、何を着ようか、何を話すか、人に対して優しかったか、意地悪だったか・・。日常の全ての選択が、そのまま、ほんの少しずつ君の運命を何処かへと運んで行く。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕達は普段そんなことを気にもとめず、何げなく毎日を繰り返しているばかりだが、それは結構冷徹な法則となって、知らぬ間に、人生を支配する運命の糸を張り巡らすのである。<br /><br />「これもゴブリンズ・レターに書くんですか?」<br />飯沼君が尋ねた。<br />「わからないな・・。ちょっと’’モロ’’だからね」<br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「随分弱気になってますね」<br />しかたが無い。話しが話しだから・・<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">しかし、どちらにしても、僕と飯沼君は互いに百万回の運命の選択の後、ゴブリンズで出会うことになった。ちょっと重たい「殺人事件」と言う物語りを背負いながら・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"> <br />もし僕が、『二年前の殺人事件の話し』を書かなかったらどうだったろう。僕達はずっと何も知らないままだったろうか。<span style="font-family: inherit;">知らなければ、他のメンバーと同様、土曜日に野球をやりたいと言う動機で集まっただけの、何の変哲もない普通の友人として終わったのかも知れない。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">いや、あるいは、それは全く逆で、他のメンバーも、何も話さないから気づかないだけで、実は稀に見る不思議な縁で集まっているのかも知れない。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">いろいろ想いを巡らせている内に、そんな妄想めいた考えが頭の中を支配していた。</span></span><span style="font-family: inherit;">ただ、どちらにしろ今のメンバー達は、ゴブリンズが無かったらおそらく一生出会うことは無かった人々、それだけは確かだった。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />いつからだろう、『それを作れば、彼はやって来る』と言うキー・ワードのように、何食わぬ顔で、君達は野球をしに集まって来た。しかし君達を、あの夏の球場に引き寄せた本当の理由を知っていただろうか?。雨で中止になった時、やり場の無い熱情にかられてしまうのは一体何故なのか、解っていたのだろうか?</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />何処かで、何かがつながっている。僕達は多分それに気づかないだけなのだ。<span style="font-family: inherit;">同じ時代、同じ国に生まれて、同じ言葉を交わすこと・・、それがどれほど数奇な運命の結果なのか、そのことに僕達は未だに気づいてはいない。</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">どうやら、誰かが?何かを伝えようとして、こんな不思議な『出来過ぎた話し』の一例を見せてくれたようだ。<br /><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: center;"><br /></div><br />「だけどなあ、オレ達以外の人間が、この話しを聞いたら、単純に、気味が悪いとか、怖い、としか考えられないだろうな」<br />「そうでしょうね。ウチの親も記事を見せようとしたら、いいよそんなのって感じで嫌がってました」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「だろうな。ものすごく不思議な話しなのに、いかんせん、爽やかさがない」<br />「事件が事件だけに」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「でも、これだけ出来過ぎた話しと言うのは、一生のうちでも、そんな滅多に出会えることじゃ無いわけだからね」<br />「まだまだ色んなことが有りますかね」<br />「有るよ、まだまだ。オレはけっこうそう言うことが多いんだ」<br />「そうなんですか」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「・・それよりなあ、どうもオレには、亡くなった彼が、君を使って、オレに名を告げに来たような気がしてならないんだ」<br />「ちょっと、やめてくださいよ!」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「そうとしか想えない。君が、パソコン・フェア会場から新聞記事に辿りつくまでのいきさつなんか、まるで作ったみたいな話しじゃないか」<br />「留守録のセリフは、・・ちょっとゴブリンズ・レターに書かれることを意識しました」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「だからね、ここまで来たら、オレはオレなりの方法で、彼の供養をしようと想うんだ」<br />「ええっ?、そんなこと高橋さん一人でやってくださいよ!、僕は遠慮しときます」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「あわてるなよ。いくらオレだって滅多なことはしないよ。鎮魂の気持ちを込めて、この話しを書こうと想っただけだ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「その程度ならいいですけど・・」<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「だいだい、このまま黙っていられないし、それに・・」<br />「それに?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「こんな形で、’’能代’’と言う名前を知るなんて、運命みたいな気がするじゃないか。その</span>能代君の<span style="font-family: inherit;">友人のキミと、オレとが、ほとんど初対面で、打ち解けてもいない内に、スケート旅行したって言うのも、何だか伏線みたいだと思わないか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「はあ・・、そうですかね」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「そうさ。運命と言うのはけっきょく、良い悪いも、自分が自分の意志で選んだものの積み重ねだからね」<br />「そうなんですか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「そうだよ。つまりいいかい?、オレが彼の名前を知ることになったのも偶然じゃない。オレが無意識に、長い年月をかけて、人生の無数の分岐点で、そのつど、どちらかを選び続けた結果なんだ。それでオレは、キミを通じて、彼の名前を知ることになったんだ」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「はあ?、なんだか良く解りませんけど」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「キミはキミで、東京を選び、ゴブリンズを選んだんじゃないか」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「つまりね、オレやキミだけじゃない。メンバーみんな、何処かでゴブリンズを選んでるんだ。そのことに尽きるのさ。ゴブリンズと言うチームを作らなければ、キミに出会うことも無かったし、こんな、’’出来過ぎた話し’’に会うことも無かっただろ?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />「・・・・・・・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「考えてみればね、ぜんぶ、始まりは’’ゴブリンズ’’だったんだよ」 <br /> </span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit; font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit; font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><b><span style="font-size: x-small;">当時、これを執筆したのち、個人的に「これも何かの縁であろう」と考え、被害者の名前を書いたお札を然るべき仏閣に納め、お焚き上げ供養をさせていただきました。・・合掌</span></b><br /><div style="text-align: center;"><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjA70UaUGKE_pBYVzwY6mNBWMi53BkNlxAvV2lP8yxNkVqnaIueK_k22mgRwEdWH15AOX9mI8OJNUNkRwApm-Ybn04iImKZxTMh-EiwY7YWLKDwTNtbBAHULtGestfz6yBD9ZWGHmDYCHnPFKVXn905RGM5pts4bUduKRMPBU2inQBeCDzBH7JUVQ=s2440" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2440" data-original-width="2320" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjA70UaUGKE_pBYVzwY6mNBWMi53BkNlxAvV2lP8yxNkVqnaIueK_k22mgRwEdWH15AOX9mI8OJNUNkRwApm-Ybn04iImKZxTMh-EiwY7YWLKDwTNtbBAHULtGestfz6yBD9ZWGHmDYCHnPFKVXn905RGM5pts4bUduKRMPBU2inQBeCDzBH7JUVQ=w608-h640" width="608" /></a></div></div></span><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><二年前の殺人事件の話し・異聞/おしまい></div><div><br /></div><br /><br /><br /><br /></div></div></div></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-45625212358874603242021-12-17T15:48:00.027+09:002022-05-04T18:12:44.047+09:00二年前の事件の話し<span style="font-family: inherit;"><b>★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。<br /><br /></b></span><div><span style="font-family: inherit;">これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。<br /><br /><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div><br />「じつは・・、</span><span style="font-family: inherit;">殺しが有りましてねえ」</span><div><span style="font-family: inherit;">その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「弟さん、いますか?」<br />そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。<br /></span><span style="font-family: inherit;">「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕は、嫌なことを想像していた。</span><span style="font-family: inherit;">弟?人殺し・・?</span></div><div><span style="font-family: inherit;">だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、<br />「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。<br />「お兄さん、何か聞いてませんか?」<br />「あ、いえ、何も・・」<br />戸惑いながらも、少しほっとしていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「お兄さんもいてください」刑事は言った。<br />彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">しかし、言われるまでもなく、同席しなければならなかった。僕の弟は耳が不自由なのだ。だから。意志の疎通を測るには、唇の動きを読んだり手話を使ったりと、コツがいる。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">やがて、お茶など出す間もなく聴取が始められたが、弟は既に新聞などでその事件のことを知っていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">その事件はこうだった。弟は日産の寮に入っている頃、「村下」と言う男と親しくなった。彼は臨時従業員、つまりアルバイトで雇われ、弟と同じ部署に配属されたと言う。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ある時、村下は弟を呼び出し、寮の二階の自分の部屋から、大きな青いポリ容器を運び出し、一階の弟の部屋などが並ぶ、庭に面したテラスに置くのを手伝って欲しいと頼んだ。ポリ容器はフタをして、荒縄で十字に縛ってあり、フタの隙間からは黒いビニールがはみ出していたと言う。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />友人の頼みでも有り、数週間後には「年齢制限」で部屋を出ることになっていた気安さも手伝って、弟はそれを快く引き受けた。しかしそのポリ容器を持ち上げようとした瞬間、余りの重さに驚き、また容器から漂う異臭にも不審を抱いた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そこで、『これはいったい何だ?』と尋ねると、<br />「田舎から漬物を大量に送って来たんだ。匂うから外に置きたいんだ」<br />村下はそう言っていたと言う。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />バブル景気の世の中で車は飛ぶように売れ、寝る暇もない忙しさの中で、弟はすっかり忘れていたらしい。ポリ容器はテラスに置き去りにされたまま、やがて寮を出ることになる。村下がその後どうしていたのか、ポリ容器がどうなったのかは解らない。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">刑事はそれがどのくらいの重さで、どんな匂いで、どのような順路で降りて行ったのかを執拗に尋ね、持って来た用紙に、楷書のきれいな文字で丹念に書き込んで行った。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />弟が答えるそのつど、刑事は僕の顔を探った。そしてちょっとした矛盾点を見つけては、「おかしいなあ!、そんなはずはないぞ!」と、突然声を荒げる。その声の調子は、単なる事情聴取の範疇を越えているかのように思われた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />初めの内は協力しようと熱心に答えていた弟も、同じことを何度も繰り返し尋ねられるしつこさに、次第に表情が曇り始めた。そして刑事がトイレに立った時、<br />『何時まで続くのか?。仕事があるんだ』<br />と言う意味のことを僕に訴えかけて来た。僕は、解らないと答えて、それからもう少し我慢しろと伝えた。</span>時計を見ると、始まってからすでに四時間が過ぎようとていた。</div><div><span style="font-family: inherit;"><br />僕は、トイレに行くふりをして、廊下の向こうで聞き耳を立てている刑事に気づいていた。その姿に、弟は「共犯者」として疑われているのだと思った。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />刑事はトイレの水を流して帰ってきてから、また尋問を始めた。質問と答えがそのつど僕を介して行われると言う手間に、弟は苛立っていた。僕は弟の苛立ちを気にしながら、自分自身の苛立ちをも抑えなければならなかった。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それにしても、刑事と言う人間の忍耐強さには感心した。彼の書き込む字は、最初から最後まで、まったく乱れることは無かったのである。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">長い時間が経ち、6時間をちょっと過ぎてから、それはようやく終りを告げた。帰りぎわ、刑事に、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あの、どんな事件なんですか。僕は何んにも知らないんですけど」と尋ねると、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「詳しいことは、また後ほど。お兄さんにもまたお世話になるかも知れませんので・・」<br />と言い残し、そのまま去って行った。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />刑事が帰った後、家にあった古新聞を引っ張り出し、事件のことを調べた。その記事によれば、村下は日産に勤める以前にも、自分の叔母を始め三人の人間を殺害していたようだ。そして四人目の殺人が、今回の事件であった。犯行は寮の部屋の中で行われていたのだと言う。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕は愕然とした。つまり、恐らく弟が運ばされたポリ容器の中には、その同僚の死体が入っていたのにほぼ間違い無い。何も知らない弟は、その重さに耐えながら、一段ずつ降ろしては休み、殺された人間の体を運んでいたのだ。そして、1カ月近くも、テラスに置かれた死体のすぐ側で寝起きしていたことになる。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />さらに驚くべきことに弟は、村下に借金を迫られ、それを断っていた。つまり、一つ間違っていれば、殺されていたのは弟の方だったのかも知れないのだ。何故なら、四つの犯行の動機全てが『借金を断られたため』だったからである。・・</span><span style="font-family: inherit;">僕の心の中で言いようのない戦慄と安堵とが、同時に沸き上がっていた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">刑事は、その後幾度か日産を訪れたらしいが、僕とはついに再び会うことは無かった。そして、事件のうわさも、記憶も、次第に薄れて行ったのである。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />あの事件が起きてから約2年が経ち、僕も弟もそのことはもうすっかり忘れていた。1992年12月6日、僕達は成田第二空港ターミナルに来ていた。弟が結婚し、オーストラリア旅行へ行くため、見送りに来たのである。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />第二空港ターミナルはちょうどこの日開港したばかりで、ごった返していた。朝には荷物用のベルトコンベアが故障し大変だったらしいが、今は大分落ち着いている。港内のあちこちにテレビ局の取材陣が来ていて、旅行者へのインタビューが繰り返されていた。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">結婚相手の彼女は手話サークルで知り合った6歳年下の娘であった。弟は辛うじて低い音なら聞きとることが出来るが、彼女は全く聞こえなかった。会話は全部、手話と読唇で行われる。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">この娘は、驚くほど明るくて笑い上戸だった。僕がパントマイムで冗談を表現すると、コロコロとほんとによく笑った。心が洗われると言う言い方があるが、彼女の明るさは正しくそれだった。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ところがこの明るさは、僕が知っている他の聴覚障害者にも言えることだった。彼らは総じて何か不思議なくらい明るい。これは聴覚障害以外の障害者にはあまり無いものなのだ。</span><span style="font-family: inherit;">僕が育った家のすぐ隣に、身体障害者の施設が有って、幼い頃からその人々の様子を見て来たから、僕には聴覚障害者と性格の違いがはっきりと解っている。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">少し頑固だが、明るく、物おじせず度胸が有る。弟の行く末を案じていた僕には、「あの性格が救いだ」程度に想っていたのだが、あの事件が起きてからと言うもの、ある種の確信をもってその理由が解り始めたのである。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />彼らがこんなに明るいのは、生まれて死ぬまで何も聞こえない代わりに、『人を傷つける言葉』をも聞かずにすむからなのでは、と言うことなのである。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">言葉はそれ自体、発する本人の想像以上に強いエネルギーを持ち、使い方一つで、勇気づけることも、どん底に陥れることも可能だ。そのため、幼い頃から言葉による攻撃を受けて来た人間は、心が歪んで『村下』のようになり、逆の場合には弟達のようになる。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">だからこそあの時、村下には弟を殺せなかった。たとえ金を断られても、弟から見下されたり傷つけられるような言葉を聞くことは、決して有り得なかったのである。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">つまり四っつの殺人の動機、それは、借金を断られたことそのものより、その</span><span style="font-family: inherit;">際に浴びせられた『人の心を傷つける言葉』だったのではないだろうか。それが彼の心の奥の悪魔を呼び起こしたのに違いない。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">確かに、想えば、僕達はどれほど多くの言葉で、人の心を傷つけて来たことだろう。</span><span style="font-family: inherit;">三人で新しい空港ロビーを見学しながら、僕は勝手にそんなことを考えていた。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">彼女が、喫茶室の前で、ケーキを食べる格好をした。弟はその仕草をビデオに撮りながら、店の中に入るようにと合図する。その間ずっと、僕はただの荷物運びにすぎなかった。出遅れて店の前に一人取り残されていた。そしてふと、もはや僕と弟とは全く別個の人間なのだと、その時改めて思い知らされたのである。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />小さい頃から、弟をずっと守り続けていたつもりだったが、その反面どこかで自分の所有物のようにも想っていた。キャッチ・ボールに引っ張り出して、野球を仕込もうとしたことも有った。弟も、ろう学校では野球部に入るなど一時は僕よりも熱中していたが、いつの間にか、彼の興味は野球から海へと移って行った。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">サーフィンから始まり、スキューバ・ダイビングへ、大胆にも海外の海にまで潜りに行くようになり、知り合ってからは、彼女も影響を受け、習い始めるようになったと言う。今度の旅行も、有りがちな夢ではあるが、『グレートバリアリーフ』が見たい、と言う二人の希望で、彼の地が選ばれたと言う話し。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">波の音も、風の音も聞こえない海を眺めながら、二人はずっと傷つけ合う言葉をも聞くことは無いのだろう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />弟はすでに僕から随分と遠くへ行ってしまった。今では、年に1、2回顔を会わせるだけである。野球にも全く興味を失ってしまったようだ。<br /><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">でも、僕はまたいつか、二人でキャッチ・ボールをしたいと想っている。たとえば、もう少し歳を取ってから、ちゃんとしたグラウンドや公園ではなく、あの家の前の舗装道路で。</span><span style="font-family: inherit;">そして、・・出来ることなら夕暮れに。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"> </span><br /><span style="font-family: inherit;"> </span><br /><div style="text-align: center;"><br /></div><span style="font-family: inherit;"><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><<b>この話しには驚きの続きがあります・・</b>></span></div></span></div><div><div style="text-align: center;"><br /></div><span style="font-family: inherit;"><div style="text-align: center;">「<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2021/12/blog-post_21.html" rel="nofollow">二年前の事件の話し・異聞</a>」へ</div><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: center;"><br /></div></span></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-6963198099741912962021-11-30T16:56:00.211+09:002022-09-08T18:16:58.913+09:002「どっこい、夢はまだ続いていた・・」<div><div style="text-align: left;"><b>前回までのお話し → <a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2021/09/blog-post_23.html">1「土手の上で、夢の中の約束」</a></b></div><div style="text-align: left;"><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div><div><br /></div></div><div><br /></div><div><div style="orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">★正直、今回はアップするか否か迷いました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />今年9月(2021)のお彼岸のころ、「土手の上で、夢の中の約束」と言うブログ記事を書きました。37年前に亡くなった女の子の夢を見た、と言う話しです。当初は「珍しい人の夢」と言う、ある意味「懐かしさ」を書こうとしたものでした。<br /><br />ところが、じつはその人の夢、まだ終わっていないんです。断続的にですが、続いているんです。数にして、10回近くは見ているかも知れません。<br /><br />こんなにたびたび同じ人の、しかも亡くなった人の夢なんて初めてで(両親が亡くなった時でさえこんなことは無く・・)、それだけに、何か「意味のある出来事?」のように思え、忘れない内に書き留めておこう、そんな気持ちになったのですが・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />しかしです、ふとワレに返りまして、疑心暗鬼にもなってしまったのです。どんなに一生懸命書いても、伝わらないんじゃないか?。「作り話しでし<span style="font-family: inherit;">ょ?」って言われたらそれまでだと・・</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">僕の亡くなった母親は、ちょくちょく「正夢」を見る人でした。たとえば「田舎の親戚が大ケガする夢を見た」と言って電話をすると、ホントに大ケガをしていたとか・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">僕には離婚歴がありますが、何も伝えて無いのに電話がかかって来て、「二人が別々に歩いて行く夢を見た。なんか有ったんじゃないだろうね!」なん<span>て<span>、怒った口調で問い詰められ、しどろもどろになったことも有りました。<br /><span style="font-family: inherit;"><br /></span></span></span></span><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">僕自身<span style="font-family: inherit;">は、ここまで特別な夢体験も無く生きて来たのですが、そんな母に、たびたび話しを聞かされて来たので、「夢がメッセージを運ぶ」ってのは、まあまあ有ることだろうとは思っていました。</span></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">が、まさか自分が、「メッセージ夢?」を見ると思ってなかったし、今回もすぐに「何か意味があるのでは?」と、信じたわけではないのです。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">しかし、何回か、亡くなった同じ女の子の夢を見て、それがいつもより鮮明で、目が覚めても薄れて行かなくて・・、そんなことを繰り返している内に、「まさか、もしかして?」と、少しずつ気持ちが傾いて行ったと言うワケなのです。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">だから、そうじゃない普通の?人々にとっては、いきなりそんな話しをされても・・、さて、どんなモンでしょう。やはり、奇異な感じに映るだけなのではないでしょうか?</span></div></div></div></div></div></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">しかしです。それでも、夢を見るたびに感じる、「ただの夢じゃない」と言う違和感、胸騒ぎのようなもの、これは、どうにも抑えきれないのです。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">この感じはたぶん伝わらない。でも書かずにはいられない・・</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">これから先どんな展開になるのか、正直、自分でも分からないのですが、</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">まあ、続きを読んでみてください。</span></div></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-variant-ligatures: normal; text-align: center; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />最初に見た夢は、「37年前に亡くなった女の子との土手の上での会話」でした。確か2021年4月か5月頃だったでしょうか?。多少気にはなったものの、そのまま忘れてしまいました。ところがそこから数ヶ月、確か8月頃のこと?、次の「彼女の葬儀にたどり着けない夢」を見たのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />そこで、「亡くなった人の夢を二度も見る、しかも文章に書けるくらいハッキリ覚えている」、これは珍しいことだと思い、ブログの下書きとして残しておきました。それを9月のお彼岸に合わせて清書し、アップしたところ、そこから急に夢の数が増え出したのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">そこで、その中の幾つかを書いておくことにします。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">その後の夢・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">二夜連続で「<b>彼女が他の男に連れ去られる夢</b>」<br /><br />ブログに「土手の上で、夢の中の約束」をアップして数日後・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">僕が彼女と住宅街のような場所を歩いていると、ほんの少し目を離したスキに、数人の男たちが彼女を引き離し、取り囲んで連れて行ってしまう夢を見ました。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">僕は驚いて彼女を追うのですが、なぜかどうしても追いつくことが出来ず、ついに、何処かの曲がり角で見失ってしまうのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />・・そこで目を覚ましました。これは、今こうして書いていても辛く苦しい光景で、ホントは書きたく無いくらいなのですが、良いことばかり書いてもウソっぽいかと思い、あえて書きました。そして、ほぼ同じ内容の「彼女を失ってしまう夢」が、じつは二晩も続いたのです。<br /><br />二日連続でとても嫌な気分で目を覚ましました。かなり落ち込んで、ひどく憂鬱な二日間を過ごすことになりました。しかも、ほとんど忘れていた「学生時代の記憶」までもが蘇って来るのです。交わした言葉の一字一句、</span><span style="font-family: inherit;">感情の動きまでがハッキリと・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">「たかが夢のせいで、なんでこんな思いをしなきゃならないんだ!?」</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">と腹が立ちましたが、同時に、自分の意識が、どんどん「過去」にタイムスリップして行く感覚も覚えました。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">「<b>スペイン坂で?、再会の夢</b>」<br /><br />二夜続けて彼女が連れ去られる夢を見て、その翌日、三夜目のことだったと思います。その日の夢には最初から彼女の姿は有りませんでした。ただ「何処かへ連れ去られた」を言う意識だけが残っていて、僕はどこまでも街中を歩き、延々と彼女を探し続けているのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">どれくらいの距離を歩いたのでしょうか、いつしか、渋谷のスペイン坂のような場所に迷い込んでいました。そこの狭く入り組んだ場所を抜け、さらに歩いて行くと、また道が狭まり、その先は階段になっていました。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">その階段の途中まで登って立ち止まり、「この上に、いるだろうか?」と見上げていると、いつの間にか後ろから、僕の左腕にそっと腕を絡ませて来る者がいるのです。「誰?」と、振り返ると、彼女でした。彼女は黙ったままでしたが、満面の笑みで僕を見返していました。<br /><br />・・そこで目が覚めました。珍しいと思ったのは、見失ってから再会するまでの、三夜連続の夢物語になっていたことです。そして「たかが夢」にもかかわらず、彼女と再会できたことにホッとして、三日ぶりに安らかな朝を迎えることになりました。<br /><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">「<b>迷いこんだ猫の夢</b>」<br /><br />これはそれから確か、1〜2週間後の夢です・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">家で作業をしていると、眩しい日が差し込む温かい部屋の中に、一匹の猫が迷い込んで来ました。「どこの猫だろう?」と思いながら抱き上げると、それが彼女の化身であることが分かったのです。どう言うわけか、猫の姿はしていてもそれが彼女なのだと僕には分かるのです。なぜ?と問われても答えようがありません。何しろ夢だからです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">猫はするりと僕の手から抜けると、窓際までぴょんぴょんと跳ねて行き、そしてそのままずっと、明るい</span>オレンジ色の<span style="font-family: inherit;">陽だまりの中で遊んでいました。僕は黙って、その無邪気に動き回る猫の姿を眺めているのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />・・そんな夢でした。学生の頃、彼女は東京のお祖母さんの家に同居していて、部屋で猫を飼っていました。その時の、猫を可愛がる姿の印象なのかも知れません。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">「<b>夢の終わり? 別れの言葉?</b>」</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />それは何処かの薄暗く狭い部屋で、大勢が雑魚寝をしています。なぜ雑魚寝なのか?、夢なので理由はわかりません。もしかすると、僕が三十代の頃よく出かけていた登山の山小屋・・、その記憶なのかもしれません。<br /><br />僕は思うように足が伸ばせず、つま先で隙間を探ったりしています。そんなことをしていると、僕の右腕の中に、誰かがモゾモゾともぐり込んで来る感触がありました。そして、右肩近くに頭を乗せて身体を寄せ、僕の腕枕でスヤスヤと眠り始めるのです。<br /><br />誰だろう?と思って顔を覗くと、彼女でした。やっぱり生きてたんだ!、よかった・・と安堵し、嬉しさのあまり抱きしめたくなったのですが、起こしてはいけないと思い、腕枕のままじっとしていました。<br /><br />小柄な上に背を丸くして、さらに小さく見える彼女の身体を感じながら、たとえようの無い幸福感に満たされていました。が、しばらくすると目を覚ましたのか、彼女はゆっくりと起き上がりました。僕は少し残念な気がして、もっと寝ていればいいのに、・・お手洗いかな?と思っています。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />すると彼女は僕の枕元に立ち、少し後ろへ下がったあと、<br />「信じてくれたから、・・・・だよ」<br />と言うのです。が、途中の「・・・・だよ」のところが良く聞き取れなくて、「えっ?」と思っていると、彼女は扉を開け、部屋の外に出て行ってしまったのです。<br /><br />・・そこで目が覚めました。時刻は早朝5時ごろ。夢が妙にリアルだったせいか、そのまま眠れなくなりました。<br /><span style="font-family: inherit;"><br />「またか・・」と思いながら不思議なことに気がつきました。僕の寝ぞうが、夢の中の格好とまったく同じ、少し右腕を広げた「腕枕」の形になっていたのです。</span></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /><div>夢の中の、彼女の言葉を思い出しながら、直感的に「これが最後。もう、彼女の夢は見ないかも知れない」と思っていました。もしかすると、彼女が完全に昇天する前触れではないか?と思ったのです。</div><div><br /></div><div>若くして亡くなり何処かに無念の思いを残していた・・</div><div>しかし長かった迷いも晴れ、いよいよその日が近づいている・・</div><div><br />だとしたら、少し寂しい気もするけど・・<br />「これでいい。・・それと、会いに来てくれてありがとう」<br />ぼんやりと、そう思っていました。</div></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div><span style="font-family: inherit;"><br />これがホントに何かのメッセージだったのか、それとも、ただの雑夢に過ぎなかったのか、亡き母とは違い、すぐに電話して確かめることも出来ません。<br /><br />ただ、こんな風に、何度も亡くなった人の夢を見るとき、世間ではよく「お墓参りに行く」なんて聞きますが、じつは僕も、こないだから墓参りがしたい衝動にかられて仕方ないのです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">この何十年、ほとんど忘れていたのに・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">今は、朝、目が覚めると同時に、あの子のことを考え始めているのです。そして一日中、片時も頭から離れること無く、何か作業をしていても、ふと気がつくと、あの日交わした言葉や、いくつかの場面を思い出し、手が止まっている・・</span></div><div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">「もう一度、会いたい」</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">なのに、どうすることも出来ません。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">そんな苦しい日々が、夢を見て以来、何日も何日も続いていました。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><div><span style="font-family: inherit;">''これはいったい、いつまで続くんだ?''</span></div><div><span style="font-family: inherit;">''まさか、このままずっと、忘れることが出来ないのか?!''</span></div><div><span style="font-family: inherit;">僕は途方に暮れました。</span></div><div style="font-family: -webkit-standard;"><br /></div></div></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><span>「あの子が眠る場所を探しなさい。そして会い行</span>きなさい」</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">そう言うことなのかも知れないと・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">しかし、なんせ遠い昔のこと。お墓の場所はもちろん、実家の連絡先も分からないのです(聞いたのは、鎌倉と言うことだけ)。葬儀の時、一人娘を失ったご両親があまりに可哀想で、お香典はおろか、声すらかけることが出来なかったんです。</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">それに、もし連絡先が分かったとしても、少し前に僕の両親が亡くなったことを思えば、彼女のご両親もご存命かどうか、微妙な年月が経過していま<span style="font-family: inherit;">す。<br /><br />当時、東京の彼女の部屋には何度か訪れたことがあり、お祖母さんの家での同居だと聞いていたので、親族の方が引き継いでいる可能性はあります。そこを訪ねて問い合わせれば、と思うのですが、住所は覚えておらず、ならばと、ストリートビューで記憶をたどってみたものの、方向音痴の僕には、心当たりの場所を見つけることが出来ませんでした。</span></span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><br />あとは、何処かにしまったはずの「卒業生名簿」を探し出すとか・・、奥の手としては、大学へ行って、過去の卒業生の情報を調べてもらうとかすれば、何かヒントはあるかもしれませんが、実家の</span>情報まであるかどうか・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;"><br />何十年も何もして来なかったのに、今さら・・</span></div><div style="font-variant-ligatures: normal;"><span style="font-family: inherit;">自分でもどうかしてると思います。でも、何故かそうせずにはいられない、不思議な気分の2021年11月、今日このごろなのであります。<br /><br /><br /><br />・・さて、あれから随分経ちますが、その後、彼女の夢は一つも見ていません。</span></div><div style="font-family: -webkit-standard; font-variant-ligatures: normal;"><br /></div></div></div></div><div><div><br /><br />*<b>次回のお話しに、つづく・・</b><br /><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2022/02/facebook.html" target=""><b>3「今ごろ?”facebook”を始めてみた?」</b></a><br /><br /><br /></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-12322069678012817562021-10-26T11:49:00.042+09:002022-01-16T15:49:57.947+09:00松坂投手引退で思い出す、円周率デマの話し・・<span style="font-family: inherit;">★ついに?平成の怪物・松坂投手が引退を決意しました。<br /><br />このニュースを聞いて、その感慨よりも、入団時のことを思い出していました。日本中が信じてしまったデマ、今で言う「松坂プロ入りフェイク・ニュース」の話しです。今回はまず、そのブログ記事のURLをリンクしておくので、まだ読んでない人はどうぞ見てください。<br /><br /><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2006/11/blog-post_15.html">◎ 松坂投手の誰もが勘違いしているホントの話し</a><br /><br />じゃあなぜ「円周率」なのかと言うと・・、松坂投手についての自分のブログ記事を読み直した時、その中に、そのままになっている宿題があったことに気づいたのです。で、今回はその件の続きを書いておこうと思うのです。<br /><br />その宿題とは?「ゆとり教育反対の理由」で大変有名になった「円周率3」のデマのお話しです。</span><div><span style="font-family: inherit;"><br />少し前、あるバラエティ番組で、外人タレントさんが、「ゆとり教育って、円周率3で教えるんでしょ?。これ海外でも''ありえない?!''って話題になったんですよ!」って話しをしてるのを見まして・・、「これ、かなり恥ずかしいぞ・・」と思ってしまったんです。今の時代、国内の小さな話題でも一瞬にして海外に伝わってしまう、と言ういい例ですよね。<br /><br />「日本の恥だ」と思ったものの、恥と思ったのは「円周率3」ではなく、「デマ」が、そのまま「ホントの話し」として海外に伝わってしまったことの方なのです。「円周率3」のこの話し、日本の塾業界が意図的に広めたデマだったんです。<br /><br />日本中が信じてしまった「ゆとりは円周率を3で教える」と言うウワサ・・ しかし</span><span style="font-family: inherit;">「ゆとり教育」の学習指導要領には、「これから円周率は3で教えます」なんてことは一言も書かれておりません。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">実際の「学習指導要領」の文章では、<br /><b>「円周率は3.14」</b>のまま変更無しです(当たり前です)<br />が、同文の中の例外として、<br /><b>「目的に応じて3を用いてもよい」</b><br />という文言がありまして、これを発見した反対派は、鬼の首を取ったかのようにそこだけを切り取り、「ゆとり教育は円周率を3にしようとする暴挙!」と、吊し上げを始めてしまったわけなのです。<br /><br />ではなぜ「目的に応じて3を用いてもよい」と言う一文があるのか?。それには、円周率3.14の正体について少し考えてみる必要があります。まず、誰でも知っている?ことですが、円周率は永遠に割り切ることが出来ない「無限数列」です。<br /><br />途中までざっと表すと以下のようになります。3.14159265358979323846264338327950288419716939 ・・・・<br /><br />どうでしょう?、一目瞭然ですが、「円周率 3.14」とは、この気の遠くなるような無限数列の少数点以下二桁まで、それ以下を切り落とした数値なのです。<br /><br />・・と言うことは?、早い話しが「3.14」だろうが「3」だろうが、正しい数値ではないってことになるのです。あえて言えば「近似値」ですね。しかも「3.14」と「3」の違いは、わずか「0.14」。「4」が付いているのでデカく見えますが、これも四捨五入してしまえば、差はホンの「0.1」でしかないのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">なので「ゆとり教育」では、原則はあくまで「3.14」、しかし、大雑把な試算などにおいては、「目的に応じて3を用いても良い」と言うことになるのです。<br /><br />僕も含め、世間の人たちは「円周率3.14」を、動かしようの無い「絶対値」のように思って来たような気がします。が、もうお分かりだと思いますが、3.14とは、無限数列のホンの一部、そのままでは計算のしようがないため、途中で断ち切った便宜上の数値に過ぎません。なので、それから得られる「解」もまた正解ではなく、便宜上の「近似値」なのです。<br /><br />ゆとり教育って、大袈裟に言えば、こう言った数学が持つ「哲学?」のようなモノまでも、教えようとしてたんじゃないですかね?<br /><br />これもTV番組でなんですが、ある数学者が、「あなたは何故、数学の道に進んだのですか?」と問われ、「数式が美しいと思ったからです」と答える姿を見たとき、僕は感動したんです。自分は暗算もロクに出来ない「数字オンチ」なんですが、「絵を描くことと同じだな」と思ったんです。<br /><br /></span><div><span style="font-family: inherit;">キャンバスに色を置き始めると、最初は手のつけようの無い色彩の混沌なのですが、そこから数時間、数日間をかけて格闘して行くうち、やがて混沌の中に、小さな規則性が生まれ出る瞬間が訪れます。それこそが、そのキャンバス全体を支配するコンセプトとなり、完成へと導く法則となるのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div>それはまるで、ドラマ「ガリレオ」で、福山雅治氏演じる「湯川学」が、一瞬のひらめきから、何かに取り憑かれたように辺りかまわず数式を書き殴り、一気に問題解決へと導いていく、そのシーンの興奮と似ているような気がします。<span style="font-family: inherit;">だから絵画も正に、色と形によって答えが導き出される、美しい数式?そのものではないか?と思えるんです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /><br /></span><div><span style="font-family: inherit;">ところで、「ゆとり教育は暴挙!、円周率を3で教えようとしている!」とのデマを触れ回った真犯人?「塾業界」ですが、「ゆとり教育」よる生徒減少を恐れてしでかした確信犯だったようです。電車の中吊り広告などで、大々的な「意見広告キャンペーン」が行われましたね。<br /><br />僕は子供のころ、塾には一回も行ったことがございません。そもそも小学3年を最後に宿題もやったことが無く、塾のカリスマ講師なんてヤツ</span><span style="font-family: inherit;">を見ると「気持ちわり〜」なんて思ってた人間なので、この件でよりいっそう「塾ギライ」になってしまいました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />まあ、さすがにこれは偏見だと認めますが、しかし、彼らのデマ(今風に言えばフェイク・ニュース?)のせいで、海外にも「日本は科学立国って聞いたけど、思ったよりバカな国だったんだ」って言う、印象づけがなされてしまったのですよ。<br /><br />今の時代、日本の情報はあっと言う間に世界中に伝播します。塾業界が</span><span style="font-family: inherit;">保身のために流したデマによって、日本の、日本人の名誉が著しく傷つけられてしまったのです。これは許し難いことなのであります!</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ホントに、塾業界・・・<br /><b style="font-family: inherit;">責任者!、出てこい!</b></span></div><div><span style="font-family: inherit;">(人生幸朗・生恵幸子のボヤキ漫才風に。・・もう誰もわからんか)<br /><br />いいですか?。言っとくけど、2021年、新型コロナで暗く閉塞する日本を・・、「これだからゆとり世代は・・」とバカにしてたオジサン達を、二刀流の大活躍で元気にしてくれた「大谷翔平くん」、彼もまた正真正銘・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><b>「ゆとり世代」ですから!</b></span></div><div><span style="font-family: inherit;">(ギター侍、波田陽区風に)<br /><br /><span style="font-size: x-small;">・・書いてたら、だんだん腹立って来た。</span><br /><br /><br /><br /> </span></div></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-41077710856483137002021-10-11T23:55:00.202+09:002021-10-15T17:04:56.181+09:00「まゆゆ」引退・・<p> ★「今ごろかよ!」って言われそうですが、元AKBの神セブンと呼ばれた一人、渡辺麻友さんが芸能界を引退しました。</p><p>昨年(2020)のことです。しかし、芸能界では大物タレントのコロナ死や自殺など、衝撃的なニュースが相次ぎ、ファン以外ではそれほど?話題にならなかったような気がします。しかし僕にとってはちょっと興味深い存在だったので、少し書いておこうかと思いました。</p><p>単刀直入に言うと、「音楽の価値観を一変させられた?」とでも言いましょうか、彼女が歌った一曲に、これまで培って来た音楽の感性を一撃で破壊されてしまった、そんな存在だったのです。(大袈裟か・・)</p><p>かく言う僕は、もともと若い頃はアイドルと言うモノには興味がありませんでした。自分で言うのもナンですが、変わり者だったし、多少歌にも自信があったので、当時のヘタウマアイドル歌手はどうでもいい、と言うのが本音でした。</p><p>世間では「歌のうまいアイドル」として評判だった「松田聖子さん」でさえ、僕が聴いた限りでは微妙に音を外していて、それが気になってダメだったのです。</p><p>周囲の人たちは、その「説」を信じませんでしたが、彼女がアメリカ進出を試みた時、向こうのプロデューサーから「音程が外れている。このままだとアメリカでは通用しない」と、長期間のレッスンを受ける予定との芸能ニュースを見た時、ひとり「ほらね!」と思ったものでした。(ただし、帰国後は素晴らしい歌手に変貌していましたよ、念のため)</p><p>では、そんなだった僕を、還暦近くなって、一変させてしまった一曲とは何かと言うと、「まゆゆ」が歌う、その名も「麻友のために」でした。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="286" src="https://www.youtube.com/embed/afEWmueMIEE" width="513" youtube-src-id="afEWmueMIEE"></iframe></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: justify;"><span style="text-align: left;">どうですか?。声質は典型的な舌足らずの「アイドル系ガールボイス」で、一見ヘタそうに聴こえるのですが、注意して聴くと、しっかり音を外さずに歌い切ってることが分かるのです。しかもサビの部分、低音からいきなり高音に飛ぶ高低差の激しい曲にもかかわらず、後半になってもしっかり音程を保ち続けている・・ </span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: justify;"><span style="text-align: left;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: justify;"><span style="text-align: left;">かつてのアイドル嫌いの僕は、「AKB48」と言うのは、とりあえず可愛い女の子をたくさん集めて、一度に大勢で歌わせれば歌のマズさはごまかせるってやり方だ、と思っていました。なので、これを聴いた時、「あれっ?」と思ったんです。</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: right;"><span style="text-align: left;"><br /></span></div><div style="text-align: left;">「ちょっとこれ、ホントは、歌の上手い女の子なんじゃないの?」と興味が湧いたんです。音程があまりにフラットなので、ヘンな話し、何か合成された「電子音声?」のようにさえ聴こえました。(ちなみに彼女は、芸能記者がどれだけ探ってもスキャンダルが出てこない「アイドル・サイボーグ」と呼ばれたそうですが・・)</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">同じ曲を別の女の子が歌ってる動画があります。「まゆゆ」と比較すると、声のゆらぎが明らかに大きいのが分かります。「まゆゆ」の方が安定感があるのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="283" src="https://www.youtube.com/embed/X7pUc-aoCJg" width="508" youtube-src-id="X7pUc-aoCJg"></iframe></div><br /><div style="text-align: left;">まあ、この安定感がむしろ、アンチにとっては「まゆゆは口パク」との中傷ネタにもなっており、僕もまあ、気持ちは分かりますが、以下のもう一つの曲を聴くと少し考えが変わるかも知れません。</div><div><p>とにかく、もっと「まゆゆ」の歌を聴いてみたいと調べてみたら、この曲はどうやら「渡り廊下走り隊」と言うAKBの選抜ユニット、たぶん歌の上手な少女たちを集めた、その中の一人として歌っているらしい、ってところに行き着きました。で、さっそくアルバムを手に入れ聴いてみたのです。</p><p>すると、「麻友のために」以上にビックリした曲がありました。それがこのフォーク・ダンス調の「アッカンベー橋」と言う曲です。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="281" src="https://www.youtube.com/embed/S3bHfFshGuA" width="496" youtube-src-id="S3bHfFshGuA"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: left;">どうですか?。これをいい歳したオッサンが聴くこと自体、奇ッ怪な所業ですが、こっちもこっちで、何だか、見てはいけないモノを見てしまったような・・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「なっ、なんなんだこれは!?。・・学芸会か??」ってね。</div><div style="text-align: left;">もう、見てる方が気恥ずかしいやら何やらで・・、いや、気恥ずかしいを通り越して、「ちょっ、ちょっと気持ち悪い」てな具合です。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「でも・・、なぜだろう?、もうちょっと見てみたい。なんだか気持ち悪いのに面白い。そうだこれは、キモ面白い・・だ!」と言うことになりまして、けっきょく、ズルズルと引き込まれて行ったと言う次第です。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">その理由の一つに、やっぱり「まゆゆ」の歌が良さがありました。声に伸びが有り、透明感が有って聴いていて心地良いんです。他の女の子たちと比較しても、群を抜いてることが分かります。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">が、そんなことは表向きの理由で、もはやどうでもいいんです。・・とにかくビックリしました。こう言うモノを平気で世に出す感覚・・。で、人生経験豊富な?オッサンに与えたひっくり返るくらいの衝撃、そして、怖いもの見たさでついつい見てしまう理由・・。よくよく考えて、何が起こったのか分かったような気がしたんです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「破壊力!」とてつもない「価値観の破壊!」</div><p>僕が幼いころの音楽と言えば「歌謡曲」。美空ひばりや村田英雄の歌が最初に接した音楽でした(当時は演歌も歌謡曲のカテゴリー)。やがて中学では、吉田拓郎や加川良などフォーク・ソングに惹かれ、そして頂点はビートルズ。高校になるとガロ、ユーミン、オフコースと言ったニューミュジックに魅せられました。</p><p>それだけでは飽き足らず。ジャズやフュージョン・・、そして高額なオーディオ装置にも凝り出すと、「最高のサウンド」を求めて、音楽の頂点?クラッシックにも手を染め、毎日毎日、飽きることなく音の渦の中に没入することになるのです。</p><p>そうして得た音楽の知識や、どんな小さな音も聞き分ける繊細な聴覚や感受性を身に付け、時には高飛車に、上から目線で、友人たちに自分がどれほど音楽やサウンドに精通しているか、エラそうに能書きを垂れて回る、なんて、今にして思えば、じつに愚かしい事をしでかして行ったんです。</p><p>そんな、高みに上り詰めたつもりの自分の価値観、自慢の音楽的感性が、アッカンベー橋を聴いた一瞬に、物凄い破壊力でガラガラと粉砕されてしまったのです。</p><p>「何んだこりゃあ!?。・・面白い!。面白すぎる!」</p><p>けっきょく繰り返し何度も動画を見てしまいました。で、何度も見ても気持ち悪い!、でも面白い!。で、だんだんその「キモ面白い」が快感になって行く!。</p><p>・・それは年齢を重ねた自分の中の、高尚ではあるが、凝り固まった保守的な「価値観」が、音を立てて崩れてゆく瞬間でした。</p><p>たとえば、写実画を最高芸術と崇めて来た人々が、初めてモネの未完成のような「印象・日の出」を見た時の衝撃。あるいは「リンゴや水差し」を描くのが「静物画」と思い込んでいた人々が、アンディ・ウォーホルの「キャンベルスープ」や「バドワイザー」の空き缶の絵を見せられた時の衝撃のような・・?</p><p>それからと言うもの、あえて「キモ面白い」アイドル系音楽を探すようになって行きました。「でんぱ組」とか「私立恵比寿中学」だとか・・</p><p>すると2013年、またも衝撃的な曲に出会いました。NHK-BSの「アニサマ」で見た「七森中☆ごらく部」の「ゆりゆらららゆるゆり大事件・夏祭りバージョン」です。(アニサマとは?「Animelo Summer Live」の略で、毎年埼玉アリーナで行われる、恐らく日本最大のアニメソング・コンサート)</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="281" src="https://www.youtube.com/embed/o6QU9FWvVSA" width="501" youtube-src-id="o6QU9FWvVSA"></iframe></div><p>残念ながらこの動画はアニサマでは有りません。これだとその時の衝撃は伝わりにくいんです。NHK-BSで見たアニサマ、埼玉アリーナ37000人の大観衆の前で、彼女らが演じたこの曲の異形、異様さは、とうてい伝わらないでしょう。彼女らは同じステージで「逆転イッパツマン」の主題歌も歌ったのですが、それもかなり異様でした。</p><p>いわゆる「子供向けアニメソング」を、巨大なホールの大観衆の前で大真面目に歌うと言う、そのギャップが異様で、キモ面白いんです。彼女らのこの歌にもスゴい衝撃を受けまして、録画して何度も見返しました。</p><p>で、それ以降も同様の「衝撃」を求めて、毎年NHKで放送されるアニサマを録画して見続けたのですが、残念ながら、だんだんとつまらなくなって行ったんです。</p><p>アニメが子供だけのモノではなくなると、テーマ曲も大人の鑑賞に耐えうる本格的な曲が多くなって行きました。すると、アニサマはその異様さを失い、ごく普通のロックコンサートになってしまったんです。・・で、アニメファンの盛り上がりとは裏腹に、僕にとっては「ありきたりのモノ」でしかなくなり、一気に興醒めして行きました。</p>ロックバンドって言うのは、ヘビメタにしろパンクにしろ、もっと最近のモノでも、だいだい似通ったファッションで、似たようなメイクで髪型で、似たような音を出して・・と言う、一見アナーキーぶっている割には、ガチガチ保守的な「様式美の芸能」なんですよね。</div><div><br /></div><div>なので、彼らがどんな過激な放送禁止用語を連発しようとも、僕にとっては、「ありきたり」であって、何の破壊力も感じないのです。</div><div><br /></div><div>かと言って、もちろん、アニメソングやアイドルたちを企画したプロデューサー、作詞家、作曲家、振付師その他のスタッフも、まさかオッサンの価値観を破壊するために生み出そうとしたわけでは無いでしょう。こんな見方をするのは、やはり「変わり者」、僕だけかも知れません。</div><div><br /></div><div>だとしても、2005年に始まったと言う「AKB48」と言う企画は、やはりお見事でした。その戦略「AKBショック」とでも言いましょうか、その後いろんな形で発展、衰退した部分も有りますが、とりあえず、かの小田和正氏が、ついに堪えきれず?「恋するフォーチュンクッキー」のカバーを、あの高尚な音楽番組「クリスマスの約束」で、声高らかに歌い上げるってところまで波及したのですから・・</div><div><p>その後「まゆゆ」さんはAKBを卒業、女優転身を試みたようですが、ドラマの視聴率が低調で意気消沈したとのウワサも聞きました。引退理由は「健康上の理由」とか・・。できれば、もう少しアイドル歌手「まゆゆ」の歌を聴きたかったんですが、まあ今どき、ソロのアイドル歌手ってのも難しいんでしょうね。</p><p>・・と言うことで、自分が感じた「価値観の破壊」がどこまで伝わったのか、少々不安ではありますが・・、でなければ、いい歳して急にアイドルにのめったオジさん?と言うだけになってしまうので。</p><div style="text-align: left;">そんな一抹の不安を抱えながら、最後に「まゆゆ」の昭和感たっぷりの曲を聴いていただきましょう。まるで「夜のヒットスタジオ」のような設定のプロモです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="295" src="https://www.youtube.com/embed/DOuUJS9Gg68" width="524" youtube-src-id="DOuUJS9Gg68"></iframe></div><p><br /></p><div style="text-align: left;"> まゆゆ、2020年芸能界引退</div><div style="text-align: left;"><b>「少女たちは傷つきながら、夢を見る・・」</b></div><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"> </div></div></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-12814109699860199372021-10-06T23:10:00.033+09:002021-10-13T15:11:39.845+09:00副反応ではない、筋肉注射の痛みだ!?<p> ★新型コロナのワクチンを7月と8月に打ってもらいました。「副反応で死亡」との報道もチラホラと聞いたので、正直、ザワザワした気持ちも有りましたが、打ってみたら特に異常は無く、副反応と呼べるものは「腕(肩?)の痛み」と「頭痛」くらいでした。</p><p>報道では「腕の痛み」も副反応のひとつとされていて、「オレの痛みもそうだな」と納得していたんですが、しばらくして、「いや?、腕のこの痛み、・・知ってる。前にも何処かで経験してる・・」と言う気がして来たんです。</p><p>で、ずっと記憶をたどってみると、子供の頃よく診てもらっていた「E先生」の注射の痛みに似てる?ってことに辿り着いたのです。で、もしこの仮説?が正しければ、これはワクチンの副反応ではなく、「筋肉注射独特の痛みである」と言うことになるのです?。</p><p>僕は小学校三年で、今住んでいる町に引っ越して来たのですが、当時の掛かりつけの医者となったのが、商店街の並びにあったE医院の「E先生」でした。その医者の注射の仕方が、今思えば「筋肉注射」だったんです。</p><p>二の腕に注射針を垂直に立て、勢いよく針を刺し、薬液を押し込んですぐに抜く。それが子供の目から見て一瞬の早技だったので、注射を怖いと思うヒマも無く終わっているって感じだったんですが・・</p><p>しかし、家に帰ってからしばらくすると、だんだん痛みが出てくるんです。ドーンと、重ダルいような痛いような、とにかく腕が上がらなくなるくらいの感じです。その痛みが、あの頃も1〜2日続いたんですかね。細かく覚えてないんですが、夜、寝苦しさで何度も寝返りを打ったような記憶は有ります。</p><p>それからこんな事も有りました。かつて我々が小学生の時代は、学校でワクチンの集団接種が行われていました。接種当日には、数名の町医者が来るのですが、それには必ずE先生も来ていました。そして、それぞれ陣取った医者の前に、生徒が振り分けられ列を作るのですが、なぜか、E先生の列に並ばされてしまった子供は、「え〜!」っと嫌そうな声を上げたり、半べそかく女子もいたのです。</p><p>転校生だった僕は知らなかったんですが、以前から「E先生の注射は痛い!」と、生徒達にはとても評判が悪かったらしいのです。ですが、家族ぐるみでお世話になっていた僕は、顔見知りだし注射にも慣れていたし、その日も目が合ってニコッと笑顔を見せてくれたので、僕はE先生に打ってもらいたいなあ、くらいに思っていたのです。</p><p>それと見た目が、テレビの洋画劇場で見た俳優「ハンフリー・ボガート」にちょっと似ていて「カッコいいなあ」とも思っていたし、何より、診察の時の応対がとても優しく、子供心に頼もしい感じがしていたので、みんなが嫌がる気持ちが理解できなかったんです。</p><p>それではなぜ「E先生の注射は痛い!」と、生徒たちに嫌われていたのか?。やはりそれは「E先生の打ち方が筋肉注射」だったからではないかと思うんです。僕は、他の先生に打ってもらった時に、あきらかに打ち方に違いが有ることに気がつきました。他の先生の注射は、針を斜めに刺す「皮下注射」だったんです。</p><p>素人だしワクチン・デマが飛び交う今日このごろなので、うかつなことは言えませんが、「皮下注射」と「筋肉注射」とを調べてみると、海外では「効果が早い」との理由で「筋肉注射」が主流。この辺は、海外の映画・ドラマの注射シーンを見て、「外国って日本と注射の打ち方が違うなあ」と、前から思ってましたけどね。</p><p>それに比べ、日本では過去に「筋肉注射」で「大腿四頭筋拘縮症(*注)」と言う副反応が起き、社会問題になったことが有ったそうで、それを境に、効き目が穏やかな「斜め打ち皮下注射」が主流になって行ったとのことです。</p><p>つまり、多くの日本人は、これまで「筋肉注射」の経験が少ない(無い?)と言っても過言ではないのです。</p><div style="text-align: left;">つまり、「筋肉注射」によってもたらされる「腕の痛み」を、あたかも「新型コロナ・ワクチンの副反応」であるかのように思い込んでしまった・・との仮説が成り立つワケなのであります。(でも専門家たちも副反応って言ってるんですけどね・・?)</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">しかしまあ、勝手ながら僕個人は結論出ました!。</div><div style="text-align: left;">「コロナ・ワクチンの腕の痛みは副反応ではない。筋肉注射特有の痛みだ」</div><p><br /></p><p><br /></p><p><span style="color: #666666;">*注・じつは僕の左太もも(大腿四頭筋)のあたりに、今でも大きな傷痕が残ってまして、幼児期に打った注射が原因だと聞いています。生前父親が「あの注射のせいで、お前は危うく歩けなくなるところだった」と何度も言っていたので、僕は「大腿四頭筋拘縮症」の被害を受けた一人だったのかも?知れません・・</span></p><p><br /></p><p> </p>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-9324403529640718042021-09-23T09:59:00.181+09:002022-09-08T18:11:20.485+09:001「土手の上で、夢の中の約束」<div>★<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/p/bookmark-207224.html"><b>Index</b>「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」</a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><span style="color: #666666; font-family: inherit;"><span face="-webkit-standard" style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;">2021年の春頃、</span></span><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: #666666; font-family: "Hiragino Maru Gothic Pro";">僕は一つの夢を見ます。ほぼ忘れかけていた人の夢と言</span><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: #666666; font-family: "Hiragino Maru Gothic Pro";">う、何の変哲もない出来事のはずでした。しかしそれは、その後、約一年間に渡って続く、「少し不思議な巡り合わせ」の、始まりの夢だったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><span face="-webkit-standard" style="font-variant-ligatures: normal; orphans: 2; text-decoration-thickness: initial; widows: 2;"><br /></span></span><div style="text-align: center;">*</div></div><span><div style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;">・・そこは何処かの土手で、芝生で覆われたなだらかな地面の上に、男女数人で座っています。僕の左隣りには小柄な若い女性が座っていて、まるで独り言のように話しかけて来るのです。</span><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「あたしいま、風俗で働いてるの」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>その言葉に、</span><span>僕は少なからずショックを受けていて、すぐには返事ができません。大学の学費を親に頼らず、全部バイトで稼ぐと言っていた彼女ですが、そこまでして・・とは思いませんでした。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">返事が出来ず思いを巡らしていると、次に彼女はこんなことを言いました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「歯が抜ける女の子はキライですか?」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>その声に口元を見ると、あちこち抜けてしまった歯茎が見えていました。僕は愕然としながらも、それを悟られまいと明るく、</span><span>「だいじょうぶ。インプラントと言う手もあるよ」</span><span>と言いました。</span><span>僕の右隣りの女性も「そうそう、インプラント」と言ってくれて、それを聞いた僕は少し落ち着きを取り戻します。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>何処か体が悪いんじゃないのか?と思ってもう一度見ると、</span>彼女は<span>やはり顔色が悪いのです。おまけに</span><span>痩せていて、とにかく見すぼらしいのです。僕が覚えている</span><span>、明るく健康で弾けるような若さの彼女ではなくなっていました。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>しかし・・</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>「でも、だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">そう言い切ってしまうと、さっきまでの動揺がウソのように晴れやかな気持ちになっていました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">ここまでに至る、彼女との出来事を思い出していたのです。美術大学で初めて言葉を交わした日・・、ローラー・スケートが共通の趣味だと分かった日・・、それから・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「オレはずっと変わらない」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>僕の言葉が届いたのかどうか・・、</span><span>彼女はスッと立ち上がると、</span>「もう行かなくちゃ」と、<span>夕暮れ迫る土手の上を、小走りで何処かへ行って</span><span>しまったのです。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・と、そこで目が覚めました。夢だったんです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>さらに</span><span>少しずつ意識がハッキリして来ると、その夢の中の彼女が、もうこの世にはいない人なのだと言うことも思い出していました。今からざっと37年<span style="font-family: inherit;">前、27歳<span>の若<span style="font-family: inherit;">さで亡くなってしまった人なのです。</span></span></span></span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">今は亡き人・・</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>もう長いこと忘れていたのに、今ごろになって急に夢に現れるとは・・。</span>しかも夢とは言え、あんなボロボロの姿で、何故あんな変なことを言ったのか・・</span></div></div></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;">「まさか、オレも寿命が</span>迫って来たのかなあ」</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">などと、ボンヤリ考えていました。</span></div></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">ですが、たとえ「夢」だとしても、どんなに見すぼらしくても、彼女を信じる気持ちが残っていて、それを言葉でしっかり伝えられたことに、我ながら満足していました。・・昔々読んだ、遠藤周作氏の小説の寓話を思い出していたのです。</span></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); text-size-adjust: auto;"><span><span><br /><span style="font-family: inherit;">◇ </span><span style="font-family: Zen Maru Gothic;">若くまだ修行中の神父が、皮膚の伝染病で道端に倒れ、死にかかっている見すぼらしい男に出会います。彼は壊死してただれた腕を伸ばし</span></span><span style="font-family: Zen Maru Gothic;">懇願するのです。</span><span><span style="font-family: Zen Maru Gothic;">「神父様、どうか最後に・・、じき死にゆく私を、抱きしめてはいただけませんか?」。未熟な若い神父は、激しい嫌悪感に見舞われながらも、意を决し、やっとの思いで男を抱き上げました。するとその瞬間、男は光り輝くイエス・キリストの姿に変わっていたのです。</span><span style="font-family: inherit;">◇</span></span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br />当時高校生だった僕は、これを読んで、「オレには絶対ムリ、見て見<span>ぬフリをしてしまう</span><span>」と、軽い自己嫌悪を覚えました。それが、この夢の中では、少しだけ神父に近づけたような気がしたのです。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・また別の日、再び彼女の夢を見ました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">最初の夢から数ヶ月後の、確か8月くらいだったでしょうか?。それは「彼女の葬儀の夢」でした。いや正確には「彼女の葬儀会場になかなかたどり着けない」と言う夢でした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">僕は亡くなった彼女の葬儀会場に向かっているのですが、なぜか自転車に乗り、ノロノロとペダルを漕いでいるのです。時間的には余裕があるのですが、ふと、礼服ではなく普段着で来てしまったことに気づきます。「いくら何でもこれはマズい!」と引き返し、着替えることにしたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">するともう時間がありません。到着するのはギリギリ葬儀が始まる寸前でしょうか?。そこで自転車をあきらめ、車に乗り代えることにしました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">運転を始めると、なぜか辺りはすっかり雪景色に変わっているのです。「間に合うかな?」と思っていると、また忘れ物に気づきます。お香典を用意していなかったのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「しまった!」と思いましたが、もう引き返す余裕はありません、とにかく車を進めます。すると雪の中、港町のような入り組んだ場所に迷い込み、道が分からず、ついに車を止めることになってしまうのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・そこで目が覚めました。時計を見ると朝6時ちょっと前。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「よりによって葬儀の夢か?」と、妙な気持ちでいたのですが、そのままウトウトして、いつしか二度寝をしてしまったようです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">夢の続きを見ていました。葬儀に行けなかった僕の周囲に、数人の女の従姉妹たちが集まっているのです。そして口々に「お葬式、行って来たよ」と言い、香典返しの品物を床に並べて僕に見せているのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>彼女らは、僕が行けなかったことを責めるわけでもなく、並べた品物の説明を続けます。僕もなぜか安心して、</span><span>「そうか、終わったんだな・・」と思うだけなのです。・・</span><span>そんな夢でした。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">かつて37年前の実際の葬儀でも、当日仕事が有って、それを抜け出して行ったので、夢同様に出席が遅れたことは覚えています。それでも途中から出席し、最後に彼女の骨を拾うことが出来ました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>帰り道、大学時代の友人E君と歩くことになったのですが、その間ずっと涙があふれ続け、駅についても止めることが出来ませんでした。泣き顔では電車に乗れず、心配する</span>E君を振り切って、独り、人通り<span>の無い道を選んでは、</span><span>何処までも</span><span>歩いて行きました。</span></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">その時の強い印象が、長い年月の果て、こんな夢となって現れたのでしょうか?。</span></div><div style="text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span><span style="font-family: inherit;">しばらくの間、寝床でぼんやりと考えておりましたが、やがてヨタヨタと布団から抜け出し顔を洗ってい</span>ると、夢の余韻がまだ抜けず、二十代の姿で止まったままの、</span><span>彼女の姿を思い出していました。同時に、</span><span>鏡に映った自分の姿が、エラく歳をとってしまったことに改めて気付かされたのです。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「そう言えば、あの時、彼女は何を言おうとしたんだろう?」</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>思い出したことが有りました。美大</span><span>卒業間近のことです。</span><span>大学のアトリエで卒業制作の大きな絵を描いていると、しばらく会うことが無かった彼女が突然アトリエにやって来たのです。そして、ひとしきり僕の絵について感想や質問などがあったのですが、会話は続かず、二人とも黙ってしまいました。じつはこの間、二人にいろんな出来事があったのです。</span></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><span>沈黙を嫌った僕は、絵を描きながら</span><span>「そっちはどう?、進んでる?」と声をかけましたが、返事がありません。「あれ?」っと思い、振り向くと</span><span>、彼女は何故か赤面していて、何か言いたげにこちらを見ていたのです。物おじしない</span>勝ち気な性格だっただけに、その姿が意外でした。そのせいで、こちらも声をかけられずにいたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">次の瞬間、不意にどやどやと何人かが入って来る音が聞こえました。ハッとしてそっちを見た彼女は、けっきょく何も言わずに小走りで部屋を出て行ってしまったのです。・・そしてそれが最後でした。彼女の言葉はついに聞くことが無いまま、卒業を迎え、その後亡くなってしまったからです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">あのとき、彼女は僕に何を言おうとしたのか、もう分かりません。ただし、顔を赤らめ口ごもる・・、らしくない姿を思い出すと、もしかしたらオレに大切な告白をしようとしてた?・・なんて、都合のいい思い込みですが、年甲斐もなく胸を熱くしてしまうのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・彼女の夢を見てどのくらい経ったころでしょうか。ある日、知り合いが「ブックギャラリー・ポポタム」と言うところで個展をすると言うので、見に行った時のことでした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">帰り道、最寄駅「西武池袋線・椎名町駅」へ向かおうと歩いていると、偶然「すいどーばた美術学院」の建物に出くわしたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">芸大・美大受験の場合、浪人生は「研究所」と呼ばれる予備校に通うのですが、当時「お茶の水美術学院」「すいどーばた美術学院」「新宿美術学院」と言うのが都内の大手三大研究所でした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">僕は二浪の間ずっと「新宿美術学院」に通っていたので、他の研究所、特に「すいどーばた美術学院」には関心が無く、何処に有るのかさえ、実はこの歳になるまで知らずにいたのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">「へえ、ここにあったのかあ」と思いながら建物を見上げたのですが、今頃になって初見参するとは、「妙な感じ」でした。しかも、実はかつて数年間、この界隈に住んでいたので、見つけられなったのが不思議です。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・その「妙な感じ」とは何なのか?</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">それはかつて彼女から、浪人時代「すいどーばた美術学院」に通っていたと聞いた記憶があり・・、なので、この偶然の発見も、彼女にまつわる「夢の続き?」のように思えてしまったからなのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">建物は中央部が吹き抜けになっていました。たまたまなのか人の気配は有りません。最上階まで見上げ、それから周辺を見廻すと、スーッと街の雰囲気が変わり、タイムスリップして行くような錯覚を覚えました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">・・45年も前、十代の少女だった彼女は確かにこの建物の中にいたのです。アトリエで絵に打ち込み、あるいは吹き抜けの通路に立ち、そして、いま僕が立っている同じこの道を歩き、同じ街の情景を目にしながら、遠い未来への夢を思い描いていた・・</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">その僅か数年後に、突然夢が絶たれてしまうことを彼女はまだ知りません。そして、生き長らえ、年老いてしまった僕のすぐ横を、若い彼女の幻は気づきもせず、急ぎ足ですり抜けると、やがて賑やかな街の中へと消えてゆくのです。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-align: center; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">*</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">すっかり忘れていた記憶・・、それがいっとき、彼女にまつわる幾つかの事が重なり、何か暗示的でした。いつもならすぐ薄れてしまう夢の内容を、文章に書けるくらいハッキリ覚えているのも不思議でした。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">もしかしたら、たとえば輪廻転生し、数百年後に何処かでまた出会うと言うサインだろうか?、そんなことまで思いました。</span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); font-family: inherit; text-size-adjust: auto;"><span style="font-family: inherit;">もしそんなことが有るのなら、この次は、彼女にもう少しだけ長く寿命を与えてやってはくれないか・・<span>などなど、見果てぬ妄想にふける秋の夜長なのであります・・</span></span></div><div style="font-family: inherit;"><span style="font-family: inherit;"><span><br /></span></span></div></span><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><br /></div><div>*<b>次回のお話しに、つづく・・</b></div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2021/11/blog-post.html" rel="" target=""><b>「どっこい、夢はまだ続いていた・・」</b></a></div><div><br /></div><div><br /></div><div>◎<a href="https://goo.gl/maps/eMmnj72mHuJqaSM27" target="_blank">「すいどーばた美術学院」</a></div><div><span style="font-family: inherit;">◎<a href="http://popotame.net/" target="_blank">「ブックギャラリー・ポポタム」</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-5811377396533536472021-09-10T13:27:00.058+09:002021-09-19T11:58:32.764+09:00野球選手の移籍と運について<p> ★日ハムの「中田翔選手」が、日ハムで暴力事件を起こして無期限謹慎になったのに、巨人に無償トレードされたその日から、何故か無期限のはずの謹慎が解け、いきなり一軍出場可能となった件について、ちまたでは「FA使わず巨人に行きたくなったら、暴力事件を起こせばいいのか!」との批判が殺到しました。</p><p>これには一般人だけでなくて、さすがの巨人OB達も苦言を呈していましたが、今や巨人全権監督と言われる「原辰徳氏」には届かなかったようです。・・って言うか、この件だけでなく、これまでの原氏の言動などからすると、どうも「第二のナベツネ」に変貌するかも?と言う戦慄さえ感じます。</p><p>・・が、本日したいのは、そんな話しではありません。中田翔選手が背負っているはずの「運」についてです。</p><p>スポーツ選手、勝負師とは、実力や実績だけでなく、「幸運・不運」を背負っているものだと言います。そしてそれが、野球やサッカーのようなチーム競技である場合、各選手が持っている「運」が、チーム全体の流れに大きく影響するとも言われます。</p><p>で、「中田選手、巨人へ無償トレード!」との報道を見たとき、僕には、どうにも彼のシルエットに「暗い何か」がまとわりついているように見えて、あまりいい気持ちはしませんでした。まあ、自分は占いも知らないオーラも見えない人間なので、いい加減な先入観に過ぎないのかも知れないんですがね・・</p><p>でも、見えないはずのオーラ?を感じた例があるんです。2019年に同じ巨人にFA移籍した「丸選手」です。丸選手は広島カープで三連覇を果たし、巨人に行ってもまた優勝し、当時「1人四連覇」と言われました。その時の彼は、確かに強運で光り輝いているように見えました。(2020も優勝なので1人5連覇ですね)</p><p>で、出て行かれたカープはどうなったのかと言うと、丸選手以外ほとんどメンバーは変わらないのに、突如として低迷を始めました。いや、没落と言っていいかも知れません。</p><p>「ちょっと待った。丸と言う大きな戦力が抜けたのだから低迷して当たり前、運がどうのこうのって問題じゃない」と言うかも知れません。しかしですね、もうひとつこんな例があるんです。</p><p>前田健太投手、マエケンです。彼もまたFAで広島からメジャーへと出て行きました。では、突然エースが抜けた広島カープはガタガタになったんでしょうか。いいえ、それどころかマエケンが抜けたとたんカープは快進撃が始まり、何と25年ぶりのリーグ優勝を遂げてしまうのです。</p><p>戦力と言う点では、10勝確実のマエケンの方が大きいんじゃないでしょうか。それなのに、逆にカープには勢いがついて、あれよと言う間に優勝までたどり着いてしまったのです。</p><p>つまり、そこには戦力ダウン以上の、別の大きな力が働いたのではないか?、ついついそんな風に考えてしまう何かがあるんです。たとえば「運」や「ツキ」と言った、人々が「迷信」と呼ぶようなものとか・・。僕はそれが「丸選手の強運」だった・・気がしているのです。</p><p>ちなみに、その後のマエケン投手ですが、メジャーに行っても、他チームに移籍するたびに抜けたチームが優勝すると言う現象が継続中です。これもまたマエケンが背負っている「運」、ある意味「悲運?」と言ってもいいのかも知れません。(ぜひ何処かで止めて欲しいですがね) </p><p>思えば、野球と言うスポーツ、特にバッティングは「幸運・不運」に左右されることが多いような気がします。たとえば、目の覚めるような強烈な当たりを飛ばしても、野手の正面で捕られてしまったらただの凡打。止めたバットに当たったボテボテの打球でも、間を抜ければタイムリーヒット、なんてことが良くあります。</p><p>そんなプレーを見るたび、1人の選手が持っている「星」、「幸運・不運」のチームに与える影響は、かなり大きいのではないかと思ってしまうのです。</p><p>それをかつて、「三原魔術」で有名な三原脩氏は「野球は筋書きの無いドラマである」と表現し、野村克也氏は「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負け無し」と言う言葉を引用、「運」の存在を認めながらも、データを集め確率を計算し、可能な限り「運」が入り込む余地を排除する野球を試みました。</p><p>そんな風に考えてみると、誰彼かまわず選手を集めがちな巨人さんですが、そう言うやり方で大丈夫?と思ってしまうのです。補強してるつもりが、その選手の良くない「運」までもチーム内に引きずり込んでやしませんか?、そんな余計な心配もしてしまうのです。</p><p>時に、丸選手のような強運?の選手を獲得できれば大成功ですが、もし、不運を背負った選手がやって来たとしたら、チームはど〜んと重く沈み込んでしまうかも知れない・・と、僕は思ってしまいます。</p><p>このところの丸選手はかなり不調のようですが、正確には「調子」と「運気」とは違うものだと思っています。どんなに調子良く見事な活躍をしても、タイトルや優勝に縁が無い選手がいる反面、あまり目立たないのに何だかんだと優勝に絡む選手がいたりなど・・</p><p>参考までに丸選手のここ数年の戦績を見てみると、彼がカープに入団し、レギュラーとして活躍し始めると同時に、広島カープ絶頂期が始まっていることが分かりました。その時期の対巨人の勝敗の合計を見ると、2015年〜2018年まで、「巨人36勝 × 広島63勝」とカープが大きく勝ち越しているのです。</p><p>これを「丸・強運説」と言う仮説に当てはめれば、広島で三連覇、2019年巨人移籍で1人四連覇、2020年も優勝で1人五連覇、とりあえず「強運」は6年間は続いたことになりますね。まあ、そろそろツキが落ちて来る頃?と考えてもおかしくはありませんが・・</p><p>だとすると、丸選手に代わってチームの流れを左右する、次の「強運(あるいは不運)」を持った選手は誰か?と言うことになるのかも知れません。</p><p>ちょうどそんな時期に入団した中田翔選手・・、微妙です。僕の印象はあまり良くありません。何の能力も無い僕にも感じるほどの不穏な雰囲気は、それだけに嫌な感じです。先入観あり過ぎ?かも知れませんが、だとしても、影響力ありそうな強烈な存在感、威圧感を放っていることは確かです。</p><p>中田選手がどんな「運」を背負って巨人にやって来たのか?、その「運」がこの先、どんな風にチームに影響するのか?。しばらくの間、興味津々の傍観者の立場で観察してみよう、そんな気分になっています。</p><p>ちょっと疑問なのは、「運」の影響とは、丸選手のように常時出場した時に現れるのか、試合に出ずともベンチ入りしただけでも出るのか、もし1軍から外れ2軍に行ったら関係無くなるのか、その辺の定義がよく分からないことです。</p><p>しかしまあ、その全部を含め、今シーズンの行く末を見届けてみたいと思います。</p><p><br /></p><p><br /></p><p> </p>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-65763490401022884802021-07-16T18:36:00.077+09:002021-09-14T11:49:35.987+09:00ショウヘイ・オオタニとロイ・ハブス<p><span style="font-family: inherit;">★今や、大谷翔平選手は、歴史を塗り替える大活躍!</span></p><p><span style="font-family: inherit;">エンゼルス以外のMLB各球団は、2017年の「ショウヘイ・オオタニ争奪戦失敗」で、今更のように地団駄を踏んでいるそうです。シアトル・マリナーズもその一つで、ジェリー・ディポトGMは、当時、大谷選手のことを「ロイ・ハブス」と呼び「全力で獲りに行く!」と豪語していたそうです。</span></p><p><span style="font-family: inherit;">「ロイ・ハブス」とは?。</span><span style="font-family: inherit;">1984年公開の傑作野球映画「ナチュラル」の主人公の名前です。演じたのは</span><span style="font-family: inherit;">ロバート・レッドフォード。で、そのヒーローを彷彿とさせると言うことで、オオタニ獲得のプロジェクトネーム、隠語で「ロイ・ハブス」と呼んでいたと言うことでしょうか。</span></p><p><span style="font-family: inherit;">なるほど、ロイ・ハブスは、映画ではピッチャーでもバッターでも行ける天才野球選手との設定で、僕も一瞬?ですが、「大谷くんはロイ・ハブスみたいだな」と思ったことは有りました。ただロイは、プロ入り直前に殺人未遂事件に巻き込まれ、一度はプロ入りを断念する悲運の天才でもあったので、大谷くんと重ねるのは「う〜む?」と思ったことも確かでした。</span></p><p><span style="font-family: inherit;">とは言え、僕にとって「ナチュラル」は、「フィールド・オブ・ドリームス</span><span style="font-family: inherit;">」「プリティ・リーグ」と並ぶ三大傑作野球映画なので、公開から30年以上過ぎた今も、「ロイ・ハブス」の名が、天才野球選手を象徴する言葉として使われていることに、嬉しさを感じたりもしたのです。</span></p><p><span style="font-family: inherit;">日本では、何かのヒット映画と抱き合わせで購入された作品で、公開された劇場もたった二館、すぐ終了する予定だったそうです。それが「面白い」と評判になり、宣伝広告も無し、人々のクチコミだけでロングラン大ヒットとなった、異色の野球映画だったんです。僕もその二館のウチのひとつで見ました。</span></p><p><span style="font-family: inherit;">ただし、今の若い人にとって「クチコミ」とは、TwitterなどSNSのことだそうで、ネットもスマホも無いあの時代、「クチコミ」が人から人への噂話しのことで、「口頭によるコミュニケーション」、略して「口コミ」とは到底「ありえない!」って事らしいですね。</span></p><p>それくらい映画「ナチュラル」には、物語としての「パワー」があったのだと思います。ちなみに、監督は「レインマン」で数々の受賞をした、バリー・レビンソン監督。</p><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">*<b>「ナチュラル」序盤のあらすじ</b>*</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">1950年代?。片田舎の農場に生まれ育ったロイ・ハブスは、19歳の時、老スカウトにピッチャーの才能を見込まれ、カブスの入団テストを受けにシカゴへと向かいます。</span><span style="font-family: inherit;">ところが、その途中、地元に婚約者がありながら、列車の中で知り合った妖艶な女性に惹かれてしまうのです。</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">そして、その女性とまた会う約束をした翌日、ホテルの電話で呼び出されたロイが部屋に行くと、何故か女性は喪服姿で立ち、手には拳銃を持っていました。そして彼に「球界で最高の名選手になるんでしょ?」と問いかけたあと銃口を向け、轟音と共に、ロイは</span><span style="font-family: inherit;">撃たれてしまうのです。</span></div><p><span style="font-family: inherit;">じつはその女性、スポーツ選手ばかりを狙う</span><span style="font-family: inherit;">「殺人鬼」だったのです。有能なアスリートを見つけては誘い出し、謎かけをして、彼女が望む知的な答えができない者は「存在価値無し」とばかりに、「銀の弾丸」によって暗殺してしまう、サイコパスだったのです。</span></p><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">では、列車での、ロイと女性が交わした会話を一部再現してみましょう。</span></div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「あなたきっと伝説になるわ。</div><div style="text-align: left;"> ランスロット卿とタークイン卿の腕比べね。マルデマア卿だったかしら?」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「・・・・・??」</div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「ホーマーを知っていて?」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「ホーマー・・?。ホームランなら知ってるけど(笑)」</div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「英雄や神々のことを書いた詩人よ。</div><div style="text-align: left;"> あなたを見たら、きっと野球のことを詩に書くわ」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「そのうち、記録という記録を破ってみせる。・・自信がある」</div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「その先の目標は?」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「人は僕を見て言う。”史上最高の名選手”だと」</div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「それだけ?」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「・・他に何がある?(笑)」</div><div style="text-align: left;"><b>女性</b>「あるわよ(キッと強い視線で見返し)</div><div style="text-align: left;"> その他にも。輝かしいことが」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「・・・・・」</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">この会話を通して、どうも彼女は、記録を破ることや、名声にしか興味の無いロイ・ハブスに失望したようです。頂点に上り詰めたその先の、哲学や精神性を語ることの出来ないアスリートは、存在すら汚らわしい「スポーツバカ?」として、「処刑」に値すると判断したのかも知れません。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">しかしながら不幸中の幸い、銀の弾丸は急所を外れていました。ロイは命拾いをしたのです。しかしながら、もちろん入団テストには行けず、婚約者への後ろめたさから故郷にも帰れず、そのまま何処かへと姿を消してしまうのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">・・そして16年後。35歳になったロイは、ふとしたきっかけで、大リーグのニューヨーク・ナイツに入団することになります。当初はロートル・ルーキーとバカにされましたが、ボールの革を剥がし糸くずの塊にしてしまうほどの打撃力を見せつけると、やがて身元不明の「謎の天才バッター」として本塁打を量産、ついにチームと共に快進撃を始めるのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">・・とまあ、破壊力抜群のバッティング、投手でも打者でも行ける「超天才」ってことろは似ているかも知れませんが、好青年「ショウヘイ・オオタニ」を、忌わしい過去を持つ男、「ロイ・ハブス」に例えるのは少々ムリがありますかね。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">今や大谷選手は、日本はおろか全米でも話題沸騰の選手です。しかもその活躍だけでなく、爽やかで無邪気な人柄や、小さなゴミも拾って歩く紳士的な姿が共感を呼び、ナイスガイ!と呼ぶに相応しい人物として、好感度上がりっ放しなのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">逆に、彼の輝きを見るにつけ思うのが、東京オリンピックの参加選手たちの気の毒な状況です。未だに中止を望む人が半数もいて、やるとしても無観客、史上最も不運なポーツの祭典と言わざるを得ません。ワクチンが行き届いたMLBの球場、大歓声に迎えられ、伸び伸びとプレーに打ち込む大谷選手とは大違いです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「あくまで選手に罪は無いのだが・・」と言うのが大方の評価ですが、ここまでこじれると、パンデミックについて本心を明らかにせず、「自分たちはただ、与えられた環境で最高を目指して頑張るだけ」を貫く選手に対して、ネガティブなイメージ、憎しみを感じる人がいてもおかしくありません。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">オリンピックは四年に一度のアスリートの夢・・ でも、緊急事態宣言で客足が途絶えたお店の人にも「繁盛店を作りたい」そんな夢が確かにあったはずなんです。ライブ中止に追い込まれた無名のバンドは、ブレイクする最後のチャンスを失ったのかも?知れないのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">コロナ禍で、あちこちで店が閉まり、失業し、色んな人が色んな夢をあきらめました。そんな時でもオリンピックだけは特別・・では、やっぱりマズいでしょう。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">思うにオリンピアンたちは今、若きロイ・ハブスが試されたように、コロナ禍でもなおあきらめ切れない「スポーツの夢」、その謎の答えを迫られているのかも知れません。あらゆる記録という記録を破ったあとの、その先に残る「もっと輝かしいもの」について・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">MLBオールスターで見せた大谷選手の満面の笑顔、あらゆる人々の歓迎ぶり、あの姿に比べ、「東京2020オリンピアン」が置かれた環境のキビしさは対照的です。これってもう人智ではどうすることも出来ない、生まれ持った「運命」ってことなんですかね?</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">先日、大谷くんが少年時代に作ったという「目標達成シート」が公開されました。特に興味深かったのは、「運」についての考察でした。どの分野でも成功した人の言葉には、「才能」や「努力」だけではダメ、誰よりも強い「運」を持っていなければならない、と有ります。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">ですが人間の力で、「運」を支配する方法なんてあるんでしょうか?。で、大谷少年は考えました。小さなゴミを拾ったり、折れたバットを丁寧に手渡したり・・、そうやって、人々が簡単に手放してしまう小さな幸運、そのカケラのひとつひとつを拾い集めるのだと・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">日本では「普段の行いの良し悪し」なんて良く言いますけど、だとしたら大谷くん、少年の頃から、よっぽど沢山の周囲への思いやり、「徳」を積んで来たってことでしょうか?。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">まあ、オリンピック選手があちこちゴミを散らかして歩いてる、なんて言ってるんじゃありませんがね(念のため?)。が、外出自粛要請を無視して、路上飲みしている人たちなんか見てると、確かに・・、小さな幸運を自ら手放してる感じはしますよね。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">それにしても、大谷少年が考えた「運の法則」がホントだとしたら・・、子育て中の親御さんにとっては、願っても無い「しつけ」のお手本だし、全米の人々にとっても、「幸運」とは戦いによって勝ち取るモノでなく、平和な心に引き寄せられるモノなのだと知る、いい機会になるはずです(特に罵声と攻撃のトランプさんとかね)。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">・・さて、その後「ナチュラル」のロイ・ハブスがどうなったかと言うと、彼の活躍でNYナイツはあと一勝すればリーグ優勝!ってとこで、ロイは、野球賭博でナイツ敗退に賭けた連中に毒を盛られてしまうのです。さらに胃の洗浄のため入院した先で、左脇腹に残った「銀の弾丸」が発見され手術することになります。・・もちろん最終戦出場は絶望的です。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">その時、ロイは何を考えたのか?。じつは、ロイの活躍を耳にしたかつての婚約者(グレン・クローズ)が現れ、二人は再会を果たしていました。そして病室を訪れた彼女は、すべてを失い意気消沈するロイに向かって、静かに語り始めるのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「野球は終わりだ。過ちはいつまでもたたる。</div><div style="text-align: left;"> ・・知らない女だったんだ」</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「列車の女?」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>(うなづく)</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「惹かれたのね」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「そうだ。だが、まさか・・」</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「若かったのよ」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「人生が変わった。16年間、最高の野球選手になれると思ってた」</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「(笑顔で)そうなったわ!」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「なっていない・・。全記録を破りたかったんだ」</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「それで?(ロイを優しく見つめながら)」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「それで?!。・・道を歩くと人が言う。球界最高の名選手だと」</div><div style="text-align: left;"> (そう言って、うなだれる)</div><div style="text-align: left;"><b>彼女</b>「人生には二つあるのよ。学ぶ人生と、その後を生きる人生と。</div><div style="text-align: left;"> 記録がどうあれ、大勢の少年があなたの影響を受けたわ。大勢よ!」</div><div style="text-align: left;"><b>ロイ</b>「(考え込み)おやじが・・(と言いかけて沈黙)</div><div style="text-align: left;"> ・・野球が好きだ」</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">奇しくもロイは、殺人鬼の女と、婚約者の彼女とに、時を経て同じ問いを投げかけられたのです。記録という記録を全て破ったあとの、その先は?・・と。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">そして今度もやはり、ロイは明確な答えを示すことが出来ませんでした。答えが見つからないまま、それでもロイは彼女の言葉に励まされ、ついに選手生命を賭けて、最終戦へと向かう決意をするのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">・・ロイとは違って、ショウヘイ・オオタニは若く、誰からも愛され、幸運にも恵まれています。もしかするとこの先、ロイ・ハブスが出来なかった、記録という記録を塗り替える瞬間が訪れるかも知れません。だから今は、毎日が興奮と感動の連続で、「それで?」と言う謎かけの答えを探しているヒマは無いでしょう。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">大谷選手はこないだ27歳の誕生日を迎えたと言うので、40歳前後まで活躍するとして、残りざっと15年ほど?。僕は、彼が引退するころには70歳を越えています。最悪、彼の引退を見届けることが出来ないかも知れませんが、どちらにしろ、僕が目撃する最後の「野球伝説」になることは確かです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">果たして大谷選手は、ベース・ボールと言うスポーツの謎、勝負と言う、終わりのない無限ループの謎を解くことが出来るのでしょうか。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「<b>そのうち、記録という記録を全て破ってみせる</b>」</div><div style="text-align: left;">「<b>人は僕を見て言う。”史上最高の名選手”だと</b>」</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">「・・<b>それで?</b>」</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">追伸・・・</div><div style="text-align: left;">最終戦に挑んだロイは、最後の打席、大きなファールを打ったはずみで、大切なバットを真っ二つに折ってしまいます。それは少年時代からずっと使い続けた時別なバットでした。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">彼はとても動揺するのですが、同時にそれは、ロイの長く苦しい「学ぶための人生」が終わり、「その後を生きる人生」が始まったことを告げる合図でもありました・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">この後どうなる?。まだ見てない人は、購入するかレンタルでどうぞ。ロバート・レッドフォード氏は若いころ野球特待生で進学しただけあって、打撃フォームは見事です。</div><div style="text-align: left;"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07PQTYMGZ/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_BR2MG8ED9ZBJXAV8TAEP" target="_blank">◎ Amazon「映画ナチュラル」</a></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="334" src="https://www.youtube.com/embed/m4ceNVzIShg" width="603" youtube-src-id="m4ceNVzIShg"></iframe></div></div><div style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><b>ロイ・ハブス、大リーグ初打席</b></span></div><div style="text-align: center;"><br /></div><div style="text-align: left;">あと、映画「ナチュラル」を見てもらうと分かりますが、出会う女性によって運・不運が大きく左右される、それも大きなモチーフの一つとなっています。大谷くんは相当モテそうなので、つき合う女性選びは、とにかくしっかり慎重に・・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">ホント、マジで・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">*もちろん、運・不運は男女逆でもありますよね。</div><div style="text-align: left;">(映画は1980年代に作られたもので、物語の舞台は1950年代の話しなのでご了承を・・)</div><div style="text-align: left;"> </div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-60857442908931142702021-02-20T18:29:00.108+09:002021-11-09T14:27:01.266+09:00椎名町のラーメン屋で起こった、ある結末・・★だいぶ前のことですが、西武池袋線・椎名町駅近くのアパートに住んでいたことがありました。この駅のすぐ近くの線路沿いに、とあるラーメン屋があって、これは、その店で起こった意外な結末?のお話しです。<br /><br />当時は今ほどラーメン・ブームでは無かったと思いますが、行列は出来ないまでも、スープは豚骨醤油味で?、トッピング・メニューが豊富、まあ、そこそこ美味しいラーメン屋さんでした。<br /><br />店名も忘れるほど記憶があいまいですが、確かカウンター席は無く、全部テーブル席だったと思います。僕は人混みが苦手で、見知らぬ人と相席になるのが恐ろしい人間だったので、適度に空席があることに安心感を感じ、けっこう通っていました。<br /><br />お店の人は、老夫婦と、息子と思しき三十前後の青年、その三名で切り盛りしていました。老夫婦二人は食堂に有りがちな白衣と帽子を身に付け、奥さんは主に配膳、ご主人は厨房で包丁を握り、片時も休まず食材の仕込みをしていました。<br /><br />で、青年はと言うと、黒縁メガネをかけTシャツにジーンズ姿、ラーメンの調理を一手に引き受けていました。注文が入ると、轟音のする換気扇のスイッチを入れ、手際良くラーメンの用意。麺を茹でている間に、ガランガランと中華鍋を振ってトッピングの炒め物をするのです。<br /><br />青年はいつも黙々と調理をこなしていました。そうして一品出来上がるごとに換気扇を止め次の注文を待つのですが、しばらく無いと分かると、裏口から外に出て風にあたるのが常でした。<br /><br />僕はその町に数年住んでいましたが、その間、彼以外が調理をするのを一度も見ませんでした。ご主人は、いつ見ても食材の仕込みをするだけで、麺を茹でることさえしません。<br /><br />その様子から、老夫婦は青年に後を継がせるつもりで、すっかり任せっきりになっているのだと思いました。<br /><br />そんな三人の姿を何度見たことでしょう。当時の僕には「自炊」と言う習慣は無かったので、食事は、駅界隈のいくつかの食堂をローテーションしていました。なので、そのラーメン屋にも、一週間か二週間に一度は通っていたのだと思います。<br /><br />そんなこんなの何年目かのある日、いつものようにラーメン屋を訪れていた僕は、そこで三人の意外な会話を耳にするのです。<br /><br />注文したラーメンを食べ始めていた時のことでした。店がひと段落して、珍しく奥さんが厨房の中に入って行ったのです。そして換気扇が止まり静かになると、老夫婦のゆったりした話し声が聞こえて来ました。<div><br />「◯◯君・・、就職決まったんだって?」奥さんが青年にそう尋ねたのです。<br />「良かったなあ。おめでとう」ご主人もそう声をかけ、目を細めています。</div><div><br />奥さんが笑顔で続けました。「ここのバイトは今月いっぱいなんでしょ?。寂しくなるね。何かお祝いしなくちゃね」</div><div>青年は「ようやくです」と苦笑いし、何度も頭を下げていました。<br /><br />「えっ?。あの人、息子じゃなかったんだ。ただのアルバイトだったんだ!」<br /><br />会話に耳をそば立てながら軽い衝撃を受けていたのです。つまり僕は、いや僕たち客は、ご主人夫婦とは赤の他人の、バイト君が作ったラーメンを「美味しい美味しい」と言って食べていたのです。<br /><br />「バイトにしちゃ、手つきが堂に入ってるけど・・」と、妙に感心しました。もしや経験者だったのかな?とも思いましたが、・・いや、どうでしょう。<br /><br />これは僕の推測ですが、「就職が決まった」「ようやく」などの会話から察するに、バイトはおそらく大学在学中に始めたような気がします。で、卒業後も、何となく就職せずに続けてしまった・・ つまり、今で言う「フリーター」ですね。<br /><br />バイト歴が長くなり、雑用ばかりでは気の毒に思ったご主人が、ラーメン作りを教えたのかも知れません。で、調理をマスターし、いつしかご主人に代わって厨房に立つようになると、その分昇給もしたのでしょう。結果、青年はその稼ぎだけで、それなりの生活が出来るようになってしまった、・・たぶんですよ。<br /><br />もちろん、彼なりに「そろそろ就活しなければ」とは思ったはずです。が、きっかけが見つからないまま、けっきょく何年も何年も、同じような毎日を続けてしまったのかも知れません。<br /><br />タバコに火をつけ休憩する彼の姿は、開け放された裏口からいつも見えていました。それは彼の変わらぬ習慣でした。<br /><br />しかし、煙を吐き、夜空を見上げているうちに、やがて彼の脳裏には、もう一つの別の考えが、幾度となく去来するようになって行ったはずなのです。<br /><br />「このままラーメン屋も悪くない」<br /><br />老夫婦の子供はすでに別の職業についているのでしょう。あるいは子供が出来なかったか・・。どちらにしても、今となっては事実上、店を回しているのは彼なんだし、「後を継ぐ」と言えば老夫婦も喜んでくれるかも知れない。<br /><br />しかし同時にこうも思い、揺れ動くのです。<br /><br />今は、三人そろって何事もなく過ごせてはいるが、老夫婦はいずれ身体が衰え引退するだろう。いや、突然亡くなってしまうかも知れない。そうなれば、オレは独りきりだ・・<br /><br />経営には色んな資格が必要だろうし、二人の代わりを雇うのも気が重い。それに失礼な言い方だが、ここは行列が出来るほどの繁盛店でも無いし。・・だとしたら、今が就職の最後のチャンスなのかも知れない。<br /><br />・・三人を横目に、ラーメンのスープをすすりながら、僕の妄想は、まるで山田太一脚本のドラマのように、次から次へと広がって行くのでした。<br /><br /></div><div><br /></div><div>その会話を聞いてから、再びそのラーメン屋に行くまでには少し間が空いてしまいました。2〜3週間か、それとも1ヶ月くらいだったか?ハッキリとは思い出せません。ただ「今月いっぱい」と言っていた、バイト君の期限が過ぎていたことだけは確かでした。<br /><br />僕は「そうだ、今日はあのラーメン屋へ行ってみよう」と決めて、駅を降り、店へと向い始めると、少しドキドキしている自分に気がつきました。やがて見えて来た店の入り口なんですが・・、どうにもシャッターが閉まっているように見えて仕方ありません。<br /><br />「あれ?、定休日じゃないよね?」と思いながら、店の前までたどり着くと、やはりシャッターは堅く閉じられており、そこに小さな張り紙を見つけたのです。<br /><br />「<b>*お知らせ* 当店は◯月を持って閉店させていただきます。長らくのご愛顧、有り難うございました</b>」<br /><br />それを読んだ僕は、「うそだろ?」と、その場に立ち尽くしてしまったのです。バイト青年が辞めても、当然またご主人が調理に復帰して、店はずっと続くはずだと思っていたからです。<br /><br />「閉店だなんて、そんな・・」<br /><br />しかしともかく閉店のきっかけが、青年との別れにあったことは、まず間違い無いだろうと思いました。<br /><br />けっきょくその日は他の店に入る気分になれず、コンビニでビールと弁当などを買い、そのままアパートの部屋に帰ることにしたのです。帰ってからも、しばらくの間、落ち着きませんでした。赤の他人なのに、脳裏にあの三人の姿がチラついて、何だか切なくなってしまったのです。<br /><br />旅立つ青年の後ろ姿と、それを静かに見送る老夫婦二人・・ どうでもいいはずの、赤の他人のことなのに・・<br /><br /></div><div><br /></div><div>それから数ヶ月後、店は建て替えられ、ゴテゴテした看板の別のラーメン屋になっていました。その外観から「いらっしゃいませえ!」と言う威勢のいい声が聞こえそうで、それが暑苦しく思えて、残念ながら入る気にはなれませんでした。<br /><br />かつてそこに有ったラーメン屋は、行列こそ出来ませんが、そこそこ美味しく、適度に空席があって安らげる店でした。扉を開けると「いらっしゃい」と、やさしい笑顔で迎える老夫婦がいて、その奥の厨房では、寡黙な青年が手際良く中華鍋を振っている、そんな懐かしい雰囲気の店でした。<br /><br />今でも時々思い出しては、考えることがあるのです。<br /><br />もしかすると青年は、「自分が辞めたら、この店はどうなるんだろう」と、あの老夫婦の行く末を案じ、店を離れ難かったのではないか・・<br /><br />そして老夫婦の方も、人付き合いの苦手そうな青年の将来が決まるまで(もちろん店を継ぐ可能性も含め)、彼が何かを決断するまでは店を続けようと、ずっと見守り続けたのではないのかと・・<p><br /></p><p><br /></p><p><a href="https://goo.gl/maps/yhkPpgqitSmmWshq8" target="_blank">◎ Googleマップ かつてラーメン屋があった場所</a></p><p>2020年3月ごろ工事中。また何か違うモノが建つようです</p><p> </p><p><br /></p></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-7949668427070205902020-12-24T18:10:00.033+09:002021-01-07T00:48:06.763+09:00Canon EFレンズ復活か?<p> ★2020年も、とうとう新型コロナの恐怖の中、暮れようとしています。ウチは2018年に両親が相次いで亡くなったので、今年は二人の三回忌でもありました。</p><p>母の方は2月の下旬で、「屋形船でクラスター発生」のニュースが流れたころでした。その時は不気味に思いながらも予定通り行いました。が、父の方は10月の下旬、法事はまさに三密の宝庫?だと言うことになり、会食は中止、法要・墓参りもごく身内だけ済ませました。</p><p>そんなこんなで、「法事も遺品整理もひと段落ついたな」と言う感じだったのですが、最後にひとつ、父が大事にしていたカメラが残っていました。「Canon EOS kiss」のダブルズーム・キットです。</p><p>残念ながらこれは、オート・フォーカスながらもフィルム式で、さすがにフィルム・カメラはもう使わんなと思い、当初は下取りかオークションに出そうか?と思っていたのです。が、手に取って見ている内に、「レンズはまだ使えるんじゃないか?」ってことになり、調べてみたら、アダプターを介せばデジタル一眼にも流用可能だと言うことが分かりました。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjybaNA970Iy77rep0IIaxXKKos0GbAIhL3exfim4B6RWEBMcdpG5kyv9JGXIOTJqEC_NbcVTv9dAEVXWEiMhN6_pLkqUpsBicK7Mk889mxv5s0lLblJOT2pI1ethIY61QBYqWtmZO6Sw/s1300/IMG_1.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="975" data-original-width="1300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjybaNA970Iy77rep0IIaxXKKos0GbAIhL3exfim4B6RWEBMcdpG5kyv9JGXIOTJqEC_NbcVTv9dAEVXWEiMhN6_pLkqUpsBicK7Mk889mxv5s0lLblJOT2pI1ethIY61QBYqWtmZO6Sw/s320/IMG_1.jpg" width="320" /></a></div>・・と言うことで、全部中古ですが買っちゃいました。「Canon ミラーレス一眼 EOS M100 ・レンズ EF-M15-45」。箱・説明書無しだが新品同様、とのショップのコメントを信じて購入したら、ホントに美品でした。説明書はダウンロード出来るので問題は有りません。<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuoCsX2bkOgWzMQtt1Fe1D_6In755g9-XWpoq64skwlo3OK2_kyUX3kNLAlXN1utMzQstxXxLgdGgUm10F8SGoJMUOyep_wxibjsjp3a-d1KUbMHPPGtMYNj_K1fWO8AMQcBxbRRxAPA/s1300/IMG_2.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="975" data-original-width="1300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuoCsX2bkOgWzMQtt1Fe1D_6In755g9-XWpoq64skwlo3OK2_kyUX3kNLAlXN1utMzQstxXxLgdGgUm10F8SGoJMUOyep_wxibjsjp3a-d1KUbMHPPGtMYNj_K1fWO8AMQcBxbRRxAPA/s320/IMG_2.jpg" width="320" /></a></div>つぎに「Canon マウントアダプター」。写真右の輪っかみたいなやつです。これを間に挟むことにより、後ろの二つのEFレンズをMマウント・ボディに装着することが出来ます。<div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEZ1b6rCo-rqlEaizA0cwzafCcEoQ5b4fL3sS7fGbxLm8nN8dxb4hfuzrKsQF8LySX9n8E5yi7XLb2w7PlJSbCW8Lzu8Wymi6cuxEdWuiS85wcztntPcDFLBvRKFCnBkYEPWaFbb6SOA/s1300/IMG_3.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="975" data-original-width="1300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEZ1b6rCo-rqlEaizA0cwzafCcEoQ5b4fL3sS7fGbxLm8nN8dxb4hfuzrKsQF8LySX9n8E5yi7XLb2w7PlJSbCW8Lzu8Wymi6cuxEdWuiS85wcztntPcDFLBvRKFCnBkYEPWaFbb6SOA/s320/IMG_3.jpg" width="320" /></a></div>で、付けてみました。さすがに300mmは、・・ちょっと荷が重い感じがしますが、オートフォーカスはしっかり働いてくれてます。最新レンズよりは若干遅いかも知れないですが、通常の使い方では問題無いでしょう。<div><div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhFM5QrtqlBXmNoTTEz8g9QT45nRaR1fioHYIUGF2yxK36oZtQ5l8GLOSkvmxMF6jUxckp0kt37aIcOogjruAxe0fl1bxbkycvk-h_bboa6bv_k_2u-F1wX0X3id-LF6C_lDPiKFVK_7A/s1300/IMG_4.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="975" data-original-width="1300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhFM5QrtqlBXmNoTTEz8g9QT45nRaR1fioHYIUGF2yxK36oZtQ5l8GLOSkvmxMF6jUxckp0kt37aIcOogjruAxe0fl1bxbkycvk-h_bboa6bv_k_2u-F1wX0X3id-LF6C_lDPiKFVK_7A/s320/IMG_4.jpg" width="320" /></a></div>けっきょく約4万円の出費で、本体+ズームレンズ3本(15mm 〜 300mm)のシステムが出来上がりました。</div><div><p>右のカメラは父が所有していたEOSです。こっちの方がしっくりとは来ますね。</p><p>・・じつはこれを買う時、僕が、店まで一緒について行ったんです。ある時、母親から、父がオート・フォーカスのカメラを近所の店で買おうとしている。まともな値段じゃもったいないから、安売りの店を教えてやってくれ、と頼まれたことがキッカケでした。</p><p>それまで父とは、会えば言い合い怒鳴り合いのケンカをしてしまうことが多く、一緒に買い物に行くなんて、考えもしないことでした。・・それがついに初めて出かけることになったのです。</p><p>店は、中野に住んでいて見つけた「<a href="https://www.fujiya-camera.co.jp/shop/default.aspx" target="_blank">フジヤカメラ</a>」と言う安売り店。新品も中古も扱っています。下取りに使えるからと、それまで父が使用したマニュアル・フォーカスの「Canon AE-1」も持参して、バス、電車を乗り継いで行きました。・・が、その間、ほとんど会話を交わすことは有りませんでした。</p><p>店に着いて店員と交渉してみると、割引と下取りの差額で、もう一本レンズが買えることが分かりました。そこで「35mm 〜 300mmズーム」を追加、結果「EOS kiss ダブルズーム・キット」を購入することになったんです。</p><p>そのあと、隣接していた喫茶店「ルノアール」に入ることになりました。やはり会話は少なかったのですが、父は思った以上の成果に満足したようで、コーヒーをすすりながらずっと上機嫌でした。</p><p>・・あれももう、ずいぶん昔の出来事になりました。時代は「オート・フォーカス」から「デジタル・カメラ」へ・・。第3波?が押し寄せていたんです。</p><p>僕もかつてはカメラ(マニュアル・フィルム時代)にのめり込み、相当数の機材を揃えていたのですが、オート・フォーカスの潮流が訪れたころ、「そろそろ買い換えるか?」と下取りに出したまま(総額28万円)、スケルトン・カラーのパソコン「iMac DV」が登場し、一気にパソコンブームへ。僕もカメラを忘れ、iMac&インターネットに没入したのです。</p><p>やがて「デジタル・カメラ」の技術が成熟すると、その鮮明な画像を見て、コンパクト・デジカメで十分じゃないか?と思うようになり、すっかり「一眼」からは遠ざかってしまいました。</p><p>ところが今、こんな経緯で、あの日、父が後生大事に持ち帰ったレンズ2本を活用して、再び「一眼」に戻って来ることになった、と言うわけです。</p><p><br /></p><p>・・父のEOSは、とりあえずカビ防止剤と一緒にケースに入れておくことにしましょう・・、と、念のために点検したところ、ボディに未現像のフィルムが装填されているのを発見しました。</p><p>のちのち現像するかどうかは分かりませんが、これも巻き戻して・・、とりあえず保存しておくことにします。</p><p><br /></p><p> </p></div></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-613153199816004472020-11-17T14:52:00.040+09:002022-09-21T23:17:49.479+09:00天然ボケ親子の話し<div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;"> ★この間の日曜日、ドラッグストアで買い物をしたとき、面白い場面に遭遇したので書いておこうかと思います。</span></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">時間はお昼くらいでした。スト<span style="font-family: inherit;">アで買い物を終え、店先に留めた自転車に荷物を詰め込んでいたときのことです。</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">僕のすぐ横を、若い母親と小学生くらいの女の子が通り過ぎました。手には買い物袋を下げ、「さあて、おウチに帰ってお昼食べよっか?」と女の子に言い、のんびり歩いているのです。</span></div><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">すると女の子は「うん」と返事をしたのですが、その後すぐ、</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">「あれ・・?、ママー、ウチの自転車が置いてあるよ」と言うのです。</span></div><p></p><div><div><span style="font-family: inherit;">「ええっ?、ウソー・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、母親は女の子が指差した自転車を気味悪そうに眺めています。</span></div><div><span style="font-family: inherit;">・・が、しばらくして、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「ホントだ、ウチの自転車だ。・・ええっ!。なんでー??」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、驚きの声を上げました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />その声に、思わず僕も「まさか、誰かが盗んで乗り捨てて行ったのか?」と、気になって見てみると、自転車はいわゆるママチャリで、前後の買い物カゴには荷物が満載になっていました。その様子に、盗んだにしては荷物満載が妙だな、とも思っていました。</span></div></div><p><span style="font-family: inherit;">人ごとながら、いろんな場面を想定して堂々巡りをしていると、次の瞬間、お母さんはさらに大声を出して驚いたのです。</span></p><p>「ウッソー?!、これ、昨日から置きっぱなしだよー!!」</p><p>その瞬間、僕の頭の中で、多少不条理だと感じながらも、何が起こったのか、一応解釈することはできました。つまりこの自転車は、荷物を積んだまま、一晩ドラッグストアの店先に放置されていたことになるのです。</p><div style="text-align: left;">このお母さんは、昨日の夕方、自転車に乗って何処かのスーパーで買い物をしたのでしょう。その後、このドラッグストアに乗り付けて、ついでの買い物をして・・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">ところが、店を出るころには、自分がスーパーからの帰りであることをすっかり忘れてしまったのです。で、満載の自転車を店先に置いたまま、ドラッグストアで買った商品だけを持って、家まで帰ってしまったのです。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">おそらく自宅は、歩いて行けるくらい近くなのでしょう。この日も、娘と散歩がてらと言う感じだったし・・。もし、もっと遠くて、徒歩では難しい距離だったら、自転車を忘れることは無かったのかも知れません。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">しかし、それにしても・・・</div><div style="text-align: left;">夕飯の材料を買ったのなら、それがなぜ手元に無いのか?、気づいたりしなかったんでしょうか?。・・不思議です。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">その後、そのお母さんは、当たり前のようにトートバッグから自転車のキーを取り出し、鍵を外すと、「◯◯ちゃん、帰ろっか?」と言って、自転車を押し始めたのです。女の子は「う〜ん・・」と、少し納得が行かない様子ながらも、母親の後を追いかけて行くのでした.</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">あの母親は、いわゆる「天然ボケの人」だったのでしょう。</div><div style="text-align: left;">我々の世代は、巨人・長嶋御大の数々の「天然ボケ伝説」を知っていますから、さほど不思議には思いません。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">しかしながら一方で、「若年性認知症」と言う恐ろしい病気の可能性もあるので、注意して欲しい気がします。万が一そうだとしたら、あの女の子が将来、とても可哀そうなことになる気がして・・、いやいや、そんなことは無い、ただの天然ボケでしょう、ただの・・</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">・・なんて、ボンヤリ考えながら、僕も自転車に股がったのです。</div><p><br /></p><p><br /></p><p> </p>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-68301426070957788762020-08-16T15:49:00.078+09:002023-05-27T12:54:13.580+09:00むかし、富士の樹海で少しだけ不思議なことが・・<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgavq82KBwarvZGXQMV3qHmhdowV9OvNUhg2WdKPeUxFjNKaZ8tPJ0iGIweAJrpZeRO6gHUePWU4Mmpm_cJJAZThwiWmMdFA0Pq_FP-XY7FwHPygy4BxqMGJvAbfETK65zd1H_Ojso2mA/s1000/fuji2.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><span style="font-family: inherit;"><img border="0" data-original-height="691" data-original-width="1000" height="442" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgavq82KBwarvZGXQMV3qHmhdowV9OvNUhg2WdKPeUxFjNKaZ8tPJ0iGIweAJrpZeRO6gHUePWU4Mmpm_cJJAZThwiWmMdFA0Pq_FP-XY7FwHPygy4BxqMGJvAbfETK65zd1H_Ojso2mA/w640-h442/fuji2.jpg" width="640" /></span></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">この話しのドライブ中に撮った写真</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><span style="font-family: inherit;">★・・夏なので、少し不思議な話しでもしようかと思います。</span><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ざっと40年ほど前になるでしょうか?。当時つき合っていた彼女と富士山へドライブに行った時のことです。紅葉のシーズンで、富士山と富士五湖周辺の山並みを見に行こうと言うことになったのです。<br />
<br />
その周回中のことでした。トイレ休憩のため、ある休憩所(ドライブイン?)に入って車を停めたのです。すでに昼食を終え、傾きかけた日差しが赤みを帯びて来るころでした。<br />
<br />
要を足し何気なく辺りを見渡すと、「青木ヶ原樹海・遊歩道入り口 →」と言う看板が目につきました。近くまで行って様子を見ると、道幅は自動車一台分くらい?、両側を木々に囲まれたまっすぐな砂利道でした。距離は400m〜500mくらい?あったでしょうか、道の先が明るくなっており、別のパーキングに繋がっているように見えます。<br />
<br />富士山には何度も訪れていましたが、「青木ヶ原散策」は未経験なので興味が湧きました。とは言え、樹海の端っこに、ほんの少し切れ込みを入れただけのような道です。それほど迫力は無いかなあ・・、などと思いながら彼女を見ると、彼女は「怖い・・」と、思いのほか嫌がっていました。</span></div><div>
<span style="font-family: inherit;"><br />
こんな遊歩道でも、「青木ヶ原樹海」と言えば「自殺の名所」と言うイメージがつきまとうんでしょうか。それでも入り口まで強引に誘い、「だいじょうぶだよ。見てみな、他に何人も歩いてるから」と言って説得しました。<br />
<br />
遊歩道には、30mくらい?先にすでに数人が、横一列で散策をしていたのです。・・遠い記憶ではありますが、印象に残っているのは初老の男性と、若い男、そして女子高生と思しき制服姿の女の子・・ その他二人ほどいたと思うんですが、ハッキリとは思い出せません。<br />
<br />ふと思ったのは、制服の女の子は、初老の男と親子なのだろうか?、それとも、若い男とカップルなのだろうか?と言うことでした。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">関係が気になったのは、全員が横一列で知り合いに見えたのですが、それにしては何だかまとまり無く、前を向いたまま淡々と歩いているように見えたからです。たとえば親子やカップルなら、もっと寄り添って、楽しげにお喋りなんかするんじゃないか?・・、そんな風に思ったのです。<br />
<br />
ですが、そう思ったのも一瞬でした。散策する人々を見て、シブシブですがようやく乗り気になった彼女の気が変わらない内にと、手を取り、遊歩道を歩き始めたんです。頭上にはまだ青空が見えていましたが、晩秋の寒い時期で、傾いてしまった日差しは地面に届かず、陰った遊歩道には時折り冷たい風が吹き抜けていました。<br />
<br />
時折りふざけて、「あれ!?、いま奥の方で何か動かなかった?」と言っては覗き込み、怖がる彼女をからかいながら進みました。彼女は「やめてよ!」と、ずっと僕の腕にしがみついたままでしたが、それでも好奇心が働くのか、あちこち樹海の奥を探るように見ていました。<br />
<br />ふと振り返ると、後ろからも数名が歩いて来るところで、「けっこう人いるじゃない」と、じつは内心ドキドキだった僕にも余裕が出て来ました。次第に慣れて来ると、遊歩道から眺める樹海はごく普通の森林と差はなく、言うほど「不気味」と言う印象は受けなくなりました。<br />
<br />
そうなると逆に、あまり奥まで行く必要も無いかな?と思い始めました。同じような風景が続くだけで何が起こるわけでなし、車は入り口の駐車場に置いてあるので、反対側の出口まで行ってしまったら戻るのが億劫です。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そう思い、遊歩道の3分の1くらいまで来たところで、「そろそろ引き返すか?」と言いながら、後ろを見たんです。すると、後方を歩いていた人たちの姿が無くなっていました。<br />
<br />
「ああ、やっぱり飽きて帰ってしまったんだな」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と思い、彼女に、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「オレたちも戻ろうか・・」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と言った時でした。彼女が辺りを見回しながら、怯えたような声で言うのです。<br />
<br />
「ねえ、ちょっと・・、誰もいないよ」<br />
その声に「えっ?」と、前方を見ると、さっきまで先を歩いていた男女もかき消すようにいなくなっていたのです。<br />
<br />
「ええっ!、なんで?」</span><div><span style="font-family: inherit;">と思いましたが、しかしながらその時は、のんびり謎解きをする余裕は有りませんでした。薄暗くなった樹海の一本道に、二人だけが取り残されてしまった・・、その「不気味さ」の方が勝っていたのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「と、とにかく、戻ろう」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と、背筋に寒気を覚えながら彼女に言うと、二人してもと来た道を駐車場まで、ほとんど小走りになって帰って行ったのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">間も無く車に乗り込み、再び富士山を周回する道を走り出したのですが、僕はさっきまでの出来事が気になって仕方ありませんでした。が、これ以上彼女を怖がらせるのはあまりいい趣味じゃないと思い、差し障りの無い話しをしながら運転を続けることにしました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">話しを蒸し返すには、あまりに不可解な出来事だと思ったからです。マジメに考えようとすると得体の知れないモノを認めざるを得なくなる・・、が、自分はともかく、彼女にその恐怖を受け止める余裕は無い、そう思いました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">ですが、頭の中では、「なぜ突然、誰もいなくなったのか?」の疑問が、消しようも無く、ずっと駆け巡っていました。どう考えてもあのわずかな瞬間に、僕らの前後にいた人たち全員(合計10名弱?)が、かき消すようにいなくなるなんてオカシイと思ったのです。</span></div><div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">特に前を歩いていた人達です。後方の何人かは、引き返したと考えられなくも有りません。が、前方は、まだまだ反対側の出口まで距離があり、とてもじゃないが、目を逸らした数秒間で歩き着けるはずが無い・・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">そんな風に考えれば考えるほど、</span></div><div><span style="font-family: inherit;">「あれは・・、本来存在しないはずの、何者かではなかったのか?」</span></div><div><span style="font-family: inherit;">と言う、不条理な結論へと流れてしまいそうになるのです。<br />
<br />ただ、ひとつ考えられるとすれば「脇道へ逸れてしまった」と言うこと。ですが、記憶をたどってみても「脇道」的なものは見当たらなかったと思うのです。むしろ無かったからこそ奇妙に思ったわけで・・・</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">それに、樹海を知る人なら分かると思いますが、木々の間はけっこう隙間があって、たとえ</span><span style="font-family: inherit;">脇道に逸れたとしても、その途中の姿が見え隠れしてもおかしく無いはずなのです。・・が、僕も彼女も、ホントに、目を逸らした一瞬の内に二人だけになっていた、そんな感じだったんです・・・</span></div><div><br /></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">最近は富士樹海付近も、Googleマップのストリートビューで見ることが出来るので、遊歩道的なものを見つけては、あの道ではないかと確かめてみるのですが、「これだ!」と言うものには中々出くわしません。・・って言うか、樹海の遊歩道ってたくさん有るんですね。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">けっきょくスッキリした結論は出ることはなく、その時の彼女とも別れてしまい、やがて数十年を経ても、いまだに富士山を見ては思い出し、考えれば考えるほど不可思議な思いにとらわれ、モヤモヤ、モヤモヤしていると言う日々なのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br />
<br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgWfKccN9dU1NQu9Zj86MO5O5nj3YXdt7j6NjUFYiHKMEGeFFCE7ye9JMnXwg9ihh1vIOBEUopn_rJz1cDzL3YOVqZqTuZMazovPWV3acFdx_xkdwkC3brWgSjNhffAApaD3gHRBDg7A/s1000/fuji.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><span style="font-family: inherit;"><img border="0" data-original-height="1000" data-original-width="690" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgWfKccN9dU1NQu9Zj86MO5O5nj3YXdt7j6NjUFYiHKMEGeFFCE7ye9JMnXwg9ihh1vIOBEUopn_rJz1cDzL3YOVqZqTuZMazovPWV3acFdx_xkdwkC3brWgSjNhffAApaD3gHRBDg7A/w276-h400/fuji.jpg" width="276" /></span></a></div></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-26206929990803253552019-12-18T18:54:00.002+09:002021-01-05T00:55:04.549+09:00新しい自転車「ルイガノ CITYROAM 9.0 GYOKURO」を買った★先日、毎年恒例の年末の自転車整備をしようと、2005年購入の愛車「ラレー・マリオン・クラッシック」を逆さにひっくり返してみたところ、何と!、フレーム(骨組みパイプ)の「ダウンチューブ」と呼ばれる部分、ハンドルつけ根のあたりに亀裂が入っているのを発見しました。<br />
<div>
<br /></div>
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhh-GolT79BhK43liRPj5z2I0W6mEZLDayliXoFIlhW02TVqyRF3a9nqB4dnWxOrADPJBh7aSNTTbMYSbhfJvIhe8tmjo0VODMx8KYxZwg5cO7ywnbLj_4SFff8BRTsx_uTC0pi3y_HJQ/s1600/rare.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhh-GolT79BhK43liRPj5z2I0W6mEZLDayliXoFIlhW02TVqyRF3a9nqB4dnWxOrADPJBh7aSNTTbMYSbhfJvIhe8tmjo0VODMx8KYxZwg5cO7ywnbLj_4SFff8BRTsx_uTC0pi3y_HJQ/w240-h320/rare.jpg" width="240" /></a>最初は塗装が筋状にハゲているだけかな?と思ったんですが、ライトで光を当て、虫眼鏡でよく見てみたら、アルミ製のチューブに深く食い込んでいることがわかりました。<br />
<br />
購入してから15年が経っているので、経年劣化と言うことは当然考えられるでしょう。それに一時僕の体重が80kgに迫っていたこともあり、それに野球用具一式(だいたい5kg)が加わるので、ずいぶん車体に負担がかかっていたのかも知れません。</div>
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<br /></div>
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もちろん普段乗っていて不具合や不安を感じたことは無かったし、手で押したくらいではビクともしないのですが、この先、路上の凹凸などで強い衝撃を受け突然バラバラ!なんてことも無いとは言えません。</div>
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<br /></div>
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実際、何年か前ですが、下りの山道を高速で走るサイクリング車のフレームがいきなり折れて激しく転倒、乗っていた人が道路に叩きつけられ死亡する、と言うニュースを見たことがあります。</div>
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<br />
そんなことを思い出しながら、「さて、どうしたもんだろう」と迷っていました。この自転車にはとても愛着があったからです。<br />
<br />
アルミ溶接で補強できないだろうか?とか、溶接よりも強い接着剤があると聞き、それで亀裂を塞いでみようか?・・、とか、いろいろ考えました。が、購入してからざっと15年にもなるし、修理の金額や安全面を考えると、もうそろそろ新しく買い換えてもいいんじゃないかって結論に達しまして、ネットで探し始めたわけなのです。<br />
<br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAHf0U7ltweKPMofMxUathrajIMoaIclzN7wUyvbuGLtt4TYLEsrgZgzrNi1oCQHih1ohJVXczmRiFPz3-Y61jnJM_Sft-ortzYcTTHZ1IV-ELgQ0Y8no_aFqmHHGE3te0M_epKdoyBw/s1600/ruiga.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAHf0U7ltweKPMofMxUathrajIMoaIclzN7wUyvbuGLtt4TYLEsrgZgzrNi1oCQHih1ohJVXczmRiFPz3-Y61jnJM_Sft-ortzYcTTHZ1IV-ELgQ0Y8no_aFqmHHGE3te0M_epKdoyBw/s320/ruiga.jpg" width="320" /></a>で、探し当てたのが「ルイガノCITYROAM 9.0 DYOKURO」でした。レトロ調の色合いがいい感じで気に入りました。街乗り用クロスバイクなのでハイスペックでは無いですが、ギリギリ「スポーツ自転車」と呼べるレベルじゃないでしょうか?<br />
<br />
ショップは「ヨドバシカメラ吉祥寺店」です。店舗で受け取りができると言うので、とりあえずネットで予約して、翌日バスと電車を乗り継いで行きました。<br />
<br />
できれば同じラレー製のクロスバイクが良かったのですが、同じような条件のラレーは、15年前の二倍くらいの値段になっていて諦めたんです。当時と同じく予算を5〜6万円と決めていたので、軽くショックを受けました。<br />
<br />
それと、かつての「サスペンション・ブーム」は、とうの昔に去ったようで、フロントフォークにサスペンションが付いているマシン?はこれしか見つかりませんでした。いったんこれに慣れてしまうと、サス無しでは地面からの振動がキツくてダメなんで、どうしても欲しかったんです。<br />
<br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjA2NUM0Jp8-ww3WHFIsn80IJVD0B9R1MrtMBNoOIi9ZwlMhzU_5FU6cSAKu-neYX5qlOr-atyCU0m_avF1W4GEzXPsewS8Ws_ucffU4kioZ_bRpom402biQXxObNW870qK6tAEFY5kBQ/s1600/fure.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjA2NUM0Jp8-ww3WHFIsn80IJVD0B9R1MrtMBNoOIi9ZwlMhzU_5FU6cSAKu-neYX5qlOr-atyCU0m_avF1W4GEzXPsewS8Ws_ucffU4kioZ_bRpom402biQXxObNW870qK6tAEFY5kBQ/s320/fure.jpg" width="320" /></a>それとドロヨケも、僕の場合、無いとダメですね・・ 外した方がカッコはいいんですが、運悪く雨天走行となったとき、跳ね上げで胸から顔からドロだらけになりホント最悪ですから・・<br />
<br />
と言うわけで、ドロヨケが似合うデザインを探すと、いつの間にかレトロ調の雰囲気に傾いている、ってなワケなのであります。<br />
<br />
本体重量が14kgとやや重なのが不満なんです(ラレーは11kg)。まあ、あまり余計なアクセサリーを付けないように気をつけないといけませんが、どうしても必要なアイテムとして、前後のキャリアはラレーから外して流用しました。特にリアは荷物用サイドバッグを取り付けるので必須なんです。<br />
<br />
最近はモバイル・バッテリーも必須です。スマホをナビにしたり、強力LEDライト(オートバイ並みの明るさ!)を使用したりするので・・。三角のフレームバッグはそのバッテリーと、工具、レインコートなどを収納するために取り付けました。<br />
<br />
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*</div>
<br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgoW__MgwlipL6iVAirRcy_sZYT5aIxm2-qOajjRrq0sxHNTfwLGy0Riu01wFiq-IDkSDqETgIUm9fKBYqeFxgsNdlVBpZ10Sim4Ha_2I3_R30dFmhXQh_9TQ8XT6fiOOoIc5TgPKd5xg/s1600/c0034136_2049226.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgoW__MgwlipL6iVAirRcy_sZYT5aIxm2-qOajjRrq0sxHNTfwLGy0Riu01wFiq-IDkSDqETgIUm9fKBYqeFxgsNdlVBpZ10Sim4Ha_2I3_R30dFmhXQh_9TQ8XT6fiOOoIc5TgPKd5xg/s400/c0034136_2049226.jpg" /></a>・・と言うことで、2005年から乗り続けてきた自転車「ラレー」は手放すことになったんですが、最初に書いたように、ラレーにはとても愛着があって少々残念な気もしています。<br />
<br />
草野球チーム「ゴブリンズ」のメンバーだったイギリス人が、「子供ノトキ、ハジメテ買ッテモラッタ自転車ガ、『ラレー』ダッタ・・」と、懐かしそうに眺めていたのも印象的だったし、イギリスのアンティーク家具ショップを経営している友人も、「ラレーか、いい趣味してるなあ」と言ってくれたりと、良いイメージばかりなんですよね。<br />
<br />
これまで10台くらいは乗り換えて来たのですが、15年も乗ったのはこのラレーが初めてでした。ホントのことを言えば、元々は「草野球に自転車で球場入りする」、という用途に特化して探したモデルだったんですがね。<br />
<br />
まず野球用具一式を運ぶため、タイヤは太くて丈夫な「38C」に。バットをキャリアにくくり付けると足を上げて乗るのが困難なので、いわゆる「女乗り」が出来る、トップチューブが一段低い「スタッガード・フレーム」を選択。もちろんフロント・フォークは肘や肩にダメージの少ない?サスペンション付きです。<br />
<br />
これらの条件でネット検索したら、「ラレー・マリオン・クラッシック」が候補に浮かび上がって来たと言うわけです。しかも最安が山口県のショップだったので、そこで注文したら「山口県警」の防犯登録シールが貼られて届きました。<br />
<br />
この仕様で、350試合以上を球場入りしました。おおよその距離にすると、片道15km〜20kmなので、だいたい草野球だけで6000kmほどを走ったことになりますか・・<br />
<br />
野球での主な長距離遠征としては以下のようになります。これらは自転車で訪れたと言うだけでなく、3時間自転車を漕いで、2時間野球をして、さらに3時間自転車を漕いでウチに帰る、・・と言うところが、今にして思えば正気の沙汰ではありませんが・・(街乗り用なのでね)<br />
<br />
<br />
「神奈川県大和市・つきみ野野球場」(往復64km)<br />
「埼玉県・舎人公園」(往復50km)<br />
「芝公園」(往復50km)<br />
「上野恩賜公園・正岡子規記念野球場」(往復50km)<br />
「八王子・高尾山(陵南公園立ち寄りで練習)」(往復70km)<br />
「多摩市・一本杉公園野球場」(往復44km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2005/04/blog-post_11.html" target="_blank">◎ 大宮健保グランドまでの道</a> (往復42km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2007/03/blog-post_22.html" target="_blank">◎ 横浜の大黒埠頭まで行って来た、自転車で・・</a> (往復76km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2008/09/blog-post_14.html" target="_blank">◎ 猿江恩賜公園で練習</a> (往復56km)<br />
<br />
野球以外では友人の個展に行ったことなどが印象に残ってますね。<br />
「埼玉県飯能市・わたなべ画廊」(往復50km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2005/12/blog-post_23.html" target="_blank">◎ 入間市博物館へ行った</a> (往復40km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2006/12/94km.html" target="_blank">◎ 往復94km展覧会に行って来た。自転車で?!</a> (往復94km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2009/01/blog-post_11.html" target="_blank">◎ 東松山市へ行って来た、自転車で・・</a> (往復86km)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2009/04/blog-post_6.html" target="_blank">◎ 川越へ行って来た、自転車で・・</a> (往復44km)<br />
<br />
友人のアンティークショップ「<a href="https://swallow-dale.com/" target="_blank">スワロウデイル・アンティークス</a>」に行った時のこと。<br />
(現在は「世田谷区豪徳寺1-6-1」に移転)<br />
<a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2018/08/blog-post_18.html" target="_blank">◎ 荏田町(横浜市青葉区)へ行って来た、自転車で・・</a> (往復50km)<br />
<br />
あと草野球のメンバー5人とお台場まで行ったこともありましたっけ・・<br />
「お台場・Shiokaze Play Park」(往復80km)<br />
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これだけの距離を自転車で走った場所、と言うのは、やはりとても印象に残っていて、どれもこれも懐かしく楽しい記憶として蘇ります。「ラレー」を手放すことになって初めて、この15年間の走行がどれだけ面白い日々だったか、「走馬灯?」のように脳裏を通り過ぎて行きました。<br />
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これから先、新しい自転車を買ったはいいが、再び同じような経験ができるかどうか・・。何しろ今から15年先まで「ルイガノ」に乗り続けたとしたら、軽く75歳を越え、車で言えば「免許返納推奨年齢」に達してしまうのですから。<br />
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まあ、とりあえずあと10年・・、よく晴れた穏やかな日に、少しだけ遠くまで行かせてもらえれば・・と、今は思っているところです。<br />
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F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-42317364830350719952019-11-25T18:35:00.001+09:002019-11-27T16:54:02.144+09:00AI・美空ひばりさん紅白出場決定!★今年(2019)のNHK紅白歌合戦に、AI技術で音声を合成された「美空ひばりさん」が復活出場するそうです。<br />
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この制作過程は9月に NHKスペシャルのドキュメンタリーとして放送されたし、つい先日もNHKの音楽番組「うたコン」でも披露されたので、聴いた人も多いはず。僕も実際に聴かせてもらいまして、その再現技術の素晴らしさに「とうとうここまで来たのだなあ・・」と言う感慨を覚えました。<br />
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ただあえて言うなら、美空ひばりさん独特の高音部のシャウト(こぶし?)が見られず、柔らかい歌い方に終始していたのが少し物足りなかった。曲調が穏やかなバラードだったのでそうなったのか、シャウトがまだうまく再現できず楽曲の方を操作したのか?は、残念ながら不明でした。<br />
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とは言え「新しい時代が来た」と言うことだけはハッキリしました。「うたコン」では音声のみで、ひばりさんに見立てたドレス人形を若手歌手たちが囲む、と言う演出でしたが、紅白ではどんな風になるのか?。「初音ミク」のようにバーチャル映像付きで登場させたら、これは面白いことになると思うんですが・・?<br />
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そう言えば、「AI美空ひばり」の技術は、「初音ミク」と同じYAMAHAが開発した音声合成システム「VOCALOID(ボーカロイド)」を応用して作られたのだそうです。初音ミクの時は、「へー」とは思ったけど、声はやっぱりロボット臭くて、まだまだかな言う感じでした。ですが「AI美空ひばり」では、ほぼ人間の肉声だったんです。スゴイなと思いました。ついにここまで来たのかと・・<br />
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同時に、「YAMAHA」と言う企業に改めて感心しました。僕らは普段、あまりこの会社を気に留めていない気がするんです。「TOYOTA」は今年世界何位になったとか、「SONY」の復活は何処まで来たのか?とか、報道でもそっちの方が重要視されている感じです。<br />
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ですが、「YAMAHA」の方がスゴくないですか?。ふと思いついただけでも「楽器」「オーディオ」「オートバイ」、その他スポーツ用品など、気がつけば、広範囲に渡ってヒット商品を世に送り出しているんです。<br />
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かつて、あらゆる音楽、バンドのキーボードとして世界中を席巻した、デジタル・シンセサイザー「DX-7」なんてのも記憶に焼きついているし、「ショパン国際ピアノ・コンクール」では、これはピアニストのコンクールであると同時に、演奏家がどのピアノを選ぶのか、ピアノ・メーカーの競い合いでも有るのですが、そこに「YAMAHA」は、スタインウェイなどと並び、堂々ベスト5に食い込んでいるし・・<br />
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かく言う私も随分お世話になって来ました。オーディオ・ブームの時には、1本30kgもあるスピーカー「YAMAHA・NS-1000X」を手に入れ、部屋中を揺さぶるような重低音と壮大な音空間に包み込まれて感動しましたし、アコースティック・ギターも昨年、評判のいい「YAMAHA・LL16 ARE」を購入、マーチンに似た、鈴の鳴るようなキラッキラの高音に酔いしれています。<br />
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仕事の面でも、一回だけなのですが、今から何十年も前に「YAMAHA100周年記念プロモーション・ビデオ制作」の打ち合わせで、YAMAHAの関係者にお会いしたことが有ります。正確には「ビデオ制作前のプレゼンの打ち合わせ」です。相手は男性と女性の二名で、年の頃は・・、たぶん両者とも三十歳前後ではなかったかと思われます。<br />
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それが何年頃の話しだったかは、ほとんど記憶が薄れて分からないんですが、ネットで調べてみると、どうやら1988年頃のことだったと分かって来ました。「YAMAHA100周年」が2002年?あたりなので、まだようやく企画が持ち上がった、くらいの時期でしょうか?<br />
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その打ち合わせで、本題の会議が終わり、コーヒーを飲みながら雑談をしていた時のことでした。相手の女性の方が、「いまちょっと、考えてることがあって・・」と、そのアイデアを語りだしたのです。<br />
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それは、「駅の出発のベルを、メロディに変えたい」と言うことでした。雑談で他言してしまうくらいなので、恐らくプロジェクトどころか企画案にもなっていない、ホントに思い付きの段階だったのでしょう。<br />
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彼女は楽しげに続けました。<br />
「大きな駅では、いろんな路線が乗り入れてるでしょ?。路線ごとにメロディを変えれば、どの電車が出発するか分かるし、駅ごとにご当地ソングのメロディを流せば、その駅の特徴にもなると思うんですよ」<br />
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その話しを聞きながらも、僕は「面白そうですねえ」と言って笑顔を作るだけで、その時の彼女の本気度は分かっていなかったんです。しかし・・<br />
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・・その打ち合わせが有ってから、一年後、いや二年後だったでしょうか?。ある日、僕は新宿駅のホームに立ったまま動けなくなってしまったのです。新宿駅のベルの音が、メロディに変わっていたのです。<br />
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「いつの間に変わったんだろう」<br />
僕は電車に乗りもせず、何度も何度も、確かめるようにメロディを聴き続けました。<br />
「やっぱり、路線ごとに違うのか?」<br />
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そして、こう思ったんです。<br />
「ついにやったなあ。あれは、夢じゃなかったんだ・・」<br />
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夢を夢で終わらせず、どんどん企画にして提出し、実現し、商品にしてしまう。・・これが「ヤマハ魂」とでも言うんでしょうか?。もちろん彼女の力だけでなく、YAMAHAと言う企業の懐の深さも有ってのことですが。<br />
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・・あれから実に三十年以上の時が流れ、今度は「AI美空ひばり」の登場と言うわけです。これは誰が見た「夢」だったんでしょう。それが誰であれ、やはりここにもYAMAHAの技術、初音ミクを産み出した「夢見る力」が注ぎ込まれていた、と言うことは確かです。<br />
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「すごいな」と思うと同時に、あの彼女のことを思い出していました。かつて日本中の駅のベルをメロディに変えてしまったあの彼女は、今はどうしているでしょう?。もしずっとヤマハに勤めていたとしても、そろそろ定年・・?。どっちにしろ現場はすっかり世代交代しているでしょうし・・<br />
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ただ、彼女はいったいどんな気持ちで「AI美空ひばり」を聴いたのか、それをちょっと聞いてみたい気がするのです。<br />
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(*ところで、美空ひばり・AI歌唱曲「あれから」は、CD及び配信による発売も決定だそうです)<br />
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F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-29491482867618501972019-09-17T15:53:00.010+09:002021-11-15T16:15:07.782+09:00砧公園の怪<span style="font-family: inherit;">★最近「怪談」とか「怪談師」と言うのが静かなブームのようです。もちろん、かの稲川淳二氏が元祖なんですが、検索してみると、アマチュアからプロまで、YouTubeなどネット配信を中心にけっこうな数の自称怪談師がいて、いろんな怪異話しがアップされています。 <br /><br /> どうもTVでは「コンプライアンス」とかの問題で、「霊なんて有りもしないモノをむやみに放送するな!」「霊感商法を助長させている!」ってことになり、その分、たくさんの怪談話がYouTubeに流れて行ったみたいです。 <br /><br /> その中のひとつで「砧公園の怪談」と言うのがありました。夜暗くなってから公園でジョギングなどをしていると、不気味な「謎の女」に遭遇すると言うのです(夜の公園を走るなんて、日本はやはり治安がいいんですな)。 <br /><br /> 「へえ」と思ってなお検索してみたら、人目につかない場所でそこそこ自殺や事件も起こっているらしいとの記述も見つかりました。広くて木々が深い公園なので、まあそんなことも有るのかもしれません。 <br /><br /> そんな「砧公園」ですが、僕らは何度も草野球で訪れていて馴染みがありました。広くて緑が豊かで世田谷美術館も有って、スポーツ少年や親子連れが楽しんでいる、そんな明るい公園のイメージしか無かったので、「砧公園の怪談」と聞いたとき、「まさか・・」と、ちょっと違和感は感じました。 <br /><br /> でも、その反面、「そう言えば・・、一回だけ変なことが有ったな」と、思い出したことがあったのです。 <br /><br /> それは草野球が終わった後の更衣室での出来事でした。砧公園の更衣室は野球場からはけっこう遠い場所にあり、しかも帰り道とは逆方向になるので、使用せずに木陰で着替えてしまう人も多いのです。が、僕の場合、片付けが苦手なたちで、着替えたモノをあちこち散らかしてしまうと言う欠点があり、地面に撒き散らすわけにも行かないので、毎回室内を利用させていただいてました。 <br /><br /> そんなある日のこと・・・ <br /><br /> 野球場からは遠いのですが、テニスとかサッカーとか他の利用者もいるので、まあ誰かしら数名が来ているのが常でした。ところがその日は、珍しく一人もいませんでした。また管理所とは別棟で離れているので人は常駐していません。なので利用者がいなければ無人になるのです。 <br /><br /> 「オレ一人か・・」と思いながらも、同じチームに必ず更衣室を利用するT君がいたので、「そのウチ彼もやって来るだろう」と、シャワーを浴びるため、汚れたユニフォームを脱ぎ始めていました。 <br /><br /> ところがです。しばらくして、それまでシンとしていたシャワー室から突然、「ザーッ」という水が吹き出る音がしたのです。「なんだ、誰かいたのか」と思いました。先に来ていた人がすでにシャワー室に入っていて、お湯を浴び始めたようです。 <br /><br /> それにしては荷物が見当たらないなあとも思いましたが、きっと用心深い人で、全部ロッカーに入れてしまったのかも知れません。それより、誰もいないと思い込んで、大きな声で独りごとを言ったりしたので、少しバツが悪い気がしました。 <br /><br /> そうこうしているウチ、シャワーの音が止みました。知らない人だとは思いますが、出て来て顔を合わせたら軽く挨拶でもしようかと、それとなく待っていたのです。・・が、なかなか現れません。 <br /><br /> 「おやっ?、どうしんたんだろ?」と思いながら、タオルとシャンプーを持ってシャワー室に入ったのですが、やはり誰も出て来ないのです。それとなく全室覗いてみたのですが、まるで人の気配が有りません。「えっ、なんで?」と不思議に思いながらシャワーを浴び始めたのですが、いろいろ考えが廻りました。 <br /><br /> 「駅なんかのトイレでは、洗浄のため定期的に水が流れるようになってるけど、アレみたいなものかな?。・・でも、シャワーの場合は蛇口を閉めたら出るはずないしな」などと、意味が分からず、なんかボーッとお湯を浴びていたのです。 <br /><br /> シャワーを終えるころになっても、その日はずっと僕一人だけでした。いつもなら必ずやって来るT君もとうとう来ませんでした。(後日聞いてみると急ぎの用事があったとのこと) <br /><br /> 汗を流し、出していたシャワーを止めると、まったく音が無くなってしまいました。薄暗い、ガランと静まり返ったシャワー室で、身体を拭くタオルの音だけが聞こえています。すると、あたりに漂う雰囲気が、何か奇妙で不気味な感じに思えて来たのです。 <br /><br /> 「さっきのシャワー、やっぱり変だよな・・」<br /> どうしても、理屈に合わない気がして来たのです。<br /> <br /> 誰もいないシャワー室でたった一人、何だか背筋が寒くなるような感じを覚え、急に怖くなった僕は、服を着終えると、片付けもそこそこに更衣室を飛び出してしまったのです。<br /> <br /> ・・するとそこには、たくさんの人々が行き交う、いつもの明るい砧公園の風景があり、ようやくホッとしたのでした。 <br /><br /> 表に出て安心すると、あんなに怖がった自分がバカみたいに思えて来たのですが、まあとにかく、かつてそんな出来事が一回だけありました。あれ以来、砧公園の更衣室で似たような経験をしたことは有りません。 <br /><br /> やがて僕は草野球を引退し、砧公園自体訪れることも無くなってしまったので確かめることは出来ませんが、今頃になってネットやYouTubeなどを通じて「砧公園の怪談」を知り、一度だけ体験した「シャワー室での怪」を思い出した・・、と言う次第です。 <br /> <br /> <br /> <br /> </span>
F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0都立砧公園・更衣室35.6289705 139.621684435.6288614941015 139.62155028954925 35.6290795058985 139.62181851045074tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-55400201165040104432019-09-04T14:29:00.003+09:002021-01-05T00:53:38.975+09:00「ほんとにあった怖い話」は、ホントに放送される?<span style="font-family: inherit;">★じつは、一部ホラーファンの間で大きな話題になっていたことがあります。「ほんとにあった怖い話2019」のことです。この番組が、ついに10月放送決定となったんです。<br />
<span><a href="https://www.fujitv.co.jp/honkowa/index.html" target="_blank">◎ フジテレビ「ほんとにあった怖い話」</a></span><br />
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何がそんなに話題なのかと言うと、例の「ジャニーズ事務所の圧力問題」です。元SMAPの3人が次々にテレビを降ろされ、ついにレギュラーゼロとなっている現状から、稲垣吾郎クンがMCの「ほんとにあった怖い話」も、放送中止に追い込まれるのではないか?との憶測が流れていたのです。<br />
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本来なら毎年8月初旬にはホームページが更新され、夏休みを狙って放送されていたはずですが、今年2019年は、8月下旬になってもサイトが更新される気配無く、9月1日になってようやく放送日だけ発表されました。が、番組内容は昨年2018年のままで(9月4日現在)、タイトルもキャスティングも不明のまま・・。ドラマ自体はちゃんと撮影済みなのだろうか?と疑いたくなるようなていたらくなのです。<br />
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春・秋の特番は「世にも奇妙な物語」、夏休みは「ほんとにあった怖い話」が定番で、どちらも固定ファンがいて一定の数字が取れる番組なのに、こんな形で秋までずれ込むと言うことは、やはり「何かが有った?」と疑われても仕方ないでしょうね。<br />
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しかも今年は「ほん怖20周年記念」・・。「ジャパニーズ・ホラー」の先駆者的番組なんですから、これが「ジャニーズの圧力」で番組終了なんてことになっていたら、ホントに、情けない話しだと思います。もし7月に、公正取引委員会が独占禁止法違反の恐れありと、ジャニーズ事務所に注意喚起をしていなかったら?、ホントに、このままお蔵入りになっていた可能性もあるんじゃないですか?。<br />
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『ほんとにあった怖い話』はその功績を認められ、「アジアン・テレビジョン・アワード2004」でドキュメンタリー・ドラマ部門最優秀賞を受賞しているのです。<br />
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世界を席巻した「クール・ジャパン」、その一端を担っている「ジャパニーズ・ホラー」、これを同胞のはずの日本の権力が潰しにかかる・・、そんな了見の小さい、愚かなことが有ってはならないんです。<br />
<span><br /></span><span>・・まあ、僕もホラーファンの一人として、とりあえずは「放送日決定」の知らせにホッと胸を撫で下ろ</span>しているところ、・・ではあるのですがね。<br />
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(正確には『ホラーファン』ではなく『不思議マニア』なのですがね。だから、最先端物理学も不思議と言う点では大いに興味をそそられます)<br />
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<a href="https://www.excite.co.jp/news/article/Asajo_77835/" target="_blank"><span>◎ 稲垣吾郎「ほん怖」出演決定の裏で起きていた「圧力」</span></a><br />
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</span>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-86025933928051104402019-08-16T14:19:00.014+09:002024-03-05T15:19:22.179+09:00母親が亡くなる時に起こった不思議な出来事★今年もお盆の時期がやって来ました。じつは2018年は、母が2月、父が10月にと相次いで亡くなりまして、その二人分の後始末?に追われ、長い間ブログをお休みしていたのです。で、ようやくメドがついて来まして、再開することになったのですが、やっぱり最初は「この話題」かな・・と思った次第なのです。<br /><br />2018年の2月初めでしたか、夕食後、母親と世間話しをしている最中、妙なことを言い始めたのです。・・それは以下のような言葉でした。<br /><br />「あとはお前の好きなようにやっていいから。自分のやりたいように生きていけ」<br /><br />記憶にある限り、人生訓だとか、改まったモノの言い方を聞いたことが無かったので、ビックリして、返事も出来ず、まじまじと母親の顔を見てしまいました。・・そして、その十日後ぐらいだったと思います。突然、母が僕の目の前で倒れたのです。<br /><br />1分前まで、ごく普通に話しをしていたその姿のまま、突然胸を押さえたかと思うと、僕の目の前で意識を失ったのです。大急ぎで救急車を呼び、日赤病院に運び込んだのですが、その時にはすでに息絶えていました。担当の医師によれば、「倒れた時点で、ほぼ即死の状態だった」とのことでした。<br /><br />母親の死因は「急性大動脈解離」。確か、アンパンマンで声優をしている女性が、首都高速で運転中に突然亡くなったと言う、あの死因も同じ、大動脈解離だったと記憶しています。<br /><br />当初は、「体調も普通だったし、思いもしなかったなあ・・」<br />と呆然としていたのですが、しばらくしてから、あの夕食の後の妙な「人生訓?」を思い出し、もしかしたらあれが「虫の知らせ」と言うヤツだったのだろうか、と言う気がして来たのです。<br /><br />で、通夜だの葬儀だのの合間に、集まった親戚と話しを聞いているうちに、僕以外にも、いろいろ「予兆」を感じた人がいたようだ・・、と思い知らされたのです。<br /><br /><br />*<b>従兄弟の嫁さんから聞いた話し</b><br /><br />「今にして思えば・・」とはよく聞く話しですが、最初に話しをしてくれたのは、従兄弟の嫁さんでした。彼女によれば、母が亡くなる数日前に会った時、「妙な違和感」を感じた、と言うのですが・・・<br /><br />従兄弟夫婦はウチのすぐ近くに住んでいて、その嫁さんは母を慕い、時々訪れては長々とお喋りをする「茶飲み友達」だったのです。そうして帰るときはいつも、母親が玄関から見送るのが常でした。 <br /><br />が、その日に限っては違っていました。何を思ったのか、母はサンダルを履き、表に出て、彼女について行こうとしたのだそうです。 <br /><br />2月の一番寒いときだったので、「おばさん、いいよ寒いから」と言うのも聞かず、母は家の前の路地を彼女と一緒に歩き、曲がり角までついて来て、そこからずっと彼女の姿が見えなくなるまで立っていたと言うのです。 <br /><br />数十メートル先の街道に出る寸前で振り返ると、母はまだそこに立っていたそうです。そしてそれが、彼女が見た母の最後の姿でした。<br /><br /><br />*<b>10年間続いた習慣が途絶えた朝<br /></b><br />次はまた別の話しです。<br /><br />母親が亡くなる当日のこと、およそ19時間前の早朝、僕は、母親を埼玉の伊奈町に住む叔母夫婦(母の妹)の家へ連れていくため、車の準備をしていました。<br /><br />母は月に一度、仲の良い叔母を訪ねて食事をし、ついでに地元の美容院に立ち寄ってパーマを当ててもらうのが習慣になっていたのです。それはもう20年ほど続いていました。 <br /><br />元々最初の10年は、一人で電車で出かけていたのですが、ある年の猛暑の夏、熱中症になって一週間ほど寝込んだことをきっかけに、僕が埼玉まで、車で送り迎えをするようになったのです。<br /><br />僕も、母が用事を済ませている間、叔母の家を起点に車を走らせ、埼玉・群馬など地方の美術館を訪れたり、巨大ショッピングモールや、ホームセンターを物色すると言う楽しみを発見し、月に一度の息抜き的ドライブとして、気づけば10年ほど続いていたのです。 <br /><br />その10年間、まったく変わらなかった母の習慣がありました。それは、片手で押すカートバッグを必ず持参すると言うことでした。それが、その日だけは違っていたのです。カートを自分の部屋に置きっ放しにし、手ぶらで車の後部座席に座ろうとしていました。 <br /><br />「あれ?、カートは?」と尋ねると、 <br />「ああ・・、もういらないから、積まなくていいよ」<br />と、気のない声で答えたのでした。<br /><br />約10年間、一度たりとも手放さなかったカートを置いて行くことに、妙な違和感を覚えつつも、「まあいかか」と運転席に乗り込んだのでした。<br /><br /><br />*<b>叔母が見た母の異変? </b><br /><br />ウチから、叔母の住む埼玉の家までは片道約40km、多少の渋滞はありますが、車で2時間ほどで着きます。カートを積まないこと以外は、いつものように7時出発で9時過ぎには叔母の家に着いていました。 <br /><br />その時です。叔母の家のドアを開け、母を先に入らせてから履物を脱いでいると、突然、<br />「どうしたの?!、姉さん!。そんなにゲッソリ痩せて?!」<br />と、大きな叔母の声が聞こえたのです。顔を上げると、叔母が青ざめた表情で立っていました。 <br /><br />そして、「ねえ?、・・ひどく痩せたよねえ!?」<br />と、震える声で叔母は僕に問いかけたのですが、よく意味が分からず、<br />「うーん・・、毎日見てるから、変わったようには思えないけど」<br />と答えたのです。<br /><br />ところがその後、母がリビングの椅子に腰掛ける頃には、どう言うわけか、いつもの母の顔に戻っていた・・、と叔母は言うのです。叔母は納得がいかない様子で、何度も母の顔を見ながら、「おかしい・・、何でさっきあんな風に見えたんだろ」と繰り返していました。 <br /><br />叔母が一瞬見たのは、いわゆる「死相」と言うものだったんでしょうか?<br /><br /><br />*<b>いつもと違う美容院での別れの挨拶</b><br /><br />それでも僕は、「何か異変が起きている」とは思っていませんでした。光の加減で変な風に見えたのだろうと思っていました。が、もう一人、母親の異変?に気付いた人物がいたのです。埼玉に行くたびに訪ねる美容院の女性でした。<br /><br />それは、パーマが終わり店を出る時のことだったと言います。その美容院は予約制なので、一週間くらい前に電話で予約をするのです。なので、パーマが終わって店を出る時には、いつも「それじゃ、またね」とか「また連絡するね」と言うのが、20年近くも続いた合言葉になっていたのです。ところがその日だけは違っていたと言うのです。<br /><br />「それじゃあ、さようなら・・」<br />母はそう言って、何故か深々と頭を下げたそうなのです。その言葉、去って行く後ろ姿に、美容院の女性は、妙な胸騒ぎを覚えたと言うのです。 <br /><br />そうして、その別れの挨拶から約10時間後、午後11時ごろだったでしょうか。母は倒れ、息を引き取りました・・ <br /><br /><br />・・こんな風に「虫の知らせ」とも言うべき、いつもと違う行動や言動をしていたのですが、母本人が具体的に、自分の死を予知したとか、予兆を感じていたと言うことは無かったと思います。 <br /><br />じつは、その数ヶ月前から父親の足腰が弱って来て、2018年1月には「介護認定2」を受けていました。母は父の姿を見ながら、「これから、いろいろ準備しなきゃね」などと、数年先の父との生活を案じていたからです。<br /><br />つまりは、すべて無意識の行動・言動だった、と言うことになるわけです。 <br /><br /><br />*<b>誰もいない部屋で、人感センサーが何かを感知 <br /></b><br />母が入っていた互助会のお陰で、何から何までやっていただきまして、葬儀初心者?としては大変助かりました。そうして火葬を終え、四十九日・納骨の準備を進めていたころ、いくつか不思議なことがありました。 <br /><br />その一つは、一言でいうと、 <br />「誰もいないはずの部屋で、人感センサーが反応した」<br />と言うことでした。 <br /><br />要介護認定を受けた父ですが、それでもトイレや風呂は一人で出来ていました。しかし、その場所へ行くまでの足取りが危うく、転倒の恐れがあり、特に夜のトイレは心配だったので、父の部屋に、人感センサーでチャイムが鳴る装置を仕掛けていたのです。 <br /><br />父が夜中に、トイレへ行こうとモゾモゾ動き始めると、センサーが感知して、僕の部屋の無線チャイムを鳴らす、と言う具合です。 <br /><br />このセンサーは、母が亡くなる1ヶ月ほど前から設置していました。電気の消費も少ないし、スイッチを入れ忘れると大変なので、通電したままにしてありました。つまり、母の葬儀の一ヶ月前から四十九日が来るまでの、少なくとも約2ヶ月間は、ずっと人感センサーは付けっ放しになっていたことになるのです。 <br /><br />そしてある日の昼間のこと・・。僕は二階でパソコン作業をしていました。すると、12時近くになったころ、その「ワイヤレス人感センサー」が、誰もいないはずの、一階の部屋で何かを感知したのです。 <br /><br />父は茶の間でテレビを見ているはずだったので、突然鳴ったチャイムに、「まさか一人で歩き回ってんのか?」と訝しく思い、階段を降りて寝室のドアを開けました。<br /><br />ところが、センサーの有る部屋には誰もいなかったのです。父は、やはり茶の間でテレビを見ている最中で、CMらしき音声が遠くから聞こえていました。<br /><br />「おかしいな・・」と思い、足を踏み込んでみると、自分の動きが感知されたらしく、二階から小さくチャイムが聞こえて来ました。 <br /><br />いわゆる赤外線センサーなので、何かの熱源が有るのではないかと探ってみたのですが、それらしき物は見当たりませんでした。北向きの和室で、障子を閉めてあるので、明るい日光が差し込むということも有りません。 <br /><br />「まさかなあ・・(母親が?)」と思いながら自分の部屋に戻りました。<br /><br />その日はそれ一回のみで、あとは鳴ることは有りませんでした。 しかしながら、四十九日を待つ間、計3〜4回くらいでしょうか、同じように「チャイムが鳴り、行ってみると誰もいない・・」そんな現象を繰り返し体験することになりました。<br /><br /><br />*<b>天井裏で動き回る得体の知れないモノ </b><br /><br />別の日、これもまた四十九日を待つある日のこと・・・ <br /><br />夜中、確か午前1〜2時くらいだったと思います。人感センサーのチャイムに起こされて父のトイレに付き合っていた時、何気なく、母の遺骨がある部屋を覗いてみると、天井裏を複数の何かが「ガサ、ガサ、ガサ、ガサガサ・・・」と這いずり回る音がしていたのです。 <br /><br />それは、聞いたことの無い不気味な音でした。<br /><br />たとえば子供のころ、安アパートの天井を、ネズミが走る音なら聞いたことがあります。また鳥が屋根の隙間に巣を作り、何かに驚いて羽ばたく音も知ってます。が、それらとはまったく違う種類の音でした。<br /><br />そもそも音がしているのは、二階の天井ではないのです。一戸建ての一階の天井裏です。そこにどれほどのスペースがあるのか知りませんが、こんな、あちこち動き回るモノが入り込む隙間などあるのでしょうか? <br /><br />ではいったい何なのか?。「得体の知れない寒気がするような感じ」から、あることを思い出しました。「ひょっとすると、"魑魅魍魎(ちみもうりょう)"の仕業ではないか?」。脳裏にそんな言葉が浮かんだのです。 <br /><br />あれは、水木しげる氏の漫画で見たと記憶しています。亡くなった人の遺体や遺骨を安置していると、低級な霊魂や動物霊など「魑魅魍魎」の類が面白がって集まって来る・・、と、そんな話しです。 <br /><br />「くそ、母親の安息が妨げられて堪るか!」とは思ったんですが、しかし、僕には霊能力?は有りません。そこで「どうやったら追っ払うことが出来んだ?」と考えいていたら、母が好きでよく見ていた、「オーラの泉」の江原啓之氏のことを思いついたんです。<br /><br />母は、江原啓之氏の著書も何冊か購入していまして、パラパラと見せてもらった時に、その本の巻末に、結界を張って魔除けをする「結界キット?」なるモノが付録になっていたのを思い出しました。<br /><br />で、母の部屋の本棚から取り出し、ハテどんなもんか?と思いつつ、能書きに従って「結界キット」なるモノをセットし、粗塩を撒いて、柏手を打ったり合掌したりしてみました。 <br /><br />・・するとどうでしょう。それを境に、天井裏の這いずり回る音はパタリと消えてしまったのです。以降、四十九日を過ぎて、年を超え、現在に至るまで、まったく音はしていません。・・と言うより、この家を建ててから数十年、天井からあんな気味の悪い音がしたのは、あの夜たった一回きりだったのです。<br /><br />最初はマユツバだなあ、と思っていた「結界キット」ですが、やってみたら、なかなか効き目あり?と言う気がしました。 <br /><br /><br />・・以上が、母親が亡くなった時に起こった不思議な?出来事のいくつかです(まだまだ色々ありました)。人によっては「不思議でも何でもない。こじつけでしょ」と言うかも知れませんが、まっ、それはそれで構いません。<br /><br />僕としては、母の死から8ヶ月後に起こる「父親の死」に際し、そのあまりに何も起こらない平凡な?死にぎわと比較し、母の死には色んなことが起こったなあ・・と言う感慨として、ここに書かせてもらっただけなのです。<br /><br />子供のころから、不思議大好き心霊大好きだった息子のために、母親が最後の置き土産として、ささやかな「怪異現象」を起こしてくれたのではないか?、そんな風に思ったのです。<br /><br /><div style="text-align: center;">*</div><br />・・さて一方の父ですが、母の納骨が終わった直後、不安視していた「転倒事故」が現実となり、頭を打って出血、救急搬送されました。<br /><br />CTスキャンの結果、「硬膜下血腫」が見つかり、緊急入院手術ということになりました。「頭蓋骨に穴を開けて血の塊を抜く」と言うことで、医者の説明を聞きながら「ドラマ『JIN - 仁』で見たヤツだな」と、一人納得していました。 <br /><br />手術で一命は取り留めたものの、今度はリハビリが必要と言われ、国分寺のリハビリ病院に入院し、5ヶ月間の理学療法を受けることになりました。しかしその頃には認知症も発症し、急激に記憶が薄れて行きました。最後には、親戚も友人も分からず、僕一人だけしか判別できなくなっていたようです。<br /><br />そうしてある時から父は、「秋田に帰る」と、繰り返し言うようになりました。秋田県(旧・大曲市)は父の故郷だったのです。それは面会に行くたびに続きました。<br /><br />さらに、どのくらい過ぎた頃でしょうか、「秋田に帰る」から、今度は「秋田行きの切符買ってこい」に変わりました。で、僕の方も、「分かった分かった、今度買ってくるから」と言うのが常になっていました。 <br /><br />そんなことが数ヶ月続くと、また父のセリフが変わりました。<br />「秋田行きの切符、買ったか?」<br />「買って来い」から「買ったか?」になっていたのです。<br /><br />そこで僕も、方便で答えました。<br />「切符、買ったよ」<br /><br />「切符、買った」との返事に、まさか安堵したとでも言うのでしょうか。それから二日後の早朝、病院の看護師から、父が高熱を発して意識不明になったと言う電話を受けたのです。<br /><br />けっきょく父は眠ったまま・・<br />(たぶん秋田行き新幹線こまちの夢を見ながら?)<br />約1ヶ月後、静かにこの世を去りました。<br /><br /><br />・・以上が、2018年、僕の身に起こった出来事なのです。<br /><br /><br />F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8789291390843427174.post-80205609028768192332018-08-05T14:05:00.021+09:002020-12-22T15:31:38.599+09:00夏の甲子園100回大会で思い出したこと<div><span style="font-family: inherit;">★個人的な理由で半年ちょっと更新ありあせんでしたが、そろそろまた書こうかなと言う気持ちになってきました。そんなおり、「夏の甲子園100回大会」とのことで、あちこちのテレビで「甲子園特集」を放送しているのを見まして、「そう言えば自分にも、今もなお記憶に残る夏の甲子園があったな」とブログに書いたことを思い出しました。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">「夏の第55回大会」のことです。あの「怪物・江川卓」が最後に出場した甲子園での出来事‥‥。あのとき僕はと言えば、友人4人と伊豆大島の砂の浜海岸でキャンプをしていたのです。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">今回は更新の代わりにその記事を「再リンク」することにしました。時間があったら下記のリンクから読んでみてください。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="text-align: center;"><span style="font-family: inherit;">↓</span></div><div>GOB-MESSAEGE</div><div><div><a href="https://bladegoblins.blogspot.com/2009/09/blog-post.html" target="_blank">◎ あの夏の日、怪物くんが・・</a></div><div><span style="color: #444444; font-size: x-small;">★今年の甲子園は面白かったです。夢中になりました。</span></div><div><span style="color: #444444; font-size: x-small;">幸い?昼間にテレビを見れる環境にいたのですが、</span></div><div><span style="color: #444444; font-size: x-small;">高校野球はあまり興味が.・・</span></div></div><div><span style="color: #444444;"><br /></span></div><div><span style="color: #444444;"><br /></span></div><div><span style="color: #444444;"><br /></span></div><div><span style="color: #444444;"><br /></span></div><div><span style="color: #444444;"> </span></div>F髙橋http://www.blogger.com/profile/05700475831456049090noreply@blogger.com0