2010年9月9日木曜日

ジャイアント馬場伝説

★先日、元プロレスラーの「山本小鉄さん」が亡くなりました。子供の頃は、野球よりもプロレスに熱中していたので、やはり感慨が無くはありません。それと、あのころ僕たちの回りで飛び交っていた「ジャイアント馬場伝説」と共に、記憶の奥底に残っている名前でもあるのです。

僕が小学生だったころ、近所の子供らの間で、あるウワサが広まりました。家からすぐ近くに小さなパン屋さんがあったのですが、そのパン屋に、ときどき「ジャイアント馬場」が訪ねて来るらしい、と言うのです。

「もし近くに大きな黒塗りの外車がとまっていたら、その日は必ずジャイアント馬場が来ている、しかも馬場はデカ過ぎて後部座席に横倒しにならないと乗れないのだ」と・・

僕はその話しに驚き、戦慄してしまいました。ですが、実際にその巨人の姿を見たと言う子供はおらず、まるで伝説のように、ウワサ話しだけが大きくなって行ったのです。

ところが、ある夏休みの夜、僕は初めてその「大きな黒塗りの外車」を目撃することになりました。パン屋のすぐ近くにはお寺が経営している幼稚園が有って、その園庭で毎年盆踊りが行われていたのですが、その盆踊りの夜に、例の大きな黒い外車がパン屋に横付けされていたのです。

ちょうどその夜は盆踊りの最終日で最後に花火が打ち上げられることになっていました。その花火を、隣の家の女の子と一緒に見ようと言う約束をしていたのですが、その「外車」を発見してしまった僕は、車の様子が気になって仕方が無く、頻繁に踊りを抜け出しては「ジャイアント馬場」が現れないかと見張っていました。

しかしとうとう花火が始まってしまい、約束を守るため花火見物に集中していたら、運悪くその十数分の間に車は何処かへ走り去ってしまったのです。けっきょく馬場のウワサが本当だったのか、確かめることは出来なかったのです。

が、その数ヶ月後くらいだったと思います。駅前の一等地に、例のパン屋の姉妹店がオープンすることになり、なんと、その特別ゲストとして「ジャイアント馬場」と、かの「山本小鉄氏」(計三名だったがもう一人が思い出せない。アントニオ猪木?)が来店することになったのです。

まさか!?と思いました。そして町のあちこちに立った告知看板を見ながら「ぜったいに馬場を見に行こう!」と思っていたですが、その時も何だかんだと用事が出来て、やはりジャイアント馬場を目撃することは出来なかったのです。翌日の学校では「馬場」の話しで持ち切りになっていて、すごく悔しい思いをしたのを覚えています。



・・時は流れて、1990年代。僕は自分が率いる草野球チーム・ゴブリンズの会報として「ゴブリンズレター」と言う小冊子を作って郵送していました。その紙面に、この時の話しを自伝風に書いて載せたのです。すると、それを読んだメンバーのN君から連絡が有りました。

作家の沢木耕太郎氏が書いたノンフィクションに、「ジャイアント馬場が、かつてパン屋の二階に居候していた」との記述を発見したと言うのです。それを聞いて「なるほど」と納得しました。この一文で「ジャイアント馬場」と「町の小さなパン屋」、この不釣り合いな組み合わせが、見事につながるではありませんか。

「馬場」はかつて無名時代に、どんな縁かは知らないが、あのパン屋の二階でお世話になっていた。「馬場」はその恩義を忘れず、プロレス全盛で超有名になってからも、時折りパン屋の主人を訪ねて来ていた。さらにパン屋が姉妹店を出すことになった時には、その盛り上げ役となることを喜んで引き受けた・・ でなけば、こんな小さな町の小さなパン屋に「オープニングゲスト」として来るはずが有りません。

そう考えれば、あの盆踊りの夜、僕が見つけた大きな黒塗りの外車が、「ジャイアント馬場」のものだった可能性は非常に高い気がして来るのです。つまりもう少しで僕は巨人の姿を目撃していたかも知れないのです。暗闇にのそりと立ち上がるその姿は、子供の目にはとてつもなく大きく、幻のような光景だったのに違いない、そんな想像もしてしまうのです。

フに落ちないのは、なんで盆踊りのような人通りの多い日に来てしまったのか?。でもそれは偶然で、馬場自身がビックリしていたのかも知れません。だからこそ帰りはパニックを避け、人の目が他に集中する「花火」の時刻を待って、車に乗り込みパン屋を後にした、そう考えることも出来るはずです。

その後、山本小鉄氏はジャイアント馬場から離れ、アントニオ猪木氏とともに新日本プロレスを立ち上げることになるのですが、1999年にジャイアント馬場が亡くなり、今回、山本小鉄氏もこの世を去りました。そうして、あの時代そのものが遠い昔のことになってしまった、そんな感じがしてならないのです。


そう言えば、あのパン屋もずいぶん前に無くなっています。駅前の姉妹店も、いつの間にか牛丼店になっていました。