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7月, 2006の投稿を表示しています

ブレード走行観光案内その2

★夏休み特集、ブレード観光案内の第二弾(これが最後?)。1996年に行われた三つのブレード走行の観光案内をします。 じつはこの翌年の1997年に、CG関係者の多いゴブリンズのメンバーの大半が、フルCG映画「ファイナルファンタジー」製作のためハワイに移住することになり、2年間の休止状態となってしまうのです。 その予感と言うか気配と言うか、そんなものを感じていたのでしょうか? 後になって読み返すと、面白おかしく書いているつもりが、何故かタイトルや文章中に寂寥感のようなものが漂っているのです。(走行記は現在削除されてます) ◎『伊豆決戦、ブレード対K2』 ◎ ルートラボ「茅ヶ崎 - 熱海」 ローラーブレード社と言うのは、インラインスケートの老舗メーカーで、一時ベネトンが親会社になったりしていました。その後サロモンやK2などもインラインスケートに参入して来たのですが、スキーブーツで蓄積されたノウハウが活かされたのでしょうか、ここで登場する森広君がK2製品を購入したところ、ローラーブレードと違って足の痛みがほとんど無いと言うことが判明しました。その品質対決の意味でこのタイトルを付けたのです。 ◎ 旧本陣・古清水旅館 小田原で泊まった旅館です。ここは決して大きくはないのですが、じつに立派な雰囲気のある旅館でした。それとどんな宿でも「変な霊はいないよな?」と探ってしまうのですが、ここはまったくそう言う怪しい気配の無い、清潔で高貴な感じのする宿でした。ただ飛び込みで夕食が間に合わず外食をしました。この宿の料理を食べてみたかったです。 *残念ながら、2009年の調べでは店じまいされた様子です。建物は取り壊され「高齢者専用複合住宅」に建替えられるとのこと。そのことが書かれたブログをリンクしました。 「東海道中膝栗毛」にも登場する歴史ある旅館と言うことで、とても惜しい気がします。 ◎『銚子の海は荒れていますか?』 ◎ ルートラボ「千葉 - 犬吠埼」 同じく森広君との二度目のブレード走行です。滑りそのものはいつもどおり面白かったのですが、時折り何故か孤独感にさいなまれる旅でした。読み返してみると、特にラストの文章にそんな雰囲気が漂っています。 ◎ 料 理の宿 ニュー大洋 ここは実際には泊まらなかったのですが、とにかく料理が美味しいと評判の民宿

つきみのへ行った、自転車で・・

★7月22日に大和市つきみの野球場で試合がありまして、僕はいつものごとく自転車で球場へと向かいました。往復で約60キロになります。 出発は8時半。11時開始なので、ホントは8時ちょうどに出たかったのですが、メンバーへの連絡のためと、自宅付近(東久留米)で小雨が降り始めたので、支度のやり直しに手間取り、けっきょく30分遅れて出発することになりました。 家を出て、武蔵境を過ぎるころから雨は上がり、それは何とかなったのですが、やはり峠越えはキツかったです。よみうりランド付近が一番の難所だと分かっていたので心して登って行ったわけですが、車通りが多くて大変でした。昔はこう言うところをローラーブレードで滑っていたので、今考えると少々恐ろしくなっては来ます。 写真はその峠の上から写したものです。本来なら眺めの良いはずの場所ですが、あまり見た目は良く無いです。日本は、都会は都会でゴミゴミしているし、ちょっと田舎だと、資材置き場とか廃車置き場に景観が破壊されていることが多いので、精神的にキツいものがあります。 まあとにかく、何とか登り切って、長い下り坂で息を吹き返すわけですが、じつはここを乗り越えても、まだまだ苦難の道は続いていたのですね。多摩川から南はもうほとんどが丘陵地帯で、どの道を走っても必ずこう配がついているのです。一度「よみうり峠」で体力を使い果たしているキャプテン高橋にとっては、少しの坂でもダメージが激しく、大変な思いをしました。 少し何処かで休憩すれば良かったのでしょうが、野球の開始時間が迫っていたので、そう言うわけにも行きませんでした。しかも、S選手から体調不良で欠場と言うメールが入り、O選手からは寝坊して1時間遅れになると言う電話が入り、つまり試合開始時点では8名しか集まらないと言うことが判明、急きょ骨折リハビリ中の「オレが出なければ!」と言う状況に追い込まれたのです。 そうこうする内、横浜市青葉区に入りました。大変な「山道?」でしたが、TBS緑山スタジオやこどもの国を通り過ぎるころには、辺りの風景が良くなって来て、山あり谷ありの気持のよいサイクリングを楽しむことが出来ました。 けっきょく大和市つきみの野球場に到着したのは11時ちょうどくらい。2時間半かかったことになりますね。これまでで一番大変な球場入りでしたが、曇りがちだったのが幸いし

手術後の王監督

★王監督の手術が成功したと言うことで、まずは一安心ですな。 ところで「手術の翌日に病室を5回歩いた」と言うことが医師団の記者会見で発表され、その回復の早さを各メディアが驚きと共に報道してましたけど、これは現代医学では当たり前のことで、珍しいことではない気がするのですが、どうですかね。 数年前、ウチの父も大腸ポリープで入院し、6時間くらいの摘出手術を受けたのですが、やはり翌日には歩いていました。いや、歩かされてましたよ。 術後、ゆっくり寝ていてはいかんそうです。専門的なことは分かりませんが、すぐに歩き出さないと患部が変な風に癒着したり、回復が遅くなったりするので、それらを防ぐ意味で朝起きたらすぐに歩かされるのだそうです。 特にお年寄りほど、筋力が弱ってそのまま寝たきり老人になってしまう恐れがあるため、ムリにでも起こされるものだそうです。 でも、その父の姿を見たときにはさすがにビックリしましたよ。ドラマやなんかでは、手術後すぐに起き上がろうとする頑固な患者を見つけた看護士が、「何してるんですか!ムリしちゃダメじゃないですか!」と一括するシーンをよく見ます。 そのイメージがあったので「どうなってんの?」と思ったわけなのですが、あれはじつは大昔のことなんだそうです。今ではすぐに起こして歩かせるのが医学の常識で、お産なんかでも、昔は産後1週間は寝かされたそうですが、現在ではやっぱりすぐ歩かされるようですね。 まあ、そんなようなことなので、身内の誰かが初めて入院・手術した時は、よくよく心した方がいいですよ。そう言うものだと思って見舞いに行かないと「病人になんてひどいことをする病院なんだ!」なんて勘違いをすることになりかねません。 じっさい、お年寄りが「看護士に虐待を受けた」と家族に告げ口し、病院側に詰め寄るなんてことも有ったそうですな。   

巨人連敗の原因はこれだ??

★すっかり弱くなってしまった「巨人」でも勝つことがあるんですね(失礼?)。今夜は勝ちました。まあ、これからケガ人が復帰してくればそこそこ盛り返すとは思うんですが・・ 解説者的な評価とは別に、以前から気になっていることがあるんです。これは1、2年前にもBBSで指摘したことなんですが、巨人応援団のあの、大チャンスの時に行われる「応援スタイル」が、巨人を弱くしている要因の一つではないか?と言う仮説です。 応援のようすを文章で表現するのは難しいのですが、あの、一糸乱れぬ「うおお、エイ!エイ! うおお、エイ!エイ!・・」ってな感じで始まり(数パターンがあるようですが)、トランペットの演奏と、やたらテンポの早いかけ声が延々と続くヤツです。 僕は少しですが学生時代に野球経験があり、現役の?草野球選手でもあります。同時にオーディオマニアだし、バンド活動もやってたし、絶対音感はありませんが、ギターをチューニングする時の「ラ」の音程度なら、音叉を使わずにだいたい合わせることが出来ます。 それくらい、それなりに音にも敏感だとは思っています。 なのでこれは、ただの当てずっぽうではなく、野球経験者としての運動神経、及び、音楽好きとしての音感を通した推理だと思って欲しいのですが、あの巨人応援団のスタイルは、どうも 「野球のリズムには合ってない」 ように思うんです。全体的に早すぎるし、途中のリズムの変化も大き過ぎですね。あれだと、バッターが構えてタイミングを取るまでの呼吸に合わないんです。 それだけでなく、あの応援そのものが、人間の不快感を刺激するものに仕上がっているような気がします。と言うのも、テレビ中継であれが始まると、急にひどい嫌悪感を感じて、どうしても聴くに堪えず、他に回してしまうことが多いんです。 で、少し前、ゴブリンズのN君から「西武対巨人の交流戦のチケットが有るので誰か行かないか」と言う申し出があった時も、骨折していてあまり遠出は出来ない状況だったんですが、西武ドームはウチから電車で30分だし、すごく「行きたいなあ!」と迷ったんです。ですが「まてよ、巨人戦だとあの応援が始まるかも?。だとするとスタンドで延々あれを聴かされることになる!」と思い、げんなりしてあきらめてしまったんです。それくらい、あの応援はホントに嫌いなんです。 で、真面目に思ったんですが、

「岬」をネット検索してみる

★むかしむかし、ゴブリンズメンバーのN君などと、インライン スケートでのロングツーリングをやっていた時期がありました。真夏の炎天下をインラインスケートで数日間(100km以上)滑り続けて旅をすると言う無棒?な行為です。 あの頃は「インターネット」はまだ普及しておらず、ゴブリンズの試合結果やいろんなエピソードなどは、全部ワープロで打って、コピーして製本して郵送する、と言う大変なことをやっていました。「ブレード走行記」もその一つです。 そのころ書いたもので「南房総に夏の終わりの夢を見た」「幻のBOSO100マイル」と言う二つの読み物があるのですが、その旅の途上で偶然立ち寄った「岬」と言う喫茶店で、面白いエピソードがありました。そのことをふと思い出しまして、その「岬」をインターネットで何気なく検索してみたら、出て来ました。そこそこの観光ポイントになってるんでしょうか。 (その後、喫茶・岬を舞台にした映画が作られました) 店そのもののホームページではありませんが、まだまだ健在でやっているようです。写真もいくつかありましたが、「こう言う建物だったかなあ?」と思うくらい記憶があやふやになってましたね。ただ色に関しては、我々が訪れた時とは確かに違っていました。壁のペンキを塗り替えたんでしょう。 今だったらこんな風にして、あのころ訪れた場所や宿などを、ネットで検索できるんですね。可能な限りリンクさせたら、ちょっとした観光案内が作れるかも知れないです。・・それにしても、毎年夏になると思い出してしまいます。 古いメンバーがいたころの話しなので知らない人も多いでしょうが、もし興味があったら、走行記も含めて参照してみてください。 ◎「岬」ネット情報 ◎ブレード走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」 ◎ブレード走行記「幻のBOSO100マイル」