2006年7月27日木曜日

ブレード走行観光案内その2

★夏休み特集、ブレード観光案内の第二弾(これが最後?)。1996年に行われた三つのブレード走行の観光案内をします。

じつはこの翌年の1997年に、CG関係者の多いゴブリンズのメンバーの大半が、フルCG映画「ファイナルファンタジー」製作のためハワイに移住することになり、2年間の休止状態となってしまうのです。

その予感と言うか気配と言うか、そんなものを感じていたのでしょうか? 後になって読み返すと、面白おかしく書いているつもりが、何故かタイトルや文章中に寂寥感のようなものが漂っているのです。(走行記は現在削除されてます)


◎『伊豆決戦、ブレード対K2』
◎ ルートラボ「茅ヶ崎 - 熱海」

ローラーブレード社と言うのは、インラインスケートの老舗メーカーで、一時ベネトンが親会社になったりしていました。その後サロモンやK2などもインラインスケートに参入して来たのですが、スキーブーツで蓄積されたノウハウが活かされたのでしょうか、ここで登場する森広君がK2製品を購入したところ、ローラーブレードと違って足の痛みがほとんど無いと言うことが判明しました。その品質対決の意味でこのタイトルを付けたのです。

◎ 旧本陣・古清水旅館
小田原で泊まった旅館です。ここは決して大きくはないのですが、じつに立派な雰囲気のある旅館でした。それとどんな宿でも「変な霊はいないよな?」と探ってしまうのですが、ここはまったくそう言う怪しい気配の無い、清潔で高貴な感じのする宿でした。ただ飛び込みで夕食が間に合わず外食をしました。この宿の料理を食べてみたかったです。

*残念ながら、2009年の調べでは店じまいされた様子です。建物は取り壊され「高齢者専用複合住宅」に建替えられるとのこと。そのことが書かれたブログをリンクしました。「東海道中膝栗毛」にも登場する歴史ある旅館と言うことで、とても惜しい気がします。



◎『銚子の海は荒れていますか?』
◎ ルートラボ「千葉 - 犬吠埼」

同じく森広君との二度目のブレード走行です。滑りそのものはいつもどおり面白かったのですが、時折り何故か孤独感にさいなまれる旅でした。読み返してみると、特にラストの文章にそんな雰囲気が漂っています。

◎ 料理の宿 ニュー大洋
ここは実際には泊まらなかったのですが、とにかく料理が美味しいと評判の民宿なので紹介しておきます。最初の泊まろうとした民宿の女将さんが、骨折して料理が作れないからと教えてくれのですが、「いつも満員だからダメかな?」との言葉通り、飛び込みではムリでした。その代わり「魚三」と言う、ここも料理の美味い民宿を紹介してもらい、そこに泊まったのでした(ネット検索で出て来ず)



◎『茨城46億年後の一期一会』
◎ ルートラボ「高萩 - 犬吠埼」

ブレード走行のクライマックスでした。同時に初期ゴブリンズの終焉となった年でもありました。今思うとタイトルが意味深です。この旅が終わったあと、森広君は仕事を求めて海外へ行き、その後、ゴブリンズとは連絡が途絶えてしまいます。

◎ 高萩海水浴場
出発地点の海。メンバーが「ゴブリンズの夏季キャンプ、ここで良かったんじゃないですか!」と叫んだほど美しい砂浜でした。

◎ 水木海水浴場
一日目の昼食後の休憩地。じつにのどかで、とろけてしまいそうな気持の良い海水浴場でした。

◎ 旅館 須賀屋
出発地の高萩ではビジネスホテル塚本に泊まったのですが、ネットでは住所と電話番号しか見つかりませんでした。二日目に泊まったのが須賀屋旅館です。見た目は近代的なビルでしたが、百年以上続いている由緒正しい旅館だそうです。料理が絶品で、新妻君のお気に入りでした。

◎ ひたち海浜公園
今では有名な大公園ですが、我々が通りかかった時はまだ造成中で、道路だけがだだっ広く出来上がっていました。その分車も少なく気持よく滑れたのかも知れません。

◎ 蛯の懐マリンプール
海の中に作られたプール。そのまま海水が引き込まれています。見た目がちょっとオシャレなプールなんですが「海の家(しかも昔風)」がありました。面白いので紹介。

◎ 大竹海水浴場
三日目の宿、民宿大竹は食事が感動的に美味しかったので紹介したいのですが、検索で見つかりませんでした。その代わり大竹海浴場を紹介します。ここは有名なライフセーバーがいる海岸とのことで、ライフセーバーを主人公にしたドラマ「早乙女タイフーン」のロケ地にもなったそうです。

◎ 波崎 かわたけ旅館 四日目の宿。騒々しい高校サッカー部のスポーツ合宿と重なり、大変な目にあった宿。Jリーグのサッカー選手も利用したことがあるそうです。野球場もあるようなので、ゴブリンズ合宿が出来なくもない?

◎ 長崎海水浴場
茨木46億年後の一期一会の終着点。ゴブリンズ最後の夏期キャンプ地。海岸からは犬吠埼の灯台が見えます。ここは弱小草野球チームのドラマ「コーチ」のロケ地で、宿泊した民宿大勢丸(ネット検索できず)はスタッフの休憩宿だったそうです。しかもブレード走行の途中でそのドラマを見ており、到着前に到着地をテレビ画面で目撃すると言う奇遇も体験しました。


  

2006年7月23日日曜日

つきみのへ行った、自転車で・・

★7月22日に大和市つきみの野球場で試合がありまして、僕はいつものごとく自転車で球場へと向かいました。往復で約60キロになります。

出発は8時半。11時開始なので、ホントは8時ちょうどに出たかったのですが、メンバーへの連絡のためと、自宅付近(東久留米)で小雨が降り始めたので、支度のやり直しに手間取り、けっきょく30分遅れて出発することになりました。

家を出て、武蔵境を過ぎるころから雨は上がり、それは何とかなったのですが、やはり峠越えはキツかったです。よみうりランド付近が一番の難所だと分かっていたので心して登って行ったわけですが、車通りが多くて大変でした。昔はこう言うところをローラーブレードで滑っていたので、今考えると少々恐ろしくなっては来ます。

写真はその峠の上から写したものです。本来なら眺めの良いはずの場所ですが、あまり見た目は良く無いです。日本は、都会は都会でゴミゴミしているし、ちょっと田舎だと、資材置き場とか廃車置き場に景観が破壊されていることが多いので、精神的にキツいものがあります。

まあとにかく、何とか登り切って、長い下り坂で息を吹き返すわけですが、じつはここを乗り越えても、まだまだ苦難の道は続いていたのですね。多摩川から南はもうほとんどが丘陵地帯で、どの道を走っても必ずこう配がついているのです。一度「よみうり峠」で体力を使い果たしているキャプテン高橋にとっては、少しの坂でもダメージが激しく、大変な思いをしました。

少し何処かで休憩すれば良かったのでしょうが、野球の開始時間が迫っていたので、そう言うわけにも行きませんでした。しかも、S選手から体調不良で欠場と言うメールが入り、O選手からは寝坊して1時間遅れになると言う電話が入り、つまり試合開始時点では8名しか集まらないと言うことが判明、急きょ骨折リハビリ中の「オレが出なければ!」と言う状況に追い込まれたのです。

そうこうする内、横浜市青葉区に入りました。大変な「山道?」でしたが、TBS緑山スタジオやこどもの国を通り過ぎるころには、辺りの風景が良くなって来て、山あり谷ありの気持のよいサイクリングを楽しむことが出来ました。

けっきょく大和市つきみの野球場に到着したのは11時ちょうどくらい。2時間半かかったことになりますね。これまでで一番大変な球場入りでしたが、曇りがちだったのが幸いしたようです。これが普通に晴れて気温が30℃を越えていたらどうなっていたことか‥‥

それから2試合4時間野球をやって、また3時間くらいかけて家まで帰りました。帰りはかなり「脳内麻薬」が分泌されてランニングハイになっていたのか、それとも覚悟が出来ていたせいなのか、行きよりもむしろ楽に走れたような気がしました。

家に着いて風呂に入ると、激しい筋肉痛で、思い通りに身体を動かすことさえ困難になっていましたが、おかしなことに、急激に心地よい達成感で満たされて行くのです。まあこれが、何故かやめられない理由なんでしょうかね。

なので、つきみのでやる時は、また自転車で行ってしまうかも知れません。もちろん帰ってから地図を調べ直し、コースの修正箇所が分かったので、次回はもっと楽しめる道になるとは思いますが・・・


  

2006年7月20日木曜日

ブレード走行観光案内?



夏休み特集!と言うことで?、個人的に思い入れのある「ブレード走行」で訪れた宿、観光スポットなどを検索してみました。始めてから15年が過ぎまして、不景気とかいろいろありましたが、あの時泊まった宿が健在でいるのは嬉しいものです。


◎ ブレード走行記道志渓谷に涼しい風が吹いていた
◎ ルートラボ「八王子 - 富士吉田」

これがインラインスケートによる初めての長距離走行でした。メインで滑った413号は道志川渓谷へ続く道ですが、中央高速が渋滞する時には富士山・山中湖までの裏道にもなると言うことです。ここを良く知っている友人・室田氏には「すごい山道なのに、よく滑る気になったもんだ」と呆れられました。確かにその通りでした。
スワロウデイル アンティークス(参考までに・室田氏の店)

◎ 津久井湖
最初の休憩ポイント。ここで通りすがりのオバさんに声をかけられましたが、あまりの疲労でやめようかと思った場所です。

◎ 道志川渓谷観光スポット
ブレード走行をした時期は6月でした。渓谷の眼下にキャンプ場などいろいろ見えましたが、何処も立ち寄りませんでした。

◎ 鶴屋旅館
初めて飛び込みで泊まった旅館。「何しに来たのか?」と問われたらどう答えようかと不安でしたが、何も聞かれませんでした。食事が美味しかったです。魚と肉と両方ついて量もたくさんありました。普段は主に釣り人が利用する宿のようです。

◎ 高嶺荘
到着地、山中湖畔の民宿です。食事が山菜中心で少し物足りない感じがしましたが、飛び込みだったので仕込みが間に合わなかったのかも知れません。ここは千葉真一さんごひいきの宿と言うことで、その日もジャパンアクションクラブのメンバーが合宿をしていました。



◎ 走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」
◎ ルートラボ「千葉 - 鴨川(館山ルート)」

◎ 走行記「幻のBOSO100マイル」
◎ ルートラボ「千葉 - 白浜」

上はゴブリンズの新妻君と出かけた走行記で、下は同じコースを単独走行した時のものです。が、1992〜1994年のこの頃から急激に「夏の気温」が上昇したような記憶があります。35℃越えのいわゆる酷暑ですね。そのため途中で熱中症を起こしリタイアしました。そのたどり着けなかった100マイル(160キロ)地点を「幻の」と言うタイトルで表現してみました。

◎ グランパークホテル
新妻君との旅での最初の宿です。木更津駅前の観光案内で紹介されたビジネスホテルでした。しかしアウトドア旅行の雰囲気が出ず、普通の旅館にすれば良かったと後悔したことろでもありました。

◎ 音楽と珈琲の店 岬
名前の通りホントに岬の迂回路ある奇妙な感じの喫茶店だったのですが、とにかく印象に残っています。「南房総に‥」「幻の‥」共にここへ訪れ、面白い経験をさせてもらいました。後日、ジャックマイヨールも訪れたことが有ると知りました。彼が描いたスケッチも置いてあったそうです。(2014年に、吉永小百合主演で、この岬の店を舞台にした映画「ふしぎな岬の物語」が公開されました)

◎ 富津岬
「幻の‥」では、ここで一日目のキャンプをしました。他にもいろいろあったみたいですが、あまりの疲労で記憶にはありません。

◎ 民宿北見
「南房総に‥」の二日目の宿。崖を滑りおりて砂浜を歩いていたら見つけました。とにかく食事が豪勢な民宿で、北海道出身の新妻君も大満足でした。しかも安い。

◎ すなとり三洋
(ホームページは無くなっていました。ストリートビューでは住宅になってました)
名称が印象的な宿でした。外観も印象的ですが、こんなだったかな?と記憶があやふやになっていました。ここは海の眺めが抜群に良かったので、遠藤氏(元ゴブリンズ)と再びブレード走行で訪れたのですが、秋口だったせいか寒々としてダメでした。やはり夏がベストのようです。

◎ 城崎海岸
房総ツーリングの終着点。かつて数年間続いたゴブリンズの夏期キャンプ地です。古いメンバーにはとても懐かしい海辺でもあるはずです。

★と言うことで、第一回?を終わります。が、検索がけっこう大変だと言うことが分かり、継続するかどうかは不明です。





  

2006年7月19日水曜日

手術後の王監督

★王監督の手術が成功したと言うことで、まずは一安心ですな。

ところで「手術の翌日に病室を5回歩いた」と言うことが医師団の記者会見で発表され、その回復の早さを各メディアが驚きと共に報道してましたけど、これは現代医学では当たり前のことで、珍しいことではない気がするのですが、どうですかね。

数年前、ウチの父も大腸ポリープで入院し、6時間くらいの摘出手術を受けたのですが、やはり翌日には歩いていました。いや、歩かされてましたよ。

術後、ゆっくり寝ていてはいかんそうです。専門的なことは分かりませんが、すぐに歩き出さないと患部が変な風に癒着したり、回復が遅くなったりするので、それらを防ぐ意味で朝起きたらすぐに歩かされるのだそうです。

特にお年寄りほど、筋力が弱ってそのまま寝たきり老人になってしまう恐れがあるため、ムリにでも起こされるものだそうです。

でも、その父の姿を見たときにはさすがにビックリしましたよ。ドラマやなんかでは、手術後すぐに起き上がろうとする頑固な患者を見つけた看護士が、「何してるんですか!ムリしちゃダメじゃないですか!」と一括するシーンをよく見ます。

そのイメージがあったので「どうなってんの?」と思ったわけなのですが、あれはじつは大昔のことなんだそうです。今ではすぐに起こして歩かせるのが医学の常識で、お産なんかでも、昔は産後1週間は寝かされたそうですが、現在ではやっぱりすぐ歩かされるようですね。

まあ、そんなようなことなので、身内の誰かが初めて入院・手術した時は、よくよく心した方がいいですよ。そう言うものだと思って見舞いに行かないと「病人になんてひどいことをする病院なんだ!」なんて勘違いをすることになりかねません。

じっさい、お年寄りが「看護士に虐待を受けた」と家族に告げ口し、病院側に詰め寄るなんてことも有ったそうですな。


  

2006年7月15日土曜日

巨人連敗の原因はこれだ??

★すっかり弱くなってしまった「巨人」でも勝つことがあるんですね(失礼?)。今夜は勝ちました。まあ、これからケガ人が復帰してくればそこそこ盛り返すとは思うんですが・・

解説者的な評価とは別に、以前から気になっていることがあるんです。これは1、2年前にもBBSで指摘したことなんですが、巨人応援団のあの、大チャンスの時に行われる「応援スタイル」が、巨人を弱くしている要因の一つではないか?と言う仮説です。

応援のようすを文章で表現するのは難しいのですが、あの、一糸乱れぬ「うおお、エイ!エイ! うおお、エイ!エイ!‥‥」ってな感じで始まり(数パターンがあるようですが)、トランペットの演奏と、やたらテンポの早いかけ声が延々と続くヤツです。

僕は少しですが学生時代に野球経験があり、現役の?草野球選手でもあります。同時にオーディオマニアだし、バンド活動もやってたし、絶対音感はありませんが、ギターをチューニングする時の「ラ」の音程度なら、音叉を使わずにだいたい合わせることが出来ます。それくらい、それなりに音にも敏感だとは思っています。

なのでこれは、ただの当てずっぽうではなく、野球経験者としての運動神経、及び、音楽好きとしての音感を通した推理だと思って欲しいのですが、あの巨人応援団のスタイルは、どうも「野球のリズムには合ってない」ように思うんです。全体的に早すぎるし、途中のリズムの変化も大き過ぎですね。あれだと、バッターが構えてタイミングを取るまでの呼吸に合わないんです。

それだけでなく、あの応援そのものが、人間の不快感を刺激するものに仕上がっているような気がします。と言うのも、テレビ中継であれが始まると、急にひどい嫌悪感を感じて、どうしても聴くに堪えず、他に回してしまうことが多いんです。

で、少し前、ゴブリンズのN君から「西武対巨人の交流戦のチケットが有るので誰か行かないか」と言う申し出があった時も、骨折していてあまり遠出は出来ない状況だったんですが、西武ドームはウチから電車で30分だし、すごく「行きたいなあ!」と迷ったんです。ですが「まてよ、巨人戦だとあの応援が始まるかも?。だとするとスタンドで延々あれを聴かされることになる!」と思い、げんなりしてあきらめてしまったんです。それくらい、あの応援はホントに嫌いなんです。

で、真面目に思ったんですが、あれは、同様に選手たちにも悪影響を及ぼしている、なんてことはないでしょうか?。応援のつもりが、かえってバッターの集中力を失わせていやしませんか?。

「音」と言うのは、我々が考えている以上に、人間の心理や肉体に影響を及ぼすものだそうです。以前、JR中央線で人身事故が多発した時、電車の出発の合図の音、チャイムが、不安や焦燥感を誘発するようなメロディになっていると指摘した心理学者がいまして、音階の改善を行うようにと新聞のコラムに書いていたのを覚えています。

それとか、バッハを聴くと頭痛が和らぐとか、モーツアルトだと血流が良くなるとか、音楽療法なんてのも有りますよね。音って、それくらいの影響力を持つものなんです。だから、応援団のあれだけ大きな音だったら、良くも悪くも、選手たちに何らかの影響を与えていてもおかしくは有りません。

選手たちは「打席では集中して聴こえなくなるから気にならない」と言っていますが、聴こえないとは言っても、けっきょく鼓膜や骨が振動しているし、その信号は直接脳に送られてしまうので、どんどん潜在意識の中に蓄積されて行くはずなんですね。

それと、身体で感じる「音圧」と言うものが有ります。最近の農業では、作物にクラッシックを聴かせて成長を早める栽培法があるそうですが、植物はメロディを聴いているわけじゃないので、「音圧」が細胞分裂に影響を及ぼしていると言うことになりますね。

それと同じことは人間にも起こります。実際には聞こえていない、風力発電用のプロペラが出す低周波の音で体調を崩す人が出たと言うニュースもありました。

もしその音が良性のものならいいのですが、悪影響となる音源を、5年も6年も、毎試合聴かされ続けたとしたら・・?。身体、特に自律神経系に影響し、少しずつ調子を落としたり、体調を崩したりすることが有るかもしれません。そう言う集中力を失った状況で激しい試合をすれば、ミスの多発、ケガ人が出やすくなることも考えられます。

詳しく調べてみなければ分かりませんが、もしかすると、あの応援スタイルが始まった時期と、巨人が低迷を始めた時期はリンクしているかも知れません。それだけではなく、巨人戦の視聴率が落ちはじめた時期とも重なっている恐れがあります。

つまり、僕以外にも、あの応援に何か嫌悪感を感じて、いたたまれずチャンネルを変えてしまう野球ファンが多数現れているかも知れない?と言うことです。もちろん僕のようにハッキリと意識した人は少ないかも知れませんが、無意識のうちと言うことはあり得ると思います。

とにかくまあ、鳴り物の応援はそろそろヤメにしませんか?。でなければ、もっとシンプルで効果的なリズムでやって欲しいものです。けっきょく「カッ飛ばせー・・・!!」くらいの平凡なのが一番いいんじゃないでしょうかね。

何より、あまりに一糸乱れぬ統一された応援って、北朝鮮のマスゲームを思い出して気持ち悪いんです。・・ったく、誰が作ったんでしょうね、あの応援歌?

恐らく野球をやったことが無い人が作ったんだと思います。でなければ、あんなリズム感は僕には理解できません。まあ、ハッキリ言ってはた迷惑です。・・って、こんな辺境のブログで書いても、誰も見向きもしないとは思いますがね。

でも、あの巨人式応援をヤメたら、何かが変わることは確かですよ。たぶんそれはいい方向に違いない、とも確信しています。


  

2006年7月7日金曜日

「岬」をネット検索してみる

★むかしむかし、ゴブリンズメンバーのN君などと、インラインスケートでのロングツーリングをやっていた時期がありました。真夏の炎天下をインラインスケートで数日間(100km以上)滑り続けて旅をすると言う無棒?な行為です。

あの頃は「インターネット」はまだ普及しておらず、ゴブリンズの試合結果やいろんなエピソードなどは、全部ワープロで打って、コピーして製本して郵送する、と言う大変なことをやっていました。「ブレード走行記」もその一つです。

そのころ書いたもので「南房総に夏の終わりの夢を見た」「幻のBOSO100マイル」と言う二つの読み物があるのですが、その旅の途上で偶然立ち寄った「岬」と言う喫茶店で、面白いエピソードがありました。そのことをふと思い出しまして、その「岬」をインターネットで何気なく検索してみたら、出て来ました。そこそこの観光ポイントになってるんでしょうか。

(その後、喫茶・岬を舞台にした映画が作られました)

店そのもののホームページではありませんが、まだまだ健在でやっているようです。写真もいくつかありましたが、「こう言う建物だったかなあ?」と思うくらい記憶があやふやになってましたね。ただ色に関しては、我々が訪れた時とは確かに違っていました。壁のペンキを塗り替えたんでしょう。

今だったらこんな風にして、あのころ訪れた場所や宿などを、ネットで検索できるんですね。可能な限りリンクさせたら、ちょっとした観光案内が作れるかも知れないです。・・それにしても、毎年夏になると思い出してしまいます。

古いメンバーがいたころの話しなので知らない人も多いでしょうが、もし興味があったら、走行記も含めて参照してみてください。


◎「岬」ネット情報

◎ブレード走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」

◎ブレード走行記「幻のBOSO100マイル」