ショート・ストーリー「クリスマスイヴの配達人」
今から40年以上前、お中元・お歳暮が全盛期の頃のお話しです・・
*
アオタニ君が、配送所の事務室の扉を開け、荷物を積み終え倉庫にいたムラオカさんに向かって、大声を出した。
「はいはーい、えーっと、花っ? 花ですか・・」
「ハイッ、そのようです」
ムラオカさんは自称三十歳の自由人。勤めはせず、今日もアルバイトに精を出す。今で言うフリーターであるが、ただし女房持ち。毎日助手席に愛妻弁当を積んでいる。その定職を持たない大人の姿は、当時二十歳の学生だった僕にとって、それはそれは不思議な人物に見えた。
彼は荷物の花を受け取り、赤いマジックで日付の書かれた伝票をじっと読んでいた。「クリスマス・イブに、花の贈り物?。贈り主は男で、受取人は女か・・。まいりましたね、こりゃあ、大役だ・・」
「ハイッ!」
アオタニ君が嬉しそうに返事をする。
ムラオカさんは、透明なセロファンで包まれた花を覗き込み、中に添えられた手紙を見つけた。「・・わかりました。こんな大切な荷物を、私のようなヤボな男が届けるのはやや気がひけるが、手渡すときには心を込めて、“メリー・クリスマス”とでも言ってやりましょう」
「ハイッ!。お願いします!」
アオタニ君はそう言って、ムラオカさんを送り出した。それから彼は、事務室に置かれた会議用テーブルに向かって座り直し、紛失した伝票の再発行作業の続きを始めた。
周囲では、これから配達に向かおうとしているアルバイト達が、慌ただしく動き回っていた。彼らが事務室の扉を開けるたびに、倉庫の方から、冬の朝の冷たい空気が流れ込んで来た。
さて、そろそろ僕にも出発の時刻が迫っている・・と想ったとき、アオタニ君が急に手を止め、顔を上げて、伝票チェックをしていた僕の顔を見つめたまま、しばらく黙っていた。僕がその妙な様子に気づいて、んっ?と言う具合にアオタニ君を見返すと、彼はその瞬間を待っていたかのように、口を開いた。
「この仕事が終わったら、タカハシさんち、遊びに行ってもいいですか?」
いきなりだったが、さわやかな笑顔が違和感を感じさせなかった。
「どんな絵を描くのか、見てみたいんですよ」
ためらう理由は無かった。
「いいよ」
すると彼は、答えを聞くなり振り向いて、隣で伝票整理をしていた女の子に言った。「キムラさん、いっしょに行ってみませんか。“ヨックモック”持って・・」
彼女はヨックモックと言う言葉にひとしきり笑ってから、快く頷いた。そして何故か、そのまま視線を下にやってしまうのだった。僕も、なるほど、と笑って、「いつでもどうぞ。“ヨックモック”を忘れないように」と付け加えた。
その日は朝から小雪がちらついていた。
僕は11月の末ごろから大学を休んで、お歳暮配達のアルバイトを始めていた。一カ月で軽く三十万を越えるこの仕事は、多少きついけれど貴重な資金源であった。しかしそれも今日で終わることになっていた。12月24日、疲労がピークに達していた。
家から車に乗り、配送所に着くと、内勤の女の子達が空を見上げて騒いでいた。僕は、雪ぐらい珍しくも無いぞ、と言うそぶりで配送所の入り口へ向かったが、彼女達はどうやら、雪が積もってホワイト・クリスマスになるかも知れない、と言うことに興奮しているらしかった。
「そっか、クリスマス・イブなんだよ今日は。でも、関係ないね」
それよりも、この仕事を早く終わらせてゆっくり絵を描きたい。僕は、そのことで頭が一杯だった。それくらい体は疲れていたし、精神的な余裕も無くなっていた。
この仕事は、お歳暮の小包を軽四輪で配達すると言うものだが、たとえば僕の場合、一日に150個ほど運ぶから、朝9時ぐらいから始めて夕方6時辺りを制限時間とすると、1時間に約16個から17個、つまり休み無しで配達しても、1分間に3個から4個づつさばかなければ終わらない。だから、力仕事ではないのに、この時間に追われるプレッシャーに疲れ果てて来るのである。
アオタニ君は配達員ではなく、内勤だった。几帳面で責任感が強く、明るくさわやか。所長からも気に入られて、いつの間にか内勤の班長のようになっていた。じつは、彼と僕とは、ちょっとした縁でつながっていた。彼の兄が偶然にも、僕の高校時代の級友だったのである。
僕は11月の末ごろから大学を休んで、お歳暮配達のアルバイトを始めていた。一カ月で軽く三十万を越えるこの仕事は、多少きついけれど貴重な資金源であった。しかしそれも今日で終わることになっていた。12月24日、疲労がピークに達していた。
家から車に乗り、配送所に着くと、内勤の女の子達が空を見上げて騒いでいた。僕は、雪ぐらい珍しくも無いぞ、と言うそぶりで配送所の入り口へ向かったが、彼女達はどうやら、雪が積もってホワイト・クリスマスになるかも知れない、と言うことに興奮しているらしかった。
「そっか、クリスマス・イブなんだよ今日は。でも、関係ないね」
それよりも、この仕事を早く終わらせてゆっくり絵を描きたい。僕は、そのことで頭が一杯だった。それくらい体は疲れていたし、精神的な余裕も無くなっていた。
この仕事は、お歳暮の小包を軽四輪で配達すると言うものだが、たとえば僕の場合、一日に150個ほど運ぶから、朝9時ぐらいから始めて夕方6時辺りを制限時間とすると、1時間に約16個から17個、つまり休み無しで配達しても、1分間に3個から4個づつさばかなければ終わらない。だから、力仕事ではないのに、この時間に追われるプレッシャーに疲れ果てて来るのである。
アオタニ君は配達員ではなく、内勤だった。几帳面で責任感が強く、明るくさわやか。所長からも気に入られて、いつの間にか内勤の班長のようになっていた。じつは、彼と僕とは、ちょっとした縁でつながっていた。彼の兄が偶然にも、僕の高校時代の級友だったのである。
アルバイトを始めて間もなく、彼が級友のアオタニ兄にあまりに似ており、声もそっくり、名字も“アオタニ”だったので、もしやと思い確かめて見たのだ。すると彼は、「えっ!? あなたがタカハシさんなんですか。そうですか、驚きました。うわさは兄からいつも聞いてます!」と僕以上に驚いて見せたのである。
僕も兄貴のアオタニから、弟のアオタニ君のことは良く聞かされていた。兄と違って、真面目で勤勉、さらに絵心が有り、デザイナーを目指しているしっかり者、と聞いていた。正にその通りの人物だった。
それはよいのだが、「お兄さん、どうしてる?」と僕が尋ねて、「兄貴は、駅前の写真館で、カメラマンのアシスタントをしています」
・・と言う答えを聞いたその翌日、配達の途中たまたま、駅から何キロも離れた商店街の「立ち食いそば屋」に入って見ると、なんとそこに、白衣を着てそばを茹でているアオタニ兄を発見したのである。実に、三年振りの再会であった。
人生とはこんなものだ。会う時には不自然なくらいバタバタと会う。
そのアオタニ兄から、立ち食いそば屋は、写真館が副業でやっている店であり、新人はここで半年間の修行をしなければ一人前にはなれないと言う、奇抜な話を聞かされた。ひとしきり再会の挨拶をかわし、僕はタヌキそばの玉子入りを頼んだ。彼は手際良くそばを僕の前に置き、笑った。エビ天が一つ、おまけに付いていた。
他の客も数人待っていたので、それ以上の深い会話にはならなかった。僕も、名残り惜しそうにするのは少し気恥ずかしい気がして、「それじゃ、また」と、わざとあっさり店を出ることにした。結局それきりだった。以来二十数年、彼とは会ってはいない。
配送所へ戻って、兄貴と会った話しをすると、アオタニ君は驚いて、「えーっ?、ウワサをすればってやつですか!。そんな所にいたとは・・。ボクも兄貴には一年ぐらい会ってないんですよ。ホント、偶然って怖いなあ。・・じつはですねえ、もう一人、偶然が現れたんですよ」
と言って、奥で伝票の区分けをしていた男を指さした。「今まで気がつかなかったけど、オオノさんって、兄貴の中学時代のクラスメートだったそうです」
その声が聞こえたらしく、オオノと言う男は僕達の方を振り向いた。そして、「どうも、奇遇です。」と笑い、「アオタニと高校の同級なんだって?。弟に聞いたよ」とあきれる格好をした。やっぱり、今日はバタバタとしている。
「高校は確か、錦城高校だったよな?」
「そう、錦城」
「芸大なんだって?。凄いね、錦城から国立って、凄いよ」
少し馬鹿にしたような口ぶりだ。
「だろうな。創立以来、国立に入ったのオレが初めてらしい。校長からじきじきにお祝いの電話がかかって来たくらいだ」
その当時錦城高校と言うのは、どうしようもない落ちこぼれ高校で、いわゆる『滑り止め』と言われていた学校である。僕はまさに、辛うじてその滑り止めに引っ掛かったのであった。(ちなみに所ジョージさんはこの高校の先輩で、B’zの松本孝弘氏は後輩に当たります。そして現在は大変優秀な高校に変貌しています)
「弟の方はデザイナーを目指してるんだってな」
オオノは、アオタニ弟を見て言った。
「そうです。デザイン会社を作るつもりなんです」
アオタニ君はよどみなく言うのだった。
「頼もしい!。行き当たりばったりの兄貴とはエライ違いである」
「まったく!」その意見に僕も賛同した。
高校時代、アオタニ兄は学校にいる間ずっと寝ていたような気がする、そんな記憶しか無い。そして想い出したように目を覚ましては、「あのなあタカハシ、オレは、自分の子供が女の子だったら、*トルコって名前にしようと思う。アオタニ・トルコ、どうだ?」(注*トルコ=ソープランドの旧称)
・・と言ったような、どうしようもないことを言ったかと想うと、またいきなり机に伏せると言う日常を繰り返していた。そして、休み時間が来るとむっくり起き上がっては姿を消し、やがて煙草臭くなって帰って来る、それが日課であった。
ふつう、長男と次男って、この逆がホントなんじゃないかなあと、僕は何組かの兄弟を想い出しては、頭の中で比べていた。
「でもタカハシさん、24日で終わりなんですよね」
アオタニ君が残念そうに言った。
「あっ、ギリギリまでやらないの?」
オオノ君も少し驚いて見せた。
「一度、大学へ行かないと。おいて来た荷物があるんだ」
「そうか、ゆっくり酒でも飲みたいところだが、まだまだ仕事は続くもんで」
「ああ、気にしないでくれよ」
気がつくと、キムラさんがすぐ隣で話しを聞いていた。小柄な彼女が、また明るい笑顔を見せていた。
・・そう言えば、僕達は、彼女のこの笑顔にずいぶん救われたような気がする。配達が終わり、疲れ果てて配送所の扉を開けたとき、明るい彼女の姿がそこにある。“あの人がいるから、またそこへ行きたくなる”と想わせる人物は素敵だ。彼女はまさにそう言う女性だった。
だが、彼女がどんな素性の人だったのか、詳しく聞いたことはなかった。年は幾つなのか、学生なのか、何も解らないままだった。このアルバイトは約一ケ月ぐらいの短期で、顔見知りになる頃に別れが来る。しかも僕達配達員は一日中外に出ているから、ほとんど内勤の人と話しをする機会は無いのである。
それでも、その彼女と初めて口を聞くようになったのは、僕が荷物の仕分けをしているときのことだった。手伝ってくれていた彼女が、ずっと無言のまま、つまらなそうだったので、何かしら話しかけようかと想っていた。そこへ、荷物の一つに“ミルクパン”と言うのを見つけたのだ。
「お歳暮にわざわざ三越から“パン”なんて贈るかよ!。パンはパン屋で買えよなあ!」と、わりと真面目に批判して見せた。彼女は最初キョトンとしていたが、急に吹き出したかと想うと、そのまま笑い転げてしまったのである。
「あれっ、ウケた?」
と想ったが、何がウケたのか解らず、今度はこちらがキョトンとして、
「どうしたの?」
と尋ねると、彼女はついに腹を抱えてしゃがみこんでしまったのである。
「これ・・、ミルクを沸かす・・、お鍋のことです・・」
笑いながら、やっと答えた。
「ええっ!?。ミルクたっぷりの、とてもクリーミーなパンのことじゃないの・・?」
そうか、食べ物の“パン”って言うのは、確かポルトガル語だったなよあと思い出し、かなり恥ずかしかったが、まあ、とにかくウケたので、これはこれでヨシとすることにした。それに、そのことを切っ掛けにして、彼女とも気楽に話せるようになったし。
十二月も半ばに来るころ、彼女は荷物のことは何でも解るようになっていた。そこで僕は、随分前から気になっていた品物について、尋ねてみることにした。
「キムラさん、これ、ヨックモックって何んですか?」
あるとき配達順に伝票を並べながら僕は、“ヨックモック”と言う品物の正体が知りたくなったのだ。
「ええっ!、知らないんですかあ?」
彼女は意外なほど驚いた。しまった、オレはまた田舎者を暴露してしまったのか。
「えっ?、ああ・・、うん、知らないんだ。ハンモック、とは、違うよなあ」
キムラさんは顔を崩してもう笑い初めている。とにかくよく笑う。
「ひとつひとつ袋に入っている、ビスケットみたいなものです。わたしはチョコでくるんであるのが好きです」。そう言って彼女は、隣に座っているアオタニ君に補足説明を求めるように振り返った。
「タカハシさん、木炭の入れ物によく使われている缶、知りませんか。木炭デッサンのときの」アオタニ君は真顔で言った。
「ああ? あの四角い、シマウマ模様の缶のことか?」
「ええ、そうです、あの缶に入ってるのが、ヨックモックなんですよ」
「なにい?、そうだったのかあ?!」
「そうです。わかりましたか」
不覚であった。いつも目の当たりにしていながら正体も解らず、横目で見ていたあの缶。そしてその缶欲しさに、さ迷い歩いたあの日々・・
僕達画学生は、デッサン用の木炭や鉛筆を持ち歩くために、おのおの空き箱や空き缶を筆箱代わりに用意していた。中でもそのシマウマ模様のそれは、大きさといいデザインといい、まさに理想的な空き缶で、僕もなんとかして手に入れたいと想っていた。その憧れの木炭入れの缶、その中に入っていた物が、このヨックモックと呼ばれているお菓子だったとは・・
「お中元やお歳暮としては、カルピス、サラダ油と並ぶ定番ですよ」
確かに、オレんちに来る物と言えば、樽酒とか荒巻きじゃけとか、野蛮なものばかりだった。だからついにヨックモックと巡り会うチャンスは来なかったのだ。おそらくこれはオレ達とは縁遠い、ハイソサエティな人々が贈りあう、かなり繊細で高級な御菓子に違いない。
「そうか、そうだったのか。・・オレは、一度でいいから、ヨックモックを食べてみたいなあ」と僕は、冗談っぽくため息をついたつもりだったが、キムラさんは本気で気の毒に想ったらしく、「こんど、買って来てあげましょうか?」と慰めるように言うのだった。
だが、彼女がどんな素性の人だったのか、詳しく聞いたことはなかった。年は幾つなのか、学生なのか、何も解らないままだった。このアルバイトは約一ケ月ぐらいの短期で、顔見知りになる頃に別れが来る。しかも僕達配達員は一日中外に出ているから、ほとんど内勤の人と話しをする機会は無いのである。
それでも、その彼女と初めて口を聞くようになったのは、僕が荷物の仕分けをしているときのことだった。手伝ってくれていた彼女が、ずっと無言のまま、つまらなそうだったので、何かしら話しかけようかと想っていた。そこへ、荷物の一つに“ミルクパン”と言うのを見つけたのだ。
「お歳暮にわざわざ三越から“パン”なんて贈るかよ!。パンはパン屋で買えよなあ!」と、わりと真面目に批判して見せた。彼女は最初キョトンとしていたが、急に吹き出したかと想うと、そのまま笑い転げてしまったのである。
「あれっ、ウケた?」
と想ったが、何がウケたのか解らず、今度はこちらがキョトンとして、
「どうしたの?」
と尋ねると、彼女はついに腹を抱えてしゃがみこんでしまったのである。
「これ・・、ミルクを沸かす・・、お鍋のことです・・」
笑いながら、やっと答えた。
「ええっ!?。ミルクたっぷりの、とてもクリーミーなパンのことじゃないの・・?」
そうか、食べ物の“パン”って言うのは、確かポルトガル語だったなよあと思い出し、かなり恥ずかしかったが、まあ、とにかくウケたので、これはこれでヨシとすることにした。それに、そのことを切っ掛けにして、彼女とも気楽に話せるようになったし。
十二月も半ばに来るころ、彼女は荷物のことは何でも解るようになっていた。そこで僕は、随分前から気になっていた品物について、尋ねてみることにした。
「キムラさん、これ、ヨックモックって何んですか?」
あるとき配達順に伝票を並べながら僕は、“ヨックモック”と言う品物の正体が知りたくなったのだ。
「ええっ!、知らないんですかあ?」
彼女は意外なほど驚いた。しまった、オレはまた田舎者を暴露してしまったのか。
「えっ?、ああ・・、うん、知らないんだ。ハンモック、とは、違うよなあ」
キムラさんは顔を崩してもう笑い初めている。とにかくよく笑う。
「ひとつひとつ袋に入っている、ビスケットみたいなものです。わたしはチョコでくるんであるのが好きです」。そう言って彼女は、隣に座っているアオタニ君に補足説明を求めるように振り返った。
「タカハシさん、木炭の入れ物によく使われている缶、知りませんか。木炭デッサンのときの」アオタニ君は真顔で言った。
「ああ? あの四角い、シマウマ模様の缶のことか?」
「ええ、そうです、あの缶に入ってるのが、ヨックモックなんですよ」
「なにい?、そうだったのかあ?!」
「そうです。わかりましたか」
不覚であった。いつも目の当たりにしていながら正体も解らず、横目で見ていたあの缶。そしてその缶欲しさに、さ迷い歩いたあの日々・・
僕達画学生は、デッサン用の木炭や鉛筆を持ち歩くために、おのおの空き箱や空き缶を筆箱代わりに用意していた。中でもそのシマウマ模様のそれは、大きさといいデザインといい、まさに理想的な空き缶で、僕もなんとかして手に入れたいと想っていた。その憧れの木炭入れの缶、その中に入っていた物が、このヨックモックと呼ばれているお菓子だったとは・・
「お中元やお歳暮としては、カルピス、サラダ油と並ぶ定番ですよ」
確かに、オレんちに来る物と言えば、樽酒とか荒巻きじゃけとか、野蛮なものばかりだった。だからついにヨックモックと巡り会うチャンスは来なかったのだ。おそらくこれはオレ達とは縁遠い、ハイソサエティな人々が贈りあう、かなり繊細で高級な御菓子に違いない。
「そうか、そうだったのか。・・オレは、一度でいいから、ヨックモックを食べてみたいなあ」と僕は、冗談っぽくため息をついたつもりだったが、キムラさんは本気で気の毒に想ったらしく、「こんど、買って来てあげましょうか?」と慰めるように言うのだった。
あまり真面目に言われたので、ほんとに情けなくなって来たが、
「チョコでくるんであるやつ」とお願いしてしまった。
そのやりとりを聞いていたアオタニ君が、閃いたようだった。
「そうだ!。今度、仕事が終わったあと、コーヒーを入れて、みんなで食べませんか」。アオタニ君はそう提案して、キムラさんに合図した。すると彼女もニコっとした。
「チョコでくるんであるやつ」とお願いしてしまった。
そのやりとりを聞いていたアオタニ君が、閃いたようだった。
「そうだ!。今度、仕事が終わったあと、コーヒーを入れて、みんなで食べませんか」。アオタニ君はそう提案して、キムラさんに合図した。すると彼女もニコっとした。
僕はニヤリと二人の様子をうかがった。この二人は近ごろ怪しいのだ。気がつくといつも隣りどうしで座っているし、仕事をしながらも、何かしら世間話しをして良く笑い、楽しそうである。
僕達が外で配達中に、配送所で何が起こっているのか解らないが、彼女がアオタニ君に惹かれたとしても、それは不思議ではない。それほど彼は魅力ある人物だった。たとえば、どんな無理な仕事でも、彼の頼みなら何とかしなければと想ってしまうような、そう言う雰囲気を持った男だった。
しかし残念ながら、あまりの忙しさのため、ついにそのヨックモック・パーティーは実現されないまま、僕は先に最終日を迎えることになった。生真面目なアオタニ君の性格から察すれば、そのことをけっこう気にかけていたのかも知れない。そして同時に、自分に残された時間があと僅かになっていることにも、気がついていたはずなのだ。
僕達が外で配達中に、配送所で何が起こっているのか解らないが、彼女がアオタニ君に惹かれたとしても、それは不思議ではない。それほど彼は魅力ある人物だった。たとえば、どんな無理な仕事でも、彼の頼みなら何とかしなければと想ってしまうような、そう言う雰囲気を持った男だった。
しかし残念ながら、あまりの忙しさのため、ついにそのヨックモック・パーティーは実現されないまま、僕は先に最終日を迎えることになった。生真面目なアオタニ君の性格から察すれば、そのことをけっこう気にかけていたのかも知れない。そして同時に、自分に残された時間があと僅かになっていることにも、気がついていたはずなのだ。
「この仕事が終わったら、タカハシさんち、遊びに行ってもいいですか?」
アオタニ君はさわやかな笑顔で言った。
「どんな絵を描くのか、見てみたいんですよ」
この仕事が終わり年が明けたら、彼女も含め、改めて三人でヨックモック・パーティーをやろうと言う。僕はふと、これは彼の作戦なのだと気づいた。“絵を見に行く”ことと、果たせなかった“ヨックモック・パーティー”と言う口実。切っ掛けを作るには好都合だ。
「そっか・・」
僕は自分がいいように使われたような気もしたが、しかし、相手はアオタニ君である。こう言う役もまたいいだろう。
「“ヨックモック”を忘れないように・・」
僕は彼女に向かって、念を押した。
アオタニ君はさわやかな笑顔で言った。
「どんな絵を描くのか、見てみたいんですよ」
この仕事が終わり年が明けたら、彼女も含め、改めて三人でヨックモック・パーティーをやろうと言う。僕はふと、これは彼の作戦なのだと気づいた。“絵を見に行く”ことと、果たせなかった“ヨックモック・パーティー”と言う口実。切っ掛けを作るには好都合だ。
「そっか・・」
僕は自分がいいように使われたような気もしたが、しかし、相手はアオタニ君である。こう言う役もまたいいだろう。
「“ヨックモック”を忘れないように・・」
僕は彼女に向かって、念を押した。
ムラオカさんが配達から帰って来たのは、すっかり日が落ちた六時半頃のことだった。僕は先に戻って、持ち戻った荷物を倉庫の棚に戻したあと、終了した伝票に配達員のサインをしていた。
「うけとり、じたーい!」
ムラオカさんは、白い息と共に、のそりと事務室の入り口に立っていた。そして、わりと大きな声でこう言った。
「受け取り辞退でーす!」
そう言って、周囲の注目を浴びながら、出発のときと同じ格好で、セロファンを被せた花の植木鉢を抱え、所長の机の上に置いた。
「おーっと、大変だよ、これは・・」
所長はそう言って、持ち上げて伝票を確認したあと、その花を返品の棚に戻した。
「うけとり、じたーい!」
ムラオカさんは、白い息と共に、のそりと事務室の入り口に立っていた。そして、わりと大きな声でこう言った。
「受け取り辞退でーす!」
そう言って、周囲の注目を浴びながら、出発のときと同じ格好で、セロファンを被せた花の植木鉢を抱え、所長の机の上に置いた。
「おーっと、大変だよ、これは・・」
所長はそう言って、持ち上げて伝票を確認したあと、その花を返品の棚に戻した。
「どうだったんですか?」
アオタニ君がムラオカさんに聞いた。
「贈り主の名前を見るなり、“これは受け取れません”と言うことでした」
「だめだったんですか・・」
事情を知っている数人の者が、「おー」とか「あーあ」とか言ってニヤニヤし、知らない者に説明を始めた。
「なんだか、こっちが落ち込んでしまって・・」
ムラオカさんは椅子に腰掛けながら、ため息をついた。
「まるで自分がフラれたような気分ですよ」
「そんな・・」
アオタニ君が苦笑しながら言った。
「どんな女だった?」
オオノが興味深々の口調で尋ねた。
「二十五、六ぐらいかな、なかなか奇麗な人でしたよ」
「性格、悪そうだった?」
「そんなことは無いでしょう。だいたい、そんなことまで解りませんよ」
「ふーん。でも、大したもんだ」
ムラオカさんは、それには黙っていた。
「このお花は、どうするんですか?」
キムラさんが立ち上がって所長に近づき、尋ねた。
「差出人に戻すんだよ」
まだ三十代前半の、若い所長が椅子に座り直しながら、口元に笑みを浮かべて答えた。
「もったいないです」
「ん?。そうだねえ」
「今から戻したら、しおれちゃいますよ」
「ん?・・うん」。所長は仕事を続けながら生返事である。
周囲の者たちは、彼女の姿を見てニヤニヤざわついていた。
「お水、あげてもいいですか?」
キムラさんがみんなの冷やかしを遮るように、キゼンとした声で言った。それを聞くと、所長も上目使いで彼女の顔を見、黙ったまま小さく何度も頷いた。
室内が静かになっていた。さっきまで冷やかし笑いをしていた者も、机に向かって真顔で仕事を続けていた。ガスストーブの燃える音だけが聞こえていた。
「・・嘆くな、少女よ」
ムラオカさんが見かねて、ふざけた調子で言った。
「こう言うことも、ある」
それでも、キムラさんは憮然としていた。
「でも、受け取るだけ受け取っても、いいと想いませんか?」
すると、う~ん、と唸ってムラオカさんは考え込んでしまった。
「きっと、性格、悪い人なんです。想いやりの無い人なんです」
アオタニ君がムラオカさんに聞いた。
「贈り主の名前を見るなり、“これは受け取れません”と言うことでした」
「だめだったんですか・・」
事情を知っている数人の者が、「おー」とか「あーあ」とか言ってニヤニヤし、知らない者に説明を始めた。
「なんだか、こっちが落ち込んでしまって・・」
ムラオカさんは椅子に腰掛けながら、ため息をついた。
「まるで自分がフラれたような気分ですよ」
「そんな・・」
アオタニ君が苦笑しながら言った。
「どんな女だった?」
オオノが興味深々の口調で尋ねた。
「二十五、六ぐらいかな、なかなか奇麗な人でしたよ」
「性格、悪そうだった?」
「そんなことは無いでしょう。だいたい、そんなことまで解りませんよ」
「ふーん。でも、大したもんだ」
ムラオカさんは、それには黙っていた。
「このお花は、どうするんですか?」
キムラさんが立ち上がって所長に近づき、尋ねた。
「差出人に戻すんだよ」
まだ三十代前半の、若い所長が椅子に座り直しながら、口元に笑みを浮かべて答えた。
「もったいないです」
「ん?。そうだねえ」
「今から戻したら、しおれちゃいますよ」
「ん?・・うん」。所長は仕事を続けながら生返事である。
周囲の者たちは、彼女の姿を見てニヤニヤざわついていた。
「お水、あげてもいいですか?」
キムラさんがみんなの冷やかしを遮るように、キゼンとした声で言った。それを聞くと、所長も上目使いで彼女の顔を見、黙ったまま小さく何度も頷いた。
室内が静かになっていた。さっきまで冷やかし笑いをしていた者も、机に向かって真顔で仕事を続けていた。ガスストーブの燃える音だけが聞こえていた。
「・・嘆くな、少女よ」
ムラオカさんが見かねて、ふざけた調子で言った。
「こう言うことも、ある」
それでも、キムラさんは憮然としていた。
「でも、受け取るだけ受け取っても、いいと想いませんか?」
すると、う~ん、と唸ってムラオカさんは考え込んでしまった。
「きっと、性格、悪い人なんです。想いやりの無い人なんです」
「これこれ少女よ、会ったことも無い人の悪口を言うのはやめなさい」
「だけど・・、すっごく、嫌な気分!」
「こう言うこともあるさ」
「そんなあ・・」
ムラオカさんは彼女の顔を、困った子だ、と言うように眺め、「あのねえ、たとえばフラれるより、フッた方が何倍も傷つく、ってことだってあるんだよ」と諭すように言った。
「でも・・、じゃあ、その女の人は傷ついてるんですか?」
「それは・・、だからね、解らないんですよ。人の心の中のことは誰にも解らないの。うわべだけ見て、あの人が悪いとか、いい気になってるとか、簡単に決めつけちゃいけないんですよ」
ムラオカさんは、キムラさんが執拗に食い下がるので、少しムキになっていた。しかしひと呼吸置いて、いつもの穏やかな笑顔に戻ると、
「少女よ、そのうち、解るようになる」
と静かに話した。
それでもなお、彼女は納得が行かない様子であったが、ずっと、二人のやりとりを見ていた所長が、「キムラさん、集計、お願い」と声をかけたことで、この話しはようやく終わりを迎えることになった。
その声に、僕も帰るきっかけを見つけた。
「それじゃあ、そろそろ、お先に失礼します」
そう言って、二度三度、誰にともなくお辞儀を済ませると、上着を着て、表に出た。
空からは大きな牡丹雪が降っていた。昼間は一度やんでいたのだが、夜になってまた降り始めたらしい。扉のすぐ横で、アルバイトの女子高校生二人が、両手をコーヒーカップで暖めながら空を見上げていた。
「寒くないの?」
と僕が尋ねると、彼女達は笑って、
「雪だから・・」
と答えた。僕は「それじゃ、お先に・・」と言って車に乗り込んだ。
車を走らせながら、僕は先程までの二人のやりとりを想い出していた。そして、やがて差し戻されるであろう花を手にする、男の姿を想像した。
「その男は、いったいどんな夜を迎えるのだろう」
いつの間にか、心に、かすかな悲しみがまとわりついているのに気づいた。
「まいったな。どうしてこう、簡単に人の気持ちがのり移ってしまうんだ」
だが、どうすることも出来なかった。
雪がフロント・ガラスに吹き付け、ワイパーの形に削られていた。しばらく走って、幾つかの交差点を過ぎると、なだらかな坂を登り、わりと見晴しの良い丘の上に出る。すると、そこから下の住宅街の真ん中には、小さな教会が見えるのだ。
ささやかにライト・アップされた十字架と共に、今夜はクリマス・ツリーの明かりが点滅を繰り返していた。あの教会では、毎年クリスマス・イブの夜、子供達が集まって“きよしこの夜”を歌い、ケーキとプレゼント交換のパーティーをして過ごすのだと言う。小学生の頃、隣の席の女の子が何度もそう教えてくれた。
「まてよ?、あの子は、僕を教会に誘いたくて、わざとあの話しをしたのか?」
なぜか突然そんな気がした。もし、そうだとしたら・・、そんな大昔の記憶が、今頃になって僕の胸をチクチクと痛めつける。
「だけど・・、すっごく、嫌な気分!」
「こう言うこともあるさ」
「そんなあ・・」
ムラオカさんは彼女の顔を、困った子だ、と言うように眺め、「あのねえ、たとえばフラれるより、フッた方が何倍も傷つく、ってことだってあるんだよ」と諭すように言った。
「でも・・、じゃあ、その女の人は傷ついてるんですか?」
「それは・・、だからね、解らないんですよ。人の心の中のことは誰にも解らないの。うわべだけ見て、あの人が悪いとか、いい気になってるとか、簡単に決めつけちゃいけないんですよ」
ムラオカさんは、キムラさんが執拗に食い下がるので、少しムキになっていた。しかしひと呼吸置いて、いつもの穏やかな笑顔に戻ると、
「少女よ、そのうち、解るようになる」
と静かに話した。
それでもなお、彼女は納得が行かない様子であったが、ずっと、二人のやりとりを見ていた所長が、「キムラさん、集計、お願い」と声をかけたことで、この話しはようやく終わりを迎えることになった。
その声に、僕も帰るきっかけを見つけた。
「それじゃあ、そろそろ、お先に失礼します」
そう言って、二度三度、誰にともなくお辞儀を済ませると、上着を着て、表に出た。
空からは大きな牡丹雪が降っていた。昼間は一度やんでいたのだが、夜になってまた降り始めたらしい。扉のすぐ横で、アルバイトの女子高校生二人が、両手をコーヒーカップで暖めながら空を見上げていた。
「寒くないの?」
と僕が尋ねると、彼女達は笑って、
「雪だから・・」
と答えた。僕は「それじゃ、お先に・・」と言って車に乗り込んだ。
車を走らせながら、僕は先程までの二人のやりとりを想い出していた。そして、やがて差し戻されるであろう花を手にする、男の姿を想像した。
「その男は、いったいどんな夜を迎えるのだろう」
いつの間にか、心に、かすかな悲しみがまとわりついているのに気づいた。
「まいったな。どうしてこう、簡単に人の気持ちがのり移ってしまうんだ」
だが、どうすることも出来なかった。
雪がフロント・ガラスに吹き付け、ワイパーの形に削られていた。しばらく走って、幾つかの交差点を過ぎると、なだらかな坂を登り、わりと見晴しの良い丘の上に出る。すると、そこから下の住宅街の真ん中には、小さな教会が見えるのだ。
ささやかにライト・アップされた十字架と共に、今夜はクリマス・ツリーの明かりが点滅を繰り返していた。あの教会では、毎年クリスマス・イブの夜、子供達が集まって“きよしこの夜”を歌い、ケーキとプレゼント交換のパーティーをして過ごすのだと言う。小学生の頃、隣の席の女の子が何度もそう教えてくれた。
「まてよ?、あの子は、僕を教会に誘いたくて、わざとあの話しをしたのか?」
なぜか突然そんな気がした。もし、そうだとしたら・・、そんな大昔の記憶が、今頃になって僕の胸をチクチクと痛めつける。
「そんなこと、思ってもみなかったよ・・」
でも、すべての期待に応えることは出来ないんだ。たとえ、どんなに広い心を持っていたとしても・・
ラジオからは、幾つものクリスマスの曲が流れ続けていた。歌っているのはハリー・ニルソンだった。「この人、クリスマスアルバムも出してたんだな」と思う。
ニルソンだと分かったら、何だか映画の「真夜中のカウボーイ」に使われていたあの曲が聴きたくなった。タイトルは忘れたけど、ニルソンが歌ってたやつ、あの曲・・。そうすれば、少し心の曇りが晴れるような気がする。
雪が、家々の屋根や木の葉を白くしていた。ふだんは見えない街中の暗闇が、うっすらと雪明かりで浮かび上がっている。そうして、ほんのいっときだけ、世界を広く優しくしていた。・・だが、予報によれば、この雪は積もらず夜の内に溶けてしまうらしい。
一度、警察の検問に車を止められた。免許証を抜いて、警官に差し出す。窓から中を覗く警官は、検問にしては見るからに人の善さそうなオヤジさんで、軍手をしていた僕の手元を見つけるなり、「ああ、お仕事帰りですか?。はあ、気をつけて下さい。今夜は酔っ払いがたくさんおりますので」と言って、笑顔で、雪が降り積もった帽子のツバに手を当て、敬礼の格好を作った。その人当たりの良さが、心の奥に暖かいものとなって残った。
そうだ。だいじょうぶなんだ・・
年が明けたら、アオタニ君とキムラさんが遊びに来るから。
いつの間にか雪が小降りになっていた。しばらく走った先の信号待ちで、窓を開け空を見ると、まだらなになった雲間に、月明かりが透けて見えていた。
「そうだよ。明日はイエス・キリストの誕生日なんだ」
だからもう、だいじょうぶ・・
いつの間にか雪が小降りになっていた。しばらく走った先の信号待ちで、窓を開け空を見ると、まだらなになった雲間に、月明かりが透けて見えていた。
「そうだよ。明日はイエス・キリストの誕生日なんだ」
だからもう、だいじょうぶ・・
年が明けたら、あの二人が遊びに来る・・。都合の良い日を、こちらから連絡することになっていた。年が明けて、一週間じゃちょっと早い。二週間過ぎたら間が抜けてしまうし、そう、ちょうど十日目ぐらいに連絡することにしよう。
まずアオタニ君に電話をして、それからキムラさんにも・・、気が変わらないようにね。僕がわざわざ彼女にも電話するのは、もちろん・・
まずアオタニ君に電話をして、それからキムラさんにも・・、気が変わらないようにね。僕がわざわざ彼女にも電話するのは、もちろん・・
「“ヨックモック”を忘れないように」
念には念を、ただそれだけの理由だ。
念には念を、ただそれだけの理由だ。
<おしまい>
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