2007年10月31日水曜日

エポとふーみん

★先日、テレビ東京の「みゅーじん」という番組に歌手のエポが出ていまして、つい見入ってしました。

彼女はヒット曲を飛ばしたシンガーでもあるのですが、セラピストとしての肩書きも持つようになったと言うのです。それは、母親との激しい対立で精神的なダメージを受け、歌を唱うことも出来なくなった経験からなのだそうです。父と息子だけでなく、やはり娘にもいろいろと有るようですね。

ところで「エポ」と言うとまず思い出すのは、デビュー当時の山下達郎氏への深い傾倒ぶりなんです。デビュー曲が「DOWN TOWN」と言う伊藤銀次作詞・山下達郎作曲の歌、と言うことからも分かるように、とにかく山下達郎のポップス路線を必死で追いかけていたミュージシャンだったのです。

デビュー間もない頃、大滝詠一氏のFM番組にゲスト出演し、「タツロウさんが・・、タツロウさんの・・」とやたら連呼するので、大滝氏が「もっと自分の表現をしないと・・」と呆れてしまったほど山下達郎氏を尊敬していたのですね。

その経緯も有って、やはりタツロウ・サウンドに夢中になっていた僕も「エポ」と言うシンガーは特別な感じで見ていました。もちろん曲は良かったし、アルバムもたくさん買いました。

その頃、僕は大学を卒業したばかりで、「JCGL」と言うCGプロダクションに勤め始めていたのですが、社屋が渋谷区の南平台と言う高級住宅街に有りまして、そのすぐ近くのビルの地下には「ふーみん」と言う小さな中華家庭料理屋が有ったのです。

我々はただ、昼夜の空腹を満たしに行くだけで良く知らなかったのですが、けっこう有名な店だったようです。なぜそう気づいたかと言うと、その店ではよく芸能人を見かけたからなのです。

僕が初めて「ふーみん」で見た芸能人は「堺正章さん」でした。次に見かけたのはサザンオールスターズの「桑田佳祐さん」。どちらも数人のスタッフ?に囲まれて、その肩の間から、スポットライトを浴びたように浮かび上がる姿が印象的でした。

二人ともほとんど喋らず、笑いもせず、ブスッとした表情で料理を待っているので、「機嫌が悪いのだろうか?」と、よけいな心配をした記憶が有ります。

その後は、そのころ活躍し始めた「浅野温子さん」が、男性と二人連れで来ているのに遭遇しました。カウンターで何やら楽しそうに会話をしていました。

その日、一緒に晩飯を食べに行ったエンジニアのH君が、浅野温子さんの大ファンだったようで、我々は彼女のすぐ後ろのテーブルに座ったのですが、振り返り振り返り「誰なんだ!あの男は!」と小声でグチっていたのを思い出します。僕の方は、浅野温子さんの美しい横顔と背中を見ながらの夕食となったのでした。

そんな「ふーみん」に、ある日あの「エポ」がやって来たのです。残念ながら僕はその現場に立ち会えなかったのですが、目撃者によれば、それはそれは劇的なシーンだったと言います。

「JCGL」の同期に「タマ」と言うニックネームの女子社員がいたのですが、じつはその彼女が、エポと高校時代の親しい友人だったそうなんです。で、何気なくタマが食事をしに「ふーみん」に入ったところ、ばったりエポと遭遇、互いに驚いて「エポ!」「タマ!」と呼び合い、その数年ぶりの偶然な再会に、しばし言葉を失った?のだと言います。

このことから「エポ」という呼び名は、芸能界に入る前からのものだったと推測できるわけですが、まあ、そんなこんなが有って、「エポ」と聴くと、何か他人事では無い親しみを感じてしまうところが有るのです。

番組によれば、歌を唱えなくなってから沖縄へ行き、地元の人に助けられながら少しずつ路上で唱い始め、投げ銭を拾って暮らすことも有ったと言うのです。そんな話しを聴くと、「本当に良く頑張って来たなあ」などと褒めて上げたくなるのです。

今では、必死で近づこうとした山下達郎的ポップス路線ではなく、独自のエキゾチックな民族音楽的路線で活躍しています。ある海外のプロデューサーから、「君の本質はポップスではない」と指摘され気づいたのだそうです。

「カウイ」なんかその傑作アルバムと言っていいですね。FMでもレギュラー番組が始まっており、転機が有って、初めて本来の活動の基盤が整って来たのだと思います。

さて、一方その後の「ふーみん」ですが、「エポ」と「タマ」の劇的再会のあと、しばらくして青山に移転して行きました。そして「JCGL」も池袋に移転、南平台はまた静かな高級住宅街へと戻って行ったのです・・

そう言えば、ついこないだ、TBSラジオの番組「森山良子ハートオブポップス」を聴いていたら、森山良子さんと番組スタッフが、青山の「ふーみん」へ行き、店にある酒という酒全てを飲み干した、と言う武勇伝を披露していましたっけ。

あれから20年以上が過ぎ、今ではほとんど訪れることも無くなりましたが、まだまだ「ふーみん」は、「芸能人がよく来る店」として健在だと言うことが分かりました。


◎ テレビ東京「みゅーじん」
◎ エポ「カウイ・唄の谷」

◎ 中華風家庭料理 ふーみん


  

2007年10月27日土曜日

家族愛は世界を救えない:その2

★亀田興毅君の謝罪会見、「どうでもいいや」と思いつつ、ついつい見てしまいました。

まあ、あれについては、色んな人が色んなコメントを寄せているので、今さら語ることは無いのですが、やっぱり気になってしまったのは、興毅君の「オレらにとって世界一のオヤジや」と言う、亀田父を讃える言葉でしたね。

あれがどうにも理解できんのです。十代半ばから反抗期が始まって、三十代過ぎるまでは、父親とまともに口を聞いたことすら無かった自分と照らし合わせると、どうにも気持が悪い。「なんであんな恥ずかしい事が言えるんだろう」と、思ってしまうのです。しかも涙ぐんで?!

でも、世の中の興毅君を同情する人々の間では、あの場面が一番好感を持たれたみたいですね。「親思いで立派だった」って・・

でも、やっぱり何かが不自然だ。と思っていたら、コメンテーターの一人に精神カウンセラーみたいな人がいて、「言葉は悪いけど、亀田家の子供達は、父親殺しが出来ていない」なんてことを言ってました。物騒な言い方ですが、父親に反抗し、父親を乗り越えて大人になって行くと言う精神形成の過程が出来ていない、って意味だと説明しておりました。

その言葉を聞いて「ああ、やっぱりオレだけじゃないんだ」って安心しましたよ。けっきょく亀田家の家族愛って、人間の自然な在り方、自然の法則に少し反しているんだと思います。しかしそれを、「親思いで立派だった」って評価する人も随分多くいて、世の中も少しずつ変形して来ているのかも知れません。

その対極にあるのが、今から18年前に公開された映画、「フィールドオブドリームス」だと言う気がしますね。父親と対立して和解できぬまま死別した主人公のレイ・キンセラが、あり得ない夢の実現に奔走した結果、最後に、若き日の父との再会、そして親子の和解が訪れる、と言う物語です。

当時あの映画をカップルで観に行くと、女の方は意味がよく分からずシラケ気味なのに、男の方は身につまされて号泣してしまう、と言う現象が起きていたそうですが・・・

もし今の時代に劇場公開したらどうなんでしょう。「父親と対立する」設定そのものが理解出来ない、と言う人が多くなってるかも知れないですね。少なくとも亀田兄弟にはまったく理解不能かと思います。



  

2007年10月21日日曜日

よくない写真発見・・

何気なく、ホントに何気なく、昔の写真を見たくなりまして、押し入れの中から写真の詰まった箱を取り出して見てたんです。そしたら、ちょっとヤバい写真が見つかりました。それがこれです(申し訳ありませんが、写真は危険防止のため削除のしました)

これは今から10年以上前になるでしょうか、草野球チーム・ゴブリンズの納会の風景です。納会と言ってもお店でやったのではなく、川崎の「子供の国」と言うところでアイス・スケートをし、公園でお弁当を食べると言うものでした。もちろん氷も出来る冬のことなので、非常に寒かったですよ。でも若いとそんなのも平気なんですね。

それはいいのですが、その時のアイス・スケート場でのスナップです。左下に「赤い帯」のようなものが写ってますね。「なあんだ、手とか服とかが間違ってレンズの前にかぶったんでしょ」と思われるかも知れませんが、それはかなりの確率で有り得ないのです。

使用カメラがスナップ用のコンパクト・カメラなら分かりますが、この頃の僕は、一眼レフに凝ってまして、ちょっとしたスナップでもそれで撮ってたからなんです(ルイジコラーニ・デザインのキャノンT90と言うヤツです)。

それに「28 - 105」のズームを付けていたのです。ズームレンスなのでそこそこ長さが有り、うっかりレンズの前に手や服がかぶさると言うことはまず無いはずなのです。また、他の人が撮った自分のスナップも有りますが、それを見ると、僕はその日、暗いグレーのジャケットを着ており、もし袖がかぶったとしても、このように赤く写ることは無いのです。

では「この赤いモノは何なのか?」と言うことですが、心霊写真の一種かも知れません。残念ながら(幸い?)僕には霊視能力が無いので、死霊とも生霊とも断言することは出来ませんが、心霊研究をしていた経験上、可能性はかなり高いと思います。

それも、もし霊だとしたらあまり良くない霊だと思います。心霊現象の常識として、赤く写ると言うのは低級な部類に属し、場合によっては関係した人間に危害を加えることも有るのです。逆に高級な霊の場合には青や紫がかったりします。

なぜ現像した写真を受け取った時点で気がつかなかったのか、不思議でならないのですが、急に昔の写真が見たくなって、こうして発見したと言うのも「偶然ではない」ような気もします。

時期的にいよいよ始末をする時期に来ていたのかも知れません。しかし、単純に捨てるのではマズいので、ネガも含めて、封印するなりお炊き上げをするなりしなければなりません。まあ、宜保愛子さんなら「お線香を1本でも焚いて処分してください」とか言うだろうし、最近なら江原氏の本の付録で「封印グッズ」みたいなものも有り、そう言うのを利用するのもいいでしょう。

なお、このブログ記事も数日のウチに写真ごと削除する予定なので、間違っても写真をダウンロードして手元に置くなどの行為はしないで下さい。(写真は削除しました)



  

2007年10月13日土曜日

家族愛は世界を救えない?

★かつてスピルバーグ映画を中心に、父親が家族を守るために戦い抜くことで、最終的には巨悪や宇宙の侵略者から世界を救う、と言う図式の作品がたくさん作られました。

そのころ日本では、高度経済成長期からバブル期にかけて、仕事中毒で家庭を顧みない父親不在の家の子が荒れ、やがて家庭崩壊、学校崩壊へとつながって行くと言う社会問題が起こりました。

これらの経験を反省をした我々世代は、スピルバーグ映画をお手本として、家庭をとても大切にするようになりました。家族を大切にして、父親も子育てに参加し、家事も夫婦分担してこなす。そうすればそれを見た子供は素直に育ち、家庭が平和になって、やがてはあの映画のように、少しずつ世の中を良い方向に向かわせて行くに違いない、皆そう思ったものです。

でも現実はどうだったんでしょう。世の中は良くなって来たんでしょうか。むしろたくさんの自己中家族を生み出してやしないですか。

じつは先日のボクシング「内藤×亀田戦」を見てそう思ったんです。あの亀田一家は物凄く家族の絆が深いです。亀田父は三兄弟を守るためならどんなヤツにでも立ち向かって行くし、お兄さんの興毅君もいつぞやチャンピオンになった時、父親を讃えて涙にくれていました。

でも何かが違う。僕はどしようもない違和感に襲われていたのです。「違う・・、家族の絆が深いだけじゃダメなんだ」って・・

かく言う僕も、それまでは「家族愛イコール正義」だと無条件に信じていました。が、亀田一家を見て考えが変わったんです。いくら家族愛が強くてもいい人とは限らないんだと。

そう言えば「ゴッドファーザー」なんかでも、母親に頭の上がらないマフィアの姿なんか描かれたいたように、犯罪者にだって家族愛はあるってことなんです。だから家族愛が万能の正義だと思ってはダメなんです。

しかしながら、我々の世代、スピルバーグ的家族愛に感動した世代って、今なお「家族を守ると言うことは、相手が誰であろうと最後まで戦うことだ」と思い違いしてしまった人が多いと思うんです。

たとえば最近は、子供を守るためなら、どんな不条理な要求でも学校にふっかけて来る「モンスターペアレンツ」って、スゴいのがいるそうじゃないですか。たぶん彼らも同じスピルバーグ世代のはずなんですよ。ハタからは「理不尽な要求」に見えるのに、本人たちはそれが正義であり「強い家族愛」だと思っているはずなんです。

なので、恐らく彼らは気づいていません。「内藤 × 亀田戦」で、亀田大毅君の反則ボクシングをこっぴどく非難した自分たち夫婦が、学校では「恐怖のモンスターペアレンツ」と呼ばれているかも知れないってことに・・



  

2007年10月11日木曜日

「週刊プレイガール」だった

★先日、近所のバッティングセンター「田無ファミリーランド」にてテレビロケが有ったと言うことを書きましたが、それが何の番組なのか分かりました。じつは昨夜、たまたま夜中にテレビをつけたら、そこでやっていたのです。

テレ朝の「週刊プレイガール」と言うヤツで、キャイ〜ンのウド鈴木と山川恵里佳がMCをやっていました。僕は、毎晩だいたいテレ朝のPM11:15からの番組「くりーむナントカ」や「ぷっすま」なんかを見て寝るのが常で、昨夜も最近始まった「クイズ雑学王」を見て12:30ごろ眠りに入ったのです。

が、何故かいつになく寝付けず、気分転換のつもりで一度トイレに起きたら、そのまま眼が冴えてしまったのです。それで何気なくテレビを付けてみたら、見覚えのあるバッティングセンターの景色が映っていたと言うわけですね。

で、番組の内容は言うと、4人のグラビア・アイドル候補生が、横浜のクルーン投手が出した最速161kmにセッティングしたマシンに挑戦し、打てた者が「週間プレイボーイ」のグラビアに出してもらえる、と言う企画でした。

コーチとして東尾氏が登場し、バッティングフォームなどを伝授すると言う設定です。結果は、少しずつ100km→145km→161kmと速度を上げ練習したことで、結局全員がバットに当てることに成功、1人が1回だけヒットゾーンに飛ばしました。

まあ、どうと言うことは無い内容でしたが、「たまたまロケ現場に遭遇した番組を、いつもなら見ない時間に付けたテレビで発見した」と言う偶然が面白かったわけんです。

確かにあの時、何の番組なのか多少は気になったのですが、かといって番組表を調べるほどでもなく、すっかり忘れていたのです。それがこんな形で見つかると言うのは、確率的にはけっこう珍しいことかも知れません。

かつて30代くらいの頃は、こんな風な偶然と言うか奇遇と言うか、そう言う現象に良く出会っていたのですが、最近はほとんど無く久々の出来事だったので、「へえ、珍しいなあ」なんて思った次第なのであります。



  

2007年10月8日月曜日

映像記憶力について

★先日のシュガー戦終了後、相手のH投手が、アンディ選手と女子選手の安田さんに向かって、「オレから打った初ヒット、おめでとう!」と言ってました。

しかし、アンディ選手は確かに初ヒットなのですが、僕の記憶によれば、安田選手は、すでにH投手から4本は確実に打っているはずなのです。だから、なぜ初ヒットだと思い違いしたんだろうと不思議に思ったのです。非力な女子選手だから抑えて当然、と思い込んでいたのでしょうか。

シュガー戦での安田選手のヒットを振り返ってみると、まず一番分かりやすい1本は、ゴブリンズのDVDにも収録している、4年前に光が丘でシュガーに勝った試合です。ここでH投手から逆転打となるタイムリーを打ってます。

さらに、ゴブリンズが復活した直後、KONOリーグに1年間参加しまして、その時のシュガー戦でH投手に二安打完封されたことが有りました。この僅か2本のヒットのうち、1本が安田選手、もう1本が僕のヒットだったのです。

3本目は2005年の試合で、開始直前に新間投手が「肩が出来てないから先攻を選んでくれ」と慌てて言って来たので印象に残っているのですが、この試合で打ってます。残念ながらジャンケンに負け後攻になり、打ち込まれてしまったゲームでしたが、この試合では、H投手からレフト前に強烈なライナーでヒットを打っています。これまでで一番いい当たりだったと思います。これが3本目。そして今回の一本杉公園でのヒットで、計4本ですね。

WEBスコアブックの「SUGARー通算記録」で検索してみると、安田選手はシュガー戦で計5本打ってますから、なんと、この内4本が同じH投手からと言うことになります。つまり初ヒットどころか、H投手を得意としているバッターと言ってもいいくらいなのです。

なのに、人の記憶と言うのは曖昧なものなんですね。H投手だけでなく、その当人の安田選手さえもが、ヒットを打った記憶が無いと言うんです。

なんて言うと、二人をバカにしているみたいですが、そうじゃなくて、他のメンバーの記憶もだいたいこんなモンなんです。かといって、決して僕の記憶力が優れていると言いいたいわけでもないのです。むしろ記憶力は悪い方です。そのせいで学校の成績が上がらず非常に苦労して来たんですから。

それにメンバーは良く知っているはずですが、暗算もほぼ出来ません。暗算も記憶力だからです。一桁計算して、その小計を記憶して次の計算と合計する、と言うプロセスが暗算なので、記憶力が悪いと出来ない作業なのです。

じゃあ何故、記憶力の劣っている僕が、みんなが忘れてしまった試合の内容を覚えているのかと言うと、これはですね、一番の理由としては「普通の人とは記憶の仕方が違う」それが大きいと思っているのです。

もちろん僕の場合、試合中スコアも付けているし、試合後ブログに記事を書いているし、他の人よりも、記憶が残りやすい作業をしていることも関係しているとは思います。しかし決定的に違う部分があるのです。

つまり、僕の記憶の方法とは、絵描きなら誰もが持っている「デッサン力」なんですね。これまで、絵描きの端くれとして何十年も修行?を重ねて来た結果、言葉や数字を記憶する力はまるで無いのですが、視覚でとらえたモノを映像として記憶する能力は、普通の人より身について来たのだと思います。

絵を描く、いや、絵に限らず、あらゆる芸術活動の善し悪しを左右するのは(マンガ・アニメでもそうですよ)、「イメージの記憶力」なんです。

絵を習い始めると、誰もがまず石膏デッサンや静物画などをやりますが、この、じーっとモチーフを見て、そのイメージを記憶したまま画面に写し取って行く作業、この記憶力が強ければ強いほど「絵が上手い!デッサン力が有る!」と言うことになるのです。

かつてミケランジェロは、高い塔から飛び降り自殺する光景を目撃して、その人が落ちてゆく姿、表情までも、コマ送りのように、いつどんな時でも描き起こすことが出来たそうです。普通の人間にはあり得ないことですが、天才芸術家は、一瞬にして一部始終の映像を記憶することが出来たんですね。

同時に、ワケの分からん抽象画でもそうなんです。頭の中にフッと浮かんだ抽象イメージを正確に画面に写し出すためには、絵を描き上げるまでの長時間に渡って、その同じイメージを記憶し続けなければならないのです。

だからイメージを途中で忘れてしまったら、絵は完成しません。別な言い方をすれば、「ワケの分からん絵」を描く方が、実際に「物」を見て描くよりも難しいんです。眼に見えないモノを記憶しなければならないですからね。より高度なイメージの記憶力を必要とするのです。

そして、逆に絵の下手な人と言うのは、イメージの記憶力が弱い人、実際に眼で見たものでも忘れてしまう人、と言うことになると思います。と言うことは、H投手や安田選手はあまり絵が上手ではない、と言うことになるのかも知れませんが、そこら辺は検証してないので分かりません・・

まあ、草野球でこの記憶力が効いて来るとは思わなかったんですが、対戦相手のデータ集めにはそこそこ役立っているみたいですよ。プロでもデータ集めのうまい選手なんか、こう言う傾向があるんじゃないですかね。

メジャー最後の四割打者「テッド・ウィリアムズ選手」は、プロ入りしてからの全ての試合、全ての打席の、相手投手の全ての配球を記憶していたそうです。

ホントだとすると驚異的な記憶力です。しかし僕は最初この話し、よく有る「偉大な選手を偶像化するための作り話」だと思ってたんですが、最近では、自分の経験から、決して不可能ではないと思えて来たんです。

おそらくテッド・ウィリアムズ選手も、天才的なイメージ記憶力を持っていた人物だったんではないでしょうか。