2007年2月5日月曜日

ゆとり教育見直し論?

★「ゆとり教育の見直し」なんてことが騒がれてますが、どうしようもない劣等生だった僕には(謙遜では有りません。真実です)どうもピンと来ませんな。

正直、「そんなのどっちでもいいんじゃない?」と思ってるくらいです。何しろ子供の頃は、学校とは、一番教えて欲しいことを教えてくれない場所だと思ってた人間なので。

小学生のとき、一番教えて欲しかったことは「宇宙の果てはどうなっているのか?」と言うことでした。さらに中学・高校と進むにつれ、「死後の世界は本当にあるのか?」が重要な問題となって行きました。

バカバカしいと思わないでください。これは僕にとって「人はなぜ生まれてきたのか?。人は何処へ行こうとするのか?」と言う哲学的問題?と直結していたのですよ。

しかし、それらの疑問に対して、学校や教師は「おまえ変わり者だなあ」と笑うだけで、何も答えてくれませんでした。さらに、絵を将来の仕事にしようとしていた僕に対し、教師たちの発する言葉はいつも決まっていました。「どんなに絵が上手くても、勉強が出来なきゃダメなんだぞ」

でも、当時も今もそうですが、「何か一芸に秀でようと思ったら、勉強なんかやってるヒマは無い」そう言う子供が、確かに存在する気がしてならないんです。

中学のころ自宅での学習は、最低でも学年プラス3時間しなけりゃダメだ、と言われていました。たとえば中学2年ならプラス3で、家で5時間以上勉強をしなければならないと言うことになります。が、これは僕にとって一大事なのです。なぜって、これだと絵を描く時間が無くなってしまうからです。

どうも、教師や世の中の大人と言うのは、絵や音楽は才能だけで何とかなると勘違いしているフシがありますね。違うんです。絵が上達するためには、勉強なんかよりもっと多くの時間が必要なのです。寝ても覚めても描き続けると言う「努力」が必要なのであります。

たとえば音楽の話しですが、ある速弾きで有名なロックギタリストは、一日に10時間以上ギターを弾いていたそうです。で、それを10年間続けて、ようやく思い通りのフレーズが弾けるようになった、とテレビで語ってました。

と言うことは、学校にもろくに行っていなかったと言うことになりますが、しかし、もし学校での勉強や規律を重んじ、卒業してそれからじっくりギターをやろう、なんて思っていたら、今日の大成功は無かったはずなんです。

イチロー選手だって、子供のころ、正月の三が日以外、つまり1年362日バッティングセンターに通ってたそうじゃないですか。その結果、あのバットコントロールを身につけたワケですよね。

つまり「一芸に秀でる」と言うのはそう言うことなんです。気が遠くなるくらい同じことを繰り返す集中力を才能と言うのです。だから、スポーツ選手や芸術家が、学生のとき劣等生や不良だったりするのは、あるていど仕方が無いことなんだと思います。

まあ、誰も彼もが成功するとは限らないので、もしダメだった時、つぶしが効くように勉強をしとけ、と言うのが教師たちの親心なんでしょうが、芸ごとって、逃げ道を作ると挫折しちゃうものでもあるんですよね。

それと、一言でいいから、受験戦争にどっぷり浸かっている子供達に、「いくら勉強が出来ても、絵や音楽が作れない人間はダメなんだぞ」と言って欲しかった、と言うのがささやかな気持ですかね。

それでもまだ「ゆとり教育見直し論」と言うのは、テーマとしては単純で簡単な方だと思います。どうやって頭の良い子供を育てるか、って言う事だけでいいんですから。

我々のような、一芸に秀でたい劣等生への対応はまったく考慮されていません。まあ「対象外」ってことでしょうか?。もしあらゆるタイプの子供を対象にしたならば、恐らく、ゆとり教育見直しどころか教育論そのものが崩壊するのかも知れません。

・・なので、我々のようなタイプの子供は、脱ゆとりの子供達に迷惑をかけないよう、ひっそりと、毎日毎日コツコツ、努力を重ねるしか無いのです。