2011年8月20日土曜日

2011年、山下達郎、ニューアルバムリリース

★先日、山下達郎氏の6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」が出ました。ホントは昨年の9月ごろ「WooHoo」と言うタイトルで出るはずだったんですが、発売延期のため、約1年遅れでのリリースとなったのです。

凝り性のタツロウ氏のことなので発売延期は珍しくないのですが、かつて「湯水のように金を使い、想い通りのコンセプトでアムバルを作りたい」と熱く語っていた同氏にしては、ずいぶん作り方が簡単と言うか、14曲中9曲がタイアップで、その他数曲ををまとめただけのモノになってる気がします。

まあ、アルバム(album)とは「閉じたもの、幾つかのものをまとめたもの」と言うことなので、本来の姿と言えなくもないのですが。

NEVER GROW OLD
(アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング)
希望という名の光
(映画「てぃだかんかん-海とサンゴと小さな奇跡-」主題歌) 
街物語
(ドラマ「新参者」主題歌) 
僕らの夏の夢
(アニメ映画「サマーウォーズ」主題歌 )
ずっと一緒さ
(ドラマ「薔薇のない花屋」主題歌 )
HAPPY GATHERING DAY
(「ケンタッキー・フライド・チキン」CMソング )
MY MORNING PRAYER
(NTV系「ZIP!」テーマ・ソング )
愛してるって言えなくたって
(ドラマ「冬のサクラ」主題歌 )
バラ色の人生~ラヴィアンローズ
(TBS「ブロードキャスター」テーマ・ソング )

こう並べてみると、メロディ的にはかつての面影は少なく、むしろ「新しいタイプの歌謡曲」と言えなくも有りません。なので、昔からのマニアックなファンにしてみれば、「タツロウは終わった」なんて痛烈な批判も出そうですが、私は、これはこれでいいんじゃないかと想ってます。

と言うのも、以前タツロウ氏がFMラジオで、「40歳過ぎても音楽の仕事が出来るとは想ってなかった。それでも仕事をくださるクライアント様には感謝しかない」と語っていたのを聴いていたからです。

ある年齢を過ぎてからは、仕事を選ばず依頼されたことに全力で取り組む、そう言う姿を貫いているのだと想います。「ARTIST」ではなく、まさに「音の職人:ARTISAN」と言ったところでしょうか。

たとえばドラマや映画のテーマ曲なんかでも、既成の曲をあてがうと言うのはまず無いのです。ストーリーを良く読み込んで、内容に合わせて書き下ろす曲ばかりで、そう言うところに「職人」の意気を感じます。

アニメ映画「サマーウォーズ」なんかもそうでした。これはネットでも評判がよく、「あの歌は物語にすごく合ってる」とか「聴くと、涙が出そうになる」なんてレビューがけっこう有りました。ストーリーに沿っているからこそ感動が倍増されるのでしょう。

そのせいか、アニメにツラれて、初めてタツロウ氏のコンサートに行った人もいたらしいです。が、行ってみると「タツロウって、すげえオッサンじゃん!」なんてビックリするらしいです。そりゃあそうでしょう。タツロウ本人も57歳を過ぎており、メインターゲットは50代の中年層ですからね。

とは言え、57歳のミューシャンが未だ現役で、作った曲が若いアニメファンを感動させるなんて、ちょっと気分がいいじゃないですか。まあ、長年支持して来た古いタツロウファンとしては「そら見たことか。オレの眼に狂いは無かったね!」なんて自慢したくもなります。

・・って、得意げに言ってますが、本当は私も、自分で「山下達郎」を発掘したわけでは無いんですよ。遠い昔、ある女性から、彼の存在を教えられた一人だったんです。

今からもう30年くらい前のことになりますか。当時、美術大学の学生だった私は、同期の友人たちと「ロックバンドをやろう!」と盛り上がったことが有ったのです。が、どちらかと言えば「ガロ」とか「オフコース」みたいな、ハモリを得意とするフォークソング派だったもので、ハードロックにはほとんど馴染みが無かったんです。

で、「オレ、ロックは分らんな」なんて弱気な発言をしていたら、傍らで聞いていたある女の子が、翌日、十数枚のロックやブルースのLPレコードを持って来て、「全部あげるから、これ聴いて勉強しなよ」と手渡してくれたのです。見ると「ジミ・ヘンドリックス」や「エアロスミス」、「ジャニス・ジョップリン」などの名盤がそろっていました。(今も手元に有ります)

ところが、そんなギンギンロック少女の彼女なんですが、一番力説していたのが、なんと、まだ世間的には無名だった「山下達郎」だったのです。そして「タツロウのレコードは手放せないから」と、「GO AHEAD!」と「MOONGLOW 」をダビングしたカセットテープを渡されました。それが「山下達郎」を知った最初でした。

なので、私は最初からのファンと言うわけではないのです。言わば後からやって来た「よそ者?」ってところでしょうか。何しろ、シュガーベイブ時代からライブに通ってたくらいでないと、ディープなタツロウファンとは言えないらしいので。

とは言え、サウンドそのものには非情にショックを受けまして、一気にのめり込んで行きました。そうなってみると、それまで見過ごして来た多くの中に「山下達郎」の足跡を見つけることが出来たのです。たとえば、いろんなミュージシャンのアルバムクレジットに、「コーラスアレンジ = 山下達郎」と言うのを見つけたり、何気なく聴いたユーミンの「12月の雨」のバックコーラスから、タツロウの声が聞こえて来るのに気づいたりなど‥‥

何より驚いたのは、コーラス好きの私なんですが、その時すごく気に入っていた「コカコーラ」のアカペラCMソングを歌ってたのが「山下達郎」だと知った時です。「これもタツロウだったのか?!」と、ホントにビックリしました。(ア・カペラなんて言い方すら知らない時代ですけど)

出世作「RIDE ON TIME」が大ヒットするのは、それから約一年後の1980年のことです。ある評論家をして、「それまで日本に存在しなかった音楽」とまで言わしめたほどの傑作でした。キムタクのドラマ「GOOD LUCK!!」でしか知らない人からすれば、「べつに?、普通の曲じゃん」と、ピンと来ないかも知れませんが、30年前の当時としては、日本の音楽シーンを揺るがすほどの意味を持った曲だったんです。

同時に「後から来たよそ者」としては、彼女の目利きの確かさも認めなくてはなりませんでした。彼女にタツロウを教えられてから「RIDE ON TIME」がヒットするまで、あっと言う間の出来事で、何か、劇的な感じさえ覚えました。

彼女とは、それまで挨拶ていどの付き合いだったんですが、それを機会にじっくり話をしてみると、互いに「ローラースケート好き」だと言うことも分かって来ました。で、その盛り上がりの勢いで、そのころ流行のエラストマー・サス付きローラースケート(インラインスケートはさらに10年後)を、アメ横の「ムラサキスポーツ」まで買いに行き、その年の一夏、二人で滑って過ごしました。時には、人々が寝静まった真夜中、渋谷の住宅街を二人であちこち滑り回るなど、まあ「若さ」と言うんでしょうか、好き放題やってましたね。

・・なんて書くと、二人の距離が急接近しているかのように見えますが、じつはこのあと間もなく、なんと、彼女がすでに婚約している身であることを告白されてしまうのです。まるで、韓国ドラマのような?展開です。

そうして物語は一巻の終わりかと思いきや、ドンデン返しはまだ続きます。けっきょくのところ、彼女は婚約解消することになるのですが、それもつかの間、数年後の10月、なんと病に倒れ、突然この世を去ってしまうのです。23歳という若さでした。

そうして、あれから30年・・ 彼女が亡くなってからも私はタツロウを聴き続け、今回もまた新しいアルバムを手に入れたと言うわけです。けっきょく、彼女がタツロウを聴いた何倍もの長い年月を聴き、彼女の知らないたくさんの曲を知ることになりました。それを彼女は羨ましく想うのか、それとも「歌謡曲っぽいタツロウなんてガッカリ!」と言い放つのか・・・

23歳で亡くなる無念さは推し量ることも出来ませんが、反面、救いが無いわけでは有りません。3.11大震災の絶望的な光景も、原発の爆発と言う底知れぬ恐怖も知らずに済んだのですから。

そうして、猛暑、酷暑なんて無かった時代の、心地よくて、でも少し切ない、あの夏の記憶のまま去って行けたのだなあ、と言う想いも少しだけ沸き上がるのです。

長く生き続けると言うことは、出会わなくていい多くの悲しみに出会うことでもあるようです。それは有名なミュージシャンとて同じことで、アルバムのタイトルが「WooHoo」から「Ray Of Hope」に、つまり「希望という名の光」に変更されたことからも分かります。あからさまなチャリティーとかを好まないタツロウ氏ですが、このタイトルからは、被災地へのさりげない心遣いが感じられるのです。

恐らく、震災で亡くなった人たちの中にも、山下達郎のニューアルバムを心待ちにしていた人たちが大勢いたことでしょう。彼らに比べたら、我々は幸運としか言いようが有りませんが、同時に、生き残った者として、何か重い荷物を背負ったような、そんな気もしないでは無いのです。

・・と、いろいろな想いが過りますが、ともかく、その人たちの分も、そしてあの彼女の分も、心して?、じっくりとこのアルバムを聴かせていただくことにします。


山下達郎
「Ray Of Hope」
2011/8/10リリース


それでも音楽は続いていく。











  

2011年8月6日土曜日

暑い夏には、チープな?カレーを作ろう!

★一時、カレー作りに凝っていました。

男が料理に懲り出すと、やたらウンチクを並べ立て周囲のひんしゅくをかうなんてことが多いですが、しかし、この時凝ったのは「ラーメン屋さんのカレー」あるいは「おそば屋さんのカレー」に相当する、非常にチープな味の追求でした。

「チープ」とは言っても、昔々、日本の家庭のカレーライス、いや「ライスカレー」と呼ばれていたカレーは、だいたいこの味だったと言ってよいのです。特にウチの場合には、亡くなった祖母が、時折り作ってくれるカレーがこの味だったので、私にとってはとても懐かしいメニューなのです。

ところで「ラーメン屋さんのカレー」と「おそば屋さんのカレー」ですが、この2種類は同じようでいて微妙な違いがあります。

まず「ラーメン屋さんのカレー」ですが、多めの油で小麦粉とカレー粉を炒めてルーを作り、ダシは鶏ガラ、味付けは塩と砂糖のみと言うものです。小麦粉の中に含まれるグルテンの作用で「とろみ」は自然につきます。で、これが昔懐かしい「ライスカレー」となるわけです。

これに対し「おそば屋さんのカレー」にはかつおダシが使われており、味付けは主に醤油とみりん。そしてとろみは片栗粉でつけます。いわゆるカレー南蛮に使われているものと同じです。こちらは「小麦粉カレー」を参考に、おそば屋さんなりにアレンジしたものと思われます。

さらに、おそば屋さんの中には、皿で食べるカレーを「カレーライス」、どんぶりで食べるカレーを「カレー丼」と分けて、二種類出している所もあります。調べてみると、前者は「小麦粉カレー」、後者は「かつおダシカレー」と作り分けていることが分かりました。

さて、あれこれ調べて、ようやくレシピが分かって来たところで、実習に取りかかることにしたのですが、買って来たS&Bのカレー粉缶を見てがく然としました(大げさか?)。なんと缶の側面には、レシピのいっさいがっさいが説明されているでは有りませんか・・

けっきょくは、その能書きを見ながらの調理となったわけですが、小麦粉を炒めていると次第に色が付いて粘りが出て来たりして、そんなことにけっこう感動しました。

そうしてルーを作り、そこからは普通に肉や野菜を加えて煮込みました。そして数十分、想い通りのチープ?で懐かしいカレーの出来上がりとなりました。まぎれも無い、私の子供の頃の味です。

暑い夏には激辛で本格的な「カリー」もいいですが、ちょっと飽きて来た頃に、懐かしい「ライスカレー」の味もオツだと想いますよ。

出来上がりに満足すると、さらに「実験」をしてみたくなりました。私の親戚に料理屋などしていた叔父がいるのですが、以前この叔父が遊びに来た時に、市販のカレールーに「デミグラスソース」を加えただけのモノを夕食に出したことが有りました。すると味にうるさい叔父が「これ美味いなあ!どうやって作ったんだ?」とやたら驚いたことが有ったんです。

そんな経験が有ったので、チープな小麦粉カレーに「デミグラスソース」を加えたらどなるだろう?と言う探究心が湧き、試してみることにしました。その結果は?、なんと市販のカレールーそっくりの味になってしまったのです。

「なるほど、メーカーのカレールーって、こんな感じで作ってたのか・・」と思わず唸りましたね。

これに、ブイヨンとブーケガルニ、トマトピューレ、ショーガ、すりおろしリンゴなどを加えてもさらに美味しくなるし、ひき肉にして「ガラムマサラ」などの調味料を多く加えると、少しだけインド風?の味にも近くなります。

ただ、味は良くなりますが、印象はいつも食べてる普通の家庭カレーでしかなく、ちょっと物足りない感じもしました。やはり「チープ(ジャンク?)」だからこそ楽しめる味、と言うのも有るような気がします。

ところで、日本のカレーはインドから伝わったものではないようです。ヨーロッパ、主にイギリスからだそうです。かつてインドがイギリスの植民地だった頃、インド料理がイギリスに伝わり、ヨーロッパで流行しました。そしてあるメーカーが、家庭でも簡単にインド風料理が作れるようにと、数種類の香辛料をブレンドして販売したものが、いわゆる「カレー粉」だったと言うわけです。

日本に伝わって来たのは、そのヨーロッパ産の「カレー粉」なんですね。「恐らくその輸入業者はS&B食品に違いない」なんて勝手に想像しましたが、あとで調べでみたら、日本にカレーが伝わったのは「明治5年」、日本の「114食品」と言う会社が、イギリスの「C&Bカレー粉」を輸入したのが始まりなんだそうです。

このようにして、インド料理が巡り巡って、日本で「カレーライス」と言う国民食として花開いたわけなんですが、つまり、日本のカレーライスと言うのは、インド風ではなくヨーロッパ風、いわゆる「洋食」と考えるのが正しいのです。だから「デミグラスソース」を加えたとたん、ふだん食べ慣れてる味に近づいてしまったと言うわけだったのですね。







  

2011年7月11日月曜日

管降ろしの謎:その2

★管内閣もそろそろ末期に近づいているようですが、へそ曲がりの私には、いまだフに落ちない点があり、まだ気になっているので、それらを一通り書いておくことにします。

そもそも管降ろしの始まりは、3/11震災後に起きた福島第一原発事故に対する、管総理の初動ミスだと言われていました。つまり・・・

「管総理は、国民に好印象を与えるべく、パフォーマンスのためにヘリで福島原発へ視察に向かった。その間、総理への放射線被ばくを避けるため、ベント作業は延期され、結果、最悪の水素爆発を引き起こした」
・・と言うものです。

これは、テレビや新聞、ネットなどあらゆる場所で、自民党政治家、評論家、大学教授、コラムニストなどあらゆる人物が、管総理へのバッシング理由として書き連ねていた内容です。もちろん最初は私も「管総理、エラいことをやらかしたな」と、正直想いました。

しかしその後、NHKなどを始め、あらゆる検証ドキュメンタリー番組を見たところ、報道とは違っていたことが分かりました。事故後間もなく官邸からは「ただちにベント作業開始せよ」との指示が出されていたのです。

が、にもかかわらず、一晩過ぎてもまったくベント作業が始まらないことから、業を煮やした管総理が「なぜ始まらないんだ!電話じゃラチがあかん!」と言うことで、ヘリコプターで現地へ直談判に向かった、と言うのが真相でした。

(これは後に亀井静香氏も、石原慎太郎氏との対談で真相を明かしています。
「亀井氏:東日本大震災が起きた3月11日、私は官邸にいた。東京電力は冷静に対応できず、菅首相が癇癪(かんしゃく)を起こし、福島第一原発に行くまでまったく情報が無かった」

実はこの時、福島第一原発のベント弁の開閉は「電動オンリー」で、電源喪失時に行われるはずの、手動によるベント開閉操作方法は存在しなかったそうです。

そのため「ベント解放せよ」の指示が出てもまったく動かすことが出来ず、真っ暗闇の中で設計図を引っ張りだしては、解決策を文字通り暗中模索していた、と言うのが真実のようです。

けっきょく「ヘリ視察」を批判した人々は、誰も原発の取材はしておらず(何しろ入れないんですから)、勝手な憶測でバッシングしていたことが明らかになりました。私の知るところでは、バッシングの間違いを訂正あるいは謝罪した人物は、誰一人いなかったようですね。

ネットに出た見当違いのコラムなども、何の釈明も謝罪もせず、こっそりと削除されていました。たとえば下記のような記事。「思いつきの記事」をぶちまけて混乱を招いた人、我々一人一人への謝罪コメントを発表して欲しいと思います。


もちろん削除されてますからクリックしても出てきません。が、マインドコントロール的記事をタレ流したことを猛省してもらいたい、との気持ちでURLを残しておきます(さすがに筆者の名前は伏せておきます)。

こう言うことは相手がどんなであれ、フェアでは有りません。卑怯な態度だと想います。


「管降ろし」の最大の理由を失った野党(自民党)ですが、次に「管総理では遅すぎる。復興は出来ない」との理由を付けて内閣不信任案を提出することになりました。それを受けて管総理は、例の有名な?会見・・・

「大震災への取り組みで一定のメドがつき、私の役割が果たせたと言う段階で、若い世代のみなさんにいろいろな責任を引き継いでもらいたい」

・・との発言をしました。この言葉を聞いた瞬間、私は「即時辞任は無い」と想いました。「・・つまり、今年いっぱいは続けるつもりだな」と普通に想いました。

なぜならその頃には、原発事故の収束には想像以上の日数(年数?)がかかると分かっていたし、原発が終わらなければ復興も始まらない、その時点を「一定のメド」だと考えるならば、今年いっぱいか、ヘタすれば来年にかかってしまうかも知れない、そう考えるのはごく当たり前のことでした。

ところが何と、翌日の新聞には一斉に「管首相、辞任表明」との大見出しが付き、すぐにでも辞めるかのごとく、記事が書かれていたのです。

ビックリしましたね。もう一度よく読んでください。あの発言のどこをどう読んだら「即時辞任」と読み取れるのか、理解に苦しみました。新聞だけでは有りません。テレビもネットも何もかもです。「こいつら読解力ゼロかよ!」と飽きれましたが、ちょっと混乱して、「まてよ、逆にオレの方がおかしいわけ?」なんて疑心暗鬼にもなりました。

が、確かBSフジだったと想うのですが、報道番組にゲストで来ていたある大学の教授が、私と同じような疑問を持ったらしく、学生たちに「管総理の発言を聞いて、一定のメドとは、いつぐらいのことだと想ったか」と言うアンケートを取ったらしいです。すると学生たちは私と同じく、「今年いっぱい、あるいはそれ以上の期間」と言う回答がほとんどだったとのことです。

私や大学生が普通に想ったことを、政治家やマスメディアの人間たちが、揃いも揃って大間違いをしてしまうなんて、これは実に奇妙な現象ですね。もしこれを読んでいる人で、同じように辞任表明と取った人がいたら、申し訳ないですが、メディアの偏向報道にマインドコントロールされてしまったか、国語能力がちょっと・・なんだと想いますよ。

まあ一般人はともかく、国語の苦手なジャーナリストって、こりゃあ困ったもんですな。ああ言う人たちって、記事は書けても、必ずしも読解力が優れていると言うわけじゃ無いんですね。初めて知りました。

それからはもう大変でしたね。「辞めると言ったのは嘘だったのか!」とか「そんなに権力の延命がしたいのか!」とか「辞めると言ったヤツの意見など聞けるか!」と散々でした。さらに「浜岡原発の停止」や「再生可能エネルギー」についても急に語りだすもんだから、大騒ぎになりました。

ですが、「再生可能エネルギー」発言ですが、これは「国民受け狙いの思いつき」とされていますが、これに関して、TBSラジオの「荒川強啓デイキャッチ」の中で、社会学者の宮台真司さんが、「管氏は、再生可能エネルギーの推進については、ずっと以前から提唱していた」との証言はしていました。

つまり、管総理の中では思い付きではなく、長年温めて来た持論を今こそ高らかに発信する時が来た!と言うわけだったです。なので、一般国民はともかく、プロの政治ジャーナリストがこれを知らなかったとしたら、「勉強不足」と言われても仕方無いですね


・・とまあこんな感じで、今やもう管内閣は大混乱を起こしている状況ですが、私の記憶、そして正直な感想としては、初期の混乱は、マスメディアの間違った報道、憶測報道が原因で引き起こされた可能性がかなり高い、と言う気がしてます。

それが意図的では無いにせよ、報道の暴走が、国民を偏った方向へ導いてしまうかも知れない恐れについては、よくよく気をつけなければいけません。

なんて、気が付くヤツがいないからこそ、こんなことになってるんでしょう。つまり、管総理の最大のミステイクは、マスメディア対策を軽視したところから始まった、と言えるのかも知れませんね。





 Commented by 低線量被曝者 at 2011-07-29 17:10
東電原発事故以来見えて来た、電力業界による産官学から行政、マスメディアにまで及ぶ支配構造。この巨大利益共同体の許し難き大罪を断罪すべき「世論」をも操作するマスメディアの確信犯罪は取分け許し難い。

6/24の通産エネ庁による「ネット上に掲載される原子力等に関する不正確 な情報又は不適切な情報を常時モニタリング」する監視業者の一般競争入札公告という暴挙。人体実験的被曝の時代を逃れ得ない私たちに「この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている。」と、昨日逝かれた小松左京さんがメッセージ残したそうです。

ユートピアとは懐かしい言葉ですが、「主権在民」を教えてくれようとした昔の中学の社会科の先生は、確か旧社会党のバッジを背広の襟に付けていたような気がします。そんな時代だったのですねぇ・・。


 Commented by 髙橋GM at 2011-07-30 12:17
コメントありがとうございます。ここに来て東電から自民党に多額の献金が行われ、自民党幹部は多数の東電株を保有していることが分かって来ました(今や紙クズですけど)。

「脱原発」70%賛成。内閣支持17%と言うネジレ現象も起こっていまして、管総理は辞めてもいいけど、後継総理は「脱原発」を引き継ぐのか否か?ここが重要ですね。大げさに言えば、日本人はいま歴史の別れ道にいます。「継ぐのは誰か?」そんなタイトルの小松左京氏の小説が有りましたね。








  

2011年7月4日月曜日

夏の風景展2011

「夏の風景展2011」2011年7月7日(木)~7月19日(火)
 中野画廊アベニュー(7月13日・水 旧廊)
 (すでに終了しています)

★一人の作家が1~2点ずつ出品する小品展として、春に行われた「春の風景展」に続き、シリーズ物として「夏の風景展」を行います。

「春の風景展」終了直後にあの大震災が起こり、多くの人々が、「人生観の変化」を感じたようですが、自分にも、眼に映る全てが別の世界のモノに変わってしまった、そんな感覚が確かにあります。

企画を立てた画廊からは「こう言う時なので、出来るだけ明るい作品を」との要望がありましたが、作品は心を写す鏡でも有るので、感覚のおもむくままに描いた自分の作品では、要望通りに実現できたかどうかは不明です。果たして他の作家たちはどうだったんでしょうか‥‥

計14名の作家による30点近い作品展となりますので、いろいろと楽しめるかと想います。節電によるエアコンの効き具合が心配ですが、時間のある方はよろしくお願いします。






  

2011年6月11日土曜日

菅降ろしの謎

★私は、どちらかと言うと子供のころから芸術家気質で、ちょっとアナーキーな性質も有り、「管政権」についてどうこう言うつもりは無いのですが、現在の政治家や評論家、一般大衆まで大きく広がった「管降ろし現象」について、ちょっと何か、謎が有ると想うのです。

昔、中学生の頃、社会科の先生が言った「本当の民主主義とは、いかに少数意見を尊重するかなんだぞ!」との言葉に深い感銘を受けまして・・、で、以来ずっと、多くの意見があまりにも一方向になびく時、「何か有るんじゃないのか?!」と裏読みするへそ曲がりな性格になってしまいまして、今回もこんなことを想いました。

じつは、こないだNHKスペシャル「シリーズ原発危機:事故はなぜ深刻化したのか」を見たんですが、どうも、原発事故に限れば、言われているほど管総理の行動は間違ってなかったように想えたんです。

番組終了後のTwitterでも「意外!管総理よくやってたんだ」みたいな発言も多かったようで、私が受けた感じでも、菅総理の対応を批判した論評のほんとんどが、推測だけで語っており、現場取材による裏付けが無いことが分かりました(放射線浴びるのは怖いですからね)。

こんな風に感じたのは僕だけではなかったようで、ラジオでは評論家の小沢遼子さんが「細かい不備はたくさんあるが、致命的な大きなミスを犯したワケではない。なのに、管降ろしがスゴイことになってる!」と語ってました。

彼女は昔から管さんが大嫌いで、決して擁護派では無いのですが、そう言う人でさえ、今の管降ろしは異様で、具体的な根拠が見えて来ないという疑問を持っているのです。

じつは私も、この妙な感じはずっと持ってまして、いつもなら権力やそれらの横暴に、ハラワタ煮えくり返るくらいの怒りを覚える私が、何故か管総理にはあまり腹が立たないのです。

これは今までの自分の直感からすると、何かが違う・・ それどころか、批判している側の言うことが具体例としてイメージ出来ず、そっちの方の意見にイラ立ちが起こるのです。

そうこうしている内、こんなニュースが報じられました。5月末のことですが、
「地下原発議連:第1回勉強会に20人参加」
参加した主な人物は以下の通りです。まあ、だいたい「管降ろし」に動いている人たちのようです。大連立が有るとすれば、このメンバーが主体になるのでしょうか。

民主党:鳩山由紀夫、羽田孜、渡部恒三、石井一 
自民党:谷垣禎一、森喜朗、安倍晋三、古賀誠、中川秀直、山本拓 
国民新党:亀井静香 
たちあがれ日本:平沼赳夫 

それにしても怪しい連中ですなあ・・・

今この時期に「原発推進勉強会」とはどう言うことなのか、私にはまったく不可解ですが、管総理が周囲に相談も無く突如として「浜岡原発を停止」させたり、G8サミットでは「太陽光パネルを1千万戸に設置」の爆弾発言をするので、原発推進派、あるいは原発で利権を得ている人々がビックリ?しちゃったのかも知れませんね。

さらに6/11の報道では、中立性を保つため、内閣官房に設置すると決定したはずの「原発事故調査・検証委員会」を、政府の「国家戦略室」が、経済産業省の管理下に置くべく変更しようとしたため、管総理がこれを拒否したと有ります。これ、じつは総理の辞任表明後に急きょ提示されたことから、「同省が事故調の骨抜きを狙ったものではないか?」とウワサされているようです。

以上・・、この期に及んでなお、政府や政治家たちはまだ「原子力発電」にこだわり続けていることは確かなようです。管さんが総理として適任かどうかは分かりません。たぶんダメなのかも知れません。しかし大震災のダメージで「脱原発」に傾き始めた管氏に替わる人物が、どんな近未来ビジョンを持っているのかは、かなり重要な気がします。

「原発推進」を「管降ろし」にすり替えているのではないか?

私のような「へそ曲がり」は、ついついそんな風に考えてしまうのです。だから、どんなにマスメディアが煽ろうと、集団マインド・コントロールされてしまった?一般大衆が絶対多数で迫って来ようと、私は流されませんよ。自分の直感を信じて少数意見をつらぬきますぞ。

マスメディアの偏向的報道による影響については、昔々こんなことが有りました。自分のブログ記事で恐縮なんですが読んでみて下さい。メディアのちょっとしたコントロールによって、一般大衆はこんな風に思い込んでしまうと言う例として・・・

◎ 松坂投手の誰もが勘違いしているホントの話し



追伸:2015年の亀井静香氏と石原慎太郎氏との対談では、当時パフォーマンスと言われた菅総理のヘリ視察の状況も語られています)
亀井:東日本大震災が起きた3月11日、私は官邸にいた。東京電力は冷静に対応できず、菅(直人元首相)が癇癪(かんしゃく)を起こし、福島第一原発に行くまでまったく情報がこなかった」
◎ 地震大国の日本、原発再稼働はダメだ







  

2011年5月30日月曜日

ブレード走行「小俣 - 藤岡」渡良瀬川自転車道


★「3.11東日本大震災」以来ずっと、「今年はムリなのかも知れない」と想っていましたが、けっきょくまた行って来ました。5月3日、JR両毛線「小俣駅」に集合、目標ゴールは渡良瀬遊水池です。


震災直後、3月12日の野球はさすがにキャンセルしたものの、次の週くらいには期待できのでは?と想いました。

ですが、原発のメルトダウンなど震災の全貌が明らかになるに連れ、「もはや野球どころじゃないだろう・・」との気持ちが強くなって行ったのです。

試合を予定していた数チームからも、そして審判の方からも「中止やむなし。ゴブリンズの判断にお任せします」の連絡が届き、以後の数試合について、いよいよ決断を迫られることになっていました。・・ですが、震災から2、3日後でしたか、少し考え方が変化して来たのです

これは阪神淡路の時とはまるで規模が違う、破滅的な大震災だ、ヘタをすると影響は想像以上の長期に渡るかもしれない。もしそうなら、いったん始めてしまった自粛は、解除のチャンスを失い、やがては日本経済沈没の危機にもなりかねない。

ならば、ここは自粛では無く、あえて野球を決行、そして参加するほんの20名ほどではあるけれど、震災報道で滅入った気持ちをリフレッシュし、月曜からの仕事に打ち込むことが出来れば、微弱ながら日本経済に貢献できるかも知れない、そう想ったのです。

たかが1草野球チームの決断でしたが、あれで正解だったと想います。

その後、被災地の方から「過剰な自粛をせず普通の暮らしをして欲しい。それが被災地の復興につながる」との発言をもらい、自分たちの考えが正しかったことを確認できました。

そうして、これらのことが重なり、中止になりかけていた「ブレード隊2011計画」も復活、「自粛よりも日々の暮らしを取り戻そう」との声を頼りに、目出たく?決行の運びとなったわけなのです。

それにしても石原慎太郎・東京都知事の東京大空襲まで引き合いにした「自粛強制発言」にはガッカリしましたね。ずぶの素人でも行き着いた近未来ビジョンを、プロの政治家がイメージ出来なかったんですから。

同知事からは「震災は天罰だ」との暴言も飛び出すなど、ホントにガッカリな人物です。ホントは辞めて欲しかったんですが、ナゼか?選挙で当選してしまっては仕方ありません。まあ、せいぜい頑張ってもらうしかないですな。

さて、とりあえず決行は決まったのですが、予定していたルート「りんりんロード」は、新妻隊員の都合により不可となり、急遽「渡良瀬川自転車道」に変更となりました。

が、本来の出発点「桐生市」からだと、ゴールとなる渡良瀬遊水池までは約50km。昨年50km越えでとても苦労したので、今回は両毛線「小俣駅」付近から始めることになりました。ここからなら40km強で収まるはずです。

しかしコースが決まると今度は天候が安定せず、8年間続いて来た「奇跡の晴天走行記録」は、ついに途絶えてしまいました(高橋単独含む)。しかもおまけに、大規模な黄砂が来襲するとの情報が入り、一日ズラしてはみたのですが、とにかく今年はいろいろ有りました。

「でも川沿いなら、道に迷う心配も無いし楽でしょう」と想うかも知れませんが、これが迷うんですね。今回は二度も迷いました。測定では計6kmのロスです。実は、この6kmの迷走さえ無ければ、何とかゴールにたどり着けていたはずなので、けっこう痛い数値なのです。

一度目は、歩いていた地元の親父さんに、間違った情報を教えられ、迷ってしまいました。

二度目の迷路は、セイタカアワダチソウが鬱蒼とした道でした。最初は、花に囲まれたいい道だと想ったのですが、進むに連れ、強風のせいなのか、路面を覆うように倒れていたのです。

ほとんど滑れない状態ながら、「ここさえ抜け出れば」と、スケートを履いたまま2kmほど歩いて?行ったら、なんと無情にも行き止まり・・。仕方なくまた2kmを引き返した時には、ほとんどモチベーションを失っていました。特に隊長である私は、初めての「K2」のブーツに足が慣れず、痛みを堪えての走行となってしまいました。K2は足が痛まないとのウワサを頼りに買ったのですが、個人差も有りそうです。

他の二人の隊員は、そこそこ気持ちを立て直したみたいですが、今度はサイクリングロードが「工事中にのため行き止まり」となっていて、けっきょくそこで力つき、ブレード走行は終了となってしまいました。

しかしながら、最後の食事に入った栗橋駅前のそば屋「作吉」は、蕎麦だけでなく色々メニューがあって楽しめたし、大当たりでした。また「蕎麦をつまみに日本酒を飲む」と言うのも三人でやりまして、たいへん美味しゅうございました。今回は十割蕎麦でしたが、茶蕎麦もいけると想ってます(出来れば熱燗で)。

これは永井荷風の時代に文壇で流行った飲み方でして、私は本来これが好きなんですが、今までは「ソバで酒?!」と、ゲテものでも見るような顔をされることが多く、今回、二人の隊員たちに分かってもらえたのが嬉しかったのであります。(彼らは私と言うより、テレビのタモリさんの影響のようでしたが・・)

あの店は、ゴブリンズの納会でも楽しめそうなくらい雰囲気も良くメニューも豊富で、とても良かったのですが、わざわざ栗橋まで行くことなど無いわけで、ちょっともったいない気がしました。

もちろん個人的にも、恐らく再び訪れることなど無いでしょう。あれだけ飲み食いして一人3000円ちょっと(だったけ?)。ささやかながら日本経済に貢献したあと、ほろ酔いでひとり、一期一会の感傷に浸ったりする高橋隊長なので有りました。






  

2011年5月22日日曜日

児玉清さんと野菊の墓

★すでにご存知のように、俳優の児玉清さんが亡くなりました。司会や読者家としても良く知られていましたが、僕にとっても、近年は書評家としての印象が強かったような気がします。なので、訃報を聞いてまず思い出したのが、書評家として語った、伊藤左千夫の「野菊の墓」についてのコメントでした。

「時折り、自分の心がすさんでいないか。みずみずしさを失っていないか。その確認のために読み返すことにしています」

確かこんな感じの言葉だったと想いますが、これだけでも、児玉清さんの人柄が分かる気がするのです。「野菊の墓」と言うのは、有名な作品なので説明の必要も無いと想いますが、簡単に言えば、封建的な道徳観の残る時代ゆえに、引き裂かれていく思春期の悲恋物語、と言うことろでしょうか。

これを「時折り読み返している」と言う児玉さんは、なんて堂々とした人なんだろう、と想いました。普通は「いい歳をして、そんな青臭いモノを・・」と想われるのが恥ずかしく、隠したがるものなんですがね。

僕にとっては小説「野菊の墓」よりも、映画「野菊のごとき君なりき」の方が先でした。木下恵介監督の名作です。中学生の時に初めて観て涙がとまらなくなりました。どうすることも出来ない悲しみと、思春期の純粋さに心が洗われて行く感じがしたのです。これ以外にもたくさん映画化やドラマ化されましたが、やはりこれが一番ですかね。

冒頭に登場する、笠智衆さん演ずる年老いた主人公「斎藤政夫」が、矢切の渡しで船に乗り、川面を見つめるのです。そして遠く過ぎ去った故郷の想い出と共に、若くして亡くなった二つ年上の従姉「民子」を想うシーン、懐かしさと切なさと、ここで一気に物語に引き込まれてしまうのです。

じつは、吉田たくろう氏の曲「マークⅡ」の歌詞に、
「年老いた男が、川面を見つめて、時の流れを知る日が来るだろうか」
と言うくだりが有るのですが、あれは、このシーンを見てイメージしたのではないだろうかと、勝手に想像したりしているのです。

物語の本当の舞台は「千葉県矢切村( 現在の松戸市下矢切 )」なのですが、残念なことに?あの映画のロケ地は信州だったらしいです。観光の目玉にもなっているようで、その影響なのか、信州が舞台だと想っている人も多いみたいです。

僕は大学時代、友人が市川市に住んでいたことがあって、何度か遊びに行ったおり、「野菊の墓」のことを思い出して、市川から松戸まで川伝いに歩いたことがありました(10kmくらいだったでしょうか)。その途中で、不意いにあの有名な「矢切の渡し」に出くわし、しばしそこで佇んだのです。

今では両岸とも住宅が迫って来てはいますが、かつては遥か遠くまで田畑が続いていたはずの場所です。そこに立ち、「ここが、あの小説の舞台か・・」と、一瞬タイムスリップして、かの時代に思いをはせたのです。一説には自叙伝だったと言う話しもあり、だとすればそこで本当に、あの悲し過ぎる別れがあったと言うことにもなるわけです。

児玉清さんも、やはりあの川のほとりを訪れたのでしょうか。そして遠い昔の、田園風景に消えて行った、実らぬ恋を想ったのでしょうか。




  

2011年4月26日火曜日

3.11数日前・・ 虫の知らせ

★じつは前述の、両親と仲の良い親戚夫婦のことなんですが、ダンナの妹さんが岩手の津波で行方不明になっていると言う知らせが有りました。

夫婦二人は秋田市に在住しているのですが、妹さんの方は、あの、町長が遺体で発見されたと言う大槌町の海辺に住んでいて、まともに震災と津波に遭遇してしまったと言うことなのです。

それで、ここしばらく連絡を取り合っていたのですが、先日、所有していた車が無人のままガレキの中から発見されたと言う電話が有りました。まだ安否の確認は出来ておらず、可能性はわずかに残されていますが、高齢であることも有り、かなり難しい状況だそうです。

思えば、3.11の数日前、母親が「ずーっと真っすぐの、キレイで奇妙な雲を見た」と不思議がっていたのが、ウチでの震災の始まりでした。それを聞いて「そういうのを地震雲って言うんだよ」と冗談めかして言ったことが、本当になってしまったわけなのです。

「地震雲」は、かつては根拠の無いオカルトとして扱われていましたが、現在では、プレートが擦れ合う時に発生する強烈な静電気によって、断層上空に水蒸気が集まる現象ではないかと言われています。阪神淡路大震災の時にも、いろいろな「奇妙な雲」が撮影されたり、地震が起こる直前に、空がピンク色に染まる放電現象などが確認されました。

地震雲については科学的根拠が有りそうですが、根拠の無いものでは、自分の「水道不安神経症?」が有りました。これも3.11の数日前のことですが、水道水が何か汚いもののように思えて飲めなくなってしまったのです。

普段はむしろ水道水をガブ飲みする方で、ほとんどミネラルウォーターなど買ったことが有りません。それが急に、細菌でも繁殖したかような錯覚に陥り、飲めなくなってしまったのです。

で、やがて、福島原発の放射能拡散による水道水の汚染が発表された時、「ああ、これのことだったのかな」と、突如起こった神経症の理由が分かった気がしました。(この地域は実害は無かったのですが‥)

「はあっ?」と、理解出来ない人が多いと思いますが、いちおう「芸術家気質」のハシクレなので、岡本太郎氏ほど?ではないですが、そんな形で「予感」を覚えることも、たまには有るのです。

こんな得体の知れないことばかり書くと、今の時期「不謹慎じゃないか!」と、激しくバッシングされそうですが、被災者と言うのは(その親族の一人として・・)、何か理由付けをすることによって、立ち直ってゆくものでも有るのです。

たとえば予言とか虫の知らせとか、そんな超自然的なことを語り合って、「やっぱり運命だったんだね」とか「あれが寿命だったんだよ」などと、理由を見つけては納得し、気持ちの整理を付けて行くものなのです。

(虫の知らせ = 無私の知らせ・とも書きます)



と言うことで、こんな非科学的な解釈もまた、地球という、素晴らしくて、そして冷徹な星との付き合い方、命の預け方、と言えるような気がしませんか。





  

2011年3月21日月曜日

被災した気仙沼「和風ホテル磯村」

★数年間、両親に頼まれて、インターネットで探した旅館です。仲のよい親戚夫婦四人で出かけて行きました。大変お世話になったようで、たくさんお土産をいただいたり、本来、観光スポットへの車での送迎はやっていないのに、ヨタヨタ歩く年寄り四人を気の毒に思ったのか、わざわざ自家用車でスポットまで送ってくれたりしたそうです。

ですが、やはり今回の大震災でやられてしまいました。建物は残ったものの、津波が二階まで押し寄せたのことで、大変だったようです。幸い、従業員は全員避難して無事のようで何よりでした。・・ついつい馴染みの場所ばかりに注意が行きがちですが、とにかくわずかでも「無事」と言う知らせは希望につながります。

(しばらくの間は、被災状況や復旧作業の様子がアップされていましたが、残念ながらサイトは削除されたようです)
被災直後のホテルの様相

数年後、あちこちで再建設が始まっている様子





ブログ引越しに際して、再びサイトを覗いたところ、2018.8に「網元の宿 磯村」として、再開したとの情報を得ました。「フカヒレ」が名物の、極上の魚料理が食べられる宿として有名です。一度、復興・復活した姿を見にいかれてはいかがでしょう。






  

2011年3月16日水曜日

1000年に一度の・・

★あの日以来、朝、目を覚まして、間もなく我に返り、気づいてしまうのです。

「そうだ、これは現実なんだ」と・・

大地震が起きたあの日から、空を見ても雲を見ても、以前とは何かが違う。もう数日前のあの日々には戻れない。我々は何処か、別の世界に入り込んでしまったのではないか、そんな気がしてならないのです。

次第に震災の大きさが明らかになるにつれ、ローラーブレードで滑っていた頃の記憶が蘇って来ました。1996年の夏に、茨城の高萩から犬吠埼まで。そして、2000年には高萩から福島の四倉まで、計約200kmです。予定では福島原発を越え仙台まで行くはずだったのですが、四倉から先で天気予報で集中豪雨の危険が有りと知り、そこで断念しました。

あの四倉の町もやはり津波で破壊されたそうです。

四倉の駅前で、インラインスケート姿のまま広場でたたずみ、進むか否か迷っていた時、僕を見つけたスケボーの小学生が、チラチラと何か話したげに周囲をグルグル回っていた姿が思い出されるのです。

・・あの子は大丈夫だったんでしょうか。


それから、飛び込み客なのに快く泊めてくれた、いわき漁港近くの旅館、あそこの人々はどうなったんでしょう。

そして、丘沿いの小さな墓地で墓参りをしていた親子連れ、彼らはどうなったんでしょう。

それから、道を教えてくれた女子高生の二人。

地元の人しか知らないような、入り江の小さな海水浴場で泳いでいた沢山の子供たち、どうなったんでしょう。


それから、高萩の美しい砂浜で犬の散歩をしていた人・・

珍しがって声をかけてくれた二人の男・・

バイクに乗って注意をして来た警官・・

駐車場の番をしていた水木海岸の少年・・

海水浴の車に必死で旗を振っていた客引きの男・・

大洗海岸で高笑いをしていた海の家のおばさんたち・・

それから・・、それから・・
みんな、どうなってしまったんでしょう。



朝、目が覚めるごとに、記憶に残る一期一会のその姿が、何度も何度も脳裏を駆け巡るのです。





  

2011年2月27日日曜日

ソフトバンクは圏外が多いのか? その2

★もうだいぶ前のことですが、日本で初めて格安チケットを売りにする小さな航空会社が発足したことが有りました。旅客機は一機しか無く、整備は大手のN航空に委託していました。当時とても話題になり利用客でいっぱいになったようです。

ところが、整備をやらされた上に客まで取られる、それを快く思わなかったN航空は、やがてその弱小航空会社と同じ値段のチケットを発売し始めました。で、当然ながら客足はN航空に流れて行ったのです。

その様子をテレビが報道していたのですが、インタビューに答えた利用客たちは、口々に「同じ値段なら、サービスや安全性を考えれば、やっぱりN航空ですよね」なんて、したり顔で答えてました。

彼らは「賢い消費者」のつもりだったんでしょうが、私はついつい「バカだなあ」って思ってしまいました。

間もなく、小さな航空会社は客が激減して立ち行かなくなり、経営破綻、旅客機を飛ばすことができなくなりました。するとそれを待っていたかのように、N航空は格安チケットの販売を中止、元の値段に戻してしまったと言うわけです。

「巨大勢力」「巨大権力」と言うのは、得てしてこんなことをやるものなのです。もちろん自由競争の世界ですから、大手を責めることは出来ません。彼らの無意識の?横暴を阻止できるのは、我々消費者の「賢い消費行動」でしかないのです。それが、まんまとハメられちゃっちゃあ、いけません。

・・とまあ、私がソフトバンクを利用し続けるのは、これと同じ理由ですかね。もちろんドコモよりソフトバンクの方が電波がいいなんて思っていません。ですが「巨大勢力の好きにさせない」これが、長い目で見た場合には、社会の大きな利益になることが多いのですよ。

まあ、今回の「iPhone」に限って言えば「ソフトバンク嫌い」と「アップル嫌い」の二種類の人間がいる気がします。で、なんと私は、その両方を愛用しているのですから、そう言う人たちから見れば、相当な「極悪人」と言うことになるのでしょうね。

ある人に言わせると、「アップルの商売のやり方は汚い」とのことらしいです。しかし野球でもそうですが、弱小球団と言うのは、スクイズだろうがダブルスチールだろうが、あらゆる手段を用いて、なり振りかまわず、点をもぎ取らなければいけないものなのですよ。連打で先取点、ホームランでだめ押しなんて、巨人軍のようなゲームでは勝てんのです。それがスモールベースボールと言うモノなんです。

GOBLINSのウェブサイトは、かつてはアドビのゴーライブで作っていましたが、2010年からはアップルの「iLife」と言うソフトを使っています(ムービー、写真、ウェブ、DVD、作曲ソフトなどのパッケージ)。

ところが、昨年これで作ったGOBLINSのサイトですが、ある特殊な機能が、Windowsの「Internet Exploreでは表示できない」とか「パスワードを認識しない」などと、メンバーから苦情が来ました。で、「やっぱりMac専用でダメなのか」と、あきらめかけていたのですが、別のWindowsユーザーからは「IE以外のブラウザでは表示できている」との報告も来たのです。

そこで思ったのですが、Windowsの「IE」で表示できなくて、他のブラウザでは表示されると言うことは、アップルがダメなんじゃなく、「IEがダメ」と言うことになりませんかね?。

その考えが正しければ、「IE」の世界シェアは70%以上だと言うことですから、つまり(失礼な言い方ですが)世界中の七割のユーザーが、知らない内にポンコツをツカマされている、と言うことも出来るんじゃないでしょうか。(あくまで2010年当時の話しですが・・)

それと、その時のやり取りで、Windowsの文字はジャギーむき出しで読みづらい、と言うことも分かりました。Macはスムージング(アンチエリアシング)が施されて読みやすく、何より、アートやデザイン系の仕事をしている関係上、指定したフォントが、その通りの形に表示されるのがとてもいいと思いました。(老眼の進んだ目にもグー?ですぜ!)

理解できますかね。こんな風に巨大勢力を野放しにすると、いろんな不具合が起きてしまうと言うことなんです。「ドコモ」も野放しにするときっと何かが起きます。なので、誰かがソフトバンクを、アップルを、使い続けなければいけないのです。世の中と言うのはそう言うもんなんです。

ですが、生まれながらに「巨大勢力下にいないと不安でしょうがない」と言う人も多いので、そう言う人はまあ、それでいいでしょう。かく言う私も、生まれながらにして巨大勢力に反発してしまう性癖で、ほっといても小数派になってしまう人間なので・・

相撲は柏戸
野球は広島カープ
家電はソニー(昔はベンチャーだった‥)
車は三菱
パソコンはアップル
携帯は東京デジタルホン(今のソフトバンクだ‥)

こんな感じ・・?






Commented by 内蔵脂肪レベル6、体年齢35才 at 2011-03-13 20:29
巨大勢力に対するお考えには大変共感できる者ですが、ことソフトバンクの質に関してはちょと。私もドコモ(巨大勢力)が嫌いで以前はソフトバンクでしたが2G終了に伴いauに切り替えました。理由は私の行動範囲において明らかに圏外が多かったからです。当時飯能の店で買ったにもかかわらず市街地を名栗方面にぬけたとたんに圏外で、そればかりか買った店のすぐ隣りのデパートに入ったらもう圏外でした。沖縄のある離島ではソフトバンクだけが圏外で連絡とれず参りました。家族の者が今もソフトバンクなのですが、今回の大震災で所沢の自宅にいて被災地方面に繋がらないどころか、丸1日以上圏外表示が出て、試しに自宅の固定電話にかけることすら出来ないのです。つまり119番も出来ないという訳です。auは3本立ってました。なにより「緊急地震速報」にたった1機種しか対応していないのですよ。翌日の3/12には5回の緊急地震速報がauの私の機種にはあり、揺れの前に栃木、神奈川、長野、福島、新潟と、全ての震源の違いが分り、瞬時に心構えが出来て大変助かりましたよ。

Commented by 高橋10 at 2011-03-13 21:22
コメントありがとうございます。お気持ちわかります。が、あの大地震が有った日の、私のソフトバンクの状況をお知らせします。3月11日の地震が有った頃は、車で目黒付近を走っていました。

アンテナ表示・通話
アンテナは全部立っていまして「圏外」表示にはなってませんでした。しかし電話をかけても、家族のソフトバンク、家族の固定電話、仕事先の固定電話、仕事先のドコモ、などにかけてもつながりませんでした。

1時間後の通話
ようやく家族のソフトバンクにつながりました。そして仕事先の固定電話からの着信は数回つながりました。相手は「やっとつながった」と言っていたので、何回かトライしたもようです。

メール送信
メールを友人数名に出しまして、これは全員届いたらしく返信が来ました。

それ以降の通話
その後は家族にもつながらなくなりましたが、数回のトライの後、1回家族のソフトバンクにつながりました。

以上、こんな感じでした。なお震災直後なのでしばらく後になりますが、ソフトバンクの具体的な接続状況を書く予定です。(同じソフトバンクでも人によって、機種によって?接続にかなり違いがあるみたいですね)

Commented by 高橋10 at 2011-03-17 23:07 x
追加です。そういえば、野球の試合相手の「au」から「地震のため試合中止」と言う電話が有りました。それでメンバーに携帯からメールをグループ送信したんでした。

Commented by 高橋10 at 2011-03-20 12:36 x
もうひとつ追加。ゴブリンズのメンバーN氏は、地震当日の夜、ドコモで大勢の人に電話したが、まったく繋がらない状況だったと語っています。・・これはまあ、ドコモのユーザー人数が圧倒的に多いからだと思われます。




  

2011年1月27日木曜日

ソフトバンクは圏外が多いのか?

★「iPhone」がソフトバンクから出ることになった時、「ドコモ」「au」からの発売を期待していた多くのユーザーから、かなり強烈なバッシングが有りました。

Twitterやコメント可能なニュースサイトでは、iPhoneのニュースが出るたびに殺気に満ちたソフトバンクへの批判コメントが集中し、ソフトバンク&iPhoneユーザーの私には、ちょっと読むに耐えないような恐ろしい気配さえ感じられました。

しかし同時に、多くの「ここも圏外、あそこも圏外!」との誹謗コメント類には、「これ全部ホントのこと言ってるのかなあ?」などと、疑問も覚えました。

昨年、ブレード走行「井野ー伊勢崎 51.9km」を滑り終えて間もなく、参加できなかったN君から「群馬でiPhoneは繋がったのか?」と言う質問を受けまして、これを聞いたときはさすがに驚きました。「ソフトバンクは繋がらないイメージ」は、かなり一般に浸透しているのだなと思ったわけです。

彼同様、もし多くの人が「地方でソフトバンクは繋がらない」と思い込んでいるすれば、知らず知らず「ネガティブキャンペーン」?が成功している言うことにもなりますよね。

ですが、残念ながら?ソフトバンクユーザーのT隊員が取った群馬での走行ログは、開始から終了まで、ずっと完全に繋がっていたんですよ。

ブレード隊員T氏がiPhoneで取った
「井野ー伊勢崎 51.9km」走行データ

私は確か1996年?だったか、まだ「東京デジタルホン」の時代に、TBSショッピングの「格安携帯電話ノキア」を契約し、そのまま「ボーダフォン ソフトバンク」になるまで、変えること無くずっと同じキャリアを継続して来ました。

まあ、ここまで使って来て、それほど不便を感じたことは無いのですが、「群馬は繋がるのか?」とまで言われると、「そんなにヒドい印象なのかな・・」なんて、ちょっとビックリもしてしまいます。

そこで、いちおう自分の経験からの「証言」をしておきたくなりました。初めて携帯電話を買って以来ずっと、インラインスケートで各地をツーリングする「ブレード走行」では欠かさず携帯を利用して来ました。

「ショートメール」しか無い時代から、「ザウルス」を経由してメール送信や写メールアップをしたり、今では一般的になったそう言う使い方でも「そこそこ先駆者」だと思っているので、その経験から「繋がった場所・圏外だった場所」を考えてみると、関東近県で「繋がらなくて非常に困った」と言うことは、まあ、ありませんでした。

それらを一つ一つ列挙することは大変なので(そんな重大なことだと思って無いので・・)、とりあえず「つづく」と言うことにさせていただきまして、暇があったらアップしたいと思います。






Commented by #40 at 2011-01-28 02:14
iPhoneは最強のハンディターミナルですが、携帯電話としては最低の電話機というのが自分の評価です。

SBMの電波周波数帯は障害物や遮蔽物に弱い特性があることと、コスト的に問題で地方では基地局が少ない。、またiPhoneはアンテナ特性上電波をキャッチしにくいということが「繋がりにくい」と言われる原因です。

地方でも遮蔽物がなくユーザー数が少なければ良好であり、都市部でもビルの内部深くや遮蔽物の影では感度が低く音声品質が悪いという事態が発生します。

SBM+iPhoneという組み合わせが悪いのであり、他のキャリアの場合はそこまで悪くないのでは?と思います。USCDMA対応のiPhoneがリリースになりますので、AUユーザーの方は個人輸入してみてはいかがでしょうか。

個人的にはAndroidにしようか検討中です。

AU / docomo 2台持ちの#40でした。



Commented by 高橋GM at 2011-01-28 11:55 x
コメントありがとうございます。周波数帯の違いによる差についてはよく言われてますね。私は左脳の働きが弱いので、理論上のことは理解しにくいのですが、直感的には皆さんが言われるほど通話に不便を感じたことは無いのです。

ただ、新宿の地下駐車場で圏外になって、慌てて地上までかけ上ったことはあります。もし、ああ言うケースのことを言っているのなら、確かにそうかも知れませんな。今回は理屈の話しではなく、日常使っている者として、スペックで推測するのではなく、実際の印象はどうだったかの具体例を書こうとしました。

たとえば、「大昔ソニーのオーディオ・スピーカーは、音響測定値は最高レベルだが、聴感上の優劣では、測定値で劣るJBLやアルテックには遠く及ばない」と言う時代がありました。それと似てる気がするんです。