★先日、山下達郎氏の6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」が出ました。ホントは昨年の9月ごろ「WooHoo」と言うタイトルで出るはずだったんですが、発売延期のため、約1年遅れでのリリースとなったのです。
凝り性のタツロウ氏のことなので発売延期は珍しくないのですが、かつて「湯水のように金を使い、想い通りのコンセプトでアムバルを作りたい」と熱く語っていた同氏にしては、ずいぶん作り方が簡単と言うか、14曲中9曲がタイアップで、その他数曲ををまとめただけのモノになってる気がします。
まあ、アルバム(album)とは「閉じたもの、幾つかのものをまとめたもの」と言うことなので、本来の姿と言えなくもないのですが。
NEVER GROW OLD
(アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング)
希望という名の光
(映画「てぃだかんかん-海とサンゴと小さな奇跡-」主題歌)
街物語
(ドラマ「新参者」主題歌)
僕らの夏の夢
(アニメ映画「サマーウォーズ」主題歌 )
ずっと一緒さ
(ドラマ「薔薇のない花屋」主題歌 )
HAPPY GATHERING DAY
(「ケンタッキー・フライド・チキン」CMソング )
MY MORNING PRAYER
(NTV系「ZIP!」テーマ・ソング )
愛してるって言えなくたって
(ドラマ「冬のサクラ」主題歌 )
バラ色の人生~ラヴィアンローズ
(TBS「ブロードキャスター」テーマ・ソング )
こう並べてみると、メロディ的にはかつての面影は少なく、むしろ「新しいタイプの歌謡曲」と言えなくも有りません。なので、昔からのマニアックなファンにしてみれば、「タツロウは終わった」なんて痛烈な批判も出そうですが、私は、これはこれでいいんじゃないかと想ってます。
と言うのも、以前タツロウ氏がFMラジオで、「40歳過ぎても音楽の仕事が出来るとは想ってなかった。それでも仕事をくださるクライアント様には感謝しかない」と語っていたのを聴いていたからです。
ある年齢を過ぎてからは、仕事を選ばず依頼されたことに全力で取り組む、そう言う姿を貫いているのだと想います。「ARTIST」ではなく、まさに「音の職人:ARTISAN」と言ったところでしょうか。
たとえばドラマや映画のテーマ曲なんかでも、既成の曲をあてがうと言うのはまず無いのです。ストーリーを良く読み込んで、内容に合わせて書き下ろす曲ばかりで、そう言うところに「職人」の意気を感じます。
アニメ映画「サマーウォーズ」なんかもそうでした。これはネットでも評判がよく、「あの歌は物語にすごく合ってる」とか「聴くと、涙が出そうになる」なんてレビューがけっこう有りました。ストーリーに沿っているからこそ感動が倍増されるのでしょう。
そのせいか、アニメにツラれて、初めてタツロウ氏のコンサートに行った人もいたらしいです。が、行ってみると「タツロウって、すげえオッサンじゃん!」なんてビックリするらしいです。そりゃあそうでしょう。タツロウ本人も57歳を過ぎており、メインターゲットは50代の中年層ですからね。
とは言え、57歳のミュージシャンが未だ現役で、作った曲が若いアニメファンを感動させるなんて、ちょっと気分がいいじゃないですか。まあ、長年支持して来た古いタツロウファンとしては「そら見たことか。オレの眼に狂いは無かったね!」なんて自慢したくもなります。
・・って、得意げに言ってますが、本当は私も、自分で「山下達郎」を発掘したわけでは無いんですよ。遠い昔、ある女性から、彼の存在を教えられた一人だったんです。
今からもう30年くらい前のことになりますか。当時、美術大学の学生だった私は、同期の友人たちと「ロックバンドをやろう!」と盛り上がったことが有ったのです。が、どちらかと言えば「ガロ」とか「オフコース」みたいな、ハモリを得意とするフォークソング派だったもので、ハードロックにはほとんど馴染みが無かったんです。
で、「オレ、ロックは分らんな」なんて弱気な発言をしていたら、傍らで聞いていたある女の子が、翌日、十数枚のロックやブルースのLPレコードを持って来て、「全部あげるから、これ聴いて勉強しなよ」と手渡してくれたのです。見ると「ジミ・ヘンドリックス」や「エアロスミス」、「ジャニス・ジョップリン」などの名盤がそろっていました。
ところが、そんなギンギンロック少女の彼女なんですが、一番力説していたのが、なんと、まだ世間的には無名だった「山下達郎」だったのです。そして「タツロウのレコードは手放せないから、今度テープに録って来てあげるよ」と言われました。それが「山下達郎」を知った最初でした。
なので、私は最初からのファンと言うわけではないのです。言わば後からやって来た「よそ者?」ってところでしょうか。何しろ、シュガーベイブ時代からライブに通ってたくらいでないと、ディープなタツロウファンとは言えないらしいので。
とは言え、サウンドそのものには非常にショックを受けまして、一気にのめり込んで行きました。そうなってみると、それまで見過ごして来た多くの中に「山下達郎」の足跡を見つけることが出来たのです。
たとえば、いろんなミュージシャンのアルバムクレジットに、「コーラスアレンジ = 山下達郎」と言うのを見つけたり、何気なく聴いたユーミンの「12月の雨」のバックコーラスから、タツロウの声が聞こえて来るのに気づいたりなど・・
何より驚いたのは、コーラス好きの私なんですが、その時すごく気に入っていた「コカコーラ」のアカペラCMソングを歌ってたのが「山下達郎」だと知った時です。「これもタツロウだったのか?!」と、ホントにビックリしました。(ア・カペラなんて言い方すら知らない時代ですけど)
◎「コカコーラCM映像」YouTube
出世作「RIDE ON TIME」が大ヒットするのは、それから約一年後の1980年のことです。ある評論家をして、「それまで日本に存在しなかった音楽」とまで言わしめたほどの傑作でした。キムタクのドラマ「GOOD LUCK!!」でしか知らない人からすれば、「べつに?、普通の曲じゃん」と、ピンと来ないかも知れませんが、これ、30年前の曲ですよ!。君たちが生まれる前ですよ。・・これは当時としては、日本の音楽シーンを揺るがすほどの意味を持った曲だったんです。
同時に「後から来たよそ者」としては、彼女の目利きの確かさも認めなくてはなりませんでした。彼女にタツロウを教えられてから「RIDE ON TIME」がヒットするまで、あっと言う間の出来事で、何か、劇的な感じさえ覚えました。
彼女とは、それまで挨拶ていどの付き合いだったんですが、それを機会にじっくり話をしてみると、互いに「ローラー・スケート好き」だと言うことも分かって来ました。
で、その盛り上がりの勢いで、そのころ流行のエラストマー・サス付きローラースケート(インラインスケートはさらに10年後)を、アメ横の「ムラサキスポーツ」まで買いに行き、その年の一夏、二人で滑って過ごしました。時には、人々が寝静まった真夜中、渋谷の住宅街を二人であちこち滑り回るなど、まあ「若さ」と言うんでしょうか、好き放題やってましたね。
・・なんて書くと、二人の距離が急接近しているかのように見えますが、じつはこのあと間もなく、なんと、彼女がすでに婚約している身であることを告白されてしまうのです。まるで、韓国ドラマのような?展開です。
そうして物語は一巻の終わりかと思いきや、ドンデン返しはまだ続きます。けっきょくのところ、彼女は婚約解消することになり、二人で彼女が行きたがっていたペルー旅行の計画を立てたりするのですが、それもつかの間、いろいろな事があって数年後の10月、なんと、突然この世を去ってしまうのです。23歳という若さでした。
そうして、あれから30年・・ 彼女が亡くなってからも私はタツロウを聴き続け、今回もまた新しいアルバムを手に入れたと言うわけです。けっきょく、彼女がタツロウを聴いた何倍もの長い年月を聴き、彼女の知らないたくさんの曲を知ることになりました。それを彼女は羨ましく想うのか、それとも「歌謡曲っぽいタツロウなんてガッカリ!」と言い放つのか・・・
23歳で亡くなる無念さは推し量ることも出来ませんが、反面、救いが無いわけでは有りません。3.11大震災の絶望的な光景も、原発の爆発・メルトダウンと言う底知れぬ恐怖も知らずに済んだのですから。
そうして、猛暑、酷暑なんて無かった時代の、心地よくて、でも少し切ない、あの懐かしい夏の記憶のまま去って行ったのだなあ、と言う想いも少しだけ沸き上がるのです。
長く生き続けると言うことは、出会わなくていい多くの悲しみに出会うことでもあるようです。それは有名なミュージシャンとて同じことで、アルバムのタイトルが「WooHoo」から「Ray Of Hope」に、つまり「希望という名の光」に変更されたことからも分かります。あからさまなチャリティーとかを好まないタツロウ氏ですが、このタイトルからは、被災地へのさりげない心遣いが感じられるのです。
恐らく、震災で亡くなった人々の中にも、山下達郎のニューアルバムを心待ちにした人たちが大勢いたことでしょう。彼らに比べたら、我々は幸運としか言いようが有りませんが、同時に、生き残った者として、何か重い荷物を背負ったような、そんな気もしないでは無いのです。
・・と、いろいろな想いが過りますが、ともかく、その人たちの分も、そしてあの彼女の分も、心して?、じっくりとこのアルバムを聴かせていただくことにします。
山下達郎
「Ray Of Hope」
2011/8/10リリース
それでも音楽は続いていく。
凝り性のタツロウ氏のことなので発売延期は珍しくないのですが、かつて「湯水のように金を使い、想い通りのコンセプトでアムバルを作りたい」と熱く語っていた同氏にしては、ずいぶん作り方が簡単と言うか、14曲中9曲がタイアップで、その他数曲ををまとめただけのモノになってる気がします。
まあ、アルバム(album)とは「閉じたもの、幾つかのものをまとめたもの」と言うことなので、本来の姿と言えなくもないのですが。
NEVER GROW OLD
(アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング)
希望という名の光
(映画「てぃだかんかん-海とサンゴと小さな奇跡-」主題歌)
街物語
(ドラマ「新参者」主題歌)
僕らの夏の夢
(アニメ映画「サマーウォーズ」主題歌 )
ずっと一緒さ
(ドラマ「薔薇のない花屋」主題歌 )
HAPPY GATHERING DAY
(「ケンタッキー・フライド・チキン」CMソング )
MY MORNING PRAYER
(NTV系「ZIP!」テーマ・ソング )
愛してるって言えなくたって
(ドラマ「冬のサクラ」主題歌 )
バラ色の人生~ラヴィアンローズ
(TBS「ブロードキャスター」テーマ・ソング )
こう並べてみると、メロディ的にはかつての面影は少なく、むしろ「新しいタイプの歌謡曲」と言えなくも有りません。なので、昔からのマニアックなファンにしてみれば、「タツロウは終わった」なんて痛烈な批判も出そうですが、私は、これはこれでいいんじゃないかと想ってます。
と言うのも、以前タツロウ氏がFMラジオで、「40歳過ぎても音楽の仕事が出来るとは想ってなかった。それでも仕事をくださるクライアント様には感謝しかない」と語っていたのを聴いていたからです。
ある年齢を過ぎてからは、仕事を選ばず依頼されたことに全力で取り組む、そう言う姿を貫いているのだと想います。「ARTIST」ではなく、まさに「音の職人:ARTISAN」と言ったところでしょうか。
たとえばドラマや映画のテーマ曲なんかでも、既成の曲をあてがうと言うのはまず無いのです。ストーリーを良く読み込んで、内容に合わせて書き下ろす曲ばかりで、そう言うところに「職人」の意気を感じます。
アニメ映画「サマーウォーズ」なんかもそうでした。これはネットでも評判がよく、「あの歌は物語にすごく合ってる」とか「聴くと、涙が出そうになる」なんてレビューがけっこう有りました。ストーリーに沿っているからこそ感動が倍増されるのでしょう。
そのせいか、アニメにツラれて、初めてタツロウ氏のコンサートに行った人もいたらしいです。が、行ってみると「タツロウって、すげえオッサンじゃん!」なんてビックリするらしいです。そりゃあそうでしょう。タツロウ本人も57歳を過ぎており、メインターゲットは50代の中年層ですからね。
とは言え、57歳のミュージシャンが未だ現役で、作った曲が若いアニメファンを感動させるなんて、ちょっと気分がいいじゃないですか。まあ、長年支持して来た古いタツロウファンとしては「そら見たことか。オレの眼に狂いは無かったね!」なんて自慢したくもなります。
・・って、得意げに言ってますが、本当は私も、自分で「山下達郎」を発掘したわけでは無いんですよ。遠い昔、ある女性から、彼の存在を教えられた一人だったんです。
今からもう30年くらい前のことになりますか。当時、美術大学の学生だった私は、同期の友人たちと「ロックバンドをやろう!」と盛り上がったことが有ったのです。が、どちらかと言えば「ガロ」とか「オフコース」みたいな、ハモリを得意とするフォークソング派だったもので、ハードロックにはほとんど馴染みが無かったんです。
で、「オレ、ロックは分らんな」なんて弱気な発言をしていたら、傍らで聞いていたある女の子が、翌日、十数枚のロックやブルースのLPレコードを持って来て、「全部あげるから、これ聴いて勉強しなよ」と手渡してくれたのです。見ると「ジミ・ヘンドリックス」や「エアロスミス」、「ジャニス・ジョップリン」などの名盤がそろっていました。
ところが、そんなギンギンロック少女の彼女なんですが、一番力説していたのが、なんと、まだ世間的には無名だった「山下達郎」だったのです。そして「タツロウのレコードは手放せないから、今度テープに録って来てあげるよ」と言われました。それが「山下達郎」を知った最初でした。
なので、私は最初からのファンと言うわけではないのです。言わば後からやって来た「よそ者?」ってところでしょうか。何しろ、シュガーベイブ時代からライブに通ってたくらいでないと、ディープなタツロウファンとは言えないらしいので。
とは言え、サウンドそのものには非常にショックを受けまして、一気にのめり込んで行きました。そうなってみると、それまで見過ごして来た多くの中に「山下達郎」の足跡を見つけることが出来たのです。
たとえば、いろんなミュージシャンのアルバムクレジットに、「コーラスアレンジ = 山下達郎」と言うのを見つけたり、何気なく聴いたユーミンの「12月の雨」のバックコーラスから、タツロウの声が聞こえて来るのに気づいたりなど・・
何より驚いたのは、コーラス好きの私なんですが、その時すごく気に入っていた「コカコーラ」のアカペラCMソングを歌ってたのが「山下達郎」だと知った時です。「これもタツロウだったのか?!」と、ホントにビックリしました。(ア・カペラなんて言い方すら知らない時代ですけど)
◎「コカコーラCM映像」YouTube
出世作「RIDE ON TIME」が大ヒットするのは、それから約一年後の1980年のことです。ある評論家をして、「それまで日本に存在しなかった音楽」とまで言わしめたほどの傑作でした。キムタクのドラマ「GOOD LUCK!!」でしか知らない人からすれば、「べつに?、普通の曲じゃん」と、ピンと来ないかも知れませんが、これ、30年前の曲ですよ!。君たちが生まれる前ですよ。・・これは当時としては、日本の音楽シーンを揺るがすほどの意味を持った曲だったんです。
同時に「後から来たよそ者」としては、彼女の目利きの確かさも認めなくてはなりませんでした。彼女にタツロウを教えられてから「RIDE ON TIME」がヒットするまで、あっと言う間の出来事で、何か、劇的な感じさえ覚えました。
彼女とは、それまで挨拶ていどの付き合いだったんですが、それを機会にじっくり話をしてみると、互いに「ローラー・スケート好き」だと言うことも分かって来ました。
で、その盛り上がりの勢いで、そのころ流行のエラストマー・サス付きローラースケート(インラインスケートはさらに10年後)を、アメ横の「ムラサキスポーツ」まで買いに行き、その年の一夏、二人で滑って過ごしました。時には、人々が寝静まった真夜中、渋谷の住宅街を二人であちこち滑り回るなど、まあ「若さ」と言うんでしょうか、好き放題やってましたね。
・・なんて書くと、二人の距離が急接近しているかのように見えますが、じつはこのあと間もなく、なんと、彼女がすでに婚約している身であることを告白されてしまうのです。まるで、韓国ドラマのような?展開です。
そうして物語は一巻の終わりかと思いきや、ドンデン返しはまだ続きます。けっきょくのところ、彼女は婚約解消することになり、二人で彼女が行きたがっていたペルー旅行の計画を立てたりするのですが、それもつかの間、いろいろな事があって数年後の10月、なんと、突然この世を去ってしまうのです。23歳という若さでした。
そうして、あれから30年・・ 彼女が亡くなってからも私はタツロウを聴き続け、今回もまた新しいアルバムを手に入れたと言うわけです。けっきょく、彼女がタツロウを聴いた何倍もの長い年月を聴き、彼女の知らないたくさんの曲を知ることになりました。それを彼女は羨ましく想うのか、それとも「歌謡曲っぽいタツロウなんてガッカリ!」と言い放つのか・・・
23歳で亡くなる無念さは推し量ることも出来ませんが、反面、救いが無いわけでは有りません。3.11大震災の絶望的な光景も、原発の爆発・メルトダウンと言う底知れぬ恐怖も知らずに済んだのですから。
そうして、猛暑、酷暑なんて無かった時代の、心地よくて、でも少し切ない、あの懐かしい夏の記憶のまま去って行ったのだなあ、と言う想いも少しだけ沸き上がるのです。
長く生き続けると言うことは、出会わなくていい多くの悲しみに出会うことでもあるようです。それは有名なミュージシャンとて同じことで、アルバムのタイトルが「WooHoo」から「Ray Of Hope」に、つまり「希望という名の光」に変更されたことからも分かります。あからさまなチャリティーとかを好まないタツロウ氏ですが、このタイトルからは、被災地へのさりげない心遣いが感じられるのです。
恐らく、震災で亡くなった人々の中にも、山下達郎のニューアルバムを心待ちにした人たちが大勢いたことでしょう。彼らに比べたら、我々は幸運としか言いようが有りませんが、同時に、生き残った者として、何か重い荷物を背負ったような、そんな気もしないでは無いのです。
・・と、いろいろな想いが過りますが、ともかく、その人たちの分も、そしてあの彼女の分も、心して?、じっくりとこのアルバムを聴かせていただくことにします。
山下達郎
「Ray Of Hope」
2011/8/10リリース
それでも音楽は続いていく。
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