2009年8月17日月曜日

オーラの泉に「倉本聰氏」登場

★こないだ「風のガーデン」のセリフの件で、倉本聰氏のことを話題にしたら、そのすぐ次の回の「オーラの泉」にゲスト出演していたので驚きました。

で、見てみたら、「北の国から以後の作品は自分が書いているのではない。神だか霊だかに書かされているんだ」なんて発言したり、生まれ変わりを自然に受け入れていたりと、否定するどころか、何だか、思いっきり霊を信じてる人だったんで、びっくりしました。
最初、ゲストと聞いて、いつものように言葉を巧みに連ねて「スピリチュアル批判」をするのではないか?、そしたら番組はどうなっちゃうの?と、ヒヤヒヤしながら見ていただけに、ちょっと拍子抜けと言うか、「肩すかし感」を受けましたね。

同時に思ったのは、「オーラの泉批判者」はどう考えたかと言うことです。彼らは以前から「あの番組はぜんぶ構成作家が台本を書いているフィクションなんだ」と言っていますが、だとしたら台本の大御所・倉本氏をゲストに呼ぶなんて、プロデューサーはあきれた度胸の持ち主じゃないですか?

かねてから、最近のテレビ番組について「低俗だ」と批判的で、ヤラセやねつ造に至っては「テレビは死んだ」なんて過激な発言もしている倉本氏なんですから、「ヤラセ、ねつ造疑惑の巣窟、オーラの泉」に呼ぶなんて、自殺行為に等しいです。

・・ところが、倉本氏は反論するどころか、江原氏と思いっきり意気投合していた、それがあっけない結末でした。ただ、もしかすると、あれを見ていた倉本ファンの中には、ガッカリした人もいるかも知れません。

かつて宜保愛子さんが健在だったころ、サッカーのラモス選手を霊視したことが有りました。ラモス氏は、ブラジルの家族のことなど、次々に言い当てる宜保さんの言葉にポロポロと感涙し、全面的に信用してしまったのです。

この様子をあるフリーライターが複雑な思いで見ていまして、彼はサッカーが大好きで、ラモスを神様のように尊敬していた人なのですが、当時インチキ騒動も持ち上がっていた宜保愛子を信用するなんて、ラモスはどうしちゃったんだよ!と、大混乱に陥ってしまった様子を雑誌に書いていたのです。

・・あんな状況が、倉本ファンにも起こったではあるまいか?、そんな気がしてしまうんです。

倉本氏の信念は「体験こそが全て」と言うように聞いています。富良野塾を始めた時も、貧乏を知らない人間が貧乏を描けるはずが無い。農業を知らない人間が農民を演じられるはずがないと、入塾料・受講料は一切無料とする代わりに、いっさいの生活費・衣食住生活の全てを自らの力で稼ぎ出すと言うコンセプトで始められました。

だから、肉を食べたいと思ったら、家畜を育てるところから、その家畜を自らの手で絞め解体するところから始めなければばならない、そう言うルールだったそうです。

だから、こう言う厳格な姿を知っているディープな倉本ファン(私も?)にとっては、霊的なモノを簡単に肯定する同氏の姿は、何かフワフワしてるみたいで、ショックだった人もいるんじゃなか、そんな風に思えるのです。

でも、逆に言えば、「体験こそが全て」と言い切る同氏の「スピリチュアル肯定発言」には、普通のゲストタレントには無い重みが有り、「倉本さんがそう言うなら信じるしかないか・・」と、考え直す人が増えるかも知れない、そんな気もしますね。

あっ、そう言えば、富良野塾にも不思議エピソードが有りました。たしか塾生の体験談だったと思いますが、ある夜トイレか何かで起きて、窓から外を眺めていたら、着物姿の女の子が雪原をサササッと走って行くのを見たと言うのです。

冬の富良野は雪も深く、真夜中にそんな小さな女の子が出歩くわけも無い。もしかするとあれは「雪ん子」だったのではないか・・、倉本氏はそんな話しも書いてましたっけ。

まあどっちにしろ、かの大◯教授の発言よりは、ずっと信用できる人物の話しであることは確かだと思いますよ。




  

2009年8月15日土曜日

河童のクゥと夏休み

★夏休みなので何かテレビで面白いものは無いかな、と思い、ちょうど放送されていたアニメ、「河童のクゥと夏休み」を録画しておきました。

で、何気なく観ていたのですが、物語が進んでいくうちに、背景画がやけに見たことあるような風景ばかりだなあ、と気になり始めました。

そこでもしや?と思って調べてみたら、やっぱりでした。主人公の少年が住んでいる町は私が住んでいる「東久留米市」で舞台で、河童を見つけた川は「黒目川」と言う設定でした。


そうと分かったら妙に親近感が湧いて来まして、ついつい見入ってしまいました。「ああ、この背景はあそこだ」と、すぐに分かるくらい実際の風景を克明にスケッチしていたのには驚きでした。東久留米はメボしい観光資源も無く、ドラマやアニメの舞台になるとは思ってもいなかったので驚きましたね。

で、なぜ東久留米なのだろう?と調べてみたら、原作者の「小暮正夫氏」が東久留米在住だったからなのだそうです。さらに監督自身も、上京して初めて住んだ町が、「ひばりケ丘(東久留米周辺)」だったことから、そこを舞台にアニメ化しよう、と考えた大きな理由だったみたいです。

まあ黒目川にも、昔から農家の人が川にキュウリを供え、水難に会わないよう祈る習わしがあったそうで、まったくの場違いでは無いと言うことのようですが・・

よく知らないなあ、と言う人はGoogleマップなどで「東久留米市小山」と検索してみてください。河童が見つかる「黒目川」が見つかるはずです。北側に「小山小学校」が有りますが、これが少年が通っていた設定の学校なのでしょう。それと、南側に「久留米中学」と言うのが有りますが、これは私が通っていた中学なんです。校舎の裏はすぐに川になっていました。

この川を挟んだ、向こう岸の岡の上には「故手塚治虫氏」の自宅がありまして、初めてそのことを知った時には思わず身震したものです。当時漫画家を目指していた私にとって、「これは運命に違いない」などと、勝手に感動してしまったのです。

が、じつはこの東久留米は、漫画家がたくさん住んでいる(いた?)町で、まあ、たまたまだったと言うことですな。手塚氏以外にも、「ジロがゆく」の「真崎守氏」や、「キックの鬼」の「中条けんたろう氏」、そして私の家のすぐ近所にはギャグ漫画の「板井れんたろう氏」も住んでいました。(描いた漫画を見せに行ったこともありましたっけ・・)

そう言えば、「高橋留美子さん」も東久留米在住だったそうですね。かの有名な「めぞん一刻」の舞台「時計坂」のモデルは、東久留米駅の旧駅舎周辺だそうです。

・・そう考えてみると、さっき「観光資源何も無し」と書きましたが、まんざら無いわけではなさそう?な気がして来ました。