スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2017の投稿を表示しています

年賀状のホントの意味

 ★今年もまた年賀状の用意をする季節となりました。最近はLINEだのメールだのがあるので、わざわざ紙のハガキに書いて出す、なんて面倒がる人も多いようです。かく言う僕も、友人知人からは、どちらかと言えば「あまり年賀状を出さない人間」として見られているかも知れません。 しかしですね、じつは、自分にはある信念?のようなモノがあって、そうなっているのです。「年賀状とは、遠く離れた友人どうしが、年に一度手紙を出し、互いの消息を確かめ合う」これが、年賀状の始まりなのだそうなのです。僕はこの本来の役割のために年賀状を出したいと思っているのです。 なかなか会う機会も無くなった古い友人同士が、一枚のハガキを頼りに互いの消息を確かめ合い、新しい年の健康を祈る、それが年賀状の本来の役割りなんです。 ところが現状はどうでしょう。いつでも(ひょっとしたら毎日?)顔を会わせる人ばかりが年賀状をやり取りし、遠く離れた人に対しては、「会わなくなってもう三年になるから、そろそろ出さなくてもいいかなあ」などと、フェードアウトで知らんぷり、ってのが実情ではないでしょうか。 へそ曲がりの僕はこれに反発したかったのです。現在進行中の友人知人よりも、むしろ離れて縁遠くなった人にこそ年賀状を出そう!。そんな「年賀状本来の使用法」に則って行動したかったのです。 しかしながら、これはウマく行きませんでした。親しい人からは筆不精だと思われ、縁遠くなった人からは「忘れたころに突如舞い込んだ年賀状」に戸惑ったような返信が届いたり・・。そのビックリしたようなコメントを読み、何か迷惑をかけたような心境になって、次からはつい遠慮してしまうのです。 現代社会においては、年賀状本来の姿を復活させることは困難なのだと言うことを思い知らされました。で、結果として僕は、はたから見れば「あまり年賀状を出さない人間」になってしまったのです。 もともと僕は「絵描き」の端くれなのですが、そういう芸術家気質の人間のやることは、なかなか世の中に受け入れられないモノではありますね。僕の場合「物事の原初を大事にする」と言う信念、気質がありまして、それが行動の根本になっていることが多いのです。 この間テレビで、ラグビー日本代表監督として大躍進させた「エディ・ジョーンズ氏」が、大勢のラグビー関係者の前で講義をしている場面に出くわしました。そこに出席していた

お◯さんの呪い?

★今年も夏になりましたので、また一つ「怖い話し(不思議な話し?)」でもしておきましょうか。今回は定番中の定番、「四谷怪談・お岩さん」にまつわるお話しです。 このブログでも何回か書きましたが、僕はかつて四十数年前の中学時代、何人かの友人たちと「心霊研究会」みたいなことをやってました。なのでいわゆるテレビの「心霊特集番組」はまず間違いなく見ていました。これは、そんな中学時代の夏休みの出来事です。 その日の夜、テレビで「納涼・心霊特集(正確なタイトルは覚えてません)」をやると言うので、心霊仲間のひとりが「一緒に見よう」と僕の家を訪れていました。 その時代の心霊番組は今と違って平凡というか古典的というか、「よーく目を凝らしたらそう見えなくもない?」程度の心霊写真がやっとで、あとは定番の怪談話しで締めくくる、なんてのがほとんどでした。その番組でも、怪しげな心霊写真数枚と芸能人が体験した霊現象の話し、そして「四谷怪談」にまつわる祟りの伝説について放送していました。 昔から、映画とか歌舞伎などで演じる時には、出演者は必ず「お岩稲荷」にお参りをして祈願をしないと、急病人が出たり事故で怪我人が続出するなど、お岩さんの祟りに遭うという、あの怖い言い伝えです。そんな芸能界での「祟りの実例」を見ながら、なぜか腹が立って来まして、つい憎々しげに友人に言ってしまったのです。 「お岩さんて、死んでからもう何百年も経ってるんだろ?。なのに未だに成仏できず、関係ない人に祟りまくるって、どうしようも無いヤツだな」(あっ!、今は全然こんなこと思ってませんから。まったく思ってません、‥‥念のため) 僕のその言葉に友人は少し苦笑しただけで、特に感想らしきことは言いませんでした。なので、たぶんその友人には何も起こらなかったと思います。 友人が帰宅したあと僕は風呂に入って汗を流し、そのまま寝ることにしました。その頃は育ち盛り?ですぐ眠くなるたちでした。たぶん10時ごろには寝床に入っていたと思います。・・・そして間も無く異変が起きるのです。 眠気でウトウトし始めたときのことでした。突然「ガラガラガラガラッ!!」という、とてつもなく大きな音で目を覚ましたのです。僕はビックリして跳ね起き、網戸を開けて外の様子をうかがいました。雷だと思ったのです。 ・・ですが、外は何事も無い静かな夏の夜でした。「変だな」と思い、もしか

今ごろ?、広島カープ25年ぶりリーグ優勝のお話し?!

★これは、昨年25年ぶりに優勝した広島カープのお話しです。 2016年7月終了時、二位・巨人に10ゲーム以上の差を広げた広島カープでしたが、8月に入って突如失速、連敗が続き、どんどんゲーム差が縮まって危うい状況となりました。すると巨人ファンがにわかにザワメキ始めたのです。「リメイクドラマの始まりだ!」と・・・ スポーツ・メディアも「1996年のメイクドラマも同じオリンピックの年だった」などと、ゲーム差やチーム状態など、どれだけ酷似しているかを盛んに調べ、流し始めたのです。 もちろんカープファンの僕の心中は穏やかではありませんでしたよ。ハラハラドキドキです。・・でもですね、そう思いながらも反面、「これは一週間の我慢だ。一週間たてば元通りの快進撃が始まるはず」と言う確信めいたものがあったんです。と言うのも、僕には失速が起こった理由がほぼ分かっていたからなのです。 2016年8月3日に行われたヤクルト戦で、空振りしたバレンティン選手のバットが、広島のキャッチャー石原の頭部を直撃、脳震とうを起こして倒れたまま担架で運ばれました。このアクシデントで司令塔・石原を失った広島カープは、正にこの日この瞬間から失速を始めたんです。 現在のプロ野球では、頭部直撃の負傷をした選手は、後遺症が残らぬよう治療及び経過観察のため、「一週間の出場停止」が義務づけられています。つまり僕が「一週間の我慢だ」と言ったは、この出場停止の「一週間」のことだったんです。 この間、代役としてマスクを被ったのは「會澤捕手」でした。カープ期待の若手で、打撃センス・パンチ力が素晴らしく、ファンの間では巨人・阿部のような「打てるキャッチャー」になるのではないか?と密かに期待された選手でした。 しかしそのリードはスポーツニュースで野村克也氏に酷評されます。特に巨人との直接対決で、阿部選手に浴びた逆転の本塁打などは、「何を考えているのか意味がわからん!。ピンチで長打の阿部、アウトコースで逃げまくるしか無いだろ。なんでインコース勝負なのか?!」と、散々でした。 それを聞いた僕は、「やっぱり會澤じゃダメなのかなあ」と、ちょっと辛い気持ちになりましたが、とは言え、これで石原と會澤のリード能力の差はハッキリとしました。4.5ゲーム差まで迫られた窮地を脱するには、會澤には悪いが、やはりキャッチャー石原の復活に期待するしかないのです

iPhone7plusに買いかえた

★これまで使い続けて来た「iPhone5」ですが、老眼の進行により、とにかく文字が見えにくくなりまして、ついに画面サイズ5.5インチの「iPhone7plus」にかえることにしたのです。 結果、使い勝手すこぶる良好となりました。非常に見やすいですね。これならメールやLINEだけでなく、電子書籍も楽しめそうです。本は何冊かダウンロード購入していたのですが、iPhone5ではとてもじゃないが読む気になれませんでした。あと、漫画も何とかいけそうですね。 上の写真、右の小さいのは「iPhone5」です。下取り機種交換にすれば多少支払いが安くなるのですが、自転車用のナビには大きさがちょうどいいので、iPhone7plusをルータ代わりにして、デザリングでつないでナビとして使用することにしました。 今年は、iPhone発売10周年記念で、記念モデルが出るのでは?との噂もあるし、使用中だった「iPhone5」も、整備品(中古をオーバーホールして発売した製品)の割にはバッテリー状態がよく、まだ使えそうだったのですが、まあ、この辺が潮時かな?と言うことで、思い切って注文してみました。 それと、アメリカがトランプ大統領になったことでアップル社にも圧力がかけられ、「iPhoneをパーツから何から全部アメリカ国内で作れ!」って言い出したと聞き、もし本当にそうなったら、価格とかどうなるだろ?と、すこしだけ心配になった?ってことも有ります。たぶん価格は大幅に上がるだろうし、性能の安定性も失われるかも知れません。 まあ、トランプさんの暴君ぶりには、毎日のように世界中の人々が驚かされてますが、いったいこれから先どうなるんでしょう。 ・・と思っていたら、「イスラム圏7カ国からの入国を禁止」との大統領令に対し、米国各州の司法長官が違憲であると表明し、ついに裁判所が「一時的に効力を停止」との裁定を下しました。 このニュースを聞いて震えませんでしたか?。僕は震えましたね。さすが自由の国、「腐ってもアメリカ」。僕の好きなベースボールが生まれたその国では、法の番人は決して権力に屈しなかったと言うわけです。その姿を見せつけられ感動すら覚えましたよ。 これにはトランプ大統領、まあ怒ってましたけどね。「テロからアメリカを守るための大統領令だぞ。どこが悪い!」ですが、この発言に反感を持った市民からは、「憲法の勝利だ!