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今ごろ?、広島カープ25年ぶりリーグ優勝のお話し?!

★これは、昨年25年ぶりに優勝した広島カープのお話しです。


2016年7月終了時、二位・巨人に10ゲーム以上の差を広げた広島カープでしたが、8月に入って突如失速、連敗が続き、どんどんゲーム差が縮まって危うい状況となりました。すると巨人ファンがにわかにザワメキ始めたのです。「リメイクドラマの始まりだ!」と・・・

スポーツ・メディアも「1996年のメイクドラマも同じオリンピックの年だった」などと、ゲーム差やチーム状態など、どれだけ酷似しているかを盛んに調べ、流し始めたのです。

もちろんカープファンの僕の心中は穏やかではありませんでしたよ。ハラハラドキドキです。・・でもですね、そう思いながらも反面、「これは一週間の我慢だ。一週間たてば元通りの快進撃が始まるはず」と言う確信めいたものがあったんです。と言うのも、僕には失速が起こった理由がほぼ分かっていたからなのです。

2016年8月3日に行われたヤクルト戦で、空振りしたバレンティン選手のバットが、広島のキャッチャー石原の頭部を直撃、脳震とうを起こして倒れたまま担架で運ばれました。このアクシデントで司令塔・石原を失った広島カープは、正にこの日この瞬間から失速を始めたんです。

現在のプロ野球では、頭部直撃の負傷をした選手は、後遺症が残らぬよう治療及び経過観察のため、「一週間の出場停止」が義務づけられています。つまり僕が「一週間の我慢だ」と言ったは、この出場停止の「一週間」のことだったんです。

この間、代役としてマスクを被ったのは「會澤捕手」でした。カープ期待の若手で、打撃センス・パンチ力が素晴らしく、ファンの間では巨人・阿部のような「打てるキャッチャー」になるのではないか?と密かに期待された選手でした。

しかしそのリードはスポーツニュースで野村克也氏に酷評されます。特に巨人との直接対決で、阿部選手に浴びた逆転の本塁打などは、「何を考えているのか意味がわからん!。ピンチで長打の阿部、アウトコースで逃げまくるしか無いだろ。なんでインコース勝負なのか?!」と、散々でした。

それを聞いた僕は、「やっぱり會澤じゃダメなのかなあ」と、ちょっと辛い気持ちになりましたが、とは言え、これで石原と會澤のリード能力の差はハッキリとしました。4.5ゲーム差まで迫られた窮地を脱するには、會澤には悪いが、やはりキャッチャー石原の復活に期待するしかないのです。「一週間の辛抱だ。そしたらまたカープが息を吹き返す!」

そうして僕の予想した通り「カープ快進撃の再開」は、まさに石原捕手が復帰した一週間後から始まるのです。巨人ファンのみなさんは「あと一息だったのに!。全部あいつ沢村のせいだ!」と怒ったようですが、そうじゃないんです。極端に言えば、石原捕手の離脱と復帰に踊らされたようなもの・・、なので、そんなに沢村投手を責めないで?あげてください。

では、石原捕手とは、そんなに凄いキャッチャーだったんでしょうか。まあ、じつは、カープファンの僕が言うのもナンですが、「特別に肩が強いわけでもなく、堅実ではあるけれど、ごく平凡なパッとしないキャッチャー」と言うイメージが強かったのです。しかも2016年当時で37歳のベテラン。なので、多くのカープファンがそうであるように、そろそろ打撃が魅力の「會澤捕手」に切り替えた方がいいのではないか?と思っていたくらいなのです。

ですが、そのイメージをガラリと変えたのは、解説をしていた達川氏の言葉でした。カープが苦手としていた交流戦を好成績で乗り切ったころ、スポーツニュースで「カープ快進撃の要因は?」と尋ねられた達川氏がこう言ったのです。

「ズバリ、石原!。キャッチャー人生の集大成のような素晴らしいリードをしてます」と・・・

多くの解説者が。黒田だ、新井だ、菊池だと名を挙げる中で、僕が知る限りでは、石原捕手の名前を挙げたのは達川氏一人だけでした。その言葉を裏付けるように、後に沢村賞を獲得するエース、ジョンソン投手も、石原復帰の知らせを聞き、「イシハラが帰って来る!。これでミットめがけて思いっきり投げられる!」と歓喜したそうです。ピッチャーからも絶大な信頼を得ていたという証でしょう。

つまり、僕の脳裏には、達川氏の言葉が強く印象に残っていたわけなんです。で、2016年カープ最大のピンチ「リメイクドラマの危機」に、「まてよ。よく考えたら、この失速は石原の離脱から始まっているよなあ」と気づき、「ならば、一週間後の石原の復帰と共に脱出できるはずだ」と自信を持って予言?することが出来たのです。

同時に気になったのは、達川氏に「キャッチャー人生の集大成」とまで言わせた石原捕手の突然の名リードとは、何がどうなって始まったのか?。無難で平凡だったキャッチャーが、どんな理由で一流の仲間入りを果たしたのか。それがファンとしては何より大きな疑問でした。

その答えもまた、後日、達川氏の発言からもたらされます。25年ぶりのセ・リーグ優勝間近のこと。テレビ中継の解説に招かれた達川氏は、アナウンサーの「黒田投手がカープに与えた一番大きな影響とは何だったのか?」との質問に対し、迷わず「広島投手陣に、ストライクゾーンで勝負するゆうことを教えましたね」と話したのです。

「ストライクゾーンで勝負する」

それは唐突な発言だったのかも知れません。質問したアナウンサーも同席した他の解説者も、ほとんど反応することが出来ないほどで、なぜなら、これまで日本の野球界ではずっと、「ボールゾーンで勝負できる投手、ボール球で打ち取れる投手が一流のピッチャー」と言われて来たからです。

「ボール球で打ち取るのが名投手?」

確かにこのセオリーは、「2ストライクまで滅多にバットを振らない」時代の、古き良き日本野球の考え方と言っていいかも知れません。「追い込まれたバッターが、つい手を出してしまうような微妙なボール球で打ち取る」、これこそが、長くピッチングのお手本となって来た考え方でした。

ですが、アメリカへ渡った黒田投手は、初球からフルスイングするバッターの威圧感に恐怖を抱いたと言います。「日本みたいに、のんびり2ストライクまで待ってはくれないのだ・・」「かと言って、ボール球で逃げていてはカウントを悪くするだけ・・・」

そこで黒田投手は「ストライクでも打たれない威力のあるボールを身につけなければ・・」と、インコースをエグるツーシームをマスターすることになりました。そして、その考えはやがて「ストライクゾーン勝負で打者に勝てない投手はメジャーでは生き残れない」との結論に達するのです。

引退し、ゲスト解説者として招かれたテレビ中継でも、「ストライクゾーン」へのこだわりが語られていたように思います。それと「強打者に対しても必ずインコースを攻める」こととか、初球打ちのバッターにはボール球から入る、と言う決まりごとにも、「ストライクを1つ損するだけの無駄な投球」として完全否定していたのには少し驚きましたが、改めて黒田投手が学んで来た「メジャー流」と言うものを知ることが出来ました。

もっとも、ここ10年あまりで、日本の野球界においても「初球打ちは当たり前」がセオリーになっており(高校野球などアマチュアでも同様)、黒田投手が持ち帰って来た「メジャー流」は、偶然か必然か「時代にうまくマッチした」と言うことになるのかも知れません。それを現役バリバリのまま実戦で証明してみせたことが、カープ投手陣を納得させる大きな要因となったのでしょう。

その「考え」はまず、日本復帰1年目にキャッチャー石原に伝えられ、彼のリード方法を大きく変えることになりました。そして翌2016年には、達川氏に「キャッチャー人生の集大成」と言わしめた名リードとなって、若い投手陣全体に浸透して行くことになるのです。

黒田投手の人柄は、世間的には「男気」と言われ、何となく「古風で不器用なイメージ」が付きまといますが、実際には、常に新しいことに目を向け、どん欲に吸収して自分のモノにしてしまう、「先進的で起用な人物」なのであります。

ところで、この黒田投手と対照的なピッチングしていたと思われるのが、巨人の菅野投手です。2016年は優勝争いのライバルチームのエースとして、事あるごとに投球を見させてもらいましたが、彼こそ古風で典型的な「ボール球勝負の投手」のような気がします。

巨人ファンのみなさんは、菅野投手が「なんでもっとスイスイ勝って、簡単に20勝してくれないのだろう」と不思議に思ってませんか?。僕も入団当初から「能力はすでにメジャー級!」と思っていたので、とても不思議でした。

どうもそれは、恐らく彼が、少年時代から教えられて来たであろう日本野球のセオリー、「ボール球で打ち取るのが名投手」のせいではないかと思ったのは、2015年のクライマックス・シリーズ「対ヤクルト戦」を見た時のことです。

菅野投手は、絶妙なコントールと威力十分のストレートで、2ストライクまでは簡単に追い込むのです。が、それ以降は「ボール球勝負」の教えを忠実に守り、ほとんどボールしか投げないのです。しかも正確なコントロールを持っているので、手元が狂ってストライクゾーンをカスるなんてことも有りません。

なので、ヤクルト打線の菅野攻略法は徹底していたように見えました。

「打つならカウント球の初球か2球目を狙う」

「打ち損じて2ストライクになったら、クサいコースは全部見逃す」

2ストライク後はボールしか投げないと分かっているので、クサいコースをカットする必要が無いのです。黙って見逃せばフルカウントまで持ち込めるので、そうなれば立場は五分と五分、攻略の可能性が出て来ます。結果として、菅野投手はフルカウントから四球を連発、自滅してシリーズ敗退の大きな要因となりました。

最初あのゲームを見たとき、菅野投手は大試合でのメンタルが弱いのかな?と思ったのですが、どうもそうじゃなかったようですね。で、これが短期決戦ならともかくシーズン中となれば、球数が多くて守り時間が長くなり、野手がリズムをつかみづらく、援護の打撃にも影響するのかな?なんて思ってしまいます。

まあ、アンチとしてはこのまま眠っていて欲しいという気持ちも有るのですが、今年はずいぶん調子がいいようです。聞けば、先のWBCで、予選ラウンドでノックアウトされた後、権藤コーチから「スライダーに頼るな!」と一喝されたそうで、決勝ラウンドではスプリット系を多用し好投につながったとのことです。

権藤コーチがどんな意図で伝えたかは不明ですが、もし2017年「菅野覚醒」が有るとすれば、かなり大きな一言だったといえるかも知れませんね。

さて、話しを広島カープに戻しますと、2017年はスタートダッシュに成功、しかし、その後は一進一退を繰り返し、昨年のような快進撃とは言えない状態が続いています。これには色んな人が「黒田の不在」とか「ジョンソン投手の離脱」などを話題にしていますが、僕はこれまでの経緯から、当然キャッチャーの起用法に注目しています。

開幕からここまで、石原捕手と會澤捕手がほぼ同数で先発マスクをかぶり、石原一辺倒だった昨年とは異なる状況となっています。「名捕手の仲間入り」をした石原も今年で38歳、後継捕手の育成が急務となっているのです。

野村克也氏に「意味がわからん」と酷評された會澤の「阿部選手へのインコース攻め」も、黒田投手の語る「強打者へのインコース攻め」を実践した結果なのでしょう。ただ石原ほど納得の行く論理的?組み立てが出来ていなかったのかも知れません。何しろあっちは百戦錬磨、「キャッチャー人生の集大成」を賭けた熟練のリードだったんですからね。

果たして、石原捕手は黒田投手から託された「ストライクゾーン勝負の極意」を、會澤捕手や若い投手陣に伝承、定着させることが出来るのか?、気になるところです。そしてこれはカープ1球団に留まらず、すでに浸透している「初球ヒッティング」同様、「セオリー」と言うものに、大きな変革をもたらす可能性を秘めたモノかも知れないのです。


・・・ところで、なぜ今頃になって「2016カープ優勝」の話しなのか?と言うことですが、じつは僕がカープについて何か話題にすると、そのとたん失速して低迷が続くというジンクスが有るからなのです。なので、昨年はどうしても優勝して欲しい特別な年だったので、一切カープについて語らず、ブログに書くこともしませんでした。

そのお陰?で、見事、圧倒的なゲーム差をつけて優勝することが出来たのですが、一度だけ、LINE仲間から「カープ優勝おめでどう!」の祝辞をいただきまして、その時はさすがに無言では失礼かと思い、苦渋の決断?で「ありがとう」の返信をしたところ、何んと、日本シリーズで惨敗するという悲劇が起こりまして、「やっぱりなあ・・」と言うことになったわけなのです。

じゃあ今年はどうなのかと言うと、僕は野球界の活性化という意味で、「毎年違うチームが優勝する」ことを推奨しておりまして、その意味では、今シーズンはカープ以外の優勝でもいいのかな・・、それより5年先10年先を見据えて、會澤捕手の正捕手育成を目指して欲しい、なんて思っている次第なのであります。

なので、とりあえず2017年は、「広島カープについて大いに語ってもいい年」と言うことで、よろしくお願いします・・・


 

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前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそう...

東京のそばつゆ

★世の中には「そば通」と言う人は多くいまして、テレビでもそう言うグルメ番組やレポーターがたくさんいて、「あの店のは最高だ」とか言う話しを聞くことがしばしばあります。 ただ僕には解せないことがひとつ有って、あれだけ「そば」について論じながら「そばつゆ」について論じる人がほとんどいないと言うことなんです。 僕もいちおうそば好きなので、時には名店と呼ばれる店に入って食べることがありますが、その内、半分くらいは「そばはいいけど、つゆが大失敗だなあ」とガッカリすることが多いのです。 そばを活かすも殺すも「そばつゆ次第」だと思っているので、これは不思議です。 昔はともかく、今では、そばの名店やそば打ち名人なんて日本中にごろごろいるので、何処へ行っても、そこそこのそばは食べられるようになりました。と言うことは、これから味の違いや決めてとなるのは「そば」そのものよりも「そばつゆ」なのではないかと思うのです。 店によっては、そばの風味を味わうために、つゆにつけず塩をまぶして食べさせるところもあるようですが、これはお品書きのひとつとしては面白いと思いますが、ちょっと「邪道」の匂いがしますね。 もともと江戸のファストフードとして定着したそば(そばきり)を、そこまでストイックに食べなければならないと言うのは、かなり息苦しいことだと思います。それに、だいたいそう言う店って、二口か三口で無くなってしまうような一握りのそばで、千円くらい取るんですよね。あれ、ボッタクリじゃないですか? 「気取ってんじゃねえよ!」と、わめきたくなりますが、まあ、ワタクシごときがいくら発言したところで、「素人が!」とまったく相手にされない事はわかっているので、そういうお店はほっといて、素人は素人なりに、自宅では自分の好きな味の「美味しいつゆ」で、気楽にいただきたいと思うのです。 その時には写真の 「永坂更科のそばつゆ」 が一番のお勧めです。今のところこれに代わるものは無いんじゃないでしょうか。これは東京風(江戸風)のやや濃厚な甘辛そばつゆでして、一番おそば屋さんに近い味になってます。 何種類かあって値段の違いがあるのですが、高い方が美味しいと言うわけではなく、好みの違いのようです。僕は貧乏性のせいか、一番安いつゆが一番好みでした。 ともかく...