2011年5月30日月曜日

ブレード走行「小俣 - 藤岡」渡良瀬川自転車道


★「3.11東日本大震災」以来ずっと、「今年はムリなのかも知れない」と想っていましたが、けっきょくまた行って来ました。5月3日、JR両毛線「小俣駅」に集合、目標ゴールは渡良瀬遊水池です。


震災直後、3月12日の野球はさすがにキャンセルしたものの、次の週くらいには期待できのでは?と想いました。

ですが、原発のメルトダウンなど震災の全貌が明らかになるに連れ、「もはや野球どころじゃないだろう・・」との気持ちが強くなって行ったのです。

試合を予定していた数チームからも、そして審判の方からも「中止やむなし。ゴブリンズの判断にお任せします」の連絡が届き、以後の数試合について、いよいよ決断を迫られることになっていました。・・ですが、震災から2、3日後でしたか、少し考え方が変化して来たのです

これは阪神淡路の時とはまるで規模が違う、破滅的な大震災だ、ヘタをすると影響は想像以上の長期に渡るかもしれない。もしそうなら、いったん始めてしまった自粛は、解除のチャンスを失い、やがては日本経済沈没の危機にもなりかねない。

ならば、ここは自粛では無く、あえて野球を決行、そして参加するほんの20名ほどではあるけれど、震災報道で滅入った気持ちをリフレッシュし、月曜からの仕事に打ち込むことが出来れば、微弱ながら日本経済に貢献できるかも知れない、そう想ったのです。

たかが1草野球チームの決断でしたが、あれで正解だったと想います。

その後、被災地の方から「過剰な自粛をせず普通の暮らしをして欲しい。それが被災地の復興につながる」との発言をもらい、自分たちの考えが正しかったことを確認できました。

そうして、これらのことが重なり、中止になりかけていた「ブレード隊2011計画」も復活、「自粛よりも日々の暮らしを取り戻そう」との声を頼りに、目出たく?決行の運びとなったわけなのです。

それにしても石原慎太郎・東京都知事の東京大空襲まで引き合いにした「自粛強制発言」にはガッカリしましたね。ずぶの素人でも行き着いた近未来ビジョンを、プロの政治家がイメージ出来なかったんですから。

同知事からは「震災は天罰だ」との暴言も飛び出すなど、ホントにガッカリな人物です。ホントは辞めて欲しかったんですが、ナゼか?選挙で当選してしまっては仕方ありません。まあ、せいぜい頑張ってもらうしかないですな。

さて、とりあえず決行は決まったのですが、予定していたルート「りんりんロード」は、新妻隊員の都合により不可となり、急遽「渡良瀬川自転車道」に変更となりました。

が、本来の出発点「桐生市」からだと、ゴールとなる渡良瀬遊水池までは約50km。昨年50km越えでとても苦労したので、今回は両毛線「小俣駅」付近から始めることになりました。ここからなら40km強で収まるはずです。

しかしコースが決まると今度は天候が安定せず、8年間続いて来た「奇跡の晴天走行記録」は、ついに途絶えてしまいました(高橋単独含む)。しかもおまけに、大規模な黄砂が来襲するとの情報が入り、一日ズラしてはみたのですが、とにかく今年はいろいろ有りました。

「でも川沿いなら、道に迷う心配も無いし楽でしょう」と想うかも知れませんが、これが迷うんですね。今回は二度も迷いました。測定では計6kmのロスです。実は、この6kmの迷走さえ無ければ、何とかゴールにたどり着けていたはずなので、けっこう痛い数値なのです。

一度目は、歩いていた地元の親父さんに、間違った情報を教えられ、迷ってしまいました。

二度目の迷路は、セイタカアワダチソウが鬱蒼とした道でした。最初は、花に囲まれたいい道だと想ったのですが、進むに連れ、強風のせいなのか、路面を覆うように倒れていたのです。

ほとんど滑れない状態ながら、「ここさえ抜け出れば」と、スケートを履いたまま2kmほど歩いて?行ったら、なんと無情にも行き止まり・・。仕方なくまた2kmを引き返した時には、ほとんどモチベーションを失っていました。特に隊長である私は、初めての「K2」のブーツに足が慣れず、痛みを堪えての走行となってしまいました。K2は足が痛まないとのウワサを頼りに買ったのですが、個人差も有りそうです。

他の二人の隊員は、そこそこ気持ちを立て直したみたいですが、今度はサイクリングロードが「工事中にのため行き止まり」となっていて、けっきょくそこで力つき、ブレード走行は終了となってしまいました。

しかしながら、最後の食事に入った栗橋駅前のそば屋「作吉」は、蕎麦だけでなく色々メニューがあって楽しめたし、大当たりでした。また「蕎麦をつまみに日本酒を飲む」と言うのも三人でやりまして、たいへん美味しゅうございました。今回は十割蕎麦でしたが、茶蕎麦もいけると想ってます(出来れば熱燗で)。

これは永井荷風の時代に文壇で流行った飲み方でして、私は本来これが好きなんですが、今までは「ソバで酒?!」と、ゲテものでも見るような顔をされることが多く、今回、二人の隊員たちに分かってもらえたのが嬉しかったのであります。(彼らは私と言うより、テレビのタモリさんの影響のようでしたが・・)

あの店は、ゴブリンズの納会でも楽しめそうなくらい雰囲気も良くメニューも豊富で、とても良かったのですが、わざわざ栗橋まで行くことなど無いわけで、ちょっともったいない気がしました。

もちろん個人的にも、恐らく再び訪れることなど無いでしょう。あれだけ飲み食いして一人3000円ちょっと(だったけ?)。ささやかながら日本経済に貢献したあと、ほろ酔いでひとり、一期一会の感傷に浸ったりする高橋隊長なので有りました。






  

2011年5月22日日曜日

児玉清さんと野菊の墓

★すでにご存知のように、俳優の児玉清さんが亡くなりました。司会や読者家としても良く知られていましたが、僕にとっても、近年は書評家としての印象が強かったような気がします。なので、訃報を聞いてまず思い出したのが、書評家として語った、伊藤左千夫の「野菊の墓」についてのコメントでした。

「時折り、自分の心がすさんでいないか。みずみずしさを失っていないか。その確認のために読み返すことにしています」

確かこんな感じの言葉だったと想いますが、これだけでも、児玉清さんの人柄が分かる気がするのです。「野菊の墓」と言うのは、有名な作品なので説明の必要も無いと想いますが、簡単に言えば、封建的な道徳観の残る時代ゆえに、引き裂かれていく思春期の悲恋物語、と言うことろでしょうか。

これを「時折り読み返している」と言う児玉さんは、なんて堂々とした人なんだろう、と想いました。普通は「いい歳をして、そんな青臭いモノを・・」と想われるのが恥ずかしく、隠したがるものなんですがね。

僕にとっては小説「野菊の墓」よりも、映画「野菊のごとき君なりき」の方が先でした。木下恵介監督の名作です。中学生の時に初めて観て涙がとまらなくなりました。どうすることも出来ない悲しみと、思春期の純粋さに心が洗われて行く感じがしたのです。これ以外にもたくさん映画化やドラマ化されましたが、やはりこれが一番ですかね。

冒頭に登場する、笠智衆さん演ずる年老いた主人公「斎藤政夫」が、矢切の渡しで船に乗り、川面を見つめるのです。そして遠く過ぎ去った故郷の想い出と共に、若くして亡くなった二つ年上の従姉「民子」を想うシーン、懐かしさと切なさと、ここで一気に物語に引き込まれてしまうのです。

じつは、吉田たくろう氏の曲「マークⅡ」の歌詞に、
「年老いた男が、川面を見つめて、時の流れを知る日が来るだろうか」
と言うくだりが有るのですが、あれは、このシーンを見てイメージしたのではないだろうかと、勝手に想像したりしているのです。

物語の本当の舞台は「千葉県矢切村( 現在の松戸市下矢切 )」なのですが、残念なことに?あの映画のロケ地は信州だったらしいです。観光の目玉にもなっているようで、その影響なのか、信州が舞台だと想っている人も多いみたいです。

僕は大学時代、友人が市川市に住んでいたことがあって、何度か遊びに行ったおり、「野菊の墓」のことを思い出して、市川から松戸まで川伝いに歩いたことがありました(10kmくらいだったでしょうか)。その途中で、不意いにあの有名な「矢切の渡し」に出くわし、しばしそこで佇んだのです。

今では両岸とも住宅が迫って来てはいますが、かつては遥か遠くまで田畑が続いていたはずの場所です。そこに立ち、「ここが、あの小説の舞台か・・」と、一瞬タイムスリップして、かの時代に思いをはせたのです。一説には自叙伝だったと言う話しもあり、だとすればそこで本当に、あの悲し過ぎる別れがあったと言うことにもなるわけです。

児玉清さんも、やはりあの川のほとりを訪れたのでしょうか。そして遠い昔の、田園風景に消えて行った、実らぬ恋を想ったのでしょうか。