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第一回ゴブリンズ探検隊《中里海岸物語り1997》

「今日から、ゴブリンズは探検隊にします・・」
1997年、冬。ゴブリンズは最悪の事態に見舞われていた。
メンバーの内5名が退団、仕事のためハワイへ移住することになったのだ。

この重大危機に、キャプテン高橋は新宿にメンバーを召集。
開店記念クーポン券のビラ配りに釣られて、
出来たばかりの居酒屋「おふくろ」にて緊急ミーティングを開き、そこでこう宣言した。

「残念ながら、ゴブリンズは草野球チームとしての活動を停止します」
驚きを隠せないメンバーを前に、さらに続けるのだった。
「・・これよりゴブリンズは、探検隊となります!」
  
・・同じ夜、その居酒屋から数百メートル離れたホテルでは、ある結婚式がとり行なわれていた。それが2年後ゴブリンズに入団し、球団復活に貢献、エースとして活躍することとなるワタナベ投手の挙式であることは、まだ誰も知らない。

・・が、ともかく「探検隊」としての活動を最後に、ゴブリンズに終止符を打つ。
それがこの時の、キャプテン高橋の心づもりであった。
これは、その空白の2年間に行われた、インチキ探検隊の全記録である。




第一回ゴブリンズ探検隊《中里海岸物語り1997》

★嵐の予感がした!★

窓の外は嵐だった。キャプテン高橋は少なからず不安になっていた。
「みんな、ほんとうに行くつもなのだろうか?」
初のゴブリンズ探検隊決行の前日、台風7号が日本列島を襲い、激しい風雨に見舞われていた。しかし、各隊員からの弱音を吐くような問い合わせの電話は一本も無かったのである。

『これはチャラチャラしたサークルなどでは無く、生死を賭けた探検隊であって、たとえ暴風雨であろうと前進し、砂浜を蹴散らし、誰もいない海であろうと、冷たい雨が吹き込んで来ようとも、這いつくばって、何がなんでも焼き肉に食らいつく、そのくらいの気構えが必要なのであ~る!』

と、鼻息も荒くキャプテンが宣言してしまったからたまらない。隊員たちは覚悟を決め、どっしりと落ち着き払って、来たるべき、探検決行の明日を待ち受けているようなのだ!

「あんなこと、言わなければ良かった・・」
ただひとり、キャプテンだけが激しい後悔の中にいた。と、その直後だった。突然キャプテンの脳裏に、折れた木の枝が激しく飛び交う嵐の高速道路SAで、たった一人、傷だらけでメンバーを待ち続ける自分の姿が浮かんで来たのだ。

「まてよ? ひょっとしてあいつら、知らんぷりして、すっぽかすつもりじゃねえのかあ?」そんな戦慄が走った。このところゴブリンズのメンバーも、年齢と共に「社交辞令」を覚え始めているので、彼らの二つ返事を真に受けては危険なのだ。


あわてて電話をするキャプテン・・、ところが、
「いきますよ。メール送ったじゃないですか!。見てないんですかあ!?。もう・・」
ひと回りも年下のヒメノ隊員に叱られるキャプテンなのであった。

けっきょく他の隊員も同じく、台風ぐらいで動じるようすは無かった。つまり探検隊は社交辞令とは無縁のツワモノどもだったのだ。

「やっぱり、あんなこと言わなければ良かった」と、キャプテン・・・


★けっきょく5人だった!★

そして翌日、なんと空は晴れていた。台風一過と言うやつだ。子供のころ、「台風一家」とは、どんな乱暴な家族なんだろうと不思議だったが、そんなことはどうでもいい。キャプテンは約5年ぶりに買った愛車(ミニカ・タウンビー)にさっそうと乗り込み、待ち合わせ場所、東金道路の野呂PAへと向かうのだった。

以前はセリカXXを豪快に転がし、ハイウェイの巡航速度は軽く100キロ越え?、あらゆる車を蹴散らす陸の王者として君臨していただけに、軽自動車のタウンビーではかなり勝手が違った。

出発前、道具を買いそろえようとホームセンターの駐車場に止めていたら、小さな女の子が近づいてきて、「かわいい、じどうしゃ!」と言って笑った。キャプテンは「そうかい」と、その子に微笑みながら、おまえに言われたくねえよと、心の中で叫んだものだ。

さて、しばらくして、カキザワ、ヤマグチ、ヒメノの三隊員が乗るミニバン・カキザワ号と携帯電話で無線交信しながら進む。タウンビーはタイヤをきしませ、かなりの速度で激走したつもりだったが、先に着いたのはカキザワ号であった。


すでに整列していた3人は、重々しくキャプテン高橋を出迎えるのだった。そしてキャプテンからの訓辞が行われる。今回のメンバーは厳しい人選の末、高橋、ヤマグチ、カキザワ、ニイツマ、ヒメノ、の精鋭5名にしぼられたこと。ニイツマ隊員はこともあろうに茨木からレンタカーで出動すること。しかもレンタカー屋が開くのが8時半すぎなので、現地に1、2時間遅れで到着すること・・、などが告げられた。


名はその言葉を受け止め、
「けっきょく5人かあ、さびしい!」
と言いたげだったが、それは禁句だった。


★サバイバルだ! 食料調達班!★

さて、ここから中里海岸まではカキザワ隊員が良く知っている。以前、先遣隊として下見を行っていたからだ。間もなくカキザワ号が先頭になって野呂PAを出発する。

隊長キャプテン高橋の軽自動車タウンビーは、カキザワ号に振り回されながらも何とか後を追っていく。3速ATが恐ろしい唸りを上げていた。危険だ。これ以上速度を上げると爆発してしまうかも知れない。正念場だと想った。キャプテン高橋は気を引き締めた。

東金道路を降り、海岸へ向かう。途中、探検隊は現地近くの大型スーパーに立ち寄ることになった。ここで、生き延びるための食料を調達しておくのだ。カキザワ号はその駐車場に入り込むと、店の入り口近くで止まった。キャプテンもそのすぐ隣りに止めたかったが、入った直後、「軽」と白くペイントされたスペースがあったため、軽自動車タウンビーは否応無しに引き寄せられ、エラく離れた場所に止めてしまったのだ。

ところが、隊長のその不審な行動が、少なからず隊員たちの動揺を誘ったようなのである。と言うのも、買い物ではキャプテンの意見はなぜか聞き入れられなくなり、品物選びはほとんど三人が仕切ることになってしまったのだ。

この状況に指導者としての危機感を覚えた隊長キャプテンは、次の酒屋で、肉料理には欠かせない赤ワインを選別する際、一計を案じた。気を利かしたつもりで、「しそ入り赤ワイン」を選んだのだ。ところがこれがまた逆効果だった。ヒメノ隊員を筆頭に激しい罵声の嵐。ヤマグチ、カキザワ両隊員もあきれ顔の苦笑いで、ついに隊長の威厳は失墜することとなった。(キャプテンには、しそ入り赤ワインとか、ミントビールとか、ゲテモノ酒を好む傾向があった)

食料調達も終了し、駐車場に戻ると、いよいよ天気は晴れて、気温も上昇してきた。まさに「夏」と言ってよい天気である。「最高の1日になりそうだ」。そう言って、4人は空を見上げた。空には、高いところで、細かくちぎれた雲や筋状の雲がたくさん混じって浮かんでいた。これは台風が去ったあと特有の空である。その雲の背後が青く澄んだ空になっていた。

「明日からまた天気が悪くなるでしょう」その予報がウソのようだった。



★いよいよ現地到着!★

スーパーを出発し、幾つか道を折れ曲がって、「中里海岸入り口」の交差点を右折、最後に波乗り道路のガード下をくぐると、やがて海が見えてきた。海岸に入るとすぐに、砂浜にたくさん白いクイが打ち込んである場所が見えたので、そこで車を止めた。

周囲を見回したが、想ったとおりまだニイツマ隊員は到着していなかった。それから海辺を見渡す。台風のあとだったが、海の色がやや濁っているだけで、それほど荒れてはいなかった。大きな波間に、何人かが遊んでいるのが見えた。

少し離れたところには、すでに料理を始めている数人の若い女ばかりのグループがいた。・・いや、なんか小間使いのような若い男が一人混じっている。それから犬が二匹。犬を連れてのバーベキューとは・・、さすが女性グループ、なんかオシャレである、と想ったら、これは後に野良犬がたかっていたのだとわかる。そのほか、車が何台が止まっていて、サーファーらしき人がまばらにいるが、とても静かな海辺だった。

到着するなり、さっそくカキザワ隊員は小高い丘の向こうへ探検に出発した。話しによると丘の向こうは広大なトイレになっているらしい。戻ってきて、カキザワ隊員はしばらく辺りを見回し、風向きを考えながら、おもむろにバーベキューセットのセッティングを始めた。他の隊員たちも、彼の指示には素直に従い手伝いを始める。その様子を見たときキャプテン高橋は、事実上の隊長がカキザワ氏だったと言うことに気づかされたのである。

セッティングが終了するころ、ヒメノ隊員は食材の仕込みに取り掛かった。ところがナイフの切れがひどく悪かったため、考えた末、さっきの女ばかりのグループに包丁を借りることにした。彼女たちは、水着に着替えて遊びに取り掛かるところだったので、快く貸してくれた。

ここで話題になったのが、その女ばかりのグループにたった一人いる若い男のことであった。まず「一組、夫婦で来ているのだ」と言う説が出たが、それにしては女達の言いなりになっているのがおかしい。その他に「誰かの弟なのではないか?」とか、「彼は飲み屋のバーテンで、客の女の子を誘ったら、たくさん引き連れて来てしまったんだ」とか言いたい放題だった。

けっきょく何も解らないままだったが、女たちが遊んでいる間、ポツンとバーバキューセットの番をしている姿が妙に寂しげだった。




★ニイツマは待てぬ! さっそく乾杯!★

ここで、カキザワ隊長から提案が出た。
「とりあえず乾杯しませんか?」

確かに、なにもニイツマ隊員を待っている義理はなかった。
「そうだな、そうしよう」
キャプテンも同意した。おのおのクーラボックスから缶ビールを取り出して栓を開ける。缶はかなり冷たくなっている。クーラーボックスの効果絶大であった。

「乾杯!」の声とともに一気に流し込む。ビールの冷たさと炭酸の辛みが心地よく喉を刺激した。海からはいくつもの波が押し寄せていて、そこから吹いて来た風が、ビールとともに額の汗を乾かすのだ。

そうこうしている間に、若大将ニイツマ隊員がレンタカー「デミオ」でやって来た。車から降りてきた話ぶりでは、そうとう道に迷ったようである。・・が、だとしても彼は、買い出しもせず、準備もせず、食材の仕込みもせず、とにかく、到着していきなり何のわだかまりもなくビールを飲み干したのである。「オレ、なんにも持ってきませんでしたよ」ニイツマ隊員はそう言い、アスパラをかじって笑った。

それに比べヤマグチ隊員はいろいろと買い揃えて来たようである。中でも、厚手のアルミホイルの器に着火剤つきの炭を入れた、ポータブルバーベキュー焜炉は掘り出し物だった。ターボライターが無く着火には苦労したが、火がついてからはかなり長時間焼き肉を楽しむことができた。

まずは、オージービーフの大きな肉の塊。これに塩コショウをまぶし炭火で焼いて、その焼けたところからナイフで削ぎ落として食べて行く。半信半疑で始めたこの料理が実にうまかったのである。これはキャプテンのリクエストだが、以前、CW・ニコルさんがそうやっているのをテレビで見て、どんなものか一度やってみたいと考えていたのだ。その後も、骨付きやシモフリなど、バーベキュー用と書かれた細切れ肉も実に美味ではあったが、この豪快さには勝てぬ気がした。

さて、そのころヤマグチ隊員がある物に夢中になり始めていた。「ニンニク」だった。彼は生まれてから二十数年、ニンニクの正体を知らずに来たと言うのだ。丸ごとのニンニクは、薄皮をむくと数個の白い実に分かれるが、それを「初めて見た!」と言って興奮している。しかも面白くてしょうがないらしく、さっきからとり憑かれたように薄皮をむき続けている。

「これはニンニクの球根なんだろうか?」
「これから芽が出るの。それがニンニクの芽」
「どうだ、水栽培してみるか?」
・・無意味な会話が続いていた。

そのニンニクを油で炒め、塩コショウで丸ごと食べる、これもうまい。とにかく、こう言う場所ではかなりワイルドな気分になっているので、味付けは大雑把な塩コショウだけでいいようである。この後ニンニクは、フランスパンを焼いてそれに乗せ、ガーリックトーストとしていただいた。




★語り合おう! 食べ物文化論?★

合計肉1キロを焼き続けたが、ポータブル炭火焜炉の火力はなかなか衰えなかった。肉の合間に野菜ものせる。

「なんで、サツマイモなんだ?」ニイツマ隊員が疑問を投げかけた。
ヒメノ隊員が「イモ、イモ」と言いながらサツマイモをのせたからだった。
「イモって言ったら、ジャガイモだろ?」
ニイツマ隊員の意見である。

確かに、キャプテンも「イモ」と聞けばまずジャガイモを想い出す。
「イモって言ったら、サツマイモだよ、ねえ?」
ヒメノ隊員はヤマグチ隊員に同意を求めた。

そうだった。二人とも九州出身なのだ。そして、ニイツマ隊員は北海道出身。キャプテンは東京出身だが、両親は共に秋田出身で、つまり北国文化の中で育てられている。だから意見が分かれたのに違いない。

「それぞれ、生まれ育った環境によって、食文化が違うのだな」

キャプテンがまた知ったかぶりを言った。この間、カキザワ隊長はと言うと、彼も東京出身のはずだが、あくまで無意味な話題には参加しない!と言う姿勢を貫き、黙々と食料を食い続けていた。

それにしても、これだけ食べ続ければずいぶん喉が乾いてくる。いくつかワインを開け試飲したところ、「しそ入り赤ワイン」はおおむね不評であった。そのほかの「マスカットワイン」などは、なかなかいい味であった。酔っ払って、いつの間にかいい気分になっていた。


「こんなに飲んだら、運転出来なくなる!」
ニイツマ隊員が大声を出した。そうだった。これは「日帰り探検隊」なのだ。早めに飲んで、酔いを覚ましておかなければ。
「こんどはキャンプでしょう!」
「テント用意するか」
「たき火ですよ、たき火!」

人数的にも天候的にも、決行前からほぼ失敗と想われていたから、この爽快感は感動的だった。これは大成功である。気分が良くなって、おなかもいっぱい。しばらく休憩と言うことになった。




★探検隊、人生を語る★

ヤマグチ隊員と一緒に海まで歩いて行くと、冷んやりとした心地よい風が流れているのが分かった。海水に足を浸けると水はまだまだ冷たく、やはり泳ぐには早い気がした。台風の後で水の色はやや濁っており、沖の海面は白っぽくモヤってもいる。だが、それがかえって海全体をパステル調の柔らかい光りで満たす効果になっていた。いつまでも水に足を浸していたい気分だったが、キリがなかった。

もとの場所へ戻ると、カキザワ隊長はレジャーシートを砂浜にしき、寝に入っていた。ヤマグチ隊員も車のドアを開け放してシートに横になった。少し強めの、午後の日差しである。

キャプテンとヒメノ隊員、ニイツマ隊員は、ディレクターズチェアに腰掛けたままだった。隣の女たちのグループは、一度水遊びから戻って来て、包丁をゴブリンズ探検隊から取り戻すと、やきそばか何かを作り始めたようだった。やがてそれも終わり、水着の上からウェットスーツを着て、次ぎの遊びの準備を始めている。

ゴブリンズもかつては、まとめ切れないほどの人数で海を訪れたものだが、とうとうこんな少数になってしまった。あれほど活気があって楽しくやっていても、いずれはこう言う時代がやって来る。

この世にあるものは決して留まること無く、草野球も、いつ出来なくなるかわからない。だから、たかが遊びと言えども、目一杯やっておいた方がいい・・。海に向かって楽しそうに走って行く女たちの姿を見ながら、キャプテンはそんなことを考えていた。

間もなくニイツマ隊員は、起き上がったヤマグチ隊員と海の近くまで行ってキャッチボールを始めた。遠く、二人を行き来するボールが見えてはいるが、ここには波の音しか聞こえてこない。

「人生ってね、もっともっと、いいもんなんだよ」
何となく、向田邦子「あ・うん」の中のセリフを思い出していた。




★ニイツマ隊員、急にヤキソバを作り始める!★

最後にニイツマ隊員がヤキソバ、ヤマグチ隊員が豚キムチ」に取り掛かることになった。まず、ニイツマ隊員は「メン」から焼き始めた。メンをほぐし、それに塩コショウをふりかけるのだ。

ところが、すでにこの時点で隊員たちからの激しい非難の声が上がった。
「バッカだなあ、野菜から炒めるんだよ!」
だが、ニイツマ隊員は薄笑いを浮かべ、ひるむようすはない。
「北京風ヤキソバだ」と、意味不明の言葉を発しながら、盛んに塩コショウをふっている。

次ぎに、いったんメンをボールにどかし、肉と野菜に取り掛かるが、燃料のホワイトガソリンが少なくなり、火力が弱く時間がかかる。しかし、豚肉なのでしっかり炒めなければならず、時折りカキザワ隊長がバルブで燃料の調整を行うのであった。海風が強くなり、コンロの風防がききにくくなっていた。

ニイツマ隊員はあれこれごたくを並べながらも作業を進めている。ようやく豚肉が炒め上がり、野菜類を混ぜ始めた。そして、それがしんなりして来たところで、さっき炒めておいたメンを落とすのだ。ていねいに材料を混ぜ合わすニイツマ隊員。さらに塩コショウをふりかける。

「水、差さないの? ワインにする?」
ヒメノ隊員が言う通り、メンがやや堅そうである。
「ワインだと甘くなっちゃう。ビールがいいよ」と、キャプテンもアドバイス。
「そうだビールだよ!」

出来上がりが近くなり、隊員たちの声が騒がしくなってくる。それをニイツマ隊員が大きな声で制した。
「いいから、いいから!。・・北京風ヤキソバだ」
依然、意味は不明のままである。彼は最後まで塩コショウで味を整えるつもりのようだ。

「ソース入れないの? ソース」
ヒメノ隊員がたまりかねて言った。手には、すでに袋入りの粉ソースが握られていた。彼女だけでなく、ヤマグチ、カキザワ両隊員もぞろぞろ集まって来た。

「ソース入れろよ」
「入れなよ、ソース」

「・・北京風、北京風」
それでもなお、ニイツマ隊員はニヤニヤして炒め続けている。

どうやら彼には、本当にソースを使う意志は無いようである。ところが何と、取り囲んでいた隊員たちが我慢できなくなり、ついにソースの袋は破られたのだ。勝手に振りかける隊員たち!
「ああっ! やめろ!」
ビックリして大声を発するニイツマ隊員。
「いいんだよ!、ほ~ら」

「やめろ、おまえらあ!」
「オラ、オラ、オラ!」

情け容赦ない隊員たち。次々に袋は破られ、降りかかるソースの粉吹雪!
「くっそう、オレのヤキソバをソースまみれにしやがって・・
くやし涙に暮れる、ニイツマ隊員なのであった。

ほどなくヤキソバは出来上がり、人数分の紙皿に分けられた。やや硬めではあったが、ヤキソバの味はした。やがて、ヤマグチ隊員も豚キムチを完成させ、本日のメニューはすべて終了となったのである。


★ゴブリンズ探検隊の報告★

今回の探検結果からわかったことは、
1・良く切れるナイフが必要である。
2・風の強いときのため、ターボライターが必要である。
3・塊肉を焼けたところから削ぎ落として食べると美味しい。
4・味付けは塩コショウで十分だ。
5・野外ではオージービーフが合っている。
6・トイレットペーパー(ロール)は便利だ。
7・サンダルを用意すべきだ。

8・ごはんも欲しい。
9・一人一席、イスを買った方がいい。
10・この次ぎはテントを張って泊まるぞ。
11・探検隊とは名ばかりで、ただ食べているだけだった。
12・燃えないゴミは「燃やしてはいけないゴミ」と認識を改めるべきだ。
13・海辺の野良犬は、肉は食うがエビは食べない。

*以上、第一次ゴブリンズ探検隊隊長、キャプテン高橋からの厳しい報告である。












  
 

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★僕もけっこうな歳になったので、その分、数え切れないほどの映画やドラマ、小説などを鑑賞して来ています。なので、たいがいのモノはプロローグや予告編を見ただけで、ほぼストーリー展開が分かってしまうようになってしまいました。そうなると、残念なことにだんだんと面白く感じる作品が少なくなるわけです。 もっとも、じつは「物語のすべてのパターン」は、シェークスピアがすでに書き尽くしていて、後世の作家は、それらを元に手を変え品を変え、焼き直ししているに過ぎないと言う説もありますが・・・ まあどちらにしろ、歳を取れば取るほどに、あらゆるタイプの作品を見て来ているわけで、次第に 新鮮味のある作品に出会える機会が減ると言うことだけは確かなのです。 それゆえの苦肉の策と言うことなんでしょうか?、最近のハリウッド映画は、公開前に一般人をモニターにして、事前に用意したいくつかの結末の中から、好きなものを選ばせると言う手法を取っているのだそうです。 一般人をバカにするワケではないですが、最大公約数的選択をすると、どうしても予定調和?「水戸黄門的」になり易いので、かえって失敗作を生んでしまう恐れがあります。 デザインでも何でもそうなんですが、色んな人の意見を聞いちゃダメなんです。むしろ独断で、普通の人が「え〜?!」と首を傾げるくらいのアイデアでないと、新しいモノを生み出すことは出来ません。 一般人と言うのは、「むかし何処かで見たことがあるモノ」を、良し悪しの基準にしているので、彼らが良いと思うものは、すでに存在しているもの、誰かが発案した古いアイデアがほとんどなのです。これでは新しい作品は作れません。下手すると無意識にパクリをしちゃう場合も有るので要注意です。 音楽についても同じようなことが言えます。若い人をコケにする(表現古い?)つもりは無いんですが、若い人の作るメロディーは、どうしても何処かで聴いたようなのが多いんです。もちろん「パクリ」って意味じゃなくて、若い人ほど聴いた音楽の数が少ないわけで、すでに使い古されたメロディーでも、自分が初めて創り出したような錯覚に陥ったり、聴く方も新鮮に感じてしまうって事があるのです。 音楽全体をコンピュータで解析してみると、すでにあらゆるドレミの組み合わせは使い古されており、完全に新しいメロディを作り出すことは不可能なんだそう...

5「二通の手紙、二つの返信」

前回までのお話し →  4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年、2月17日。鎌倉の寿福寺を訪れ、37年前に若くして亡くなった女性の墓参りをしようとしたものの、すでにお墓は無くなっていました。東京に転居した母親の手によって、何処かの墓地に改葬されたと言うのです。 そのおり寿福寺で、母親の転居先が東京の「日の出町」だと教えられた僕は、まず「Googleマップ」で場所を確認してみることにしました。すると、ストリートビューには綺麗な白い家が現れました。さらに門の部分を拡大して見ると、確かに表札には○○との苗字が見えました。 車庫には乗用車が停まっていました。80歳を越えていると言うお母様が運転するとは思えず、もしかすると、どなたか親族の方と同居しているのかも知れないと想像しました。 ただし、ストリートビューの写真は「2019年」のまま更新されておらず、それを見た僕はふっと思ったのです。 「この2年ほどの間に、何も起こっていなければいいが」と・・ まず、母親宛に手紙を書いてみようと思いました。ありのままを正直に・・、2021年、何度も見るようになったご息女の夢の話しから、芸大時代のローラー・スケートの話し、鎌倉寿福寺での出来事、そしてこの住所に辿り着いたいきさつを・・ とにかく怪しまれぬよう、失礼にならぬよう、慎重に何度も読み返しては書き直し、出来あがるまで結局二週間もかかってしまいました。そして最後に身分証明として、東京芸大の卒業証書 のコピーも同封しました。 返事はなかなか来ませんでした。3月3日に投函して、一週間過ぎてもまだ来ません。最近は土日に配達しないそうなので、その分だけ遅れているのだと自分に言い聞かせましたが・・。いや違う、母堂を不快な気持ちにさせてしまい、破り捨てられたのだ?・・などなど、様々な想いが去来しました。 ・・それでも中々来ることはなく、 「頑張ってはみたけど・・、どうやらここまでかなあ」 と、少しずつあきらめの気持ちになって行った3月12日、土曜の夕方、スマホに着信があったのです。 見知らぬ番号でしたが、出てみました。 「私、◯◯様から遺言執行人を依頼されました、弁護士の◯◯と申しますが・・。高橋様からのお手紙を転送先で受け取りまして、お電話差し上げました」 と言うの...

iPhone7に対応? Bluetoothレシーバーを持っている

★「iPhone7」が発表されまして、ずっとiPhoneだった筆者としては大いに気になるところですが、今回からついに?「イヤホンジャック廃止」と言うことになりました。 ウワサでは聞いていたのですが、ホントに無くなるとは・・、さすがAppleですね。どんどんユーザーを置いてきぼりにして行きます。 ところが何と、筆者はそれを見越していたのですよ・・、と言うわけでは無いのですが、じつは、すでにもうイヤフォンジャックは使用せず、「Bluetoothレシーバー」に頼りっぱなしなのであります。あんまり便利なので、今は計3個も持って使い分けてます。 なんで3個も?なのかと言うと、これらも充電式なので、電池が切れたらすぐに次のに切り替えられるよう、用意しておくためです。充電するのにやはり数時間かかりますからね。それに、バッテリー交換ができません。バッテリーの寿命がレシーバーの寿命ということになるので、安い内に何個か予備を買っておこうと言うわけです。 3個ともエレコムの製品です。「エレコムわけありショップ」と言って、型落ちやパッケージ崩れを格安で買えるネットショップがあるのですが、そこでたまたま見つけ購入しました。なので、3〜4千円を千円くらいで購入しました。 「最大出力40mW+40mWの高音質ヘッドホンアンプを搭載。ワンタッチ設定のNFCペアリング対応。連続再生9時間の長時間再生、高音質低遅延のaptXコーデック採用モデル」 以上が、その時の宣伝モンクです。これが有ったので、そこそこいい音がするのでは?と思って聴いてみたら、まあまあ、直接ジャックにつなげた時と大差無かったので、良かったと思います。 一番の利点は、当たり前ですが、イヤホンをiPhone本体から離して聴くことが出来ると言うことですね。ケーブルの取り回しが楽になり、行動し易くなるのです。極端な例では、防水ケースにiPhoneを入れ風呂場の壁にかけ、音楽を聴きながら風呂掃除をする、なんて離れ業?ができます。マイクが付いているので突然の電話にも対応可能です。 電車に乗るときでも、ケーブルを短くまとめれば、iPhoneはバッグに入れたまま、レシーバーを胸ポケットに挟めばいいので、ケーブルがブラブラするなんてことも無くなります。特に充電しながらの時など、バッテリーだけバッグの中でつなげばいいので、見た目はもうスッキリしたもんで...

死んでも死なない

★世の中、あちこちで殺戮が続いていますなあ・・。マジで気が重くなります。自殺も多いようです。死ねば、殺せば、何もかも解決すると思っているんでしょうね。 でもそうじゃないんですよ。じつは、人間は死んでも死なないのですよ。肉体は滅びますが、魂はずっと生き続けるのです。だから、けっきょく何も解決せず、新たな問題を引き起こしているだけなんですけどね・・ 信じる信じないはさておき、今起こっている犯罪、特に凶悪な殺人などは、突き詰めれば、極限まで追いつめられた人間が「人間、死んだらおしまい!」と言う投げやりな気持ちになって起こしている、そう考えて間違いありません。 いわゆる猟奇的な「動機不明の殺人」でも、その根底にあるのは「死による解決」と言う発想なんです。自殺も同じですね。「死ねば終わる、楽になれる」と安易に考えるからです。 なら、逆に言えば、「霊魂は確かに存在する。人間は死んでもおしまいではない?」と言うことが世の中に行き渡れば、いま起きている殺人や自殺の、恐らく半分以上は減らせるんじゃないですか? 動機の一番重要な部分が打ち消されるわけですから。 なんて、心霊研究って、本来こう言うことを啓蒙しようと言うのが目的だったんですが、これがなかなか難しいもんなんですよね。それどころか、こう言うことを書くこと自体、精神構造を疑われかねないので、普通の人は表立って発言することすら出来ないものなのです。 でも、殺戮の続く世の中になって来ると、そろそろホントに必要になって来たのかなあなどと、ボンヤリ思うこの頃なんです。こんなことを書くと、また「バカだな。ホントに信じてんだ?」なんて笑われそうですが、先日、ちょっと興味深いことが有りました。 政府が初めて公式にUFO(未確認飛行物体)の否定を発表しましたが、その後、町村信孝官房長官が「(自嘲気味に)私自身は UFOは 絶対にいると思う」と思わぬ「カミングアウト」をしてました。 こんなことが有るんですね。これをニュースで見て、心霊についても有りそうな事だなって思いました。思わぬことをきっかけに、「じつは‥‥、私自身は霊の存在を絶対に信じてます」なんてカミングアウトする意外な人物が、あちこちでたくさん現れるんじゃないか、そんな気がしましたよ。 社会的立場のしっかりした人物ほど、普通は言えないもんですからね。 ...

4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」

前回までのお話し →  3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。 2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。 そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。 Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こ ちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・ しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。 始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、 年が明けた 2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。 天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。 その会場で二度目に会 ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、 「それならそうと早く言ってよ!  あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」 と、強く叱咤するのでした。 Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり 僕が探していた、 ''お墓の場所を知っている人'' でした。 それどころか、当時何年もお墓参りに通 っていた人物、と言うことが判明するのです。 もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。 「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」 と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そ...

なんか、サッカー日本代表って・・?

★ブラジル・ワールドカップでは、残念ながら日本代表は予選リーグで敗退してしまいました。このところ日本のサッカー選手も、海外のクラブチームで活躍することが多くなり、そんなことも有って、今回はけっこう期待が大きかったのですが、結果はむしろ逆になってしまったようです。 まあ、ゲームの内容とか作戦とかについては、野球ほど詳しくは分からないので、ほとんどコメントすることは出来ませんが、見ていて、あることに気がついたんです。何処との対戦だったか、日本の攻撃で、サイドから中央へのパスが、ことごとく相手のヘディングによってインターセプトされてしまうシーンを見たときでした。 「もしや、日本のサッカー選手って、背が低くないか?」 そう想ったんです。もちろんどんなスポーツだって、日本選手の対格差がハンディになると言う話題は何度も言われて来たことでした。ですが、この時想ったのは、外国との比較ではなく、日本の他のスポーツとの比較だったんです。で、さっそくネットで検索してみたんです。するとYahoo!知恵袋のアーカイブでこんな発言が見つかりました。野球のWBCで日本代表が優勝した時のことのようです。 『 自分はサッカーファンですが、今回のWBC優勝には感動しました。で、WBC日本代表について関いろ調べてたら、衝撃的な事実を知りました。日本のサッカー代表選手って、世界的に見たとき背が低いですよね。皆170~175cmくらいですよね? 野球もどうせそうなんだろうなぁ、とか思いながらネットで調べたら衝撃‥‥ 日本の野球選手って「大男の集団」なんですよ 』 『 サッカー日本代表で一番の長身、中澤が187cmなんですが、WBC日本代表では、稲葉、田中マー君、内海が3人とも中澤とほぼ同じ身長なんです。小さいと思っていたイチロー、中島でさえも、それぞれ181cm、180cmです。おまけに日本サッカー界の未体験ゾーンといわれる190cm台も、岩熊が191cm、ダルビッシュが196cmなんです。平均身長は183.5cmらしいです。183.5cmってもう、サッカーのオーストラリア代表を超えてるんですよ! 』 あの頃、もう気づいていた人がいたんですね。では、今回はどうなんだろうと調べてみると、こんな記事が有りました。 『 *2014W杯サッカー日本代表の平均身長は177.86cm* 日本代表23人の平均身長は177...