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第一回ゴブリンズ探検隊《中里海岸物語り1997》

「今日から、ゴブリンズは探検隊にします・・」
1997年、冬。ゴブリンズは最悪の事態に見舞われていた。
メンバーの内5名が退団、仕事のためハワイへ移住することになったのだ。

この重大危機に、キャプテン高橋は新宿にメンバーを召集。
開店記念クーポン券のビラ配りに釣られて、
出来たばかりの居酒屋「おふくろ」にて緊急ミーティングを開き、そこでこう宣言した。

「残念ながら、ゴブリンズは草野球チームとしての活動を停止します」
驚きを隠せないメンバーを前に、さらに続けるのだった。
「・・これよりゴブリンズは、探検隊となります!」
  
・・同じ夜、その居酒屋から数百メートル離れたホテルでは、ある結婚式がとり行なわれていた。それが2年後ゴブリンズに入団し、球団復活に貢献、エースとして活躍することとなるワタナベ投手の挙式であることは、まだ誰も知らない。

・・が、ともかく「探検隊」としての活動を最後に、ゴブリンズに終止符を打つ。
それがこの時の、キャプテン高橋の心づもりであった。
これは、その空白の2年間に行われた、インチキ探検隊の全記録である。




第一回ゴブリンズ探検隊《中里海岸物語り1997》

★嵐の予感がした!★

窓の外は嵐だった。キャプテン高橋は少なからず不安になっていた。
「みんな、ほんとうに行くつもなのだろうか?」
初のゴブリンズ探検隊決行の前日、台風7号が日本列島を襲い、激しい風雨に見舞われていた。しかし、各隊員からの弱音を吐くような問い合わせの電話は一本も無かったのである。

『これはチャラチャラしたサークルなどでは無く、生死を賭けた探検隊であって、たとえ暴風雨であろうと前進し、砂浜を蹴散らし、誰もいない海であろうと、冷たい雨が吹き込んで来ようとも、這いつくばって、何がなんでも焼き肉に食らいつく、そのくらいの気構えが必要なのであ~る!』

と、鼻息も荒くキャプテンが宣言してしまったからたまらない。隊員たちは覚悟を決め、どっしりと落ち着き払って、来たるべき、探検決行の明日を待ち受けているようなのだ!

「あんなこと、言わなければ良かった・・」
ただひとり、キャプテンだけが激しい後悔の中にいた。と、その直後だった。突然キャプテンの脳裏に、折れた木の枝が激しく飛び交う嵐の高速道路SAで、たった一人、傷だらけでメンバーを待ち続ける自分の姿が浮かんで来たのだ。

「まてよ? ひょっとしてあいつら、知らんぷりして、すっぽかすつもりじゃねえのかあ?」そんな戦慄が走った。このところゴブリンズのメンバーも、年齢と共に「社交辞令」を覚え始めているので、彼らの二つ返事を真に受けては危険なのだ。


あわてて電話をするキャプテン・・、ところが、
「いきますよ。メール送ったじゃないですか!。見てないんですかあ!?。もう・・」
ひと回りも年下のヒメノ隊員に叱られるキャプテンなのであった。

けっきょく他の隊員も同じく、台風ぐらいで動じるようすは無かった。つまり探検隊は社交辞令とは無縁のツワモノどもだったのだ。

「やっぱり、あんなこと言わなければ良かった」と、キャプテン・・・


★けっきょく5人だった!★

そして翌日、なんと空は晴れていた。台風一過と言うやつだ。子供のころ、「台風一家」とは、どんな乱暴な家族なんだろうと不思議だったが、そんなことはどうでもいい。キャプテンは約5年ぶりに買った愛車(ミニカ・タウンビー)にさっそうと乗り込み、待ち合わせ場所、東金道路の野呂PAへと向かうのだった。

以前はセリカXXを豪快に転がし、ハイウェイの巡航速度は軽く100キロ越え?、あらゆる車を蹴散らす陸の王者として君臨していただけに、軽自動車のタウンビーではかなり勝手が違った。

出発前、道具を買いそろえようとホームセンターの駐車場に止めていたら、小さな女の子が近づいてきて、「かわいい、じどうしゃ!」と言って笑った。キャプテンは「そうかい」と、その子に微笑みながら、おまえに言われたくねえよと、心の中で叫んだものだ。

さて、しばらくして、カキザワ、ヤマグチ、ヒメノの三隊員が乗るミニバン・カキザワ号と携帯電話で無線交信しながら進む。タウンビーはタイヤをきしませ、かなりの速度で激走したつもりだったが、先に着いたのはカキザワ号であった。


すでに整列していた3人は、重々しくキャプテン高橋を出迎えるのだった。そしてキャプテンからの訓辞が行われる。今回のメンバーは厳しい人選の末、高橋、ヤマグチ、カキザワ、ニイツマ、ヒメノ、の精鋭5名にしぼられたこと。ニイツマ隊員はこともあろうに茨木からレンタカーで出動すること。しかもレンタカー屋が開くのが8時半すぎなので、現地に1、2時間遅れで到着すること・・、などが告げられた。


名はその言葉を受け止め、
「けっきょく5人かあ、さびしい!」
と言いたげだったが、それは禁句だった。


★サバイバルだ! 食料調達班!★

さて、ここから中里海岸まではカキザワ隊員が良く知っている。以前、先遣隊として下見を行っていたからだ。間もなくカキザワ号が先頭になって野呂PAを出発する。

隊長キャプテン高橋の軽自動車タウンビーは、カキザワ号に振り回されながらも何とか後を追っていく。3速ATが恐ろしい唸りを上げていた。危険だ。これ以上速度を上げると爆発してしまうかも知れない。正念場だと想った。キャプテン高橋は気を引き締めた。

東金道路を降り、海岸へ向かう。途中、探検隊は現地近くの大型スーパーに立ち寄ることになった。ここで、生き延びるための食料を調達しておくのだ。カキザワ号はその駐車場に入り込むと、店の入り口近くで止まった。キャプテンもそのすぐ隣りに止めたかったが、入った直後、「軽」と白くペイントされたスペースがあったため、軽自動車タウンビーは否応無しに引き寄せられ、エラく離れた場所に止めてしまったのだ。

ところが、隊長のその不審な行動が、少なからず隊員たちの動揺を誘ったようなのである。と言うのも、買い物ではキャプテンの意見はなぜか聞き入れられなくなり、品物選びはほとんど三人が仕切ることになってしまったのだ。

この状況に指導者としての危機感を覚えた隊長キャプテンは、次の酒屋で、肉料理には欠かせない赤ワインを選別する際、一計を案じた。気を利かしたつもりで、「しそ入り赤ワイン」を選んだのだ。ところがこれがまた逆効果だった。ヒメノ隊員を筆頭に激しい罵声の嵐。ヤマグチ、カキザワ両隊員もあきれ顔の苦笑いで、ついに隊長の威厳は失墜することとなった。(キャプテンには、しそ入り赤ワインとか、ミントビールとか、ゲテモノ酒を好む傾向があった)

食料調達も終了し、駐車場に戻ると、いよいよ天気は晴れて、気温も上昇してきた。まさに「夏」と言ってよい天気である。「最高の1日になりそうだ」。そう言って、4人は空を見上げた。空には、高いところで、細かくちぎれた雲や筋状の雲がたくさん混じって浮かんでいた。これは台風が去ったあと特有の空である。その雲の背後が青く澄んだ空になっていた。

「明日からまた天気が悪くなるでしょう」その予報がウソのようだった。



★いよいよ現地到着!★

スーパーを出発し、幾つか道を折れ曲がって、「中里海岸入り口」の交差点を右折、最後に波乗り道路のガード下をくぐると、やがて海が見えてきた。海岸に入るとすぐに、砂浜にたくさん白いクイが打ち込んである場所が見えたので、そこで車を止めた。

周囲を見回したが、想ったとおりまだニイツマ隊員は到着していなかった。それから海辺を見渡す。台風のあとだったが、海の色がやや濁っているだけで、それほど荒れてはいなかった。大きな波間に、何人かが遊んでいるのが見えた。

少し離れたところには、すでに料理を始めている数人の若い女ばかりのグループがいた。・・いや、なんか小間使いのような若い男が一人混じっている。それから犬が二匹。犬を連れてのバーベキューとは・・、さすが女性グループ、なんかオシャレである、と想ったら、これは後に野良犬がたかっていたのだとわかる。そのほか、車が何台が止まっていて、サーファーらしき人がまばらにいるが、とても静かな海辺だった。

到着するなり、さっそくカキザワ隊員は小高い丘の向こうへ探検に出発した。話しによると丘の向こうは広大なトイレになっているらしい。戻ってきて、カキザワ隊員はしばらく辺りを見回し、風向きを考えながら、おもむろにバーベキューセットのセッティングを始めた。他の隊員たちも、彼の指示には素直に従い手伝いを始める。その様子を見たときキャプテン高橋は、事実上の隊長がカキザワ氏だったと言うことに気づかされたのである。

セッティングが終了するころ、ヒメノ隊員は食材の仕込みに取り掛かった。ところがナイフの切れがひどく悪かったため、考えた末、さっきの女ばかりのグループに包丁を借りることにした。彼女たちは、水着に着替えて遊びに取り掛かるところだったので、快く貸してくれた。

ここで話題になったのが、その女ばかりのグループにたった一人いる若い男のことであった。まず「一組、夫婦で来ているのだ」と言う説が出たが、それにしては女達の言いなりになっているのがおかしい。その他に「誰かの弟なのではないか?」とか、「彼は飲み屋のバーテンで、客の女の子を誘ったら、たくさん引き連れて来てしまったんだ」とか言いたい放題だった。

けっきょく何も解らないままだったが、女たちが遊んでいる間、ポツンとバーバキューセットの番をしている姿が妙に寂しげだった。




★ニイツマは待てぬ! さっそく乾杯!★

ここで、カキザワ隊長から提案が出た。
「とりあえず乾杯しませんか?」

確かに、なにもニイツマ隊員を待っている義理はなかった。
「そうだな、そうしよう」
キャプテンも同意した。おのおのクーラボックスから缶ビールを取り出して栓を開ける。缶はかなり冷たくなっている。クーラーボックスの効果絶大であった。

「乾杯!」の声とともに一気に流し込む。ビールの冷たさと炭酸の辛みが心地よく喉を刺激した。海からはいくつもの波が押し寄せていて、そこから吹いて来た風が、ビールとともに額の汗を乾かすのだ。

そうこうしている間に、若大将ニイツマ隊員がレンタカー「デミオ」でやって来た。車から降りてきた話ぶりでは、そうとう道に迷ったようである。・・が、だとしても彼は、買い出しもせず、準備もせず、食材の仕込みもせず、とにかく、到着していきなり何のわだかまりもなくビールを飲み干したのである。「オレ、なんにも持ってきませんでしたよ」ニイツマ隊員はそう言い、アスパラをかじって笑った。

それに比べヤマグチ隊員はいろいろと買い揃えて来たようである。中でも、厚手のアルミホイルの器に着火剤つきの炭を入れた、ポータブルバーベキュー焜炉は掘り出し物だった。ターボライターが無く着火には苦労したが、火がついてからはかなり長時間焼き肉を楽しむことができた。

まずは、オージービーフの大きな肉の塊。これに塩コショウをまぶし炭火で焼いて、その焼けたところからナイフで削ぎ落として食べて行く。半信半疑で始めたこの料理が実にうまかったのである。これはキャプテンのリクエストだが、以前、CW・ニコルさんがそうやっているのをテレビで見て、どんなものか一度やってみたいと考えていたのだ。その後も、骨付きやシモフリなど、バーベキュー用と書かれた細切れ肉も実に美味ではあったが、この豪快さには勝てぬ気がした。

さて、そのころヤマグチ隊員がある物に夢中になり始めていた。「ニンニク」だった。彼は生まれてから二十数年、ニンニクの正体を知らずに来たと言うのだ。丸ごとのニンニクは、薄皮をむくと数個の白い実に分かれるが、それを「初めて見た!」と言って興奮している。しかも面白くてしょうがないらしく、さっきからとり憑かれたように薄皮をむき続けている。

「これはニンニクの球根なんだろうか?」
「これから芽が出るの。それがニンニクの芽」
「どうだ、水栽培してみるか?」
・・無意味な会話が続いていた。

そのニンニクを油で炒め、塩コショウで丸ごと食べる、これもうまい。とにかく、こう言う場所ではかなりワイルドな気分になっているので、味付けは大雑把な塩コショウだけでいいようである。この後ニンニクは、フランスパンを焼いてそれに乗せ、ガーリックトーストとしていただいた。




★語り合おう! 食べ物文化論?★

合計肉1キロを焼き続けたが、ポータブル炭火焜炉の火力はなかなか衰えなかった。肉の合間に野菜ものせる。

「なんで、サツマイモなんだ?」ニイツマ隊員が疑問を投げかけた。
ヒメノ隊員が「イモ、イモ」と言いながらサツマイモをのせたからだった。
「イモって言ったら、ジャガイモだろ?」
ニイツマ隊員の意見である。

確かに、キャプテンも「イモ」と聞けばまずジャガイモを想い出す。
「イモって言ったら、サツマイモだよ、ねえ?」
ヒメノ隊員はヤマグチ隊員に同意を求めた。

そうだった。二人とも九州出身なのだ。そして、ニイツマ隊員は北海道出身。キャプテンは東京出身だが、両親は共に秋田出身で、つまり北国文化の中で育てられている。だから意見が分かれたのに違いない。

「それぞれ、生まれ育った環境によって、食文化が違うのだな」

キャプテンがまた知ったかぶりを言った。この間、カキザワ隊長はと言うと、彼も東京出身のはずだが、あくまで無意味な話題には参加しない!と言う姿勢を貫き、黙々と食料を食い続けていた。

それにしても、これだけ食べ続ければずいぶん喉が乾いてくる。いくつかワインを開け試飲したところ、「しそ入り赤ワイン」はおおむね不評であった。そのほかの「マスカットワイン」などは、なかなかいい味であった。酔っ払って、いつの間にかいい気分になっていた。


「こんなに飲んだら、運転出来なくなる!」
ニイツマ隊員が大声を出した。そうだった。これは「日帰り探検隊」なのだ。早めに飲んで、酔いを覚ましておかなければ。
「こんどはキャンプでしょう!」
「テント用意するか」
「たき火ですよ、たき火!」

人数的にも天候的にも、決行前からほぼ失敗と想われていたから、この爽快感は感動的だった。これは大成功である。気分が良くなって、おなかもいっぱい。しばらく休憩と言うことになった。




★探検隊、人生を語る★

ヤマグチ隊員と一緒に海まで歩いて行くと、冷んやりとした心地よい風が流れているのが分かった。海水に足を浸けると水はまだまだ冷たく、やはり泳ぐには早い気がした。台風の後で水の色はやや濁っており、沖の海面は白っぽくモヤってもいる。だが、それがかえって海全体をパステル調の柔らかい光りで満たす効果になっていた。いつまでも水に足を浸していたい気分だったが、キリがなかった。

もとの場所へ戻ると、カキザワ隊長はレジャーシートを砂浜にしき、寝に入っていた。ヤマグチ隊員も車のドアを開け放してシートに横になった。少し強めの、午後の日差しである。

キャプテンとヒメノ隊員、ニイツマ隊員は、ディレクターズチェアに腰掛けたままだった。隣の女たちのグループは、一度水遊びから戻って来て、包丁をゴブリンズ探検隊から取り戻すと、やきそばか何かを作り始めたようだった。やがてそれも終わり、水着の上からウェットスーツを着て、次ぎの遊びの準備を始めている。

ゴブリンズもかつては、まとめ切れないほどの人数で海を訪れたものだが、とうとうこんな少数になってしまった。あれほど活気があって楽しくやっていても、いずれはこう言う時代がやって来る。

この世にあるものは決して留まること無く、草野球も、いつ出来なくなるかわからない。だから、たかが遊びと言えども、目一杯やっておいた方がいい・・。海に向かって楽しそうに走って行く女たちの姿を見ながら、キャプテンはそんなことを考えていた。

間もなくニイツマ隊員は、起き上がったヤマグチ隊員と海の近くまで行ってキャッチボールを始めた。遠く、二人を行き来するボールが見えてはいるが、ここには波の音しか聞こえてこない。

「人生ってね、もっともっと、いいもんなんだよ」
何となく、向田邦子「あ・うん」の中のセリフを思い出していた。




★ニイツマ隊員、急にヤキソバを作り始める!★

最後にニイツマ隊員がヤキソバ、ヤマグチ隊員が豚キムチ」に取り掛かることになった。まず、ニイツマ隊員は「メン」から焼き始めた。メンをほぐし、それに塩コショウをふりかけるのだ。

ところが、すでにこの時点で隊員たちからの激しい非難の声が上がった。
「バッカだなあ、野菜から炒めるんだよ!」
だが、ニイツマ隊員は薄笑いを浮かべ、ひるむようすはない。
「北京風ヤキソバだ」と、意味不明の言葉を発しながら、盛んに塩コショウをふっている。

次ぎに、いったんメンをボールにどかし、肉と野菜に取り掛かるが、燃料のホワイトガソリンが少なくなり、火力が弱く時間がかかる。しかし、豚肉なのでしっかり炒めなければならず、時折りカキザワ隊長がバルブで燃料の調整を行うのであった。海風が強くなり、コンロの風防がききにくくなっていた。

ニイツマ隊員はあれこれごたくを並べながらも作業を進めている。ようやく豚肉が炒め上がり、野菜類を混ぜ始めた。そして、それがしんなりして来たところで、さっき炒めておいたメンを落とすのだ。ていねいに材料を混ぜ合わすニイツマ隊員。さらに塩コショウをふりかける。

「水、差さないの? ワインにする?」
ヒメノ隊員が言う通り、メンがやや堅そうである。
「ワインだと甘くなっちゃう。ビールがいいよ」と、キャプテンもアドバイス。
「そうだビールだよ!」

出来上がりが近くなり、隊員たちの声が騒がしくなってくる。それをニイツマ隊員が大きな声で制した。
「いいから、いいから!。・・北京風ヤキソバだ」
依然、意味は不明のままである。彼は最後まで塩コショウで味を整えるつもりのようだ。

「ソース入れないの? ソース」
ヒメノ隊員がたまりかねて言った。手には、すでに袋入りの粉ソースが握られていた。彼女だけでなく、ヤマグチ、カキザワ両隊員もぞろぞろ集まって来た。

「ソース入れろよ」
「入れなよ、ソース」

「・・北京風、北京風」
それでもなお、ニイツマ隊員はニヤニヤして炒め続けている。

どうやら彼には、本当にソースを使う意志は無いようである。ところが何と、取り囲んでいた隊員たちが我慢できなくなり、ついにソースの袋は破られたのだ。勝手に振りかける隊員たち!
「ああっ! やめろ!」
ビックリして大声を発するニイツマ隊員。
「いいんだよ!、ほ~ら」

「やめろ、おまえらあ!」
「オラ、オラ、オラ!」

情け容赦ない隊員たち。次々に袋は破られ、降りかかるソースの粉吹雪!
「くっそう、オレのヤキソバをソースまみれにしやがって・・
くやし涙に暮れる、ニイツマ隊員なのであった。

ほどなくヤキソバは出来上がり、人数分の紙皿に分けられた。やや硬めではあったが、ヤキソバの味はした。やがて、ヤマグチ隊員も豚キムチを完成させ、本日のメニューはすべて終了となったのである。


★ゴブリンズ探検隊の報告★

今回の探検結果からわかったことは、
1・良く切れるナイフが必要である。
2・風の強いときのため、ターボライターが必要である。
3・塊肉を焼けたところから削ぎ落として食べると美味しい。
4・味付けは塩コショウで十分だ。
5・野外ではオージービーフが合っている。
6・トイレットペーパー(ロール)は便利だ。
7・サンダルを用意すべきだ。

8・ごはんも欲しい。
9・一人一席、イスを買った方がいい。
10・この次ぎはテントを張って泊まるぞ。
11・探検隊とは名ばかりで、ただ食べているだけだった。
12・燃えないゴミは「燃やしてはいけないゴミ」と認識を改めるべきだ。
13・海辺の野良犬は、肉は食うがエビは食べない。

*以上、第一次ゴブリンズ探検隊隊長、キャプテン高橋からの厳しい報告である。












  
 

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アトリエ棟 ★もう一ヶ月ほど前のことですが、埼玉県小川町まで行って来ました。小川町は手すき和紙で有名なところだそうですが、そこにアトリエを構え在住する大学時代の友人が、個展を開くと言うので行くことにしたのです。 会うのは卒業以来で、久々の20年ぶり、再会と小旅行とを楽しんで来ました。個展を開いた場所は普通のギャラリーではありません。以前倉庫だった建物を改造したものです。 40年前までカレー粉製造工場だったところをアトリエとして借り、その隣の材料倉庫をギャラリーとして自力で改造したそうです。どちらも木造合掌づくりで、行ってみると、もうそれだけで味わいのある建物でした。 右アトリエ・左ギャラリー 作品はいわゆる「現代アート」です。一般の人々には「難解」「独りよがり」と思われがちですが、我々アーティストにとっては、その奥底に隠された謎?を読み解くことがひとつの喜びでもあるのです。 彼の作品も、一見クールで無機質に見えますが、その奥には叙情的と言ってもいいくらいの情感が隠されていました。それは、あえてのんびりとしたこの土地の環境の中で制作を続ける、と言う行為からも充分理解できるのです。 小川町は田舎への入り口と行った感じの町でした。あまり田舎独特の風の匂いがしなかったのが物足りなかったのですが、これは季節がらだったのかも知れません。 ギャラリー内 ただ、今回は残念ながらあちこち散歩できませんでした。時間が無かったと言うこともあるのですが、下調べが足りなかったんです。あとで調べてみたら小川町はいろいろ見所があったんですよね。 TBSで日曜日の早朝5時15分からやっている「東京ウォーキングマップ(番組は終了しました)」と言う地味な番組があるのですが、こないだ偶然目が覚めて、偶然チャンネルを合わせたら「小川町」のことをやってまして(東京とは言っても東京近郊まで取材してます)それを見たところ、けっこう面白そうな田舎町なんですよ。せっかく1時間に1本しか無い八高線に乗ってわざわざ行ったのに、もったいないことしました。 近所の図書館 次回は自転車で、泊まりがけで行こうかと思ってます。距離がだいたい片道50kmあるので、日帰りと言うのはキツそうです。 50kmとは驚くかも知れませんが、本格的なサイクリストなら何でもない距...

1「土手の上で、夢の中の約束」

★ Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 2021年の春頃、 僕は一つの夢を見ます。ほぼ忘れかけていた人の夢と言 う、何の変哲もない出来事のはずでした。しかしそれは、その後、約一年間に渡って続く、「少し不思議な巡り合わせ」の、始まりの夢だったのです。 * ・・そこは何処かの土手で、芝生で覆われたなだらかな地面の上に、男女数人で座っています。僕の左隣りには小柄な若い女性が座っていて、まるで独り言のように話しかけて来るのです。 「あたしいま、風俗で働いてるの」 その言葉に、 僕は少なからずショックを受けていて、すぐには返事ができません。大学の学費を親に頼らず、全部バイトで稼ぐと言っていた彼女ですが、そこまでして・・とは思いませんでした。 返事が出来ず思いを巡らしていると、次に彼女はこんなことを言いました。 「歯が抜ける女の子はキライですか?」 その声に口元を見ると、あちこち抜けてしまった歯茎が見えていました。僕は愕然としながらも、それを悟られまいと明るく、 「だいじょうぶ。インプラントと言う手もあるよ」 と言いました。 僕の右隣りの女性も「そうそう、インプラント」と言ってくれて、それを聞いた僕は少し落ち着きを取り戻します。 何処か体が悪いんじゃないのか?と思ってもう一度見ると、 彼女は やはり顔色が悪いのです。おまけに 痩せていて、とにかく見すぼらしいのです。僕が覚えている 、明るく健康で弾けるような若さの彼女ではなくなっていました。 しかし・・ 「でも、だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」 そう言い切ってしまうと、さっきまでの動揺がウソのように晴れやかな気持ちになっていました。 ここまでに至る、彼女との出来事を思い出していたのです。美術大学で初めて言葉を交わした日・・、ローラー・スケートが共通の趣味だと分かった日・・、それから・・ 「オレはずっと変わらない」 僕の言葉が届いたのかどうか・・、 彼女はスッと立ち上がると、 「もう行かなくちゃ」と、 夕暮れ迫る土手の上を、小走りで何処かへ行って しまったのです。 ・・と、そこで目が覚めました。夢だったんです。 さらに 少しずつ意識がハッキリして来ると、その夢の中の彼女が、もうこの世にはいない人なのだと言うことも思い出していました。今からざっと37年 前、27歳 の若 さで亡くなってしまった人なので...

風邪で寝込んで超リアルな夢を見た

★先週の土曜日に風邪をひきまして、でもまあ何とかなりそうだったので、そのまま東大和の球場まで草野球の練習に行きました。運動をしているウチはマヒしてるようであまり感じなかったのですが、家に帰ったその夜から完全にダウンしました。 熱も無いし、それほど咳がひどいと言うことも無いのですが、やたら眠いのです。翌朝、目が覚めて1、2時間パソコンに向かったと思ったら、また凄く眠くなって布団にもぐってしまうと言う感じで、一日の大半を眠って過ごしたんです。 で、ようやく、今日あたりから意識がハッキリして来たのですが、眠っている間、たくさん夢を見ました。ほとんどはどうでもいい雑夢でしたが、その中で一つだけ、とてもリアルな夢がありました。 僕は、誰だ分からないのですが、とても懐かしい友人?とおぼしき二人と歩いているのです。やがて、下町の小さな店がたくさん立ち並ぶ、とても細い路地を抜けて行くと、辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていました。 さらに暗闇を歩いて行くと水辺に出ました。川なのか、池なのかよく分からないのですが、真っ暗な水辺で、僕たち三人はまるで子どもようにはしゃいで遊ぶのです。その時ふと、僕は夜空を見上げました。すると、見渡す限りに無数の美しい星々が輝いていたのです。 ・・とまあ、こんな風な夢でした。それが非常にリアルだったのです。普通の夢は目が覚めると、「ああ、夢か・・」とリアル感がどんどん薄れ、夢の内容もどんどん忘れて行くものですが、そう言うんじゃないんですね。 リアルさが異常なほど感覚に残って、不思議な記憶として時間が過ぎるほどハッキリして来る。そんな感じでした。 目が覚めた後は、とてもいい気分でしたが、あとひとつ間違えば、恐ろしい悪夢に変わってしまうような、そんな妖しい危うい雰囲気も有りました。 そう言うリアルな夢を誰でも一度は見たことがあるはずですが、心霊研究では、じつはそう言う時って、魂が 一時的に 肉体を抜け、「幽界」をさ迷っている状態なんだと言う話しを聞いたことがあります。 なるほど・・、あれが「幽界」だとすれば、確かに「そうだ」と思えるような、不思議な現実感のある世界でした。でも、だとすれば、気になるのは一緒に遊んだあの二人、いったい誰だったんだろう?と言うことですね。 ・・ところで、このごろは、「ゆうかい」とタイプして変換す...

TOPEAK(トピーク)のライドケースを付けた

 ★このところ世の中は「iPhone6」の話題で持ち切りですが、僕のiPhoneはまだ6どころか5でもなく、4sのままなのです。じつは一度水没させて修理に持ち込み、別のものと交換することになったので、その分バッテリーの寿命が伸び、現在まで使い続けることになったのです。iPhoneの修理は基本的に全取っ替えとのことで、持ち込まれたヤツをオーバーホールして、別の修理時に交換品として出すらしいです。 で、iPhone6が出たら、4sはアップルのラインナップから外されるとのことで、今、ショップでは4s用のアクセサリー類が非常に安くなっておるのです。それに釣られて、ついついこれを買ってしまいました。ホントなら4000円くらいするやつですが、1000円ほどで(送料無料!)で購入することが出来ました。(写真は拡大できます) 「TOPEAK ライドケース」とは、スマホを自転車用ナビとして使用するためのホルダーです。もちろんこれまでも、いろんなiPhone用ホルダーを取っ替えひっかえ試して来たのですが、なかなか「これだ!」と想うものに行き当たらず、今に至っていたのです。 何がダメだったのかと言うと、自転車と言うのはかなりの振動があるので、まずは「絶対に落ちないもの」でなければなりません。ところが、落ちにくいものは得てして「外しにくいもの」であることが多いのです。 サイクリング中にトイレに行きたくなったり、コンビニに入るときなど、盗難に用心する必要があるので、外しにくものは実は不便でしょうがないのです。 そしてまた、iPhoneをケースに入れたままだと、ホルダーにハメられないものが多く、自転車に乗るたびにケースから出さねばならず、面倒だったりします。あとは、見た目がゴツくなりやすいこと。iPhone装着時はまだいいのですが、外したあとハンドルにホルダーだけが残ると、どうにも見た目が悪いのです。 そんないろんな条件を考慮して行って、最後に行き着いた製品がこの「TOPEAK ライドケース」でした。が、いかんせんこれにも欠点が有ったのです。 それは値段が高いと言うこと。確かにモノはいいが、これに4、5千円出すと言うのは、チト痛い‥、と想って迷っていたら、iPhoneモデルチェンジのため4s用がどんどん値下がりして来たことから、これは買い時だ!と言うことになったわけなのです。(赤い棒の...

究極のペイントシステム

★絵の話しをしましょう。絵を描くとはどう言うことなのか・・ 簡単に説明すると、頭の中で思い描いた映像を、紙なりキャンバスなりに定着させる作業です。その時、頭に浮かんだイメージを100%忠実に描ければ、これはもう物凄い作品が出来上がるはずなんですが、現実はそうはいかない。 人間はアナログで出来てますから、脳がイメージした情報が、神経を、そして指先に伝わるまでに、どんどん劣化して、最終的に画面に現れるビジュアルは、絵描きがイメージしたものとは、かなり異なったものとなってしまうのです。 そこで石膏デッサンとか写生とか、さまざまなモノを見て描く修行をくり返し、イメージを損なわずに定着させる能力を養うわけですね。 ところで、ずいぶん前ですが、K君という超能力者と言われている青年が、「念力写真展」を開いたと言う話しを聞ききました。この話しに私は「なるほど」と思いましたね。 念写とは、その信憑性はさておき、頭で思い描いたイメージを印画紙に定着させると言う点では、「絵を描く行為」と非常に似通っているのです。これは私のような凡人には到底無理な話で、ある意味うらやましくもありした。 ところが、しばらくして「人間の脳波をビジュアルに変換する」実験をしている大学の研究室があると言う話しを新聞で読んだのです。その記事によれば、すでに「あ」の文字をコンピュータの画面に描き出すことには成功している、とあったのです。 驚きました。もしこのままうまく行けば、究極のペイントシステム、ホントの意味の「念写ぺインター」が完成するのではないか?!と期待は膨らみました。・・が、それ以後何年たっても話題にならないので、研究はかなり難航しているものと思われます。 しかしこの可能性は、私の想像力を大いに刺激してくれました。もしも、人間のイメージをコンピュータが瞬時に再現してくれたら、まったく新しいタイプのアーティストが登場することになります。 もちろん念写のように一枚絵を描くこともいいですが、処理能力を上げれば動画再生も可能になって来るはずです。 そうすれば、作家の頭の中を「動く映像」によって表現するこが出来ます。これまでアニメやビデオアートなどでやっていたことを、リアルタイムで上映することが出来るわけです。 さらにこれを、オムニマックスにするとか、バーチャルリアリティ再生するとかすれば、観客を集めて、壮大なアート...