★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・
2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。
今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。
じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。
中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。
アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・
外から中の様子を探ることさえ出来ない・・
初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。
さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。
そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・
が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。
で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそうなのですが、ついに見つけることは出来なかったとのこと・・
そして「facebookとは、つまり成功者のツールなのだ」との結論に達したのだと言うのです。うまく行ってる時はいい、しかし、ひとたび何かにつまづいてしまうと、多くの人々の顔(face)に晒される感覚は、耐え難い苦痛なのだと・・
この話しも、数々の人生の汚点?、を残して来た僕にとっては荷が重い話しでした。なので、友人や大学の仲間から何度勧められても、どうしても手を付ける気持ちにはなれなかったのです。
なのに何故、始めることになってしまったのか?。では、それを説明したいと思います。じつは、これもまた「夢の続き」になってしまうのですが・・
昨年2021年、「若くして亡くなった女の子の夢を頻繁に見る」と言う話しをブログに書きました。そして日に日に「彼女のお墓参りに行きたい」との思いが募ってゆくが、場所も連絡先も不明、と言うことも書きました。
こんな時、現代の我々がまず考えることは「ネット検索」です。衝動を抑えきれなくなった僕は、ムダだと思いつつも、彼女のフルネームを打ち込んで検索してみることにしました。
「○○ ○○子」
しかしやはり、何人かの同姓同名と姓名判断のページが並んだだけで、情報は出て来ませんでした。ムリもありません、37年前、ネットもスマホも無い時代に亡くなったのですから・・
そこで次に、「東京芸術大学。油画。19○○年卒業」などのワードを足して検索してみたのです。やっぱり彼女の情報は得られませんでした。が、今度は、いくつかの芸大情報に混じって、大学同期の女性「Nさん」のWEBサイト(ネットギャラリー)が出て来たのです。
Nさんとも、あの葬儀以来、37年間会っていませんでした。(葬儀会場では挨拶も会話もしなかったので、実質的には40年ぶりと言うことになりますか?)
Nさん、こんなに活躍してたんだなと思うと同時に・・
「Nさんなら何か知っているだろうか?」
ピン?と来るものがあり、サイトメニューを探ってみました。すると連絡用のメールアドレスがアップされていました。最近はスパム対策のため、表に出さない人も多いので幸いでした。
何十年も音信不通だったのに、突然すぎて怪しまれないだろうか?などと思いつつも、その時にはもう抑えきれない気持ちになっていたのです。
「どう思われるか分からないけど・・、ダメもとで送信してみるか?」
そう思いました。
件名は分かりやすく「芸大同期の高橋です」にしてみました。内容は、いきなり「お墓」の話しはマズいと思い、「お久しぶりです!、偶然ネット検索でWebサイトを見つけました!」と書き出しました。
それから30分くらい、何度もメール文を直しながら、どうしようかと迷いに迷って、ようやく意を決し、「送信ボタン」を押してみたのです。メールは音を立てて吸い込まれて行きました。
そうして、数時間後・・・
有難いことにすぐ「懐かしい・・」との返信メールが来まして、添付画像で、一週間後(2021.12初め)に始まる個展の案内も貰いました。
そのメールを読みながら、
「そう言えば・・、Nさんは、夢に出てきた彼女が亡くなった時、訃報をオレに知らせてくれた人だったなあ」と、思い出していたのです。
そのNさんの名が検索画面の上位に出てきたことが、たまたまなのか、それとも奇遇?だったのかは分かりません。が、訃報を知らせてくれたくらいなら、彼女について何か知っているかも?との期待は高まりました。
・・しかしながらです。訪問の日が近づくにつれ、「せっかく37年ぶりだと言うのに、いきなりお墓の話題なんて、失礼な話しだ」との思いが強くなって行きました。それに「夢のお告げ?」みたいなことを言えば、笑われるに決まってます。・・いや、それどころか「気持ちワリ〜」なんて思われたら最悪です。
けっきょく当日は言い出せず、それに、Nさんとのお喋りが楽しくて、けっきょくごく普通の「思い出話し」に終始することになりました。
そのNさんは、同期の仲間の行方について良く知っていました。それで僕は、「あの人どうしてる?この人どうしてる?」と、ついつい尋ねる側に回ってしまうことが多かったのです。
それを見かねたのか、Nさんは「facebookをやれば色んな人の情報が分かるよ。それに個展の案内とかハガキでやる時代じゃないから」と、盛んに「facebookノススメ」を始めるのでした。
せっかくの「ススメ」でしたが、最初はやはり遠慮しました。いろいろ理由をこじつけて、これまで通り、やんわり断るはずだったんです。しかし、だんだんと「まてよ?、今回は、この流れに乗った方がいいのかな?」と思えて来たのです。
- 2021年、断続的に見続けた「亡くなった女の子の夢」
- その夢の影響による「彼女の墓参りに行きたい衝動」
- ネット検索で37年ぶりに繋がったのが「彼女の訃報を知らせてくれた人物」
そのNさんが、少々強引なくらいの口調で薦める「facebook」には、どうも、何かがシンクロしているような・・、そんな風に思えてきたのです。
そうして、ついに一念発起、2021年12月末から「facebook」を始めることになりました。現時点で一ヶ月ちょっとになりますが、とりあえず芸大同期との繋がりが目的だったので、だいたいそれは果たすことが出来ました。
ただしまあ、始めた当初は、いきなり群衆の中、雑踏の中に放り込まれたようで少々怖かった?です。それと「知り合いかも」と、ザワザワ出てくる顔だらけの画面も、なんだか圧が強くて腰が引けました。
それらも一ヶ月過ぎる頃には何とか慣れて来ましたが、果たしてこれからどうなるのか?、どんな結果に結びつくのか?、まだまだ分かりません。
しかしながら、僕が妄想するような「何かのシンクロ」であるならば、きっと良い方向へと導かれるに違いない・・、そう信じて、今日も「いいね!」を押し続ける日々なのであります。
*次回のお話しに、つづく・・
コメント
コメントを投稿