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4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」

前回までのお話し → 3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」


★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。

2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。

そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。

Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・

しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、年が明けた2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。

天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。

その会場で二度目に会ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、
「それならそうと早く言ってよ!
 あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」
と、強く叱咤するのでした。

Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり僕が探していた、
''お墓の場所を知っている人''
でした。それどころか、当時何年もお墓参りに通っていた人物、と言うことが判明するのです。

もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。

「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」
と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そうして、その一週間後の2月17日、東京から車を走らせ、とうとうこの地を訪れたと言うわけなのです。

この一年、「夢」から始まった雲をつかむような話しが、今こうして「お墓参り」と言う形で現実になろうとしている・・、それはとても感慨深く、少し不思議なことでした。僕は高揚しがちな気持ちを抑え、冴えた冬の空気の中、木漏れ日落ちる石畳の道を歩いていました。

ところがです。墓地まで来てみると、なんと、目的のお墓が見つけられないのです。当初は観光気分で「北条政子の墓」など見物しながら、「すぐ見つかるだろう」と高をくくっていたのですが、まるで分かりません。しかも「わりと古いお墓」と聞いていたのですが、歴史ある墓地なので古いお墓ばかり、文字を読み取るだけで四苦八苦なのです。

来る前にNさんに聞いた説明を反芻しながら、「ちゃんと地図に描いてもらえばよかった・・」と、後悔していました。僕は、神経質な反面、妙にいい加減ななところがあって、何とかなるだろうと決めつけて大失敗することが多く、今回もやっちまったか・・と思っていました。

墓地を何往復したでしょうか?。それほど大きくない墓地ですが、それでも分からず心細くなった僕は、スマホを取り出しNさんにチャットで助けを求めました。しばらくして返事が来ると、Nさんは場所を再度説明してくれて、それでもダメならお寺で尋ねるがよい、とのアドバイスをくれました。

・・で、けっきょく見つけることが出来ず、言われた通りお寺に行くことにしたのです。お寺は「しん」として人の気配が無く、ちょっと心配でしたが、思い切ってインターホンを鳴らしてみると、70代くらいの女性が現れました。

「あのう・・、○○家のお墓の場所が分からないので、教えていただきたいのですが・・」と言うと、
「○○家でしたら二つありますけど、どちらかしら?」と、すぐに墓地の見取り図を取り出し、僕に向けて広げてくれました。

一つはずっと離れた場所で、もう一つが、・・ちょっと位置が違う気がしましたが、Nさんの説明と近い場所だったので、「ああ、たぶん、これみたいですね」と言い、スマホで図の写真を撮らせてもらいました。そして、お礼を行って去ろうとした時でした。

「元は三つあったんですけどね、今は更地だから」
そして、見取り図をしまいながらその女性は言ったのです。

「若い娘さんが亡くなってね、その後、お父様も亡くなられて・・」
僕はドキッとして、「えっ?、娘さん?ですか?」と聞き直しました。

「ええ・・、でも、だいぶ前のことですよ」
と言いながら、仕舞いかけた見取り図を再び広げて指差しました。

見ると二重線で消された下に、確かに「○○家」と書いてあります。女性はこちらの事情は知らないので、更地になった墓は関係無いと思ったのでしょう。

「確か、お父様は大学教授・・、お母様も鎌倉育ちで、どこかの立派な家のお嬢様だと聞いてます。で、亡くなった娘さんは一人娘で、音大とか芸大生とかで・・」

「あっ、芸大です!。僕も芸大出身なんです!」
僕は、右手を何度も自分の胸に当てながら言いました。

「僕が探しているのは、芸大で同期だった娘さんのお墓なんです。・・それって、もしかして、今から40年近く前のことじゃないですか?、もしそうなら、たぶん、それだと思うんですけど・・」

「わたしがここに来て50年だから・・、そうね、確かに40年くらい前の出来事です。だとしたら・・、墓じまいされて、もうここには有りませんね」

「ええ!、もう無いんですね!、そうですかあ・・」
愕然としました。遅すぎたんです。やっとここまで来たと言うのに、こんな形で結末を迎えるとは・・

「そうですよね。何十年も過ぎてますもんね」
僕は、誰にとも無く言いました。ここを教えてくれたNさんも、自分の気持ちに整理をつけ、足が遠のいたとのことだったので、知らなかったのでしょう。

ところが、落胆する僕をじっと見ながら、女性は続けるのです。
「・・わたしね、今日たまたま寺にいたのよ。いつもはいないの。先代の住職が亡くなって代替わりした
から、普段は現住職の息子夫婦が寺にいて、わたしは隠居していないはずなの。今日たまたま留守番してたら、あなたがやって来たの」

「それはつまり、偶然ってことですか?」
「そう。○○家のことは、先代の時代のことだから、現住職は何も知らないの。いま知っているのは私だけ。だから、もし今日、わたしがいなかったら・・」

「・・僕は、ホントのことを知らないまま、ってことですか?」
そして、''見当違いの墓''の前で手を合わせ、そこにお花を供えて、満足げに帰宅してしまったのかも知れません。

少し妙な感じを覚えた僕は、女性にこう言ってみました。
「じつは僕も、今まで来たことが無くて、今日初めて来たんです」

すると女性は何度も納得したように頷き、
「・・そう言うことだったのね」
と呟くのでした。

つまり、2月17日・・
僕が「墓参りに行こうと決めた日」と、○○家の行く末を唯一知っている人物の「留守番の日」が、たまたま?重なった、と言うことなのでしょうか?

それから、ご両親の苦悩の日々を聞かされました。母親はもちろんですが、特に父親の嘆き悲しみ様は見ていられないほどで、毎日のように墓参し、ずっとお墓の前でしゃがみ込んでいたそうです。一時は「娘に供えた花を盗みに来る者がいる!」と、言動がおかしくなった時期もあったとのこと・・

僕はとうとう、ここへ来たホントの理由を告げてみることにしました。
「じつは昨年、その亡くなった娘さんが、何度も僕の夢に出て来まして・・、それでどうしても気になって、今日、伺ったわけなんです」

僕がそう言うと、女性は「そうなのね。・・わかります」と言い、少し考えてから、「ちょっと待ってて」と、部屋の奥に何かを探しに行きました。

しばらくして戻って来ると、抱えて来た分厚いファイルをめくりながら、
「お父様はもう亡くなってるの。その後、お母様はここの墓じまいをされて、東京の多摩地区に転居、お墓もその近くに改葬されたはずですよ」

そう言いながら、ある箇所を僕に向け、
「これ、お母様の転居先です。ホントは、いけないことなんだけど、わたしはいつも回りから言われるんですよ、お節介が過ぎるって。・・あなたも、スッキリしなければならないんでしょう?」
と、書かれてある住所をメモしなさい、と言ったのです。

住所を書き写しながら、僕は思いました。
物語は終わっていない、この旅にはまだ続きがある。

しかし、すでに八十半ばの高齢のはずで、何処かの施設にいるかも知れないと、その女性は付け加えました。それから、せっかく持参したお花はお供えして行きなさい、とも・・

奮発してお花屋さんにアレンジしてもらった、大きな白い花束を献げながら、悲しみに暮れる父親の姿を思い浮かべていました。その人も亡くなり、失意のうちに墓をたたみ、想い出の多すぎる鎌倉を後にした母親の姿も・・

お花を置いて戻る途中、大勢の見学の小学生とすれ違いました。その内の一人が「こんにちは!」と、元気な声で僕に挨拶すると、他の子供たちも調子に乗って次々に挨拶して来るので、僕は少しドギマギしながら、「こ、こんにちは・・、こんにちは・・、こんにちは・・」と、果てしなく頭を下げるのでした。

その子供らが行ってしまうと、今度は無性に誰かと話がしたくなって、Nさんにチャットしてみたのです。

「お母さんの住所教えてくれました。どうするかは、また考えます・・」
「そうだね。よく考えてみて。自分の心に正直に!!」


"Heal his pain." "Go the distance."
(Field of Dreams:1989)



帰りは、どうしても高速に乗る気持ちになれず、下の道をゆっくりと走ることにしました。鎌倉から賑やかな藤沢を抜けしばらく行くと、気持ち良く晴れた、見晴らしのよい田舎道に変わりました。

少し窓を開けて風を入れ、カーステレオの音を大きくすると、ランダムに選曲されたプレイリストから、小田和正の曲「この道を」が、流れて来ました。その歌詞を聴いているうちに、今日の出来事と重なり、不意に目頭が熱くなって、ついに抑え切れなくなってしまったんです。

・・学生だったあの頃、同年代の女子たちの多くは、「オフコース」を軟弱だと言ってバカにしてました。なので僕らファンは隠れてこっそり聴いたもんなんです。



・・でもねえ
こんな時に聴く小田和正は、やけに心に沁みるんですよ・・・



*次回のお話しに、つづく・・


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