スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2009の投稿を表示しています

ナックル姫?と草野球

★「全6球ナックル勝負!えりちゃん涙の復帰!」だそうです。 どうもこの、「ちゃんづけ」や「姫」と呼ぶのも好きになれませんが、男でも「王子」なんて呼んだりしてるので、まあ、こんなもんなんでしょう。 でもとにかく、関西独立リーグも幾つか新しいスポンサーを見つけたり、募金活動などの努力で存続、吉田えり投手も復活できて良かったです。 ところで、この「女子選手」と言う存在、草野球の世界ではけっこう風当たりが強いと言うのを知っていますか。幾つかの草野球サイトの「フォーラム」では、必ず一度は男に混じってプレーする「女子選手」に関するスレッドが立ち、そこでは、女子選手が「真剣勝負にどれほど邪魔で不必要な存在か」と言うことが延々と語られているのです。 ゴブリンズにはこれまで述べ3名の女子選手が在籍していたので、複雑な思いでそれらの記事を読んでいました。内容の説明は面倒なので、興味のある人は草野球サイトを検索してみて下さい。 ・・で、今回ちょっと気になったのは、そんなプライド高き男たちが、「吉田えり投手」について何も語っていないと言うことなんです。あちこちサイトを覗いて見たのですが、それに関するスレッドはまったく見当たりませんでした。 あれだけ女子選手について饒舌に(悪態を?)書いた人たちなら、「女子選手のプロ入り」についても、どんどん発言して当たり前のはずなのに、どうしちゃったんでしょう。 もしや、彼女は独立リーグと言えども「プロ」なので、草野球のテーマにはそぐわないとでも思ったのでしょうか。それとも?、ホンキで野球への夢を追いかける彼女に、気後れしてしまったのでしょうか。 考えてみれば、「吉田えり投手」がやっている野球の方が、硬式球使用の9イニングで行う「本物の野球」なわけで、屈強な?男たちがどんなに頑張ったところで、2時間7イニングの「お遊び草野球」では、分が悪いのです。でも沈黙はいけません。怖気づいて逃げたと思われても仕方無いですな。 草野球(軟式野球)とは、残念ながら「本物の野球」では有りません。ミニ・ベースボールです。サッカーとフットサルの関係だと思えば分かりやすいでしょう。 しかしそのフットサルも、今では「ミニ・サッカー」と言う位置づけではなく、独立したスポーツとして成り立っているわけで、軟

鶏肉ノススメ

★草野球を始めて何年か過ぎたころ、それまで一度も経験の無かった、太ももやふくらはぎの肉離れを起こすようになり、それが毎年一回は起こるクセになってしまいました。肉離れを起こすと内出血にもなるので、痛みが引いて治るまでに2~3週間はかかります。その間は野球だけでなく、日常生活にも不便することになります。 そんなことが続き、ついに2006年の3月、砧公園で肉離れを起こしたのをきっかけに、ホンキでその予防対策をすることにしました。で、思いついたのが「鶏肉」を食べることでした。 かつてNHKで、スポーツ選手の食生活と言う番組をやってまして、それによれば、メジャーリーグで活躍した大投手「ノーラン・ライアン選手」は、現役時代「鶏肉」しか食べなかった、それも登板した日のディナーだけだったと言うのです。これは豪快なテキサスのカウボーイには似つかわしくない、中々 ストイックな食事メニューです。 これは、投球で疲労した筋肉には鶏肉のタンパク質が一番良いと言うトレーナーの助言からだったそうです。スポーツをすると筋肉の細かい繊維が断裂し、その補修のために血液が集まり、熱が生じて炎症を起こします。これがいわゆる「筋肉痛」と呼ばれるものですが、この時、鶏肉のタンパク質を補給することで、断裂部分の再生を早め、同時に筋肉の強化を促すことにもなる、と言うのです。 魚介類も良質のタンパク質なのですが、人間とでは「種」が遠いので、吸収しづらいと言います。まあ、その吸収しづらさが「ダイエット効果がある」ってことになるんでしょうけどね。 そんなこんなで、私は鶏肉を食べることにしました。週に一回、ゴブリンズのゲームがあった夕食には必ず鶏肉を食べることにしました。ホントは「ササミ」がいいらしいですが、面倒なので主に「モモ」にしています。唐揚げは油分が多いので、ダイエットのため?には避けた方がいいでしょう。 で、それを試合ごとに、つまり毎週続けたところ、医療的な見地からは不明ですが、とりあえず結果としては、それ以降今日まで肉離れは起こさなくなりました。それと、筋肉痛の治まりも早くなったのです。 ・・って言うか、2006年の4月に、今度は左鎖骨を骨折してしまったので、そっちの治療の方がメインになってしまったんですが・・ でも、骨折が完治して試合復帰し

ブレード走行から2週間、男達の旅はまだ続くのか・・

★「ブレード隊2009延長戦」が終了して二週間が過ぎました。46km越えの激走が、すでに思い出になりつつあるのが不思議です。 これまでは終了後に「走行記」を書くのが恒例だったのですが、「ルートが決まっているサ イクリングロードの旅」は変化が少なくて、内容をムリにひねり出さなくてはならず大変なので、今回は見送ることにしました。が、やはり何か物足りない気はします。 初めて「走行記」を書いたのは、ローラーブレードで八王子から山中湖(85km)まで行った時でした。動機としては色々あったのですが、そのひとつに、負け続きの弱小チーム「ゴブリンズ」の話題作りが有りました。 当時のゴブリンズは、勝ち試合が年に一回有るか無いかの弱いチームでしたが、「鴨川キャンプ」「部費年俸制度」、「チーム内スポーツ新聞ゴブリンズレター」など、他チームには無い話題作りをして、チームの存続をギリギリでつなぎ止めていました。 「ヒドく弱いチームなんだけど、あそこに行けば、必ず何か面白いことが起こる」、そう言うイメージを作ることで、ゴブリンズの存在価値を上げよう思ったわけなのです。 で、ブレード走行を敢行し、その走行記を面白おかしく書いて、ゴブリンズレターに掲載することを思いつきました。今はこう言うウェブサイトに書くことが出来ますが、当時はコピーして郵送すると言う方法でした。 これがけっこう反響が有ったらしく、物珍しさや好奇心で、人々が集まって来るようになりました。さらに、元々はCGプロダクションの社内チームだったので、転職であちこちの会社に散らばった知り合いにも根気よく発送した結果、CG業界で「いつかゴブリンズに入団したい」と言うヤツが増えてる、と言う話しも聞くようになりました。 ずいぶん昔ですが、仕事の打ち合わせに行って帰ろうとしたら、見知らぬ坊主頭の若い男に呼び止められ、「仕事に余裕が出来たらゴブリンズに入れてください」と挨拶されたことが有りました。それが先日も対戦した「高野連」の代表・高野氏でした。けっきょく彼はゴブリンズに入ったあと自分で新しいチームを作り離れて行くのですが、かつてのゴブリンズにはそんなエピソードも有ったと言う例ですね。 ところが、良い事ばかりでは有りません。当初こそ反響を呼んだブレード走行ですが、何度も重ねて行くと