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第二回ゴブリンズ探検隊 《探検隊 in 鴨川》

前日まで大雨、超大型台風が迫っていた

かつて、全盛時は総勢30名を越え、「社員旅行」とまで言われたゴブリンズ鴨川キャンプ。だが、97年は大幅に規模を縮小、5名にまでリストラされた。しかも、ダイロー隊員は夜到着するので、先発隊は4名。さらに、ニイツマ隊員は茨城から現地直行する予定なので、現在、館山自動車道の市原SAで集合しているのは、キャプテン、ヤマグチ、ヒメノ、のたった3名である。おまけに、現地ガイドのハヤシ隊員は先週決行と勘違いし、今週は予定を入れてしまってほんのちょこっと顔を出す程度だと言う。

ついに、来るべき時が来たのか・・
夏は終わったのか。
頭上の、どんよりとした曇り空は、我々をあざ笑っているようでもあり・・

さっきからヒメノ隊員も、秋の装いで混雑するSAで、ただ一人サンダル履きにショート・パンツと言う「夏」のいで立ちのまま浮いている。


もう秋なのか。あの、まぶしい日差しは戻って来ないのか。
 
ただ無言のまま、風の中に立ちつくす隊員たちであった。


ニイツマ隊員より緊急連絡!

さて、市原SAを出発してまもなく館山自動車道の終点『姉ヶ崎・袖ケ浦IC』で降りる。降りて一般道へ出ようと左折車線へ入ったら、鴨川方面は右折車線だと解った。だがあわてることはない。探検隊の2台の車は、信号が青になったとたん左折車線からいっきに右折、意表をつく行動で周囲をあっと言わせたのだった。

それから20分ぐらいすぎただろうか。突如キャプテンの携帯電話が鳴り響いた。曲がりくねる田舎道でのことである。受けて見るとニイツマ隊員からだった。キャプテンは、ロング・アンド・ワインディング・ロードを右手にハンドル、左手に携帯、と言う危険な状態で走って行くのだった。

「今、市原SAの公衆電話からなんですけど、どこにいるんですか?」
と、ニイツマ隊員は言った。
「なに? ついさっきまでそこにいたんだぞ」
「どのくらい前ですか?」
「20分ぐらいかな」
「どこかで、待ち合わせできませんか?」
「うーむ・・、場所を見つけて合流したいところだが、キミは携帯もってないんだろ?」
「はあ、そうです」

ニイツマ隊員は日ごろから「あんな物に振り回されてたまるか!」と、携帯電話を嫌っている人物だ。しかし以前、「インターネットなんてダメダメ!」と言ってたのに、ゴブリンズのホームページを作りたい、などと言い出す人物でもあるので、油断はできない。(1997年。携帯電話を持っていない人もまだたくさんいた。また、この頃まだゴブリンズはホームページを作っていなかった)

「とにかくいいか? 高速を降りたら"右折"しろ。いいな?"右折"して鴨川方面へ来い」
彼に同じ苦しみを味わせたくなかった。
「わかりました。それじゃあ、また1時間後にでも電話しますよ」
と言って彼は電話を切り、再び広大な房総大陸の迷い子となってしまうのだった。


キャプテンはすぐに後ろを走るヤマグチ隊員の携帯に電話をかけ、その出来事を知らせた。電話に出たのは助手席のヒメノ隊員だった。
「なんだ、ニイツマ君あそこで待ってたんだ。かわいそうに」
そう言って、彼女は笑った。




昼飯は海の家で食うぞ!

車は順調に進んでいた。山を登り、山を下り、右へカーブし、左へカーブし、ブレーキ踏んで、止まって、アクセル踏んで、スピード出して、山を登り、山を下り、右へカーブし・・、このくらいの描写でいいだろうか?

久留里線の踏み切りを渡り、さらに先へ進む。あの単線は、去年(1996年)放送していたドラマ『コーチ』の中に出てきた電車の線路だ。

「ゴブリンズはまるで『コーチ』のようになってしまいましたね」
モリヒロ君がハワイに旅立つ前に言った言葉だ。だが果たして、あのドラマの最終回のように、ゴブリンズは復活するのだろうか? それともこのまま・・

そこを過ぎて、車は1時間ほどで鴨川市に入った。そこから海辺の国道に出るまでは少し時間がかかったが、近づくにつれ天気は良くなって来た。
「昼飯は、とりあえず宿についてから、と言うことにしましよう」
と、携帯電話で連絡すると「異議無し!」と言う返事が返って来た。

やがて交差点渋滞を脱出、鴨川シーワールドの脇を走り、ハヤシ君の勤める『亀田病院』の横を通って、むかし民宿ウエダのあったところを過ぎると、間もなく『タバタ民宿』に到着した。

その駐車場に車を止めていると、またニイツマ隊員から電話がかかってきた。ところが電波状態が悪くてすぐ切れてしまう。やはりJフォンではダメなのだろうかと想ったが、これはヤマグチ隊員のドコモ携帯でも同じだった。

あとはニイツマ隊員の到着を待って海へくり出せばいいだけなのだが、これでは連絡がとれず民宿の場所の説明ができない。このままだと迷って通りすぎてしまう恐れも出て来た。そこでキャプテンは、明日のバーベキュー用肉屋の探索がてら迎えに行くことにした。

狭い国道を歩いていると、やたら酒屋の多い町であることが判った。キャプテンは「飲んだくれ港」と名付けることにした。それだけではない。酒屋と魚屋と土産物屋とパン屋があるだけで、肉屋はまるで見当たらない。不思議だった。「海辺の人々は肉は食わないのか?」と言う、深刻な疑問が沸き上がってくる。

それから30分も歩いただろうか? 汗だくになって、やっと駐車場つきのスーパーを発見した。どうやら肉もありそうな気配である。よかった、ここで買い出しすれば問題はなさそうだと確認し、すぐに店を出てさらに先へ進む。

そのうち山しか見えなくなったので、今度は引き返しながらニイツマ隊員の車を探すことにした。
一台一台フロントガラスをのぞき込んで確かめる。前回のレンタカーの車種はデミオ(今回、ヤマグチ隊員が借りた車もデミオ)だったから、恐らく同格の車であろうと、1リッタークラスのハッチバック車を注意する。

すると幸いにも、何台目かのメタグリーン車の運転席にニイツマ隊員を発見、道の左端に停車させ、助手席に乗り込んで道案内をするになった。

今回の車は「ホンダ・ロゴ」だった。「質実剛健、この車はいいですよ」と、なかなか気に入ったようす。ヤマグチ隊員もそうだが、レンタカーを利用して車の品定めをしているようである。

今回、ニイツマ隊員はニイツマ家の家庭菜園で収穫した農作物を持参して来た。スイカ、ナス、トマト、ピーマン、ネギ、ニガウリなど、かなりの量である。これなら、買い出しはビールと肉類だけですみそうだ。それと、スイカは民宿のおばさんにお願いして、冷蔵庫で冷やしてもらうことにした。

全員がそろったので、水着に着替えて、さっそく海に出ることにした。天気は完全に晴れていた。風は少し涼しいが、絶好の海水浴日和だった。民宿からすぐ海岸に出て、足取りも軽く200メートルぐらい先の海の家を目指し歩いて行く。

ところが砂浜を歩いていると、中途半端で寂しげな場所にもかかわらず、突然ヒメノ隊員が足を止め、「もう、ここでいい!」と、大声を発したのだ。ここからまだ先の海の家の前は混んでいるし、歩くのがメンドーだから「ここでいい!」と言うのである。

もう少し先の方が・・、とも想ったが、女王様に逆らうことはできない。
「へへーい」と、ひざまづき、荷物を降ろすことにした。

シートを敷き、石の重みで固定する。台風の影響だろうか、かなり風が強いのだ。見ると海岸には赤旗が立っていた。遊泳禁止区域の印しだ。眺めたところ確かに波が激しく、泳げるのは海の家の前のわずかな海域だけだと解った。

「とにかくメシを食いましょう」
と言うと、ヒメノ隊員は車の中で食ってばかりいたらしく、
「昼ごはん、いらない!」
と、叫んですぐに水着姿になり、寝っころがって体を焼き始めたのである。

「へへーい・・ それじゃあ荷物の番をたのみます」
と言うことで、三人は海の家へラーメンを食べに行くことにした。
  



ヒメノ隊員ナンパされる?!

久しぶりの城崎海岸の駐車場はいっぱいだった。しかもそのほとんどがRV車で、海辺には大きなタープやテントが張られ、バーベキューをしている光景が目立った。そのせいか、以前よりカラフルで華やかな感じがした。

また、よく見ると女性の水着も千葉にしてはずいぶんハデになっていた。かつて、湘南でTバック全盛のころ、この海辺にもたったひとりTバックの女の子がいて、あまりにジロジロ見られるので、ついに腰にタオルを巻いてしまった事件、があったのを想い出す。

三人が食事を終えて帰ると、入れ替わりに、ヒメノ隊員が一眼レフカメラ(まだフィルムカメラ)を持って出かけて行った。どうやら少し離れたところで群れをなしている「ふんどし姿の男衆」を撮るつもりらしい。

彼女が出かけて行ってしばらくしたころ、ヤマグチ隊員が「あっ」と小さく声を出した。その声に、彼が見ている方向を見ると、ふんどし男がヒメノ隊員に近づいて行くところだった。「おおっ?」と、身を乗り出して様子を見守る隊員たち。

遠く、声はまったく聴こえないが、ヒメノ隊員とその男は、何やらやけに楽しそうに話しをしているではないか。う~む・・、とその時!男はいきなりふんどし姿の自分の「尻」を、ヒメノ隊員の目の前に突き出したのだ?! そしてその尻にレンズを向けピントを合わせるヒメノ隊員・・・

戻って来たヒメノ隊員に聞いてみると、その男衆は東京の祭り仲間であると言うことだった。つまり神輿を担ぐ連中らしいのである。「写真、いりますか? だったら住所教えてください」と言うと、「それじゃあ、電話番号教えてください」と言われたそうである。「へへーい・・」さすが、われらが女王様だ。





ゴブリンズ探検隊、大波に打ち砕かれる!

人生を考えにこの海にやって来たと言う「飲んだくれマット・ジョンソン」こと、ニイツマ隊員。さっきから同じページばかり開いていた書物を投げ捨て、ボディー・ボード片手に海へと向かうのであった。

 幼いころの記憶に残る風は、峡谷を抜けて吹きおろす熱い風だ
 それはサンタナと呼ばれ、熱い町々の香りをはこんで来る
 風は夜明けに速度を増し、やがて浜を吹き抜ける。
 私たちは車の中で眠り、沖をわたるその風の匂いで目を覚ますのだ
 今日こそ特別な日、
 ビッグ・ウェンズデイであるという期待に胸を踊らせながら・・・
(映画『ビッグ・ウェンズデイ』冒頭より)

彼の心の中では、こんな詩が朗読されていたのではないだろうか。だが、今日の波をあなどってはいけない。すでに海に入ったヒメノ隊員の報告では、あまりの激しさにダイビングシューズの片方をさらわれ、おまけに危うく水着まで脱がされそうになったと言うのである。

いかん! このままだと、飲んだくれマット・ニイツマが危ない。ジャック高橋はボードをつかみ、追いかけるように海へと向かう。リロイ・ヤマグチ、あとはたんだぞ!

しかし、その日の波は、我々の力では太刀打ちできないほどの大物だった。いくつか大波をやり過ごし、さてそろそろ、と身構えたまではいいが、おや? 監視員のホイッスルが鳴ってるぞ?と振り返ったその時、眼前には巨大な波の壁が! ガツンと頭に衝撃が走り、「ガボガボガボッ・・」と言う音とともに身体が一回転、二回転。白い泡の中で全てが揉みくちゃにされてしまったのだ。

気が付くと、遊泳区域のロープにまるでコンブのように引っ掛かっているジャック高橋だった。「・・こりゃ、たまらん!」と言うことで浜に上がり、引き返しながら後ろを見ると、マットニイツマのイエロー・ボードが砂浜に打ち上げられていた。しかも、彼の姿が見えない。「どうした?」と目をこらすと、間もなく、やはりロープを伝って、背を丸めボロボロになって這い上がって来るマットニイツマを発見、相当なダメージは受けていたものの、大事には至らなかったようだ。

「あっぶない、溺れかかった」
と、マットニイツマはびしょ濡れで腰を下ろしながら、恐怖のありさまを語るのだった。もしこれがゴブリンズ名物「*UFO」だったらどうだろう。眼を覆わんばかりの惨劇が繰り広げられたのではないだろうか?

その後探検隊は、満ちて来た波に荷物を濡らされるまで、おとなしく昼寝などして過ごすことになった。
「ゆっくり、海に沈む夕日でも見ましょう」
ニイツマ隊員は目を細めてつぶやいたが、ここでは、夕日は後ろの山に沈むのだ。

(注*UFO:土屋一家が持っている。あきれる程でかい、せんべいのような浮き袋のこと。おとな数人が乗っても沈まず、これに乗って、誰が最後まで大波に耐えられるかと言うバカげた遊びができる。空気を入れる、抜く、だけでも大変な時間と労力を要する、きわめて不効率な遊び道具)


ダイロー到着せず、そのまま花火大会へ!

一日目の海水浴が終わって風呂に入ろうとすると、女風呂しかお湯を張っていないので、男女交替で入ってくれ、とのことだった。キャプテンは面倒なので表のシャワーですませたが、ニイツマ隊員は風呂へのこだわりが捨てきれず、ヒメノ隊員があがるのを待って入ろうとした。ところが宿のおばさんに、順番で別の部屋の女性客が入るから待つように、と言われたのである。それでも彼はあきらめきれず、「いっしゅん、いっしゅん、」と言って頼みこんだ。

彼は若者の言葉で、「いっしゅん = 一瞬(ほんの少しの時間)」と言う意味のことを言ったのだが、年をとった民宿のおばさんに通じなかった。
「いっしょ?」と、聞こえたらしい。「一緒に入りたいの? えっ? だったら一緒に入れば?」と言うことになった。

その様子を傍らで見ていたキャプテン高橋は、「おいっ、ずるいぞ!」と想ったが、問題はそう言うことではない。

さて、夕方到着するはずのダイローは、「特注・刺し身皿盛り付き夕食」の時間が間近になっても現れる気配がなかった。

「しょうがねえ、ダイローの分も食っちまおうぜ!」
と、キャプテンがヤクザのような口調で言うと、
「まだ、食べちゃだめです」
「もう少し待ってみましょう」
「落ち着いて、キャプテン」
と、隊員たちの、仲間を想いやる熱い気持ちにキャプテンがジーンとするが早いか、電話で「遅くなる」との連絡があった直後、
「オレは、イカだぜ!」
「お黙り! あたしは、天ぷらよ!」
と、いきなりツバの付け合いだ。その異様な有り様に、ハシを持ったままボウ然とするキャプテンなのであった。

ビールと刺し身と天ぷらで満腹の食事は、6時40分ごろに終わった。なぜ時間を気にするのかと言えば、今夜7時に元ゴブリンズ外野手・ハヤシ君と久振りに再会し、彼の婚約者と共に隣町の花火大会へ行くことになっていたからだ。しかし、探検隊は身動きも出来ないくらい食べ過ぎていた。この宿の食事は、以前より数段味が良くなっている。

とりあえず、ビールでグラグラになったキャプテンに代わってヤマグチ隊員が運転をする、と言うところまでは良かったが、時間が迫ってもなかなか腹は楽にならず、起き上ることができない。横になったきり、みんなもう眠ってしまいそうな気配だった。それでも気持ちを奮い立たせ、ようやく7時ちょうどに出発、待ち合わせ場所「安房小湊駅」へ向かった。

少し道に迷いながらも駅に到着。だが、駅前にハヤシ君の姿はなく、酔っ払った小湊ガンプが子供をからかっているだけだった。

「遅れたので、先に行ってしまったのかもな・・」
車から降りると、風がやけに冷たかった。

携帯電話で連絡を取ろうとするが、Jフォンもドコモも完璧な圏外でダメ。ハヤシ君も携帯を買ったと言うが、こんなところで役に立つのか?

「だめかあ・・」と、あきらめかけて、駅前で写真を撮っていると何処からか声が聞こえて来る。振り返ると、ハヤシ君が笑いながら彼女と歩いて来るところだった。
「ここじゃ、携帯持っててもしょうがないだろ?」
などと、からかいながら再会の挨拶を交わした。

そこから、歩いて数分の海岸まで行き、砂浜にハヤシ君が持って来たシートを敷いて座った。4人座ったらいっぱいだったので、ヤマグチ隊員とニイツマ隊員はゴミ箱から段ボールを拾って来て、それに座った。

花火は7時半ごろから始まった。湾になっている向こう岸で打ち上げているようだが、すぐ隣には大きな月が出ていて、何だか幻想的な光景である。それはいいが、都会と違って一発一発がすごくのんびりしている。しかもドドドッと連発があって「いいぞ!」と想うと、またしばらくシーンとしてしまう。ハヤシ君によれば「歓談ターイム!」なのだそうだ。

それはいいが、やけに寒い風が吹いて来る。半袖ではキツくなって来たので、30分ぐらい見物して、すぐ「帰ろう」と言うことになった。ハヤシ君は「お茶でも飲みましょう」と言ってくれたのだが、こちらはダイローの到着を待たなければならず、ここで解散と言うことになった。

みんな大人なので、あきらめよく引き返すことになったが、ひとりニイツマ隊員だけは名残り惜しそうだった。彼は、冬山でも登れそうな長袖のネルシャツを着ているので、寒くないのである。朝出発するとき、茨城はそうとう寒かったらしい。


ダイロー到着!

宿に戻ったが、ゲーム類は何も持ってきていない。用意のいいキャプテンだが、じつはゲーム類が嫌いなのであった。それでけっきょく数時間にわたって語り合ったあと、フトンを敷いて寝た。そして、全員が寝静まった深夜2時ごろになって、友人と山形県へ行っていたダイロー隊員が到着。今回のメンバーが全員そろうことになった。

ところで、明日の朝食は8時である。 




二日目は、ほぼ快晴だった!

朝一番に目を覚ましたのは、歳のせいか、やはりキャプテンだった。

時刻は6時30分。顔を洗って戻ってみると、まだ全員が眠っていた。こう言う姿を見ると、石油缶を持って来て、いきなりコン棒でガンガンガンッ!とたたき起こしたくなるが、そんなことはしない。

喉の渇きを覚えたキャプテンは、「*マックス・ショージアが飲みたいなあ」と想ったが、以前ヒメノ隊員が飲んだとき、「栗の渋皮の味がして腐っていた」と言い張るので、ちょっと不安な気持ちになった。

しかし「自分は鍛え抜かれた探検隊員なのだ!」と、ありったけの勇気を振り絞って自販機のボタンを押すのだった。(注*マックス・ジョージア:千葉県産のマックス・コーヒーと、コカコーラ・ボトリングが提携して作った缶コーヒー)

さて、全員起床し食事も終え、行動開始となった。昨日見つけたスーパーはシーズン中の日曜日だけ朝8時開店と言うことで、朝食終了と同時に、ヤマグチ隊員とヒメノ隊員で買い出しに行くことになった。その間に、キャプテン、ニイツマ隊員、ダイロー隊員の3名は砂浜に出て場所を確保しておく。

海辺に到着すると砂がかなり熱くなっていた。昨日よりも数倍強い日差しなのだと判った。探検隊は浜へ降りる階段のわきの「バーベキュー禁止」の看板近くに陣取り、荷物を降ろした。まずは調理台となる簡易テーブルを設置、その周囲にシートを敷き、そして小さなテントを設営する。

これだけで、ずいぶん探検隊基地らしくなった。あと、ヤマグチ、ヒメノ両隊員が戻ってきたら、昼飯までは自由行動である。




ナイス・ウェイブ、城崎海岸!

朝、ずっと遠浅になった海は、適度に波が大きく、波足も長く、ボディ・ボードには最高の状態だった。さっそく波に乗って見ると、想った通りかなり長い時間滑っている事ができた。

マット・ジョンソンニイツマを見ると、チューブを作ろうとする波の盛り上がりに向かって、ゆっくりパドリングを続けていた。そうなのだ・・。あの大波の真っただ中に向かって行かなければ、昨日の恐怖を乗り越えることはできない。・・そうだろ? マット! 

だが、彼のすぐ横では、子供が立ったまま波とたわむれていた。う~む・・、ここはかなりの遠浅なのだ。

水遊びをしたり、日に焼いたりしている内に、いつの間にか昼近くなって来た。かなり暑くなって来たので、まずスイカをいただくことにした。包丁で四つに割り、さらにこまかく切る。
「終わりの方のスイカだから、大味かも知れない」と言っていたが、どうしてどうして、水分たっぷり、なかなか甘くておいしい。しかも一晩冷蔵庫で冷やしたから、とても冷たい。食べている間は完全に汗がひいてしまったほどだ。


「すごいなあ、スイカって・・」
ニイツマ隊員がしみじみ呟いた。それを聴いたキャプテンが、

「この水分、全部地面から吸い上げてるんだからな」
と答えると、ニイツマ隊員は苦笑しながら、
「いま、おんなじこと考えてた」と言う。
どうも考えるレベルが、この哲学大王と近づいているような気がして、
・・とても不安だ。


残念、肉のかたまり無し!

次第に日差しが強くなって来たので、海の家でビーチ・パラソルを借りることにした。これがじつに快適だった。太陽光線からの逃げ場ができて、安心して調理に没頭できそうである。

今回はニイツマ隊員が飯盒炊さんに取り組むことになった。コメは、この日のために用意した「とがずに炊けるコメ(無洗米はキャンプ用から広まった)」である。ところが、フッと彼の姿が見えなくなってしまったのだ。おかしい、と想って探すと、テントの陰でこっそり炊いていた。恥ずかしいのだろうか、と想ったら、ストーブの火が風に消されるので避けていたと言う。

続いて、ダイロー隊員とヒメノ隊員が、ニイツマ農園直送の野菜を切り始める。当初ダイロー隊員は面倒臭がっていたが、いざ包丁を握ると、振り降ろすごとに「さあ次ぎ! さあ次ぎ!」と、次第に鼻息を荒くし興奮しているようす。どうもこのままだと危険な精神状態になりそうであった。

ヤマグチ隊員はどっしりと構え、前回大活躍した炭火コンロを目の前に設置して準備完了。このコンロは800円で数時間の調理が楽しめる優れ物だが、情報によれば、いつでも店にあると想うなよ、と言う物らしいので、もう一個予備に買っておいてもらった。

まずはビールで乾杯、そして次々に食材が焼かれて行く。今回スーパーにかたまり肉が無く、細切れ肉を2パック買って来た。残念だが、肉があるだけでも幸せである。炭火が染み込んで、なかなかいい味を出している。

ところで、キャプテンはじつは、フランクフルトやウィンナ・ソーセージが大好物だった。これも毎回忘れずに用意してもらいたい。味付けは、塩コショウと焼き肉のタレ。このタレが炊き上がったご飯に染み込み、意外にも美味しかった。

ニイツマ隊員はご飯の炊き上がりに御満悦の様子で、さっきから自画自賛が止まらない。彼はいつも「自分のことは自分で褒める」と言う手のかからない人物だった。だが確かに、おそらく小学校以来の飯盒炊さんにしては、とても見事な出来栄えだった。

最近は車のバッテリーを利用した電気釜などあるそうだが、やはりアウトドアのごはん炊きは飯盒に限る。本当はたき火でやりたいところだが、地面を荒らすので歓迎されないのだ。

やがて肉だけでなく、エビや魚も焼き始めた。この焼き魚の一切れはヤマグチ隊員が食いつくしたが、もう一切れは食べ切れず残ってしまった。それを見て、「可哀想だから、海に帰してあげよう」と彼はしみじみと語った。

メンバーに好評だったニイツマ農園の野菜だったが、ニガウリに関しては興味を示す者が少なく、売れ行きは不調だった。ただ、中に赤い種が入っていることの発見など、植物を正しく理解することには役立った。それにしても人間と言うのは、動物と草を食って生きているのだなあ、とつくづく想った。

食事の途中ビールが切れたため、誰かが買いに行くことになった。ジャンケンで決めようと言うことになったが、ヒメノ隊員が「海の家は高いから、車で店まで買い出しに行くこと!」と言い出したのだ。みんな心の中では「めんどクサイなあ」と想ったが、ジャンケンに一発で負けたのは、そのヒメノ隊員自身だった。彼女はいきなり「チョキ」を出したのだ。いきなり「チョキ」を出すのは子供によくある傾向なのだ。




何故に、人は海を見るのか!

食事をしている間に、いつの間にか波が激しさを増していた。何人かが沖まで流されては水上バイクに助けられる、と言う光景が繰り返されると、間もなく、海岸すべてが遊泳禁止となり、ゴブリンズ史上もっとも巨大な波を見るキャンプとなった。

やがて隊員たちは、ひとりまたひとりと立ち上がり、海を眺め始めた。
「何故に人は・・」
その姿を見て、哲学大王・ニイツマ隊員がつぶやいたのだ。
「何故に人は・・、海を見るのだろう」
すぐ隣では、ヒメノ隊員が顔にショート・パンツをかぶって寝ている。

と、そのとき、突如ヤマグチ隊員が波打ちぎわで没し、ずぶ濡れになってもがき始めたのである。どうしたと言うのか、なおも彼はゴロゴロと海水の中で転がり、そしてようやく立ち上がった。

水に濡れたTシャツが、ぴったりと肌に張りついていた。いったい、何が起きたと言うのか。身体を冷やしていたのだろうか? ・・しかし、彼はニコリともせず海から引き上げて来て、こう言ったのだ。
「シャワーを浴びてこよう」

「なっ、なぜに人は・・」思索は続く。

その昔、地球上の生命は海で誕生したのだと言う。だから、その時の水分組織を遺伝子に組み込んだまま進化した人間の体液は、古代の海の成分そのままなのだ。たとえば、妊娠中、母親の子宮の中で発生し、誕生まで胎児を守り続ける水、「羊水」は、つまり太古の海の水なのだ。

「何故に人は・・、海を見るのだろう」
まだまだ思索は続く。


収穫多し、第二回ゴブリンズ探検隊

今年ゴブリンズ探検隊の手によって企画された、伝統ある鴨川キャンプ。その参加者数は史上最少を記録した。が、不安とは裏腹に、人数が少ない分だけまとまりが良く、ほのぼのとしたキャンプとなった。


さて今回も、隊員たちからの貴重な報告が寄せられている。
1・ウェットテシューは役に立つ。
2・ウェットテシューは「ティッシュ」ではなく「ティシュー」と発音する。
3・飯盒で炊いたごはんはうまい。
4・コメ四合で、五人分がまかなえた。
5・とがずに炊けるコメを売っている。
6・ビールはひとり二缶ずつでちょうどいい。
7・テントは荷物置き場、着替え室として役に立つ。
8・家庭菜園の野菜が大活躍。
9・でも、ニガウリは誰も食べない。
10・油を忘れた。
11・ひとり一個ずつ、シェラカップを買おう。

ゴブリンズ探検隊のその後の計画発表
★風景写真大撮影会(カメラおやじ不可):計画
★インラインスケート&バイクツーリング
 (その先の東北大陸へ/そうだ京都へ行こう):計画
★ジンギスカン鍋&秘密イモ煮会:計画
★ノコギリ山&マザー牧場完全征服:計画
★ダムから徹底的に谷底を見る会:計画
★年忘れモザイク無し大スライド映写大会(BGM付き):計画

などが企画案として提出されている、と言う・・















  

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★賛美だろうが批判だろうが、終わってからなら何とでも言えるので、とりあえず今のうちに少し書いておくことにしましょう。 今回のWBC日本代表は、監督を始め選手たちもけっこう悪く言われてまして、自称「野球通?」の素人ファンの某ブログでは、「イチローのような頼りになる選手がいないから苦戦するんだ」なんて意見も出てました。 けど、イチロー選手だって、第二回大会の前半戦までは、まったく打てず大ブレーキになってましたよね(記憶力悪過ぎまっせ!)。あの時だって、万が一、途中で敗退していたらどんな言われ方されていたか・・ そう言うのはすぐに忘れて、目の前の印象だけで語るのはダメだと思いますよ。 よ〜く思い出してください。過去の大会どちらも、そんな楽に勝ち進んだわけじゃなかったはずです。むしろ、楽勝と思われた中国に同点ホームランを打たれたりなど、格下の相手に手こずるような「まさかの苦戦」があったりして、むしろ、改めて何が起こるか分からない国際試合独特の緊張感、スリリングな面白さに、いつの間にか引き込まれて行った、と言うのが正直なところじゃないでしょうか。 特に今回は「山本浩二監督」の能力に対する疑問視がずっと続いてまして、かの野村克也氏も盛んに批判を述べております。終いには「ホントはオレがやりたかったのに、周囲にやらせたくないような雰囲気が出来上がっていた」と、ボヤくことしきりで、そんな発言も受けて、各メディアやネット一般人の発言でも、山本監督への批判が高まっておるのです。 もともと私は広島カープのファンで、山本浩二と言えば少年時代の大ヒーローですから、同氏を批判する者にはカミつきたい気分も有るのですが、確かに、かつての広島監督時代には、采配に疑問を感じなかったわけではないのです。 広島野球と言えば、初優勝した年に「ルーツ監督 → 古葉監督」と引き継がれた「機動力野球」が伝統となっています。これは極力送りバントを使わず、盗塁やヒットエンドランを多用し、最低でもライトヒッティングでランナーを進めると言う、非情にアクティブでスリリングな野球を意味するのです。 ところが、山本監督が行った采配は、口では「機動力」と言いながら、ランナーが出ると初回からいきなり送りバントをやらせると言う、新鮮さも面白みもまったく無い、ただの「スモールベー...

3「今ごろ?''facebook''を始めてみた」

前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそう...

水曜どうでしょう 2011新作&・・・

★今月3.11、東北の大震災から1年が過ぎ、いろいろな新事実が分かって来ました。 ・・で、あの「管降ろしの謎」を書いた手前、「その後」を書こうと想って、ごちょごちょ文章を練っていたのですが、同じ日に始まった「水曜どうでしょう2011年新作」を見ている内に、なんかどうでも良くなってしまい、日にちが経ってしまいました。 ◎ 水曜どうでしょう新作情報 「水曜どうでしょう」と言うのは、HTV(北海道テレビ放送)が制作した番組で、いろいろなバカバカしい企画を立てては旅をすると言うローカル番組です。 出演者は大泉洋氏と事務所の社長でもある鈴井貴之氏ですが、これに番組のディレクター二人もからんで来ると言うような展開で進みます。タイトルは水野晴郎さん解説の「水曜ロードショー」のパロディと言うことでしょう。 今や、様々なドラマや映画で主演級の働きをし、賞にも選ばれ大活躍の大泉氏ですが、この番組が始まった当時は大学生だったそうです。私が彼の存在を知ったのは、パフィが好きで当時よく見ていた「ぱぱぱぱパフィ」でのことでした。そこにたびたびゲストとして出ていた姿を見たのが始まりでした。 その時は「誰だコイツ?」なんてまったく素性が分からなかったのですが、その後、関東圏のローカル放送(UHF)で「水曜どうでしょう」が放送されると、「あっ、ぱぱぱぱパフィで見た奴だ!」と気づき、それが面白くて彼のファンになりました。 ただし、残念ながらアナログ時代のUHFでは画質が悪く、ゴーストまみれの画面でガマンしなければなりませんでした。ですが、それから数年がたち地デジ放送が始まると、ちょうど「水曜どうでしょう classic 」として再放送されていた同番組を、ゴースト無しのまともな映像で見ることが出来るようになり、再び欠かさず見るようになったのです。(今度は録画もして楽しんでます) そうして、こないだの3.11から、関東圏でも新作「2011原付日本列島制覇3」と言うのが始まりました。東京羽田から高知の桂浜まで、そば屋が使うような非力なスーパーカブで過酷な旅をする、と言うものです。今度はもちろんハイビジョン撮影の鮮明な映像です。 しかしながら、無名だったローカルタレント時代と違い、有名人となってしまった今、昔のように、人だかりを避けての、無鉄砲...

iPhone7に対応? Bluetoothレシーバーを持っている

★「iPhone7」が発表されまして、ずっとiPhoneだった筆者としては大いに気になるところですが、今回からついに?「イヤホンジャック廃止」と言うことになりました。 ウワサでは聞いていたのですが、ホントに無くなるとは・・、さすがAppleですね。どんどんユーザーを置いてきぼりにして行きます。 ところが何と、筆者はそれを見越していたのですよ・・、と言うわけでは無いのですが、じつは、すでにもうイヤフォンジャックは使用せず、「Bluetoothレシーバー」に頼りっぱなしなのであります。あんまり便利なので、今は計3個も持って使い分けてます。 なんで3個も?なのかと言うと、これらも充電式なので、電池が切れたらすぐに次のに切り替えられるよう、用意しておくためです。充電するのにやはり数時間かかりますからね。それに、バッテリー交換ができません。バッテリーの寿命がレシーバーの寿命ということになるので、安い内に何個か予備を買っておこうと言うわけです。 3個ともエレコムの製品です。「エレコムわけありショップ」と言って、型落ちやパッケージ崩れを格安で買えるネットショップがあるのですが、そこでたまたま見つけ購入しました。なので、3〜4千円を千円くらいで購入しました。 「最大出力40mW+40mWの高音質ヘッドホンアンプを搭載。ワンタッチ設定のNFCペアリング対応。連続再生9時間の長時間再生、高音質低遅延のaptXコーデック採用モデル」 以上が、その時の宣伝モンクです。これが有ったので、そこそこいい音がするのでは?と思って聴いてみたら、まあまあ、直接ジャックにつなげた時と大差無かったので、良かったと思います。 一番の利点は、当たり前ですが、イヤホンをiPhone本体から離して聴くことが出来ると言うことですね。ケーブルの取り回しが楽になり、行動し易くなるのです。極端な例では、防水ケースにiPhoneを入れ風呂場の壁にかけ、音楽を聴きながら風呂掃除をする、なんて離れ業?ができます。マイクが付いているので突然の電話にも対応可能です。 電車に乗るときでも、ケーブルを短くまとめれば、iPhoneはバッグに入れたまま、レシーバーを胸ポケットに挟めばいいので、ケーブルがブラブラするなんてことも無くなります。特に充電しながらの時など、バッテリーだけバッグの中でつなげばいいので、見た目はもうスッキリしたもんで...

「Keep Trying'」と「時効警察」と「蟲師」と・・

★僕もけっこうな歳になったので、その分、数え切れないほどの映画やドラマ、小説などを鑑賞して来ています。なので、たいがいのモノはプロローグや予告編を見ただけで、ほぼストーリー展開が分かってしまうようになってしまいました。そうなると、残念なことにだんだんと面白く感じる作品が少なくなるわけです。 もっとも、じつは「物語のすべてのパターン」は、シェークスピアがすでに書き尽くしていて、後世の作家は、それらを元に手を変え品を変え、焼き直ししているに過ぎないと言う説もありますが・・・ まあどちらにしろ、歳を取れば取るほどに、あらゆるタイプの作品を見て来ているわけで、次第に 新鮮味のある作品に出会える機会が減ると言うことだけは確かなのです。 それゆえの苦肉の策と言うことなんでしょうか?、最近のハリウッド映画は、公開前に一般人をモニターにして、事前に用意したいくつかの結末の中から、好きなものを選ばせると言う手法を取っているのだそうです。 一般人をバカにするワケではないですが、最大公約数的選択をすると、どうしても予定調和?「水戸黄門的」になり易いので、かえって失敗作を生んでしまう恐れがあります。 デザインでも何でもそうなんですが、色んな人の意見を聞いちゃダメなんです。むしろ独断で、普通の人が「え〜?!」と首を傾げるくらいのアイデアでないと、新しいモノを生み出すことは出来ません。 一般人と言うのは、「むかし何処かで見たことがあるモノ」を、良し悪しの基準にしているので、彼らが良いと思うものは、すでに存在しているもの、誰かが発案した古いアイデアがほとんどなのです。これでは新しい作品は作れません。下手すると無意識にパクリをしちゃう場合も有るので要注意です。 音楽についても同じようなことが言えます。若い人をコケにする(表現古い?)つもりは無いんですが、若い人の作るメロディーは、どうしても何処かで聴いたようなのが多いんです。もちろん「パクリ」って意味じゃなくて、若い人ほど聴いた音楽の数が少ないわけで、すでに使い古されたメロディーでも、自分が初めて創り出したような錯覚に陥ったり、聴く方も新鮮に感じてしまうって事があるのです。 音楽全体をコンピュータで解析してみると、すでにあらゆるドレミの組み合わせは使い古されており、完全に新しいメロディを作り出すことは不可能なんだそう...

5「二通の手紙、二つの返信」

前回までのお話し →  4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年、2月17日。鎌倉の寿福寺を訪れ、37年前に若くして亡くなった女性の墓参りをしようとしたものの、すでにお墓は無くなっていました。東京に転居した母親の手によって、何処かの墓地に改葬されたと言うのです。 そのおり寿福寺で、母親の転居先が東京の「日の出町」だと教えられた僕は、まず「Googleマップ」で場所を確認してみることにしました。すると、ストリートビューには綺麗な白い家が現れました。さらに門の部分を拡大して見ると、確かに表札には○○との苗字が見えました。 車庫には乗用車が停まっていました。80歳を越えていると言うお母様が運転するとは思えず、もしかすると、どなたか親族の方と同居しているのかも知れないと想像しました。 ただし、ストリートビューの写真は「2019年」のまま更新されておらず、それを見た僕はふっと思ったのです。 「この2年ほどの間に、何も起こっていなければいいが」と・・ まず、母親宛に手紙を書いてみようと思いました。ありのままを正直に・・、2021年、何度も見るようになったご息女の夢の話しから、芸大時代のローラー・スケートの話し、鎌倉寿福寺での出来事、そしてこの住所に辿り着いたいきさつを・・ とにかく怪しまれぬよう、失礼にならぬよう、慎重に何度も読み返しては書き直し、出来あがるまで結局二週間もかかってしまいました。そして最後に身分証明として、東京芸大の卒業証書 のコピーも同封しました。 返事はなかなか来ませんでした。3月3日に投函して、一週間過ぎてもまだ来ません。最近は土日に配達しないそうなので、その分だけ遅れているのだと自分に言い聞かせましたが・・。いや違う、母堂を不快な気持ちにさせてしまい、破り捨てられたのだ?・・などなど、様々な想いが去来しました。 ・・それでも中々来ることはなく、 「頑張ってはみたけど・・、どうやらここまでかなあ」 と、少しずつあきらめの気持ちになって行った3月12日、土曜の夕方、スマホに着信があったのです。 見知らぬ番号でしたが、出てみました。 「私、◯◯様から遺言執行人を依頼されました、弁護士の◯◯と申しますが・・。高橋様からのお手紙を転送先で受け取りまして、お電話差し上げました」 と言うの...

死んでも死なない

★世の中、あちこちで殺戮が続いていますなあ・・。マジで気が重くなります。自殺も多いようです。死ねば、殺せば、何もかも解決すると思っているんでしょうね。 でもそうじゃないんですよ。じつは、人間は死んでも死なないのですよ。肉体は滅びますが、魂はずっと生き続けるのです。だから、けっきょく何も解決せず、新たな問題を引き起こしているだけなんですけどね・・ 信じる信じないはさておき、今起こっている犯罪、特に凶悪な殺人などは、突き詰めれば、極限まで追いつめられた人間が「人間、死んだらおしまい!」と言う投げやりな気持ちになって起こしている、そう考えて間違いありません。 いわゆる猟奇的な「動機不明の殺人」でも、その根底にあるのは「死による解決」と言う発想なんです。自殺も同じですね。「死ねば終わる、楽になれる」と安易に考えるからです。 なら、逆に言えば、「霊魂は確かに存在する。人間は死んでもおしまいではない?」と言うことが世の中に行き渡れば、いま起きている殺人や自殺の、恐らく半分以上は減らせるんじゃないですか? 動機の一番重要な部分が打ち消されるわけですから。 なんて、心霊研究って、本来こう言うことを啓蒙しようと言うのが目的だったんですが、これがなかなか難しいもんなんですよね。それどころか、こう言うことを書くこと自体、精神構造を疑われかねないので、普通の人は表立って発言することすら出来ないものなのです。 でも、殺戮の続く世の中になって来ると、そろそろホントに必要になって来たのかなあなどと、ボンヤリ思うこの頃なんです。こんなことを書くと、また「バカだな。ホントに信じてんだ?」なんて笑われそうですが、先日、ちょっと興味深いことが有りました。 政府が初めて公式にUFO(未確認飛行物体)の否定を発表しましたが、その後、町村信孝官房長官が「(自嘲気味に)私自身は UFOは 絶対にいると思う」と思わぬ「カミングアウト」をしてました。 こんなことが有るんですね。これをニュースで見て、心霊についても有りそうな事だなって思いました。思わぬことをきっかけに、「じつは‥‥、私自身は霊の存在を絶対に信じてます」なんてカミングアウトする意外な人物が、あちこちでたくさん現れるんじゃないか、そんな気がしましたよ。 社会的立場のしっかりした人物ほど、普通は言えないもんですからね。 ...

4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」

前回までのお話し →  3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。 2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。 そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。 Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こ ちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・ しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。 始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、 年が明けた 2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。 天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。 その会場で二度目に会 ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、 「それならそうと早く言ってよ!  あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」 と、強く叱咤するのでした。 Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり 僕が探していた、 ''お墓の場所を知っている人'' でした。 それどころか、当時何年もお墓参りに通 っていた人物、と言うことが判明するのです。 もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。 「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」 と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そ...

なんか、サッカー日本代表って・・?

★ブラジル・ワールドカップでは、残念ながら日本代表は予選リーグで敗退してしまいました。このところ日本のサッカー選手も、海外のクラブチームで活躍することが多くなり、そんなことも有って、今回はけっこう期待が大きかったのですが、結果はむしろ逆になってしまったようです。 まあ、ゲームの内容とか作戦とかについては、野球ほど詳しくは分からないので、ほとんどコメントすることは出来ませんが、見ていて、あることに気がついたんです。何処との対戦だったか、日本の攻撃で、サイドから中央へのパスが、ことごとく相手のヘディングによってインターセプトされてしまうシーンを見たときでした。 「もしや、日本のサッカー選手って、背が低くないか?」 そう想ったんです。もちろんどんなスポーツだって、日本選手の対格差がハンディになると言う話題は何度も言われて来たことでした。ですが、この時想ったのは、外国との比較ではなく、日本の他のスポーツとの比較だったんです。で、さっそくネットで検索してみたんです。するとYahoo!知恵袋のアーカイブでこんな発言が見つかりました。野球のWBCで日本代表が優勝した時のことのようです。 『 自分はサッカーファンですが、今回のWBC優勝には感動しました。で、WBC日本代表について関いろ調べてたら、衝撃的な事実を知りました。日本のサッカー代表選手って、世界的に見たとき背が低いですよね。皆170~175cmくらいですよね? 野球もどうせそうなんだろうなぁ、とか思いながらネットで調べたら衝撃‥‥ 日本の野球選手って「大男の集団」なんですよ 』 『 サッカー日本代表で一番の長身、中澤が187cmなんですが、WBC日本代表では、稲葉、田中マー君、内海が3人とも中澤とほぼ同じ身長なんです。小さいと思っていたイチロー、中島でさえも、それぞれ181cm、180cmです。おまけに日本サッカー界の未体験ゾーンといわれる190cm台も、岩熊が191cm、ダルビッシュが196cmなんです。平均身長は183.5cmらしいです。183.5cmってもう、サッカーのオーストラリア代表を超えてるんですよ! 』 あの頃、もう気づいていた人がいたんですね。では、今回はどうなんだろうと調べてみると、こんな記事が有りました。 『 *2014W杯サッカー日本代表の平均身長は177.86cm* 日本代表23人の平均身長は177...