2006年1月25日水曜日

スーパーバルブ?!

★最近「ダイソー」と言う100円ショップがあちこちで台頭して来てますが、僕もけっこうお世話になってます。特に自転車の備品ですね。さすがに性能に関わるパーツはふつうの店で買うしか無いのですが、たとえば荷台用のゴムとか自転車カバーとか、汚れ落としには車用のおそうじシートなども便利です。それらが各100円で手に入るのでとてもお得です。

で、最近気に入っているのは、写真の「スーパーバルブ」と言うやつです。もちろんこれも100円。じつはこれ、自転車乗りの間では密かなブームになっているようで、あちこちの自転車ブログなどでも紹介されています。大げさな人は「自転車の歴史が変わる!」なんて言ってるくらいです。

では、どんな物なのかと言うと、英国式バルブ専用なのですが、虫ゴムの代わりにゴムの弁が付いていて、それが空気の逆流を防ぎ、チューブの空気圧を保つと言う代物なのです。パッケージにも書いてありますが「虫ゴム不要!」「虫ゴムの10倍長持ち!」と言うのが売りなのですね。

ふつうママチャリなどに乗っている人は、ほとんど虫ゴムを交換することって無いですよね。それで知らない間にゴムが腐って空気が抜け、パンクかと思って自転車屋に持っていくと虫ゴムの交換だけで直ってしまった、なんてことがよくあります。

じつは恥ずかしながら、僕も、前の自転車で虫ゴム交換を怠り、家から15kmくらい走った羽根木辺りで空気が抜けてしまった事件、を起こしたことがあったのです・・

だからってわけじゃないですが、これホント便利だと思うのです。虫ゴムは、通常1ヶ月で交換しなければならないんです。それに比べこの「スーパーバルブ」は、虫ゴムの10倍長持ちと言うんですから、要するに10ヶ月は交換不要と言うことになりますよね。これは便利ですよ。

僕の自転車もすでにこのバルブに交換して1ヶ月が経ちましたが、ほとんど空気が抜けてる気配はありません。このまま10ヶ月間装着したまま実験してみたいと思います。まあ、走っている途中に突然抜けると困るので、交換用の物を一個(写真)を買って来たってわけです。

それと、他のブログなどに書いて無いことで気づいたことがあります。それは、英国式は空気の調節が難しいはずなんですが、このバルブにすると微調整がすごくやりやすくなります。虫ゴムは空気を抜きたいとき、緩めると一気に大量に抜けてしまいますが、スーパーバルブは少しずつ抜くことが出来るんです。これは大きな違いですよ。

これを見て試してみたい人もいるかも知れませんが、これは「英国式バルブ用」なので、その点は注意してください。僕の新しい自転車「ラレー」は、そのものズバリ「英国製」なので何の問題もありませんけど・・


  

2006年1月22日日曜日

荏田町(横浜市青葉区)へ行って来た、自転車で・・

★以前紹介した友人のアンティークショップ「Swallowdale Antiques:スワロウデイル アンティークス」へ行って来ました。

約30年ぶりに再会した友人のイラスト展「クリスマスカード原画展」を見にです。もちろん自転車で・・、ですが、距離は片道だいたい25km。トレーニングもかねてちょうどいい距離ですね。

いい天気だったし、午前11時半に気持よく出発。メインの道は「鶴川街道」で、多摩川を渡るまでずっと道なりに進みました(写真・多摩川原橋・土手の整備?自転車道も舗装し直しています)。

渡って稲田堤駅を過ぎてからは住宅街の裏道に入って行きました。が、この辺からアップダウンがキツくなり、かなり大変です。写真でその急坂具合が分かるでしょうか。

お年寄りが散歩の途中で何度も休憩するくらいの坂道です。これが生田駅を過ぎてからもしばらく続いていて、非常に苦労しました。キツい坂道で車道を走るのは危ないと思い、わざわざ住宅街の裏道を行ったのですが、道に迷ってエラい目に遭いました

この辺に住んでいる人は「電動アシスト自転車」は必須ですな。すごく大変でしたが、これも脚力トレーニングと思えば、それなりの充実感と言うことになるのでしょうか? とにかく一度も自転車からは降りませんでしたよ。

ただ力を使い切ってしまったのか、これ以降写真を撮る気力が無くなってしまいました。今回は道順にあたりを付けて迷わず行くことが目的で、風景にはあまり期待してなかったのですが、今思い返すとちょいと残念です。もっとマメに撮っておけばよかったですね。見所のある裏道が見つかれば面白いコースとなると思います。

昼ごろ「セブンイレブン」に寄ってトイレを借り、パンとカンコーヒーを買って、近くの公園で昼食を済ませました。・・が、これがじつに美味かった。10km以上走ってかなり空腹になってましたからね。かるーいピクニック気分を味わってまた出発。

途中「あざみの駅」を通り過ぎてしばらく走って行ったら、何故かまた同じ「あざみの駅」に出てしまうと言うワープ体験?をしながらも、何とか現場到着。時刻は1時半で、約2時間で着いたことになります。

アンティークのお店は246号沿いにありましたが、中に入るととても静かで落ち着きます。雰囲気もすごくいい感じです。で、店主の友人ともこの時がじつに30年ぶりの再会。勉強の出来る人だったので、どこかの大きな企業にでも勤めているのかと思ってたら、知らぬ間にアンティーク家具の職人になっていたと言うわけです。

店の奥が工房となっていて、その隣が展示のスペースになっていました(ここでも写真が無いのが残念)。イラストの方もなかなか緻密に書き込まれていて、僕の荒っぽい絵とは違う細密画で、見応えがあります。

この日は作者の友人も来る予定だったのですが、ほんの数分ほどの行き違いで会えませんでした(日がある内に帰らないと寒くなるので、お先に・・)。この展示はもうじき終わりなのですが、お店そのものが絵になっている感じなので面白いです。近くに行った時にはぜひ寄ってみてください。

*その後、目黒へ移転しました
◆スワロウデイル アンティークス


  

2006年1月10日火曜日

手回し充電器

★携帯電話の手回し充電器を買いました(単三電池からも可能)。もちろん用途はブレード走行中の予備電源です。

自分の錯覚かも知れませんが、ボーダフォン携帯を地方でローミング使用すると、バッテリーの減りがやたら早いような気がするんです。

ブレード走行では写メールライブも楽しみの一つだし、万が一の事故などの場合、電池が切れていると危険なので、ずっと購入を考えていました。

が、どれも災害時の非常用ばかりで、ライトもラジオも時計も付いており、バカでかくて重いやつばかりだったんですね。ですがこれは「携帯電話の充電専用」と言うことで、小さくで軽くてとてもいいのです。見つけたその日に購入予約と言うことになりました(品切れ状態でした)。

まあ、とにかくこれで、ブレード走行の楽しみがひとつ増えたと言うことなのですが、今年も再び行けるように頑張りたいと思います。たぶんまた「五月の連休ランナー」になってしまうと思いますが、今度こそは静岡の「太平洋岸自転車道」を行きたいですね。

・・・行けたらいいですね。

STERLING CLUB2イン1携帯充電器DX 5817 


  

2006年1月9日月曜日

真空広角打法・・?

★ずっと昔「キックボクシング」と言うものが全盛のころ、「沢村忠」と言う無敵のキックボクサーがいました。どれだけ強かったかと言うと、241戦232勝(228KO)5敗4分・・。この戦績からご理解いただけるでしょうか?

キックボクシングとは「ムエタイ(タイ式ボクシング)」のことで、沢村選手の対戦相手もほとんどがムエタイの選手でした。

で、その時の彼の必殺技が「真空飛びヒザ蹴り」と言う、何ともアニメじみたネーミングの技だったのです。これがどんな飛び蹴りなのかと言うと、狙いを定めてから飛び上がるのではなく、「飛び上がってから相手のスキを見つけ、そこを攻撃する」と言う技なのです。

すぐれた格闘家と言うのは、相手のほんのちょっとした身のこなしから、何処を狙われているか瞬時に予測しガードできます。ところが飛び上がっても狙われている場所が分からないとなると、相手は予測もガードも出来ず、混乱している間にやられてしまうと言うことになるわけですね。

この沢村の大技を見て、キックボクシングの解説者であり、お寺の住職でもあった「寺内大吉さん」が、「これは、沢村の精神が無になっているため、相手が殺気を見抜けないのだ。修験者で言えば完全なる空の境地。つまりこれは、真(まこと)の空、真空飛びヒザ蹴りである」と言うことでのネーミングだったようです。

もちろんこれは、沢村選手の類いまれな跳躍力があって、初めて実現できた技でもあります。バスケットボールの神様、「マイケル・ジョーダン」がジャンプすると、滞空時間の長さで宙に浮いているように見える、あれと似ています。・・そういえばあれ「エアジョーダン」って言いますね。「エア」とはようするに「空?」のことですか?

・・・何でこんな話しをするのかと言うと、2005年のキャプテン高橋のバッティングに引っかかるものがあったからであります。まあ、強引に結びつけたと言う方が正しいのですが・・

昨年は28本のヒットを打ちましたが、結果としてけっこう広角に打ち分けることが出来たと思います。メンバーからも「流し打ち上手いですね」なんて言われたこともありました。ですが昨年の場合、じつは自分の狙いとは関係なく打球が方々に散らばった、と言う方が正しかったのであります。

ようするに、引っ張ったつもりがレフト方向へ飛んだり(左打ちです)、流すつもりがライトオーバーのホームランになったり、そんなちぐはぐな感じでした。これは打者としてはある意味「不本意」と言えなくもないのですが、逆に相手の守備陣にしてみれば非常に守りにくかったとも言えると思います。

特に上手い野手ほど、バッターの一瞬の身のこなしや、バットの出かたで打球の方向を見抜く力を持っているので、と言うことは、バッター本人にも飛ぶ方向が分からないのだから、相手守備へのかく乱効果があったのではないか?、そうやって稼いだヒットも何本かあったのではないか?、そう思ったわけなのです。

しかしまあ、打撃の調子と言うのは、何故か年を越したとたんに変わっしまうものです。2004年チーム首位打者の新間選手が、2005年シーズン初めは絶不調に陥ったと言う例もあったし、キャプテン高橋も昨年のような広角打撃は期待できないかも知れません。

この現象はプロでも同様で、それが新人の場合には「二年目のジンクス」なんて言われたりします。「徹底的にデータ分析されるから」と言うのが理由だそうですが、データ分析とは無縁の素人の経験上?、それだけでは無い何かが有るような気はします。

ところで、沢村選手のその後なんですが、引退とともにマスコミから姿を消し、自動車整備工の資格を取って、整備工場を開いたんだそうです。で、それに必要な資金だけを残して、ほとんどのファイトマネーを恵まれない子ども達のために寄付してしまったと言うことです。

しかもトロフィーとか賞品の類いは全て倉庫か何処かに押し込めてしまったので、つい最近まで、彼のお子さんたちも「父親がキックボクサーだった」と言うことを知らなかったようです。

彼のその後が気になったあるライターが追跡取材をしたところ、インタビューに応じた沢村氏は、「有名になろうとか金儲けとかにはまったく興味が無かった。ただ格闘家として、キックボクシングの道を極めたかった」と語ったんだそうです。

これを聞いて僕はハッとしました。当時ボクシングが「正道」で、キックボクシングとは「邪道」、ある意味「見せ物」みたいなものだと勝手に決め込んでいたのですが、どうもそれは大きな間違いだったみたいですね。

沢村忠こそ本当の意味の格闘家で、今の、大口を叩いて相手を威嚇したりするボクサーとかいますが、あれなんか、やたら吠える小汚い野良犬のように見えてしまいます。


  

2006年1月1日日曜日

47歳で天国へ行った二人

★じつは、昨年2005年は、11月に、中学から親交が続いていた友人が急死しまして、草野球のゲームを1試合休ませてもらいました。

ところがそれから二ヶ月たたないうちに、クリスマスイブの日にまた一人、中学時代の友人が亡くなったと言う知らせがありました。彼らとは中学時代「少年墓場放浪団」というバカなグループを作り、夜中に墓地をうろつき回ったりした仲間でした。みな昭和33年生まれの47歳です。

で、26日の月曜日には多摩葬祭場まで出向き、最後の見送りをして来たのです。そんなショックと慌ただしさの入り交じった年の瀬でした。

ですが、二人目の葬儀から大晦日までは一週間くらいしか有りませんでしたが懐かしい友人達と会ったせいでしょうか、友人が死んだと言うのに、なぜか日に日に心がとても安らいで来るのです。参列者の大半が中学時代の友人で、僕にとってはみな約30年ぶりでの再会だったのです。

そんな気持ちで彼らの顔を思い浮かべていると、「何んだかんだ言っても、オレたちは一番いい時代を生きて来たのかも知れないなあ」と、ぼんやり思っていたような気がします。

戦争は無かったし、子供の頃には、東京でも森も川も豊かで美しく、生き物も一杯で、どの家族も貧乏だったけど、親からの愛情がをっぷりと受け、虐待なんて聞いたことが無かった。学校からの帰り道、子どもが突然さらわれて血まみれになって殺されるなんてことは全然なかった、それどころか、日中にドアに鍵をかける家だって稀だったし・・

そんな時代でしたから、そんな時代を充分に生きて楽しんで、そうして死んだ二人は、むしろ幸せだったと言えるんじゃないか、そのようにも思えるのです。

参列者の中にかつて漫画仲間だった二人も見つけました。二人とも初心の通りアニメやイラストの仕事を続けていたことを嬉しく思いました。その一人は新年早々、1月5日〜24日の間、「スワロウデイル・アンティークス」と言う、横浜青葉区のアンティーク家具のお店でイラスト展をやるそうです(江田駅の近く)。

じつはそのお店も中学時代の友人がオーナーの店だと言うことで、みんなそれぞれに頑張って来たのだなあと、何だかとても誇らしい気分になったのです。イラスト展をやっている内に時間を見つけて「自転車」で行って来ようかと思います(現在は目黒に移転)。
◆スワロウデイル アンティークス

その漫画仲間だった一人は、最近パソコンなどを駆使して自作の歌を録音し、CDを作ったそうです。昔は漫画同人誌さえコピー機が無くてまともに作れない時代でしたから、自宅で自主制作CD(レコード?)を作れるなんて夢のまた夢でした。

小川に素足を突っ込んでカエルを追いかけていた子供らが、今では、そんな最先端ハイテクの恵みをも享受しているのです。

ただ不思議なことに、大人になって数十年間ジャズしか聴いて来なかったはずの彼が作った曲は、聴き手の耳には何故か、「フォークソング」に聴こえてしまうのです。中学のころに全盛時代を迎え、本人も一時はのめり込んだ「フォークソングの魂」が、心の奥底に生き残っているからなんでしょうか?