2006年10月29日日曜日

彼が輝いている理由

★2006年のプロ野球日本シリーズ「日本ハムファイターズ 対 中日ドラゴンズ」は日ハムの圧勝で終わりました。このシリーズの感想や解説は、今さら素人の僕があれこれ語る必要も無いと思うのですが、ひとつだけスゴく印象的な言葉がありました。

それは、札幌ドームに移動したあと、あるドラゴンズの選手が語った言葉・・
「日ハムの選手たちがカラフルに見えてしょうがない」

かの選手はよっぽどのプレッシャーを感じていたのでしょうか。日ハムのユニフォームは白かグレーだし、カラフルに見えるわけがありません。なのにキラキラと色づいて見えたと言うのは何故なのか?

で、もしや?と思いました、彼は、知らないうちに「オーラ」を見ていたのではないでしょうか。ノリに乗っている日ハムの選手たちが放つ「オーラ」を、無意識の内に感じ取ったのかも知れません。

霊視能力者によれば、オーラと言うのは、その人の体調、精神状態などによって様々に発色し、しかも勢いに応じて大きく光って見えるのだそうです。だから勢いに乗った日ハムの選手たちからは、物凄い大きさのオーラが出ていたことになるのです。

もしそうだとするならば、その中心はもちろん新庄選手でしょうね。彼のオーラは並大抵のものでは無いらしいですから。

今や、一般視聴者よりも芸能人に注目されている番組「オーラの泉」に、新庄選手もゲストで出たことが有ったのですが、その時、新庄選手を見た江原氏は「あなたのオーラは凄いですね!」と驚いてました。

それによれば、新庄選手のオーラは非常に大きく、特に両手からは噴水のように沸き出していて、目まいがしそうなほどだそうです。

では、なぜそのようなオーラを持つようになったのか。それは新庄選手の前生に起因しているとのことです。江原氏や美輪氏によれば、彼の前生とは「隠れキリシタン」だったそうで、運悪く捕らえられ、凄まじい拷問を受けたのですが、決して口を割らず、仲間の名前も居所も伏せたまま拷問死してしまった人物だと言うのです。

で、その時の、自己犠牲により大勢の命を助けた功徳のお陰で、今生、誰よりも有名になり人気者になると言う幸運のオーラを手に入れたのが、新庄剛志と言う人間だと言うのです。

そう言うものを背負って生まれて来たからなんでしょうか。江川紹子さんとか小沢遼子さんなど、ミーハーとは無縁な、ウサン臭いモノは徹底的に叩くはずの、反骨女性評論家たちから、何故かしら絶大な支持を受けているんですよね。女性は本能的に、その人間の本質を見抜くと言いますから・・・

それとは逆に、少し歳をとった男たちからは嫌われている傾向もあるようです。これほどまでに北海道を盛り上げ、プロ野球人気に貢献した新庄選手なんですが、それでもまだ「調子に乗りすぎる」とか「規律を守らない」などと、毛嫌いするアンチ新庄派もいるんですね。

まあ、その気持は分からないでもないですが、でもですね、江原氏の霊視がホントなら、新庄君は前生で、「地獄を見て来た男」なんです。それを思えば、少しぐらいの好き勝手は許してあげてもいいんじゃないですか?

それとも、彼らはけっこう前生で拷問を加えた当人たちだったりして・・?


  

2006年10月22日日曜日

自転車のハブのグリスアップをした

★一年に一回は自転車のグリスアップをしなければ、と思い、今日思い切ってやりました。

素人なのであちこち一気にやるわけには行かないのですが、とりあえず一番酷使するホイールのハブをやりました。

まずホイールを外して、タイヤとチューブを外し、ハブの軸を抜きます。で、ベアリングを一個一個ピンセットで取り出して、そこについた汚れた古いグリスをきれいに拭き取るのです。

それから新しいグリスを充填して、また逆のことをしてはめて行きます。この時ベアリングの当たり出しをするのですが、キツくてもユルくてもダメ。ちょうどいいところで締め直すのがけっこう難しいのです。まあ、これまで何度か失敗しながらやって来ているので、何とかなりました。

その後、ホイールの「振れ取り」をします。「振れ」とは、ホイールのゆがみのことです。写真のような振れ取り台に乗せて回転させると、波打って見えるので、スポークを一本一本締めたり緩めたりして波打ちを消して行くわけです。

最初の頃は、メンテナンス解説本を見てもワケが分からず、直すつもりがどんどんひどくなったりしたのですが、最近はコツが分かって来て、けっこう思い通りに行くようになりました。うまいこときれいに「振れ」が取れると快感ですよ。

この「振れ取り台」は、ネットショップの「サイクルベースあさひ」で買ったもんですが、プロ用の正確なものではないので簡単な作業にしか使えません。ただ、在庫処分だったのか、半額くらいで買えたのはラッキーでした。生半可な?自転車乗りにはちょうどいい代物です。

この後は、チューブとタイヤをはめて、最後にまた自転車に取り付けます。グリスアップをすると全体的に音が静かになります。これまた気持いいんですね。まあとにかく、これでまた一年くらいは快適に走ってくれるでしょう。


  

2006年10月18日水曜日

晩夏、夜空の詩人たち(大曲花火大会)

★僕自身は東京板橋の生まれですが、両親は秋田県出身です。今は合併して大仙市となりましたが、その昔は大曲市と言って、あまりパッとしない田舎町でした。

ところが、1981年に放送されたNHK「新日本紀行」でこの町の花火大会のことが放送されると、それが評判になり次第に観光客が増えて行ったのです。そうして今では、なんと全国から70万人の人々が詰めかける観光の目玉にまでなったのです。

で、少し前の土曜日なんですが、一大イベントに変貌した「大曲花火大会」の、今と昔を比較取材したドキュメンタリー、「新日本紀行ふたたび・夜空の詩人たち」が放送されました。その中で、かつての「新日本紀行」の映像をまじえながら、当時出演した花火師のその後の姿が映し出されていました。

じつは昔の「新日本紀行」に若手花火師として登場していた、「小松さん」と言う人は、母親の子供の頃の同級生なのです。小松さんの家は元々農家なのですが、第一回大会から出品していた常連でもあるそうです。「新日本紀行ふたたび・夜空の詩人たち」によれば、現在は引退して息子に代を譲り「株式会社・小松煙火工業」として全国の花火大会などで活躍しているとのことです。

◎株式会社・小松煙火工業

元々この大曲花火大会は、全国の花火師が腕を競う「競技花火大会」なのですが、子供の頃はそんなことも知らず毎年見物に行ったものでした。花火大会の時期は、夏休みの終わりが近づく8月下旬の25〜26日あたりです。

小学生の頃は、毎年夏休みと同時に母親と秋田に里帰りしました。実家には祖父母と叔父一家が住んでおり、そこでお盆に父親と合流し、さらに山奥の南外村にある父親の生家に行って墓参りなどするのですが、僕と母親は、父親が東京に戻った後も花火が見たくて居続けました。

◎大曲の花火・大曲全国花火競技大会

大曲花火大会動画・(母親がデジカメのムービーモードで撮影)


当時は蒸気機関車で片道10時間以上かかる長旅だったので、簡単に行ったり来たりは出来ず、いったん里帰りするとそのまま長居してしまうと言うことがよく有ったのです。

けっきょく毎年、まるまる一ヶ月秋田で暮らすと言うことになり、だから、僕にとっての夏と言えば、秋田の田んぼの匂いであり、奥羽山脈の眺めであり、花火大会の歓声だったと言うわけなのです。今考えるとずいぶん贅沢だったと思うのですが、その頃はそんなことにも気づかず、田舎の夏の中を駆け巡っていました。

やがて中学に上がり、親と行動するのがおっくうで行かなくなってしまったのですが、高校二年のとき、五年ぶりに一人で訪れてみると、以前はケンカばかりして厄介な存在だった二つ下の従姉妹が、14歳の中学生になっていました。

1970年代の話しですから、ホントに素朴な田舎娘でしたが、透き通るような少女の雰囲気がとても眩しく、あちこち一緒に出歩くのが楽しみで、いろんなところを案内してもらいました。

が、それもお盆を過ぎると、北国の短い夏休みは終わって従姉妹は中学に戻り、僕は再び一人で山や川を歩き回ることになるのです。そのころすでに絵を志していたので、スケッチブックを持ち、あちこち描いて回りました。

そんなある日、台風がかすめた影響で大雨になると、その日を境にして、急に物悲しい秋風が吹き始めるのが分かりました。子供の頃は気づかなかったのですが、東北の秋は、こんな風に一瞬にしてやって来るものなのです。

それからはもう夜は寒いくらいで、花火大会の夜は毛布無しではいられなくなります。大会決行合図の花火が打ち上がると、祖父の引くリヤカーに、ゴザや弁当や酒、ジュース、おやつ、毛布などを詰め込み、夕暮れの道を、約4キロ離れた会場の雄物川(おものがわ)の土手まで、1時間くらい歩いて行って陣取るのです。

花火大会の規模は、今と比べるとずっと地味だったと思いますが、それでも東京あたりではまず観ることの出来ない素晴らしいものでした。

帰り道、途中の道には街灯がまったく無く、人の顔も分からないくらいの真っ暗闇になってしまうのです。そこを従姉妹たちと大騒ぎして帰るのも楽しみのひとつでした。



・・・あのとき描いた風景はもうありません。開発が進み、道路が整備され、町はすっかり変ってしまいました。天神様が有った裏山の辺りはスキー場になりました。そして、懐かしい人々が一人また一人と、田んぼを売って土地を離れて行くのです。

藁葺き屋根の曲屋造りだった実家も建て替えられ、新築の家になってしまいましたあの家の押し入れには「ロボット三等兵」「まぼろし探偵」など、貴重なマンガ本もたくさんあったので、それもちょっと惜しいことをしたなと思います。

僕はもう何年も花火大会には行ってませんが、両親や親戚はけっこう時間を作って見物に行ってます。農業のかたわら花火師をやっていた小松さんは、その後腕を上げ、あちこちの花火大会に招かれるようになると、やがて花火師一本で生活するようになって行ったそうです。

大曲の花火大会も年々規模が大きくなり、貴重な夏の観光資源になっているようですが、やはり僕には、祖父母や従姉妹たちとリヤカーで出かけた、あの、夏の終わりの花火大会が最高だったと言う気がするのです。

ちょうど高校生だったあの頃、ユーミンの「晩夏(ひとりの季節)」と言う曲が流れていました。そのせいでしょうか。それとも歌詞の中の情景がよく似ていたのでしょうか。あの曲を聴くと、なぜかあの夏休みのことを思い出してしまうのです。



◎晩夏(ひとりの季節)歌詞
その後の調べで、「晩夏(ひとりの季節)」は、ユーミンがコンサートで訪れた、秋田県横手市の情景をヒントに作られた、と言うことが分かりました。懐かしさを感じたのはそのせいだったんでしょうか?


  

2006年10月15日日曜日

DVD「打撃王」を買った

★原題を「The Pride of the Yankees」と言います。ホームセンターへ自転車用品を買いに行ったら、ほとんど人の来ない隅っこの方に並べてありました。

「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」シリーズと言うんですね。その膨大なラインナップの中にこの「打撃王」があるのを見つけて、値段を見たらなんと「¥500」だったので、迷わず買ってしまいました。

これは、知っている人も多いと思いますが、ベーブ・ルースと共に、ニューヨークヤンキースの黄金時代を築いた「ルー・ゲーリッグ」の物語です。

アイアンホースと呼ばれ、カル・リプケンに破られるまで、2130試合連続出場の記録を持っていた選手ですが、いわゆる筋萎縮性側索硬化症に冒されてしまい、1939年5月の試合を最後に引退、そしてその2年後に38歳の若さで亡くなってしまった名選手です。

僕は過去に1回か2回、NHKの名作劇場などで観たことが有ります。と言っても小学校くらいの頃なので、ずいぶん昔ですね。その当時は野球よりプロレスの熱狂的なファンで、そんな時に観た「打撃王」ですが、非常に感動したのを覚えています。

特に最後の、引退セレモニーを終え、たった独り暗い球場の通路に消えて行く後ろ姿が鮮烈で、たぶんこれを観てから、野球と言うものに興味を持ち始めたのではないかと言う気がするのです。

で、今回改めて観てみると、最後に観たのが大昔のことなので、ずいぶん印象が違っていました。ラストシーンの悲劇的な印象が強かったので、もっとシリアスなノンフィクションだと思っていたのですが、じつは、野球のシーンは意外と少なく、夫婦愛を中心にした愛情物語り、それもラブコメディに近い演出だったのです。これにはちょっと拍子抜けでした。

ただし、病気が発覚し自ら引退を決意するまでの過程は、前半がコメディタッチだっただけに、より悲劇性が強調されて息苦しい展開となります。

そしてラストの引退セレモニー。総立ちとなった満員の観衆の前で、「私は世界で一番幸せな男です」と語り、独り暗い球場の通路へと向かうのですが、その姿が暗がりに消える瞬間、背後から「プレイボール!」と言う審判の大きな声が聴こえるのです。

セレモニーのあと何事も無かったかのように試合が始まったのでしょうか? 私にはそれが「ゲーリッグがいなくても野球は永遠に続く」と言う意味に聴こえて、何とも言えない切ない気分になりました。

それと、これを見終えた時、広島カープにいた「津田恒実投手」のことを思い出しました。火を噴くような豪速球から「炎のストッパー」と呼ばれ、ファンに強烈な印象を残した投手です。彼は1990年ごろから頭痛に悩まされ、1991年の巨人戦での大乱調を最後に入院、悪性の脳腫瘍が見つかり、32歳でこの世を去ってしまった、カープファンには忘れることの出来ない投手です。

あの最後の巨人戦の中継は観ていましたが、まったくボールをコントロール出来ない状態になっていました。そして解説の掛布氏の言葉が悲劇を予見していたようで忘れられないのです。

「調子どうこうと言うより、津田君の心の中が、ささくれ立っているんじゃないでしょうか」

いつの時代もヒーローの死というものは本当にツラいものが有りますが、映画の感動に酔いながらも、ふと、ベーブ・ルース役の人があまりにもベーブ・ルースに似ていたので、不思議に思い、エンドクレジットを注意して観ていたら、なんと本人でした。彼以外にも何人か、ヤンキースの本物が出演していたようですね。


  

2006年10月5日木曜日

草野球にも暗黙のルール有り

★広島カープのブラウン監督は、中日ドラゴンズの落合監督を嫌っているそうです。落合流のチマチマとした采配の仕方が、「ベースボールのモラルに反している」と気に入らないようです。

たとえば何でも無い場面で審判に長々と抗議を続けて、相手投手のリズムを崩そうとしたりとか、これまで日本人が「頭脳的」と評価して来た、そう言う「ルールに反してはいないが、モラルやマナーに反している」と言うやり方を、どうも「セコい」と感じてしまうみたいです。

さらにブラウン監督の批判は日本の選手たちにも注がれます。外野フライの微妙なショートバウンドをあたかもダイレクトで捕ったかのように振る舞う選手、ギリギリの投球を当たってもないのに大げさに痛がって死球をアピールする選手など、審判を欺いてまで勝とうとすることを良しとする日本選手の態度を、非常に情けないと思うそうです。

まあ、カープの助っ人としてやって来た時は、ハッスルプレーが信条の熱血漢でしたから、そう言ういじましいプレーはどうしてもお客さんに失礼だと思ってしまうようです。そしてそのセコい日本野球の象徴が「落合監督」だと言うわけです。

確かにどんなに「セコいプレー」をしてもルール違反ではありません。しかしそれは「ベースボールの精神に反している」と言うわけです。もっと言えば、メジャーには、ルールブックには記載されていないマナーやモラルにのっとった「暗黙のルール」があって、それらがベースボールの精神を支えていると言うことなのです。

僕らもメジャー中継を見て知ったことがたくさんありました。ホームランを打ったバッターが大げさに喜んではいけないとか、大量リードしたチームは盗塁をしてはいけないとか・・。これらは皆「ただでさえ傷ついている選手に追い打ちをかける必要は無い」と言うメジャー流のスポーツマンシップであり、負けているチームを応援しているファンへの礼儀であるとも言うのです。

もしこれに反する態度をとると容赦ない制裁が待っています。次の打席では明らかなビーンボールを投げられ、痛い思いをすることになるのです。イチロー選手でさえ最初は意味が分からず盛んにやられてましたよね。

こういうことを言うと「またメジャー流か?日本には日本のやり方があるんだよ」と怒られそうですが、でも日本人だって、横綱「朝青龍」の挑発的な態度やガッツポーズなどを、「下品」だとか、「相撲の精神がまるで分かっていない」などと、ずいぶん手厳しいバッシングをしてたじゃないですか。あれと同じなんですよ。

スポーツとはつまり、それが生まれた国の文化なんです。相撲が日本のものであるように、ベースボールはアメリカのものなんです。だったら外国人力士にだけ日本の文化を押し付けず、自分たちも「ベースボールの文化」を受け入れなればいけないと思うのです。

しかしまあ、難しいことはさておき、このブラウン監督の言っている「フェアプレーの精神」は、アマチュア野球において、いや、草野球において、もっとも実践されるべきことだと思います。プロのように生活がかかっている訳じゃ無し、両チーム20名近くの人々がたまの休日を楽しもうと思って来ているのですから。

草野球をやってると、ヘンなところでプロ野球のマネをしたがるものなんですよ。で、つい無礼なプレーを「カッコイイ」とか「頭脳的」だと思ってやってしまう人がいるんです。そうじゃなくて、どうせマネるなら野球の本場「メジャーリーグ」のマネをしませんか?。

「審判を欺いてまで勝とうとしないこと」
「相手チームのプライドを傷つけてまで勝とうとしないこと」

間違っても大量リードしているチームが「隠し球」なんてやってはいけません。少なくと我々の草野球チーム「ゴブリンズ」のメンバーにはそれが浸透している、・・と僕は信じています。

とは言え「相撲の精神」を重んじる反面、巌流島にワザと遅れて来て小次郎の集中力を失わせたり、太陽に背を向けて小次郎の視界を邪魔してまで勝とうとする「宮本武蔵」のやり方を、「頭脳的」と賞賛する国民でもありますから、メジャー流フェアプレーが浸透するには時間がかかるのかも知れません。

最後に、かつて長年巨人の助っ人として働いた「クロマティ選手」が、ホームランを打ったあとピッチャーに向かって自分の頭を指さし、「オ前トハ、ココガ違ウ!」と叫びながらベースランする姿に、「アメリカ野球もあれじゃなあ・・」と首を傾げてしまうことも有りましたが、あの無礼な態度は日本にいた時だけなんでしょうか?