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DVD「打撃王」を買った

★原題を「The Pride of the Yankees」と言います。ホームセンターへ自転車用品を買いに行ったら、ほとんど人の来ない隅っこの方に並べてありました。

「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」シリーズと言うんですね。その膨大なラインナップの中にこの「打撃王」があるのを見つけて、値段を見たらなんと「¥500」だったので、迷わず買ってしまいました。

これは、知っている人も多いと思いますが、ベーブ・ルースと共に、ニューヨークヤンキースの黄金時代を築いた「ルー・ゲーリッグ」の物語です。

アイアンホースと呼ばれ、カル・リプケンに破られるまで、2130試合連続出場の記録を持っていた選手ですが、いわゆる筋萎縮性側索硬化症に冒されてしまい、1939年5月の試合を最後に引退、そしてその2年後に38歳の若さで亡くなってしまった名選手です。

僕は過去に1回か2回、NHKの名作劇場などで観たことが有ります。と言っても小学校くらいの頃なので、ずいぶん昔ですね。その当時は野球よりプロレスの熱狂的なファンで、そんな時に観た「打撃王」ですが、非常に感動したのを覚えています。

特に最後の、引退セレモニーを終え、たった独り暗い球場の通路に消えて行く後ろ姿が鮮烈で、たぶんこれを観てから、野球と言うものに興味を持ち始めたのではないかと言う気がするのです。

で、今回改めて観てみると、最後に観たのが大昔のことなので、ずいぶん印象が違っていました。ラストシーンの悲劇的な印象が強かったので、もっとシリアスなノンフィクションだと思っていたのですが、じつは、野球のシーンは意外と少なく、夫婦愛を中心にした愛情物語り、それもラブコメディに近い演出だったのです。これにはちょっと拍子抜けでした。

ただし、病気が発覚し自ら引退を決意するまでの過程は、前半がコメディタッチだっただけに、より悲劇性が強調されて息苦しい展開となります。

そしてラストの引退セレモニー。総立ちとなった満員の観衆の前で、「私は世界で一番幸せな男です」と語り、独り暗い球場の通路へと向かうのですが、その姿が暗がりに消える瞬間、背後から「プレイボール!」と言う審判の大きな声が聴こえるのです。

セレモニーのあと何事も無かったかのように試合が始まったのでしょうか? 私にはそれが「ゲーリッグがいなくても野球は永遠に続く」と言う意味に聴こえて、何とも言えない切ない気分になりました。

それと、これを見終えた時、広島カープにいた「津田恒実投手」のことを思い出しました。火を噴くような豪速球から「炎のストッパー」と呼ばれ、ファンに強烈な印象を残した投手です。彼は1990年ごろから頭痛に悩まされ、1991年の巨人戦での大乱調を最後に入院、悪性の脳腫瘍が見つかり、32歳でこの世を去ってしまった、カープファンには忘れることの出来ない投手です。

あの最後の巨人戦の中継は観ていましたが、まったくボールをコントロール出来ない状態になっていました。そして解説の掛布氏の言葉が悲劇を予見していたようで忘れられないのです。

「調子どうこうと言うより、津田君の心の中が、ささくれ立っているんじゃないでしょうか」

いつの時代もヒーローの死というものは本当にツラいものが有りますが、映画の感動に酔いながらも、ふと、ベーブ・ルース役の人があまりにもベーブ・ルースに似ていたので、不思議に思い、エンドクレジットを注意して観ていたら、なんと本人でした。彼以外にも何人か、ヤンキースの本物が出演していたようですね。


  

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