★こないだラジオでこんな話しを聴きました。TBSの詠六助さんの番組で、作家の「水上勉さん」のことを「みずかみ・つとむ」と言ったところ、聴いていた人たちから「"みずかみ" ではない。"みなかみ" と読むのだ」と、抗議やら忠告やらの電話が殺到したそうです。
僕はそのむかし文学少年だったのでよく知っているのですが、あの作家は詠さんが言った通り、「みずかみ」と言うのが正しいのです。つまり、まったく見当違いの抗議だったと言うわけです。
そしてもう一つ。経済ニュース番組で「小豆」のことを「しょうず」と読んだところ、「あれは "あずき" と読むのだ。テレビ局はアナウンサーにどんな教育をしてるんだ!」と、これまた抗議の電話が殺到したらしいです。
この「小豆(しょうず)」とは、じつは経済用語だそうでして、「大豆(だいず)」に対して「小豆(しょうず)」と読むことで分かりやすく伝達する、経済業界では当たり前の読み方だと言うことなのです。なので、これまた間違いではないのです。
驚くのはその行動力なんです。たとえ本当に間違っていたとしても、わざわざ電話するまでに至るその行動力?、すごいです。面倒くさがりの僕にはちょっと想像がつきません。むしろその気力に恐怖心を覚えてしまいます。
たとえば松本サリン事件の時も、現場近くに住んでいた「河野さん」が犯人扱いされましたが、あの時の抗議の電話とか、嫌がらせの手紙なんかすごかったそうです。これはちょっと想像以上の、相当な恐怖だったと思いますよ。
ただ、後々疑いが晴れると、何人かの抗議をした人たちから、「間違って申し訳ないことをした。すみません」と言う、お詫びの電話や手紙が来たそうなんです。
(じつは「お詫びの言葉」を寄せたのはほんの数名で、その他の数百?数千?の人たちは残念ながらだんまりを決め込んだそうですが)
とは言え「詫びる」と言う行為から察するに、こう言う的外れの抗議も、単に異常にヒステリックな人がする事と言うわけではなく、あまり強すぎる正義感の為せるわざ、と言うことは有るようです。
すごく "いい人" ではあるが、思い込みが激しく、自分だけが完全な正義だと勘違いしている、そんな潔癖すぎる「真面目」という恐さを持った人たち。
で、ふと思ったんですが、こう言うのがもし日本人の大半をしめる性格、「国民性」であるならば、日本は自衛だろうが何だろうが、二度と戦争に加担しちゃいかん、と思うのです。
激しい思い込みの、一方的な正義感を持った集団は、ひとつ間違うと、虐殺も大量破壊も平気でやりかねないものなのです。
・・って言うか、それより前に、国民による裁判員制度って大丈夫なのかなあ。「水上(みずかみ)勉氏」を「みなかみだ!正しく読め!」って猛抗議する人たちですよ?
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