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3月, 2013の投稿を表示しています

上野公園、風の回廊(コリドー)

★ここ数日間、春先の風の強い日が続いていましたが、こういう風が吹くと、いつも聴きたくなる曲があります。 ずいぶん昔の曲ですが、山下達郎の「風の回廊(コリドー)」です。この曲は、当初「HONDAインテグラ」のCMに使われたこともあり、タツロウファンの間では(自分もそうですが)恰好のドライブソングとして愛された楽曲でもあったのです。 ◎ 歌詞「風の回廊(コリドー)」 YouTube「HONDAインテグラ・CM:風の回廊(コリドー)」 ちょっと聴いただけだと、むかし去って行った恋人への想いを歌っているように想えます。つらい別れだったが、年月を経て傷も癒え、今ではむしろ懐かしい記憶として蘇る・・ アレンジが車のテンポと合っていて、「つむじ風」も疾走する車をたとえている感じがするし、なので、もしかすると男は、車を運転しながら恋人を想い起こしているのではないか、そんな解釈も出来るのです。 ところが、よーく歌詞を読んでみると、少し違和感を感じるのです。 「 陽だまりに 髪をとかす 今でも君はそこにいる 」 この「陽だまりに 髪をとかす」と言うところが、どうも、穏やかで、落ち着き過ぎていて、快活な若い女性の描写という感じがしないのです。 むしろ僕は、自分が子供のころに見ていた祖母の姿を思い出していました。母親の実家が農家だったんですが、そこに泊まりがけで遊びに行くと、毎朝必ず、祖母が結っていた長い髪をほどき、朝日の差し込む縁側に正座してとかし始める、そんなのんびりとした姿がありました。 子供心にそれが印象に残っていて、この曲を聴いたとき、歌詞に触発されダブって見えて来たわけなのです。 そんなある日、タツロウ氏のFM番組で、「風の回廊(コリドー)」に関する意外な話しを聞きました。それよれば、この曲は「 子供のころ母親に連れられ何度も行った、風の強い上野公園の博物館の記憶である 」と言うのです。 この話しを聞いて「なるほどな」と想いました。そう言うことならば、微妙な違和感も納得が行くではありませんか。 たとえば「陽だまりに 髪をとかす」の「君」を、恋人ではなく母親に置き換えれば、あるていど年齢の行った女性の仕草だと想えるし、以後の歌詞もスッキリ意味が通って来るのです。つまりこの曲は、失恋ソ

WBC、残念でした・・

★じつは2次ラウンドのオランダ戦の時は「大量得点で勝利?」が頭に浮かんでその通りになり、少し予感が冴えていたので、「もしかするとブログ通りになるんじゃないか?」と密かに期待していたのですが、何とこの日は、朝から「敗戦の予感」が頭の周囲にまとわりついて、振り払うことが出来なかったのです。で、「これはまずいぞ」と想って、意識して忘れようとしていたのですが、どうにもならず、ついにその通りになってしまいました。 勝負事で、後からああだこうだと言うのは愚行だと想っているので、あえて、言いたいことは事前に「(野球の)神様に愛される男」で語っておきました。なので、もうほとんど言うことは有りません。 ただ、ジャパンを救ったのも「盗塁」、見放されたのも「盗塁」だったなあ、という気はしました。8回のあの場面、私の頭の中では「あっ?、ダブルスチールやるぞ」と予感が働き、その通りになりました(いや、失敗しましたが・・) 台湾戦の鳥谷選手もこの日のダブルスチールも、どちらも「行けたら行っていい」のサインだったそうですが(この辺がやがてバッシングの対象になるでしょう)、台湾戦での鳥谷選手の盗塁も紙一重だったわけで、成功したからこそ「神懸かり」と言われ、失敗していたら、とうの昔に決勝ラウンドにはいなかったわけです。勝負と言うのはそう言うもんでしょう。 もう一つ、井端選手が「もう一度出たいという気持ちになった。もっと勝負強くなって帰ってきたい」と雪辱を語ったそうですが、前回、ドラゴンズが(落合監督が?)表明した「全選手参加拒否」は、明らかに大きな間違いだったと言うことがハッキリしましたね。 あっ・・、「終わってからなら何とでも言える」でしたよね。たいへん失礼しました。(でも、2009年のブログで「WBCが始まる前に」断言しておいたんですよ‥) ◎ 草野球チームキャプテン、WBCを語る ともかく、「心躍る数日間をありがとう」と言わせていただきます。 ◎ イチロー「行くなら行けと言うのは当然」 (考えてみれば、この結果を何となく予感していたために、胸騒ぎで無性に事前ブログを書きたくなったのかも知れません。 ・・ところで、「LINE」で、ロサンジェルスにいる元ゴブリンズの三好氏と、WBCについてトー

(野球の)神様に愛される男

★賛美だろうが批判だろうが、終わってからなら何とでも言えるので、とりあえず今のうちに少し書いておくことにしましょう。 今回のWBC日本代表は、監督を始め選手たちもけっこう悪く言われてまして、自称「野球通?」の素人ファンの某ブログでは、「イチローのような頼りになる選手がいないから苦戦するんだ」なんて意見も出てました。 けど、イチロー選手だって、第二回大会の前半戦までは、まったく打てず大ブレーキになってましたよね(記憶力悪過ぎまっせ!)。あの時だって、万が一、途中で敗退していたらどんな言われ方されていたか・・ そう言うのはすぐに忘れて、目の前の印象だけで語るのはダメだと思いますよ。 よ〜く思い出してください。過去の大会どちらも、そんな楽に勝ち進んだわけじゃなかったはずです。むしろ、楽勝と思われた中国に同点ホームランを打たれたりなど、格下の相手に手こずるような「まさかの苦戦」があったりして、むしろ、改めて何が起こるか分からない国際試合独特の緊張感、スリリングな面白さに、いつの間にか引き込まれて行った、と言うのが正直なところじゃないでしょうか。 特に今回は「山本浩二監督」の能力に対する疑問視がずっと続いてまして、かの野村克也氏も盛んに批判を述べております。終いには「ホントはオレがやりたかったのに、周囲にやらせたくないような雰囲気が出来上がっていた」と、ボヤくことしきりで、そんな発言も受けて、各メディアやネット一般人の発言でも、山本監督への批判が高まっておるのです。 もともと私は広島カープのファンで、山本浩二と言えば少年時代の大ヒーローですから、同氏を批判する者にはカミつきたい気分も有るのですが、確かに、かつての広島監督時代には、采配に疑問を感じなかったわけではないのです。 広島野球と言えば、初優勝した年に「ルーツ監督 → 古葉監督」と引き継がれた「機動力野球」が伝統となっています。これは極力送りバントを使わず、盗塁やヒットエンドランを多用し、最低でもライトヒッティングでランナーを進めると言う、非情にアクティブでスリリングな野球を意味するのです。 ところが、山本監督が行った采配は、口では「機動力」と言いながら、ランナーが出ると初回からいきなり送りバントをやらせると言う、新鮮さも面白みもまったく無い、ただの「スモールベー