★賛美だろうが批判だろうが、終わってからなら何とでも言えるので、とりあえず今のうちに少し書いておくことにしましょう。
今回のWBC日本代表は、監督を始め選手たちもけっこう悪く言われてまして、自称「野球通?」の素人ファンの某ブログでは、「イチローのような頼りになる選手がいないから苦戦するんだ」なんて意見も出てました。
けど、イチロー選手だって、第二回大会の前半戦までは、まったく打てず大ブレーキになってましたよね(記憶力悪過ぎまっせ!)。あの時だって、万が一、途中で敗退していたらどんな言われ方されていたか・・ そう言うのはすぐに忘れて、目の前の印象だけで語るのはダメだと思いますよ。
よ〜く思い出してください。過去の大会どちらも、そんな楽に勝ち進んだわけじゃなかったはずです。むしろ、楽勝と思われた中国に同点ホームランを打たれたりなど、格下の相手に手こずるような「まさかの苦戦」があったりして、むしろ、改めて何が起こるか分からない国際試合独特の緊張感、スリリングな面白さに、いつの間にか引き込まれて行った、と言うのが正直なところじゃないでしょうか。
特に今回は「山本浩二監督」の能力に対する疑問視がずっと続いてまして、かの野村克也氏も盛んに批判を述べております。終いには「ホントはオレがやりたかったのに、周囲にやらせたくないような雰囲気が出来上がっていた」と、ボヤくことしきりで、そんな発言も受けて、各メディアやネット一般人の発言でも、山本監督への批判が高まっておるのです。
もともと私は広島カープのファンで、山本浩二と言えば少年時代の大ヒーローですから、同氏を批判する者にはカミつきたい気分も有るのですが、確かに、かつての広島監督時代には、采配に疑問を感じなかったわけではないのです。
広島野球と言えば、初優勝した年に「ルーツ監督 → 古葉監督」と引き継がれた「機動力野球」が伝統となっています。これは極力送りバントを使わず、盗塁やヒットエンドランを多用し、最低でもライトヒッティングでランナーを進めると言う、非情にアクティブでスリリングな野球を意味するのです。
ところが、山本監督が行った采配は、口では「機動力」と言いながら、ランナーが出ると初回からいきなり送りバントをやらせると言う、新鮮さも面白みもまったく無い、ただの「スモールベースボール」だったのです。
「何んだ?こりゃあ?」とガッカリして、いろいろ考えたのですが、けっきょく山本氏の脳裏には、9連覇時代の巨人の姿がこびり付いていて、あれが「日本最強の野球なのだ」と思い込んでいるに違いない、そう想うようになりました。
が、巨人野球を模倣するなら、巨人と同等の戦力を保有しなければ成功しないわけなのです。初回から送りバントを多用する保守的スモール・ベースボール、それがホントの巨人の姿なんですが、王・長島両主砲がハデな活躍をすることで、そのスモールな部分が隠されていた、それが9連覇時代の巨人なんです。
しかし、王・長島に匹敵する圧倒的戦力が存在しないからこそ、「機動力野球」を導入したカープだったのに、それに気づかず巨人そっくりの野球をやってしまうなんて、ホントに残念でした。まあ、山本浩二氏に限らず、プロに限らず、日本野球の監督になる人は誰もがそう言う巨人模倣をしがちではあるのですが・・
それとは対極にあったのが、かつて我々が目の当たりにした広島カープ黄金時代の「機動力野球」です。これは最近よく言われる「スモール・ベースボール」とは微妙に違うんですよね。みんな混同しているフシがありますけど、リスクの背負い方が違うんです。
「スモール・ベースボール」とは、よりリスクの少ない作戦を優先する野球ですが、広島カープが行った「機動力野球」は、ダブルスチールを敢行したり、時には2アウトからでも盗塁を仕掛けるなど、むしろリスクの大きい作戦を選ぶことで相手の裏をかき、守備フォーメーションをかく乱しながら攻撃して行く、観客にスリルと興奮を与えるエンターテイメントでもあったんです。
にも関わらず、巨人模倣ばかり続ける「山本野球」を批判していた私ではありますが、とは言いながら、ファンである私があえてもの申すならともかく、そこいらの一般人にあんまりな言われ方をされると、ついついいつものように「判官びいき」がもたげて来てしまうのですよ。「モノを知らん自称野球通?が、オレ達のヒーローに何んてことを言うんだ!」と・・
北京オリンピック敗退のせいで、星野監督がしばらくはメディアからも相手にされず落ちぶれていた、そんな姿を間近に見ながら、あえて三連覇のかかったWBC監督を引き受けるなんて、かなりの潔さですよ。少なくとも、決まった後で「ホントはオレがやりたかった」なんてグズグズ言うなんてのよりは・・
そんなことで、山本ジャパンを応援しながらも「三連覇はちょっとキツいかなあ・・」と、あまり入れ込まず、少し傍観気味に見ていたのです。ところがですね、強化試合のオーストラリア戦の逆転勝利を見て、直感的にですが「ひょっとしたら?」と言う気がして来たんです。
WBCメンバーが決定して最初の国際試合。北京では痛い敗戦を喫した相手なので、何とか勝って勢いをつけたいところです。ところが何と、日本は6回までノーヒットに抑えられる大苦戦で、0-2とリードされてしまい、「まさか?負けるのかよ!」と誰もが想い始めた8回、相川が起死回生の3ランを放ち、3-2で辛くも日本が逆転勝利をもぎ取った試合でした。
それでも試合後のチマタの評価では、
「山本浩二は何もしていない!」
「無策、無能の監督!」
「相川が打っただけ。それも偶然!」
ってな感じでした。それを専門家が言うならまだしも、一般の素人に言われているのですから無惨なもんです。ですが、世間のブーイングとは裏腹に、私には何故か光が見えたような気がしたのです。
野村克也氏は「野球とはつきつめれば確率のスポーツである」と言ってます。より確率の高い方法を選び、可能な限り偶然性を排除してゲームを支配しようと言う考えです。
一方、三原魔術で有名な三原脩氏が残した名言に「野球は筋書きの無いドラマである」との言葉が有ります。これは、どんなに人知を駆使しても、最後の最後に、偶然によって勝敗が左右されてしまう、と言う意味であります。
これらの言葉を踏まえた上で、かの対オーストラリア強化試合を思い出してみます。
・・8回2点ビハインドの1アウト1塁3塁、バッター相川選手の場面。誰もが「何とか最低でもタイムリーで1点をたのむ!」って祈ったんじゃないでしょうか。ところが、現実に起こった出来事はそんなちっぽけなモンじゃない、起死回生の逆転スリーランホームラン・・・
正に「筋書きの無いドラマ」が起こった瞬間でした。
しかも聞けば、相川選手のシーズン中の本塁打はたった1本だそうじゃないですか。そんな非力な選手が(失礼!)、こう言うゲームで劇的なホームランを放つと言うこと、確率的には有り得ないことが突如として起こる、これが肝心なんですね。
短期決戦の国際試合では、どうしても「奇跡的プレー」や「神懸かり的なプレー」が起こったチームに流れが押しよせて来るものです。前回大会でもありましたな。レフト内川選手の「神懸かり的ショートバウンドキャッチ」
あれはあくまで本戦で、今回のは単なる強化試合にすぎませんが、それでも、阿部選手や中田選手ではなく、年間1本の相川選手が打ったところに意味を感じますね。
監督が何もしなかったと言うより、監督の手の届かないところで何かが起こったって感じ。「もしかしたら、早くも野球の神様が動き始めたのかな?」ふと、そんな気がしたのでした。
WBCのような国際試合とは、「野球はつきつめれば確率のスポーツである」との野村氏の格言を凌駕したステージで行われるものではないか?。私はいつもそう考えています。
だとすれば、「確率論」だけでは予測することの出来ない「偶然」を支配する力、そう言う運命を呼び込める人。もしも、何もしなかった山本監督が、神懸かり的ホームランを呼び寄せた運命の人ならば・・・
「これは、ひょっとしたら、ひょっとするかのも?」
ついつい淡い幻を見てしまうのです。
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