スキップしてメイン コンテンツに移動

二年前の事件の話し

★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。

これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。


「じつは・・、
殺しが有りましてねえ」
その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。

それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・

「弟さん、いますか?」
そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。
「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」

僕は、嫌なことを想像していた。弟?人殺し・・?
だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。

解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、
「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。
「お兄さん、何か聞いてませんか?」
「あ、いえ、何も・・」
戸惑いながらも、少しほっとしていた。

僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。

僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。

弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。
「お兄さんもいてください」刑事は言った。
彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。

しかし、言われるまでもなく、同席しなければならなかった。僕の弟は耳が不自由なのだ。だから。意志の疎通を測るには、唇の動きを読んだり手話を使ったりと、コツがいる。

やがて、お茶など出す間もなく聴取が始められたが、弟は既に新聞などでその事件のことを知っていた。

その事件はこうだった。弟は日産の寮に入っている頃、「村下」と言う男と親しくなった。彼は臨時従業員、つまりアルバイトで雇われ、弟と同じ部署に配属されたと言う。

ある時、村下は弟を呼び出し、寮の二階の自分の部屋から、大きな青いポリ容器を運び出し、一階の弟の部屋などが並ぶ、庭に面したテラスに置くのを手伝って欲しいと頼んだ。ポリ容器はフタをして、荒縄で十字に縛ってあり、フタの隙間からは黒いビニールがはみ出していたと言う。

友人の頼みでも有り、数週間後には「年齢制限」で部屋を出ることになっていた気安さも手伝って、弟はそれを快く引き受けた。しかしそのポリ容器を持ち上げようとした瞬間、余りの重さに驚き、また容器から漂う異臭にも不審を抱いた。

そこで、『これはいったい何だ?』と尋ねると、
「田舎から漬物を大量に送って来たんだ。匂うから外に置きたいんだ」
村下はそう言っていたと言う。

バブル景気の世の中で車は飛ぶように売れ、寝る暇もない忙しさの中で、弟はすっかり忘れていたらしい。ポリ容器はテラスに置き去りにされたまま、やがて寮を出ることになる。村下がその後どうしていたのか、ポリ容器がどうなったのかは解らない。

刑事はそれがどのくらいの重さで、どんな匂いで、どのような順路で降りて行ったのかを執拗に尋ね、持って来た用紙に、楷書のきれいな文字で丹念に書き込んで行った。

弟が答えるそのつど、刑事は僕の顔を探った。そしてちょっとした矛盾点を見つけては、「おかしいなあ!、そんなはずはないぞ!」と、突然声を荒げる。その声の調子は、単なる事情聴取の範疇を越えているかのように思われた。

初めの内は協力しようと熱心に答えていた弟も、同じことを何度も繰り返し尋ねられるしつこさに、次第に表情が曇り始めた。そして刑事がトイレに立った時、
『何時まで続くのか?。仕事があるんだ』
と言う意味のことを僕に訴えかけて来た。僕は、解らないと答えて、それからもう少し我慢しろと伝えた。
時計を見ると、始まってからすでに四時間が過ぎようとていた。

僕は、トイレに行くふりをして、廊下の向こうで聞き耳を立てている刑事に気づいていた。その姿に、弟は「共犯者」として疑われているのだと思った。

刑事はトイレの水を流して帰ってきてから、また尋問を始めた。質問と答えがそのつど僕を介して行われると言う手間に、弟は苛立っていた。僕は弟の苛立ちを気にしながら、自分自身の苛立ちをも抑えなければならなかった。

それにしても、刑事と言う人間の忍耐強さには感心した。彼の書き込む字は、最初から最後まで、まったく乱れることは無かったのである。

長い時間が経ち、6時間をちょっと過ぎてから、それはようやく終りを告げた。帰りぎわ、刑事に、
「あの、どんな事件なんですか。僕は何んにも知らないんですけど」と尋ねると、
「詳しいことは、また後ほど。お兄さんにもまたお世話になるかも知れませんので・・」
と言い残し、そのまま去って行った。

刑事が帰った後、家にあった古新聞を引っ張り出し、事件のことを調べた。その記事によれば、村下は日産に勤める以前にも、自分の叔母を始め三人の人間を殺害していたようだ。そして四人目の殺人が、今回の事件であった。犯行は寮の部屋の中で行われていたのだと言う。

僕は愕然とした。つまり、恐らく弟が運ばされたポリ容器の中には、その同僚の死体が入っていたのにほぼ間違い無い。何も知らない弟は、その重さに耐えながら、一段ずつ降ろしては休み、殺された人間の体を運んでいたのだ。そして、1カ月近くも、テラスに置かれた死体のすぐ側で寝起きしていたことになる。

さらに驚くべきことに弟は、村下に借金を迫られ、それを断っていた。つまり、一つ間違っていれば、殺されていたのは弟の方だったのかも知れないのだ。何故なら、四つの犯行の動機全てが『借金を断られたため』だったからである。・・
僕の心の中で言いようのない戦慄と安堵とが、同時に沸き上がっていた。

刑事は、その後幾度か日産を訪れたらしいが、僕とはついに再び会うことは無かった。そして、事件のうわさも、記憶も、次第に薄れて行ったのである。


あの事件が起きてから約2年が経ち、僕も弟もそのことはもうすっかり忘れていた。1992年12月6日、僕達は成田第二空港ターミナルに来ていた。弟が結婚し、オーストラリア旅行へ行くため、見送りに来たのである。

第二空港ターミナルはちょうどこの日開港したばかりで、ごった返していた。朝には荷物用のベルトコンベアが故障し大変だったらしいが、今は大分落ち着いている。港内のあちこちにテレビ局の取材陣が来ていて、旅行者へのインタビューが繰り返されていた。

結婚相手の彼女は手話サークルで知り合った6歳年下の娘であった。弟は辛うじて低い音なら聞きとることが出来るが、彼女は全く聞こえなかった。会話は全部、手話と読唇で行われる。

この娘は、驚くほど明るくて笑い上戸だった。僕がパントマイムで冗談を表現すると、コロコロとほんとによく笑った。心が洗われると言う言い方があるが、彼女の明るさは正しくそれだった。

ところがこの明るさは、僕が知っている他の聴覚障害者にも言えることだった。彼らは総じて何か不思議なくらい明るい。これは聴覚障害以外の障害者にはあまり無いものなのだ。僕が育った家のすぐ隣に、身体障害者の施設が有って、幼い頃からその人々の様子を見て来たから、僕には聴覚障害者と性格の違いがはっきりと解っている。

少し頑固だが、明るく、物おじせず度胸が有る。弟の行く末を案じていた僕には、「あの性格が救いだ」程度に想っていたのだが、あの事件が起きてからと言うもの、ある種の確信をもってその理由が解り始めたのである。

彼らがこんなに明るいのは、生まれて死ぬまで何も聞こえない代わりに、『人を傷つける言葉』をも聞かずにすむからなのでは、と言うことなのである。

言葉はそれ自体、発する本人の想像以上に強いエネルギーを持ち、使い方一つで、勇気づけることも、どん底に陥れることも可能だ。そのため、幼い頃から言葉による攻撃を受けて来た人間は、心が歪んで『村下』のようになり、逆の場合には弟達のようになる。

だからこそあの時、村下には弟を殺せなかった。たとえ金を断られても、弟から見下されたり傷つけられるような言葉を聞くことは、決して有り得なかったのである。

つまり四っつの殺人の動機、それは、借金を断られたことそのものより、その際に浴びせられた『人の心を傷つける言葉』だったのではないだろうか。それが彼の心の奥の悪魔を呼び起こしたのに違いない。

確かに、想えば、僕達はどれほど多くの言葉で、人の心を傷つけて来たことだろう。三人で新しい空港ロビーを見学しながら、僕は勝手にそんなことを考えていた。

彼女が、喫茶室の前で、ケーキを食べる格好をした。弟はその仕草をビデオに撮りながら、店の中に入るようにと合図する。その間ずっと、僕はただの荷物運びにすぎなかった。出遅れて店の前に一人取り残されていた。そしてふと、もはや僕と弟とは全く別個の人間なのだと、その時改めて思い知らされたのである。

小さい頃から、弟をずっと守り続けていたつもりだったが、その反面どこかで自分の所有物のようにも想っていた。キャッチ・ボールに引っ張り出して、野球を仕込もうとしたことも有った。弟も、ろう学校では野球部に入るなど一時は僕よりも熱中していたが、いつの間にか、彼の興味は野球から海へと移って行った。

サーフィンから始まり、スキューバ・ダイビングへ、大胆にも海外の海にまで潜りに行くようになり、知り合ってからは、彼女も影響を受け、習い始めるようになったと言う。今度の旅行も、有りがちな夢ではあるが、『グレートバリアリーフ』が見たい、と言う二人の希望で、彼の地が選ばれたと言う話し。

波の音も、風の音も聞こえない海を眺めながら、二人はずっと傷つけ合う言葉をも聞くことは無いのだろう。

弟はすでに僕から随分と遠くへ行ってしまった。今では、年に1、2回顔を会わせるだけである。野球にも全く興味を失ってしまったようだ。

でも、僕はまたいつか、二人でキャッチ・ボールをしたいと想っている。たとえば、もう少し歳を取ってから、ちゃんとしたグラウンドや公園ではなく、あの家の前の舗装道路で。そして、・・出来ることなら夕暮れに。
 
 

この話しには驚きの続きがあります・・

コメント

このブログの人気の投稿

風邪で寝込んで超リアルな夢を見た

★先週の土曜日に風邪をひきまして、でもまあ何とかなりそうだったので、そのまま東大和の球場まで草野球の練習に行きました。運動をしているウチはマヒしてるようであまり感じなかったのですが、家に帰ったその夜から完全にダウンしました。 熱も無いし、それほど咳がひどいと言うことも無いのですが、やたら眠いのです。翌朝、目が覚めて1、2時間パソコンに向かったと思ったら、また凄く眠くなって布団にもぐってしまうと言う感じで、一日の大半を眠って過ごしたんです。 で、ようやく、今日あたりから意識がハッキリして来たのですが、眠っている間、たくさん夢を見ました。ほとんどはどうでもいい雑夢でしたが、その中で一つだけ、とてもリアルな夢がありました。 僕は、誰だ分からないのですが、とても懐かしい友人?とおぼしき二人と歩いているのです。やがて、下町の小さな店がたくさん立ち並ぶ、とても細い路地を抜けて行くと、辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていました。 さらに暗闇を歩いて行くと水辺に出ました。川なのか、池なのかよく分からないのですが、真っ暗な水辺で、僕たち三人はまるで子どもようにはしゃいで遊ぶのです。その時ふと、僕は夜空を見上げました。すると、見渡す限りに無数の美しい星々が輝いていたのです。 ・・とまあ、こんな風な夢でした。それが非常にリアルだったのです。普通の夢は目が覚めると、「ああ、夢か・・」とリアル感がどんどん薄れ、夢の内容もどんどん忘れて行くものですが、そう言うんじゃないんですね。 リアルさが異常なほど感覚に残って、不思議な記憶として時間が過ぎるほどハッキリして来る。そんな感じでした。 目が覚めた後は、とてもいい気分でしたが、あとひとつ間違えば、恐ろしい悪夢に変わってしまうような、そんな妖しい危うい雰囲気も有りました。 そう言うリアルな夢を誰でも一度は見たことがあるはずですが、心霊研究では、じつはそう言う時って、魂が 一時的に 肉体を抜け、「幽界」をさ迷っている状態なんだと言う話しを聞いたことがあります。 なるほど・・、あれが「幽界」だとすれば、確かに「そうだ」と思えるような、不思議な現実感のある世界でした。でも、だとすれば、気になるのは一緒に遊んだあの二人、いったい誰だったんだろう?と言うことですね。 ・・ところで、このごろは、「ゆうかい」とタイプして変換す...

年賀状のホントの意味

 ★今年もまた年賀状の用意をする季節となりました。最近はLINEだのメールだのがあるので、わざわざ紙のハガキに書いて出す、なんて面倒がる人も多いようです。かく言う僕も、友人知人からは、どちらかと言えば「あまり年賀状を出さない人間」として見られているかも知れません。 しかしですね、じつは、自分にはある信念?のようなモノがあって、そうなっているのです。「年賀状とは、遠く離れた友人どうしが、年に一度手紙を出し、互いの消息を確かめ合う」これが、年賀状の始まりなのだそうなのです。僕はこの本来の役割のために年賀状を出したいと思っているのです。 なかなか会う機会も無くなった古い友人同士が、一枚のハガキを頼りに互いの消息を確かめ合い、新しい年の健康を祈る、それが年賀状の本来の役割りなんです。 ところが現状はどうでしょう。いつでも(ひょっとしたら毎日?)顔を会わせる人ばかりが年賀状をやり取りし、遠く離れた人に対しては、「会わなくなってもう三年になるから、そろそろ出さなくてもいいかなあ」などと、フェードアウトで知らんぷり、ってのが実情ではないでしょうか。 へそ曲がりの僕はこれに反発したかったのです。現在進行中の友人知人よりも、むしろ離れて縁遠くなった人にこそ年賀状を出そう!。そんな「年賀状本来の使用法」に則って行動したかったのです。 しかしながら、これはウマく行きませんでした。親しい人からは筆不精だと思われ、縁遠くなった人からは「忘れたころに突如舞い込んだ年賀状」に戸惑ったような返信が届いたり・・。そのビックリしたようなコメントを読み、何か迷惑をかけたような心境になって、次からはつい遠慮してしまうのです。 現代社会においては、年賀状本来の姿を復活させることは困難なのだと言うことを思い知らされました。で、結果として僕は、はたから見れば「あまり年賀状を出さない人間」になってしまったのです。 もともと僕は「絵描き」の端くれなのですが、そういう芸術家気質の人間のやることは、なかなか世の中に受け入れられないモノではありますね。僕の場合「物事の原初を大事にする」と言う信念、気質がありまして、それが行動の根本になっていることが多いのです。 この間テレビで、ラグビー日本代表監督として大躍進させた「エディ・ジョーンズ氏」が、大勢のラグビー関係者の前で講義をしている場面に出くわしました。そこに出席...

新軟球、最安?

★近所のホームセンター「ケーヨーD2」にて、新軟球を買って来ました。値段は二個セットで¥ 998 (税込み)でした。たぶん今のところ一番安い部類に入るのではないかと思います。これはナガセケンコー製ですが、違うメーカーのが一個入りで売ってました。 ウチからほんの 200m くらいのところにあるので、今後ずっと取り扱ってくれたら、急に必要になった時の購入がすごく楽なのですが、どうですかね。今まで軟球は扱ってませんでしたから・・。当然売り上げがあれば扱う、と言うことでしょうから、少しは買っておくことにしますか。 今までで一番軟球が安かったのは吉祥寺のショップですが、今日見に行ってみたら、「商品リニューアルのため 9/20 以降入荷の予定です」と書いた張り紙がしてあり、その下に値札が「¥ 380 」のまま付いていました。 再入荷することは確かなようですが、値段はどうでしょう?。¥ 380 のままなら断然ここでの購入をメインにしたいと思います。 ショップ名はあえて伏せておくことにします。ここはバラ売りが主の小さな店舗なので、これを読んで「大金にモノを言わせての強引な買い占め」に走るチームがいると困りますからね。   

東北楽天敗退・・

★ひょっとしたら?と淡い期待をしましたが、やはり東北楽天はダメでした。まあ、これが実力と言うものなのでしょう。 が、プロ野球人気低迷のこの時期、これだけの盛り上がりを見せてくれたのはスゴかった。これを失ってしまうのは残念ですね。何しろ、スポーツ新聞の扱いが、勝ち抜けた巨人より楽天の方が大きかったくらいなんですから。 それでもセリーグが中日ドラゴンズでなくて、巨人だったのがせめてもの救い?でしょうか。私はもともとは強烈なアンチ巨人なんですが、それでも、今年の中日のWBC拒否は納得が行かなかったので、今回だけは巨人に頑張って欲しかったのです。 もちろん落合監督以下、中日関係者は、「あくまでも選手の意思」と否定していますが、苦しい言い訳ですね。何より、このところの落合監督の、あのケンカ腰の試合後インタビューがそれを物語っています。あの件での原監督との対立が、相当頭に引っかかってたってことでしょう。 WBCでの二連覇と言うのは、日本のプロ野球史において、かなり重要な出来事だったと思います。あの代表メンバーは確実に歴史に名を残すだろうし、それに行けるチャンスが有りながら行かなかった中日の選手にとって、「千載一遇のチャンスを棒に振った」くらいの悔いとなってしまうかも知れません。ヤンキースの松井選手なんかもそうですね。あれ以来、すごく頑張っていい成績を残しているのに、なんか影が薄いような感じがしてなりません。 それに比べて、楽天の選手たちの、何と影の濃いかったこと!。CSの間ずっとテレビ中継に引き寄せられてしまったくらいです。なので、岩隈投手やマー君以外にも、ずいぶん名前を覚えましたよ。 で、名前と同時に、いろんな選手の打撃フォームを興味深く見せてもらったんですが、印象的だったのは、楽天打者の多くが「脇を閉めて構えている」と言うことでした。 自分で野球をやる人なら分かると思いますが、バッティングで構えた時、右バッターなら右脇、左バッターなら左脇を閉めるか開けるかで、スイングがかなり違って来るんです。 昔はよく「脇を閉めろ」なんて指導されたもんですが、今ではイチロー選手を始め、だいたいのバッターは、余計な力が入らぬよう 脇を開けて構え、インパクトの瞬間だけ強く閉める傾向に有ります。 その方が腕の自由度が増し、いろんな球種...

松坂投手引退で思い出す、円周率デマの話し・・

★ついに?平成の怪物・松坂投手が引退を決意しました。 このニュースを聞いて、その感慨よりも、入団時のことを思い出していました。日本中が信じてしまったデマ、今で言う「松坂プロ入りフェイク・ニュース」の話しです。今回はまず、そのブログ記事のURLをリンクしておくので、まだ読んでない人はどうぞ見てください。 ◎ 松坂投手の誰もが勘違いしているホントの話し じゃあなぜ「円周率」なのかと言うと・・、松坂投手についての自分のブログ記事を読み直した時、その中に、そのままになっている宿題があったことに気づいたのです。で、今回はその件の続きを書いておこうと思うのです。 その宿題とは?「ゆとり教育反対の理由」で大変有名になった「円周率3」のデマのお話しです。 少し前、あるバラエティ番組で、外人タレントさんが、「ゆとり教育って、円周率3で教えるんでしょ?。これ海外でも''ありえない?!''って話題になったんですよ!」って話しをしてるのを見まして・・、「これ、かなり恥ずかしいぞ・・」と思ってしまったんです。今の時代、国内の小さな話題でも一瞬にして海外に伝わってしまう、と言ういい例ですよね。 「日本の恥だ」と思ったものの、恥と思ったのは「円周率3」ではなく、「デマ」が、そのまま「ホントの話し」として海外に伝わってしまったことの方なのです。「円周率3」のこの話し、日本の塾業界が意図的に広めたデマだったんです。 日本中が信じてしまった「ゆとりは円周率を3で教える」と言うウワサ・・ しかし 「ゆとり教育」の学習指導要領には、「これから円周率は3で教えます」なんてことは一言も書かれておりません。 実際の「学習指導要領」の文章では、 「円周率は3.14」 のまま変更無しです(当たり前です) が、同文の中の例外として、 「目的に応じて3を用いてもよい」 という文言がありまして、これを発見した反対派は、鬼の首を取ったかのようにそこだけを切り取り、「ゆとり教育は円周率を3にしようとする暴挙!」と、吊し上げを始めてしまったわけなのです。 ではなぜ「目的に応じて3を用いてもよい」と言う一文があるのか?。それには、円周率3.14の正体について少し考えてみる必要があります。まず、誰でも知っている?ことですが、円周率は永遠に割り切ることが出来ない「無限数列」です。 途中までざっと表すと...

多摩湖へ行った、iPhoneをナビにして

★元旦に、自転車で一時間ほどの場所にある「多摩湖」へ行って来ました。 5,6年前から耐震工事が行われて見学できない状態が続いていたのですが、2009年にようやく終わったので久々のポタリングと言うことになりました。 元旦の午前中に行くとたいてい晴れているし、なかなか見晴らしも良いので毎年行くようにしていました。近くに神社もあるし、まあ、初詣みたいなものかと思います。 それと、今回は「iPhone」を手に入れたので、そのGPS機能を試してみようと思ってみた次第です。行き慣れた道なので迷うことも有りませんが、とりあえずテスト走行と言うことで・・ 多摩湖の土手 この日のために、自転車用のiPhoneホルダーと、何種類かのナビアプリをダウンロードしておきましたが、自分にとってはiPhoneに標準装備されているGoogleマップで充分のようでした。 ブレード走行の時もそうなんですが、いったん走り始めると、急に気持ちが大雑把になって、細かいことがひどく面倒になってしまう性格なのです。そう言う意味では、ナビアプリは細かい機能が多すぎますね。 Googleマップには自転車モードが無いので「徒歩」で設定して、現在位置から目的地までのルートを検索します。それを頼りに進んで行きますが、GPSがこんなに正確にトレースするものだとは思っていなかったので、びっくりしました。ちょっとしたカルチャーショックです。車もナビ無しで乗るので、GPS初体験と言うわけです。 土手の上の遊歩道 ただ、考えてみれば当たり前ですが、Googleマップが検索したルートと、自分が走りたいルートとは違うと言うことも良く分かりました。 そういう意味では、道順ではなく、単純に直線で結ぶ機能も有ればと思います。直線で大まかな方角だけ把握して、あとは自分の好きなように走ると言うのが自分には向いていると思いました。 で、そう言う場合には、自分の欲しい機能を持ったアプリを探して追加インストールする、と言うのがiPhoneの正しい使い方なのだそうです。 西武遊園地・元旦から営業 このブログに載せている写真は全部デジカメで撮りましたが、一枚、富士山が写っているやつを「進め!野球少年!」の方にiPhoneで写メール投稿をしました。 ...

ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」

★楽天で、期間限定の500ポイントをもらいまして、そのまま期限切れで消えてしまうのも惜しいし、かと言って、ちょっと中途半端な数だし・・と考えて、これが有ったのを思い出しました。 「科学特捜隊・流星ピンバッジ」。900円なので、ポイントにちょっと足せば、ちょうどいい値段で買えます。 「初代ウルトラマン」に登場する科学特捜隊が胸に付けていて、ドラマの設定では、アンテナを伸ばせば、メンバーどうし無線通信が可能なのです。 小学生の目にはとにかくカッコ良く見えて憧れました。厚紙に絵を描いて切り抜き、胸に付けて遊んだりしたのですが、アンテナの伸び縮みだけは再現できず、余計に思いはつのりました。 ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」いま手にしても楽しいですが、あの頃にこれが有ったなら、どんなに嬉しかっただろうかと思います。 ・・そう言えば、ウルトラマンの最終回は衝撃的でした。中学1年になって、夕方の時間帯に再放送が行われると、ビデオの無いあの時代、どうしても最終回が見たくて、野球部の友人二人と練習をサボって大急ぎで帰宅したものです。そんなことも思い出しました。 バッジの裏はこんな感じになっています。洋服に刺して、生地の裏から止めるようになっています。 使い道としては、ネクタイピンにしようかなんて考えています。これまではだいたい、クーパースタウンで購入した「ベースボールバッジ」を刺してましたが、これも中々面白いと思います。(でもやはり左胸に刺さないとダメだろうか?) ふと思いついて、「ユザワヤ」で買っておいた100円のケースに入れてみました。小さなアート作品を入れるつもりの箱でしたが、こんな感じで保存するのも中々イケる気がしました。 ◎【楽天市場】ウルトラマンショップ SHOT M78  

バナナケースを買った

★念願の?バナナケース「バナナまもるくん」を買いました。イトーヨーカドーへ刺身を買いに行って、そのついでに他のフロアを物色していたら見つけました。値段は¥580でした。 残念ながら、以前狙っていた品物「バナナガード」とは違いますが、なかなかいいと思います。大きさが小さいので、入れられるバナナは限られると思いますが、その分コンパクトで、持ち運びに便利だと思います。 「何に使うの?」と思われる人もいると思いますが、スポーツ時の栄養補給源としてバナナを携帯するため使用するのです。が、バナナを潰さずに携帯すると言うのはけっこう大変なので、こう言う物を利用すれば非常に便利だと言うことです。 じつはこれ、最近売れているらしいのです。いや、本家の「バナナガード」が売れているのです。もちろん売れているからこそ、似たような商品が登場することになったのでしょうが、一時は「絶滅危惧商品」としてランクインしたことも有り、それを思えば、見事な復活劇?と言えるでしょう。 以前はネットでしか買えなかったのですが、この頃は東急ハンズでも買えるようです。ネットだと送料込みで¥1500くらいになるので二の足を踏んでいましたが、ハンズで買えるなら、何かのついでになんてこともあるかも知れません。今度寄ってみることにします。   

テレコンバージョンレンズを買った

★こないだ買ったニコンのデジカメには、オプションのレンズが取り付けられるようになっています。ただ純正の望遠レンズはカメラ本体と同じくらい高いので、買うつもりは有りませんでした。 が、検索しているウチにあまりに安いレンズを見つけまして、買ってしまいました。メーカーも「ケンコー」なのでモノはいいです。それがアウトレットだったので、定価約1万円のものが、なんと千円程度で売っていたのです。探せばあるもんですね。 それと、カメラ本体のネジ径が28mmなので、レンズ径37mmに変換するためのステップアップリングも一緒に購入、それでも2千円程度で済みました。 で、これを取り付けた様子がこれです。写真だとかなりデカく見えますが、そこそこコンパクトですよ。一眼レフに比べたら携帯性抜群です。 デジカメ一眼もだいぶ安くなって来ましたが、一眼レフはもう買うつもりは有りません。デカイからです。 フィルムカメラの頃は、キャノンF-1、T90、A1、FE-1などを所有、レンズも広角から望遠まで多数揃えていたのですが、持ち歩くだけで大変でした。(ちなみに下取りに出したら全部で24万円になりました) もちろん本格的ないい写真が撮れるし、捨て難い魅力はあるんですが、最近は、自転車などで出かけた場所で撮ることが多くなったので、携帯性は重要なのです。 まあ、これくらいがいいでしょう。今年のブレード走行でも活躍する予定ですぞ。(この大きさで一眼レフだったら最高!)   

草野球の転換期

★僕は、草野球の試合では、主にセンターを守ることが多いのですが、たまに仲間から「守備位置が深いのでは?」とクレームが来ることが有ります。時折り、捕れそうな浅いフライに追いつけず、前に落としてしまう光景なんかを見ると、そう思うのかも知れません。(個人的には内野のあきらめが早すぎると想ってますが・・) まあ確かに、昔より足も遅くなって、追いつけない当たりも増えて来たとは思いますが、ただ、この「センターの守備位置」と言うのは、約20年間、およそ350試合に渡る(守備機会数までは分からないが)、僕の草野球経験から割り出した「絶妙な?守備位置」なのであって、簡単に「ちょっと深いんじゃない?」と言われても、なかなか動かしがたいものなんです。 これまでの経験から言うと、実は、草野球の外野の守備位置には「三度の転換期」が有りました。一つは「ビヨンドマックスの登場」。もう一つは「新軟球登場」。そして「イチローのメジャー移籍」です。 まず「ビヨンドマックス」などの登場で、打球の質が変わったこと。ただ、ビヨンドの売りである「飛距離の伸び」の印象は少なくて、それより打球が、フックやスライスなど変化を起こしやすくなったことの方が、捕りにくくてショックでした。ウレタンなど、バット面の摩擦増大によって、ボールのスピンが強烈になったのが原因だと思われます。 次に「新軟球の登場」。これによって、打球の放物線の形が変わりました。「旧軟球」では、打球が放物線の頂点に達したあと、空気抵抗のため急激に勢いを失い、そのまま尻すぼみで下に落ちて来ていました。ところが「新軟球」では空気抵抗が少ない分、きれいな放物線を描くようになり、飛距離が伸びました。なので旧軟球のイメージのままで追って行くと、5m~10m頭を超されてしまうのです。 ですが、人間の感覚と言うのは不思議なもので、いつの間にか慣れてしまうものなんですね。直後はあまりの変化に、「もうオレは外野は守れない」なんて弱気になったりしたのですが、今ではごく普通に捕球しており、「なんであんなに戸惑ったんだったんだろう」なんて、不思議に思い出したりするのです。 前者の二つは道具による物理的な変化でしたが、「イチロー選手のメジャー移籍」は、草野球のセオリーそのものを変えました。それまでの草野球のバッターは「引っ張る」...