スキップしてメイン コンテンツに移動

二年前の事件の話し

★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。

これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。


「じつは・・、
殺しが有りましてねえ」
その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。

それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・

「弟さん、いますか?」
そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。
「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」

僕は、嫌なことを想像していた。弟?人殺し・・?
だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。

解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、
「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。
「お兄さん、何か聞いてませんか?」
「あ、いえ、何も・・」
戸惑いながらも、少しほっとしていた。

僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。

僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。

弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。
「お兄さんもいてください」刑事は言った。
彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。

しかし、言われるまでもなく、同席しなければならなかった。僕の弟は耳が不自由なのだ。だから。意志の疎通を測るには、唇の動きを読んだり手話を使ったりと、コツがいる。

やがて、お茶など出す間もなく聴取が始められたが、弟は既に新聞などでその事件のことを知っていた。

その事件はこうだった。弟は日産の寮に入っている頃、「村下」と言う男と親しくなった。彼は臨時従業員、つまりアルバイトで雇われ、弟と同じ部署に配属されたと言う。

ある時、村下は弟を呼び出し、寮の二階の自分の部屋から、大きな青いポリ容器を運び出し、一階の弟の部屋などが並ぶ、庭に面したテラスに置くのを手伝って欲しいと頼んだ。ポリ容器はフタをして、荒縄で十字に縛ってあり、フタの隙間からは黒いビニールがはみ出していたと言う。

友人の頼みでも有り、数週間後には「年齢制限」で部屋を出ることになっていた気安さも手伝って、弟はそれを快く引き受けた。しかしそのポリ容器を持ち上げようとした瞬間、余りの重さに驚き、また容器から漂う異臭にも不審を抱いた。

そこで、『これはいったい何だ?』と尋ねると、
「田舎から漬物を大量に送って来たんだ。匂うから外に置きたいんだ」
村下はそう言っていたと言う。

バブル景気の世の中で車は飛ぶように売れ、寝る暇もない忙しさの中で、弟はすっかり忘れていたらしい。ポリ容器はテラスに置き去りにされたまま、やがて寮を出ることになる。村下がその後どうしていたのか、ポリ容器がどうなったのかは解らない。

刑事はそれがどのくらいの重さで、どんな匂いで、どのような順路で降りて行ったのかを執拗に尋ね、持って来た用紙に、楷書のきれいな文字で丹念に書き込んで行った。

弟が答えるそのつど、刑事は僕の顔を探った。そしてちょっとした矛盾点を見つけては、「おかしいなあ!、そんなはずはないぞ!」と、突然声を荒げる。その声の調子は、単なる事情聴取の範疇を越えているかのように思われた。

初めの内は協力しようと熱心に答えていた弟も、同じことを何度も繰り返し尋ねられるしつこさに、次第に表情が曇り始めた。そして刑事がトイレに立った時、
『何時まで続くのか?。仕事があるんだ』
と言う意味のことを僕に訴えかけて来た。僕は、解らないと答えて、それからもう少し我慢しろと伝えた。
時計を見ると、始まってからすでに四時間が過ぎようとていた。

僕は、トイレに行くふりをして、廊下の向こうで聞き耳を立てている刑事に気づいていた。その姿に、弟は「共犯者」として疑われているのだと思った。

刑事はトイレの水を流して帰ってきてから、また尋問を始めた。質問と答えがそのつど僕を介して行われると言う手間に、弟は苛立っていた。僕は弟の苛立ちを気にしながら、自分自身の苛立ちをも抑えなければならなかった。

それにしても、刑事と言う人間の忍耐強さには感心した。彼の書き込む字は、最初から最後まで、まったく乱れることは無かったのである。

長い時間が経ち、6時間をちょっと過ぎてから、それはようやく終りを告げた。帰りぎわ、刑事に、
「あの、どんな事件なんですか。僕は何んにも知らないんですけど」と尋ねると、
「詳しいことは、また後ほど。お兄さんにもまたお世話になるかも知れませんので・・」
と言い残し、そのまま去って行った。

刑事が帰った後、家にあった古新聞を引っ張り出し、事件のことを調べた。その記事によれば、村下は日産に勤める以前にも、自分の叔母を始め三人の人間を殺害していたようだ。そして四人目の殺人が、今回の事件であった。犯行は寮の部屋の中で行われていたのだと言う。

僕は愕然とした。つまり、恐らく弟が運ばされたポリ容器の中には、その同僚の死体が入っていたのにほぼ間違い無い。何も知らない弟は、その重さに耐えながら、一段ずつ降ろしては休み、殺された人間の体を運んでいたのだ。そして、1カ月近くも、テラスに置かれた死体のすぐ側で寝起きしていたことになる。

さらに驚くべきことに弟は、村下に借金を迫られ、それを断っていた。つまり、一つ間違っていれば、殺されていたのは弟の方だったのかも知れないのだ。何故なら、四つの犯行の動機全てが『借金を断られたため』だったからである。・・
僕の心の中で言いようのない戦慄と安堵とが、同時に沸き上がっていた。

刑事は、その後幾度か日産を訪れたらしいが、僕とはついに再び会うことは無かった。そして、事件のうわさも、記憶も、次第に薄れて行ったのである。


あの事件が起きてから約2年が経ち、僕も弟もそのことはもうすっかり忘れていた。1992年12月6日、僕達は成田第二空港ターミナルに来ていた。弟が結婚し、オーストラリア旅行へ行くため、見送りに来たのである。

第二空港ターミナルはちょうどこの日開港したばかりで、ごった返していた。朝には荷物用のベルトコンベアが故障し大変だったらしいが、今は大分落ち着いている。港内のあちこちにテレビ局の取材陣が来ていて、旅行者へのインタビューが繰り返されていた。

結婚相手の彼女は手話サークルで知り合った6歳年下の娘であった。弟は辛うじて低い音なら聞きとることが出来るが、彼女は全く聞こえなかった。会話は全部、手話と読唇で行われる。

この娘は、驚くほど明るくて笑い上戸だった。僕がパントマイムで冗談を表現すると、コロコロとほんとによく笑った。心が洗われると言う言い方があるが、彼女の明るさは正しくそれだった。

ところがこの明るさは、僕が知っている他の聴覚障害者にも言えることだった。彼らは総じて何か不思議なくらい明るい。これは聴覚障害以外の障害者にはあまり無いものなのだ。僕が育った家のすぐ隣に、身体障害者の施設が有って、幼い頃からその人々の様子を見て来たから、僕には聴覚障害者と性格の違いがはっきりと解っている。

少し頑固だが、明るく、物おじせず度胸が有る。弟の行く末を案じていた僕には、「あの性格が救いだ」程度に想っていたのだが、あの事件が起きてからと言うもの、ある種の確信をもってその理由が解り始めたのである。

彼らがこんなに明るいのは、生まれて死ぬまで何も聞こえない代わりに、『人を傷つける言葉』をも聞かずにすむからなのでは、と言うことなのである。

言葉はそれ自体、発する本人の想像以上に強いエネルギーを持ち、使い方一つで、勇気づけることも、どん底に陥れることも可能だ。そのため、幼い頃から言葉による攻撃を受けて来た人間は、心が歪んで『村下』のようになり、逆の場合には弟達のようになる。

だからこそあの時、村下には弟を殺せなかった。たとえ金を断られても、弟から見下されたり傷つけられるような言葉を聞くことは、決して有り得なかったのである。

つまり四っつの殺人の動機、それは、借金を断られたことそのものより、その際に浴びせられた『人の心を傷つける言葉』だったのではないだろうか。それが彼の心の奥の悪魔を呼び起こしたのに違いない。

確かに、想えば、僕達はどれほど多くの言葉で、人の心を傷つけて来たことだろう。三人で新しい空港ロビーを見学しながら、僕は勝手にそんなことを考えていた。

彼女が、喫茶室の前で、ケーキを食べる格好をした。弟はその仕草をビデオに撮りながら、店の中に入るようにと合図する。その間ずっと、僕はただの荷物運びにすぎなかった。出遅れて店の前に一人取り残されていた。そしてふと、もはや僕と弟とは全く別個の人間なのだと、その時改めて思い知らされたのである。

小さい頃から、弟をずっと守り続けていたつもりだったが、その反面どこかで自分の所有物のようにも想っていた。キャッチ・ボールに引っ張り出して、野球を仕込もうとしたことも有った。弟も、ろう学校では野球部に入るなど一時は僕よりも熱中していたが、いつの間にか、彼の興味は野球から海へと移って行った。

サーフィンから始まり、スキューバ・ダイビングへ、大胆にも海外の海にまで潜りに行くようになり、知り合ってからは、彼女も影響を受け、習い始めるようになったと言う。今度の旅行も、有りがちな夢ではあるが、『グレートバリアリーフ』が見たい、と言う二人の希望で、彼の地が選ばれたと言う話し。

波の音も、風の音も聞こえない海を眺めながら、二人はずっと傷つけ合う言葉をも聞くことは無いのだろう。

弟はすでに僕から随分と遠くへ行ってしまった。今では、年に1、2回顔を会わせるだけである。野球にも全く興味を失ってしまったようだ。

でも、僕はまたいつか、二人でキャッチ・ボールをしたいと想っている。たとえば、もう少し歳を取ってから、ちゃんとしたグラウンドや公園ではなく、あの家の前の舗装道路で。そして、・・出来ることなら夕暮れに。
 
 

この話しには驚きの続きがあります・・

コメント

このブログの人気の投稿

クローン人間

★クローン人間のことが話題になると、その是非とは別に気になることがあります。キャプテン高橋は少年のころ友人たちと心霊研究をしていたことがあるのですが、そのときの知識に照らし合わせてみると、クローン人間とはどんなモノになるのか、とても興味があるのです。 まず普通の人々はクローン人間を、「肉体の DNA 的複製」とだけ考えがちですが、心霊的に見ればそれだけでは不完全で、その肉体に宿っている霊魂の方が人間の本体なのですから、霊魂まで複製しなければ完全なクローンとは言えないと言うことになります。 では、霊魂と言うのは、複製できるものなのでしょうか?  「複製」と言う概念からは外れるかも知れませんが、霊魂が分裂することはあります。たとえば一番分かりやすいのは「一卵性双生児」です。これはご存知のように、受精した一つの卵子が子宮内で二つに分かれ、二人の人間として生まれてくることですが、この時、同時に霊魂も二つに分かれます。 つまり本来一人の霊魂だったものが、二つの肉体に宿って生まれて来ると言うことになるわけで、我々が考える「クローン人間」に一番近い形と言うことになるかと思います。 逆に、複数の霊魂が合体することもあるようです。と言うより、ほとんどの人が、複数の霊魂が集まって一人の人間として生まれ変わって来ている、のだそうです。だから、一人の人間の中に、一言では表現しきれないようなたくさんの性格、性癖、本人にも分からない奥底の感情など、複雑な意識がうごめいているわけです。 ところが、その複数の人格が完全に統合されていない幼児期に、あまりにひどい虐待を受けたりすると、そのショックで統合に失敗し、人格がバラバラになったままになる「多重人格症」と言う精神病になってしまうわけです。 これは性格が入れ替わってしまうだけでなく、名前や生まれ育った場所、経験したことまで言い分けると言う特徴があります。心理学的には「創作された人格」だと言われていますが、海外では、副人格の言ったとおりの場所にその人の墓があった、なんて症例まで確認されているようです。 まあ、そんな病的ではないにしても、自分の中に、人には言えないような凶暴な性格が潜んでいて人知れず悩んでいたり、酒を飲むと突然人が変わってしまったり、それを翌朝には完全に忘れていたりなど、本来の自分ではない...

掘り出し物

★電池を買いに、すぐ近所のホームセンター「ケーヨー D2 」へ行ったら、写真のような「単眼鏡(小型の望遠鏡)」を 1000 円均一で売ってました。 前々から自転車やインラインスケート用に欲しいと思っていたので、安物だけどいいや、と思って買って帰りました。 ところが家に戻って覗いて見ると、これが非常にクリアで大きく見えるんですよ。おもちゃみたいな物だから、色がにじんだりボヤけたりするだろうと思い込んでいたので、驚きました。 そこで良くメーカーを見てみたら、「 Kenko 」って印刷してあるじゃないですか。なるほどこれは、カメラのレンズやフィルターなどで名の知れた「 Kenko 」の商品だったんですね。良く見えて当たり前です。失礼しました。・・と、言うことで、ちょっと嬉しくなってしまったので、書き込みました。 何に使うのかと言えば、自転車やスケートで長距離を走行中、初めての場所などで道が分からなくなる時があるんです。その時、道路表示の看板を見ればいいわけなのですが、それが何百メートルも先にあって、やっとたどり着いて確認したら反対方向で、また何百メートルも逆戻りしなければならない、なんてことがあるんですね。そう言う時に威力を発揮するのです。つまり、わざわざ表示板の下まで行かずに、遠くから覗いて読み取り、道を確認できるわけです。 ただ、携帯に便利な小型の物で、しかも性能がいい奴って言うと、けっこう高いんですよ。安くても¥ 5000 くらいはしますね。それが¥ 1000 で手に入ったと言うのはとてもラッキーでした。これでまた、初夏のブレード長距離走行に向けて張り合いが出て来ました。何とか行ってきたいものです。   

「まゆゆ」引退・・

 ★「今ごろかよ!」って言われそうですが、元AKBの神セブンと呼ばれた一人、渡辺麻友さんが芸能界を引退しました。 昨年(2020)のことです。しかし、芸能界では大物タレントのコロナ死や自殺など、衝撃的なニュースが相次ぎ、ファン以外ではそれほど?話題にならなかったような気がします。しかし僕にとってはちょっと興味深い存在だったので、少し書いておこうかと思いました。 単刀直入に言うと、「音楽の価値観を一変させられた?」とでも言いましょうか、彼女が歌った一曲に、これまで培って来た音楽の感性を一撃で破壊されてしまった、そんな存在だったのです。(大袈裟か・・) かく言う僕は、もともと若い頃はアイドルと言うモノには興味がありませんでした。自分で言うのもナンですが、変わり者だったし、多少歌にも自信があったので、当時のヘタウマアイドル歌手はどうでもいい、と言うのが本音でした。 世間では「歌のうまいアイドル」として評判だった「松田聖子さん」でさえ、僕が聴いた限りでは微妙に音を外していて、それが気になってダメだったのです。 周囲の人たちは、その「説」を信じませんでしたが、彼女がアメリカ進出を試みた時、向こうのプロデューサーから「音程が外れている。このままだとアメリカでは通用しない」と、長期間のレッスンを受ける予定との芸能ニュースを見た時、ひとり「ほらね!」と思ったものでした。(ただし、帰国後は素晴らしい歌手に変貌していましたよ、念のため) では、そんなだった僕を、還暦近くなって、一変させてしまった一曲とは何かと言うと、「まゆゆ」が歌う、その名も「麻友のために」でした。 どうですか?。声質は典型的な舌足らずの「アイドル系ガールボイス」で、一見ヘタそうに聴こえるのですが、注意して聴くと、しっかり音を外さずに歌い切ってることが分かるのです。しかもサビの部分、低音からいきなり高音に飛ぶ高低差の激しい曲にもかかわらず、後半になってもしっかり音程を保ち続けている・・  かつてのアイドル嫌いの僕は、「AKB48」と言うのは、とりあえず可愛い女の子をたくさん集めて、一度に大勢で歌わせれば歌のマズさはごまかせるってやり方だ、と思っていました。なので、これを聴いた時、「あれっ?」と思ったんです。 「ちょっとこれ、ホントは、歌の上手い女の子なんじゃないの?」と興味が湧いたんです。音程があまりにフラット...

草野球のグラウンド入れ替え、5分前理論の謎?

★もう、ずいぶん前のことなんですが、ある草野球サイトのフォーラムで、グラウンドの撤収時間についての書き込みが有りました。 「終了時間5分前になっても、なかなかグラウンドから出ないチームがある。トンボ整備や荷物出しも含め、5分前には完全撤収するのが球場使用のマナーである」 ・・・と、言うのです。 で、前のチームが5分前に撤収した後はどうするのかと言うと、この5分間は、次のチームの入れ替え時間に当てられると言うわけです。 たとえば「11:00 - 13:00」の2時間を確保しているなら、10:55から入場して荷物の搬入を済ませれば、11:00ちょうどからウォームアップを始められます。その分グラウンドを有効に使える、と言うのが彼らの言い分です。 なるほど、この人のチームは、しっかりしたマナーの良いチームで、対戦しても気持ちよくゲームが出来るはずだと想います。もちろん「5分前撤収」を言い出すからには、必ずや、自分たちも「5分前撤収」を厳守していることでしょう。 ところがです。残念ながらこの考え方を推し進めると、どうしても奇妙な?現象が起こってしまうのです。それを説明するために、簡単な図を描いてみました。次の図が、いわゆる「5分前理論」をグラフにしてみたものです。 どうでしょう?。草野球をやる人なら分かると想いますが、通常、グラウンドは2時間単位で各チームに貸し与えられます。この割り当てに対し、例の「前のチームは5分前に撤収、次のチームは5分前に入場可」理論を当てはめ、そのつど繰り返していると、けっきょくは 「全体的に5分前倒しにしただけ」 になってしまうのです。彼らが言うような、時間を有効利用したことにはならないのです。 せっかく管理者が「使用時間11:00 - 13:00」と線引きしてくれてるのに、そのルールを、利用者がわざわざ「10:55 - 12:55」と複雑に解釈する必要があるでしょうか?。どう見ても、利点の無いムダなことのように想えます。それどころか、フォーラムの書き込みのように、解釈の違うチームとの確執が起こってしまうケースも有るようです。 ならば、余計なことは考えず、与えられた時間通りに使用したらどうでしょうか。「11:00 - 13:00」なら、その2時間内ですべてを処理すればいいので...

楽しいこと

★友人知人などに、「毎週のように草野球をやってる」と言うと、驚く人が多いですよね。さらに、そのために毎日柔軟と軽いトレーニングをしている言うと、「何も遊びのためにそこまでしなくても・・」と呆れられます。 でもですね、呆れているその友人たちが、失礼だけど、もうヨボヨボになりかけてるんですよ。その姿を見ていると、やっぱりやっていて良かったと思ってしまいますね。もちろん「健康のために・・」と思ったことは一度も無くて、楽しいことを相手よりもっと多く楽しみたい、と言う欲求からだけだったんですが、結果として同年代の友人たちより「動ける体」になっている自分がとても小気味よいです。 まあ出来るだけ、自転車球場入りと、インラインスケートでの長距離走行は続けたいもんです。もちろん「健康のために」ではなくて、ただ面白いこと、楽しいことを長く続けたいためにですけどね。   

敗けると大変だ

★平日のワイドショーを見てない人は、ちょっとピンと来ないかも知れないですが、星野批判がスゴいですよ。もちろんオリンピック惨敗のことです。 まあ、僕もその一人だったので、何とも言い難いですが・・ でも「後からそんなことを言うな!」と言われそうで、けっこう遠慮がちに書いたつもりだったんです。ですが、世の中はもっとあからさまでした。 特にプロ野球関係者の批判はすごいですね。野村監督なんか「データをまったく生かしてない」なんて好き勝手言ってるけど、もともとは「オリンピックに調子のいい選手を持ってかれちゃ、かなわん」みたいなことを言ってたんだし、それは無いですよ。 落合監督は「岩瀬は使い方を間違えなければ、ちゃんと抑えるんだ」って言ってました。・・うーむ。でも、この論理おかしくないですかね。 あれほどダメだったオリンピック組が、ペナントレースに復帰してからほぼ全員が活躍してます。阿部捕手は大ホームラン?、GG佐藤くんはレーザービーム?、村田選手もタイムリー?。これって、ようするに日本のプロ野球のレベルが低いってことなんじゃないですか? 我々草野球でもそうですよ。相手が弱ければバカバカ打つし、強ければぜんぜん打てなくて大敗します。そう言うもんです。つまり、オリンピックで打てなくて国内でガンガン打つってことは、オリンピックの他国のレベルが高かったって理屈になりますよね。 だから、ドラゴンズに戻った岩瀬くんが抑えたのは「使い方が正しかったから」ではなく、「日本の打者のレベルが低いから」って論理にもなると思いますよ。 あっ、すみません。オレ、落◯監督って大嫌いなので、ついつい余計なこと書いちゃいました。   

河童のクゥと夏休み

★夏休みなので何かテレビで面白いものは無いかな、と思い、ちょうど放送されていたアニメ、「河童のクゥと夏休み」を録画しておきました。 で、何気なく観ていたのですが、物語が進んでいくうちに、背景画がやけに見たことあるような風景ばかりだなあ、と気になり始めました。 そこでもしや?と思って調べてみたら、やっぱりでした。主人公の少年が住んでいる町は私が住んでいる「東久留米市」で舞台で 、河童を見つけた川は「黒目川」と言う設定でした。 ◎ 河童のクゥと夏休み そうと分かったら妙に親近感が湧いて来まして、ついつい見入ってしまいました。「ああ、この背景はあそこだ」と、すぐに分かるくらい実際の風景を克明にスケッチしていたのには驚きでした。東久留米はメボしい観光資源も無く、ドラマやアニメの舞台になるとは思ってもいなかったので驚きましたね。 で、なぜ東久留米なのだろう?と調べてみたら、原作者の「小暮正夫氏」が東久留米在住だったからなのだそうです。さらに 監督自身も、上京して初めて住んだ町が、「ひばりケ丘(東久留米周辺)」だったことから、 そこを舞台にアニメ化しよう、と考えた大きな理由だったみたいです。 まあ黒目川にも、昔から農家の人が川にキュウリを供え、水難に会わないよう祈る習わしがあったそうで、まったくの場違いでは無いと言うことのようですが・・ よく知らないなあ、と言う人はGoogleマップなどで「東久留米市小山」と検索してみてください。 河童が見つかる「黒目川」が見つかるはずです。北側に「小山小学校」が有りますが、これが少年が通っていた設定の学校なのでしょう。それと、南側に「久留米中学」と言うのが有りますが、これは私が通っていた中学なんです。校舎の裏はすぐに川になっていました。 この川を挟んだ、向こう岸の岡の上には「故手塚治虫氏」の自宅がありまして、初めてそのことを知った時には思わず身震したものです。当時漫画家を目指していた私にとって、「これは運命に違いない」などと、勝手に感動してしまったのです。 が、じつはこの東久留米は、漫画家がたくさん住んでいる(いた?)町で、まあ、たまたまだったと言うことですな。手塚氏以外にも、「ジロがゆく」の「真崎守氏」や、「キックの鬼」の「中条けんたろう氏」、そして私の家のすぐ近所にはギャグ漫...

常識は変わる、とうにお盆を過ぎて・・

★僕が子供のころ、「大人は(特に男は)みなタバコを吸うものだ」と思っていました。でも今は違います。当たり前のように吸われていたタバコも、どんどん禁煙する人が増えて、新幹線が全面禁煙になるのも時間の問題だと言われているのです。 こんな風にして、今まで常識だと思い込んでいたことが常識でなくなり、新しい価値観がどんどん生まれて来るものなんです。 前にも何度か書きましたが、中学生のころ仲間と遊び半分で心霊研究をやってました。そのころの「心霊」と言えば、いわゆる「怪談」で、もちろん僕らも単純に、「怖いもの見たさ」で始めたのです。 ところが様々な心霊関係の書物を集めて読破して行くと、どうもそれだけでは無いと言うことが次第に分かって来ました。 特に古い時代の日本と海外の文献を比較してみて、興味深いことが分かって来ました。ほとんど国交が無く、情報の行き来が無い時代の書物にもかかわらず、日本と海外の心霊の説明が、細かいところまで非常に似通っていることが判明したのです。つまり勝手に作り出した話では有り得ない共通点が、世界中で見つかったことになるのです。 それら書物から得た知識として、「守護霊」とか「自縛霊」とか、「オーラ」とか「ドッペルゲンガー」「ポルターガイスト」などとか言った、いわゆる心霊用語があります。今から約40年前、こんな言葉を知っている人はまずいませんでした。・・って言うより、奇人変人扱いされかねない、そんな時代だったように思います。つまりそれがその頃の「常識」だったんです。 ところが今では、特殊だった心霊用語もちゃんと通じるようになってます。特に「オーラ」なんてごく普通に使われてるし、これは、あの頃からすれば想像もつかないことなんです。だから思うのです。 心霊に関してもどんどん時代は動いている、「常識」はやがて変わるのだと・・ そして今、その象徴的な存在となっているのが「江原啓之」と言う人物ではないでしょうか。数年前からテレビに登場するようになり、昨今は「オーラの泉」や「天国からの手紙」と言う番組で人気を得るようになっています。 初めてこれらの番組を見たときはホントにビックリしました。驚くと言うより「こんな番組やっていいのか?」と言う心配の方が先に立ちました。「この人、あちこちからバッシング受けて、いつか世の中に潰されるぞ!」、他人事ながらそん...

カレー専門店「ボルツ」との出会いと別れ

★このごろ、草野球仲間とゲーム後にカレーを食べる機会が増えたのですが、色んな店に入るたび、ずいぶん美味しいカレー屋さんが増えたなあ、と思ってしまいます。 特にインド人やネパール人が調理する、「ナン」を浸して食べる本場のカレーは、かつては、都心まで出なければ有りつけませんでしたが、今では、郊外の商店街でも見かけるようになり、「こんなところでも食べられるようになったのかあ」と、感慨ひとしおです。 思い返してみれば、その昔、もう30年以上前になりますか?、当時、カレー好きなら誰もが知っていた、「ボルツ」と言う、東京で一世を風靡したカレー専門のチェーン店が有りました。ある時期、親会社が撤退したことから店舗数が激減、現在では、味を継承した店がわずかに残っているだけのようですが・・ ネット調べでは、どうやら発祥の地は渋谷だったそうで、1970年代に設立され、1980〜90年には全盛期を迎え、都心の色んな街にチェーン店が出店されたそうです。かつて流行した「辛さ◯倍カレー」の元祖のお店でもあります。 それまで有名カレーと言えば「新宿中村屋」のカレーだったでしょうか。今ではすっかりご無沙汰ですが、印象としては「すごく美味しい西欧風カレー」だった気がします。ホームページには「純インド風カレー」と記されてますが、あの時の味のままならば、スパイシーではあるが、やはり本場インド風とは違うと思います。 今や国民食とも言える「カレーライス」ですが、元々は英国から伝わったものだそうです。インドが英国の植民地だったころ、インド料理に魅了されたイギリス人が、母国でも簡単に作れるようにと、インド産の香辛料をブレンドして粉状にし、缶詰にしたのが始まりだそうです。 それが「カレー粉」として日本に伝わり、さらに小麦粉と油を混ぜて固め、「カレー・ルー」として売り出したことで爆発的に広まったらしいのです。つまり、日本人が大好きな「カレーライス」とは、イギリスを経由してきた「西欧風」であって、「インド風」では無いと言うことになります。 と言うことで、「新宿中村屋のカレー」はとても美味しいけれど、やはり西欧風の極上美味しいヤツって感じで、「インド風」とはどこか違う。「いつか本物のインドカレーを食べてみたい」と願っていた僕には、だんだんと飽き足らない味になって行ったのです。そうして、色んなカレー屋さんを食べ歩くようにな...

加藤・高橋 二人展終了

★急に暑くなって画廊に通うのも大変でしたが、何とか終了しました。 もう一人の作家、加藤氏の作品とはまったくタイプが違い、最初はどうなるかと思ったのですが、まあ、何とかなったようです。今回は全部で9点。CGペイントになってからは最も数の多い展示となりました。 一番大きい物で 960mm×960mm と、サイズだけは油彩なみに近づけたような気がします。またCGペイントを知らない人々からは質問攻めにあい、分かりやすく説明するのは大変でしたが、それなりのカルチャーショックを与えることは出来たようです。こちらとしても、大きなCG作品、多数の作品を展示する時のノウハウなどを得ることができ、その点でも収穫でした。 まあ一般には、展覧会と言うと「趣味で描いた絵が溜まったので展示をした」程度に思われ、「一枚でこんな値段するの?」などとビックリされることも多いのですが、我々にとっては、仕事そのもの。大げさに言えば「命を削って生み出すもの」とでも言えばいいでしょうか、それくらい必死の作品群でもあるわけなんです(少々オーバーか?)。 それと、CGと言うと、キーボード操作で一瞬の内に完成してしまうと誤解している人もいて(友人なんですが‥)、その人に詳しく説明して改めて驚愕されたなんてケースも有りました。ちなみに私の場合、1点の作品を完成させるまでにおよそ1ヶ月はかかります。これを単純に日当1万円で計算すると、30万円以上で売れなければ採算が合わないことになります。そんなことでも理解してもらえればと思います。 それから、現在のCGペイントに到達したのがここ数年のことで、つまり40歳半ばを過ぎてから、ようやく自分の思う表現方法に近づけたとも言えるのです。同じ頃、今回二人展をした加藤氏と再会し、作品発表の扉を開かせてもらいました。それまでは、20代の学生の頃から含めて約30年間、「何をどう表現したいのか分からない」、七転八倒の孤独と苦悩の日々でした(自分で言うのはオコガマシイが)。 てなわけで、あとどのくらい描けるのかは分かりませんが(次の発表も未定ですが)、命を削って?描いた作品群の行く末を、これからもみなさんに見届けてもらえればと思います。 ★中学時代に一緒に絵を描いていた知り合いより、二人展の感想が寄せられました。コメント欄で...