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二年前の事件の話し

★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。

これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。


「じつは・・、
殺しが有りましてねえ」
その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。

それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・

「弟さん、いますか?」
そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。
「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」

僕は、嫌なことを想像していた。弟?人殺し・・?
だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。

解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、
「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。
「お兄さん、何か聞いてませんか?」
「あ、いえ、何も・・」
戸惑いながらも、少しほっとしていた。

僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。

僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。

弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。
「お兄さんもいてください」刑事は言った。
彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。

しかし、言われるまでもなく、同席しなければならなかった。僕の弟は耳が不自由なのだ。だから。意志の疎通を測るには、唇の動きを読んだり手話を使ったりと、コツがいる。

やがて、お茶など出す間もなく聴取が始められたが、弟は既に新聞などでその事件のことを知っていた。

その事件はこうだった。弟は日産の寮に入っている頃、「村下」と言う男と親しくなった。彼は臨時従業員、つまりアルバイトで雇われ、弟と同じ部署に配属されたと言う。

ある時、村下は弟を呼び出し、寮の二階の自分の部屋から、大きな青いポリ容器を運び出し、一階の弟の部屋などが並ぶ、庭に面したテラスに置くのを手伝って欲しいと頼んだ。ポリ容器はフタをして、荒縄で十字に縛ってあり、フタの隙間からは黒いビニールがはみ出していたと言う。

友人の頼みでも有り、数週間後には「年齢制限」で部屋を出ることになっていた気安さも手伝って、弟はそれを快く引き受けた。しかしそのポリ容器を持ち上げようとした瞬間、余りの重さに驚き、また容器から漂う異臭にも不審を抱いた。

そこで、『これはいったい何だ?』と尋ねると、
「田舎から漬物を大量に送って来たんだ。匂うから外に置きたいんだ」
村下はそう言っていたと言う。

バブル景気の世の中で車は飛ぶように売れ、寝る暇もない忙しさの中で、弟はすっかり忘れていたらしい。ポリ容器はテラスに置き去りにされたまま、やがて寮を出ることになる。村下がその後どうしていたのか、ポリ容器がどうなったのかは解らない。

刑事はそれがどのくらいの重さで、どんな匂いで、どのような順路で降りて行ったのかを執拗に尋ね、持って来た用紙に、楷書のきれいな文字で丹念に書き込んで行った。

弟が答えるそのつど、刑事は僕の顔を探った。そしてちょっとした矛盾点を見つけては、「おかしいなあ!、そんなはずはないぞ!」と、突然声を荒げる。その声の調子は、単なる事情聴取の範疇を越えているかのように思われた。

初めの内は協力しようと熱心に答えていた弟も、同じことを何度も繰り返し尋ねられるしつこさに、次第に表情が曇り始めた。そして刑事がトイレに立った時、
『何時まで続くのか?。仕事があるんだ』
と言う意味のことを僕に訴えかけて来た。僕は、解らないと答えて、それからもう少し我慢しろと伝えた。
時計を見ると、始まってからすでに四時間が過ぎようとていた。

僕は、トイレに行くふりをして、廊下の向こうで聞き耳を立てている刑事に気づいていた。その姿に、弟は「共犯者」として疑われているのだと思った。

刑事はトイレの水を流して帰ってきてから、また尋問を始めた。質問と答えがそのつど僕を介して行われると言う手間に、弟は苛立っていた。僕は弟の苛立ちを気にしながら、自分自身の苛立ちをも抑えなければならなかった。

それにしても、刑事と言う人間の忍耐強さには感心した。彼の書き込む字は、最初から最後まで、まったく乱れることは無かったのである。

長い時間が経ち、6時間をちょっと過ぎてから、それはようやく終りを告げた。帰りぎわ、刑事に、
「あの、どんな事件なんですか。僕は何んにも知らないんですけど」と尋ねると、
「詳しいことは、また後ほど。お兄さんにもまたお世話になるかも知れませんので・・」
と言い残し、そのまま去って行った。

刑事が帰った後、家にあった古新聞を引っ張り出し、事件のことを調べた。その記事によれば、村下は日産に勤める以前にも、自分の叔母を始め三人の人間を殺害していたようだ。そして四人目の殺人が、今回の事件であった。犯行は寮の部屋の中で行われていたのだと言う。

僕は愕然とした。つまり、恐らく弟が運ばされたポリ容器の中には、その同僚の死体が入っていたのにほぼ間違い無い。何も知らない弟は、その重さに耐えながら、一段ずつ降ろしては休み、殺された人間の体を運んでいたのだ。そして、1カ月近くも、テラスに置かれた死体のすぐ側で寝起きしていたことになる。

さらに驚くべきことに弟は、村下に借金を迫られ、それを断っていた。つまり、一つ間違っていれば、殺されていたのは弟の方だったのかも知れないのだ。何故なら、四つの犯行の動機全てが『借金を断られたため』だったからである。・・
僕の心の中で言いようのない戦慄と安堵とが、同時に沸き上がっていた。

刑事は、その後幾度か日産を訪れたらしいが、僕とはついに再び会うことは無かった。そして、事件のうわさも、記憶も、次第に薄れて行ったのである。


あの事件が起きてから約2年が経ち、僕も弟もそのことはもうすっかり忘れていた。1992年12月6日、僕達は成田第二空港ターミナルに来ていた。弟が結婚し、オーストラリア旅行へ行くため、見送りに来たのである。

第二空港ターミナルはちょうどこの日開港したばかりで、ごった返していた。朝には荷物用のベルトコンベアが故障し大変だったらしいが、今は大分落ち着いている。港内のあちこちにテレビ局の取材陣が来ていて、旅行者へのインタビューが繰り返されていた。

結婚相手の彼女は手話サークルで知り合った6歳年下の娘であった。弟は辛うじて低い音なら聞きとることが出来るが、彼女は全く聞こえなかった。会話は全部、手話と読唇で行われる。

この娘は、驚くほど明るくて笑い上戸だった。僕がパントマイムで冗談を表現すると、コロコロとほんとによく笑った。心が洗われると言う言い方があるが、彼女の明るさは正しくそれだった。

ところがこの明るさは、僕が知っている他の聴覚障害者にも言えることだった。彼らは総じて何か不思議なくらい明るい。これは聴覚障害以外の障害者にはあまり無いものなのだ。僕が育った家のすぐ隣に、身体障害者の施設が有って、幼い頃からその人々の様子を見て来たから、僕には聴覚障害者と性格の違いがはっきりと解っている。

少し頑固だが、明るく、物おじせず度胸が有る。弟の行く末を案じていた僕には、「あの性格が救いだ」程度に想っていたのだが、あの事件が起きてからと言うもの、ある種の確信をもってその理由が解り始めたのである。

彼らがこんなに明るいのは、生まれて死ぬまで何も聞こえない代わりに、『人を傷つける言葉』をも聞かずにすむからなのでは、と言うことなのである。

言葉はそれ自体、発する本人の想像以上に強いエネルギーを持ち、使い方一つで、勇気づけることも、どん底に陥れることも可能だ。そのため、幼い頃から言葉による攻撃を受けて来た人間は、心が歪んで『村下』のようになり、逆の場合には弟達のようになる。

だからこそあの時、村下には弟を殺せなかった。たとえ金を断られても、弟から見下されたり傷つけられるような言葉を聞くことは、決して有り得なかったのである。

つまり四っつの殺人の動機、それは、借金を断られたことそのものより、その際に浴びせられた『人の心を傷つける言葉』だったのではないだろうか。それが彼の心の奥の悪魔を呼び起こしたのに違いない。

確かに、想えば、僕達はどれほど多くの言葉で、人の心を傷つけて来たことだろう。三人で新しい空港ロビーを見学しながら、僕は勝手にそんなことを考えていた。

彼女が、喫茶室の前で、ケーキを食べる格好をした。弟はその仕草をビデオに撮りながら、店の中に入るようにと合図する。その間ずっと、僕はただの荷物運びにすぎなかった。出遅れて店の前に一人取り残されていた。そしてふと、もはや僕と弟とは全く別個の人間なのだと、その時改めて思い知らされたのである。

小さい頃から、弟をずっと守り続けていたつもりだったが、その反面どこかで自分の所有物のようにも想っていた。キャッチ・ボールに引っ張り出して、野球を仕込もうとしたことも有った。弟も、ろう学校では野球部に入るなど一時は僕よりも熱中していたが、いつの間にか、彼の興味は野球から海へと移って行った。

サーフィンから始まり、スキューバ・ダイビングへ、大胆にも海外の海にまで潜りに行くようになり、知り合ってからは、彼女も影響を受け、習い始めるようになったと言う。今度の旅行も、有りがちな夢ではあるが、『グレートバリアリーフ』が見たい、と言う二人の希望で、彼の地が選ばれたと言う話し。

波の音も、風の音も聞こえない海を眺めながら、二人はずっと傷つけ合う言葉をも聞くことは無いのだろう。

弟はすでに僕から随分と遠くへ行ってしまった。今では、年に1、2回顔を会わせるだけである。野球にも全く興味を失ってしまったようだ。

でも、僕はまたいつか、二人でキャッチ・ボールをしたいと想っている。たとえば、もう少し歳を取ってから、ちゃんとしたグラウンドや公園ではなく、あの家の前の舗装道路で。そして、・・出来ることなら夕暮れに。
 
 

この話しには驚きの続きがあります・・

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