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二年前の事件の話し・異聞

*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。

★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・
(これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています)

僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・

そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・

なぜなら、唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。

ゴブリンズ・レターとは?
草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが『二年前の殺人事件の話し』だった。

それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・


昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、
「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」
と捕まった。色々説明して、最後に、
「鴨川まで行きます」と言うと、
「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」
と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。飯沼君とは何の因果か解りません
 
これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『千葉-鴨川ブレード走行記』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。
『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』

年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会社から引っ張って来たが、特に野球が好きと言う訳でもないらしい(ハンド・ボール経験者)。ゴブリンズにはその年入ったばかりで、込み入った話しをしたことは無く、友人として打ち解けたと言う印象も無かった。

それが、気がついたら二人でインライン・スケートをしていた。34歳と21歳の、ほとんど初対面の男二人が、真夏の炎天下、房総半島でローラー・スケートをしている。しかも160kmを三泊四日に渡って・・?。このおかしな光景をもう一度確認する気持ちで、その時僕はこう想ったのだ。

飯沼君とは何の因果か解りません

その彼とのおかしな因縁を知るのは、それから1年程経った今年7月こと。ゴブリンズ・レター紙上に書いた、『二年前の殺人事件の話し』をきっかけにして、奇妙な運命の糸が浮かび上がって来たのである。


1993年7月4日、日曜日、飯沼君から電話が有った。ところが、話す調子が何だかおかしい。

「あのーっ、いま休日出勤で会社からなんですけど、こないだのゴブリンズ・レターのことで、ちょっと話しておきたいことがあるんです」。彼の口調は、何んかこう、バクバクしていた。

僕はとっさに「あの話し」のことだと想った。そして一瞬、「ああ言う殺人事件の話は書くべきではない」そんなクレームの類いなのかと想い、身構えた。まだ若い彼は正義感をあらわにするタイプだったし、彼の少し興奮気味の声がそう想わせたのだ。

「あの、二年前の殺人事件の話し、なんですけど・・」
やっぱりだ。だが・・

「じつは、二年前に、僕の同級生に起こった事件と、あの話しとが、あまりにも似ているので・・」
彼は、一つ言葉を区切るたびに大きく息をする、そんな口調だった。

「あまりに良く似てるんで、驚くほうが先にたって、うまく話せないんスけど・・、その友達は・・、高校を卒業してすぐ東京の、’’自動車工場’’に就職したんですけど、そこで働いてた時にですね、殺されてしまったんですよ。そう言う事件が有ったんです」

「ええ?!」
彼は穏やかな日曜日に、いきなり、とんでもないことを話し始めている。

「でっ、その友達の死体は、’’ポリ容器’’に入れられたまま、江戸川の川っぷちで発見されて・・、犯人はやっぱり、’’叔母殺し’’でも捕まってるんですよ。しかも動機は、’’借金’’で・・」

「何んだって?」
「つまり、ゴブリンズ・レターに書いてあったことと、僕の友達の事件とが、そっくり良く似てるんです」

「・・なるほど」
「どう、想います?」

「借金、叔母、ポリ容器、自動車工場、二年前か・・、なるほど、確かにキーワード的にはよく似ているな」
「でしょう?。僕はまだその時、北海道にいたんですけど、室蘭の地元の新聞を読んで、ガクゼンとしていたわけです」

「そうか。・・でもなあ、あの話しは、オレも記憶だけで書いたから、細かい事実関係は知らないんだよな。だからはっきり断言は出来ないけど・・。それで?、その友達の名前は何んて言うの?」

「’’能代’’っていうんですよ」
「ノ、シ、ロ、?」
「ええ、能力の能に、シロは・・、なんでしたっけ」

「ああ、わかるわかる。東京じゃあまり聞かない名字だ。でもあれは・・、そう言う名前だったかなあ。記憶に無いなあ」
僕は、一度見ただけの新聞記事を想い出していた。

「実はですね、うちの母親もゴブリンズ・レター読んだみたいで、これ、能代君のことじゃないかね、って言うんですよ。後半は出来過ぎててフィクションだと想うけど、でも前半の話は能代君のことだよね、って」

フィクションとは参った。僕が語る「不思議な話し」は、ちょっと出来過ぎなので話し半分で聞こう、と言う風潮が、最近メンバー間で広まっているらしいが、申し訳ないけど、全部本当の話しを基にして書いている。

僕は生まれつき、『出来過ぎた話し』に良く出くわす体質なのだ。全てを信じて貰えないことは解っているが、ちょっとした使命感で、記憶が薄れる前に色々書き残しておこうと想っている。

そして、何を隠そう、日曜日にかかって来た飯沼君のこの電話こそ、僕の一番新しい『出来過ぎた話し』の始まりだったのである。

「とにかく、あまりに共通点があるんで、やっぱり話しておこうと想って」
彼の口調はようやく落ち着いて来たようだった。

「それで?、犯人の名前は、村下なのか?」
「それは、覚えてないですね」

「うーん、今の段階では何とも言えないが、ひょっとすると同じ事件かも知れないなあ。だとしたらもの凄い確率だけどね・・」
「はい」

「しかも、もしそうだとしたら、キミとオレとが、二年後に東京で出会うってのも凄いし、いきなりスケート旅行をしたって話しも、凄い偶然ってことになるよなあ・・。まあ、まだ解らんけど」
「これは調べてみる必要が有りますよ。高橋さん、調べてみませんか」

その言葉を聞いて、急激に興味が沸いて来た。
「そうだな、まず出来ることは、弟が、’’能代’’って言う名前を知ってるのかどうかだ。その、能代君が勤めていた自動車工場って、日産なのかどうかは解んないのか?」
「ええ、ただ東京の、としか解らないです」

「そうか・・、待てよ、自動車工場って言うのは、ある程度経験者でないと、アルバイトでいきなり採用ってのは無いんじゃないのかな?。犯人の村下はそれなりの技術を持っていて、いろんなメーカーを転々としていたのかも知れない」
「そうですね」

「だとすれば、キミの友人の事件は、’’日産’’じゃなくて、他の自動車工場での犯行ってことも考えられるわけだ。逆に、四人も殺してるわけだから、その内の一人が日産の事件、ってことも十分考えられる」
「はい」

「だけど、東京の自動車工場と言っても、ちょっと範囲が広過ぎるよなあ」
「ええ。そうなんですよ」

「キミは犯人の名前を知らない、オレは被害者の名前を知らない。だから共通する決めてが無い・・。ただ、もしオレの弟が、’’能代’’と言う名前を知っていたら、もう、そこで決まりだけどね」
「大丈夫ですかね。嫌な記憶を想い出させることになりませんか?」
「そう言うもんかな?」

「国会図書館とか、大きな図書館には、新聞のストックが有るって言うじゃないですか。そう言う所で調べたほうがいいですよ」
「マイクロ・フィルムとか?」
「さあ? 解りませんけど」
 
 
それが7月4日のことだった。
しかしこの時はまだ、飯沼君の友人が「殺人事件に巻き込まれていた」と言う単純な事実に驚いていただけなのである。

その後、僕は事件のことを確かめようと想い、まず両親の家に電話してみることにした。しかし、親は事件の詳細は知らず、取っておいた新聞の切り抜きもつい最近捨ててしまったのだと言う。

では、弟はどうだろう?と聞くと、刑事にしつこく疑われた事が相当なトラウマとなっていて、事件のことをひどく嫌い、触れたがらないと言うことだった。残念だが、それ以上無理はしないことにして、調べは図書館頼みと言うことになった。

そうこうしている内、僕は夏風邪をひき気管支炎を患って、出歩く気分になれず、事件のことはそのままになっていた。

それから数週間が過ぎて7月28日。仕事を終え、夜遅く部屋に戻って見ると、自動受信で二枚のファクシミリが届いていた。そして同時に受信されていた留守録にはこんなメッセージが入っていた。

『もしもし、ボスですか。飯沼です。今わたしは朝日新聞本社に来て、ガイシャの身元を洗っています。ガイシャの身元がワレましたので報告しようと想いましたが、あまりに強烈でショックでしたので、実際に話したいと想います。電話待っています』

どうやら・・、「太陽にほえろ」のつもりらしかった。
 
 
幕張、NECパソコン・フェア会場・・

飯沼君は仕事で、同時開催中の『パソコン・アート・フェスティバル』に詰めていたが、ここで偶然、紀伊国屋が出展していた、新聞記事検索システム、『7yrs.HIASK』を見つけることになる。あれ以来気になっていた事件のことを、このシステムで調べられるのではないかと、彼は考えた。

『殺人・叔母・借金』
試しに、彼がこの三つのキー・ワードで二年前に起きた事件を探してみると、しばらくして七件ほどの記事の見出しが表れた。

そしてその中の二件、
910412298 夕 殺人自供、相手は同僚 市川で遺体を発見」 
910317126 朝 26歳のおいを逮捕 藤沢の主婦殺人
 
気になった彼は、さらにその中身を確かめようとしたが、デモ用システムのため、それ以上のデータを引き出すことは出来なかった。

彼は同じようなシステムが、実際に新聞社で使われているはずだと考える。そして各社に電話をかけたところ、朝日新聞社で「有料データ検索サービス」を行っていることをつきとめるのだが、飯沼君は「そう言えば・・」と、デモ機のデータが「朝日新聞社提供」だったことを想い出す。そこで数日後、彼は築地に有る朝日新聞本社を訪れることにした。

さっそく受付でデータ検索について尋ねると、それは電話によるサービス業務だから、改めて電話で申し込み直すようにと教えられた。通常は電話申し込みの後、郵送かファクシミリで届けられる物らしいのだ。

しかし彼は待ちきれず、新聞社の表玄関にあった公衆電話から連絡し、応対に出た係の女性に「どうしても今日中に欲しい」と頼んだ。そしてデモ機で探した二つの記事の見出しを告げる。

相手は、それが殺人事件関連の記事だと解ると、急に神妙な声になり、「わたしが直接お持ちしますので、ロビーのソファーでお待ちください」と言ったのだという。

10分程経って、おっとりとした感じの女性がやって来たが、20歳そこそこの普段着の若僧・飯沼君を見た瞬間、驚いた様子だったと言う。彼女は飯沼君が、法律事務所の使いだと想い込んでいたのかも知れない。

「料金は別途ですので」
と彼女は言い、プリント・アウトされた用紙を新妻君に手渡した。

そして彼は、受け取った紙に目を通すのだが、その瞬間、体が凍り付いて動けなくなってしまったのだと言う。もはや、文章全体の内容を把握する余裕は残されていなかった。

………………………………………………………………………………
**文書表示**
1/2 PAG
E=1殺人自供相手は同僚 市川で遺体を発見 藤沢の叔母殺害容疑者
910412 T 夕刊 23 1社 465字

叔母を殺したとして、横浜地検から殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹被告(26)が、別の殺人を自供したとされ、死体が発見された事件を調べている神奈川県警は12日、この遺体は東京都武蔵村山市伊奈平1丁目、日産自動車に勤務していた能代郁夫さん(当時18)との見方を強めている。身元が確認され次第、殺人などの疑いで同被告を再逮捕する方針。

調べでは、当時、村下被告は能代さんと同じ同社村山工場に勤務しており、能代さんから十数万円の借金をしていたという。

供述によると、村下被告は89年6月初旬の朝方、能代さんが借金の返済を求めてきた際、当時住んでいた同市榎1丁目の同社村山寮の自室で首を絞めて殺し、死体をポリ容器に入れて千葉県市川市内の江戸川沿いに捨てた、という。

供述に基づき、同県警が江戸川沿いを捜索したところ、10日になって市川市高谷の江戸川排水溝でポリ容器に入った死体を発見した。

能代さんについては北海道室蘭市の父親から、「退職して郷里に帰ると連絡があったまま、消息不明になった」として捜索願が出されていた。

………………………………………………………………………………
**文書表示**
1/2 PAGE=2同僚殺し容疑で再逮捕 遺体、寮に隠す 横浜の叔母殺し男性
910420 T 朝刊 31 1社 315字

神奈川県警と藤沢署の捜査本部は19日、叔母を殺したとして横浜地検から強盗殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹容疑者(26)を、元同僚を殺して金を奪ったなどとして強盗殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕した。殺した同僚の遺体をポリ容器に詰め、10カ月もの間、寮の部屋で『同居』していたという。

調べでは、村下容疑者は武蔵村山市の自動車メーカー村山工場に勤めいた89年6月9日早朝、当時、住んでいた同市榎1丁目の会社寮の自室で、同僚で同市伊奈平1丁目の別の寮に住んでいた能代郁夫さん(当時18)を絞殺し、現金百数十万円を奪ったうえ、死体をポリ容器に入れて隠し、翌年4月上旬、千葉県市川市高谷の江戸川沿いに捨てた疑い。
………………………………………………………………………………

この遺体は、日産自動車に勤務していた能代郁夫さん(当時18)との見方を強め・・』

能代郁夫さん・・』

「こりゃあ、シャレにならんぞ!」
僕はファクシミリに目を通しながら、受話器の向こうの飯沼君に言った。

「これを読んだ時、僕は、血の気が引いて行きました。名前、出身地、それに時期的にみても、僕の同級生の能代君に、まず間違い有りません」

「弟が入っていたのは日産村山寮。犯人の名前が村下。ポリ容器が江戸川で発見された言う事実は、君の言ったことと合致する。間違いない。・・これは弟が出くわした事件だ」

驚いた。いったいこれは、何という引き合わせなのだろう・・

つまり僕の弟が、知らずに運ばされたポリ容器の中に入っていたのは、こともあろうに飯沼君の同級生だったのだ。そして、その友人・飯沼君と、兄・高橋とが、時を経て出会っていたのである。

飯沼君から記事を捜し出すまでのいきさつを詳しく聞きながら、僕はこの奇遇について想いを巡らせていた。

たとえば、人の一生の中で、自分の友達が殺される確率をどのくらいだと考えたらいいのだろう。
そして、会社の同僚が殺人犯で、知らずに遺体を運ばされる確率・・
さらに、その遺体の友人と、その遺体を運んだ男の兄とが、巡り巡って、出会うために必要な確率なんて言ったら、イッタイどのくらいの数値になるのか!

「シャレに、ならん!」
「こんな風にモロに目の前に出されると、もう、ビックリするしかないですよ」

実際それは、あまりにも無表情な現実だった。本当は笑って話せるような話しではない。だが僕達は時折り、無理に笑いを交えながら話し続けるしかなかった。これ以上シリアスにしたくはなかったのだ。

「もしかすると、って言う段階ではむしろ、ワクワクしてたような気がするけど・・」
それはリアルなミステリーを読んで行くような感覚だった。
「そうなんですよ。ここまで目の当たりすると、事件そのものに対しては、なんかかえって冷静になっちゃいましたよ」

「確かに。名前が解る前は、死体は単なる物体に過ぎなかったけど、こうなると、突然、匿名性が失われて、目鼻立ちまで見えて来そうだからな」
「僕は、彼の姿を知ってますからね」
二人とも驚いてはいたのだが、それを伝える言葉に逡巡していた。

「でもですね、僕はむしろ逆に、希望のある話しとして考えようかと想ってます」
突然、飯沼君は変なことを言い始めた。

「何んだそれ?」
「えっ?、いやあ、だから・・、人生にはこんな変わったことも起きる、色んなことが有るだろう、まだまだ捨てたもんじゃないと言う意味ですよ」

おかしな表現だったが、意味は解った。
「なるほど、そう言う考え方も有るのかな」

彼の言う通りだった。新聞記事のみだと、暗く陰惨なイメージに引き込まれるが、僕達は何処かで、この事件そのものよりも、事件にまつわる、運命の不可思議さのほうに興味を持ち始めていたのだった。

当時、東京と北海道の、それぞれ別の場所で事件を知った二人が、二年間のどんないきさつを経て、東京の草野球チーム「ゴブリンズ」で出会うことになったのか。

たとえば、こんな風に考えてみる。

何処かへ出掛けようとして駅のホームに降り立つと、すでに出発のベルが鳴り、電車はドアが閉まる寸前。

君は一瞬迷って、飛び乗ってしまうか、一本遅らせるか、どちらかに決めようとする。もちろん、待ち合わせに遅れそうなら飛び乗るかも知れないし、雨なら滑って転ぶのを恐れ、一本遅らせると言う手もある。

しかしそんな時、君は知らず知らずの内に、微妙な運命の選択をも行っていると言うことに、気づいているだろうか。

例えば、君も一度くらいは、出掛けた先でばったりと知り合いに出くわした、と言う経験を持っているだろう。

もしその人が、自分がずっと想い続けた異性であったとしたら?。あるいは大きな仕事を抱え君の連絡先が解らず困っていた先輩だったとしたら、乗る乗らないの選択に因って生じた数分の差が、人生を左右する重要な時間差になりうるかも知れないのだ。

乗り物だけでは無い。朝何時に起きたか、何を食べたか、何を着ようか、何を話すか、人に対して優しかったか、意地悪だったか・・。日常の全ての選択が、そのまま、ほんの少しずつ君の運命を何処かへと運んで行く。

僕達は普段そんなことを気にもとめず、何げなく毎日を繰り返しているばかりだが、それは結構冷徹な法則となって、知らぬ間に、人生を支配する運命の糸を張り巡らすのである。

「これもゴブリンズ・レターに書くんですか?」
飯沼君が尋ねた。
「わからないな・・。ちょっと’’モロ’’だからね」
「随分弱気になってますね」
しかたが無い。話しが話しだから・・

しかし、どちらにしても、僕と飯沼君は互いに百万回の運命の選択の後、ゴブリンズで出会うことになった。ちょっと重たい「殺人事件」と言う物語りを背負いながら・・
 
もし僕が、『二年前の殺人事件の話し』を書かなかったらどうだったろう。僕達はずっと何も知らないままだったろうか。知らなければ、他のメンバーと同様、土曜日に野球をやりたいと言う動機で集まっただけの、何の変哲もない普通の友人として終わったのかも知れない。

いや、あるいは、それは全く逆で、他のメンバーも、何も話さないから気づかないだけで、実は稀に見る不思議な縁で集まっているのかも知れない。

いろいろ想いを巡らせている内に、そんな妄想めいた考えが頭の中を支配していた。ただ、どちらにしろ今のメンバー達は、ゴブリンズが無かったらおそらく一生出会うことは無かった人々、それだけは確かだった。

いつからだろう、『それを作れば、彼はやって来る』と言うキー・ワードのように、何食わぬ顔で、君達は野球をしに集まって来た。しかし君達を、あの夏の球場に引き寄せた本当の理由を知っていただろうか?。雨で中止になった時、やり場の無い熱情にかられてしまうのは一体何故なのか、解っていたのだろうか?

何処かで、何かがつながっている。僕達は多分それに気づかないだけなのだ。同じ時代、同じ国に生まれて、同じ言葉を交わすこと・・、それがどれほど数奇な運命の結果なのか、そのことに僕達は未だに気づいてはいない。

どうやら、誰かが?何かを伝えようとして、こんな不思議な『出来過ぎた話し』の一例を見せてくれたようだ。



「だけどなあ、オレ達以外の人間が、この話しを聞いたら、単純に、気味が悪いとか、怖い、としか考えられないだろうな」
「そうでしょうね。ウチの親も記事を見せようとしたら、いいよそんなのって感じで嫌がってました」
「だろうな。ものすごく不思議な話しなのに、いかんせん、爽やかさがない」
「事件が事件だけに」

「でも、これだけ出来過ぎた話しと言うのは、一生のうちでも、そんな滅多に出会えることじゃ無いわけだからね」
「まだまだ色んなことが有りますかね」
「有るよ、まだまだ。オレはけっこうそう言うことが多いんだ」
「そうなんですか」

「・・それよりなあ、どうもオレには、亡くなった彼が、君を使って、オレに名を告げに来たような気がしてならないんだ」
「ちょっと、やめてくださいよ!」

「そうとしか想えない。君が、パソコン・フェア会場から新聞記事に辿りつくまでのいきさつなんか、まるで作ったみたいな話しじゃないか」
「留守録のセリフは、・・ちょっとゴブリンズ・レターに書かれることを意識しました」

「だからね、ここまで来たら、オレはオレなりの方法で、彼の供養をしようと想うんだ」
「ええっ?、そんなこと高橋さん一人でやってくださいよ!、僕は遠慮しときます」

「あわてるなよ。いくらオレだって滅多なことはしないよ。鎮魂の気持ちを込めて、この話しを書こうと想っただけだ」
「その程度ならいいですけど・・」

「だいだい、このまま黙っていられないし、それに・・」
「それに?」

「こんな形で、’’能代’’と言う名前を知るなんて、運命みたいな気がするじゃないか。その
能代君の友人のキミと、オレとが、ほとんど初対面で、打ち解けてもいない内に、スケート旅行したって言うのも、何だか伏線みたいだと思わないか?」
「はあ・・、そうですかね」

「そうさ。運命と言うのはけっきょく、良い悪いも、自分が自分の意志で選んだものの積み重ねだからね」
「そうなんですか?」

「そうだよ。つまりいいかい?、オレが彼の名前を知ることになったのも偶然じゃない。オレが無意識に、長い年月をかけて、人生の無数の分岐点で、そのつど、どちらかを選び続けた結果なんだ。それでオレは、キミを通じて、彼の名前を知ることになったんだ」

「はあ?、なんだか良く解りませんけど」
「キミはキミで、東京を選び、ゴブリンズを選んだんじゃないか」

「つまりね、オレやキミだけじゃない。メンバーみんな、何処かでゴブリンズを選んでるんだ。そのことに尽きるのさ。ゴブリンズと言うチームを作らなければ、キミに出会うことも無かったし、こんな、’’出来過ぎた話し’’に会うことも無かっただろ?」

「・・・・・・・・」
「考えてみればね、ぜんぶ、始まりは’’ゴブリンズ’’だったんだよ」 
 



当時、これを執筆したのち、個人的に「これも何かの縁であろう」と考え、被害者の名前を書いたお札を然るべき仏閣に納め、お焚き上げ供養をさせていただきました。・・合掌

<二年前の殺人事件の話し・異聞/おしまい>





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★「ぶんぶん戦」に行く途中、後輪からカツンカツンと言う異音がするので見てみたら、タイヤがブレーキシューに当たっていました。 で、てっきり自分の体重や荷物の重さで、ホイールが歪んだと思っていたのですが、試合後、更衣室の前で点検してみたら、原因はホイールでは有りませんでした。 タイヤがすり減って、その薄くなった部分をチューブが押し上げ、盛り上がっていたのです。しかも試合前と比べると、さらに膨れ具合が増しているようなのです(ちょっと分かりづらいですが、写真のようになっていました)。 これは非常に危険な状態なんですね。以前所有していた自転車も、同じような兆候から、走行中に大きな破裂音と共にバーストしたことが有ったんです。 もしこれもバーストしたら光が丘から家まで10kmくらい歩くことになるので、それは避けなければと、苦肉の策に出ました。ギリギリまで空気を抜いて、12〜13kmのゆっくりした速度で走るようにしたのです。 その状態で乗ってみると、後輪がグニョグニョと左右に揺れるので、けっこうアセりました。でもまあ、女子高生やオバさんたちに抜かれながらも、何とか保たせて無事帰宅することが出来ました。 もちろん新しいタイヤを購入しなければならないのですが、今日はとりあえず、古いタイヤに取り替えてみました。この自転車に純正で装着されていたのは「700×38C」と言うサイズで、分かる人は分かると思いますが、マウンテンバイク並みの太いタイヤなのです。仮装着したスペアタイヤは「700×35C」で、町乗り用のクロスバイクに標準で付いているサイズです(ママチャリくらいの太さかな?)。 これが何と、カッコワルいんですよね。デザイン的にバランスが取れないんです。泥よけとの間がスカスカになってるし、非常にカッコワルい。次に替える時は長距離走行を考慮し、やや細めの「700×35C」くらいにしようと思っていたのですが、これはダメそうです。 ようするに、この自転車のデザインが「700×38C」を想定して設計されていたと言うことなんです。まあ太い分、乗り心地はいいんですけどね。それと歩道などの段差を乗り越えるとき、リム打ちすることもなく安心できます(チューブを傷めパンクの原因になる)。 ともあれ、交換用の新しいパーツを探すと言うのも自転車の楽しみの一つなので、劣化して来た...

草野球の転換期

★僕は、草野球の試合では、主にセンターを守ることが多いのですが、たまに仲間から「守備位置が深いのでは?」とクレームが来ることが有ります。時折り、捕れそうな浅いフライに追いつけず、前に落としてしまう光景なんかを見ると、そう思うのかも知れません。(個人的には内野のあきらめが早すぎると想ってますが・・) まあ確かに、昔より足も遅くなって、追いつけない当たりも増えて来たとは思いますが、ただ、この「センターの守備位置」と言うのは、約20年間、およそ350試合に渡る(守備機会数までは分からないが)、僕の草野球経験から割り出した「絶妙な?守備位置」なのであって、簡単に「ちょっと深いんじゃない?」と言われても、なかなか動かしがたいものなんです。 これまでの経験から言うと、実は、草野球の外野の守備位置には「三度の転換期」が有りました。一つは「ビヨンドマックスの登場」。もう一つは「新軟球登場」。そして「イチローのメジャー移籍」です。 まず「ビヨンドマックス」などの登場で、打球の質が変わったこと。ただ、ビヨンドの売りである「飛距離の伸び」の印象は少なくて、それより打球が、フックやスライスなど変化を起こしやすくなったことの方が、捕りにくくてショックでした。ウレタンなど、バット面の摩擦増大によって、ボールのスピンが強烈になったのが原因だと思われます。 次に「新軟球の登場」。これによって、打球の放物線の形が変わりました。「旧軟球」では、打球が放物線の頂点に達したあと、空気抵抗のため急激に勢いを失い、そのまま尻すぼみで下に落ちて来ていました。ところが「新軟球」では空気抵抗が少ない分、きれいな放物線を描くようになり、飛距離が伸びました。なので旧軟球のイメージのままで追って行くと、5m~10m頭を超されてしまうのです。 ですが、人間の感覚と言うのは不思議なもので、いつの間にか慣れてしまうものなんですね。直後はあまりの変化に、「もうオレは外野は守れない」なんて弱気になったりしたのですが、今ではごく普通に捕球しており、「なんであんなに戸惑ったんだったんだろう」なんて、不思議に思い出したりするのです。 前者の二つは道具による物理的な変化でしたが、「イチロー選手のメジャー移籍」は、草野球のセオリーそのものを変えました。それまでの草野球のバッターは「引っ張る」...

映像記憶力について

★先日のシュガー戦終了後、相手のH投手が、アンディ選手と女子選手の安田さんに向かって、「オレから打った初ヒット、おめでとう!」と言ってました。 しかし、アンディ選手は確かに初ヒットなのですが、僕の記憶によれば、安田選手は、すでにH投手から4本は確実に打っているはずなのです。だから、なぜ初ヒットだと思い違いしたんだろうと不思議に思ったのです。非力な女子選手だから抑えて当然、と思い込んでいたのでしょうか。 シュガー戦での安田選手のヒットを振り返ってみると、まず一番分かりやすい1本は、ゴブリンズのDVDにも収録している、4年前に光が丘でシュガーに勝った試合です。ここでH投手から逆転打となるタイムリーを打ってます。 さらに、ゴブリンズが復活した直後、KONOリーグに1年間参加しまして、その時のシュガー戦でH投手に二安打完封されたことが有りました。この僅か2本のヒットのうち、1本が安田選手、もう1本が僕のヒットだったのです。 3本目は2005年の試合で、開始直前に新間投手が「肩が出来てないから先攻を選んでくれ」と慌てて言って来たので印象に残っているのですが、この試合で打ってます。残念ながらジャンケンに負け後攻になり、打ち込まれてしまったゲームでしたが、この試合では、H投手からレフト前に強烈なライナーでヒットを打っています。これまでで一番いい当たりだったと思います。これが3本目。そして今回の一本杉公園でのヒットで、計4本ですね。 WEBスコアブックの「SUGARー通算記録」で検索してみると、安田選手はシュガー戦で計5本打ってますから、なんと、この内4本が同じH投手からと言うことになります。つまり初ヒットどころか、H投手を得意としているバッターと言ってもいいくらいなのです。 なのに、人の記憶と言うのは曖昧なものなんですね。H投手だけでなく、その当人の安田選手さえもが、ヒットを打った記憶が無いと言うんです。 なんて言うと、二人をバカにしているみたいですが、そうじゃなくて、他のメンバーの記憶もだいたいこんなモンなんです。かといって、決して僕の記憶力が優れていると言いいたいわけでもないのです。むしろ記憶力は悪い方です。そのせいで学校の成績が上がらず非常に苦労して来たんですから。 それにメンバーは良く知っているはずですが、暗算もほぼ出来ません。暗算も記憶力...

ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」

★楽天で、期間限定の500ポイントをもらいまして、そのまま期限切れで消えてしまうのも惜しいし、かと言って、ちょっと中途半端な数だし・・と考えて、これが有ったのを思い出しました。 「科学特捜隊・流星ピンバッジ」。900円なので、ポイントにちょっと足せば、ちょうどいい値段で買えます。 「初代ウルトラマン」に登場する科学特捜隊が胸に付けていて、ドラマの設定では、アンテナを伸ばせば、メンバーどうし無線通信が可能なのです。 小学生の目にはとにかくカッコ良く見えて憧れました。厚紙に絵を描いて切り抜き、胸に付けて遊んだりしたのですが、アンテナの伸び縮みだけは再現できず、余計に思いはつのりました。 ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」いま手にしても楽しいですが、あの頃にこれが有ったなら、どんなに嬉しかっただろうかと思います。 ・・そう言えば、ウルトラマンの最終回は衝撃的でした。中学1年になって、夕方の時間帯に再放送が行われると、ビデオの無いあの時代、どうしても最終回が見たくて、野球部の友人二人と練習をサボって大急ぎで帰宅したものです。そんなことも思い出しました。 バッジの裏はこんな感じになっています。洋服に刺して、生地の裏から止めるようになっています。 使い道としては、ネクタイピンにしようかなんて考えています。これまではだいたい、クーパースタウンで購入した「ベースボールバッジ」を刺してましたが、これも中々面白いと思います。(でもやはり左胸に刺さないとダメだろうか?) ふと思いついて、「ユザワヤ」で買っておいた100円のケースに入れてみました。小さなアート作品を入れるつもりの箱でしたが、こんな感じで保存するのも中々イケる気がしました。 ◎【楽天市場】ウルトラマンショップ SHOT M78  

不二家のケーキ

★すでにご存知だとは思いますが、不二家が大変なことになってます。 で、ふと気になったことがあるのです。これは、こう言う事件が起きなければ書くことは無かった話しですが、じつは、もう何年も前から、「どうも不二家は今イチ美味しくない」と言うのが理由で、不二家のケーキ類は買わなくなっていたのです。ケーキが必要になった時は、他のメーカーか、自家製ケーキ屋さんで買うようになっていました。 では、何処が美味しくないのかと言うと、まあ、全体的な味はもちろんなんですが、ケーキで一番肝心な、しっとりフワフワしていなければならないはずの「スポンジ」が、カサカサと乾いてかたいのです。で、クリームのところだけ食べてスポンジは捨ててしまう、なんてもったいないことも何度かありました。 ずっとこれは技術的な問題なのだと思っていて、「不二家はケーキ作りがヘタだ」と思っていたわけですが、今回の「賞味(消費?)期限事件」が起きてからは、「ひょっとするとあのスポンジも、出来てからかなり日が経っていたのかも知れない」と疑うようになりました。 いくらなんでも、出来立てのケーキがあんなにパサパサしてるなんておかしいですよね。 同時に、それに気づいた自分の味覚をもっと信じてもいいのかな、とも思うようになりました。ブランドに惑わされず、「おかしいな・・」と思ったら買わないようにした方がいいのかも知れません。 じつは、不二家以外でも、どうも味がおかしい、あるいは最近おかしくなって来た、と感じる大手メーカーがいくつかあるのですが、少し自分を信じて、買い控えしようかと思います。 もちろんブログで名指しは出来ません。名誉毀損になりかねませんからね。   

自転車のライトにLED10連発!

★ホームセンター「ビッグサム新座店」で手ごろなライトを見つけました。LED5発でしかも安い!「税込み¥980」でした。自転車用でLED5発だと¥3000以上すると思います。 いわゆる「懐中電灯」なのですが、うまくすれば自転車にも使えそうです。メーカーは「マクサー電機」と言うところで、残念ながらあまり聞いたことは有りません。が、分解してみたところ作りはけっこうしっかりしていました。 ボディはいっぱしのアルミ製、ゴムのパッキンが付いていて、生意気にも生活防水になっているようです。レンズが集光ではなく普通の透明アクリルで、光が初期LEDの青白い色と言うのが今イチなのですが、それでも5連発はそれなりの明るさがあります。 それと自転車専用でないと振動に弱いものですが、叩いたり落としたりしてみたところ振動にも強そうです。 ◆マクサー電機 じつは、自転車のライトにはみんな苦労してまして「明るくて電池の寿命が長い理想的なライト」を求めて、何個も買い替えると言う人が多いんです。それだけ自転車で長距離を走る人にとって「安全確保」と言うのは重要な課題なんですね。 世の中には無灯火で走る人も多いですが、あれはまったく理解できない話しです。できるならオートバイみたいに明るいライトが欲しい!って考えているくらいなんですから。 で、僕 は思い立ちました。「このマクサーライトはそこそこ明るいし振動にも強い、しかも安い! ならばもう一本買って、ダブルマクサーライトLED10連発!にしてみようではないか!!」と・・ それがこれです。自転車用ではないので取り付けるホルダーがありません。そこでベルクロテープを使う「バイクライトホルダー」2個を購入し、それで固定してみました。ちょっと外観は野暮ったい感じですが、明るさは段違いに良くなりました。 「見た目よりも安全確保」がスローガンですから、これはこれでいいと思います。ただ付けっぱなしにしておくと盗難やイタズラの対象になりそうなので、普段は普通のライトで、ゴブリンズのナイターの帰りとか、ここぞと言う場面に取り付けて使用することにしましょう。 かかった費用。 ライト代 :980×2=1960 ホルダー代:525×2=1050 送料   :200 合計   :3210   

入間市博物館へ行った

★12月21日の水曜日、友人が20日〜25日まで「入間市博物館」でグループ展「絵画の今・2005」をやると言うので、自転車で行って来ました。 入間市博物館は、数年前ポタリング(自転車の散歩)に出かけたとき横を通りかかったことが有って、その時は入らなかったのですが、場所はだいだい分かると思って、地図も持たずに気楽な気持で出発しました。 ところがこれが失敗でした。自宅を出て1時間も走ると、写真のような農業地域になります。特にこの辺りは「狭山茶」で有名で、お茶畑もこの通りちゃんとあるのです。寒い日でしたが天気は上々で、非常に気分よく走っておりました。 で、調子に乗ってあちこち細い道など選んで楽しんでいるうちに、気が付くと完全に道に迷っていたのです。 それでもまあ、いざとなれば幹線道路に出て道路標示など見れば、だいたいの位置は分かると楽観していたのですが、かなり入り組んだ道を進み、思わぬところから大通りに抜けたりしていたので、以前来た時の記憶からは、博物館の場所を特定することが出来なくなっていました。 しかも新築の家がたくさん出来ていたり、巨大な工業団地が立ちふさがったりして、ほとんど見覚えがありません。けっきょく30〜40分くらいあちこち走り回ったあげく、目標物のひとつである「大妻女子大」と言う大学に出くわし、だいたいの位置をつかむことが出来ました。 そこからは変わった校舎で印象に残っていた「東野高校(写真右)」がすぐ見つかり、その隣にある博物館もようやく見つかりました。家からは片道約18kmで1時間半ほどなのですが、道に迷った分時間はかかってます。 「入間市博物館」は建物も立派で展示室も大きく、なかなか充実した展覧会でした。作品はみんな150号200号と言う大作ばかりで見応えがあります。展示室の様子をお見せできないのが残念ですが、実物はぜひ来館して見物してください(25日まで)。 招待してくれた友人の加藤氏と再会、話しをしながら1時間ほどいたでしょうか、日が傾いて来ると一気に寒くなるので、間もなく失礼することにしました。 ◆入間市博物館 帰りは当然のことながら行きよりも時間がかかりました。しかも性懲りも無く、好んで「見知らぬ道」を選んで進むため、またもや道に迷ってしまいます。何処とも知れぬ水路脇の道に出ました。 写真を撮っておこう...

「岬」をネット検索してみる

★むかしむかし、ゴブリンズメンバーのN君などと、インライン スケートでのロングツーリングをやっていた時期がありました。真夏の炎天下をインラインスケートで数日間(100km以上)滑り続けて旅をすると言う無棒?な行為です。 あの頃は「インターネット」はまだ普及しておらず、ゴブリンズの試合結果やいろんなエピソードなどは、全部ワープロで打って、コピーして製本して郵送する、と言う大変なことをやっていました。「ブレード走行記」もその一つです。 そのころ書いたもので「南房総に夏の終わりの夢を見た」「幻のBOSO100マイル」と言う二つの読み物があるのですが、その旅の途上で偶然立ち寄った「岬」と言う喫茶店で、面白いエピソードがありました。そのことをふと思い出しまして、その「岬」をインターネットで何気なく検索してみたら、出て来ました。そこそこの観光ポイントになってるんでしょうか。 (その後、喫茶・岬を舞台にした映画が作られました) 店そのもののホームページではありませんが、まだまだ健在でやっているようです。写真もいくつかありましたが、「こう言う建物だったかなあ?」と思うくらい記憶があやふやになってましたね。ただ色に関しては、我々が訪れた時とは確かに違っていました。壁のペンキを塗り替えたんでしょう。 今だったらこんな風にして、あのころ訪れた場所や宿などを、ネットで検索できるんですね。可能な限りリンクさせたら、ちょっとした観光案内が作れるかも知れないです。・・それにしても、毎年夏になると思い出してしまいます。 古いメンバーがいたころの話しなので知らない人も多いでしょうが、もし興味があったら、走行記も含めて参照してみてください。 ◎「岬」ネット情報 ◎ブレード走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」 ◎ブレード走行記「幻のBOSO100マイル」