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二年前の事件の話し・異聞

*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。

★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・
(これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています)

僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・

そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・

なぜなら、唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。

ゴブリンズ・レターとは?
草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが『二年前の殺人事件の話し』だった。

それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・


昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、
「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」
と捕まった。色々説明して、最後に、
「鴨川まで行きます」と言うと、
「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」
と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。飯沼君とは何の因果か解りません
 
これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『千葉-鴨川ブレード走行記』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。
『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』

年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会社から引っ張って来たが、特に野球が好きと言う訳でもないらしい(ハンド・ボール経験者)。ゴブリンズにはその年入ったばかりで、込み入った話しをしたことは無く、友人として打ち解けたと言う印象も無かった。

それが、気がついたら二人でインライン・スケートをしていた。34歳と21歳の、ほとんど初対面の男二人が、真夏の炎天下、房総半島でローラー・スケートをしている。しかも160kmを三泊四日に渡って・・?。このおかしな光景をもう一度確認する気持ちで、その時僕はこう想ったのだ。

飯沼君とは何の因果か解りません

その彼とのおかしな因縁を知るのは、それから1年程経った今年7月こと。ゴブリンズ・レター紙上に書いた、『二年前の殺人事件の話し』をきっかけにして、奇妙な運命の糸が浮かび上がって来たのである。


1993年7月4日、日曜日、飯沼君から電話が有った。ところが、話す調子が何だかおかしい。

「あのーっ、いま休日出勤で会社からなんですけど、こないだのゴブリンズ・レターのことで、ちょっと話しておきたいことがあるんです」。彼の口調は、何んかこう、バクバクしていた。

僕はとっさに「あの話し」のことだと想った。そして一瞬、「ああ言う殺人事件の話は書くべきではない」そんなクレームの類いなのかと想い、身構えた。まだ若い彼は正義感をあらわにするタイプだったし、彼の少し興奮気味の声がそう想わせたのだ。

「あの、二年前の殺人事件の話し、なんですけど・・」
やっぱりだ。だが・・

「じつは、二年前に、僕の同級生に起こった事件と、あの話しとが、あまりにも似ているので・・」
彼は、一つ言葉を区切るたびに大きく息をする、そんな口調だった。

「あまりに良く似てるんで、驚くほうが先にたって、うまく話せないんスけど・・、その友達は・・、高校を卒業してすぐ東京の、’’自動車工場’’に就職したんですけど、そこで働いてた時にですね、殺されてしまったんですよ。そう言う事件が有ったんです」

「ええ?!」
彼は穏やかな日曜日に、いきなり、とんでもないことを話し始めている。

「でっ、その友達の死体は、’’ポリ容器’’に入れられたまま、江戸川の川っぷちで発見されて・・、犯人はやっぱり、’’叔母殺し’’でも捕まってるんですよ。しかも動機は、’’借金’’で・・」

「何んだって?」
「つまり、ゴブリンズ・レターに書いてあったことと、僕の友達の事件とが、そっくり良く似てるんです」

「・・なるほど」
「どう、想います?」

「借金、叔母、ポリ容器、自動車工場、二年前か・・、なるほど、確かにキーワード的にはよく似ているな」
「でしょう?。僕はまだその時、北海道にいたんですけど、室蘭の地元の新聞を読んで、ガクゼンとしていたわけです」

「そうか。・・でもなあ、あの話しは、オレも記憶だけで書いたから、細かい事実関係は知らないんだよな。だからはっきり断言は出来ないけど・・。それで?、その友達の名前は何んて言うの?」

「’’能代’’っていうんですよ」
「ノ、シ、ロ、?」
「ええ、能力の能に、シロは・・、なんでしたっけ」

「ああ、わかるわかる。東京じゃあまり聞かない名字だ。でもあれは・・、そう言う名前だったかなあ。記憶に無いなあ」
僕は、一度見ただけの新聞記事を想い出していた。

「実はですね、うちの母親もゴブリンズ・レター読んだみたいで、これ、能代君のことじゃないかね、って言うんですよ。後半は出来過ぎててフィクションだと想うけど、でも前半の話は能代君のことだよね、って」

フィクションとは参った。僕が語る「不思議な話し」は、ちょっと出来過ぎなので話し半分で聞こう、と言う風潮が、最近メンバー間で広まっているらしいが、申し訳ないけど、全部本当の話しを基にして書いている。

僕は生まれつき、『出来過ぎた話し』に良く出くわす体質なのだ。全てを信じて貰えないことは解っているが、ちょっとした使命感で、記憶が薄れる前に色々書き残しておこうと想っている。

そして、何を隠そう、日曜日にかかって来た飯沼君のこの電話こそ、僕の一番新しい『出来過ぎた話し』の始まりだったのである。

「とにかく、あまりに共通点があるんで、やっぱり話しておこうと想って」
彼の口調はようやく落ち着いて来たようだった。

「それで?、犯人の名前は、村下なのか?」
「それは、覚えてないですね」

「うーん、今の段階では何とも言えないが、ひょっとすると同じ事件かも知れないなあ。だとしたらもの凄い確率だけどね・・」
「はい」

「しかも、もしそうだとしたら、キミとオレとが、二年後に東京で出会うってのも凄いし、いきなりスケート旅行をしたって話しも、凄い偶然ってことになるよなあ・・。まあ、まだ解らんけど」
「これは調べてみる必要が有りますよ。高橋さん、調べてみませんか」

その言葉を聞いて、急激に興味が沸いて来た。
「そうだな、まず出来ることは、弟が、’’能代’’って言う名前を知ってるのかどうかだ。その、能代君が勤めていた自動車工場って、日産なのかどうかは解んないのか?」
「ええ、ただ東京の、としか解らないです」

「そうか・・、待てよ、自動車工場って言うのは、ある程度経験者でないと、アルバイトでいきなり採用ってのは無いんじゃないのかな?。犯人の村下はそれなりの技術を持っていて、いろんなメーカーを転々としていたのかも知れない」
「そうですね」

「だとすれば、キミの友人の事件は、’’日産’’じゃなくて、他の自動車工場での犯行ってことも考えられるわけだ。逆に、四人も殺してるわけだから、その内の一人が日産の事件、ってことも十分考えられる」
「はい」

「だけど、東京の自動車工場と言っても、ちょっと範囲が広過ぎるよなあ」
「ええ。そうなんですよ」

「キミは犯人の名前を知らない、オレは被害者の名前を知らない。だから共通する決めてが無い・・。ただ、もしオレの弟が、’’能代’’と言う名前を知っていたら、もう、そこで決まりだけどね」
「大丈夫ですかね。嫌な記憶を想い出させることになりませんか?」
「そう言うもんかな?」

「国会図書館とか、大きな図書館には、新聞のストックが有るって言うじゃないですか。そう言う所で調べたほうがいいですよ」
「マイクロ・フィルムとか?」
「さあ? 解りませんけど」
 
 
それが7月4日のことだった。
しかしこの時はまだ、飯沼君の友人が「殺人事件に巻き込まれていた」と言う単純な事実に驚いていただけなのである。

その後、僕は事件のことを確かめようと想い、まず両親の家に電話してみることにした。しかし、親は事件の詳細は知らず、取っておいた新聞の切り抜きもつい最近捨ててしまったのだと言う。

では、弟はどうだろう?と聞くと、刑事にしつこく疑われた事が相当なトラウマとなっていて、事件のことをひどく嫌い、触れたがらないと言うことだった。残念だが、それ以上無理はしないことにして、調べは図書館頼みと言うことになった。

そうこうしている内、僕は夏風邪をひき気管支炎を患って、出歩く気分になれず、事件のことはそのままになっていた。

それから数週間が過ぎて7月28日。仕事を終え、夜遅く部屋に戻って見ると、自動受信で二枚のファクシミリが届いていた。そして同時に受信されていた留守録にはこんなメッセージが入っていた。

『もしもし、ボスですか。飯沼です。今わたしは朝日新聞本社に来て、ガイシャの身元を洗っています。ガイシャの身元がワレましたので報告しようと想いましたが、あまりに強烈でショックでしたので、実際に話したいと想います。電話待っています』

どうやら・・、「太陽にほえろ」のつもりらしかった。
 
 
幕張、NECパソコン・フェア会場・・

飯沼君は仕事で、同時開催中の『パソコン・アート・フェスティバル』に詰めていたが、ここで偶然、紀伊国屋が出展していた、新聞記事検索システム、『7yrs.HIASK』を見つけることになる。あれ以来気になっていた事件のことを、このシステムで調べられるのではないかと、彼は考えた。

『殺人・叔母・借金』
試しに、彼がこの三つのキー・ワードで二年前に起きた事件を探してみると、しばらくして七件ほどの記事の見出しが表れた。

そしてその中の二件、
910412298 夕 殺人自供、相手は同僚 市川で遺体を発見」 
910317126 朝 26歳のおいを逮捕 藤沢の主婦殺人
 
気になった彼は、さらにその中身を確かめようとしたが、デモ用システムのため、それ以上のデータを引き出すことは出来なかった。

彼は同じようなシステムが、実際に新聞社で使われているはずだと考える。そして各社に電話をかけたところ、朝日新聞社で「有料データ検索サービス」を行っていることをつきとめるのだが、飯沼君は「そう言えば・・」と、デモ機のデータが「朝日新聞社提供」だったことを想い出す。そこで数日後、彼は築地に有る朝日新聞本社を訪れることにした。

さっそく受付でデータ検索について尋ねると、それは電話によるサービス業務だから、改めて電話で申し込み直すようにと教えられた。通常は電話申し込みの後、郵送かファクシミリで届けられる物らしいのだ。

しかし彼は待ちきれず、新聞社の表玄関にあった公衆電話から連絡し、応対に出た係の女性に「どうしても今日中に欲しい」と頼んだ。そしてデモ機で探した二つの記事の見出しを告げる。

相手は、それが殺人事件関連の記事だと解ると、急に神妙な声になり、「わたしが直接お持ちしますので、ロビーのソファーでお待ちください」と言ったのだという。

10分程経って、おっとりとした感じの女性がやって来たが、20歳そこそこの普段着の若僧・飯沼君を見た瞬間、驚いた様子だったと言う。彼女は飯沼君が、法律事務所の使いだと想い込んでいたのかも知れない。

「料金は別途ですので」
と彼女は言い、プリント・アウトされた用紙を新妻君に手渡した。

そして彼は、受け取った紙に目を通すのだが、その瞬間、体が凍り付いて動けなくなってしまったのだと言う。もはや、文章全体の内容を把握する余裕は残されていなかった。

………………………………………………………………………………
**文書表示**
1/2 PAG
E=1殺人自供相手は同僚 市川で遺体を発見 藤沢の叔母殺害容疑者
910412 T 夕刊 23 1社 465字

叔母を殺したとして、横浜地検から殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹被告(26)が、別の殺人を自供したとされ、死体が発見された事件を調べている神奈川県警は12日、この遺体は東京都武蔵村山市伊奈平1丁目、日産自動車に勤務していた能代郁夫さん(当時18)との見方を強めている。身元が確認され次第、殺人などの疑いで同被告を再逮捕する方針。

調べでは、当時、村下被告は能代さんと同じ同社村山工場に勤務しており、能代さんから十数万円の借金をしていたという。

供述によると、村下被告は89年6月初旬の朝方、能代さんが借金の返済を求めてきた際、当時住んでいた同市榎1丁目の同社村山寮の自室で首を絞めて殺し、死体をポリ容器に入れて千葉県市川市内の江戸川沿いに捨てた、という。

供述に基づき、同県警が江戸川沿いを捜索したところ、10日になって市川市高谷の江戸川排水溝でポリ容器に入った死体を発見した。

能代さんについては北海道室蘭市の父親から、「退職して郷里に帰ると連絡があったまま、消息不明になった」として捜索願が出されていた。

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**文書表示**
1/2 PAGE=2同僚殺し容疑で再逮捕 遺体、寮に隠す 横浜の叔母殺し男性
910420 T 朝刊 31 1社 315字

神奈川県警と藤沢署の捜査本部は19日、叔母を殺したとして横浜地検から強盗殺人罪などで起訴されている東京都豊島区池袋2丁目、無職村下浩樹容疑者(26)を、元同僚を殺して金を奪ったなどとして強盗殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕した。殺した同僚の遺体をポリ容器に詰め、10カ月もの間、寮の部屋で『同居』していたという。

調べでは、村下容疑者は武蔵村山市の自動車メーカー村山工場に勤めいた89年6月9日早朝、当時、住んでいた同市榎1丁目の会社寮の自室で、同僚で同市伊奈平1丁目の別の寮に住んでいた能代郁夫さん(当時18)を絞殺し、現金百数十万円を奪ったうえ、死体をポリ容器に入れて隠し、翌年4月上旬、千葉県市川市高谷の江戸川沿いに捨てた疑い。
………………………………………………………………………………

この遺体は、日産自動車に勤務していた能代郁夫さん(当時18)との見方を強め・・』

能代郁夫さん・・』

「こりゃあ、シャレにならんぞ!」
僕はファクシミリに目を通しながら、受話器の向こうの飯沼君に言った。

「これを読んだ時、僕は、血の気が引いて行きました。名前、出身地、それに時期的にみても、僕の同級生の能代君に、まず間違い有りません」

「弟が入っていたのは日産村山寮。犯人の名前が村下。ポリ容器が江戸川で発見された言う事実は、君の言ったことと合致する。間違いない。・・これは弟が出くわした事件だ」

驚いた。いったいこれは、何という引き合わせなのだろう・・

つまり僕の弟が、知らずに運ばされたポリ容器の中に入っていたのは、こともあろうに飯沼君の同級生だったのだ。そして、その友人・飯沼君と、兄・高橋とが、時を経て出会っていたのである。

飯沼君から記事を捜し出すまでのいきさつを詳しく聞きながら、僕はこの奇遇について想いを巡らせていた。

たとえば、人の一生の中で、自分の友達が殺される確率をどのくらいだと考えたらいいのだろう。
そして、会社の同僚が殺人犯で、知らずに遺体を運ばされる確率・・
さらに、その遺体の友人と、その遺体を運んだ男の兄とが、巡り巡って、出会うために必要な確率なんて言ったら、イッタイどのくらいの数値になるのか!

「シャレに、ならん!」
「こんな風にモロに目の前に出されると、もう、ビックリするしかないですよ」

実際それは、あまりにも無表情な現実だった。本当は笑って話せるような話しではない。だが僕達は時折り、無理に笑いを交えながら話し続けるしかなかった。これ以上シリアスにしたくはなかったのだ。

「もしかすると、って言う段階ではむしろ、ワクワクしてたような気がするけど・・」
それはリアルなミステリーを読んで行くような感覚だった。
「そうなんですよ。ここまで目の当たりすると、事件そのものに対しては、なんかかえって冷静になっちゃいましたよ」

「確かに。名前が解る前は、死体は単なる物体に過ぎなかったけど、こうなると、突然、匿名性が失われて、目鼻立ちまで見えて来そうだからな」
「僕は、彼の姿を知ってますからね」
二人とも驚いてはいたのだが、それを伝える言葉に逡巡していた。

「でもですね、僕はむしろ逆に、希望のある話しとして考えようかと想ってます」
突然、飯沼君は変なことを言い始めた。

「何んだそれ?」
「えっ?、いやあ、だから・・、人生にはこんな変わったことも起きる、色んなことが有るだろう、まだまだ捨てたもんじゃないと言う意味ですよ」

おかしな表現だったが、意味は解った。
「なるほど、そう言う考え方も有るのかな」

彼の言う通りだった。新聞記事のみだと、暗く陰惨なイメージに引き込まれるが、僕達は何処かで、この事件そのものよりも、事件にまつわる、運命の不可思議さのほうに興味を持ち始めていたのだった。

当時、東京と北海道の、それぞれ別の場所で事件を知った二人が、二年間のどんないきさつを経て、東京の草野球チーム「ゴブリンズ」で出会うことになったのか。

たとえば、こんな風に考えてみる。

何処かへ出掛けようとして駅のホームに降り立つと、すでに出発のベルが鳴り、電車はドアが閉まる寸前。

君は一瞬迷って、飛び乗ってしまうか、一本遅らせるか、どちらかに決めようとする。もちろん、待ち合わせに遅れそうなら飛び乗るかも知れないし、雨なら滑って転ぶのを恐れ、一本遅らせると言う手もある。

しかしそんな時、君は知らず知らずの内に、微妙な運命の選択をも行っていると言うことに、気づいているだろうか。

例えば、君も一度くらいは、出掛けた先でばったりと知り合いに出くわした、と言う経験を持っているだろう。

もしその人が、自分がずっと想い続けた異性であったとしたら?。あるいは大きな仕事を抱え君の連絡先が解らず困っていた先輩だったとしたら、乗る乗らないの選択に因って生じた数分の差が、人生を左右する重要な時間差になりうるかも知れないのだ。

乗り物だけでは無い。朝何時に起きたか、何を食べたか、何を着ようか、何を話すか、人に対して優しかったか、意地悪だったか・・。日常の全ての選択が、そのまま、ほんの少しずつ君の運命を何処かへと運んで行く。

僕達は普段そんなことを気にもとめず、何げなく毎日を繰り返しているばかりだが、それは結構冷徹な法則となって、知らぬ間に、人生を支配する運命の糸を張り巡らすのである。

「これもゴブリンズ・レターに書くんですか?」
飯沼君が尋ねた。
「わからないな・・。ちょっと’’モロ’’だからね」
「随分弱気になってますね」
しかたが無い。話しが話しだから・・

しかし、どちらにしても、僕と飯沼君は互いに百万回の運命の選択の後、ゴブリンズで出会うことになった。ちょっと重たい「殺人事件」と言う物語りを背負いながら・・
 
もし僕が、『二年前の殺人事件の話し』を書かなかったらどうだったろう。僕達はずっと何も知らないままだったろうか。知らなければ、他のメンバーと同様、土曜日に野球をやりたいと言う動機で集まっただけの、何の変哲もない普通の友人として終わったのかも知れない。

いや、あるいは、それは全く逆で、他のメンバーも、何も話さないから気づかないだけで、実は稀に見る不思議な縁で集まっているのかも知れない。

いろいろ想いを巡らせている内に、そんな妄想めいた考えが頭の中を支配していた。ただ、どちらにしろ今のメンバー達は、ゴブリンズが無かったらおそらく一生出会うことは無かった人々、それだけは確かだった。

いつからだろう、『それを作れば、彼はやって来る』と言うキー・ワードのように、何食わぬ顔で、君達は野球をしに集まって来た。しかし君達を、あの夏の球場に引き寄せた本当の理由を知っていただろうか?。雨で中止になった時、やり場の無い熱情にかられてしまうのは一体何故なのか、解っていたのだろうか?

何処かで、何かがつながっている。僕達は多分それに気づかないだけなのだ。同じ時代、同じ国に生まれて、同じ言葉を交わすこと・・、それがどれほど数奇な運命の結果なのか、そのことに僕達は未だに気づいてはいない。

どうやら、誰かが?何かを伝えようとして、こんな不思議な『出来過ぎた話し』の一例を見せてくれたようだ。



「だけどなあ、オレ達以外の人間が、この話しを聞いたら、単純に、気味が悪いとか、怖い、としか考えられないだろうな」
「そうでしょうね。ウチの親も記事を見せようとしたら、いいよそんなのって感じで嫌がってました」
「だろうな。ものすごく不思議な話しなのに、いかんせん、爽やかさがない」
「事件が事件だけに」

「でも、これだけ出来過ぎた話しと言うのは、一生のうちでも、そんな滅多に出会えることじゃ無いわけだからね」
「まだまだ色んなことが有りますかね」
「有るよ、まだまだ。オレはけっこうそう言うことが多いんだ」
「そうなんですか」

「・・それよりなあ、どうもオレには、亡くなった彼が、君を使って、オレに名を告げに来たような気がしてならないんだ」
「ちょっと、やめてくださいよ!」

「そうとしか想えない。君が、パソコン・フェア会場から新聞記事に辿りつくまでのいきさつなんか、まるで作ったみたいな話しじゃないか」
「留守録のセリフは、・・ちょっとゴブリンズ・レターに書かれることを意識しました」

「だからね、ここまで来たら、オレはオレなりの方法で、彼の供養をしようと想うんだ」
「ええっ?、そんなこと高橋さん一人でやってくださいよ!、僕は遠慮しときます」

「あわてるなよ。いくらオレだって滅多なことはしないよ。鎮魂の気持ちを込めて、この話しを書こうと想っただけだ」
「その程度ならいいですけど・・」

「だいだい、このまま黙っていられないし、それに・・」
「それに?」

「こんな形で、’’能代’’と言う名前を知るなんて、運命みたいな気がするじゃないか。その
能代君の友人のキミと、オレとが、ほとんど初対面で、打ち解けてもいない内に、スケート旅行したって言うのも、何だか伏線みたいだと思わないか?」
「はあ・・、そうですかね」

「そうさ。運命と言うのはけっきょく、良い悪いも、自分が自分の意志で選んだものの積み重ねだからね」
「そうなんですか?」

「そうだよ。つまりいいかい?、オレが彼の名前を知ることになったのも偶然じゃない。オレが無意識に、長い年月をかけて、人生の無数の分岐点で、そのつど、どちらかを選び続けた結果なんだ。それでオレは、キミを通じて、彼の名前を知ることになったんだ」

「はあ?、なんだか良く解りませんけど」
「キミはキミで、東京を選び、ゴブリンズを選んだんじゃないか」

「つまりね、オレやキミだけじゃない。メンバーみんな、何処かでゴブリンズを選んでるんだ。そのことに尽きるのさ。ゴブリンズと言うチームを作らなければ、キミに出会うことも無かったし、こんな、’’出来過ぎた話し’’に会うことも無かっただろ?」

「・・・・・・・・」
「考えてみればね、ぜんぶ、始まりは’’ゴブリンズ’’だったんだよ」 
 



当時、これを執筆したのち、個人的に「これも何かの縁であろう」と考え、被害者の名前を書いたお札を然るべき仏閣に納め、お焚き上げ供養をさせていただきました。・・合掌

<二年前の殺人事件の話し・異聞/おしまい>





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★先日は東京でも雪が降りまして、交通の大混乱が起きました。この様子について「雪が降っただけで大騒ぎする東京都民は学習しろ!青森県民がマジギレ」という記事がありました。 「あのねぇ・・、東京の人は雪が降っただけで大騒ぎするけど、青森とか東北の人からしたらね、雪は“降る”もんじゃなくて“降り続ける”もんなの!。1日降ったぐらいでギャーギャー騒ぐな!」 「今日ぐらいの雪なんて青森じゃ11月にはフツーに降ってることが多いから、コケたりする人が多くて逆に笑っちゃうわ(笑)。ちゃんと滑り止めのブーツはけよってね」 「もし青森に東京都民が一斉に移住したら冬で絶滅しちゃうでしょ!。熱帯魚じゃないんだからもう少し勉強した方がいいよ。量は変わるけど毎年降ってるんでしょ?。学習したら?」 どうもツイートのコメントのようですが、こんな感じだそうです。気持ちは分かりますが、けっこうなカン違いがあるんですよね。 じつは、東京都民の70%は東京の人間じゃないんです。 ほとんど他府県からやって来た人々なんですよ。で、さらにその内の半分以上は東北、雪国出身の人なわけです。なので青森県民が「マジギレ」した相手は、確率的には東京の人間じゃない可能性が高い、それどころか同じ雪国出身の可能性だってある?ってことなんです。(もう少し勉強した方がいいよ?) たとえば、東京の職場や草野球チーム?など何でもいいんですが、10人くらい集まったグループで、試しに一人一人出身地を尋ねてみてください。その割合は、だいたい「東京3・地方7」くらいになるはずです。 ちなみに僕の両親も秋田県の豪雪地帯の出身で、親戚もほとんどが秋田出身者です。でも東京に住み着いて数十年が過ぎますとね、いつの間にか東京の季節感を学習し、それが普通になってしまうものなんですよ。 で、なまじ「雪国出身」という自負があるので、「このくらいの雪、何でもない」と出かけ、途中で立ち往生してしてしまうなんて事がよく有るんです。(両親は「雪質が全然違うから」と言いわけしてますが・・) それから、雪以外でも、別の件でも似たようなカン違いの話しがあります。 大阪人は東京に対してものすごくライバル意識があって、事あるごとに 「東京の人間は冷たい。ツンとして愛想が無くてキザな感じ」なんて批判するのをよく見かけます。ですが、あれも、彼らが言う「冷たい人たち」って、たいていは...

ダブルレッグスタンドを付けた?!

★新しい自転車が来てから、少しずつ野球仕様に改造しております。左の写真を見て分かるように、二股のセンタースタンドに付け替えました。 ネットショップ「サイクルベースあさひ」で見つけ、ずっと付けたいとは思っていたのですが、取り付け可能なのか調べたくてもなかなか実物を見る機会が無く、二の足を踏んでいたのです。 ところが色々な自転車サイトを見てみると、取り付けボルトの太さが10mmであると分かり、ほぼ90%取り付け可能だと言うことが分かって来ました。今回の自転車マリオン・クラッシックには、センタースタンド用の台座とボルト穴が有り、そのボルト穴の径が10mmだったんです。 ◎ダブルレッグスタンド しかし、最終的には実物を見てみないと何と言えないので、ネットショップでいきなり買うわけにも行かず(値段が¥4000くらいするので‥‥)、あちこちの「サイクルベースあさひ実店舗」を探し歩いて行くと、三つ目の店「所沢店(横山氏宅から500m。高橋宅から10km)」で「ダブルレッグスタンド」の実物を発見しました。 それをよく観察してみたところ「何とかなりそう」なので、その場で購入することにしました。付属のボルトでは長過ぎるので、途中で近所のドイトへ寄って、短いキャップボルトと8mmのアーレンキーを購入、帰宅してさっそく取り付けてみました。 それがこの写真です。アルミ合金で、金ノコで簡単に切れるので丁度いい長さにカットしてあります。その先端にキャップを付けるのです。 折りたたむとこんな感じになりますね。立てる時は広がっていますが、たたむとチェーンと反対側に二本とも格納されます。フレームにもクランクにも干渉しないよう、うまいこと作られています(スイス製だそうです)。 最初は見た目が「ゴツいなあ」と思っていましたが、取り付けてみるとそれほどでも無いですね。総重量が500gと言うことですが、カットした分と、バカでかい取り付け金具を使わなかった分、軽くなっていると思います。 後ろから見るとこんな感じですね。直立してます(両足の長さをそろえてカットするのが大変)。これで、野球用具の重たい荷物を載せてもグラつくことが無いでしょう。コンビニでスポーツドリンクを買っている内に転倒していた、なんてことも無くなるわけです。 ...

友人の展覧会に行って来た、八高線に乗って・・・

アトリエ棟 ★もう一ヶ月ほど前のことですが、埼玉県小川町まで行って来ました。小川町は手すき和紙で有名なところだそうですが、そこにアトリエを構え在住する大学時代の友人が、個展を開くと言うので行くことにしたのです。 会うのは卒業以来で、久々の20年ぶり、再会と小旅行とを楽しんで来ました。個展を開いた場所は普通のギャラリーではありません。以前倉庫だった建物を改造したものです。 40年前までカレー粉製造工場だったところをアトリエとして借り、その隣の材料倉庫をギャラリーとして自力で改造したそうです。どちらも木造合掌づくりで、行ってみると、もうそれだけで味わいのある建物でした。 右アトリエ・左ギャラリー 作品はいわゆる「現代アート」です。一般の人々には「難解」「独りよがり」と思われがちですが、我々アーティストにとっては、その奥底に隠された謎?を読み解くことがひとつの喜びでもあるのです。 彼の作品も、一見クールで無機質に見えますが、その奥には叙情的と言ってもいいくらいの情感が隠されていました。それは、あえてのんびりとしたこの土地の環境の中で制作を続ける、と言う行為からも充分理解できるのです。 小川町は田舎への入り口と行った感じの町でした。あまり田舎独特の風の匂いがしなかったのが物足りなかったのですが、これは季節がらだったのかも知れません。 ギャラリー内 ただ、今回は残念ながらあちこち散歩できませんでした。時間が無かったと言うこともあるのですが、下調べが足りなかったんです。あとで調べてみたら小川町はいろいろ見所があったんですよね。 TBSで日曜日の早朝5時15分からやっている「東京ウォーキングマップ(番組は終了しました)」と言う地味な番組があるのですが、こないだ偶然目が覚めて、偶然チャンネルを合わせたら「小川町」のことをやってまして(東京とは言っても東京近郊まで取材してます)それを見たところ、けっこう面白そうな田舎町なんですよ。せっかく1時間に1本しか無い八高線に乗ってわざわざ行ったのに、もったいないことしました。 近所の図書館 次回は自転車で、泊まりがけで行こうかと思ってます。距離がだいたい片道50kmあるので、日帰りと言うのはキツそうです。 50kmとは驚くかも知れませんが、本格的なサイクリストなら何でもない距...

1「土手の上で、夢の中の約束」

★ Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 2021年の春頃、 僕は一つの夢を見ます。ほぼ忘れかけていた人の夢と言 う、何の変哲もない出来事のはずでした。しかしそれは、その後、約一年間に渡って続く、「少し不思議な巡り合わせ」の、始まりの夢だったのです。 * ・・そこは何処かの土手で、芝生で覆われたなだらかな地面の上に、男女数人で座っています。僕の左隣りには小柄な若い女性が座っていて、まるで独り言のように話しかけて来るのです。 「あたしいま、風俗で働いてるの」 その言葉に、 僕は少なからずショックを受けていて、すぐには返事ができません。大学の学費を親に頼らず、全部バイトで稼ぐと言っていた彼女ですが、そこまでして・・とは思いませんでした。 返事が出来ず思いを巡らしていると、次に彼女はこんなことを言いました。 「歯が抜ける女の子はキライですか?」 その声に口元を見ると、あちこち抜けてしまった歯茎が見えていました。僕は愕然としながらも、それを悟られまいと明るく、 「だいじょうぶ。インプラントと言う手もあるよ」 と言いました。 僕の右隣りの女性も「そうそう、インプラント」と言ってくれて、それを聞いた僕は少し落ち着きを取り戻します。 何処か体が悪いんじゃないのか?と思ってもう一度見ると、 彼女は やはり顔色が悪いのです。おまけに 痩せていて、とにかく見すぼらしいのです。僕が覚えている 、明るく健康で弾けるような若さの彼女ではなくなっていました。 しかし・・ 「でも、だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」 そう言い切ってしまうと、さっきまでの動揺がウソのように晴れやかな気持ちになっていました。 ここまでに至る、彼女との出来事を思い出していたのです。美術大学で初めて言葉を交わした日・・、ローラー・スケートが共通の趣味だと分かった日・・、それから・・ 「オレはずっと変わらない」 僕の言葉が届いたのかどうか・・、 彼女はスッと立ち上がると、 「もう行かなくちゃ」と、 夕暮れ迫る土手の上を、小走りで何処かへ行って しまったのです。 ・・と、そこで目が覚めました。夢だったんです。 さらに 少しずつ意識がハッキリして来ると、その夢の中の彼女が、もうこの世にはいない人なのだと言うことも思い出していました。今からざっと37年 前、27歳 の若 さで亡くなってしまった人なので...

風邪で寝込んで超リアルな夢を見た

★先週の土曜日に風邪をひきまして、でもまあ何とかなりそうだったので、そのまま東大和の球場まで草野球の練習に行きました。運動をしているウチはマヒしてるようであまり感じなかったのですが、家に帰ったその夜から完全にダウンしました。 熱も無いし、それほど咳がひどいと言うことも無いのですが、やたら眠いのです。翌朝、目が覚めて1、2時間パソコンに向かったと思ったら、また凄く眠くなって布団にもぐってしまうと言う感じで、一日の大半を眠って過ごしたんです。 で、ようやく、今日あたりから意識がハッキリして来たのですが、眠っている間、たくさん夢を見ました。ほとんどはどうでもいい雑夢でしたが、その中で一つだけ、とてもリアルな夢がありました。 僕は、誰だ分からないのですが、とても懐かしい友人?とおぼしき二人と歩いているのです。やがて、下町の小さな店がたくさん立ち並ぶ、とても細い路地を抜けて行くと、辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていました。 さらに暗闇を歩いて行くと水辺に出ました。川なのか、池なのかよく分からないのですが、真っ暗な水辺で、僕たち三人はまるで子どもようにはしゃいで遊ぶのです。その時ふと、僕は夜空を見上げました。すると、見渡す限りに無数の美しい星々が輝いていたのです。 ・・とまあ、こんな風な夢でした。それが非常にリアルだったのです。普通の夢は目が覚めると、「ああ、夢か・・」とリアル感がどんどん薄れ、夢の内容もどんどん忘れて行くものですが、そう言うんじゃないんですね。 リアルさが異常なほど感覚に残って、不思議な記憶として時間が過ぎるほどハッキリして来る。そんな感じでした。 目が覚めた後は、とてもいい気分でしたが、あとひとつ間違えば、恐ろしい悪夢に変わってしまうような、そんな妖しい危うい雰囲気も有りました。 そう言うリアルな夢を誰でも一度は見たことがあるはずですが、心霊研究では、じつはそう言う時って、魂が 一時的に 肉体を抜け、「幽界」をさ迷っている状態なんだと言う話しを聞いたことがあります。 なるほど・・、あれが「幽界」だとすれば、確かに「そうだ」と思えるような、不思議な現実感のある世界でした。でも、だとすれば、気になるのは一緒に遊んだあの二人、いったい誰だったんだろう?と言うことですね。 ・・ところで、このごろは、「ゆうかい」とタイプして変換す...

TOPEAK(トピーク)のライドケースを付けた

 ★このところ世の中は「iPhone6」の話題で持ち切りですが、僕のiPhoneはまだ6どころか5でもなく、4sのままなのです。じつは一度水没させて修理に持ち込み、別のものと交換することになったので、その分バッテリーの寿命が伸び、現在まで使い続けることになったのです。iPhoneの修理は基本的に全取っ替えとのことで、持ち込まれたヤツをオーバーホールして、別の修理時に交換品として出すらしいです。 で、iPhone6が出たら、4sはアップルのラインナップから外されるとのことで、今、ショップでは4s用のアクセサリー類が非常に安くなっておるのです。それに釣られて、ついついこれを買ってしまいました。ホントなら4000円くらいするやつですが、1000円ほどで(送料無料!)で購入することが出来ました。(写真は拡大できます) 「TOPEAK ライドケース」とは、スマホを自転車用ナビとして使用するためのホルダーです。もちろんこれまでも、いろんなiPhone用ホルダーを取っ替えひっかえ試して来たのですが、なかなか「これだ!」と想うものに行き当たらず、今に至っていたのです。 何がダメだったのかと言うと、自転車と言うのはかなりの振動があるので、まずは「絶対に落ちないもの」でなければなりません。ところが、落ちにくいものは得てして「外しにくいもの」であることが多いのです。 サイクリング中にトイレに行きたくなったり、コンビニに入るときなど、盗難に用心する必要があるので、外しにくものは実は不便でしょうがないのです。 そしてまた、iPhoneをケースに入れたままだと、ホルダーにハメられないものが多く、自転車に乗るたびにケースから出さねばならず、面倒だったりします。あとは、見た目がゴツくなりやすいこと。iPhone装着時はまだいいのですが、外したあとハンドルにホルダーだけが残ると、どうにも見た目が悪いのです。 そんないろんな条件を考慮して行って、最後に行き着いた製品がこの「TOPEAK ライドケース」でした。が、いかんせんこれにも欠点が有ったのです。 それは値段が高いと言うこと。確かにモノはいいが、これに4、5千円出すと言うのは、チト痛い‥、と想って迷っていたら、iPhoneモデルチェンジのため4s用がどんどん値下がりして来たことから、これは買い時だ!と言うことになったわけなのです。(赤い棒の...

究極のペイントシステム

★絵の話しをしましょう。絵を描くとはどう言うことなのか・・ 簡単に説明すると、頭の中で思い描いた映像を、紙なりキャンバスなりに定着させる作業です。その時、頭に浮かんだイメージを100%忠実に描ければ、これはもう物凄い作品が出来上がるはずなんですが、現実はそうはいかない。 人間はアナログで出来てますから、脳がイメージした情報が、神経を、そして指先に伝わるまでに、どんどん劣化して、最終的に画面に現れるビジュアルは、絵描きがイメージしたものとは、かなり異なったものとなってしまうのです。 そこで石膏デッサンとか写生とか、さまざまなモノを見て描く修行をくり返し、イメージを損なわずに定着させる能力を養うわけですね。 ところで、ずいぶん前ですが、K君という超能力者と言われている青年が、「念力写真展」を開いたと言う話しを聞ききました。この話しに私は「なるほど」と思いましたね。 念写とは、その信憑性はさておき、頭で思い描いたイメージを印画紙に定着させると言う点では、「絵を描く行為」と非常に似通っているのです。これは私のような凡人には到底無理な話で、ある意味うらやましくもありした。 ところが、しばらくして「人間の脳波をビジュアルに変換する」実験をしている大学の研究室があると言う話しを新聞で読んだのです。その記事によれば、すでに「あ」の文字をコンピュータの画面に描き出すことには成功している、とあったのです。 驚きました。もしこのままうまく行けば、究極のペイントシステム、ホントの意味の「念写ぺインター」が完成するのではないか?!と期待は膨らみました。・・が、それ以後何年たっても話題にならないので、研究はかなり難航しているものと思われます。 しかしこの可能性は、私の想像力を大いに刺激してくれました。もしも、人間のイメージをコンピュータが瞬時に再現してくれたら、まったく新しいタイプのアーティストが登場することになります。 もちろん念写のように一枚絵を描くこともいいですが、処理能力を上げれば動画再生も可能になって来るはずです。 そうすれば、作家の頭の中を「動く映像」によって表現するこが出来ます。これまでアニメやビデオアートなどでやっていたことを、リアルタイムで上映することが出来るわけです。 さらにこれを、オムニマックスにするとか、バーチャルリアリティ再生するとかすれば、観客を集めて、壮大なアート...