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管降ろしの謎:その2

★管内閣もそろそろ末期に近づいているようですが、へそ曲がりの私には、いまだフに落ちない点があり、まだ気になっているので、それらを一通り書いておくことにします。 そもそも管降ろしの始まりは、3/11震災後に起きた福島第一原発事故に対する、管総理の初動ミスだと言われていました。つまり・・・ 「管総理は、国民に好印象を与えるべく、パフォーマンスのためにヘリで福島原発へ視察に向かった。その間、総理への放射線被ばくを避けるため、ベント作業は延期され、結果、最悪の水素爆発を引き起こした」 ・・と言うものです。 これは、テレビや新聞、ネットなどあらゆる場所で、自民党政治家、評論家、大学教授、コラムニストなどあらゆる人物が、管総理へのバッシング理由として書き連ねていた内容です。もちろん最初は私も「管総理、エラいことをやらかしたな」と、正直想いました。 しかしその後、NHKなどを始め、あらゆる検証ドキュメンタリー番組を見たところ、報道とは違っていたことが分かりました。事故後間もなく 官邸からは「ただちにベント作業開始せよ」との指示 が出されていたのです。 が、にもかかわらず、一晩過ぎてもまったくベント作業が始まらないことから、業を煮やした管総理が 「なぜ始まらないんだ!電話じゃラチがあかん!」と言うことで、ヘリコプターで現地へ直談判に向かった、と言うのが真相でした。 (これは後に亀井静香氏も、石原慎太郎氏との対談で真相を明かしています。 「亀井氏:東日本大震災が起きた3月11日、私は官邸にいた。東京電力は冷静に対応できず、菅首相が癇癪(かんしゃく)を起こし、福島第一原発に行くまでまったく情報が無かった」 ) 実はこの時、福島第一原発のベント弁の開閉は「電動オンリー」で、電源喪失時に行われるはずの、 手動によるベント開閉 操作方法は存在しなかった そうです。 そのため「ベント解放せよ」の指示が出てもまったく動かすことが出来ず、真っ暗闇の中で設計図を引っ張りだしては、解決策を文字通り暗中模索していた、と言うのが真実のようです。 けっきょく「ヘリ視察」を批判した人々は、誰も原発の取材はしておらず(何しろ入れないんですから)、勝手な憶測でバッシングしていたことが明らかになりました。私の知るところでは、バッシングの間違いを

夏の風景展2011

「夏の風景展2011」2011年7月7日(木)~7月19日(火)  中野画廊アベニュー(7月13日・水 旧廊)   (すでに終了しています) ★一人の作家が1~2点ずつ出品する小品展として、春に行われた「春の風景展」に続き、シリーズ物として「夏の風景展」を行います。 「春の風景展」終了直後にあの大震災が起こり、多くの人々が、「人生観の変化」を感じたようですが、自分にも、眼に映る全てが別の世界のモノに変わってしまった、そんな感覚が確かにあります。 企画を立てた画廊からは「こう言う時なので、出来るだけ明るい作品を」との要望がありましたが、作品は心を写す鏡でも有るので、感覚のおもむくままに描いた自分の作品では、要望通りに実現できたかどうかは不明です。果たして他の作家たちはどうだったんでしょうか・・ 計14名の作家による30点近い作品展となりますので、いろいろと楽しめるかと想います。節電によるエアコンの効き具合が心配ですが、時間のある方はよろしくお願いします。