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セラミックベアリングを買った

★ゴブリンズブレード隊として、ここ数年は毎年5月の連休に、インラインスケートでのツーリングをやって来ました。 しかし2010年は、走行中に急激にベアリングが劣化して、どんどん速度が落ち、とんだ失速走行となってしまったのです。 で、この苦い経験から「ベアリングだけは常に最高の状態を保たなければ」と思ったのですが、何せベアリングは高価なのです。三回全交換したらスケート一足買えてしまうほどの値段になってしまうため、つい交換時期が伸び伸びになってしまうものなのです。 先日、新しいスケート靴を買ったばかりなので、それに付属のベアリングでとりあえずはオーケーなのですが、予備が有ればなおオーケーだと言うことで、いろいろ探してみたら、とても格安でパーツ類を販売しているショップを見つけました。「ジェイ・スピリッツ(現在閉店)」と言うのですが、とにかく安いので、まずは試しにと購入してみることにしました。 その時、目を付けたのが「セラミックベアリング」と言うヤツです。 前回失速した時は、何か、長時間の高速回転で、ベアリングのボールが熱で変形したような、いわゆる「焼き付き」を起こしたような印象だったので、セラミックならそれが起きにくいかも知れない、と単純に思ってしまったわけなのです。(それ以上に珍しかったので・・) 二番目の写真が、ベアリングのフタを開けたところです。白いボールが入ってます。「ZrO2ジルコニア」と言うファインセラミックスだそうで、これが「機械的強度が高く、耐熱性、耐摩耗性にも優れている」と言う代物らしいのです。 ネット情報では「一個2000円くらいする」と言うウワサもあったので、それに対しこれはあまりに安過ぎ、「大丈夫かなあ」などと、ちょっと疑ぐってみたりもしましたが、まあ、とにかくモノは試しです。 反対側のフタを空けると、三番目の写真のようになっています。 両側見て分かると思いますが、グリスが入ってません。錆び止めらしき潤滑油で湿ってはいますが、明らかに今まで購入した物とは違います。(注*スピードスケート用で、グリスではなくオイル仕様の物もある) 今回はセラミックの在庫が12個しかなく、本来16個必要なので、通常の鋼鉄ベアリング(赤ブタ)4個を買い足しました。で、こちらも開けてみたらグリス

「いきものがたり」所沢航空発祥記念館で上映

★先日紹介した大型映像「いきものがたり」ですが、所沢航空公園内にある「所沢航空発祥記念館」と言うところでの上映が決まったようです。 子供向けなので子供連れでないと入りづらい気もしますが、もし良かったらいかがでしょうかね。大型映像と言うことでは大人も楽しめると思います。「所沢航空公園」も広くで良いですよ(飛行機の展示も有ります)。お近くの人はぜひどうぞ。 期間:12/11~12/28 場所:所沢航空発祥記念館 上映開始時間は12:40~と16:00~。他と三本立てになってます。 (現在は終了しています) で、「いきものがたり」の内容ですが、地球に生命が誕生してから38億年、どのようにして生き物が生まれ多様性を持ちえたのか。生物と地球環境の大切さを伝える作品です。‥‥と言うことらしいです。 高橋が担当したのは「第三章現代から生命の歴史へ」と「共進化イチジクとイチジクコバチの話し」の計5~7分くらい、CGで山とか雲とか植物の絵を描きました。それを監督が時代を表す舞台装置?に見立て、アニメにして動かしてくれてます。でも「ここか!」とは分からないと思いますが・・ * 入場料や上映時間など詳しくは地図下のリンクで確認してください。 ◎ 所沢航空公園 ◎ いきものがたりホームページ   

自転車のメンテナンスが終わった・・

★車のデッドニングが終わったので、ようやく自転車のメンテナンスに取りかかりました。 今年はとにかく猛暑で何も出来ず、少し涼しくなったら蚊がわき出して落ち着かず、それが終わったら雨が続いたりと、なかなか作業にかかれませんでした。 このラレーは2005年に購入したもので、2007年に一回タイヤ交換してます。かなり減って来ていたので「そろそろ」と思っていたのですが、外して触ってみたら、1ミリ以下くらい薄くなってまして、危なかったです。下手したらバーストしてたかも知れません。この間どのくらいの距離を走ったか分かりませんが、3年くらいで寿命と言うわけです。 今回は思い切って色を変えてみました。タイヤもそうですが、5年乗ってるとけっこう飽きが来るので、サドルとグリップも白っぽい物に交換して、イメージチェンジしてみました。 ついでにチューブとリムテープ(ホイールの突起物からチューブを守るテープ)も交換。それとハブのベアリング球も換えました。 じつは今年のブレード走行で、スケートのベアリングが、見た目はキレイなのにひどく劣化していて、速度が出ず苦しい思いをしました。なので、自転車も気がつかない内にけっこう傷んでいるかも?と思ったわけなのです。ベアリングは渋谷の東急ハンズで探したら有りました。 サドルは以前のモノより細めにしました。が、サドル交換はじつはかなり危険なのです。もしお尻に合わないと非常に痛い思いをすることになるからです。 普通に考えると、幅広の方が体重が分散して楽な気がしますが、それはママチャリのようなどっしり座るタイプの話しで、スポーツタイプではかえって内股を圧迫することも有るのです。 まあ、これまでいくつも失敗した経験から、自分なりに割り出した「一品」と言うことですが、どうなるかは、試してみなければ分かりません。 ついでにハンドルに取り付けた「SONY nav-u」も紹介しておきましょう。車でも徒歩でも自転車ナビでも使えるとのことで、思い切って購入したのですが、買った後で「MacOS」に対応していないことが判明しまして、ガッカリしました。 かつては「ソニー信者」だった私ですが、残念ながら、今どきMacに対応しないと言うのは時代遅れですかね?。独創性の追求と言う企業理念が、今では閉鎖性と言

車の「簡易デッドニング」ってヤツをやってみた

★エコカー補助金目当てに今年3月に購入した軽自動車「ekワゴン」ですが、補助金は長い月日を経て、無事、この10月に口座に振り込まれておりました。ありがとうございます・・ さて、今度の車はオーディオにも凝ってみようと言うことで、パイオニア・カロッツェリア「DEH-P650」と、16cmスピーカー「TS-J1610A」を取り付けたと言うところまでは、以前ブログで報告しました。 で、あとは「デッドニング」と言う音質向上作業をやってみよう、と言うことで、ようやく涼しくなった連休を利用して作業をしてみたわけです。(ただし本格的デッドニングじゃないよ) 「デッドニング」と言うくらいですから、ようするに余計な音を止めて静かにし、「スピーカー本来の良い音だけを聴こう」と言うことですな。ネットなどを色々調べてみると、どうやらデッドニングの基本は、スピーカーが付いているドアの穴を塞ぐことから始まるようです。 ドアにはサービスホールと言う修理時などに使用する穴が空いているのですが、スピーカーの音がドア内部で反響し混じり合い、この穴から出て来てくると、不快な音となって聴こえてしまうと言うわけです。 理屈は分かりましたが、とにかくまずはドアの内張りを外さなくてはなりません。専用の工具を使って「バリ、バリ」とハガします(壊れそうな大きな音がするので怖いです)。さらにパワーウィンドウのカプラーを外します。 中をむき出しにすると、最初にビニールシートが目につきます。ドア内部は雨水が流れ込むので、水分が漏れて来ないようビニールで覆ってあるのですが、これが共鳴して「ビビリ音」や「鳴き」の原因になってしまうと言われています。 「本格的デッドニング」では、このビニールを全てハガし、ホールを完全に塞ぐことになってますが、もしも修理が必要になった場合ここは全部剥がさなければなりません。その万が一を思うと面倒なので、それより簡単な「簡易デッドニング」にすることにしました。 と言うことで、ブチルゴムテープで、ビニールの上からホールを塞ぐ形で貼付けます。ブチルゴムは工業用や建築用など幅広く使われる粘着ゴムですが、制振性が非常に高いことから、はるか昔から自作オーディオマニアの間では有名な素材です。(写真はリアドアです) それが終わったら、ブチルの

「いきものがたり」紹介(いきものがかりじゃないよ?!)

◎「いきものがたり」サイト ★久々に映像作品「いきものがたり」の仕事をいただき、8月は自宅アトリエ?にこもってずっと絵を描いていました。その作品が完成し10月から上映されたとのことで、紹介をさせていただきます。上映時間は35分で、その内のあるシーンの背景画をMacのCGペイントで描きました。 この作品を演出した「内山氏」はとても才能あふれる人物ですが、なんと、かつてのブレード隊メンバー「森広氏」の友人なんだそうです。打ち合わせの時に告白?されました。で、彼もかつては森広氏同様インラインスケート「K2」を購入し、仕事場の屋上で滑ったり、多摩川沿いのサイクリンロード約40kmを滑ったこともあるらしいです。 まず「名古屋港水族館シネマ館」と言うところで上映し、順次色んなところで公開していく予定だそうです。機会が有ったら、ぜひ大型映像で観てください。   

ジャイアント馬場伝説

★先日、元プロレスラーの「山本小鉄さん」が亡くなりました。子供の頃は、野球よりもプロレスに熱中していたので、やはり感慨が無くはありません。それと、あのころ僕たちの回りで飛び交っていた「ジャイアント馬場伝説」と共に、記憶の奥底に残っている名前でもあるのです。 僕が小学生だったころ、近所の子供らの間で、あるウワサが広まりました。家からすぐ近くに小さなパン屋さんがあったのですが、そのパン屋に、ときどき「ジャイアント馬場」が訪ねて来るらしい、と言うのです。 「もし近くに大きな黒塗りの外車がとまっていたら、その日は必ずジャイアント馬場が来ている、しかも馬場はデカ過ぎて後部座席に横倒しにならないと乗れないのだ」と・・ 僕はその話しに驚き、戦慄してしまいました。ですが、実際にその巨人の姿を見たと言う子供はおらず、まるで伝説のように、ウワサ話しだけが大きくなって行ったのです。 ところが、ある夏休みの夜、僕は初めてその「大きな黒塗りの外車」を目撃することになりました。パン屋のすぐ近くにはお寺が経営している幼稚園が有って、その園庭で毎年盆踊りが行われていたのですが、その盆踊りの夜に、例の大きな黒い外車がパン屋に横付けされていたのです。 ちょうどその夜は盆踊りの最終日で最後に花火が打ち上げられることになっていました。その花火を、隣の家の女の子と一緒に見ようと言う約束をしていたのですが、その「外車」を発見してしまった僕は、車の様子が気になって仕方が無く、頻繁に踊りを抜け出しては「ジャイアント馬場」が現れないかと見張っていました。 しかしとうとう花火が始まってしまい、約束を守るため花火見物に集中していたら、運悪くその十数分の間に車は何処かへ走り去ってしまったのです。けっきょく馬場のウワサが本当だったのか、確かめることは出来なかったのです。 が、その数ヶ月後くらいだったと思います。駅前の一等地に、例のパン屋の姉妹店がオープンすることになり、なんと、その特別ゲストとして「ジャイアント馬場」と、かの「山本小鉄氏」(計三名だったがもう一人が思い出せない。アントニオ猪木?)が来店することになったのです。 まさか!?と思いました。そして町のあちこちに立った告知看板を見ながら「ぜったいに馬場を見に行こう!」と思っていたですが、その時も何だか

草野球の転換期

★僕は、草野球の試合では、主にセンターを守ることが多いのですが、たまに仲間から「守備位置が深いのでは?」とクレームが来ることが有ります。時折り、捕れそうな浅いフライに追いつけず、前に落としてしまう光景なんかを見ると、そう思うのかも知れません。(個人的には内野のあきらめが早すぎると想ってますが・・) まあ確かに、昔より足も遅くなって、追いつけない当たりも増えて来たとは思いますが、ただ、この「センターの守備位置」と言うのは、約20年間、およそ350試合に渡る(守備機会数までは分からないが)、僕の草野球経験から割り出した「絶妙な?守備位置」なのであって、簡単に「ちょっと深いんじゃない?」と言われても、なかなか動かしがたいものなんです。 これまでの経験から言うと、実は、草野球の外野の守備位置には「三度の転換期」が有りました。一つは「ビヨンドマックスの登場」。もう一つは「新軟球登場」。そして「イチローのメジャー移籍」です。 まず「ビヨンドマックス」などの登場で、打球の質が変わったこと。ただ、ビヨンドの売りである「飛距離の伸び」の印象は少なくて、それより打球が、フックやスライスなど変化を起こしやすくなったことの方が、捕りにくくてショックでした。ウレタンなど、バット面の摩擦増大によって、ボールのスピンが強烈になったのが原因だと思われます。 次に「新軟球の登場」。これによって、打球の放物線の形が変わりました。「旧軟球」では、打球が放物線の頂点に達したあと、空気抵抗のため急激に勢いを失い、そのまま尻すぼみで下に落ちて来ていました。ところが「新軟球」では空気抵抗が少ない分、きれいな放物線を描くようになり、飛距離が伸びました。なので旧軟球のイメージのままで追って行くと、5m~10m頭を超されてしまうのです。 ですが、人間の感覚と言うのは不思議なもので、いつの間にか慣れてしまうものなんですね。直後はあまりの変化に、「もうオレは外野は守れない」なんて弱気になったりしたのですが、今ではごく普通に捕球しており、「なんであんなに戸惑ったんだったんだろう」なんて、不思議に思い出したりするのです。 前者の二つは道具による物理的な変化でしたが、「イチロー選手のメジャー移籍」は、草野球のセオリーそのものを変えました。それまでの草野球のバッターは「引っ張る」

朝ドラ「ゲゲゲの女房」を欠かさず観ている

★この一週間ほど夏風邪にやられて寝込みまして、時折り目を覚ましてはテレビを観る、なんてことを繰り返していました。 で、ウトウトとNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の昼の再放送を観ているうち、いつの間にか眠りに落ちてしまい、何やら子供の頃の夢を見ていました。 僕は子供の頃から不思議大好き少年だったため、水木漫画はことのほか好きでした。なので、小学四年?の時に、小遣いを貯めて初めて買った漫画の本も、手塚漫画でもなく石ノ森漫画でもない、「水木しげる著・死者の招き(サンコミックス)」と言う単行本だったんです。 それを買いに行ったのは、小学校の友人が、肺炎で田無市(現・西東京市)の病院に入院したことがきっかけでした。友だち何人かとお見舞いに行くことになり、バスに乗って田無駅まで向かったのです。 家から田無駅までは、大人なら自転車で普通に行ける距離ですが、小学四年の子供にとってははるか遠方で、いつでも簡単に行けるような場所ではありませんでした。 駅前には大きな本屋が有って、欲しい水木漫画の単行本が有るのも知っていました。なので、お見舞いなら好都合、こんなチャンスは滅多に無いからついでに買ってしまおうと考えたのです。 バスを降り、ぞろぞろと、まだ木造だった病棟の一室に入りました。入院していた友人はすでに良くなっていて、ことのほか元気でした。何日も一人で過ごしていたせいか、僕たちを見るととても喜んで、話しが止まらなくなってしまいました。 で、僕はと言えば、話しが長引くうちに、だんだんと漫画本のことが気になって仕方なくなり、「そうだ、今のうちに買ってしまおうか?」なんて思ってしまったのです。だいたい見舞いが終わったあと本屋に寄ると、友人たちを足止めし、面倒をかけてしまうかも?しれません。 ・・と、自分勝手に考えて、一人でこっそり病室を抜け出し本屋へと向かうことにしました。 本屋に入ってすぐに漫画コーナーへ行きました。そうして、いくつも並んだ水木作品を見比べて、何度も迷ったあげく(何が決めてかは忘れましたが)「死者の招き」と言う短編集を購入したのです。 本を抱え、すこし後ろめたい気持ちで病室に戻ると、すでに仲間たちはおらず、代わりに見知らぬ美少女が見舞いに来ていてドギマギしました。で、ベッドから僕を見つけた友人に「あ

加藤・高橋 二人展終了

★急に暑くなって画廊に通うのも大変でしたが、何とか終了しました。 もう一人の作家、加藤氏の作品とはまったくタイプが違い、最初はどうなるかと思ったのですが、まあ、何とかなったようです。今回は全部で9点。CGペイントになってからは最も数の多い展示となりました。 一番大きい物で 960mm×960mm と、サイズだけは油彩なみに近づけたような気がします。またCGペイントを知らない人々からは質問攻めにあい、分かりやすく説明するのは大変でしたが、それなりのカルチャーショックを与えることは出来たようです。こちらとしても、大きなCG作品、多数の作品を展示する時のノウハウなどを得ることができ、その点でも収穫でした。 まあ一般には、展覧会と言うと「趣味で描いた絵が溜まったので展示をした」程度に思われ、「一枚でこんな値段するの?」などとビックリされることも多いのですが、我々にとっては、仕事そのもの。大げさに言えば「命を削って生み出すもの」とでも言えばいいでしょうか、それくらい必死の作品群でもあるわけなんです(少々オーバーか?)。 それと、CGと言うと、キーボード操作で一瞬の内に完成してしまうと誤解している人もいて(友人なんですが‥)、その人に詳しく説明して改めて驚愕されたなんてケースも有りました。ちなみに私の場合、1点の作品を完成させるまでにおよそ1ヶ月はかかります。これを単純に日当1万円で計算すると、30万円以上で売れなければ採算が合わないことになります。そんなことでも理解してもらえればと思います。 それから、現在のCGペイントに到達したのがここ数年のことで、つまり40歳半ばを過ぎてから、ようやく自分の思う表現方法に近づけたとも言えるのです。同じ頃、今回二人展をした加藤氏と再会し、作品発表の扉を開かせてもらいました。それまでは、20代の学生の頃から含めて約30年間、「何をどう表現したいのか分からない」、七転八倒の孤独と苦悩の日々でした(自分で言うのはオコガマシイが)。 てなわけで、あとどのくらい描けるのかは分かりませんが(次の発表も未定ですが)、命を削って?描いた作品群の行く末を、これからもみなさんに見届けてもらえればと思います。 ★中学時代に一緒に絵を描いていた知り合いより、二人展の感想が寄せられました。コメント欄で

加藤栄吾・高橋フミアキ 二人展

「 加藤栄吾・高橋フミアキ 二人展」 (終了しました) 6月24日~29日 12:00~19:00(最終日17:00まで) 中野画廊アヴェニュー (現在閉廊されています) ★グループ展「元気なアート展」にお越しいただいた方々には御礼申し上げます。第二部(高橋は出品せず)が七月から有りますが、その前に、6月後半から同じ画廊で二人展をやります。 今回は最大「95cm×95cm」の大きな作品も出品します。加藤氏は芸大の同期で油彩画ですが、私は前回同様オールCGペイントの絵画になります。 使用機器は、iMac 21.5インチ、 ワコムIntuos3タブレット&スタイラスペン 使用ソフト painterX プリンター EPSON PM-4000PX(8色顔料インク) 期間は短いのですが、グループ展よりもサイズが大きく、一人の作品数が多いので、作家ごとの見応えは有るかと思います。また中野ブローウェイは「サブカルチャーの聖地」とも呼ばれているところで、画廊以外にも面白い店などがたくさん有ります。そう言った点でも楽しめるはずです。 加藤栄吾 (かとう えいご)略歴 1955・埼玉県日高市生 1982・東京藝術大学大学院美術研究科 修了 個展多数  1981 G・アートギャラリー(銀座)  1983・84 ルナミ画廊(銀座)  1988・1991・2000・2002・2004 わたなべ画廊(飯能市)  2001・2002・2005 伊勢丹 そごう 三越等のデパート  2006・2008 中野画廊アヴェニュー(中野)  2007 京王プラザホテル ロビーギャラリー(新宿) グループ展多数  1984 「フォア・ボールズ展」 代々木ギャラリー  1985 「平面・五人展」 東京藝術大学展示室  1986 「FIVE SENSES ’86」 東京藝術大学展示室  1988・1993世田谷美術館  1989・2001・2002・2005・2007 埼玉県立近代美術館  1991・2004・2005・2006 わたなべ画廊 2007 中野画廊アヴェニュー他 高橋フミアキ (たかはし ふみあき) 略歴 1958・東京板

「元気なアート展」中野画廊アヴェニュー

★現在、中野ブロードウェイ内の「中野画廊アヴェニュー」にて、2010年5/27(木)~6/8(火)の期間、グループ展をやってます。高橋GMも小品二点を出品しています。今回は計8名の作家が出品しており、うち3人が大学時代の同期です。 作品は、iMac上でペイントソフトPainterを使用し作画しました。プリンターはEPSON・PM-4000PX。顔料インクなので30年~50年は退色しないと言われています。 場所は中野ブローウェイの二階です。二階へ行こうと思ったら三階へ行ってしまったりと、初めて行くとけっこう迷うところです。駅から中野ブローウェイの一番奥まで(早稲田通りに出る寸前)行って、そこの階段を上ると行きやすいと思います。 (中野画廊アベニューは閉廊しました) ◎ 中野ブロードウェイ      

スペア・ホイールを買った

★今年もまた連休中に「ブレード隊」が有りそうなので、新しいホイールを買いました。 最近は「ホイール」じゃなく「ウィール」と言うらしいです。でもスペルを見たら同じなので、日本語発音の違いだけのようです。「エネルギー」を「エナジー」と言い換えたようなモンです。 どうもスケート・ボーダーが言い出したみたいですが、我々は「アルミ・ホイール!」と覚えて育った世代なので、今さら「ウィール」なんてコっ恥ずかしくて言えません。「ホイール!」で通させてもらいます。 で、今回買ったのは中国の「RADIUS」と言うメーカーの物で、安いです。店はネットで、スキー専門店のようです。この頃のスキー屋さんには、夏場のトレーニング用にインラインスケートが用意されているものなんです。 ◎ websports「スペアウィール/RADIUS製」 普通は左右両足8個分で8000円くらいしますが、これはほぼ半額の4000円です。今はアウトレットなら10000円くらいでスケート一足が買えてしまうので、スペアに8000円も出してはいられません。もちろん精度がいい加減では困るのですが、かと言って、一年に一回くらいの物に大金をかけるのもどうかと思います。で、今回は「ものは試し」と言うことで、中国製にしてみました。 取り出してみてまず気づいたのは、マークもロゴも何も付いてないと言うことです。まあシンプルと言うか、スッキリしてますね。直径は80mm、堅さは82a。数が多いほど堅くなります。82aはかなり堅い方で路上に向いてますね。 色は透明です。ちょっと厚みの加減でサングラスのスモーク色に見えてます。それから形ですが、縦に見て左右が対象じゃないです。片方を削って少し平な面になってます。これで裏表を区別しろと言うことなんでしょうか、よく分かりません。接地面はやや鋭角で狭くなっています。(ホッケー用などは広い) とりあえず新しいせいもあって見た目は非常にいい感じです。ベアリングのハマリ具合もちょうどいいです。精度が悪いとベアリングがゆるゆるだったり、逆にキツくて外れなくなったりするのですが、まったく問題有りません。あとは実際に滑ってみてどうか、・・ですね。 ところで、今回のコースは「高崎伊勢崎自転車道」はどうか、なんて話しにはなってます。

ekワゴンに買い替えた

★ 最近はあまり車にも興味が無く、買い替える気も無かったのですが、 三菱の「ekワゴン」を買いました。 13年以上乗った車を買い替えると「エコカー減税」や「補助金」がフルにキャッシュバックされると聞いて、何気なく、ウチのは何年ぐらいだろうと数えてみたら、今年の5月でちょうど13年目になると言うことが判明したのです。 さらに2010年3月末で終了予定の「エコカー減税・補助金」が9月まで延長になった、と言う話しを聞くに及び、「もし買い替えるなら、今なのかなあ・・」と思うようになりまして、で、いつもお世話になっている整備工場の営業マンに相談してみたら、トントン拍子に話しが進み、つい先週、三菱ekワゴン納車の運びとなったと言うわけです。(さすが営業マン・・) それまで乗っていた車は、自動的に廃車となります。 「多くの人が、古い車をエコカーに替えれば、その分、環境に優しくなる」 というのが狙いだそうです。ついでに景気の刺激にもなると言うわけです。なお今回、5月を過ぎないと古い車の登録期間満13年にはなりませんが、買い替えが目的であれば、前後3ヶ月のズレは承認されるらしいです。(廃車は5月に行われます) いままでの車は「ミニカ・タウンビー」と言う、当時流行したクラッシックタイプの軽自動車でした。 ウチの車庫は軽しか入るスペースが無いし、出来るだけお金もかけたくないので、今回も軽からの選択となったのですが、あまり迷いは無く、形のバランスがいい「ekワゴン」にほぼ決めていました。 が、正式に発注した後で、たまたま自動車サイトのユーザーレビューを読んだところ、ekワゴンは「パワーが無い」とか「坂道を登れない」とか「高速では通用しない」などと酷評されていまして、あんまり評判が悪いんで「失敗したかなあ」なんて不安になったんですが、実際に乗ってみたら、そんなことは無いんです。かなりいいじゃないですか。 何より驚いたのは乗り心地です。「これ、ホントに軽自動車?!」ってくらいの乗り味でビックリしましたよ。多少ゴツゴツ感も有りますが、段差を上がる時は意外とソフトだし、とにかく音が静かで、トルクが力強いです。軽くアクセルを踏んだだけですぐ街乗り巡航速度 40kmに達するので気が楽ですね。今までは40kmに乗せるまでが大変で、後ろから

自動車免許の書き換えに行った

★先日、5年ぶりに「府中運転免許試験場」へ免許の書き換えに行って来ました。以前は3年ごとでしたが、法律が改正されたんですね。 この時期はいつも確定申告が有り、晴れていれば少しポカポカして来る季節なので、自転車で東村山税務署までポタリングをかねて行くのがけっこう楽しみなのです。今年は免許の書き換えも有るので「ニ度楽しめるなあ」などと思っていたのですが、いかんせん悪天候で寒い日が続き、一日延ばしになっていました。 この日も夜に雪が降っていましたが、次第に晴れて来ると言うのでやっと行くことにしました。案の定、行きはレインコートが必要でしたが、やがて日が射し始め、景色を楽しむには申し分無い日となりました。府中試験場は東八道路沿いなので、コースは武蔵野公園に行くとのほぼ同じです。 試験場近くになって気づいたことは「代書屋さん」が無くなっていたことでした。東側に一軒見つけましたが、更新手続きの方法が変わったことで、失効した人など以外は、書類書き込みの必要が無くなったようです。更新の知らせのハガキにも「免許証・ハガキ・更新料金」以外は必要無しと書いてありました。 便利にはなったんでしょうが、私は毎回この代書屋さんを利用していた方なので、ちょっと寂しいような気にもなりました。写真を撮ってくれて、5分ほどできれいにタイプしてくれるのです。 1000円ほどお金はかかりますが、街で証明写真を撮る金額を思えばそれほどでもありません。 何より頼んで良かったと思うのは、出来上がった用紙を持って試験場へ行った時です。そのまま窓口に出せば、ロビーであたふた書類を書いている人の順番をゴボウ抜き?にして行けるので、その時いつも、ささやかながら優越感を感じたものでした。 それだけ便利だったので、「なんでみんな代書屋さんを利用しないんだろう」と不思議に思いましたが、海の家の駐車場みたいに、大勢で寄ってたかって呼び込みをする光景が何となく怖いような、いかがわしいような気分になるのかも知れないですね。 じつは自分も最初そう思って避けていたんですが、ある時、オバさんに腕をつかまれ、強引に引っ張り込まれてしまったのです。「何すんだ!」とビックリしたのですが、やってもらったらこれが実に便利だった・・、と言うわけです。 が、今回はそんなやり取りも無く、

イチローがたどり着いた「夢のかなう場所」

★この前「アメトーク」と言う番組で、「僕たちキャプテン翼芸人です!」ってのをやってまして、ついつい見てしまいました。そのとき面白かったのは、この漫画は世界中で翻訳され、有名なサッカー選手も子供のころから読んでいて、かなり影響を受けているらしいと言う話しでした。 子供って、こう言う風に、漫画とか映画とかに影響を受け、将来の目的を決めてしまうことがけっこう有るんですよね。頭の堅くなった親たちは、「そんなクダラナイことで自分の進路を決めていいのか!」って嘆きそうですが、しかしたとえば、いま50代前後の科学者で「鉄腕アトム」の影響を受けていない人はまずいないそうですよ。それくらい「子供の夢」と「物語」とは、密接に連動しているものなのです。 それは野球も同じだと思います。イチロー選手がメジャーに行ったばかりのころ、セーフコ・フィールドに立ち、「ここが、マイ、フィールドオブドリームスだ!」と、感慨深げに語る姿が有りました。彼もまた、映画「フィールドオブドリームス」を見ていて、少なからず影響を受けたからこそ出た言葉なのでしょう。 あの映画を観た人の多くは、ラストシーンの印象から「親と子の絆の映画」だと思っていますが、実際には「途方もない夢を実現させる」と言うのがテーマの作品でした(後に原作者WPキンセラ氏も語ってます)。だからイチロー選手があの言葉を、新しい夢に向かってセーフコ・フィールドで発したと言うのは、きわめて正しい使い方だったと言えるのです。 あの映画は1989年の日本公開なので、鈴木一朗少年は高校生だったでしょうか。「絶対にアメリカでプロの野球選手になってやる!」暗い映画館で、そんな「途方も無い夢」を見ていたのかも知れません。 あの映画に限らず、考えてみれば、1980年代から'90年代にかけてのキーワードは、「夢」だったような気がするのです。スポーツ選手だけでなく芸能人なんかでも、インタビューを受けるたびに「あきらめなければ、夢はかなう」と言うような発言を多用していた、そんな記憶があります。 ドラマでも「夢」をテーマにした傑作がたくさん放映されました。私が好きなものでは下記のようなドラマがあります。 ◎ 「ライスカレー」 倉本聰作。二人の若者が、日本の安っぽいライスカレーをカナダで流行らせると言う夢を

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