スキップしてメイン コンテンツに移動

イチローがたどり着いた「夢のかなう場所」

★この前「アメトーク」と言う番組で、「僕たちキャプテン翼芸人です!」ってのをやってまして、ついつい見てしまいました。そのとき面白かったのは、この漫画は世界中で翻訳され、有名なサッカー選手も子供のころから読んでいて、かなり影響を受けているらしいと言う話しでした。

子供って、こう言う風に、漫画とか映画とかに影響を受け、将来の目的を決めてしまうことがけっこう有るんですよね。頭の堅くなった親たちは、「そんなクダラナイことで自分の進路を決めていいのか!」って嘆きそうですが、しかしたとえば、いま50代前後の科学者で「鉄腕アトム」の影響を受けていない人はまずいないそうですよ。それくらい「子供の夢」と「物語」とは、密接に連動しているものなのです。

それは野球も同じだと思います。イチロー選手がメジャーに行ったばかりのころ、セーフコ・フィールドに立ち、「ここが、マイ、フィールドオブドリームスだ!」と、感慨深げに語る姿が有りました。彼もまた、映画「フィールドオブドリームス」を見ていて、少なからず影響を受けたからこそ出た言葉なのでしょう。

あの映画を観た人の多くは、ラストシーンの印象から「親と子の絆の映画」だと思っていますが、実際には「途方もない夢を実現させる」と言うのがテーマの作品でした(後に原作者WPキンセラ氏も語ってます)。だからイチロー選手があの言葉を、新しい夢に向かってセーフコ・フィールドで発したと言うのは、きわめて正しい使い方だったと言えるのです。

あの映画は1989年の日本公開なので、鈴木一朗少年は高校生だったでしょうか。「絶対にアメリカでプロの野球選手になってやる!」暗い映画館で、そんな「途方も無い夢」を見ていたのかも知れません。

あの映画に限らず、考えてみれば、1980年代から'90年代にかけてのキーワードは、「夢」だったような気がするのです。スポーツ選手だけでなく芸能人なんかでも、インタビューを受けるたびに「あきらめなければ、夢はかなう」と言うような発言を多用していた、そんな記憶があります。

ドラマでも「夢」をテーマにした傑作がたくさん放映されました。私が好きなものでは下記のようなドラマがあります。

「ライスカレー」
倉本聰作。二人の若者が、日本の安っぽいライスカレーをカナダで流行らせると言う夢を追いかけ、夢とは?、夢を実現させるとはどう言うことを問いながら、珍道中を繰り広げる物語。

「面影橋・夢いちりん」
市川森一作。(ギャラクシー月間賞受賞)。エリートとして出世した四人の男が、学生時代行きつけだった喫茶店を舞台に、ある殺人事件をきっかけにして、純朴だった学生時代のそれぞれの夢を思い起こす話し。

「夢に見た日々」
山田太一作。それぞれに崩壊した家族や人間関係の傷を背負った人々が、落ちぶれた隅田川沿いのレストランに集まり、店の再建を目指す物語。

「私が愛したウルトラセブン」
市川森一作。(放送文化基金賞受賞・第19回ドラマ番組部門奨励賞受賞)。ウルトラセブンという夢作りの舞台裏を描いたドラマ。ちょっとした流行語になった『夢見る力』とは、このドラマのサブタイトルです。

ところが、90年代の後半になり、「夜空のムコウ」という歌が大ヒットしました。その歌詞には・・

あのころの未来に僕らは立っているのかなぁ
 すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ


・・と、夢に向かって頑張ってはみたけれど、振り返って見れば、いま自分が立っているところは、あのころ思い描いた場所では無いような気がする、と言う、少々沈んだ空気が世の中を漂い始めるのです。

そこにはやがて迎えようとする「21世紀」と言う新時代が、子供のころ想像したSFのような、華やかな未来世界では無さそうだ、という失望感も込められていたのかも知れません。

確かにノストラダムスの大予言?も起こらなかったし、「2001年宇宙の旅」のような壮大な未知の現象も起きませんでした。そんな、やや暗い時代にあって、野茂投手やイチロー選手、新庄選手などのメジャー移籍が明るい話題としてニュースになりました。

そしてあの、イチロー選手の「ここが、マイ、フィールド・オブ・ドリームスだ!」という声が聞こえて来たのです。映画が公開されてからすでに10年。誰もが忘れかけていたタイトルでした。そしてその声の響きは、「まだ夢は終わったわけじゃない」そんな風にも聞こえて来ました。

それからと言うもの、イチロー選手の大活躍が始まるわけですが、その姿に魅せられ、熱心に観戦する男がいました。フィールド・オブ・ドリームスの原作を書いた作家「WP・キンセラ氏」です。

彼は偶然にもアイオワからシアトルに移り住んでいて、イチロー選手のプレーを目の当たりにし、そして「ここが、マイ、フィールド・オブ・ドリームスだ!」という言葉をも聞くことになったのです。

それは彼にとって、ちょっとした衝撃だったのかも知れません。遠い国からやって来た名も知らぬ若者が、自分が育て上げた作品のタイトルを口にし、驚くべきプレーを連発するようになるんですから。その証拠に、やがてキンセラ氏は「マイ・フィールド・オブ・ドリームス:イチローとアメリカの物語」と言う、イチロー賛美の著書を発表することになるのです。

そしてもう一人、「ぜひイチローのプレーを生で見てみたい」と、球場を訪れた人物がいました。何とそれは、フィールド・オブ・ドリームスに主演した「ケビン・コスナー氏」でした。

そのニュース映像を見て、私は(勝手な思い込みではありますが)三人の奇妙な符合に、軽い戦慄さえ覚えたのです。かつて映画「フィールドオブドリームス」で、鈴木一朗少年を感動させたであろう二人が、今度はイチローのプレーに驚愕して球場を訪れる‥‥、それは、あまりに出来すぎた物語のように思えました。

「If you build it, he will come.(それを作れば彼はやって来る)

WP・キンセラが物語を書き、ケビン・コスナーが演じ上げた「夢の球場」に姿を現したのは、俊足で強肩、あきれるほどヒットを打つ、まるでシューレス・ジョーのような外野手「イチロー」だった・・、ついつい、そんな妄想にふけってしまったのであります。

類い稀なヒーローに感動して作家は物語を作る。その物語に夢を見た子供たちが、やがて未来のヒーローとして育って行く・・ そうやって時代は進んで行くのかも知れません。

そんなイチロー選手も今年で10年目。彼がメジャー・リーグに思い描いた夢は実現したのでしょうか。もちろんやるからには「ワールドシリーズ制覇」が目標だろうし、そう言う意味では、まだ夢の途中なんでしょうが、そのワリには、なぜか優勝を狙えるチームに移籍しないなど、疑問も残ります。

ただ、2009年に200安打の記録を達成した時の、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」との言葉に、ヒントが隠されている言えば、言えるのかも知れません。

もう一つ「WBC」という降って湧いたようなイベントを通して、イチロー選手の意外な面を覗いたような気はしました。それは彼の「WBC」に対する、あまりに熱すぎるこだわりようです。やや冷めた感じの「松井選手」とは対象的で、異様なまでの意気込みに見えました。

その勢い余って第一回の「WBC」では、「今後三十年は日本に手を出させない」発言が問題になりました。これはちょうど一次リーグ(アジア予選)が始まる直前だったため、世の中的には(特に韓国では)韓国チームに対する暴言と解釈されてしまいました。

でもあの時、私にはそうは聞こえなかったんです。即座に「メジャー・リーグへ殴り込みじゃ!」という意味に取りました。なぜなら、イチロー選手はかねてから「世界一を決める大会にしか興味が無い」と語り、アメリカ代表がマイナー選手ばかりのオリンピックは拒否してましたから・・ もし韓国チームをツブすのが目的なら、オリンピックでも良かったはずです。

だから、あの発言は「アメリカ人に日本野球の素晴らしさを思い知らせてやる!」と解釈する方が正しいでしょう。その手始めが、韓国を始めとするアジアの国々だったと言うことですかね。そもそも彼は「韓国」という名は一度も発してないのですから。

私が、二度のWBCを通してイチロー選手について感じたことは、彼は、我々が思っている以上に「日本人」という自我意識が強いと言うことです。アメリカに馴染んで、アメリカ人のように振る舞ってヒーローになる、と言うより、自分が活躍することによって「日本野球、どんなもんじゃい!」って思わせたい気持ちの方が強い気がします。

反対に、アメリカに馴染みたい願望が強いのは「松井選手」の方でしょう。WBCに興味を示さず、ヤンキースでのWシリーズ制覇が優先と語った姿を見ると、イチロー選手とは、どこか違う夢の見かたをしてる気がします。しかも契約の絶対条件が、「優勝を狙えるチーム」と言うことだそうで、なるほど、物静かなナイスガイというイメージの強い彼ですが、じつは、常にステータスを求めるプライド高き選手なのかも知れません。

松井選手の夢としては、常々発言している通り「チームの優勝」が一番に来るんでしょう。それも打つだけでなく守備にもついて、自分がフルに貢献した状態でないと満足出来ない、そう言う気持ちが強いんだと思います。もちろん(残念ながら)イチロー選手のような「とんでもない記録」を狙える位置にいないことも理由にはなります。

もし二人に共通点があるとすれば、個人的に思うのは「映画フィールド・オブ・ドリームス」を観て影響を受けた、最後の世代になるかも知れないと言うところです。たぶん二人が引退するころには、「フィールド・オブ・ドリームス?、・・観たこと無いですねえ。ボクは『ROOKIES』に感動して、野球選手になろうと思ったんです」なんてプロ選手が増えていると思いますよ。

そのドラマの世界では、かつてあれほど活躍した脚本家たち、山田太一さんや市川森一さん、そして倉本聰さんたちも、あまり作品を書かなくなくなりました。作家がどんどん世代交代をしているのです。同じように野球選手にも世代交代が始まります。同年代であり共に30代後半を迎えるイチロー選手、松井選手は、ドラマで言えば、いよいよ「最終章に突入」したと言うところでしょうか。

そろそろ「夢の結末」のために急がないといけませんね。二人とも過去に「50歳までやりたい」との発言をしていますが、最も良い形でプレー出来るのは、やはりこの先5年くらいでしょう。松井選手が、煮え切らないヤンキースに見切りをつけ、早々と移籍を決意したのも、そういう気持ちの表れだと思います。

とは言え、思ったより早い、年俸半減でもOKと言う、あまりにいさぎよい決断だっただけに、私はまたまたヘンな妄想を働かせてしまいましたよ。もしかすると松井選手も、あの「不思議な声」を聞いたのではないだろうかと・・

「Heal his pain.(彼の苦痛を癒せ)
「Go the distance!(最後までやり遂げろ!)

彼は今年36歳、フィールドオブドリームスの主人公「レイ・キンセラ」が、不思議な声を聞き「夢のかなう場所」へと導かれて行ったのも、36歳だったんです。




 

コメント

このブログの人気の投稿

7「回想,真夜中のローラー・スケート」

前回までのお話し →  「37年越しの・・、墓参り」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 東京芸術大学  1979年〜1982年 美術学部絵画科 油画アトリエ・・ 芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。 この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。 それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」 彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。 「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」 「タ、ツ、ロ、ウ・・?」 「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」 ・・それが、僕たちの会話の始まりでした。 それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です) 「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」 と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。 それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって...

(野球の)神様に愛される男

★賛美だろうが批判だろうが、終わってからなら何とでも言えるので、とりあえず今のうちに少し書いておくことにしましょう。 今回のWBC日本代表は、監督を始め選手たちもけっこう悪く言われてまして、自称「野球通?」の素人ファンの某ブログでは、「イチローのような頼りになる選手がいないから苦戦するんだ」なんて意見も出てました。 けど、イチロー選手だって、第二回大会の前半戦までは、まったく打てず大ブレーキになってましたよね(記憶力悪過ぎまっせ!)。あの時だって、万が一、途中で敗退していたらどんな言われ方されていたか・・ そう言うのはすぐに忘れて、目の前の印象だけで語るのはダメだと思いますよ。 よ〜く思い出してください。過去の大会どちらも、そんな楽に勝ち進んだわけじゃなかったはずです。むしろ、楽勝と思われた中国に同点ホームランを打たれたりなど、格下の相手に手こずるような「まさかの苦戦」があったりして、むしろ、改めて何が起こるか分からない国際試合独特の緊張感、スリリングな面白さに、いつの間にか引き込まれて行った、と言うのが正直なところじゃないでしょうか。 特に今回は「山本浩二監督」の能力に対する疑問視がずっと続いてまして、かの野村克也氏も盛んに批判を述べております。終いには「ホントはオレがやりたかったのに、周囲にやらせたくないような雰囲気が出来上がっていた」と、ボヤくことしきりで、そんな発言も受けて、各メディアやネット一般人の発言でも、山本監督への批判が高まっておるのです。 もともと私は広島カープのファンで、山本浩二と言えば少年時代の大ヒーローですから、同氏を批判する者にはカミつきたい気分も有るのですが、確かに、かつての広島監督時代には、采配に疑問を感じなかったわけではないのです。 広島野球と言えば、初優勝した年に「ルーツ監督 → 古葉監督」と引き継がれた「機動力野球」が伝統となっています。これは極力送りバントを使わず、盗塁やヒットエンドランを多用し、最低でもライトヒッティングでランナーを進めると言う、非情にアクティブでスリリングな野球を意味するのです。 ところが、山本監督が行った采配は、口では「機動力」と言いながら、ランナーが出ると初回からいきなり送りバントをやらせると言う、新鮮さも面白みもまったく無い、ただの「スモールベー...

管降ろしの謎:その2

★管内閣もそろそろ末期に近づいているようですが、へそ曲がりの私には、いまだフに落ちない点があり、まだ気になっているので、それらを一通り書いておくことにします。 そもそも管降ろしの始まりは、3/11震災後に起きた福島第一原発事故に対する、管総理の初動ミスだと言われていました。つまり・・・ 「管総理は、国民に好印象を与えるべく、パフォーマンスのためにヘリで福島原発へ視察に向かった。その間、総理への放射線被ばくを避けるため、ベント作業は延期され、結果、最悪の水素爆発を引き起こした」 ・・と言うものです。 これは、テレビや新聞、ネットなどあらゆる場所で、自民党政治家、評論家、大学教授、コラムニストなどあらゆる人物が、管総理へのバッシング理由として書き連ねていた内容です。もちろん最初は私も「管総理、エラいことをやらかしたな」と、正直想いました。 しかしその後、NHKなどを始め、あらゆる検証ドキュメンタリー番組を見たところ、報道とは違っていたことが分かりました。事故後間もなく 官邸からは「ただちにベント作業開始せよ」との指示 が出されていたのです。 が、にもかかわらず、一晩過ぎてもまったくベント作業が始まらないことから、業を煮やした管総理が 「なぜ始まらないんだ!電話じゃラチがあかん!」と言うことで、ヘリコプターで現地へ直談判に向かった、と言うのが真相でした。 (これは後に亀井静香氏も、石原慎太郎氏との対談で真相を明かしています。 「亀井氏:東日本大震災が起きた3月11日、私は官邸にいた。東京電力は冷静に対応できず、菅首相が癇癪(かんしゃく)を起こし、福島第一原発に行くまでまったく情報が無かった」 ) 実はこの時、福島第一原発のベント弁の開閉は「電動オンリー」で、電源喪失時に行われるはずの、 手動によるベント開閉 操作方法は存在しなかった そうです。 そのため「ベント解放せよ」の指示が出てもまったく動かすことが出来ず、真っ暗闇の中で設計図を引っ張りだしては、解決策を文字通り暗中模索していた、と言うのが真実のようです。 けっきょく「ヘリ視察」を批判した人々は、誰も原発の取材はしておらず(何しろ入れないんですから)、勝手な憶測でバッシングしていたことが明らかになりました。私の知るところでは、バッシングの間違いを...

2011年、山下達郎、ニューアルバムリリース

★先日、山下達郎氏の6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」が出ました。ホントは昨年の9月ごろ「WooHoo」と言うタイトルで出るはずだったんですが、発売延期のため、約1年遅れでのリリースとなったのです。 凝り性のタツロウ氏のことなので発売延期は珍しくないのですが、かつて「湯水のように金を使い、想い通りのコンセプトでアムバルを作りたい」と熱く語っていた同氏にしては、ずいぶん作り方が簡単と言うか、14曲中9曲がタイアップで、その他数曲ををまとめただけのモノになってる気がします。 まあ、アルバム(album)とは「閉じたもの、幾つかのものをまとめたもの」と言うことなので、本来の姿と言えなくもないのですが。 NEVER GROW OLD (アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング) 希望という名の光 (映画「てぃだかんかん-海とサンゴと小さな奇跡-」主題歌) 街物語 (ドラマ「新参者」主題歌) 僕らの夏の夢 (アニメ映画「サマーウォーズ」主題歌 ) ずっと一緒さ (ドラマ「薔薇のない花屋」主題歌 ) HAPPY GATHERING DAY (「ケンタッキー・フライド・チキン」CMソング ) MY MORNING PRAYER (NTV系「ZIP!」テーマ・ソング ) 愛してるって言えなくたって (ドラマ「冬のサクラ」主題歌 ) バラ色の人生~ラヴィアンローズ (TBS「ブロードキャスター」テーマ・ソング ) こう並べてみると、メロディ的にはかつての面影は少なく、むしろ「新しいタイプの歌謡曲」と言えなくも有りません。なので、昔からのマニアックなファンにしてみれば、「タツロウは終わった」なんて痛烈な批判も出そうですが、私は、これはこれでいいんじゃないかと想ってます。 と言うのも、以前タツロウ氏がFMラジオで、「40歳過ぎても音楽の仕事が出来るとは想ってなかった。それでも仕事をくださるクライアント様には感謝しかない」と語っていたのを聴いていたからです。 ある年齢を過ぎてからは、仕事を選ばず依頼されたことに全力で取り組む、そう言う姿を貫いているのだと想います。「ARTIST」ではなく、まさに「音の職人:ARTISAN」と言ったところでしょうか。 たとえばドラマや映画のテーマ曲なんかでも、既成の曲をあてがうと言うのはまず無いのです。ス...

4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」

前回までのお話し →  3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。 2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。 そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。 Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こ ちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・ しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。 始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、 年が明けた 2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。 天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。 その会場で二度目に会 ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、 「それならそうと早く言ってよ!  あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」 と、強く叱咤するのでした。 Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり 僕が探していた、 ''お墓の場所を知っている人'' でした。 それどころか、当時何年もお墓参りに通 っていた人物、と言うことが判明するのです。 もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。 「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」 と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そ...

デザインコンセプト

★新ユニフォームのデザインがほぼ決定し、発注済みでは有りますが、ここで、どんな成り立ちで今回のデザインが決定して行ったのか、その経過を書きとめておきます。 メンバーの中には直感的に「ここはこの色の方がいいのに」と思う人や「何故こう決まったのか分からない」と言う人もいると思いますので、それらを分かりやすく箇条書きにしました。 これを読んでもらえれば、デザインとは思いつきではなく、コンセプトに基づいて、時間をかけひとつひとつ決まって行くものだと言うことが伝わることと思います。 【グレーシャツ】 グレーパンツが「汚れが目立たなくて良い」「洗濯が楽」など好評のため、グレーパンツを残すことにしました。 そしてシャツもグレーに。現行ブラックシャツは、制作した1999年当時は珍しかったのですが、その後、濃い色のシャツがどんどん増え、似たり寄ったりのチームが増えて来ました。それに比べ、グレーシャツの絶対数は少なく、オリジナリティを発揮しやすいと考えました。 【ホワイトのアクセント】 しかし、全身グレーのユニフォームは、反面「ビジターっぽい」「雰囲気が暗い」などのデメリットが有りました。(左イラストを参照)その雰囲気を払拭するために、何処かに「ホワイト」を入れるのが効果的だと考えました。 そこで、いま流行りの「ツートンカラー(切り替えカラー?)」を活用し、脇腹をホワイトにし、少しでも「明るさ・軽さ」が出るようにしました。 【エンジに黒の縁取りロゴ】 さらに、グレー(無彩色)の寒々とした感じを無くすために、ロゴマーク・背番号を、イメージカラーであるエンジを残し、生かすことにしました。 そしてグレーとエンジの響き合いを良くするため、縁取りはブラックに。背ネーム希望の場合は、ブラック一色の文字で入れることにしました。(背番号文字はイラストとは違います) 【「SINCE 1988」をホワイトで刺繍】 脇腹のホワイトに呼応するホワイトが欲しいため、ロゴ下にバットを模したシルエットを作り、そこに「SINCE 1988」を「ホワイトの刺繍」で施すことにしました。黒字に白い刺繍をすることで、コントラストを強くし、印象的になると考えました。 【エンジのネックライン、袖ラインを入れる】 ロゴ・背番号のエンジに呼応するエンジが欲しいため、ネックライン、袖ラインをエンジにしました。アンダーシャツを着ない場...

3「今ごろ?''facebook''を始めてみた」

前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそう...

iPhone7に対応? Bluetoothレシーバーを持っている

★「iPhone7」が発表されまして、ずっとiPhoneだった筆者としては大いに気になるところですが、今回からついに?「イヤホンジャック廃止」と言うことになりました。 ウワサでは聞いていたのですが、ホントに無くなるとは・・、さすがAppleですね。どんどんユーザーを置いてきぼりにして行きます。 ところが何と、筆者はそれを見越していたのですよ・・、と言うわけでは無いのですが、じつは、すでにもうイヤフォンジャックは使用せず、「Bluetoothレシーバー」に頼りっぱなしなのであります。あんまり便利なので、今は計3個も持って使い分けてます。 なんで3個も?なのかと言うと、これらも充電式なので、電池が切れたらすぐに次のに切り替えられるよう、用意しておくためです。充電するのにやはり数時間かかりますからね。それに、バッテリー交換ができません。バッテリーの寿命がレシーバーの寿命ということになるので、安い内に何個か予備を買っておこうと言うわけです。 3個ともエレコムの製品です。「エレコムわけありショップ」と言って、型落ちやパッケージ崩れを格安で買えるネットショップがあるのですが、そこでたまたま見つけ購入しました。なので、3〜4千円を千円くらいで購入しました。 「最大出力40mW+40mWの高音質ヘッドホンアンプを搭載。ワンタッチ設定のNFCペアリング対応。連続再生9時間の長時間再生、高音質低遅延のaptXコーデック採用モデル」 以上が、その時の宣伝モンクです。これが有ったので、そこそこいい音がするのでは?と思って聴いてみたら、まあまあ、直接ジャックにつなげた時と大差無かったので、良かったと思います。 一番の利点は、当たり前ですが、イヤホンをiPhone本体から離して聴くことが出来ると言うことですね。ケーブルの取り回しが楽になり、行動し易くなるのです。極端な例では、防水ケースにiPhoneを入れ風呂場の壁にかけ、音楽を聴きながら風呂掃除をする、なんて離れ業?ができます。マイクが付いているので突然の電話にも対応可能です。 電車に乗るときでも、ケーブルを短くまとめれば、iPhoneはバッグに入れたまま、レシーバーを胸ポケットに挟めばいいので、ケーブルがブラブラするなんてことも無くなります。特に充電しながらの時など、バッテリーだけバッグの中でつなげばいいので、見た目はもうスッキリしたもんで...

二年前の事件の話し・異聞

*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。 ◎ 前編「 二年前の事件の話し 」 ★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・ (これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています) 僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。 どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・ そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。 これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・ なぜなら、 唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。 * ゴブリンズ・レターとは? 草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが 『二年前の殺人事件の話し』だった。 それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・ * 昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、 「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」 と捕まった。色々説明して、最後に、 「鴨川まで行きます」と言うと、 「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」 と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。 飯沼君とは何の因果か解りません 。   これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『 千葉-鴨川ブレード走行記 』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。 『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』 年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会...

DVコンバータを買った & Apple社雑感

★「DVコンバータ」を買いました。これで、今まで録り溜めたビデオテープをデジタル化し、DVDにして保存しようと言う目論みなのです。 再放送もしない商品化もされていない、貴重な?ドラマのコレクションを持つ僕としては、以前から計画していたことなのですが、なかなかいい製品が見つからず二の足を踏んでいました。 で、ついこないだ気分が再燃し、探してみたらこれが見つかったと言うわけなのです。で、さっそく使ってみたところ、読み込みや編集は簡単でとても便利なのですが、DVDに焼く時間が非常に長い。一枚6時間くらいかかります。これがネックですね。パソコンの能力にもよるのでしょうが、一気にDVD化にすることは出来ません。気長にやるしか無いです。 でも、工夫すれば使い道はいろいろあって、こないだは録画した音楽のライブビデオを取り込んで、そこからサウンドファイルだけを取り出し、iTunesに入れることも出来ました。 この調子ならLPレコードの音も?と思ってやってみたのですが、当初はうまく行きませんでした。やはり映像と同調していないとダメなようです。そこでビデオを流しながら、音はレコードにつなぐと言う方法でやったら、何とかうまく行きました。 ともかくは、Macに対応していて良かったです。MacではiMovieと言う編集ソフトと連動させて使いますが、この手のものは、Windows版しか無くてガッカリ、なんてことも多いモンなんです。 そう言えば、iPodはWindows版も出て、Appleの方から歩み寄ったって感じが有りますが、そのお陰で随分売り上げを伸ばしましたね。 今ではMacよりもiPodの方が主力商品になってしまいました。そしてこれからは、「iPhone」がiPod以上に主力になって行くんでしょうが、こないだ面白いニュースを目にしました。 突然iPhoneが大幅に値下げされて、最初に高額で購入したユーザーからクレームが殺到したと言うのです。 これを聞いてちょっとビックリしました。Appleではこんなことは普通に有ることなので、何で今さら?と思ったのですが、けっきょくほとんどが「iPhone」を購入した「Windowsユーザー」からのクレーム、「常識的な消費者の反応」が起こったと言うわけなのです。 Apple製品と言うのは、予告も無く突然大幅な値下げ...