2008年7月30日水曜日

伝説の強打者

本日、「イチロー日米通算3000安打達成」の瞬間を、BS中継で見ました。レンジャース戦の一打席目でした。それを記念して?以前まだブログでは無い頃に書いたゴブメッセージの1つ、「伝説の強打者」を再録することにしました。

なお、以下はイチロー選手が入団して初めてのシーズン、2001年終盤の頃の内容であり、古い記述がいくつも出て来ますので、カン違いの無いように読んください



検証1:1995年の1年間カナダを放浪していて、日本でのイチローの大活躍を知らずにいたN君。帰国後、オリックス時代のイチローのプレーを見て言った。「イチローのどこがそんな凄いんですか?」

検証2:イチロー選手がポスティングシステムでの移籍を宣言したとき、清原、江藤、マルチネスと、あれほど熱心にスター選手集めをしていた巨人が、何故かまったく触手を伸ばさず、いとも簡単に見送りにしてしまったのはどうして?

検証3:当時のマリナーズ・ピネラ監督は、入団後初のオープン戦でのイチロー選手の打撃を見て、「なかなか引っ張りのパワフルな打撃を見せてくれない」と、不満を漏らしていた。

検証4:関口宏のサンデーモーニングで、スポーツご意見番として登場している張本勲氏。たとえ、イチロー選手がメジャーで高打率をマークしても、連続試合安打の記録更新中でも、決して「あっぱれ!」とは言わない。それどころか、何故か評価はいつも「喝!」。その理由は?「当たりそこないが多いから」


これらはいずれも、イチロー選手を「ある印象」によって評価したものです。それは恐らく日本人誰もが感じていた「疑問」に近いものかも知れません。特に張本氏の「当たりそこないが多いから」という言葉が象徴的だと想います。つまり、これまで常識的に考えられて来た「ヒット」と言うもののイメージから来る「違和感」なのです。

常にバットの真芯でボールをとらえ、強烈なライナーで、外野、あるいはフェンス越えの長打を放つ。そう言う打撃こそ「強打者の明かし」であって、イチロー選手のように、当たりそこねを足の速さでヒットにするような打ち方は、完璧な打撃とは言えない・・

草野球でも、ボテボテの内野安打とか、野手の間に落ちるポテンヒットなどには、「ラッキーヒットだ、ピッチャー勝ってるよ!」などと投手を励ましたりします。同様に、逆方向の当たりに対しては、「振り遅れだ!バッターおされてる!」として、バッターの敗北を強調したりするのです。

ですから、イチロー選手がマリナーズでプレーを始めた当初、多くの日本人ファンは「息苦しいような気持ち」で彼の打撃を見ていたに違いありません。「もっと強烈な、快心の当たりを打って欲しい」と。つまりイチロー選手の打球は、確かに記録上はヒットであるけれど、まだまだ振り遅れの「敗北の打球」として、日本人の目には映っていたのです。

それに比べて、同じ頃メジャー入りしていたシンジョー選手は、伸び伸びしていて気持ちよく、何より打球がスカッと飛ぶのが人々の心をとらえました。「シンジョーの方が、アメリカ野球に向いているんじゃないのか?」そんな声を聞くことも多かったのです。

ところが、ヒットの3分の1を「当たりそこね」で稼いでいたイチロー選手に、なぜかメジャー投手の激しい内角攻めが始まるのです。時にそれは彼の背中を直激し、幾度かバッターボックスの中でうずくまることもありました。それは正に、新顔の強打者に対する洗礼そのものでした。

そんな攻撃をかいくぐって、やがてイチロー選手の驚異的な連続試合安打が始まると、興奮した観客たちは、立ち上がってイチローコールを始めるようになりました。イチロー選手は、その声援に後押しされるように首位打者に躍り出て、そして何と、オールスターゲームでのファン投票1位と言う快挙まで成し遂げてしまうのです。

その様子を逐一テレビで見ていた日本人は、大きな喜びと同時に、ちょっと驚きも感じていました。「イチローってそんなに凄かったの?」と。そして戸惑いながらも、少しずつ、「・・なるほど、こう言う打撃でもいいのかも知れない」と想うようになって行ったのです。

そもそも野球では、打っただけではヒットになりません。フェンス直撃弾を放っても、走らずボーッとしていたら、返球されてアウトになってしまいます。当たり前の話しですが、打ったあと「野手の送球よりも速くベースにたどり着く」ことによって、ヒットが生まれるのです。

つまり「ヒット」とは、「打つこと」と「走ること」の二つをやり遂げて、初めて成立するものだと言うことです。ですから、どんなボテボテの内野ゴロでも、ボールより速く走れば「完璧なヒット」。逆に、どんなに強烈なライナーを飛ばしても、野手に捕られたら「単なる凡打」、そのことに尽きるのです。

イチロー選手は日本にいるころから、その考えに徹していました。「あとコンマ何秒か速く走れたら、ヒットが数十本増えるはずだ」として、陸上のコーチを訪ね、走るフォームの改造に取り組んだのは有名な話しです。

さらにスパイクについても、メーカーに徹底的な軽量化を要求したと言います。(近年、パンツをロングからストッキングが見えるスタイルにしたのも、風の抵抗を少なくするためだと言います)

つまり彼にとって野球とは、「投げる・打つ・捕る・走る」と言う、あらゆる身体能力を駆使して挑む総合的なスポーツであり、中でも「足の速さ」は、非常に重要な位置を占めていると言うことなのです。いや、それどころか、ひょっとするとイチロー選手は、ある極論に達しているのかも知れません。

「打撃とは、走るための時間かせぎに過ぎない」

どうも彼のプレーを見ていると、そこまで考えているような気がしてなりません。どんな打球を飛ばすかと言うことについては、あまり興味が無いように見受けられるのです。

そうして夏を迎え、実力の無い者には投票しないはずのアメリカの野球ファンが、オールスターNO.1に選んだのは、ボテボテの内野安打を量産する「イチロー選手」でした。その快挙を成し遂げた日、彼は、いみじくもこんな言い方で自分の気持ちを表現しています。

「アメリカの野球ファンは、とても野球が好きで、野球と言うものをよく知っている。そう言う人々に選ばれたことを誇りに想います」



検証1その後:「イチローのどこがそんなに凄いんですか?」と言っていたN君。今では、草野球での自分の外野からの送球を「レーザービーム!」と称して投げるようになった。

検証2その後:ホームラン打者狩りしていたはずの巨人のWオーナーは、「オリックスがぼんやりしてるからイチローをアメリカにとられちまうんだ」と怒鳴り散らしたとか。

検証3その後:ピネラ監督は、イチロー選手が21打席ノーヒットの後、レフト前へどん詰まりのポテンヒットを打ったのを見て、「やっとイチローらしい当たりが出たな。もう大丈夫だろう」とコメント。

検証4その後:サンデーモーニングのスポーツご意見番、張本氏は、「私は、走り打ちは好きではないんですが、こうなったら首位打者を狙ってもらいたいですね」と、トーンダウン・・

アメリカでは「ベーブ・ルース」の登場以来、ホームランバッター、パワーヒッターが野球の主役となりました。関係者はこぞって野球用具の改良に力を注ぎ、飛ぶボール、反発力の強いバットの開発で選手にホームランを量産させました。そう言う野球をすることが、観客を集めることにつながるとヤッキになって来たのです。

イチロー選手の打撃スタイルは、その流れに逆行するかのように想えました。が、人々の目には、むしろ新鮮で衝撃的に映ったのかも知れません。

そのイチロー選手、今一番の話題と言えば、新人の最多安打記録223本を抜くかどうかと言うところですが、ここへ来て、実は元ホワイトソックスの「ジョー・ジャクソン(シューレス・ジョー)」がインディアンス時代の1911年にマークした233本が真の記録だ、と言う説がにわかに浮上して来たらしいです。

彼は八百長容疑で球界を追放されているので、公式の記録ではないはずなんですが、シューレス・ジョーまで引き合いに出してしまうところが、またイチロー選手の凄さなんでしょうか。

同時に、ふと想いました。ベーブ・ルース以前のアメリカには、俊足・好打・強肩を武器とする選手がたくさんいたと言います。その中でもシューレス・ジョーは飛び抜けていて、その守備の素晴らしさは、「彼のグラブの中で三塁打が死ぬ」と言い伝えられたほどでした。

同じ左バッターで同じ外野手、俊足で強肩、あきれるほどのヒット数・・

伝説の名選手「シューレス・ジョー」が、今の時代に活躍していたなら、もしかするとそれは「イチロー」のような選手だったのではないか、そんな空想もしてしまうのです。



  

2008年7月26日土曜日

新ユニフォームお披露目試合「G.B.Crew戦」

★新ユニフォームがついに完成、お披露目となりました。試合の終盤は暑さと相手の平均年齢の若さにやられてフラフラ状態。けっきょく時間切れに救わそれはさておき、久々の「GOB-NEWS」は新ユニフォーム特集。



まず女子の安田選手ですが、選んだ帽子が八方型で、前面の出っ張りを気にしていたようです。が、見た目的には問題は無いと思います。



次にイギリス出身のアンディ選手。胸ロゴの感じを見ていただきましょう。今回は「スピード感」や「鋭さ」「躍動感」と言ったスポーツに有りがちな傾向は排除し、古い昔のユニフォームに使われるような雰囲気を狙いました。

ただ、同選手のパンツが、かつて台湾系のポー選手がアメリカで購入して来た物を譲り受けたため、色が微妙に違うのが問題点。本人は「買い替えたい」と言っているようです。



せっかくのお披露目の日に帽子を忘れた鈴木選手。他にもエンジストッキングを忘れて、以前の黒いストッキングで間に合わせた土屋選手などがいましたが、鈴木選手ほど、ストレートパンツをきれいに着こなせる選手はゴブリンズには他にいません(他チームにはいると思う)。

今回ベルトを白にしてみたのですが、お腹の区切りが見えなくなり、スマートに見えます。白スパイクとの配色もとても良く合っています。



最後に背番号を見ていただきましょう。左バッターなら良かったのですが、じつはこの日、暑さのせいで写真なんかどうでも良くなっていたのです。(同選手はのちに左バッターに転向)

何とか撮影したのがこの四人で、背番号が写っていたのは、師富選手の空振りシーンだったと言うわけです。

この字体はレッドソックスタイプ。ひとつ間違えばそっくりになる恐れが有ったのですが、帽子をエンジにしたことで、充分オリジナリティを出せたと思います。




試合の方は「6対4」で見事勝利!。新ユニフォームお披露目の記念試合を勝利で飾ることが出来ました。が、夏も本番、酷暑炎天下の試合で、勝負に勝って暑さに負けた。そんなゲームでした。



  

2008年7月20日日曜日

幻の八幡様

★夏の思い出と言えば、こんなことも有りました。これは不思議な話しでは有りませんが、自分の勝手な空想で、少しだけ不思議じみた?記憶となって残っているお話しなのです。


小学校2年のころのことです。通っていた「保谷第一小学校」の通学路を、学校の北側へたどって行くと、駄菓子屋が一軒あって、その先はずっと雑木林になっていました。さらにその林の中のジャリ道を進んで行くと、畑や田んぼが現れ、小川が流れていて、やがて子供たちに「八幡様」と呼ばれていた、深い静かな森にたどり着くのです。

その森に案内してくれたのは「T君」と言う少年でした。彼はちょっと知恵遅れで、授業には集中できず、いたずらばかりしている子供だったのですが、クラスで一番の虫取り名人だったのです。夏になるとせんべいの四角い空き缶に、数十匹のクワガタを捕まえて来ては友だちに配っていました。普段はいたずらをされ嫌っている女の子たちも、この時だけは嬉しそうにクワガタを受け取っていたものです。

ある日、友だち数人が「T君が八幡様に連れてってくれる」と言うので、私もついて行くことになりました。彼らはT君から、虫のたくさん捕れる森が「八幡様」と言うところだと聞き出したのです。そして日曜日、僕たちは虫取り道具を抱えて自転車に乗り、T君の後をついて行きました。

果たしてそこは、夏の少年たちにとって天国のような場所でした。捕れたのは虫だけではなく、小川ではメダカやフナやドジョウ、ザリガニ、カエル、オタマジャクシなど、ほんとうにたくさんの小動物を捕ることが出来ました。日が暮れて薄暗くなるまで、私たちはそれこそ、時間の経つのも忘れて夢中で捕り続けたのです。

別れ際にT君が「化けガエル」の話しをしました。家で飼っている時、カエルがお腹を膨らませて仰向けに水面に浮いたら、それは化けガエルなのだと。そしてそうなったら最後、その夜、必ず恐ろしい夢を見てしまう・・・

私はその話しにすっかり凍り付いてしまったのですが、私のカエルには何事も起きませんでした。その代わりY君のうちで化けガエルが出たそうで、翌日の学校ではその話しで持ちきりになっていました。

その夏休み、私たちはT君の後を追って「八幡様」に入り浸っていました。たくさんの獲物を持ち帰り、飼い切れない物は近所の友だちに配ったりしていました。するとある時、隣の家の一年生の男の子が「八幡様に連れて行って欲しい」と言い出したのです。私は得意満面で案内することにしました。

ところが、二人で自転車を走らせ、いつものように道をたどって行くのですが、どうしても「八幡様」に行き着くことが出来ないのです。何度も引き返し、道順をやり直してみるのですが、何処まで行っても、あの森を見つけることが出来ません。ついには道に迷ってしまい、泣きそうになりながら何とか家に戻ったと言う始末です。

すっかり自信を無くしてしまった私は、あとになって、こっそり一人で「八幡様」に行けるか試してみたのですが、やはり迷ってたどり着くことは出来ませんでした。どうしてなのかは解りません。ただそこで初めて、「八幡様」に行く時は、「いつもT君に案内されていた」と言うことに気づいたのです。

それからと言うもの、「T君について行かなくてはならない」と言うことが煩わしくなり、また、一人でたどり着けなかったことを知られることも恥ずかしく、次第に「八幡様」から遠ざかって行ったのでした。


・・あれから40年近くの時が流れ、「八幡様」のことはすっかり忘れていました。ところがある年、ゴブリンズのA君が野球で骨折したとき、彼を車に乗せ、家まで送ったことがありました。そのおり、彼が住んでいるマンションを訪れたのがきっかけで、あの時の記憶が甦って来たのです。なんと偶然にも、ちょうどそのマンションの建っている辺りが、かつて「八幡様」へと続く雑木林が有った場所なのです。

そのことに気づいた私は、後日、預かっていた物を届けにA君宅を自転車で訪ねた帰り、ものは試しと、あの「八幡様」への道をたどってみることにしました。

・・が、数十年が経って道はほとんど舗装道路になっており、雑木林も消えていました。ところどころに残るケヤキやクヌギが面影を残してはいますが、たくさんの住宅が立ち並ぶだけで、あの田んぼも、森も、小川も・・、いや、コンクリートのフタをして、遊歩道となった川の跡なら見つかりました。これがあの、清らかだった小川の成れの果てなのだとしたら、そうなのかも知れません。

けっきょく、「ここが八幡様だ!」と特定できる痕跡は、ついに見つけることは出来なかったのです。

・・いいえ、と言うより、私はまた、あの少年時代と同じように、道に迷ってしまったのかも知れません。もともと私は、ひとりでは「八幡様」にたどり着けない少年だったのですから。だから、ほんとうはすぐそこに「八幡様」への入り口が有ったはずなのに、私の愚鈍な眼がそれを見つけることが出来なかった、それだけのことなのかも知れません。

しかし、何も見つけることが出来ないまま保谷市(現・西東京市)を抜け、新座市との市境に差し掛かった辺りで自転車を止めている時、とても妙な錯覚にとらわれてしまったのです。

もしかしたら、「八幡様」なんて場所は、本当はこの世に存在しなかったのではないだろうか?。じつはほかの友だちも私と同様、ひとりで「八幡様」へ行こうとして、人知れず失敗していたのかも知れない。つまりあれは、T君にしかたどり着くことの出来ない、不思議な、幻の森だったのではないのか、と言う空想的な疑問です。

だとしたらT君は、まるで「風の又三郎」のような少年で、ひょっとすると、今でも少年のままの姿で、たったひとり、あの不思議な森の中で遊んでいるのかも知れません。音のしない、深い深い森の、日が暮れる時刻まで・・・

これは妄想です。が、だとしても遠い昔ボクは、あの「八幡様」へと続く道の途上で、大切な友だちとはぐれてしまった、それだけは確かなのです。



◎ かつて八幡様の入り口が有ったはずの五叉路





   

2008年7月18日金曜日

GOBLINSの新キャップ届く



★新しい帽子が出来上がって来ました。写真ではストロボの光の影響で若干ザラついて見えますが、実物はもっといい感じだと思います。デザインを考えた本人としては、まずまずの出来です。


  

2008年7月8日火曜日

キツネの嫁入り

★そろそろ夏も近づいて来たので、不思議な話しをひとつ。

以前このブログにも書いたのですが、私の母親は昭和初期に生まれ、秋田県の山奥で育ちました。その村では、幼いころ何度も怪異現象に遭遇したそうです。これもそのひとつです。

ある日の夕方、薄暗くなった田んぼのすぐ近くで遊んでいると、少し離れた農道を、長い提灯行列がゆっくりと歩いていたそうです。夕暮れでシルエットもハッキリしないのですが、ゆらゆらとした不思議な提灯の明かりに目を奪われ、ついつい見とれていたそうなのです。

不思議なのは、茂みや小屋の後ろを通るときです。普通なら、物陰を通り過ぎるときは、その距離の分だけ時間がかかって出てくるわけですが、その行列は、なぜか物陰に入った次の瞬間、スッと反対側から顔を出すと言うのです。その奇妙な動きにも気持ちを奪われ、時間の経つのも忘れて、ぼんやり見続けていたそうです。

ところが、何かの拍子にハッと我に返って、急に恐くなった当時の母親は、あわてて家にかけ戻り、家の者たちにそのことを話しました。すると祖父が「そりゃあ、キツネの嫁入りだべ」と言い、気をつけるようにと戒めたそうです。

つまり、本当はその提灯行列は幻で、見ている者のすぐ近くにキツネが隠れていて、化かしているのだと言うのです。そして夢遊病のように行列の後について行って沼にハマったり、そのまま神隠しに遭うこともあるのだと、おどかされたと言います。

なお、大勢の人が提灯を持って練り歩く行く行事は、その村には無かったそうです。念のため・・


関連記事
◎ もののけCM



   

2008年7月7日月曜日

キャップマーク決まる

★キャップのマークがようやく決まりました。胸ロゴと違って、こちらは未定のままだったことで、時間がかかりました。この他に6種類くらい考えたのですが、けっきょくアルファベットの大文字で、胸ロゴに合わせたシンプルな物に決めました。中心部はホワイト、ブラックの縁取りです。ホワイト部分は今回は盛り上げ刺繍にしたいと思っています。





デザイン画に当てはめてみた画像です。今回はバラバラと制作を進めているので、なかなか全体像がつかめない?と言う人も多かったかも知れませんが、ほぼ「こんな感じ」になると言うことが分かって来たかと思います。(背番号の字体が違いますが、直す気力が無いのでそのままにしてあります)












  





  

2008年7月4日金曜日

デザインコンセプト

新ユニフォームのデザインがほぼ決定し、発注済みでは有りますが、ここで、どんな成り立ちで今回のデザインが決定して行ったのか、その経過を書きとめておきます。

メンバーの中には直感的に「ここはこの色の方がいいのに」と思う人や「何故こう決まったのか分からない」と言う人もいると思いますので、それらを分かりやすく箇条書きにしました。

これを読んでもらえれば、デザインとは思いつきではなく、コンセプトに基づいて、時間をかけひとつひとつ決まって行くものだと言うことが伝わることと思います。

【グレーシャツ】
グレーパンツが「汚れが目立たなくて良い」「洗濯が楽」など好評のため、グレーパンツを残すことにしました。

そしてシャツもグレーに。現行ブラックシャツは、制作した1999年当時は珍しかったのですが、その後、濃い色のシャツがどんどん増え、似たり寄ったりのチームが増えて来ました。それに比べ、グレーシャツの絶対数は少なく、オリジナリティを発揮しやすいと考えました。

ホワイトのアクセント】
しかし、全身グレーのユニフォームは、反面「ビジターっぽい」「雰囲気が暗い」などのデメリットが有りました。(左イラストを参照)その雰囲気を払拭するために、何処かに「ホワイト」を入れるのが効果的だと考えました。

そこで、いま流行りの「ツートンカラー(切り替えカラー?)」を活用し、脇腹をホワイトにし、少しでも「明るさ・軽さ」が出るようにしました。

【エンジに黒の縁取りロゴ】
さらに、グレー(無彩色)の寒々とした感じを無くすために、ロゴマーク・背番号を、イメージカラーであるエンジを残し、生かすことにしました。

そしてグレーとエンジの響き合いを良くするため、縁取りはブラックに。背ネーム希望の場合は、ブラック一色の文字で入れることにしました。(背番号文字はイラストとは違います)

【「SINCE 1988」をホワイトで刺繍】
脇腹のホワイトに呼応するホワイトが欲しいため、ロゴ下にバットを模したシルエットを作り、そこに「SINCE 1988」を「ホワイトの刺繍」で施すことにしました。黒字に白い刺繍をすることで、コントラストを強くし、印象的になると考えました。

【エンジのネックライン、袖ラインを入れる】
ロゴ・背番号のエンジに呼応するエンジが欲しいため、ネックライン、袖ラインをエンジにしました。アンダーシャツを着ない場合や、ロングパンツでソックスが隠れると、エンジ部分が無くなるため、このエンジラインに呼応させます。

【キャップをエンジに】
シャツの配色の印象が、かなり「レッドソックス」に似て来たため、そこから遠ざける意味で、キャップをエンジにすることにしました。バイザーはグレーにし、バイザーラインをエンジにすることにしました。アクセントとして穴かがりをグレーにしました。番号刺繍希望の人にはグレーで刺繍します。

【キャップマークはホワイト】
エンジ生地に映えるように、また、胸ロゴの刺繍のホワイトと呼応させるため、マークをホワイトにし、黒の縁取りにしました。(決定マークはイラストとは違います)

【アンダーシャツ・ストッキングをエンジに】
キャップをエンジにしたことから、全体の色のバランスを取るため、アンダーシャツとストッキングをエンジにすることにしました。

【ベルトをホワイトに】
脇腹のホワイトと呼応するホワイトの面積が少ないため、また、グレーとホワイトの響き合いが思った以上に良かったため、ベルトもホワイトにすることにしました。


配色のセオリーとしては、ある色を使用した場合、必ずその他の数箇所に同じ色を使い、呼応させることが大事です。今回はグレー生地をベースとして、エンジ・ブラック・ホワイトの三色のレイアウトでまとめることにしました。一番難しかったのは、やはりホワイトを何処にどれだけ配色するかと言うことでした。

「白ベルトだとアクセントが弱そうに見えるのでは」との心配の声も有りましたが、それは類型的な発想です。ベルトを黒くすると田舎っぽい印象になってしまうのと、ホワイトとグレーとのマッチングが非常に良かったこと、そしてロゴマークのエンジが思った以上にインパクトが有ったことで、白の弱さを払拭できたと思います。