スキップしてメイン コンテンツに移動

伝説の強打者

★本日、「イチロー日米通算3000安打達成」の瞬間を、BS中継で見ました。レンジャース戦の一打席目でした。それを記念して?以前まだブログでは無い頃に書いたゴブメッセージの1つ、「伝説の強打者」を再録することにしました。

なお、以下はイチロー選手が入団して初めてのシーズン、2001年終盤の頃の内容であり、古い記述がいくつも出て来ますので、カン違いの無いように読んください。

*検証1:1995年の1年間カナダを放浪していて、日本でのイチローの大活躍を知らずにいたN君。帰国後、オリックス時代のイチローのプレーを見て言った。「イチローのどこがそんな凄いんですか?」

*検証2:イチロー選手がポスティングシステムでの移籍を宣言したとき、清原、江藤、マルチネスと、あれほど熱心にスター選手集めをしていた巨人が、何故かまったく触手を伸ばさず、いとも簡単に見送りにしてしまったのはどうして?

*検証3:当時のマリナーズ・ピネラ監督は、入団後初のオープン戦でのイチロー選手の打撃を見て、「なかなか引っ張りのパワフルな打撃を見せてくれない」と、不満を漏らしていた。

*検証4:関口宏のサンデーモーニングで、スポーツご意見番として登場している張本勲氏。たとえ、イチロー選手がメジャーで高打率をマークしても、連続試合安打の記録更新中でも、決して「あっぱれ!」とは言わない。それどころか、何故か評価はいつも「喝!」。その理由は?「当たりそこないが多いから」

これらはいずれも、イチロー選手を「ある印象」によって評価したものです。それは恐らく日本人誰もが感じていた「疑問」に近いものかも知れません。特に張本氏の「当たりそこないが多いから」という言葉が象徴的だと想います。つまり、これまで常識的に考えられて来た「ヒット」と言うもののイメージから来る「違和感」なのです。

常にバットの真芯でボールをとらえ、強烈なライナーで、外野、あるいはフェンス越えの長打を放つ。そう言う打撃こそ「強打者の明かし」であって、イチロー選手のように、当たりそこねを足の速さでヒットにするような打ち方は、完璧な打撃とは言えない・・

草野球でも、ボテボテの内野安打とか、野手の間に落ちるポテンヒットなどには、「ラッキーヒットだ、ピッチャー勝ってるよ!」などと投手を励ましたりします。同様に、逆方向の当たりに対しては、「振り遅れだ!バッターおされてる!」として、バッターの敗北を強調したりするのです。

ですから、イチロー選手がマリナーズでプレーを始めた当初、多くの日本人ファンは「息苦しいような気持ち」で彼の打撃を見ていたに違いありません。「もっと強烈な、快心の当たりを打って欲しい」と。つまりイチロー選手の打球は、確かに記録上はヒットであるけれど、まだまだ振り遅れの「敗北の打球」として、日本人の目には映っていたのです。

それに比べて、同じ頃メジャー入りしていたシンジョー選手は、伸び伸びしていて気持ちよく、何より打球がスカッと飛ぶのが人々の心をとらえました。「シンジョーの方が、アメリカ野球に向いているんじゃないのか?」そんな声を聞くことも多かったのです。

ところが、ヒットの3分の1を「当たりそこね」で稼いでいたイチロー選手に、なぜかメジャー投手の激しい内角攻めが始まるのです。時にそれは彼の背中を直激し、幾度かバッターボックスの中でうずくまることもありました。それは正に、新顔の強打者に対する洗礼そのものでした。

そんな攻撃をかいくぐって、やがてイチロー選手の驚異的な連続試合安打が始まると、興奮した観客たちは、立ち上がってイチローコールを始めるようになりました。イチロー選手は、その声援に後押しされるように首位打者に躍り出て、そして何と、オールスターゲームでのファン投票1位と言う快挙まで成し遂げてしまうのです。

その様子を逐一テレビで見ていた日本人は、大きな喜びと同時に、ちょっと驚きも感じていました。「イチローってそんなに凄かったの?」と。そして戸惑いながらも、少しずつ、「・・なるほど、こう言う打撃でもいいのかも知れない」と想うようになって行ったのです。

そもそも野球では、打っただけではヒットになりません。フェンス直撃弾を放っても、走らずボーッとしていたら、返球されてアウトになってしまいます。当たり前の話しですが、打ったあと「野手の送球よりも速くベースにたどり着く」ことによって、ヒットが生まれるのです。

つまり「ヒット」とは、「打つこと」と「走ること」の二つをやり遂げて、初めて成立するものだと言うことです。ですから、どんなボテボテの内野ゴロでも、ボールより速く走れば「完璧なヒット」。逆に、どんなに強烈なライナーを飛ばしても、野手に捕られたら「単なる凡打」、そのことに尽きるのです。

イチロー選手は日本にいるころから、その考えに徹していました。「あとコンマ何秒か速く走れたら、ヒットが数十本増えるはずだ」として、陸上のコーチを訪ね、走るフォームの改造に取り組んだのは有名な話しです。

さらにスパイクについても、メーカーに徹底的な軽量化を要求したと言います。(近年、パンツをロングからストッキングが見えるスタイルにしたのも、風の抵抗を少なくするためだと言います)

つまり彼にとって野球とは、「投げる・打つ・捕る・走る」と言う、あらゆる身体能力を駆使して挑む総合的なスポーツであり、中でも「足の速さ」は、非常に重要な位置を占めていると言うことなのです。いや、それどころか、ひょっとするとイチロー選手は、ある極論に達しているのかも知れません。

「打撃とは、走るための時間かせぎに過ぎない」

どうも彼のプレーを見ていると、そこまで考えているような気がしてなりません。どんな打球を飛ばすかと言うことについては、あまり興味が無いように見受けられるのです。

そうして夏を迎え、実力の無い者には投票しないはずのアメリカの野球ファンが、オールスターNO.1に選んだのは、ボテボテの内野安打を量産する「イチロー選手」でした。その快挙を成し遂げた日、彼は、いみじくもこんな言い方で自分の気持ちを表現しています。

「アメリカの野球ファンは、とても野球が好きで、野球と言うものをよく知っている。そう言う人々に選ばれたことを誇りに想います」


*検証1その後:「イチローのどこがそんなに凄いんですか?」と言っていたN君。今では、草野球での自分の外野からの送球を「レーザービーム!」と称して投げるようになった。

*検証2その後:ホームラン打者狩りしていたはずの巨人のWオーナーは、「オリックスがぼんやりしてるからイチローをアメリカにとられちまうんだ」と怒鳴り散らしたとか。

*検証3その後:ピネラ監督は、イチロー選手が21打席ノーヒットの後、レフト前へどん詰まりのポテンヒットを打ったのを見て、「やっとイチローらしい当たりが出たな。もう大丈夫だろう」とコメント。

*検証4その後:サンデーモーニングのスポーツご意見番、張本氏は、「私は、走り打ちは好きではないんですが、こうなったら首位打者を狙ってもらいたいですね」と、トーンダウン・・

アメリカでは「ベーブ・ルース」の登場以来、ホームランバッター、パワーヒッターが野球の主役となりました。関係者はこぞって野球用具の改良に力を注ぎ、飛ぶボール、反発力の強いバットの開発で選手にホームランを量産させました。そう言う野球をすることが、観客を集めることにつながるとヤッキになって来たのです。

イチロー選手の打撃スタイルは、その流れに逆行するかのように想えました。が、人々の目には、むしろ新鮮で衝撃的に映ったのかも知れません。

そのイチロー選手、今一番の話題と言えば、新人の最多安打記録223本を抜くかどうかと言うところですが、ここへ来て、実は元ホワイトソックスの「ジョー・ジャクソン(シューレス・ジョー)」がインディアンス時代の1911年にマークした233本が真の記録だ、と言う説がにわかに浮上して来たらしいです。

彼は八百長容疑で球界を追放されているので、公式の記録ではないはずなんですが、シューレス・ジョーまで引き合いに出してしまうところが、またイチロー選手の凄さなんでしょうか。

同時に、ふと想いました。ベーブ・ルース以前のアメリカには、俊足・好打・強肩を武器とする選手がたくさんいたと言います。その中でもシューレス・ジョーは飛び抜けていて、その守備の素晴らしさは、「彼のグラブの中で三塁打が死ぬ」と言い伝えられたほどでした。

同じ左バッターで同じ外野手、俊足で強肩、あきれるほどのヒット数・・

伝説の名選手「シューレス・ジョー」が、今の時代に活躍していたなら、もしかするとそれは「イチロー」のような選手だったのではないか、そんな空想もしてしまうのです。



  

コメント

このブログの人気の投稿

「岬」をネット検索してみる

★むかしむかし、ゴブリンズメンバーのN君などと、インライン スケートでのロングツーリングをやっていた時期がありました。真夏の炎天下をインラインスケートで数日間(100km以上)滑り続けて旅をすると言う無棒?な行為です。 あの頃は「インターネット」はまだ普及しておらず、ゴブリンズの試合結果やいろんなエピソードなどは、全部ワープロで打って、コピーして製本して郵送する、と言う大変なことをやっていました。「ブレード走行記」もその一つです。 そのころ書いたもので「南房総に夏の終わりの夢を見た」「幻のBOSO100マイル」と言う二つの読み物があるのですが、その旅の途上で偶然立ち寄った「岬」と言う喫茶店で、面白いエピソードがありました。そのことをふと思い出しまして、その「岬」をインターネットで何気なく検索してみたら、出て来ました。そこそこの観光ポイントになってるんでしょうか。 (その後、喫茶・岬を舞台にした映画が作られました) 店そのもののホームページではありませんが、まだまだ健在でやっているようです。写真もいくつかありましたが、「こう言う建物だったかなあ?」と思うくらい記憶があやふやになってましたね。ただ色に関しては、我々が訪れた時とは確かに違っていました。壁のペンキを塗り替えたんでしょう。 今だったらこんな風にして、あのころ訪れた場所や宿などを、ネットで検索できるんですね。可能な限りリンクさせたら、ちょっとした観光案内が作れるかも知れないです。・・それにしても、毎年夏になると思い出してしまいます。 古いメンバーがいたころの話しなので知らない人も多いでしょうが、もし興味があったら、走行記も含めて参照してみてください。 ◎「岬」ネット情報 ◎ブレード走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」 ◎ブレード走行記「幻のBOSO100マイル」   

二年前の事件の話し・異聞

*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。 ◎ 前編「 二年前の事件の話し 」 ★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・ (これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています) 僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。 どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・ そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。 これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・ なぜなら、 唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。 * ゴブリンズ・レターとは? 草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが 『二年前の殺人事件の話し』だった。 それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・ * 昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、 「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」 と捕まった。色々説明して、最後に、 「鴨川まで行きます」と言うと、 「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」 と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。 飯沼君とは何の因果か解りません 。   これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『 千葉-鴨川ブレード走行記 』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。 『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』 年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会...

デザインコンセプト

★新ユニフォームのデザインがほぼ決定し、発注済みでは有りますが、ここで、どんな成り立ちで今回のデザインが決定して行ったのか、その経過を書きとめておきます。 メンバーの中には直感的に「ここはこの色の方がいいのに」と思う人や「何故こう決まったのか分からない」と言う人もいると思いますので、それらを分かりやすく箇条書きにしました。 これを読んでもらえれば、デザインとは思いつきではなく、コンセプトに基づいて、時間をかけひとつひとつ決まって行くものだと言うことが伝わることと思います。 【グレーシャツ】 グレーパンツが「汚れが目立たなくて良い」「洗濯が楽」など好評のため、グレーパンツを残すことにしました。 そしてシャツもグレーに。現行ブラックシャツは、制作した1999年当時は珍しかったのですが、その後、濃い色のシャツがどんどん増え、似たり寄ったりのチームが増えて来ました。それに比べ、グレーシャツの絶対数は少なく、オリジナリティを発揮しやすいと考えました。 【ホワイトのアクセント】 しかし、全身グレーのユニフォームは、反面「ビジターっぽい」「雰囲気が暗い」などのデメリットが有りました。(左イラストを参照)その雰囲気を払拭するために、何処かに「ホワイト」を入れるのが効果的だと考えました。 そこで、いま流行りの「ツートンカラー(切り替えカラー?)」を活用し、脇腹をホワイトにし、少しでも「明るさ・軽さ」が出るようにしました。 【エンジに黒の縁取りロゴ】 さらに、グレー(無彩色)の寒々とした感じを無くすために、ロゴマーク・背番号を、イメージカラーであるエンジを残し、生かすことにしました。 そしてグレーとエンジの響き合いを良くするため、縁取りはブラックに。背ネーム希望の場合は、ブラック一色の文字で入れることにしました。(背番号文字はイラストとは違います) 【「SINCE 1988」をホワイトで刺繍】 脇腹のホワイトに呼応するホワイトが欲しいため、ロゴ下にバットを模したシルエットを作り、そこに「SINCE 1988」を「ホワイトの刺繍」で施すことにしました。黒字に白い刺繍をすることで、コントラストを強くし、印象的になると考えました。 【エンジのネックライン、袖ラインを入れる】 ロゴ・背番号のエンジに呼応するエンジが欲しいため、ネックライン、袖ラインをエンジにしました。アンダーシャツを着ない場...

6「37年越しの・・、墓参り」

前回までのお話し →  5「二通の手紙、二つの返信」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★教会の牧師様からの連絡で、37年前に亡くなった女の 子と、彼女のご両親が眠るお墓の場所が分かりました。しかし、用事や天候の影響で、実際に墓地を訪れるまでには二週間ほどかかってしまいました。 八王子の「東京霊園」までは、ウチから車で1時間半くらいです。圏央道に乗り、ちょっとしたドライブ気分で車を走らせ、ほどなく到着しました。 とても広い霊園でした。中まで道路が通り、季節の行事の際には周回バスも走るそうです。いちおう霊園地図も用意しましたが、カーナビが効いたので、ギリギリまで難なく辿り着くことが出来ました。 駐車スペースに車を停め、そこから花を持って徒歩で向か います。今回は、近所の花屋で自分で選びました。キリスト教の墓参では、主に白い色の、ユリ、カーネーション、スプレーマムなどでアレンジする、と「冠婚葬祭」の本に書いてあったのですが、仏式が中心のここの売店には無さそうな気がしたのです。 そして間も無く教会墓地の前に着きました。 37年ぶり・・、でした。 1985年10月に祭場で拾った彼女のお骨、一度は遠く離れ、長い年月を巡り巡って・・ 2022年4月7日、何故かこの地で再会することになりました。目の前の、この固い納骨堂の中にあの子はいるので す。それも、ご両親の遺骨と一緒に ・・ 最初の印象で、ここで良かったと思いました。綺麗で広くて落ち着いた場所で。特に今日は、二週間遅れが幸いして、ちょうど桜が満開になっていました。 「いま、確かに安らかにしている」 素直にそう思える場所に彼女はいたのです。 墓前に、まずお花と、Nさんが作った陶器の「白の器」を置きました。そこにウチから持参した水筒で「水」を注ぎます。 キリスト教式では「お花とお祈り」だけだそうですが、そこはそれ、僕は仏教徒だから・・(ニセモノだけど?)お水は上げないと、どうもしっくり来ないのです。 それに、ここまで僕の「道しるべ」になってくれたのは「Nさん」だからです。彼女がいなければ、到底ここまで辿り着くことは出来ませんでした。なので、ぜひNさんが作った器でお水を上げたいと思っていたのです。 お花を供え、お水を上げ、長い時間手を合わせ祈っていると、 「こんなシーン・・、むかし、何かの映画で見た...

7「回想,真夜中のローラー・スケート」

前回までのお話し →  「37年越しの・・、墓参り」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 東京芸術大学  1979年〜1982年 美術学部絵画科 油画アトリエ・・ 芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。 この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。 それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」 彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。 「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」 「タ、ツ、ロ、ウ・・?」 「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」 ・・それが、僕たちの会話の始まりでした。 それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です) 「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」 と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。 それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって...

クローン人間

★クローン人間のことが話題になると、その是非とは別に気になることがあります。キャプテン高橋は少年のころ友人たちと心霊研究をしていたことがあるのですが、そのときの知識に照らし合わせてみると、クローン人間とはどんなモノになるのか、とても興味があるのです。 まず普通の人々はクローン人間を、「肉体の DNA 的複製」とだけ考えがちですが、心霊的に見ればそれだけでは不完全で、その肉体に宿っている霊魂の方が人間の本体なのですから、霊魂まで複製しなければ完全なクローンとは言えないと言うことになります。 では、霊魂と言うのは、複製できるものなのでしょうか?  「複製」と言う概念からは外れるかも知れませんが、霊魂が分裂することはあります。たとえば一番分かりやすいのは「一卵性双生児」です。これはご存知のように、受精した一つの卵子が子宮内で二つに分かれ、二人の人間として生まれてくることですが、この時、同時に霊魂も二つに分かれます。 つまり本来一人の霊魂だったものが、二つの肉体に宿って生まれて来ると言うことになるわけで、我々が考える「クローン人間」に一番近い形と言うことになるかと思います。 逆に、複数の霊魂が合体することもあるようです。と言うより、ほとんどの人が、複数の霊魂が集まって一人の人間として生まれ変わって来ている、のだそうです。だから、一人の人間の中に、一言では表現しきれないようなたくさんの性格、性癖、本人にも分からない奥底の感情など、複雑な意識がうごめいているわけです。 ところが、その複数の人格が完全に統合されていない幼児期に、あまりにひどい虐待を受けたりすると、そのショックで統合に失敗し、人格がバラバラになったままになる「多重人格症」と言う精神病になってしまうわけです。 これは性格が入れ替わってしまうだけでなく、名前や生まれ育った場所、経験したことまで言い分けると言う特徴があります。心理学的には「創作された人格」だと言われていますが、海外では、副人格の言ったとおりの場所にその人の墓があった、なんて症例まで確認されているようです。 まあ、そんな病的ではないにしても、自分の中に、人には言えないような凶暴な性格が潜んでいて人知れず悩んでいたり、酒を飲むと突然人が変わってしまったり、それを翌朝には完全に忘れていたりなど、本来の自分ではない...

機械じかけの秋の虫

★以前、川口市の、「ベーゴマ」を造っていた伝統ある鋳物工場が、周辺住民の反対運動で閉鎖に追い込まれたことがありました。しかもそれは、あとから引っ越して来た住民たちの抗議によるものでした。 このようなことは、あちこちの地域で起こっているようです。たとえば私の家の近くでも、造園業をやっている幼なじみのところへ、新しく建った住宅地の人々がやって来て、「虫がわいたり、風が吹くと葉っぱのざわめきがうるさいから、畑の植木を切ってくれないか」と、事も無げに言ったと言います。 また、近くの会社の独身寮では、「寮の敷地内を通れば、バス停まで回り道をしなくてすむので、ブロック塀を崩して、人が通れるようにして欲しい」とか・・ これらの話しを聞いた時、私は自分の耳を疑いました。 「みんな、どうしちゃったんだい?」と。 いつからか、子供の頃ごく普通に聞いていたお寺の鐘が聞こえなくなりました。じつはあれも「うるさい」と言う苦情のため、鳴らさなくなったのだそうです。その代わり、もっとうるさくて音程の酷い5時のチャイムが鳴らされるようになりました。そして、それには誰からも苦情が来ないと言う不思議。 「少しでも緑を」と植えた並木道では、秋になると落ち葉で大変だから、全部切り倒しませんか?と言う案がホンキで持ち上がっているらしいです。そこまで行かなくても、最近の枝打ちは、幹だけ残して、ほとんどマッチ棒のように裸にしてしまうのですね。 そして、夏の終わり頃になると、市役所には、ある同じような苦情が必ず来ると言います。「夜、虫の泣き声がうるさいから、殺虫剤をまいてくれないか」 ・・風鈴もダメだそうです。盆踊りの太鼓の音も。 ある夏の終わり。夜、歩いていると、たくさんの虫たちの鳴き声に混じって、奇妙な鳴き声が聴こえているのに気づきました。そのまま通り過ぎようとしたのですが、あまりに規則正しく鳴いているので、気になって近寄ってみると、それは草むらに落ちていた携帯電話の着信音でした。 誰かが落として行ったのでしょう。私はそれを拾い上げ、電話に出ようか出るまいまいか迷っていました。「落とし主だったら話しは早いが、他人がかけて来たのだとしたら、説明がやっかいだ」 ところが迷っているうちに、ある妙な考えが浮かんで来たのです。 たとえば、この草むら全体に無数の携帯電話を置き、いっせいに着信音を鳴らしたとしたら・・。そう...

ぐんじょういろと群青領域

 ★「群青領域」、これはNHKの「ドラマ10」で放送された、心に負った深い傷のために演奏が出来なくなった、天才的な韓国人ピアニスト「キム・ジュニ」の挫折と再生の物語です。「群青領域」と言うタイトルに惹かれてちょっと覗いてみたら、最後まで見てしまいました。 ◎ NHKドラマ10「群青領域」 「ぐんじょういろ」 幼稚園の頃、初めて手にした画材「クレヨン」に、そんな名前の色が有りました。青よりもっと暗い、黒に近い青色のことでした。そして、意味も分からず、この言葉の響きだけがやけに耳に残りました。 中学生になったある日、美術の時間に、一人の女子が「あれ、ぐんじょういろの絵の具が無くなってる!」と言うと、近くにいた生徒たちが、「ぐんじょういろ?。今どき、’’ぐんじょう’’なんて言うか?!」とからかいました。 その頃になると、僕たちは濃い青のことを「紺色」と呼ぶようになっていました。「ぐんじょういろ」とは、幼稚園児のような子供が使う色のことで、あか抜けない、ダサい呼び名と言うことになっていたのです。ところが、あるとき僕は「ぐんじょう」の漢字を知ることになります。それは・・ 「群青・・、青の群れ」 なんて美しい言葉だろう、と思いました。その時から「群青」は、僕にとって特別な単語になったのです。 たとえば、村上龍氏が武蔵美在学中に「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞したときも、このブルーは「群青」に違いない、と勝手に思ったくらいでした。 なので、「群青領域」と言うタイトルを見たとき、「このドラマを見てみたい・・」、そう思いました。 主人公の「キム・ジュニ」はバンドでキーボードを担当していましたが、ある出来事に傷つき失踪します。たどり着いた場所は海辺・・。そこで「死ぬつもりはなかった。消えたかっただけ」と、海に飛び込んでしまうのです。 それを助けたのが、海で仲間を失い、やはり心に傷を負って潜れなくなった水中カメラマン「蓮(れん)」でした。 自殺か?と驚いた蓮が飛び込んで、海の底へと沈みゆくジュニに追いつき、抱きかかえた時、二人は透き通った美しい青に囲まれていました。そこが、心の大きな傷を包み込む深層世界、「群青領域」だったのです。 僕にも、もがき苦しんだ時期が有りました。このドラマを見るまですっかり忘れていたことですが・・ 僕は二浪して芸大に合格しましたが、じつは、現役...

AMラジオ、FMラジオ

★みんな、あんまり AM ラジオなんて聴かないと思いますが、このところ、ラジオ番組で一番面白いと思ってるのは、 TBS ラジオの「ストリーム」ですね。午後1時から3時半までやってます。小西克哉氏と松本ともこ氏がパーソナリティとしてやっているもので、政治・経済からスポーツ、音楽、映画、アングラ(死語?)ものまで話題が幅広くてとても面白いですよ。 二人のキャラクターがあか抜けていて、いわゆる AM にありがちな所帯臭さが少ないんですね。特に松本ともこ氏は、もともと FM 出身なので、少し前まで FM が持っていたセンスの良さ、雰囲気をうまく AM に持ち込んで来たって感じです。彼女のファンで、 FM から乗り換えて来たリスナーも多いみたいです。 一番の聞き所は、午後2時からの「コラムの花道」でしょう。これは、説明するのが難しいんですけど・・ マジメな話しもあるのですが、馬鹿げた話題をマジメっぽく取り上げているところが面白いです。ホームページから Windows Media Player で聴けるので試してみてください。一日ごとに変わります。 逆に、最近は FM の番組が子供っぽくって、あまり聴いてないですね。今の FM の雰囲気は、昔の AM のような感じです。流している音楽はいいのですが、対象としているリスナーが低年齢化しているからでしょう。雰囲気が幼いです。昔は FM と言うと高級オーディオのチューナーでしか聴けなかったですが、今は安く手に入りますからね。キャプテン高橋も、いま中・高生だったら聴くでしょうけど・・ ・・とは言っても毎日聴いている番組もあります。 NHK-FM の「ポップスライブラリー」と言うやつで、タイトルとは裏腹に朗読番組なんですよ。その合間に音楽を流すのです。むかしの「クロスオーバーイレブン」の小説版みたいな感じですかね。昨年の夏なんかホラー特集だったらしく、不可思議な小説ばかり朗読して、なかなか興味深かったです。本編は深夜0時20分くらいからですが、聴くのは朝9時20分からの再放送の方です。 そう言えば、むかーし FM 東京では、ゴールデンタイムに何と「通信高校教育講座」と言う受験番組をやってましたよ。いま書きながら思い出しました。ちょっとしたホラーですね、これは・・   

自動車免許の書き換えに行った

★先日、5年ぶりに「府中運転免許試験場」へ免許の書き換えに行って来ました。以前は3年ごとでしたが、法律が改正されたんですね。 この時期はいつも確定申告が有り、晴れていれば少しポカポカして来る季節なので、自転車で東村山税務署までポタリングをかねて行くのがけっこう楽しみなのです。今年は免許の書き換えも有るので「ニ度楽しめるなあ」などと思っていたのですが、いかんせん悪天候で寒い日が続き、一日延ばしになっていました。 この日も夜に雪が降っていましたが、次第に晴れて来ると言うのでやっと行くことにしました。案の定、行きはレインコートが必要でしたが、やがて日が射し始め、景色を楽しむには申し分無い日となりました。府中試験場は東八道路沿いなので、コースは武蔵野公園に行くとのほぼ同じです。 試験場近くになって気づいたことは「代書屋さん」が無くなっていたことでした。東側に一軒見つけましたが、更新手続きの方法が変わったことで、失効した人など以外は、書類書き込みの必要が無くなったようです。更新の知らせのハガキにも「免許証・ハガキ・更新料金」以外は必要無しと書いてありました。 便利にはなったんでしょうが、私は毎回この代書屋さんを利用していた方なので、ちょっと寂しいような気にもなりました。写真を撮ってくれて、5分ほどできれいにタイプしてくれるのです。 1000円ほどお金はかかりますが、街で証明写真を撮る金額を思えばそれほどでもありません。 何より頼んで良かったと思うのは、出来上がった用紙を持って試験場へ行った時です。そのまま窓口に出せば、ロビーであたふた書類を書いている人の順番をゴボウ抜き?にして行けるので、その時いつも、ささやかながら優越感を感じたものでした。 それだけ便利だったので、「なんでみんな代書屋さんを利用しないんだろう」と不思議に思いましたが、海の家の駐車場みたいに、大勢で寄ってたかって呼び込みをする光景が何となく怖いような、いかがわしいような気分になるのかも知れないですね。 じつは自分も最初そう思って避けていたんですが、ある時、オバさんに腕をつかまれ、強引に引っ張り込まれてしまったのです。「何すんだ!」とビックリしたのですが、やってもらったらこれが実に便利だった・・、と言うわけです。 が、今回はそんなやり取りも無く、...