2006年12月30日土曜日

「AQUOSケータイ」にかえた

★携帯のバッテリーに寿命が来たようなので、新しい携帯にかえました。ソフトバンクのAQUOSケータイ、いわゆるワンセグ放送の見られるヤツです。

もともとは自転車やブレード走行で便利なように「GPSナビ」のついたものが欲しくてショップに行ったのですが、持った感じ、デザインがあまりよくないのです。

またauと違ってあまり「GPSナビ」に力を入れていないので、機種も少なく、選択肢が少ないんですね。仕方無いので、あれこれと手に取って見ていたところ、これが目に止まったんです。

とにかく画面がでかい。よく見たら「AQUOSケータイ」の第二弾、新製品で、画面の大きさが2.6インチから3インチに拡大されていました。それにPCブラウザもついているとのことで、何かと便利じゃないかと思えて来たわけです。

と言うわけで、急に気が変わってしまいました。ホントなら、いつもモデルチェンジ寸前の安いやつを狙って買うのですが、今回は最新の高い機種での交換となったわけです。

ただ、料金プランも変更して、基本料金がそれまでより700円安くなりました。「0円」広告で何かと問題になった例の料金プランで、副回線分も含めると、基本料金だけで計1500円ほど安くなります。

使い勝手ですが、持った感じ、少しヘッド(画面部分)の方が重く、ボタンを押す時に違和感がありますが、思ったより軽いとは思います。テレビはクリアなんですが、いわゆるインターネットのストリーミングのような放送だと言うことで、時々データが途切れて音が切れ、ブロックノイズが出ます。

それと起動するのに時間がかかりますね。でもアナログ放送の携帯よりは安心して見ていられます。音は、ステレオイヤホンがついていて、これで聴くと画面の大きさとあまりに不釣り合いな、ハイファイサウンドを聴くことが出来ます。

あと、携帯サイトへのアクセスは非常に早いです。ゴブリンズの携帯サイトなど瞬時に出ますね。これが第三世代の特徴なんでしょうか?。PCサイトへも軽くアクセス出来ます。ゴブリンズのホームページは形が崩れますが、いちおう見ることが出来ます。複雑なフレーム構成のページは難しいようですが、一枚ものなら簡単に見れるみたいですね。

僕が初めて携帯を購入したのは約8年前で、TBSショッピング「東京デジタルホンの格安契約」が始まりだったんですが、あれからするとずいぶん進化したものですね。

僕の場合、野球は広島カープ、パソコンはMacと、巨大勢力には気持が向かない性格で、ソフトバンクから変えることはまずないと思いますが、それでも利用者が増えたと言う話しを聴くと嬉しい気がします。

まあ、ユーザーが「ちょっと得したな」と思えるよう、いろいろ頑張って欲しいですね。 


  

2006年12月22日金曜日

デパペペもいいけど、押尾コータローもいいけど・・

★ギターのリペアをしなくちゃ、と言うことで、あちこちウェブ探索をしている内に、再び自分の中の「ギター熱」が高まって来てしまいました。

我々の頃(フォーク世代)は「マーチン」「ギブソン」のギターがやはり最高峰で、続いてギルドとか、日本ではヤイリギターなんかが有名でしたが、最近はマーチンもギブソンも評価がやや下がっているみたいですね。

今の日本のメーカーでは「ヘッドウェイ」が凄いみたいです。楽器店のエピソードで、マーチンを買いに来た人が、弾き比べた結果ヘッドウェイの方を買って行く、なんてことも多いみたいですよ。

とは言え、1980年代にはアコースティック(フォーク)ギターがマイナー視されたことがありました。フォークブームが去って、フォークギターが「暗い歌の象徴」のように思われた時期があったのです。

そして長い暗黒時代が過ぎまして、1990年代になるまでそれは続きました。エリック・クラプトン氏が「マーチン000-45」を駆使して発表したアルバム、「アンプラグド」のヒットによって、なんとか息を吹き返したと言うことなんですね。

ただし最近の特徴的なのは、「アコースティックギターでメロディを弾く」と言うことでして、これは我々世代にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでもありました。

それまで、メロディを弾くのは「クラッシックギター」で、鉄弦のアコースティックギターは、主に歌の伴奏や、歌を盛り上げるリードギターを弾くもの、いわゆる「弾き語り」に使うものである・・、そんな住み分けが出来ていたからです。

ところが、今やアコースティックギターは完全なソロギターとして、メロディだけを弾くギターに変貌をとげてしまったのです。で、「デパペペ」だとか「押尾コータロー氏」などが世に出まして、一躍脚光を浴びたと言うわけです。

我々世代としては、この「ソロギター」とやらに少々の違和感を抱きつつも、彼らのお陰でようやく「アコギは恥ずかしい物!」と言う先入観を払拭できたこと、これには非常に感謝しております。(このアコギとの省略表現も、阿漕:あこぎ=非常に欲張りでやり方がずうずうしいこと、を連想してしまうので個人的には使いたくないのですが)

まあ、もっと大昔には、「ギターを持っているだけで不良」と言う、問答無用の不可解な時代もあったので、それを思えばどうってことないですが・・

さて、そんな感じであちこちWebを見ていたら、最近は「You Tube」でいろんな映像が見つかるんですが、その中にソロギタリスト「トミー・エマニュエル氏」の演奏ムービーがたくさん有るのを見つけまして、つい聴き入ってしまいました。

「デパペペ」「押尾コータロー」もいいですが、この人はちょっと凄いですよ。CDで演奏を聴くのもいいんですが、映像で指の動きを見ながら聴くと、いっそう凄さが分かります。

「この程度、ロック・ギタリストはいくらでも弾けるよ」と思う人もいるかも知れませんが、アコースティックギターの弦と言うのは、エレキギターのコンパウンドなんてヤワな弦じゃないんです。「非常に硬くてテンションが高い」ので、この早弾きは思った以上にスゴいんですよ。

とにかくカッコイイです。もう「ソロギター、バンザイ!」です。いくつかチョイスしましたので、ぜひ見てみてください。

Tommy Emmanuel
◎ Guitar Boogie Tommy Emmanuel CAAS 2014
◎ Angelina


  

2006年12月16日土曜日

スーパーバルブ、その後・・

新品のスーパーバルブ
★今年の1月、100円ショップダイソーにて「スーパーバルブ」を購入、自転車に取り付けてから、約1年が経ちました。そこでそろそろ使用した感想を書いてみたいと思います。

まず、忘れている人のために説明しますと、これは自転車の空気注入口についている「虫ゴム」の代わりになるもので、虫ゴムの10倍長持ちする?と言う物らしいのです。(注・英式専用)

虫ゴムは1ヶ月ごとに交換するように、と言われていますから(ふつうはほとんど替えませんけどね)、その10倍となると、つまり10ヶ月持つことになるわけです。

1年後のスーパーバルブ
さてどうでしょう?。1年経過したバルブの写真を載せましたが、見た目にはほとんど変化していないようです。空気の漏れも虫ゴムに比べかなり少ない感じです。

虫ゴムのときは毎週のように空気をつぎ足していましたが、スーパーバルブではそんなことは有りませんでした。もちろんまったく減らないと言うことでは無いですが、減る速度は遅く、それが1年経過した今でもほとんど変わり無い状況なのです。

逆に密封度が高いので、空気を入れる時に入りにくいことがたまに有りました。やや不便と言えばそのくらいですが、これも力を込めてポンプを押せばなんとかなります。

それと、車の荷台にも1台折り畳み自転車を乗せているのですが、これにも半年くらい前からスーパーバルブを装着しました。自転車を車に乗せたままにしていると、知らない間に空気が減ってしまい、いざ使おうとした時にはタイヤがべこべこになっていて大失敗、なんてことが往々にしてあります。

そんなこれまでの経験から、折り畳みにも着けてみたわけなのですが、半年経過した現在、一度も空気を継ぎ足さない状態でタイヤはパンパンのままを維持しています。これはいいですよ。空気抜けの予防としてかなり頼りになりそうです。

・・とまあ、いろいろ有って、キャプテン高橋の個人的な結論ですが、「これは非常に便利な代物である!」と言えると思います。もう一度虫ゴムに戻そうと言う気持がまったくおきませんね。

2個100円、1年に1回の交換だけでこんなに安心して使えるし、ほとんど手入れしないママチャリなんかには最適だと思うのですが、なぜ自転車メーカーが純正品として採用しないのか不思議です(特許権とか利権とかいろいろ有るんでしょうか?)

以上が使用してみた感想です。さて1年が経ち、愛車ラーレーのスーパーバルブもそろそろ交換時期なんですが、これがどのくらい保つものなのか検証してみたい気分も有り、もう少し装着したままにしようかと迷ってます。

・・それより、こないだの小川町までの往復94km走行の影響で、後輪のホイールが左右に5mmくらい歪んでしまいました。ブレーキシューが引っかかるので「どうしたのか?」と調べてみたら、曲がっていたんです。途中、悪路もずいぶんあったのでその衝撃のせいでしょう。この「ふれ取り」をとにかく先にしないといけません。


  

2006年12月11日月曜日

往復94km展覧会に行って来た。自転車で?!

12/10の日曜日、友人が埼玉県小川町でグループ展を開くと言うので行って来ました、前回は八高線でしたが、今回は自転車です。片道約47km。往復するとざっと94kmになりますね。朝9時に出発して、着いたのは12時半くらいでした。開場するのは午後1時からなので、軽く昼食をとってそれから訪問しました。(作品については、ここでは省きます)


天気が良かったので、まずまず気持よく走ることが出来ました。道は、二度T字路で曲がった他は道なりで、迷うと言うことは有りませんでした。と言うより、これ以外に道は無いと言った方が正しいのですが。その分いつもの「裏道探し」が出来ず物足りない感じもありましたが、今回は時間の都合で日帰りだったので、とにかく早くたどり着くことが先決でした。


「所沢市」までは買い物圏内なので30分くらいで着きます。そこから463号に乗り「入間市」まで行くのですが、この道が車だと渋滞するところなんです。もし雨なら車で行くか?なんて思っていたのですが、この渋滞を見ると「自転車で正解!」と感じましたね。それらを横目に16号を渡って今度は県道30号に入り、「JR八高線」に沿って進むことになるのです。


「日高市」に入ると、向かい風がかなり強くなって速度が出せなくなりました。時速20kmを保持したかったのですが、この辺で15kmくらいまで落ちてます。でもアップダウンは少なく「つきみ野」へ行くよりずっと楽でした。風景は、今ひとつだったでしょうか。工場や工事現場、寂れた商店街などが続き、冬の強い風と相まって、わびしい気分になって来ました。


毛呂山町の人里離れた場所に「埼玉医科大学キャンパス」と言うのが建設されていました。大きな建物です。あと、めぼしい建物と言えば、やはり毛呂山町の「新しき村美術館」でしょうか。看板を見つけたとき、遠い記憶が蘇って来ました。有名な白樺派の作家「武者小路実篤氏」が提唱したとのことで、寄ってみたくも有りましたが、先を急ぐので失礼しました。


そこからは、大げさに言えば向かい風との戦いで、「毛呂山町」から「越生町」「都幾川村」「玉川村」を抜け、ようやく「小川町」へたどり着いたのでした。最後は「八高線」のすぐ脇を進み、風景が穏やかでした。体力的には余裕が有りましたが、まだ帰りが有ります。往復94kmを約7時間。平均速度13.4kmですか・・。マラソン選手に完全に負けてますね。


すでに紅葉は終わっていると思ってたのですが、けっこう残ってました。晴れたお陰で、とても奇麗な山の景色を見ることが出来ました。途中で食べたコンビニのおにぎりも信じられないくらい美味しかったです。残念なのは、時間が無く日帰りになってしまったこと。滞在は1時間半ほどで、そこからまた3時間半走るのです。帰宅するころには真っ暗になっていました。


★観光案内?
◎ 財団法人 新しき村
◎ お泊りできる料亭 割烹旅館 二葉
◎ 小川の湯 小川ラドン
◎ 女郎うなぎ 割烹旅館福助




 

2006年11月30日木曜日

木村カエラはエラい!

★先日ラジオに加藤和彦氏が出演しまして、そのインタビューで、再結成された「サディスティック・ミカ・バンド」の話しをしてました。ボーカルが三代目となるわけですが、今回は木村カエラさんです。

彼女のことはこのブログでも書きましたが、TVKのローカル番組「saku saku」で初めて知りました。元々は雑誌「セブンティーン」のモデルとして活躍していたそうですが、テレビ出演後、CDを出すと共に、あれよあれよと言う間にメジャーになり、現在の「歌手・木村カエラ」として定着して行ったのです。
◎ sakuSaku公式ホームページ

で、加藤和彦氏のカエラ評ですが、「三人の中で一番うまい!」とのことでした。もちろん起用しておきながら「二代目の方が良かったなあ」などとは言えないわけですから、当たり前なんですが、ただ、その続きの言葉がすごく印象的だったんです。

「彼女は日本語をハッキリととても大事に歌う。最近、日本語を英語っぽく発音するような変な歌い方する人が多いけど、カエラは絶対にそれはしない」

◎ サディスティック・ミカ・バンド公式ホームページ
◎ サディスティック・ミカ・バンドとは?

これを聞いた時、思わず「木村カエラはエラい!」って思いましたね。わざわざ妙な「英語なまり」で歌わなくても、ちゃんといい歌が歌えるじゃないですか。

これを我々素人のオッさんたちが指摘したなら、「負け犬の遠吠え」ぐらいにしか思われないでしょうが、一流のミュージシャン「加藤和彦氏」が言ったってとこがまたエラい。若いモンにへつらうような発言はせず、言いたいことをハッキリ言っちゃうんですね。

これに意を強くして言わせてもらうなら、ああ言う歌い方は「聴いてる方が恥ずかしい」のですよ。R&Bやヒップホップに影響された人たちが特にひどい。黒人が日本語で歌ったらホントにこんな感じになるかもなあ、なんて、逆に感心するくらい上手な英語なまり?でラップしたりするので、思わず「おまえらタモリかよ!?」って言いたくなっちゃうんです。

・・あ、いや、むかーしですね、タモリ氏が、そう言う芸で売ってた時期があったんです。今の人たちは知らないかも?ですね。今なら「おまえら欧米か!?」と言った方がいいんですか?

しかしまあ、我々の時代も「日本語はロックにあわない」と言われまして、英語だけで詩を書くバンドがほとんどだったし、かの有名な「はっぴいえんど」が出現した時には、日本語で歌うロックバンド出現!って、ずいぶん話題になったものなんです。

だから気持は分からないでもないですが、でもあの時はいわゆる「黎明期」だったんですよね。「これから何かが始まる」そう言う時代だったんです。が、今は違います。今は成熟期に入っていなければいけないはずなんです。なのに、昔より「コピー度」はヒドくなっているような気がします。

確かにここまで「欧米化」が進んでしまった社会で、独創的な日本のロックやヒップホップを要求するのは酷かも知れません。でも、指の形から振り付けまで、あんなにマネするのはやめましょうよ。

先日中国で開かれたモーターショーが酷評されてましたよね。「北京モーターショーはそっくりさん大会」。コピー自動車を堂々と展示していたってことでホンダが抗議したって話しです。

「恥ずかしさ」と言う感覚が無いんでしょうか。ちょっと不思議な感じもするんですが、でもその直後「ひょっとしたら日本のヒップホップもこんな感じに見えているんじゃないのかな?」なんてことも少し思ったわけなのです。
◎ 北京モーターショーはそっくりさん大会

まあ、かつて我々も体験しましたけど・・・
「その時一番カッコイイ若者文化は、その数年後には一番恥ずかしいものになる」

・・これは、そのまっただ中にいる時には、分からないものなんですよね。
(あっ、今はカッコイイじゃなくて、クール!って言うんですか?)


  

2006年11月26日日曜日

パーラー・ギターを買った

★20年以上愛用して来たギター「マーチンD35」が、あちこち傷んで弾きにくくなり、いよいよオーバーホールしなければならなくなりました。

インターネットで調べてみたら、ざっと見積もっても10万円。細かいところまで直すとなると、20万円近くかかるような感じです。が、今すぐリペアに出す予算が無いので、その間の「つなぎギター」として、写真のようなパーラー・タイプのギターを買いました。

「パーラー」とは5~10人程度の人の集まりのことです。つまり、そう言う小さな場所で演奏するような、小ぶりで音量の小さいギターのことを言うわけです。

買ったのは「アリアADL-01」と言うモデルです。やや塗装に難があると言うことで、3万円のものを格安で手に入れました。しかし外観はまったく問題ありません。よ〜く見ると確かに塗装の乱れがありますが、ギターと言うのは1〜2年も使用すればあちこちキズだらけになるので、ほとんど問題無いのです。ただ商品としてはこの程度でもダメなんでしょうね。

音の方は、30万円のマーチン(1980年代当時)にはまったく及びませんが、高音がけっこうシャリシャリときれいな金属音を出してくれます。ボディが小さいので、やはり低音はあまり出ませんが、その分高音が強調されて聴こえるのかも知れません。

同じような木材を使いながら、何故これほどまでに音質の差が出てしまうのか、考えてみれば不思議です。もちろん値段もですけどね。

まだギターは何百万円と言う程度ですが、有名なバイオリンなんかだと何千万円と言う差となって表れるわけですから、奥は深いです。

これがいわゆる職人技の違いと言うものなんだと思いますが、リペアの様子をホームページの写真で見ていると、ついつい自分でもやってみたくなってしまいます。

◎ ギター工房オデッセイ




★ギターなのに写真だけでは味気ないと思い、試しに動画で音をとってみました。デジカメのムービーモードなので、あまりいい音ではありませんが、こんな感じです。軽くピッキングしてます。


PeeVee.TV「アリアADL-01・ギター動画」
  

2006年11月15日水曜日

松坂投手の誰もが勘違いしているホントの話し

★これは以前、何かで書いたことなんですが、面白い話しなのでまた載せます。松坂投手が横浜高校から西武ライオンズに入団する時の話しです。

みなさんご存知の通り?松坂投手はホントは「横浜ベイスターズに入りたかった」「なのにドラフトで西武から指名されてしまった」「が、彼は不平不満も言わずにすんなりと入団し、チームのために大活躍をした・・」、これが現在まで日本中に伝えられている松坂投手の「いさぎよさ」のエピソードです。

ところが、ただ一人スポーツジャーナリスト永谷脩氏だけは、「それは違う。松坂は初めから西武入りを狙っていたのだ」と断言したのです。もしそれが本当なら、何故マスコミを含め日本中に、「横浜志望」?と言うニセ情報が広まってしまったのか?。しかも今もなおニセのまま定着しているのか?。

・・じつはこう言う「日本中の見当違い」と言うのはけっこう存在しているのです。特に多いのが政治の世界ですが、最近では「ゆとり教育」にからんだ、例の円周率「3.14」がありますね。

ゆとり教育とは、円周率を「3.14」ではなく「3」で教えるとんでもない教育方針なのだ!、と言う情報が日本中に浸透しましたが、実はこれは、生徒減少を懸念した塾業界がマスコミに流した「デマ?」だったんですよ!?。

・・まあこの話題はまたの機会にと言うことで、今回は「松坂投手」に話しを戻しましょう。

永谷氏の話しが本当だとして、なぜ松坂投手は「横浜志望」と言う本心とは違う情報を世の中に流さなくてはならなかったか?。それは「横浜高校のある人物」にまつわる、横浜ベイスターズとのあまり良くない関係が理由だと言うのです。

そう言うことなので、あまり大っぴらには書けないのですが(永谷氏はラジオで堂々と喋ってましたが・・)、ともかく松坂君は、その人物の顔を立てるため、事有るごとに「横浜ベイスターズが好きです」とインタビューで語ったと言うのです。こう語ることで「松坂は横浜に行く意思があるのだな」と、その「人物」に思わせたかったと言うわけです。

この話しをラジオで聴いた時、ハッとしました。松坂君のテレビでのインタビューを思い出したからです。どこの局かは忘れたのですが、確かに彼は「好きな球団は、巨人と横浜です」とカメラに向かって答えていました。しかし次の瞬間、「でも、好きな球団と行きたい球団とは違います」と付け加えるのを、僕はしっかりと目撃していたのです(聴いていたのです?)。

その時は「ふ〜ん」と見過ごしていたのですが、よくよく考えてみれば、この発言は、「意中の球団は、横浜でも巨人でもない」と言っているのと同じではないか?そう思えて来たのです。ただし、この発言を聴いたのは後にも先にもこれ一回きりだし、他の局はさほど重要だとも思わなかったのでしょう。すべてこのシーンはカットされていたようです。

僕も、このインタビューでの発言を自分の目で見ていなければ、永谷氏のスクープ?「松坂投手、西武入り熱望説」をにわかには信じられなかったかも知れませんね。そして世間と同じように「松坂くんは横浜ベイスターズに入りたがっている」と思い込んでいたのかも知れません。

で、「永谷スクープ」を聞いたあと、その後の松坂君の動向を興味深く見守っていると、確かに、どんな場面でも親代わりとして同席していたはずの「その人物」が、西武に指名されて以後、姿を見せなくなったことに気付いたんです。

永谷氏によれば、じつは「松坂本人が同席を拒んだのが理由」とのことなのですが、もちろん僕には真相は分かりません。そして最終的には、「迷う松坂を、東尾監督が200勝記念ボールを差し出し強引に口説き落とした」と言うシナリオを盛り込み、「東尾監督」「その人物」のどちらの顔も立て、めでたしめでたし、・・だったと言うわけです。

・・さて、今回の松坂投手の「ポスティングでメジャー移籍」でも、当初は盛んに「松坂はヤンキースに行きたがっている」とのウワサが流れてましたが、「ホントかなあ?」と、あの時の話しを思い出し、疑ってしまったんです。

メディアとか報道とかもずいぶんいい加減な伝え方をしているし、それによって日本中の人々が「デマを真実だと信用」してしまうんですから、面白いと言うか、一種のマインドコントロールにも思えるし、けっこう恐い現象ですよね。


  

2006年11月9日木曜日

友人の展覧会に行って来た、八高線に乗って・・・

アトリエ棟
★もう一ヶ月ほど前のことですが、埼玉県小川町まで行って来ました。小川町は手すき和紙で有名なところだそうですが、そこにアトリエを構え在住する大学時代の友人が、個展を開くと言うので行くことにしたのです。

会うのは卒業以来で、久々の20年ぶり、再会と小旅行とを楽しんで来ました。個展を開いた場所は普通のギャラリーではありません。以前倉庫だった建物を改造したものです。

40年前までカレー粉製造工場だったところをアトリエとして借り、その隣の材料倉庫をギャラリーとして自力で改造したそうです。どちらも木造合掌づくりで、行ってみると、もうそれだけで味わいのある建物でした。

右アトリエ・左ギャラリー
作品はいわゆる「現代アート」です。一般の人々には「難解」「独りよがり」と思われがちですが、我々アーティストにとっては、その奥底に隠された謎?を読み解くことがひとつの喜びでもあるのです。

彼の作品も、一見クールで無機質に見えますが、その奥には叙情的と言ってもいいくらいの情感が隠されていました。それは、あえてのんびりとしたこの土地の環境の中で制作を続ける、と言う行為からも充分理解できるのです。

小川町は田舎への入り口と行った感じの町でした。あまり田舎独特の風の匂いがしなかったのが物足りなかったのですが、これは季節がらだったのかも知れません。

ギャラリー内
ただ、今回は残念ながらあちこち散歩できませんでした。時間が無かったと言うこともあるのですが、下調べが足りなかったんです。あとで調べてみたら小川町はいろいろ見所があったんですよね。

TBSで日曜日の早朝5時15分からやっている「東京ウォーキングマップ」と言う地味な番組があるのですが、こないだ偶然目が覚めて、偶然チャンネルを合わせたら「小川町」のことをやってまして(東京とは言っても東京近郊まで取材してます)それを見たところ、けっこう面白そうな田舎町なんですよ。せっかく1時間に1本しか無い八高線に乗ってわざわざ行ったのに、もったいないことしました。

近所の図書館
次回は自転車で、泊まりがけで行こうかと思ってます。距離がだいたい片道50kmあるので、日帰りと言うのはキツそうです。

50kmとは驚くかも知れませんが、本格的なサイクリストなら何でもない距離です。簡単に日帰りできます。が、こちらはいいかげんな自転車乗りなので、のんびり行こうと言うわけです。

それでもまあ、自転車で行ったことのある知り合いによれば「それほどの山道ではない」とのことだそうで、わりと本気で考えてますよ。一日に三組しか泊めない有名な旅館もあるそうだし、面白そうです。

◎ 和紙のふるさと小川町
◎ 東京ウォーキングマップ非公式サイト



  

2006年10月29日日曜日

彼が輝いている理由

★2006年のプロ野球日本シリーズ「日本ハムファイターズ 対 中日ドラゴンズ」は日ハムの圧勝で終わりました。このシリーズの感想や解説は、今さら素人の僕があれこれ語る必要も無いと思うのですが、ひとつだけスゴく印象的な言葉がありました。

それは、札幌ドームに移動したあと、あるドラゴンズの選手が語った言葉・・
「日ハムの選手たちがカラフルに見えてしょうがない」

かの選手はよっぽどのプレッシャーを感じていたのでしょうか。日ハムのユニフォームは白かグレーだし、カラフルに見えるわけがありません。なのにキラキラと色づいて見えたと言うのは何故なのか?

で、もしや?と思いました、彼は、知らないうちに「オーラ」を見ていたのではないでしょうか。ノリに乗っている日ハムの選手たちが放つ「オーラ」を、無意識の内に感じ取ったのかも知れません。

霊視能力者によれば、オーラと言うのは、その人の体調、精神状態などによって様々に発色し、しかも勢いに応じて大きく光って見えるのだそうです。だから勢いに乗った日ハムの選手たちからは、物凄い大きさのオーラが出ていたことになるのです。

もしそうだとするならば、その中心はもちろん新庄選手でしょうね。彼のオーラは並大抵のものでは無いらしいですから。

今や、一般視聴者よりも芸能人に注目されている番組「オーラの泉」に、新庄選手もゲストで出たことが有ったのですが、その時、新庄選手を見た江原氏は「あなたのオーラは凄いですね!」と驚いてました。

それによれば、新庄選手のオーラは非常に大きく、特に両手からは噴水のように沸き出していて、目まいがしそうなほどだそうです。

では、なぜそのようなオーラを持つようになったのか。それは新庄選手の前生に起因しているとのことです。江原氏や美輪氏によれば、彼の前生とは「隠れキリシタン」だったそうで、運悪く捕らえられ、凄まじい拷問を受けたのですが、決して口を割らず、仲間の名前も居所も伏せたまま拷問死してしまった人物だと言うのです。

で、その時の、自己犠牲により大勢の命を助けた功徳のお陰で、今生、誰よりも有名になり人気者になると言う幸運のオーラを手に入れたのが、新庄剛志と言う人間だと言うのです。

そう言うものを背負って生まれて来たからなんでしょうか。江川紹子さんとか小沢遼子さんなど、ミーハーとは無縁な、ウサン臭いモノは徹底的に叩くはずの、反骨女性評論家たちから、何故かしら絶大な支持を受けているんですよね。女性は本能的に、その人間の本質を見抜くと言いますから・・・

それとは逆に、少し歳をとった男たちからは嫌われている傾向もあるようです。これほどまでに北海道を盛り上げ、プロ野球人気に貢献した新庄選手なんですが、それでもまだ「調子に乗りすぎる」とか「規律を守らない」などと、毛嫌いするアンチ新庄派もいるんですね。

まあ、その気持は分からないでもないですが、でもですね、江原氏の霊視がホントなら、新庄君は前生で、「地獄を見て来た男」なんです。それを思えば、少しぐらいの好き勝手は許してあげてもいいんじゃないですか?

それとも、彼らはけっこう前生で拷問を加えた当人たちだったりして・・?


  

2006年10月22日日曜日

自転車のハブのグリスアップをした

★一年に一回は自転車のグリスアップをしなければ、と思い、今日思い切ってやりました。

素人なのであちこち一気にやるわけには行かないのですが、とりあえず一番酷使するホイールのハブをやりました。

まずホイールを外して、タイヤとチューブを外し、ハブの軸を抜きます。で、ベアリングを一個一個ピンセットで取り出して、そこについた汚れた古いグリスをきれいに拭き取るのです。

それから新しいグリスを充填して、また逆のことをしてはめて行きます。この時ベアリングの当たり出しをするのですが、キツくてもユルくてもダメ。ちょうどいいところで締め直すのがけっこう難しいのです。まあ、これまで何度か失敗しながらやって来ているので、何とかなりました。

その後、ホイールの「振れ取り」をします。「振れ」とは、ホイールのゆがみのことです。写真のような振れ取り台に乗せて回転させると、波打って見えるので、スポークを一本一本締めたり緩めたりして波打ちを消して行くわけです。

最初の頃は、メンテナンス解説本を見てもワケが分からず、直すつもりがどんどんひどくなったりしたのですが、最近はコツが分かって来て、けっこう思い通りに行くようになりました。うまいこときれいに「振れ」が取れると快感ですよ。

この「振れ取り台」は、ネットショップの「サイクルベースあさひ」で買ったもんですが、プロ用の正確なものではないので簡単な作業にしか使えません。ただ、在庫処分だったのか、半額くらいで買えたのはラッキーでした。生半可な?自転車乗りにはちょうどいい代物です。

この後は、チューブとタイヤをはめて、最後にまた自転車に取り付けます。グリスアップをすると全体的に音が静かになります。これまた気持いいんですね。まあとにかく、これでまた一年くらいは快適に走ってくれるでしょう。


  

2006年10月18日水曜日

晩夏、夜空の詩人たち(大曲花火大会)

★僕自身は東京板橋の生まれですが、両親は秋田県出身です。今は合併して大仙市となりましたが、その昔は大曲市と言って、あまりパッとしない田舎町でした。

ところが、1981年に放送されたNHK「新日本紀行」でこの町の花火大会のことが放送されると、それが評判になり次第に観光客が増えて行ったのです。そうして今では、なんと全国から70万人の人々が詰めかける観光の目玉にまでなったのです。

で、少し前の土曜日なんですが、一大イベントに変貌した「大曲花火大会」の、今と昔を比較取材したドキュメンタリー、「新日本紀行ふたたび・夜空の詩人たち」が放送されました。その中で、かつての「新日本紀行」の映像をまじえながら、当時出演した花火師のその後の姿が映し出されていました。

じつは昔の「新日本紀行」に若手花火師として登場していた、「小松さん」と言う人は、母親の子供の頃の同級生なのです。小松さんの家は元々農家なのですが、第一回大会から出品していた常連でもあるそうです。「新日本紀行ふたたび・夜空の詩人たち」によれば、現在は引退して息子に代を譲り「株式会社・小松煙火工業」として全国の花火大会などで活躍しているとのことです。

◎株式会社・小松煙火工業

元々この大曲花火大会は、全国の花火師が腕を競う「競技花火大会」なのですが、子供の頃はそんなことも知らず毎年見物に行ったものでした。花火大会の時期は、夏休みの終わりが近づく8月下旬の25〜26日あたりです。

小学生の頃は、毎年夏休みと同時に母親と秋田に里帰りしました。実家には祖父母と叔父一家が住んでおり、そこでお盆に父親と合流し、さらに山奥の南外村にある父親の生家に行って墓参りなどするのですが、僕と母親は、父親が東京に戻った後も花火が見たくて居続けました。

◎大曲の花火・大曲全国花火競技大会

大曲花火大会動画・(母親がデジカメのムービーモードで撮影)


当時は蒸気機関車で片道10時間以上かかる長旅だったので、簡単に行ったり来たりは出来ず、いったん里帰りするとそのまま長居してしまうと言うことがよく有ったのです。

けっきょく毎年、まるまる一ヶ月秋田で暮らすと言うことになり、だから、僕にとっての夏と言えば、秋田の田んぼの匂いであり、奥羽山脈の眺めであり、花火大会の歓声だったと言うわけなのです。今考えるとずいぶん贅沢だったと思うのですが、その頃はそんなことにも気づかず、田舎の夏の中を駆け巡っていました。

やがて中学に上がり、親と行動するのがおっくうで行かなくなってしまったのですが、高校二年のとき、五年ぶりに一人で訪れてみると、以前はケンカばかりして厄介な存在だった二つ下の従姉妹が、14歳の中学生になっていました。

1970年代の話しですから、ホントに素朴な田舎娘でしたが、透き通るような少女の雰囲気がとても眩しく、あちこち一緒に出歩くのが楽しみで、いろんなところを案内してもらいました。

が、それもお盆を過ぎると、北国の短い夏休みは終わって従姉妹は中学に戻り、僕は再び一人で山や川を歩き回ることになるのです。そのころすでに絵を志していたので、スケッチブックを持ち、あちこち描いて回りました。

そんなある日、台風がかすめた影響で大雨になると、その日を境にして、急に物悲しい秋風が吹き始めるのが分かりました。子供の頃は気づかなかったのですが、東北の秋は、こんな風に一瞬にしてやって来るものなのです。

それからはもう夜は寒いくらいで、花火大会の夜は毛布無しではいられなくなります。大会決行合図の花火が打ち上がると、祖父の引くリヤカーに、ゴザや弁当や酒、ジュース、おやつ、毛布などを詰め込み、夕暮れの道を、約4キロ離れた会場の雄物川(おものがわ)の土手まで、1時間くらい歩いて行って陣取るのです。

花火大会の規模は、今と比べるとずっと地味だったと思いますが、それでも東京あたりではまず観ることの出来ない素晴らしいものでした。

帰り道、途中の道には街灯がまったく無く、人の顔も分からないくらいの真っ暗闇になってしまうのです。そこを従姉妹たちと大騒ぎして帰るのも楽しみのひとつでした。



・・・あのとき描いた風景はもうありません。開発が進み、道路が整備され、町はすっかり変ってしまいました。天神様が有った裏山の辺りはスキー場になりました。そして、懐かしい人々が一人また一人と、田んぼを売って土地を離れて行くのです。

藁葺き屋根の曲屋造りだった実家も建て替えられ、新築の家になってしまいましたあの家の押し入れには「ロボット三等兵」「まぼろし探偵」など、貴重なマンガ本もたくさんあったので、それもちょっと惜しいことをしたなと思います。

僕はもう何年も花火大会には行ってませんが、両親や親戚はけっこう時間を作って見物に行ってます。農業のかたわら花火師をやっていた小松さんは、その後腕を上げ、あちこちの花火大会に招かれるようになると、やがて花火師一本で生活するようになって行ったそうです。

大曲の花火大会も年々規模が大きくなり、貴重な夏の観光資源になっているようですが、やはり僕には、祖父母や従姉妹たちとリヤカーで出かけた、あの、夏の終わりの花火大会が最高だったと言う気がするのです。

ちょうど高校生だったあの頃、ユーミンの「晩夏(ひとりの季節)」と言う曲が流れていました。そのせいでしょうか。それとも歌詞の中の情景がよく似ていたのでしょうか。あの曲を聴くと、なぜかあの夏休みのことを思い出してしまうのです。



◎晩夏(ひとりの季節)歌詞
その後の調べで、「晩夏(ひとりの季節)」は、ユーミンがコンサートで訪れた、秋田県横手市の情景をヒントに作られた、と言うことが分かりました。懐かしさを感じたのはそのせいだったんでしょうか?