2018年8月17日金曜日

ブログ引っ越し

これまで使用したブログが広告だらけになってしまったので、現在、ブログの引っ越しをしています。書き始めた2005年の記事から順に手作業で移行しているので、時間がかかりますが、その分、普段は閲覧する機会の無い古いモノが読めますので、興味がある人はどうぞ・・・

          ↓  ↓  ↓
 

2009年10月13日火曜日

東北楽天のゆくえ?

★東北楽天ゴールデンイーグルスがパリーグ二位となり、CS出場も果たしたと言うのに「野村監督解任」と言うことで、なんだかファンも大騒ぎ、野村氏も大荒れのようですな。

まあ元々私が、「田尾監督解任 → 野村監督就任」の時に大反対した立場なので、これに関してのコメントは差し控えたいとは思いますが、この「東北楽天」と言う球団が目指しているものが何なのか、それには大いに興味を持ちました。

もしや、ひょっとすると、突然の思いつきによる解任ではなく、かなり前々から構想していた一貫性のある「球団経営ビジョン」なのかも知れない、そう思ったんです。でなければ、ここまでやってくれた監督を解任するなんて、相当アホなヤツってことになりますよね。

同時になんと、今年で広島の監督を辞める「ブラウン氏」が候補に上がっていると言うウワサがあるとのことで、ビックリしました。でも、そのとき何となくピンッと来るものがあり、ある推理を働かせてみたんです。

以前から言われていた、先進的(アメリカかぶれ?)な考えの持ち主「三木谷会長」以下、楽天首脳陣ともなれば、メジャー流管理方式を目指しているんじゃないか、そんな気がしたんです。

まずは、弱小球団「東北楽天」を一流のプロ集団に育成してもらうには、再生工場「野村監督」がどうしても必要、しかしその後は、古い日本式野球からメジャー式の「ベースボール」に移行して行かなければならない、そんな思惑があるような気がします。

私自身は今年前半、いい感じで勝ち進んでいた東北楽天を見ながら、心配になったことが有りました。それは、野村監督が、マー君を始めとする先発投手陣に対して「完投」にこだわり過ぎ、肩のケアにはまったく無関心なのが気がかりだったんです。

たとえばマー君が、何試合か連続で150球近く投げ、その結果、肩の違和感を訴えると、野村監督は試合後のインタビューで、「違和感?、違和感って何だ。ワケが分からん!」などと、どやしたりしてましたね。

私はこのとき、マー君はシーズン後半、肩の疲労で、間違いなく調子を落とすだろうと予感しました。彼はまだストレートも力投、スライダーも力投なので、悪いなりに打ち捕るといった、力を抜いてかわす術を持っていないように思えます。だから、疲労が溜まり、ちょっとでもボールの威力が落ちると、とたんに連打を浴びる傾向があるだろうと推測したのです。

こう言う力投型の投手って、大事に使わないと、寿命が短くなってしまうと思うんです。しかも今年は、WBCでの疲労が残ったままのシーズンインであり、特に注意が必要だったはずです。

スターターとして100球前後で交代、余力を残した形で管理をしながら、シーズン後半の大事な場面では大車輪の活躍をしてもらう、それがベストの起用法だったと思うのです。

素人が生意気に失礼だとは思いますが、でも予感した通り、マー君はCSを前に調子を落としましたよね?。つまり逆に言えば、素人でも簡単に予測できていたってことなんですよ。

それからもうひとつ、日ハムがヒルマン前監督から梨田監督に交代しましたが、これによって、ダルビッシュ投手の球数制限が無くなり、やはり150球前後での完投が多くなった結果、彼もまた、疲労による戦線離脱が目立ちました。

なので、こう言う投手の管理って、「エースは完投すべき」という日本式の理想論じゃなくて、そろそろ現実に即して考えた方がいいと思うんですよね。

だから、誰も想定しなかった、「ブラウン氏、監督候補」と言う、前代未聞のウワサ話しが持ち上がるんだと思うのです。日本式投手管理の否定です。

彼の広島での投手管理は完全にメジャー方式でした。結果は万年Bクラスでしたが、若手投手はかなり育ったんですよ。特に前田健太投手はブラウン監督とほぼ同時入団だったので、完全にメジャー式によって育成された投手ということになります。

結果、入団当初は140km前後の球速しかなく「打者転向」も噂されていた前田投手が、なんと球速150km越えを成し遂げ、時期エースの期待もかけられているのです。なぜそれが出来たのか?。それはメジャー方式により球数を抑え、一度も肩や肘の故障を起こさなかったこと、これが一番大きな要因なのです。

つまり「球速は天性のもの、プロ入りしてから速くなることは無い」と言い切っている野村監督の野球セオリーは間違っている?と言うことになるわけです。球数を抑え、肩や肘のケアを怠らなければ、プロ入りしてからでも球速は大きく伸びるのです。

・・と言うことで、これまでは球界最高と言われた野村監督の野球知識ですが、一番よく知っているはずの「投手」に対して、残念ながら、考えの古さがやや目立つようになって来てしまいました。

その姿を目の当たりにした楽天首脳陣にしてみれば、「そろそろ交代時期かな?」、そういう考えにう至ったとしても仕方が無いと思いますね。

私には、その点以外では、ちょっと解任の理由が見つからないんです。

もし、あえて「それ以外」と言うなら、かつて優勝、日本一へと導いたヤクルトスワローズの選手たちから、ほとんど慕われていないと言うところでしょうか。あの古田氏でさえ、あれっきり電話の一本もしなかったそうですよ。これは野村監督自身が語ってたことなので間違い無いです。

その辺の「人徳」の問題でしょうか?。・・・わからないけど。 




   

2009年10月5日月曜日

SEIYUで850円ジーパンを買った

★ここ数年、ジーパンは「ユニクロ」の特売で買うようになってました。通常¥2980するのもを、特売の土日だと¥1980になるので、「すごくお得だぜ!」と、感動?しながら買ったもんです。

ところが、このたび「SEIYU」で一本¥850のジーパンを売り出すと聞き、ビックリして、さっそく先週の金曜日に買いに行きました。

さぞかし人気でごった返しているだろう、と思ったのですが、けっこう閑散としていました。平日で雨が降っていたし、夕方5時半という時間帯のせいもあったのでしょう。まあその分、ゆっくり試着が出来たので良かったかと思います。

じつは私、「何かを待つ」と言うことがとても苦手なたちで、たとえば行列が出来る店なんて、まったく興味が無いくらいなのです。医者も、簡単な病気なら、すぐに診察が終わった方がいいので、ワザと待ち時間の無いヤブ医者を選んで行くことにしてます。買い物もそうで、洋服類などは試着室が混むのが嫌なので、この日のように閑散としていると嬉しくてしょうがないのです。

で、品物の話しですが、値段はこれ以上ない安さで良かったです。が、着心地は日常的に着用してみないと分からないので、試しと言うことで2本だけ買って来ました。色は二色有りました。濃い紺色と、やや薄めの紺色です。多少ストーンウォッシュ加工はして有りますが、見た目の良さはユニクロの方が上かな、と言う気がします。タグを見てみると「バングラディシュ製」となっていました。

家に持ち帰り、まず一回洗濯しまして、それから一日はいてみました。肝心な着心地は(あくまで個人的な感想ですが)足の曲げのばしの時に、ややヒザがひっかかるような感じがしました。それと、うっかりしていると、ポケットの白い裏地が表から見えてしまい、みっともない感じになるのが気になりました。

でも、それ意外はまったく問題なくはけてます。あとは自転車に乗って漕いでみるとか、少し複雑な動きをしてみたいと分かりませんね。でも普段着用するのには、充分なんじゃないでしょうか。

SEIYUだけでなく、イトーヨーカドー系列の「ザ・プライス」でも¥980ジーパンを売り出しているようなので、今度試してみようかと思います。(イオンでも¥880ジーパンが有るそうですが、ウチの近所には店が無いのです)


(2016年現在、1200円ジーパンとなっています。購入してみましたが、850円時代よりも縫製は良くなっています。サイズも裾詰めの手間を省くためか、数種のウエスト+丈の組み合わせが有りました。カラーも濃いインディゴと薄いインディゴなどが有ります)




  

2009年9月9日水曜日

あの夏の日、怪物くんが・・・

★今年の甲子園は面白かったです。夢中になりました。幸い?昼間にテレビを見れる環境にいたのですが、高校野球はあまり興味が無い方だったので、こんなに引きつけられるとは意外でした。とにかく一方的になる試合が少なく、逆転に次ぐ逆転のスリリングなゲームの連続は、必死の選手たちには申し訳ないですが、なかなか上質のエンターテイメントでした。

あるスポーツジャーナリストによれば、各高校が「有力選手集め」を自粛したためだと言います。つまり、某プロ球団ではないですが、スゴい選手ばかり集めても、すぐに優勝できるほど単純なものではない、という事実をようやく認識し、いわゆる「野球留学」が減ったためなのです。その結果、いい選手が各校に分散することになり、戦力が拮抗してゲームが非常に面白くなったってことですね。‥‥人気低迷のプロ野球には、いい教訓ですな。

ところで、今年は栃木の作新学院が、36年ぶりに出場したとの話題が有りました。36年ぶりと言えば、つまりあの怪物くん「江川卓投手」で出場して以来と言うことになるんでしょうか。当時は、藤子不二雄原作のアニメ「怪物くん」がヒットして間もない頃だったので、新聞などによっては、ただ「怪物」と言うより、「怪物くん」との見出しをつけることも多かったようです。

その怪物くんが登場した1973年のあの日、僕は友人たち四人と、伊豆大島の「砂の浜海岸」にいました。海辺で「一週間のキャンプ」をしていたのです。四人は中学時代からの友人同士で、その関係は、それぞれが別々の高校に進んでからも続いていました。

僕たちは、深夜に墓地を歩き回ったり、人跡未踏の原生林や洞窟の中にまでテントを張って一夜を過ごしたり、その手記を、ガリ版刷りの小冊子にして学校中に配ったりなど、一風変わったことをやっては、周囲を驚かせていました。そうやって、まわりの少年たちとは違う「風変わり」「変人」を気取っていたのです。

そんな変人たちにとって、海辺でのキャンプはノーマル過ぎるかとも思えましたが、何事にも限度というものが有ります。まるまる一週間海辺に居続けるという行為は、考えていた以上に過酷なことでした。それは始まってすぐにわかりました。あまりの陽射しの強さに、このまま全員、焼け死んでしまうかも知れない、という恐怖を味わうことになりました。

逆に思わぬ楽しみも見つけました。泳ぎに来る地元の少女たちの着替えが、あまりに大胆だったのです。海の家なんて無かったし、人の少ない海岸だったせいもあるでしょうが、それでも数人でやって来て、いきなり砂浜のど真ん中で脱ぎ始める様子には驚きました。それも、大きなタオルを頑丈に巻き付けるでもなく、まあ下半身はスカートで隠しながらですが、下着を脱ぐ瞬間は興奮モノだったし、上半身はけっこうポロポロと見えていました。

僕らのテントはそこから少し離れた場所だったので、「しまった!双眼鏡が有ればなあ!」と皆で舌打ちをしましたが、それでも、ほぼ毎日のようにやって来ては、着替えシーンを披露してくれる彼女たちに、ただただ感謝??の日々でした。(今ではこんな光景はあり得ないでしょう)

双眼鏡は無かったのですが、天体望遠鏡なら用意してありました。仲間の一人が天文好きで、空気の澄んでいる大島なら是非にと、わざわざ背負って来たのです。(それでも軽い方です。僕は何とギターを担いで行きました)。おかげで、僕は初めて「天体望遠鏡で星を見る」という体験をさせてもらいました。

ちょっとワクワクしながら覗いたレンズの中に見えたのは、想像していた「図鑑」のような星ではありませんでした。輪郭がボンヤリして、ゆらゆらと陽炎のように揺れる光の球でした。「地球の大気のせいなんだ」と、その友人は説明してくれました。それが木星だったのか土星だったのか、今では思い出せません。

キャンプをしていたのは僕らだけでは有りませんでした。それぞれ少し距離をおきながら、数張りのテントが有ったでしょうか。いつしか夜になると、対テント同士で「ロケット花火」の打ち合いが始まるようになりました。もちろん悪意が有ったわけではなく、退屈しのぎと言うか、ほんの遊び心でした。そのミサイル合戦は毎晩のように続き、次第にエスカレートして、各テントの前には、手の込んだ発射台が構築されるようになりました。

花火は丘の上に一軒だけ有った売店に置いてありました。各テント同士の交流はほとんど無かったのですが、たまにそこでロケット花火を購入する若い奴らと出くわし、互いに苦笑しながら、指差し合うこともありました。

飯ごうの米を研ぐのには、その売店の井戸水を使わせてもらいました。が、海が近いせいか、海水の匂いや味が残っていて、飲料水としては僕らには飲めませんでした。なので、サイダーやラムネを水代わり買って飲んでいました。(ミネラルウォーター、ウーロン茶なんて無い時代です)

そうして、どこか気だるい安逸の時間が、ゆっくりと過ぎて行きました。水平線のすぐ上に、幾つもの雲が沸き上がっては消え、激しい波が、大きな岩を打ち砕くがごとく轟音を響かせるのです。たき火が消えるほどのもの凄い夕立で、潮でバリバリになった髪の毛を洗ったこともありました。

毎朝、太陽の暑さで目を覚まし、飯ごうで朝飯を炊き、手分けして食器を洗う頃には昼近くなっていて、それからちょっと海で泳いで、身体を陽に焼いて、女の子たちの着替えに興奮したあと、ウトウト昼寝をしていると、やがて陽が傾いて来たことに気づくのです。僕たちは、そんな何もしない長い一日を、「贅沢」だとか「優雅」だと言っては身を任せていました。

しかし幾つも有ったテントが、ポツリポツリと姿を消し、やがて僕たちだけが広い海辺に取り残されると、「何もしない一日」が、漠然とした不安となって胸に迫って来るのでした。気がつけば、8月も半ばを過ぎようとしていたのです。

そんな時でした。いつのように携帯ラジオを聞きながら昼寝をしていたN君が、興奮気味に駆け寄って来たのです。「やったぜ!、江川負けたぞ!。ざまあみろ!」。N君はそう叫んでいました。夏の甲子園で、怪物くんと呼ばれた超高校級投手「江川卓」が、降り続く雨の中、延長12回裏、満塁の場面で力尽き、押し出しのフォアボールでさよなら負けを喫したのです。 

N君だけなく、僕たち四人はそろって強烈なアンチ巨人で、巨人入りを熱望していた江川投手を嫌っていました。いや、「憎悪」に近いものだったように思います。それは才能有る同世代への嫉妬だったのかも知れませんが、個人的には、彼がその才能ゆえに他の部員たちから浮き上がり、巨人軍へのアピールのためだけに勝ち続ける、チームワークとは無縁な、孤独で独善的なエースだと言う話しを耳にしたとき、無性に腹が立って来たのです。

だから、江川の敗北は快感そのものでした。それも劇的な「さよならヒット」ではなく、四球による「さよなら押し出し」という惨めな負け方が、いかにもカッコ悪くて、すこぶる気持ち良かったのです。

・・しかし、それにしても、海辺のまぶしい陽射しの中で、雨の甲子園を想像するのは難しいことでした。まるで別の世界の出来ごとのように思えました。

大島での最後の夜、真っ暗な海辺で僕たち四人だけなると、何をするあても無くなり、波の音だけを聞いていました。夜空には見事に満天の星が輝き、水平線の近くには、南へ向かうらしいフェリーボートの明かりが見えていました。

天文好きの友人が「寝転んでみろよ、流れ星が見えるよ」と言うので、四人とも砂浜に仰向けになって夜空を見上げました。するとその言葉どおり、いくつもの流れ星を見ることが出来ました。その時は「空気が澄んでいれば、こんな簡単に見れるものなんだ」と思いましたが、今にして思えば、あれは「ペルセウス流星群」の名残りだったのかも知れません。

流星にも飽きた頃、僕はフォークギターを取り出しました。そして周囲に誰もいないのを良いことに、ギターをガンガンかき鳴らして、四人で大声で歌うことになりました。

・・が、いい調子で歌っていると、突然A君が「ちょっと待て!」と声を上げ、じーっと辺りを見回し始めるのです。そして「誰かの声がしなかったか?」と言うのです。が、他の三人には波の音ばかりで何も聞こえません。で、気のせいだと言う事になって、再び歌い始めるのですが、またA君が「ちょっと!」と言ってさえぎり、同じように聞き耳を立てるのです。

けっきょく二度三度そんな事を繰り返しているうち、皆、気味が悪くなって押し黙ってしまいました。A君によれば、叫ぶような感じで、「なんだー!」とか「何やってんだー!」と聞こえたのだと言います。

それが、そのキャンプでの最後の記憶でした。17歳の夏の夜の海辺。僕たちの少年時代が、やがて終わろうとしていました。

そのキャンプを境に、僕たちはあまり会わなくなりました。「風変わり」を気取っていた僕たちですが、高校に上がって「普通の少年たち」の中に紛れ、受験や就職など、どんどん生活に飲み込まれて行くうちに、その流れに抗うことが出来なくなって行ったようです。もともとは、その最後の抵抗として「大島一週間過酷キャンプ」を敢行したはずだったのですが、逆に、何かに打ちのめされて帰宅してしまった、そんな気がしてなりません。

かの江川投手は、ドラフトで巨人以外のチームに指名され、大学へ進むことになりました。さらに数年後、いわゆる「空白の一日事件」を起こして巨人入団を宣言したものの、世間のあまりに厳しい非難の声に一度は断念。が、ドラフトで阪神に指名されると、今度は巨人のエース小林投手との、前代未聞の密約トレード事件を起こし、力づくで巨人入りを成し遂げるのです。

その、あまりにルールを無視したやり方ゆえ、僕の「江川憎悪」はさらに続くことになりました。でも、これも何かの運命?なんでしょうか。僕は、たまたま観戦した後楽園球場での「巨人対広島」で、江川投手のプロ入り初勝利を、生で目撃してしまうことになるのです。江川投手の真新しいスパイクが、カクテル光線に反射してキラキラ瞬いていた様子は、未だに脳裏に蘇ってきます。

そしてさらに年月が経ち、僕が「そのエピソード」を知るのは、江川投手が現役引退してから、ずっと後のことでした。

ある日僕は、本屋で物色をしていました。すると、一冊の本が目に止まったのです。それはあるスポーツライターが書いた、江川卓のノンフィクションでした。で、これも運命??なんでしょうか。何気なくパラっとめくったページに、あの甲子園での押し出しの場面が描かれていたのです。それは僕にとって、とても意外な内容でした。江川にはあり得ないと思っていた、とても印象深いエピソードでした。

あの大島でのキャンプの時、あの同じ夏の日、同じ時刻に、彼はこんなことを考えていたのかと・・


うろ覚えですが、こんな感じのお話しでした。

・・雨が降り続く甲子園球場。
12回裏、一死満塁、ツースリー。相手は強豪銚子商業。
雨でボールが滑る。四球なら押し出しさよなら負けだ。
作新学院のエース江川卓は、甲子園に来て初めて逡巡していた。
「次の一球で、勝負が決まってしまう」
江川はマウンドに野手を集め、こう尋ねた。
「オレは、次のボール、ストレートを思いっきり投げようと思うんだけど、みんな、どう思う?」
それを聞くと、みな互いに顔を見合わせ、最後はキャプテンに視線が集まった。
「オレたちは、お前のお陰でここまで来れて、満足してる。あとはお前の好きなようにやってくれ」
この一言で、江川の迷いが吹っ切れる。


甲子園最後の一球を、自分自身のために投げることに決めたのだ。





  

2009年8月17日月曜日

オーラの泉に「倉本聰氏」登場

★こないだ「風のガーデン」のセリフの件で、倉本聰氏のことを話題にしたら、そのすぐ次の回の「オーラの泉」にゲスト出演していたので驚きました。

で、見てみたら、「北の国から以後の作品は自分が書いているのではない。神だか霊だかに書かされているんだ」なんて発言したり、生まれ変わりを自然に受け入れていたりと、否定するどころか、何だか、思いっきり霊を信じてる人だったんで、びっくりしました。
最初、ゲストと聞いて、いつものように言葉を巧みに連ねて「スピリチュアル批判」をするのではないか?、そしたら番組はどうなっちゃうの?と、ヒヤヒヤしながら見ていただけに、ちょっと拍子抜けと言うか、「肩すかし感」を受けましたね。

同時に思ったのは、「オーラの泉批判者」はどう考えたかと言うことです。彼らは以前から「あの番組はぜんぶ構成作家が台本を書いているフィクションなんだ」と言っていますが、だとしたら台本の大御所・倉本氏をゲストに呼ぶなんて、プロデューサーはあきれた度胸の持ち主じゃないですか?

かねてから、最近のテレビ番組について「低俗だ」と批判的で、ヤラセやねつ造に至っては「テレビは死んだ」なんて過激な発言もしている倉本氏なんですから、「ヤラセ、ねつ造疑惑の巣窟、オーラの泉」に呼ぶなんて、自殺行為に等しいです。

・・ところが、倉本氏は反論するどころか、江原氏と思いっきり意気投合していた、それがあっけない結末でした。ただ、もしかすると、あれを見ていた倉本ファンの中には、ガッカリした人もいるかも知れません。

かつて宜保愛子さんが健在だったころ、サッカーのラモス選手を霊視したことが有りました。ラモス氏は、ブラジルの家族のことなど、次々に言い当てる宜保さんの言葉にポロポロと感涙し、全面的に信用してしまったのです。

この様子をあるフリーライターが複雑な思いで見ていまして、彼はサッカーが大好きで、ラモスを神様のように尊敬していた人なのですが、当時インチキ騒動も持ち上がっていた宜保愛子を信用するなんて、ラモスはどうしちゃったんだよ!と、大混乱に陥ってしまった様子を雑誌に書いていたのです。

・・あんな状況が、倉本ファンにも起こったではあるまいか?、そんな気がしてしまうんです。

倉本氏の信念は「体験こそが全て」と言うように聞いています。富良野塾を始めた時も、貧乏を知らない人間が貧乏を描けるはずが無い。農業を知らない人間が農民を演じられるはずがないと、入塾料・受講料は一切無料とする代わりに、いっさいの生活費・衣食住生活の全てを自らの力で稼ぎ出すと言うコンセプトで始められました。

だから、肉を食べたいと思ったら、家畜を育てるところから、その家畜を自らの手で絞め解体するところから始めなければばならない、そう言うルールだったそうです。

だから、こう言う厳格な姿を知っているディープな倉本ファン(私も?)にとっては、霊的なモノを簡単に肯定する同氏の姿は、何かフワフワしてるみたいで、ショックだった人もいるんじゃなか、そんな風に思えるのです。

でも、逆に言えば、「体験こそが全て」と言い切る同氏の「スピリチュアル肯定発言」には、普通のゲストタレントには無い重みが有り、「倉本さんがそう言うなら信じるしかないか・・」と、考え直す人が増えるかも知れない、そんな気もしますね。

あっ、そう言えば、富良野塾にも不思議エピソードが有りました。たしか塾生の体験談だったと思いますが、ある夜トイレか何かで起きて、窓から外を眺めていたら、着物姿の女の子が雪原をサササッと走って行くのを見たと言うのです。

冬の富良野は雪も深く、真夜中にそんな小さな女の子が出歩くわけも無い。もしかするとあれは「雪ん子」だったのではないか・・、倉本氏はそんな話しも書いてましたっけ。

まあどっちにしろ、かの大◯教授の発言よりは、ずっと信用できる人物の話しであることは確かだと思いますよ。




  

2009年8月15日土曜日

河童のクゥと夏休み

★夏休みなので何かテレビで面白いものは無いかな、と思い、ちょうど放送されていたアニメ、「河童のクゥと夏休み」を録画しておきました。

で、何気なく観ていたのですが、物語が進んでいくうちに、背景画がやけに見たことあるような風景ばかりだなあ、と気になり始めました。

そこでもしや?と思って調べてみたら、やっぱりでした。主人公の少年が住んでいる町は私が住んでいる「東久留米市」で舞台で、河童を見つけた川は「黒目川」と言う設定でした。


そうと分かったら妙に親近感が湧いて来まして、ついつい見入ってしまいました。「ああ、この背景はあそこだ」と、すぐに分かるくらい実際の風景を克明にスケッチしていたのには驚きでした。東久留米はメボしい観光資源も無く、ドラマやアニメの舞台になるとは思ってもいなかったので驚きましたね。

で、なぜ東久留米なのだろう?と調べてみたら、原作者の「小暮正夫氏」が東久留米在住だったからなのだそうです。さらに監督自身も、上京して初めて住んだ町が、「ひばりケ丘(東久留米周辺)」だったことから、そこを舞台にアニメ化しよう、と考えた大きな理由だったみたいです。

まあ黒目川にも、昔から農家の人が川にキュウリを供え、水難に会わないよう祈る習わしがあったそうで、まったくの場違いでは無いと言うことのようですが・・

よく知らないなあ、と言う人はGoogleマップなどで「東久留米市小山」と検索してみてください。河童が見つかる「黒目川」が見つかるはずです。北側に「小山小学校」が有りますが、これが少年が通っていた設定の学校なのでしょう。それと、南側に「久留米中学」と言うのが有りますが、これは私が通っていた中学なんです。校舎の裏はすぐに川になっていました。

この川を挟んだ、向こう岸の岡の上には「故手塚治虫氏」の自宅がありまして、初めてそのことを知った時には思わず身震したものです。当時漫画家を目指していた私にとって、「これは運命に違いない」などと、勝手に感動してしまったのです。

が、じつはこの東久留米は、漫画家がたくさん住んでいる(いた?)町で、まあ、たまたまだったと言うことですな。手塚氏以外にも、「ジロがゆく」の「真崎守氏」や、「キックの鬼」の「中条けんたろう氏」、そして私の家のすぐ近所にはギャグ漫画の「板井れんたろう氏」も住んでいました。(描いた漫画を見せに行ったこともありましたっけ・・)

そう言えば、「高橋留美子さん」も東久留米在住だったそうですね。かの有名な「めぞん一刻」の舞台「時計坂」のモデルは、東久留米駅の旧駅舎周辺だそうです。

・・そう考えてみると、さっき「観光資源何も無し」と書きましたが、まんざら無いわけではなさそう?な気がして来ました。



  

2009年7月28日火曜日

宮里藍選手、優勝おめでとう!

★ずっとスランプ気味だった宮里藍選手が、米ツアー初優勝と言うことで、なんかとても嬉しい気がしました。ここまで日本の女子プロゴルフ人気をずっと牽引して来た人だけに、この四年間の報われない日々が気の毒で、じつはけっこう気になっていたのです。

とは言っても、今の僕は、ゴルフにそれほど興味が有るわけではありません。宮里選手が優勝した中継も見てなかったんです。

ですが、ずいぶん昔、中学から高校の時期にかけてはかなり夢中になっていました。ゴルフ番組なら、どんな些細なレッスン番組でも欠かさず見ていたし、ゴルフ用品売り場に行っては、長い時間かけて物色したりしていました(もちろん高校生に買えるわけは無いが)。とにかく、野球なんてほとんど眼中に無い時でした。

ところが、それほど夢中になったゴルフだったのに、あることをきっかけに急激に興味が薄れてしまったのです。

あの時代に活躍した主な選手と言えば、国内ならジャンボ尾崎、青木功、村上隆。海外ならアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤー、リー・トレビノなどたくさんいました。が、僕を虜にしたのは、日本では中嶋常幸選手。海外ではジョニー・ミラー選手でした。

この二人の強さ、フォームの美しさは郡を抜いていると思ってました。ジョニー・ミラーはやがて世界のトップとして、中嶋常幸は世界のトップで通用する日本人選手になるだろうと確信していたのです。

ところがです。この二人が突然スランプに陥り、こつ然と姿を消してしまうのです。ジョニー・ミラーは間違った筋トレをしたせいだと言い、中嶋常幸は「ドローボール」をマスターするためのフォーム改造に失敗したのだと言います。

それでも、野球選手のように数ヶ月、あるいは一年くらいで戻って来てくれると思い込んでいたのですが、そうじゃないんですね。いったん大きなスランプに陥ったゴルファーの復活には、長い年月を必要とすることを僕は知りませんでした。

つまり僕は、大好きなこの二人の選手が復活する日を長い年月待ち続けたのですが、ついに待ちくたびれてしまったのです。そしてゴルフへの熱も冷めて行ってしまいました

スランプからの立ち直りに数年を要する「ゴルフ」と言うスポーツは、スポーツと呼ぶにはあまりに繊細すぎる、神経質すぎるのです。好きな人はそこがたまらないのでしょうが、「力まかせ」や「荒削り」もスポーツ選手の魅力と感じるような、僕のような性格には向いていないような気がしてしまったのです。

たぶんゴルフを観戦する時は、ひとりの選手を集中的に応援すると言うより、トーナメント全体の流れを楽しむような、そう言うファン(ギャラリー?)の在り方が正しいのでしょう。

なので、今回の宮里選手の涙の優勝は、ホントに感動したし嬉しいのですが、あまり入れ込まないように、少し遠いことろから見るようにしています。




  

2009年7月10日金曜日

そのテ?のテレビ番組が減って来た?

★海外ドラマが流行りですが、古くは「V」とか、デイヴィッド・リンチ作の「ツインピークス」、クリス・カーター作の「Xファイル」「ミレニアム」なんてのも有りました。私としてはやはり、SF物とか超常現象物にひかれるので、最近では「4400」とか「ヒーローズ」なんかをよく観てました。

少し前は、CSで「スーパーナチュラル」と言う、兄弟して悪霊退治・悪魔退治をする物語を見てました。まあまあ面白かったのですが、解約してしまったので今は見てません。

が、アメリカでも悪霊や悪魔を追い払うのに、聖水や十字架以外に「塩をまく」と言う設定があって面白かったです。「塩で浄める」とは、世界共通のおまじないだったんでしょうか。ドラマの中では、銃の弾丸に塩を詰め、悪霊に向かって発射すると言う、過激な手法も有りでしたけど・・

このごろ観ているのは、「ゴースト ~天国からのささやき」でしょうか。主人公の霊視能力を持つ女性メリンダが、亡くなった後も心残りで成仏?出来ないでいる霊のメッセージを聞き、安心して天国へ行けるよう問題を解決して回ると言う、大雑把に言えばそんなお話しです。

このドラマを観ている内に、まるっきりのフィクションと言うより、何となく再現ドラマっぽい雰囲気もあるので、もしやと思ってネットで調べてみたら、やはりアメリカで有名な霊能力者「ジェームス・ヴァン・プラグ氏」の、実話を基にした物語だと言うことが分かりました。

この「ジェームス・ヴァン・プラグ氏」と言う人、すでに日本にも来たことが有るみたいで、その時、例のごとく大◯教授が噛みついたらしいんですが、失敗したそうです。

ゲストを霊視するコーナーで、大◯教授は、局が用意したゲストはサクラに決まってると、自分の大学の素人学生を連れて来たのですが、それでもけっきょく当たってしまい、しどろもどろになったようです。

同教授は、日本の霊能力者・江原氏の番組「オーラの泉」でも、「全てがインターネットで分かる情報」だとして「裁判で告発する」と発言してましたが、その後音沙汰がありません。

あの番組のゲストは述べ200名近くになっており、自分の霊体験や不思議体験を詳細に語った人も多くいます。そうなれば彼らの名誉にもかかわることなので、戦う相手は江原1人だけでなくなる、教授はそのことに気づいたのかも知れません。

まあ、もともと「心霊現象が存在するなら、大学教授を辞める」と豪語していたわりには、自分では解明できない現象を目の当たりにしても、いっこうに辞める気配が無いので、口先だけの人物なのかも知れません。私が見た限りでも、テレビ番組でまったく反論できない状況に追い込まれたことが、計三回は有りましたけど・・

それはそうとして、「ジェームス・ヴァン・プラグ氏」の能力ですが、記事を読んだ限りでは、霊視能力・霊聴能力がメインのようです。一口に「霊能力」と言っても、人によって色んな得意分野が有りまして、誰も彼もが同じと言うわけではないのです。で、「ジェームス・ヴァン・プラグ氏」の場合には、霊の姿を見たり声を聞いたりが得意と言うことみたいですね。

たとえば同じ「野球選手」でも、投手や打者や守備など能力に違いがあり、バッターにも長距離タイプと安打製造機タイプなどに分かれます。もし長年ピッチャー専門でやって来た選手に、「野球選手なのにホームランが打てないなんて、お前は偽物だ!」と言ったらピント外れでおかしいでしょう?。これと同じような批判が、長年にわたり霊能者には言われて来たのです。

かのオーラの泉の江原氏の場合も、本人の眼力で見通すと言うよりは、目の前の人を霊視して、その背後にいる霊から事情を聞き、それを本人に聞き伝える、と言う形を取るわけです。なので、霊の記憶があいまいだったりすると、間違った情報になったりするわけですね。

200名に迫るゲストの、そう言う細かいミステイクの1つか2つを取り上げて、「そら見たことか!」と、鬼の首を捕ったように批判するのもピント外れだと思います。もし、ゲスト200人に語ったエピソードについて、全部がまったくのデタラメであると言うことを証明できたら、それは確かに説得力が有ると思いますが・・

その江原氏の番組「オーラの泉」もレギュラーから外れ、特番のみなって、「スピリチュアルブームの終焉」との報道も有りましたが、我々からすると、むしろ「スピリチュアルの啓蒙活動」としては、そこそこの役割を果たせたような気はするのです。

たとえば少し前、倉本聡脚本のドラマ「風のガーデン」の最終回を見ていたら、興味深いシーンが有りました。

このドラマは、簡単に言えば、 中井貴一氏扮する主人公(腕のいい麻酔科医)が、末期のすい臓ガンと戦いながら、故郷の富良野に戻って絶縁状態となっていた父や子供達との交流を取り戻す、と言ったような内容です。

緒形拳氏が演じる年老いた父も、富良野で末期医療に取り組んでいる医師なのですが、最終回、主人公はその父に看取られながら息を引き取るのです。で、そのクライマックス部分の最後のセリフに、面白いものが有りました。

主人公が、切れぎれの意識の中で父にこう尋ねるのです。
「死後の世界って、あると思いますか?」
すると父は「さあ・・」と、一瞬言葉を失い、次にこう語るのです。
「このごろ、あるような気がして来ました」
(だいたいこんな感じです)

ドラマ的には「死に行く息子に対しての慰めの言葉」と受け取るのが自然でしょうが、私には倉本氏の本音に近いような、そんな感じを受けました。

過去の倉本氏のエッセイを読んでみると、俳優やスタッフとの雑談の中で、印象に残った言葉を、そのままドラマのセリフに使ってしまう、と言うことがけっこう有るようなのです。

そう考えると思い当たる節があります。じつは中井貴一氏を始め、倉本作品に登場する俳優の多くが、「オーラの泉」のゲスト経験者でもあるのです。なので、彼らとの雑談の中で、かの「霊視」についての話題が出なかったはずは有りません。

もちろん、これまで残酷なくらい執拗に「人と人との別れ」を描いて来た作家「倉本聡」にとって、「死後の世界」なんてバカバカしいだけのはずです。でも、交友関係にある俳優たちがそろって、「先生、あれね、ホントなんですよ」と力説していたなら、「まさか、そうなのかなあ・・」と、少しは心境の変化が有ってもおかしくは無いと思いますが、どうでしょう。

その「オーラの泉」も、このごろは批判を恐れ自主規制気味で、単なる芸能人の身の上相談番組になってしまいました。私のようなディープな心霊ファン?にとっては、まったく食い足りない内容です。

「ゴースト ~天国からのささやき」も、そろそろ終わりそうだし(CSではやってるらしいですが字幕を読むのが面倒なんです)、テレビ局には、ファンのため失敗(ネット批判?)を恐れず、新しい領域を開拓してもらいたいものだと思います。