2019年9月17日火曜日

砧公園の怪

★最近「怪談」とか「怪談師」と言うのが静かなブームのようです。もちろん、かの稲川淳二氏が元祖なんですが、検索してみると、アマチュアからプロまで、YouTubeなどネット配信を中心にけっこうな数の自称怪談師がいて、いろんな怪異話しがアップされています。

どうもTVでは「コンプライアンス」とかの問題で、「霊なんて有りもしないモノをむやみに放送するな!」ってことになり、その分、たくさんの怪談話がYouTubeに流れて行ったみたいです。

その中のひとつで「砧公園の怪談」と言うのがありました。夜暗くなってから公園でジョギングなどをしていると、不気味な「謎の女」に遭遇すると言うのです(夜の公園を走るなんて、日本はやはり治安がいいんですな)。

「へえ」と思ってなお検索してみたら、人目につかない場所でそこそこ自殺や事件も起こっているらしいとの記述も見つかりました。広くて木々が深い公園なので、まあそんなことも有るのかもしれません。

そんな「砧公園」ですが、僕らは何度も草野球で訪れていて馴染みがありました。広くて緑が豊かで世田谷美術館も有ってスポーツ少年や親子連れが楽しんでいる、そんな明るい公園のイメージしか無かったので、「砧公園の怪談」と聞いたとき、「まさか・・」と、ちょっと違和感は感じました。

でも、その反面、「そう言えば・・、一回だけ変なことが有ったな」と、思い出したことがあったのです。

それは草野球が終わった後の更衣室での出来事でした。砧公園の更衣室は野球場からはけっこう遠い場所にあり、しかも帰り道とは逆方向になるので、使用せずに木陰で着替えてしまう人も多いのです。が、僕の場合、片付けが苦手なたちで、着替えたモノをあちこち散らかしてしまうと言う欠点があり、地面に撒き散らすわけにも行かないので、毎回室内を利用させていただいてました。

そんなある日のこと・・・

野球場からは遠いのですが、テニスとかサッカーとか他の利用者もいるので、まあ誰かしら一人か二人は来ているのが常でした。ところがその日は、珍しく一人もいませんでした。また管理所とは別棟で離れているので人は常駐していません。なので利用者がいなければ無人になるのです。

「オレ一人か・・」と思いながらも、同じチームに必ず更衣室を利用するT君がいたので、「そのウチ彼もやって来るだろう」と、シャワーを浴びるため、汚れたユニフォームを脱ぎ始めていました。

ところがです。しばらくして、それまでシンとしていたシャワー室から突然、「ザーッ」という水が吹き出る音がしたのです。「なんだ、誰かいたのか」と思いました。先に来ていた人がすでにシャワー室に入っていて、お湯を浴び始めたようです。

それにしては荷物が見当たらないなあとも思いましたが、きっと用心深い人で、全部ロッカーに入れてしまったのかも知れません。それより、誰もいないと思い込んで、大きな声で独りごとを言ったりしたので、少しバツが悪い気がしました。

そうこうしているウチ、シャワーの音が止みました。知らない人だとは思いますが、出て来て顔を合わせたら軽く挨拶でもしようかと、それとなく待っていたのです。・・が、なかなか現れません。

「おやっ?、どうしんたんだろ?」と思いながら、タオルとシャンプーを持ってシャワー室に入ったのですが、やはり誰も出て来ないのです。それとなく全室覗いてみたのですが、まるで人の気配が有りません。「えっ、なんで?」と不思議に思いながらシャワーを浴び始めたのですが、いろいろ考えが廻りました。

「駅なんかのトイレでは、洗浄のため定期的に水が流れるようになってるけど、アレみたいなものかな?。・・でも、シャワーの場合は蛇口を閉めたら出るはずないしな」
などと、意味が分からず、なんかボーッとお湯を浴びていたのです。

シャワーを終えるころになっても、その日はずっと僕一人だけでした。いつもなら必ずやって来るT君もとうとう来ませんでした。(後日聞いてみると急ぎの用事があったとのこと)

汗を流し、出していたシャワーを止めると、まったく音が無くなってしまいました。薄暗い、ガランと静まり返ったシャワー室で、自分の服を着る衣摺れの音だけを聞いていると、あたりに漂う雰囲気が、何か奇妙で不気味な感じに思えて来たのです。

「さっきのシャワー、やっぱり変だよな・・」
どうしても、理屈に合わない気がして来たのです。

誰もいないシャワー室でたった一人、何だか背筋が寒くなるような感じを覚え、急に怖くなった僕は、服を着終えると、片付けもそこそこに更衣室を飛び出してしまったのです。

・・するとそこには、たくさんの人々が行き交う、いつもの明るい砧公園の風景があり、ようやくホッとしたのでした。

表に出て安心すると、あんなに怖がった自分がバカみたいに思えて来たのですが、まあとにかく、かつてそんな出来事が一回だけありました。あれ以来、砧公園の更衣室で似たような経験をしたことは有りません。

やがて僕は草野球を引退し、砧公園自体訪れることも無くなってしまったので確かめることは出来ませんが、今頃になってネットやYouTubeなどを通じて「砧公園の怪談」を知り、一度だけ体験した「シャワー室での怪」を思い出した・・、と言う次第です。






  

2019年9月4日水曜日

「ほんとにあった怖い話」は、ホントに放送される?

★じつは、一部ホラーファンの間で大きな話題になっていたことがあります。「ほんとにあった怖い話2019」のことです。この番組が、ついに10月放送決定となったんです。

◎ フジテレビ「ほんとにあった怖い話」

何がそんなに話題なのかと言うと、例の「ジャニーズ事務所の圧力問題」です。元SMAPの3人が次々にテレビを降ろされ、ついにレギュラーゼロとなっている現状から、稲垣吾郎クンがMCの「ほんとにあった怖い話」も、放送中止に追い込まれるのではないか?との憶測が流れていたのです。

本来なら毎年8月初旬にはホームページが更新され、夏休みを狙って放送されていたはずですが、今年2019年は、8月下旬になってもサイトが更新される気配無く、9月1日になってようやく放送日だけ発表されました。が、番組内容は昨年2018年のままで(9月4日現在)、タイトルもキャスティングも不明のまま・・。ドラマ自体はちゃんと撮影済みなのだろうか?と疑いたくなるようなていたらくなのです。

春・秋の特番は「世にも奇妙な物語」、夏休みは「ほんとにあった怖い話」が定番で、どちらも固定ファンがいて一定の数字が取れる番組なのに、こんな形で秋までずれ込むと言うことは、やはり「何かが有った?」と疑われても仕方ないでしょうね。

しかも今年は「ほん怖20周年記念」・・。「ジャパニーズ・ホラー」の先駆者的番組なんですから、これが「ジャニーズの圧力」で番組終了なんてことになっていたら、ホントに、情けない話しだと思います。もし7月に、公正取引委員会が独占禁止法違反の恐れありと、ジャニーズ事務所に注意喚起をしていなかったら?、ホントに、このままお蔵入りになっていた可能性もあるんじゃないですか?。

『ほんとにあった怖い話』はその功績を認められ、「アジアン・テレビジョン・アワード2004」でドキュメンタリー・ドラマ部門最優秀賞を受賞しているのです。

世界を席巻した「クール・ジャパン」、その一端を担っている「ジャパニーズ・ホラー」、これを同胞のはずの日本の権力が潰しにかかる・・、そんな了見の小さい、愚かなことが有ってはならないんです。

・・まあ、僕もホラーファンの一人として、とりあえずは「放送日決定」の知らせにホッと胸を撫で下ろしているところ、・・ではあるのですがね。



(正確には『ホラーファン』ではなく『不思議マニア』なのですがね。だから、最先端物理学も不思議と言う点では大いに興味をそそられます)

◎ 稲垣吾郎「ほん怖」出演決定の裏で起きていた「圧力」







  

2019年8月16日金曜日

母親が亡くなる時に起こったこと

★今年もお盆の時期がやって来ました。じつは昨年2018年は、母が2月、父が10月にと相次いで亡くなりまして、その二人分の後始末?に追われ、長い間ブログをお休みしていたのです。で、ようやくメドがついて来まして、再開することになったのですが、やっぱり最初は「この話題」かなあ・・と思った次第なのです。


2018年の2月初めでしたか、夕食後、母親と世間話しをしている最中、妙なことを言い始めたのです。記憶にある限り、こんな改まったモノの言い方は聞いたことが無かったので、ビックリして印象に残ってしまいました。・・それは以下のような言葉でした。


「あとはお前の好きなようにやっていいから。自分のやりたいように生きていけ」

・・そして、その十日後ぐらいだったと思います。突然、母が僕の目の前で倒れたのです。

1分前までごく普通に話しをしていたその姿のまま、突然胸を押さえたかと思うと、僕の目の前で意識を失ったのです。大急ぎで救急車を呼び日赤病院に運び込んだのですが、その時にはすでに息絶えていました。担当の医師によれば、「倒れた時点でほぼ即死の状態だった」とのことでした。

母親の死因は「急性大動脈解離」とのことでした。確か、アンパンマンで声優をしている女性が、首都高速で運転中に突然亡くなったと言う、あの死因も同じ大動脈解離だったと記憶しています。

当初は、「体調も普通だったし、全然思いもしなかったなあ・・」と呆然としていたのですが、しばらくしてから、あの夕食の後の妙な言葉を思い出し、もしかしたらあれが「虫の知らせ」と言うやつだろうか、と言う気がして来たのです。


で、通夜だの葬儀だのの合間に、親戚といろいろと話しを聞いているうちに、いろいろと「予兆」のような出来事があったみたいだ、と思い知らされたのです。



*従兄弟の嫁さんから聞いた話し


誰かが亡くなった時、「今にして思えば・・」とはよく聞く話しですが、僕以外にもそんな経験した人がいたようです。最初に話しをしてくれたのは、従兄弟の嫁さんでした。彼女によれば、母が亡くなる数日前に会った時、「妙な違和感」を感じていた、と言うのですが・・・


従兄弟夫婦はウチのすぐ近くに住んでいて、その嫁さんは母を慕い、時々訪れては長々とお喋りをする「茶飲み友達」だったのです。そうして帰るときはいつも、母親が玄関から見送るのが常でした。

・・が、その日に限っては違っていました。何を思ったか、母はサンダルを履き表に出て、彼女について行こうとしたのだそうです。

2月の一番寒いときだったので、「おばさん、いいよ寒いから」と言うのも聞かず、母は家の前の路地を彼女と一緒に歩き、曲がり角までついて来て、そこからずっと彼女の姿が見えなくなるまで立っていたと言うのです。

数十メートル先の街道に出る寸前で振り返ると、母はまだそこに立っていたそうです。そしてそれが、彼女が見た母の最後の姿でした。


*10年間続いた習慣が途絶えた朝

次はまた別の話しです。

母親が亡くなる当日、およそ19時間前の早朝、僕は、母親を埼玉の伊奈町に住む叔母夫婦(母の妹)の家へ連れていくため、車の準備をしていました。

母は月に一度、仲の良い叔母を訪ねて食事をし、ついでに地元の美容院に立ち寄ってパーマを当ててもらうのが習慣になっていたのです。それはもう20年ほど続いていました。

元々最初の10年は、一人で電車で出かけていたのですが、ある年の猛暑の夏、熱中症になって一週間ほど寝込んだことをきっかけに、僕が埼玉まで車で送り迎えするようになっていたのです。

僕も、母が用事を済ませている間、叔母の家を起点として車を走らせ、埼玉・群馬など地方の珍しい美術館を訪れたり、巨大ショッピングモールやホームセンターを物色すると言う楽しみを発見し、月に一度の息抜き的なドライブとして、気づけば10年ほど続いていたのです。

その10年間、まったく変わらなかった母の習慣がありました。それは、片手で押すカートバッグを必ず持参すると言うことでした。それがその日だけは違っていたのです。カートを自分の部屋に置きっ放しにし、手ぶらで車の後部座席に座ろうとしていました。

「あれ?、カートは?」と尋ねると、
「ああ・・、もういらないから、積まなくていいよ」
と、気のない声で答えたのでした。

約10年間、一度たりとも手放さなかったカートを置いて行くことに、妙な違和感を覚えつつも、「まあいかか」と運転席に乗り込んだのでした。



*叔母が見た母の異変?

ウチから叔母の住む埼玉の家までは片道約40km、順調に行けば車で1時間半ほどで着きます。カートを積まないこと以外は、いつものように7時出発で9時半過ぎには叔母の家に着いていました。

叔母の家のドアを開けて履物を脱いでいると、突然、
「どうしたの?姉さん!。そんなにゲッソリ痩せて?!」
と、大きな叔母の声が聞こえたのです。振り返ると、叔母が青ざめた表情で立っていました。

「ねえ?、ひどく痩せたよねえ!」

と叔母は僕に問いかけたのですが、僕にはよく分からず、
「うーん・・、毎日見てるから、変わったようには思えないけど」
と答えたのです。

ところが、その後、母がリビングの椅子に腰掛ける頃には、どう言うわけか、いつもの母の顔に戻っていた、と叔母は言うのです。叔母は納得がいかない様子で、何度も母の顔を見ながら「ほんとに大丈夫?」と繰り返していました。


*美容院での別れの挨拶


それでも僕は、「何か異変が起きている」とは思っていませんでした。光の加減で変な風に見えたのだろうと思っていました。が、もう一人、母親の異変に気付いた人物がいたのです。埼玉に行くたびに訪ねる美容院の女性でした。

それは、パーマが終わり店を出る時のことだったと言います。その美容院は予約制なので、一週間くらい前に電話で予約をするのです。なので、パーマが終わって店を出る時には、いつも「それじゃ、またね」とか「また連絡するね」と言うのが、20年近くも続いた合言葉のようになっていたのです。ところがその日だけは違っていました。

「じゃあ、さようなら・・」
母はそう言って、いつになく深々と頭を下げたそうなのです。その言葉、去って行く後ろ姿に、美容院の女性は何か胸騒ぎを覚えたと言うのです。

そうして、その別れの挨拶から約10時間後、午後11時ごろだったでしょうか。母は倒れて息を引き取りました・・



・・こんな風に「虫の知らせ」とも言うべき、いつもと違う行動や言動をしていたのですが、母本人が具体的に、自分の死を予知したとか、予兆を感じていたと言うことは無かったと思います。

じつは、その数ヶ月前から父親の足腰が弱って来て、2018年1月には「介護認定2」を受けていました。母は父の姿を見ながら、「埼玉に遊びに行けるのも今年一杯かなあ・・」などと、1〜2年先の父との生活を案じていたからです

つまりは、すべて無意識の行動・言動だった、と言うことになるわけです。


*誰もいない部屋で、人感センサーが何かを感知

母が入っていた互助会のお陰で、何から何までやっていただきまして、葬儀初心者?としては大変助かりました。そうして火葬を終え、四十九日・納骨の準備を進めていたころ、いくつか不思議なことがありました。

その一つは、一言でいうと、
「誰もいないはずの部屋で人感センサーが反応した」と言うことでした。

要介護認定を受けた父ですが、それでもトイレや風呂は一人で出来ていました。しかし、その場所へ行くまでの足取りが危うく、転倒の恐れがあり、特に夜のトイレは心配だったので、父の部屋に、人感センサーでチャイムが鳴る装置を仕掛けることにしたのです。
◎ ワイヤレス人感センサー

父が夜中にトイレへ行こうとモゾモゾと動き始めると、センサーが感知して、僕の部屋の無線チャイムを鳴らす、と言う具合です。

このセンサーは、母が亡くなる1ヶ月ほど前に購入しましたが、電気の消費も少ないし、スイッチを入れ忘れると大変なので、通電したままにしてありました。つまり、母の四十九日が来るまで、少なくとも約2ヶ月間は、ずっと人感センサーは付けっ放しになっていたことになるのです。

そしてある日の昼間のこと・・。僕が二階でパソコン作業をしていると、12時近くになったころ、その「ワイヤレス人感センサー」が、誰もいないはずの、一階の父の寝室で何かを感知したのです。

父は茶の間でテレビを見ているはずだったので、突然鳴ったチャイムに、「まさか一人で歩き回ってんのか?」と訝しく思い、階段を降りて寝室のドアを開けました。

ところが、誰もいなかったのです。父はやはり茶の間でテレビを見ている最中で、CMらしき音声が遠くから聞こえていました。「おかしいな・・」と思い、足を踏み込んでみると、自分の動きが感知されたらしく、二階から小さくチャイムが聞こえて来ました。

いわゆる赤外線センサーなので、何かの熱源が有るのではないかと探ってみたのですが、それらしき物は見当たりませんでした。北向きの和室で、障子を閉めてあるので、明るい日光が差し込むということも有りません。

「まさかなあ・・(母親が?)」と思いながら自分の部屋に戻りました。・・が、その日はそれ一回のみで、あとは鳴ることは有りませんでした。

しかしながら、四十九日を待つ間、計3〜4回くらいでしょうか、同じように「チャイムが鳴り、行ってみると誰もいない・・」そんな現象を繰り返し体験することになりました。


*天井裏で動き回る得体の知れないモノ

別の日、これもまた四十九日を待つある日のこと・・・

夜中、確か午前1〜2時くらいだったと思います。人感センサーのチャイムに起こされて父のトイレに付き合っていた時、何気なく、母の遺骨がある部屋を覗いてみると、天井裏を複数の何かが「ガサガサガサ、ガサガサ・・・」と這いずり回る音がしていたのです。

それは聞いたことの無い不気味な音でした。たとえば子供のころ、安アパートの天井をネズミが走る音なら聞いたことがあります。また鳥が屋根の隙間に巣を作り、何かに驚いて羽ばたく音も知ってます。が、それらとはまったく違う種類の音でした。

そもそも音がしているのは二階の天井ではないのです。一戸建ての一階の天井裏です。そこにどれほどのスペースがあるのか知りませんが、こんな、あちこち動き回るモノが入り込む隙間などあるのでしょうか?

ではいったい何なのか?。「得体の知れない寒気がするような感じ」から、あることを思い出しました。「ひょっとすると、"魑魅魍魎(ちみもうりょう)"の仕業ではないか・・?」。脳裏にそんな言葉が浮かんだのです。

あれは、水木しげる氏の漫画で見たのか、それとも心霊関係の書物で読んだのか忘れましたが、亡くなった人の遺体や遺骨を安置していると、低級な霊魂や動物霊・自然霊など、そう言った「魑魅魍魎」の類が面白がって集まって来る・・、と言う話しを記憶していたのです。

「低級霊に母親の安息が妨げられて堪るか!」とは思ったんですが、とは言え、僕には霊能力は無いので、どうやったら追っ払うことが出来るだろうかと考えました。で、母が好きでよく見ていた、「オーラの泉」の江原啓之氏のことを思いついたんです。


母は江原啓之氏の著書も何冊か購入していまして、パラパラと見せてもらった時に、その本の巻末に、結界を張って魔除けをする「結界キット?」なるモノが付録になっていたのを思い出しました。


で、本棚から取り出し、ハテどんなもんか?と思いつつ、能書きに従って「結界キット」をセットし、粗塩をまいたり、柏手を打ったり合掌したりしてみました。

・・するとどうでしょう。それを境に、天井裏の這いずり回る音はパタリと消えてしまったのです。以降、四十九日を過ぎて、年を超え、現在に至るまで、まったく音はしていません。・・と言うより、この家を建ててから30数年、天井からあんな気味の
悪い音がしたのは、あの夜たった一回きりだったのです。

最初はマユツバだなあ、と思っていた「結界キット」ですが、やってみたら、なかなか効き目あり?と言う気がしました。



・・以上が、母親が亡くなった時に起こった不思議な?出来事のいくつかです。人によっては「別に不思議でも何でもない。こじつけでしょ」と言うかも知れませんが、まっ、それはそれで構いません。

僕としては、母の死から8ヶ月後に起こる「父親の死」に際し、そのあまりに何も起こらない平凡な?死にぎわと比較し、母の死には色んな
ことが起こったなあ・・と言う感慨として、ここに書かせてもらっただけなのです。

子供のころから不思議大好き・心霊好きだった息子のために、母親が最後の置き土産として、ささやかな「怪異現象」を起こしてくれたのではないか?、そんな風に思ったのです。



・・さて一方の父ですが、母の葬儀が終わった直後、不安視していた「転倒事故」が現実となり、頭を打って出血、救急搬送されました。

CTスキャンの結果、「硬膜下血腫」が見つかり、緊急入院手術ということになりました。「頭蓋骨に穴を開けて血の塊を抜く」と言うことで、医者の説明を聞きながら「ドラマ『JIN - 仁』で見たヤツだな・・」と、一人納得していました。

手術で一命は取り留めたものの、今度はリハビリが必要と言われ、国分寺の病院に入院し5ヶ月間の理学療法を受けることになりました。しかしその頃には認知症を発症し、急激に記憶が薄れて行きました。最後には、親戚も友人も分からず、僕一人だけしか判別できなくなっていたようです。

そうしてある時から父は、「秋田に帰る」と、繰り返し言うようになりました。秋田は父の生まれ育った故郷だったのです。それは面会に行くたびに続きました。


さらに、どのくらい過ぎた頃でしょうか、「秋田に帰る」から、今度は「秋田行きの切符買ってこい」に変わりました。で、僕の方も、「分かった分かった、今度買ってくるから」と言うのが常になっていました。

そんなことが数ヶ月続くと、また父のセリフが変わりました。

「秋田行きの切符、買ったか?」
「買って来い」から「買ったか?」になっていたのです。

それで僕も方便で答えました。
「切符、買ったよ」

「切符、買った」との言葉に、まさか安堵したとでも言うのでしょうか。それから二日後の早朝、病院の看護師から、父が高熱を発して意識不明になったと言う電話を受けたのです。

けっきょく父は眠ったまま・・(たぶん秋田行き新幹線こまちの夢を見ながら?)・・約1ヶ月後、静かにこの世を去りました。


・・以上が、2018年、僕の身に起こった出来事なのです。






  





2018年8月17日金曜日

ブログ引っ越し

これまで使用したブログが広告だらけになってしまったので、現在、ブログの引っ越しをしています。書き始めた2005年の記事から順に手作業で移行しているので、時間がかかりますが、その分、普段は閲覧する機会の無い古いモノが読めますので、興味がある人はどうぞ・・・

          ↓  ↓  ↓
 

2013年11月2日土曜日

ロト7のCMが面白いと評判です

★重役会議に呼ばれた妻夫木くんが、不安そうに「なんの話しでしょう・・」と言うと、隣を歩く上司の柳葉氏が、「心配するな。お前のことはオレが守る」と力強く語るのです。

・・が、いざ会議室に入って、かつて柳葉氏が名刺と間違えて渡してしまったロトカードを見たとたん、「私ではありません。そんなものは今初めて見ました」と、平気な顔でしらばっくれるのです。「えっ!?」と驚き、呆然と立ち尽くす妻夫木くん・・

これを見たとたん、じつは、僕の身にホントに起こった、良く似た出来事を思い出していました。


僕は美大を卒業した1982年、日本初のCGプロダクションと言われたJ会社に入社しました。J社は当初、「テレビ用連続アニメをフルCGで制作する」を目標に立ち上げられました。ところが、今ならパソコンレベルで出来るような作業も、当時は、フルCGどころか毎回数秒のCGカットを入れるだけで精一杯、残りのほとんどのシーンは手描きアニメ頼みという状態でした。億単位で導入したDEC社の大型コンピュータ「VAX11-780」の演算速度が遅すぎたのです。

J社は赤字状態のまま1年、2年が過ぎ、ようやく誰もが、これは人の問題ではなくコンピュータそのものの限界なのだと気づき始めました。しかし社長をはじめ上層部はそうは考えていませんでした。あくまで現場スタッフの能力不足であると言い張り、マシンは24時間フル稼働、スタッフはコンピュータに合わせて夜昼なく働け、と言うことになりました。

僕らは、食事や休憩で集まるたびに危機感を話し合うようになりました。で、この状況を打開するには、誰かが、社長に現実を伝えなければならない。そうやって新しい方向性を模索しなければ、もはや倒産への道をまっしぐらに転げ落ちるしかない、今がその分かれ道なのだ、と言うことになりました。

そしていろいろ話し合ったあと、CM部門の部長T氏が、僕を呼んでこう言いました。「お前、理論武装しろ。それで、次の管理者会議で社長に現場のありのままを話すんだ。そうしないともう何も前に進まない」当時僕は現場のチーフとして管理者会議に出席していたのです。

「でも、そんなこと言って大丈夫っスかね?」と尋ねると、T氏は「もし社長がわめき出したら、オレがお前をバックアップする」と、T部長はあのギバちゃんのように力強く語ったのです。

そして次の月曜日、僕はT部長をはじめ各部長や営業担当と共に、管理者会議に出席しました。やがて僕の発言順になった時でした。T部長との約束通り、炎上覚悟で現場報告を行いました。早い話しが、いろんな言葉を連ねた上で、やんわりと「いま使ってるコンピュータはポンコツだ」と言うことを告げたわけです。

案の定、社長は、僕が話し終えるのを待たず怒鳴り散らしました。「業績の悪化を!マシンのせいにするな!」と・・・

いったんこうなると、まあ短くても30分は怒鳴り声が止まらなくなります。その間僕らは黙ってじっと聴いているしかないのです。T部長との約束を知らぬ他の面々は、「余計なこと言いやがって!」と言う目つきで僕をニラんでいました。

ですが、T部長との約束だから仕方ないのです。冷や汗をかきながらも、なおも僕は現場の状況を正直に訴えました。が、言えば言うほど社長は逆上し、さらに声を荒らげてこう言いました。「他の者もマシンのせいだと考えているのか!えっ!どうなんだ!?」

すると、ずっと沈黙していたT部長がゆっくりと口を開いたのです。そして語られたその言葉とは・・・

「社長のおっしゃる通りです。高橋チーフの言っている一連のことは、現場のリーダーとして不適格な発言で、まったく賛同することが出来ません」

その瞬間、僕は、全身から血の気が引いて行くのを感じました。バックアップどころか「不適格」とまで言われ、凍り付いてしまいました。たぶん、あの妻夫木くんと同じように目を見開き、T部長を凝視していたのに違い有りません。が、T部長は僕を一瞥することもなく、会議テーブルの真ん中あたりに視線を落としたままでした。

彼がなぜあのような言動に走ったのか、それは不明です。僕の理論武装?があまりに幼稚で呆れてしまったのか、それとも最初から落し入れる策略だったのか、あるいは、社長のあまりのケンマクに恐れおののき、思わず保身に走ってしまったのか?

理由が何であれ、そのような言動に出た上司にもう付いて行くことは出来ません。それからと言うもの、事有るごとにT部長と対立するようになり、あわや殴り合い?と言う場面も何度かありました。

しかしながら、そのきっかけとなる会議室での出来事を、他のスタッフに話すことは無かったので、たぶん周囲では「あの二人、なんであんなに仲が悪いんだろう」と、不思議に想っていたのかも知れません。

まあ、最後にはT部長が人事権も有する役職に付いたことで、僕はCGとは関係の無い部門に飛ばされる?ことになりました。

その原因は、ある大手企業のPR映像の制作で、クライアントの大阪電通が追加作業のオーダーをして来たことがきっかけでした。すでに予算も決定し、外部ディレクターの絵コンテも完成している段階だったので、追加作業を行うには、数百万円の料金アップが必要なのです(外部ディレクターは実写部分、僕はCG部分の担当でした)。

担当のSプロデューサーは遠慮して金額のことを言い出せず、ディレクターも「いまさら演出変更かよ」と言う感じで、やや険悪な雰囲気が漂っていました。で、仕方なく、弱気なSプロデューサーになり代わって僕が、「今の予算ではこれが限界なんですよねえ・・」と告げることにしたのです。すると外部ディレクターも「私もそのように聞いてますよ」と、フォローしてくれた御陰で、その場は何とかおさまりました。

ところが、そのSプロデューサーが、自分のヘマをT部長に何と言ったのか知りませんが、僕はいつの間にか、「電通を怒らせた男」と言うことになっていて、その懲罰として、CGディレクターを降格、映像とはまったく関係の無い部署への出向を命じられたのです。


・・そんなこんなで数年間が過ぎましたが、僕は新たに設けられたデザイン部の長として現場に復帰、そこそこ毎日を過ごしていました。

が、ある日のこと、突然、T部長がJ社を辞めることになりました。実質、プロダクション運営をも担って来た部長の辞職だっただけに、現場では「なぜ今ごろ?」と言う当惑と不安が広がりました。

ところがその数ヶ月後、さらに驚くべき事態が起こったのです。何と、プロダクションが経営不振のため健闘も空しく解散と言うことになり、そっくりそのままゲーム会社のN社に引き取られることになったのです。

「これだったのか・・」そのとき僕はそう想いました。

当時T部長は経営状況を細かに知る立場に有り、以前から倒産時期を予測していたのに違い有りません。そこで、その渦に巻き込まれぬよう、たくさんの若い部下たちを置き去りに、ひとり逃げ出して行ったと言うわけです。まるで沈みゆく運命の船からネズミが逃げて行くように・・。もちろんわざわざ送別会まで開いてもらい、すぐさまライバルCG会社に再就職すると言う手際の良さでした。


・・とまあ、ずっと昔に、こんなことが有りましたとさ、と言うお話しです。T氏はその後もCG業界で活躍?されまして、いろいろなウワサも聴こえて来ましたが、・・まあ、ここではこのくらいでいいでしょう。

それよりも、CMの、人の良さそうな妻夫木くんはこれからどうするのかと心配になります。この先もなお、上司ギバちゃんに付いて行くのでしょうかね。あまりおススメはしませんが、さりとて対立し過ぎるのも得策ではない、とも言っておきましょうか。





  

2013年10月20日日曜日

霊を信じない人が見た不思議なモノ

★こないだ、ある女性の友人と久しぶりにメールでやり取りしたのですが、その時ふと、かつて彼女から聞いた不思議な話しのことを思い出しました。確か彼女が中学生の頃だったと聞いているので、まあ、ずいぶん以前のことになります。

当時彼女は、両親と高校生の兄との四人家族で、横田基地に近い東京郊外の一戸建ての家に住んでいました。体験した不思議な話しと言うのは、その自宅の二階で起こった出来事です。

ある日の午後、彼女は学校から帰宅し、階段を上がって、二階の自分の部屋に行こうとしていました。彼女の部屋は奥にあり、その手前で兄の部屋を横切るのだそうです。

で、いつものように部屋の前を通ろうとしたら、扉(引き戸?)が少し開いていたので、何気なく中を見ると、学生服のワイシャツ姿のまま、腕枕で横になっている少年の姿が見えたと言います。「あっ、お兄ちゃん帰ってたんだ」と想い、「ただいま」と声をかけ、自分の部屋に入ったんだそうです。

ところがしばらくすると家の玄関を開ける音がして、どう言うわけか、さっき見たはずの兄が帰宅したのだと言うのです。それで不思議に想って、「あれ? お兄ちゃん、さっき部屋にいたよねえ?」と尋ねると、「なんだよ。いま帰って来たんだろ」と言うのだそうです。

そこで、ワイシャツ姿で腕枕をしていた少年のことを説明したのですが、なに言ってんだ?と言う顔をされるだけで、まるで相手にしてくれないのです。なので、彼女の方も「錯覚だったのかな・・」と想うしかなく、その話しはそこまで、と言うことになりました。

ところが数時間後のことでした。一本の電話が兄あてにかかって来たのです。それは、兄の親友が交通事故で亡くなったと言うことを知らせる電話でした。そしてその友の亡くなった時刻が、ちょうど彼女がワイシャツ姿の少年を見たのとほぼ同じ時刻だったと言います。

「そのシャツの白さが、今でも目に焼き付いているんですよ」と、彼女は語っていました。ただ、身体の向きのせいで顔は見えなかったと言います。

その友人はとても仲の良い兄の親友だったと言うことで、家にも頻繁に遊びに来ていたそうです。なので話しを聞いた直後は、事故にあって亡くなる瞬間、兄に別れを告げに来たのだと想いました。

が、よくよく考えてみると、だとしたら兄のいない部屋ではなく、もっと違った形があったんじゃないか、とも想えて来ました。で、次第に私は、もしかしたら兄と言うより彼女に会いたかったのかも知れない?と想うようになって行ったのです。

彼女は、今ではもうそこそこの年齢になっていますが、二十代の頃はノーメイクでもとても美しい女性でした。なので中学生くらいの頃となれば、なかなかの美少女であっただろうことは間違いないのです。

つまり友人にしてみれば、仲の良い兄と一緒に過ごせると同時に、運が良ければ美しい妹に会って話しも出来る、そんな居心地の良い場所であったはずの兄の部屋をとても懐かしく想っていたのに違いありません。

「もう、ここへ来ることも出来ないんだなあ・・」
腕枕で天井を見上げる姿からは、もはやどうする術もない無念の想いさえ感じられます。それでも、ひそかに想いを寄せた彼女には最期にチラリと姿を見せておきたかった、そんな風に想えてならないのです。


こう言う話しは、亡くなった人には申し訳ない言い方ですが、まあ良くある体験談ですよね。しかし興味深いのは、彼女はもともと霊とか心霊現象とかをぜんぜん信じない人だったと言うことなのです。しかもそんな不思議な体験をした後でも、「霊は存在しない」「心霊現象は信じない」と言う気持ちにはまったく揺らぎが無いのです。

「心霊現象を妄信する心、霊が出ると想い込む疑心暗鬼、自己暗示が幽霊を見させるんです」
「複数の人が見たとしても、それは証拠にはなりません。集団ヒステリーなんです」

など、よく聞く有識者の解説です。しかし申し訳ないんですが、どうやら彼女には当てはまらないようですね。心霊は信じない人だし、見たのは昼間の明るい部屋だし、一人で見ているので集団?ヒステリーでも無さそうですし・・

それとこういう解釈のことですが、同じようなことを数十年前からずっと言い続けてらっしゃるので、我々にしてみると「もう、いいかげん聞き飽きたんですけど」って言うのが正直な気持ちです。

むしろ彼女のように、じつは誰もが何処かで、不可思議なモノを見たり体験しているのかも知れません。なのに「有るはずがない」という懐疑的な思い込み、強い自己暗示によって、実際には有ったことも無かったことにしてしまっている・・・

・・のかも知れませんよ。






 

2013年10月3日木曜日

クール ・ジャパンの功労者?

★今さら、と言われそうですが、このところの日本のマンガ・アニメの世界進出は凄まじいものがありますな。

「クール・ジャパン」の筆頭ってことらしいですが、かつて、日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送をリアルタイムで見、自身もマンガ家になりたくてなりたくて懸命に目指していた者としては、少し複雑な想いも無いわけでは有りません。と言うのも、いま隆盛をきわめている多くの作品には、なかなか溶け込めない自分がいるからなのであります。

その大きな理由は、今時のマンガの「絵」と言うか、「キャラクター画」に馴染めないせいなのです。僕自身が絵描きの端くれで、絵に対する好みが激しいことが原因かも知れませんが、どうも、今のマンガは、確かに洗練されていてキレイなんだけど、なんか気持ち悪い・・ いわゆる生理的に拒否反応を起こしてしまうところが有るんです。

と言うのも、今の漫画には、昔の少女漫画的作風が流入していると思うのです。差別?と言われたらそれまでなんですが、子供の頃から少女漫画が苦手で、今の作品の絵柄に「少女漫画風」を感じると、どうしても受け付けなくなってしまうんです・・(申し訳ないです)。なので、ストーリー的には面白そうだと想っても、ついついバリアを張って避けてしまうことが良くあります。

それでも、ギリギリの境界線を何とかクリアして、見て良かったなと想うものも幾つか有ります。「蟲師」や「夏目友人帳」とか「秒速5センチメートル」など、とても良かったですね。「蟲師」に関しては絵も好きでしたが、あの奇抜な発想や設定が素晴らしかったし、「夏目友人帳」はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」が失ってしまった、妖怪に対する畏怖や不可思議が見事に描かれていました。

「秒速5センチメートル」については、キャラクターの絵は好みでは無かったのですが、まず背景画に引き込まれて、それにつられて物語にも引き込まれてしまいました。(自分がブレード隊で訪れた、幾つかの実在する駅が登場する、聖地巡礼的懐かしさも有りましたかね)

ただ、「ワンピース」なんかと比較して、もしかしたら、これらは一昔前の作風に近いから気に入ったのかな?と言う想いも無くはありません。

「ワンピース」は、ストーリーとは直接関係の無いエピソードを、延々と語り続ける場面が随所にあって、最近の作品にはそう言う傾向がとても多いのですが、僕なんかには、このわき道にそれる感じがたまらなく退屈だと感じられてしまうのです。

それに比べれば、「蟲師」や「夏目友人帳」「秒速5センチメートル」などは、正統派のプロット作りがなされていて、受け入れやすい構成になっている気がします。

特に、「秒速5センチメートル」はとても優れた出来映えのアニメでした。監督の「新海誠」・・この名前を覚えておいて次の作品を見逃さないようにしよう、そんな気持ちにさせました。、僕のような時代遅れのオッサンが気に入ったくらいなので、果たして海外ではどうだろう?、クールジャパンとして受け入れられるのだろうか?と言う疑問は残りました。

そんなある時、アメリカのアニメ・オタク少女を取材したドキュメンタリーを見ていたら、ちょうどアニメ仲間を集めて「秒速5センチメートル」の映写会をやる、と言う場面を見ることが出来たのです。

「ヨーロッパならまだしも、アメリカ人に、あのスローテンポの悲しき叙情が通じるかな?」と想って見ていたら、予想に反し、集まった少女たちは、ホロホロと涙を流し始めたでありませんか。正直言って驚きました。たとえ国民性は違っても、思春期の少女には共感できるものが有ったのか、それとも彼女らがやはり特別なオタク仲間だったのか、それは今も謎ですが・・・

とは言え、あれもこれも、マンガやアニメの「マニア」が「オタク」と呼ばれ始めたころから、作家と読者が一丸となって、クール・ジャパンと言う名の世界征服?を成し遂げたこと、その成果であることには間違いありません。

そしてそれは、あの手塚治虫氏や石ノ森章太郎氏でさえまったく手の届かなかった、はるか高みで成しとげた素晴らしい出来事だったと想うのです。たとえば「宮崎駿」を知っている外国人でも、同じようなレベルで「手塚治虫」や「石ノ森章太郎」を知っているか?と尋ねたら、・・分からない気がします。

・・だから、今にしても想えば、僕たち手塚世代がそこまで行けなかった理由は、たぶん、マンガのグレードアップを目指すあまり、小説(文学)に近づけようと勘違いしてしまったことなのだと想います。

その結果、永島慎二作品やつげ義春作品など、現代小説に匹敵する優れた作品も生まれたのですが、しょせんマンガはマンガ、小説になることは出来ず、その大部分は、時代の移り変わりと共に何処かへ埋もれてしまう運命をたどったのだと思います。

とは言え、僕たちが成し遂げた大きな功績?も有ったと思います。それは「大人がマンガを読む」と言う、日本独特の文化を作り上げたことではないでしょうか。

当時「コミックは子供の見るもの」という強い観念を持つ海外の人々には、バカげた奇異な光景であると驚かれ、嘲笑的に扱われたそうです。で、その外人たちの反応を知った当時のマスコミや有識者たちは、いろんな形で「日本人の幼児化」として批判を繰り返したものでした。

しかしながら今となっては、その「大人が見るマンガやアニメ文化」が、「クール・ジャパン」を代表するものとして、世界中を席巻しているのは周知の事実です。あのころ批判を繰り返していた「頭の良い有識者」たちが、今ごろどれだけ苦々しい想いでこの状況を見ていることか、僕は時々痛快な気分で想い出したりすることがあります。

と言いながら、同時に、
「クール・ジャパンなんて威張ってんなよ!」
「それもこれも、大人になったオレたちが、どんなに世界中からバカにされても、マンガを読み続けたおかげなんだぞ!」
と、ついつい、当て付けがましく叫びたくなってしまうのも事実なのでありました。

「秒速5センチメートル」予告編






  

2013年8月26日月曜日

夏の甲子園の危機?

★「今年の夏はとにかく暑い!」と言う声があちこちから聴こえて来ますが、印象深かったのは、あれほど暑さに強いはずの甲子園球児にも、とうとう熱中症の選手が出始めたと言うことでしょうか。

今までは応援団や審判がやられたと言う話しはあったんですが、今年は埼玉の予選で数名が倒れたと聴いているし、本番の甲子園では、特に先発投手が8回9回あたりで、熱中症による脱水症状で、足の痙攣に見舞われると言うシーンが数回有りました。

そのせいか、まだ少数ですが「もやは夏の甲子園は危険だ」との意見が出始め、評論家の中にも「ドーム球場での開催も考慮する時期なのかも知れない」と言い始める人が出て来たようです。甲子園のベンチは冷房が効いているとの話しを聴いたことがありますが、それでも間に合わない状況になりつつあるのかも知れないです。

まあ、「甲子園球場」と言う象徴的な場所以外での開催と言うのはかなり難しいような気もしますが、しかし、猛暑の夏は今年だけでは終わらない、これからは毎年のように続くのだ、と言うことは、みな、薄々感じているんじゃないでしょうか。

今年の甲子園で話題の出来事と言えば「某高校の選手のカット打法」が、反則打撃だと警告された件ですかね。これには世間のさまざまな反応が有りまして、「ルール上問題は無い」とか「対応する時期が遅すぎる」などと、批判する声がずいぶんありました。

私は正否を判定する立場には無いのですが、個人的に想ったのは、対戦が進むにつれ、熱中症の症状に見舞われる投手が多発したことが、審判団に決断を迫らせたのではないか、と言うことでした。

この選手の成績を調べてみると、彼一人だけで、相手投手に30球~40球も投げさせる傾向にあったようです。そうなると、たった1試合で途方も無い球数を投げてしまう恐れも有り、あの、毎日のように続いた35~40度クラスの猛暑下では、場合によっては重大な健康上の問題を起こしかねません。

しかも、カット打法を長引かせた結果、後半、相手投手が足の痙攣を起こして退場せざるを得なくなった様子を見て、カット打法を行なった選手とメンバーがベンチ内で高笑いをしている姿がカメラに映されてしまったのですね。これ非常に印象が悪かったです。(こう言うのは高校野球をスポーツニュースなどダイジェストの数分で見ている人には分かりませんよ)

そんなおり、高校のアメフト選手が、試合中に熱中症で亡くなると言う事故が報道されましたよね。たぶんあの辺から、高野連および審判団は何らかの対策を考えていた、そんな気がしてならないのです。

結果、異例の「大会途中での警告」と言う形を取った、と私は勝手に推測しておるわけです。「なぜ大会が始まる前に警告しておかないんだ!」と言うのが大方の批判理由ですが、上記のように考えると、少し理屈が通って来るような気がしませんか?

足ていどで済めばいいですが、筋肉が痙攣すると言うことは、心臓も筋肉なわけで、場合によっては「心室細動」の恐れもあり得るのです。と言うより、足の痙攣は、心臓を守るために身体が発した警告症状と見るべきですね。

もしも症状が心臓にまで達して、最悪のケース、相手投手が意識を失って倒れたら、取り返しのつかない「悔恨の甲子園」になってしまうし、もちろんカット打法を行なった当の選手にとっては「一生の心の傷」となって残る恐れも有るわけです。

そしてこれは、あくまで私の考えに過ぎませんが、「カット打法は卑怯者の作戦」だと思います・・(すみません!)。

日本人は昔から「ルールの拡大解釈」を得意にしています。そして、そのルールの隙間を狙った作戦を発見することが「賢い」と思い込んでいる気がするのです。で、そのよりどころとなっているのが、「宮本武蔵」の物語のような気がします。

佐々木小次郎との決闘で、わざと時間に遅れて来るとか、太陽を背にして逆光で見えにくくするとか・・。でもこれって、武士道精神じゃないですよね?。「卑怯者」ですよね?。巨匠:吉川英治氏には失礼なんですが、こんなのは「サムライ」じゃないと思います。

こうなると「大量得点をしたチームが盗塁をするのは相手に対しての無礼」「相手のプライドを傷つけてまで勝つ必要はない」などと考える、アメリカのベースボール・スピリッツの方がよっぽど「武士道精神」に近いんじゃないか、そんなガッカリな話しになってしまいそうで、とても悔しいんです。

ただ、それだけの話しなんですけどね・・