スキップしてメイン コンテンツに移動

5「二通の手紙、二つの返信」



★2022年、2月17日。鎌倉の寿福寺を訪れ、37年前に若くして亡くなった女性の墓参りをしようとしたものの、すでにお墓は無くなっていました。東京に転居した母親の手によって、何処かの墓地に改葬されたと言うのです。

そのおり寿福寺で、母親の転居先が東京の「日の出町」だと教えられた僕は、まず「Googleマップ」で場所を確認してみることにしました。すると、ストリートビューには綺麗な白い家が現れました。さらに門の部分を拡大して見ると、確かに表札には○○との苗字が見えました。

車庫には乗用車が停まっていました。80歳を越えていると言うお母様が運転するとは思えず、もしかすると、どなたか親族の方と同居しているのかも知れないと想像しました。

ただし、ストリートビューの写真は「2019年」のまま更新されておらず、それを見た僕はふっと思ったのです。
「この2年ほどの間に、何も起こっていなければいいが」と・・

まず、母親宛に手紙を書いてみようと思いました。ありのままを正直に・・、2021年、何度も見るようになったご息女の夢の話しから、芸大時代のローラー・スケートの話し、鎌倉寿福寺での出来事、そしてこの住所に辿り着いたいきさつを・・

とにかく怪しまれぬよう、失礼にならぬよう、慎重に何度も読み返しては書き直し、出来あがるまで結局二週間もかかってしまいました。そして最後に身分証明として、東京芸大の卒業証書のコピーも同封しました。

返事はなかなか来ませんでした。3月3日に投函して、一週間過ぎてもまだ来ません。最近は土日に配達しないそうなので、その分だけ遅れているのだと自分に言い聞かせましたが・・。いや違う、母堂を不快な気持ちにさせてしまい、破り捨てられたのだ?・・などなど、様々な想いが去来しました。

・・それでも中々来ることはなく、
「頑張ってはみたけど・・、どうやらここまでかなあ」
と、少しずつあきらめの気持ちになって行った3月12日、土曜の夕方、スマホに着信があったのです。

見知らぬ番号でしたが、出てみました。
「私、◯◯様から遺言執行人を依頼されました、弁護士の◯◯と申しますが・・。高橋様からのお手紙を転送先で受け取りまして、お電話差し上げました」
と言うのです。

「遺言執行人・・?」
一瞬にして色々なことが頭を過ぎりました。

「 ◯◯様はすでに亡くなられております。その遺言に従って、お手紙の宛先となっていたご自宅も、今年(2022)の1月に解体されました。それでお手紙がこちらに転送されて来たわけです」

「あっ、そっ、そう、なんですか・・」
自分でも分かるほど動揺していました。寿福寺のときと同様、追いかけても追いかけてもたどり着けない・・、そんな無力感に襲われました。

「それで、先に亡くなっている娘さんの方は、昭和33年9月生まれで、昭和60年10月に亡くなっていますね。享年27歳です。それはよろしいでしょうか?」

「あっ、はい」と答えながら、昭和33年生まれってことは?、自分と同じ・・、つまり半年違いの同い年だったのか・・、と今ごろ思っていました。(芸大は何浪もして合格する人がいるので、同期でも年齢差が出る)

「・・で、このお手紙でご質問の、''お墓の場所''の件なんですが、これは私どもにはちょっと分からないんです。ただ◯◯様はクリスチャンで、近くの教会に通われていたようなので、そこで尋ねれば何か分かるかも知れません」
と、教会の名称、住所と電話番号、そして代表者の名前を教えてくれました。

それらをメモしながらお礼を言うと、遺言執行人は、
「本来は、個人情報上、ここまで漏らすことはふつうは無いんですが・・、お手紙が、その、あまりに丁寧に書かれていたもので、ついつい、これはお伝えしなければと思ってしまいまして・・」そう言って、少し笑いました。

「ああ、それは、恐縮です。ありがとうございます!」と言いながら、二週間もかかって、何度も何度も書き直した甲斐があった、と思いました。

それから遺言執行人は、「このお手紙を、そのまま、少し書き直して教会に送ってはいかがでしょうか?、この内容ならきっと大丈夫だと思います」とアドバイスしてくださいました。手紙はパソコンで書いてプリントしたものだったので、原版が残っているだろうと察してのことです。

「手紙の書き方一つで、事態が大きく変わってしまう」
そう思いました。もし用件を書いただけの雑な手紙だったら、ここでストップしていたかも知れません。

・・いや、もしかして?

知らぬ間にいくつかの関門を与えられ、それらをクリア出来るかどうか試されているのではないか?、ふと、そんな妙なことが頭に浮かびました。

たとえば、最初に見た夢・・
「いま、風俗で働いてるの」「歯が抜ける女の子はキライですか?」
顔色が悪く、見すぼらしい姿になった彼女にそう言われても、
「だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」
そう言い切れたこと・・

三夜連続で見た、彼女が男たちに連れ去られる夢では、
僕が、決してあきらめず、最後まで探し続けるのかどうか・・

「意味の無い羅列」のように思えた幾つかの夢が、どうやら一本に繋がった・・、そんな風に僕には感じられたのです。


こうして、書き直した手紙を、3月15日に教会宛に投函して返事を待つことになったのですが・・。さて、それからの僕は、なんと二日後の3月17日、再び鎌倉へ行くことになるのです。

一ヶ月前に鎌倉を訪れて以来、ずっと「鎌倉」と言うワードが気になっていました。その影響で、急に、いつもは見ないNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に興味が湧き、初めて見てみたのです(第八話「いざ、鎌倉」2月27日放送)。

するとラストの、ドラマゆかりの地を訪ねる「鎌倉殿の13人紀行」のコーナーで、偶然にも先日行ったばかりの、あの「寿福寺」が映し出されたのです。そして、その映像を見ている内に、「もう一度行かなければ・・」との思いが募り、抑え切れなくなってしまったのです。

自分ではもう、そう言う「衝動」に不自然さを感じなくなっていました。むしろ「衝動」に従って素直に行動した方が、不思議な巡り合わせで良い結果が得られる・・、そこまで思うようになっていたのです。

当日は、車の荷室に小さな折り畳み自転車を積んで出発しました。徒歩では行動範囲が限られてしまうからです。到着してまずは寿福寺を訪問です。すでに更地では有りますが、かつて◯◯家だった墓の跡に、お線香と白いユリの花を供え、お水をまいて、塩で清めて・・、しっかり挨拶を済ませてから、鎌倉の街並みを自転車で走ります。

が、鎌倉と言っても広うございます・・。彼女から「故郷は鎌倉」と聞いただけで、どこに家が有ったとか、どの辺を良く歩いたなんてことは聞いてません。だからまったく当ては無いのですが、とにかく「鎌倉」と言う土地の空気、風の匂いを確かめてみたかったのです。

観光では何度か来たことが有りますが、自転車でトコトコ走るなんてのは初めてです。まず寿福寺から北へ向かってみましたが、いきなり起伏の激しい山道になって・・あきらめました。

その時、「そうだ、逆に南へずっと行けば海に出るなあ」と気づいて、そっちへ行くことにしました。平日でしたが、鎌倉駅周辺はやはり人通りが多くて、そこからは出来るだけ裏道を選んで進むことにしました。

その道すがら、歴史を感じる古い建物をいくつか見つけると、''まてよ、彼女も昔、これを見ていたに違いない?''と思い、しかしすぐに、''いやいや、気のせい気のせい''と言い聞かせながら・・

やがて海沿いの広い国道を渡り、由比ヶ浜の海辺に到着しました。薄曇りながら光が眩しく、少しけぶったような海面がキラキラしていました。そこで自転車を止め、コロナ対策のマスクを顎までズラすと、久しぶりの潮の香りが海から吹き寄せて来ました。そして心地よく、懐かしく、僕をすり抜けて行ったのです。

・・来て良かったと思いました。
「たぶん、きっとうまく行く」
砂浜のずうっと遠いところを歩く人影に、あの子の幻を見たような気がしました。






3月15日に教会宛の手紙を出してから、返事が来たのは、翌週の、お彼岸を過ぎた23日でした。僕が送った手紙には、念のため、住所・電話番号・メールアドレスまで記しておいたのですが、返事はメールで届きました。

「お墓は、八王子市にある東京霊園という大きな霊園にあります」
・・とうとう、彼女が眠るお墓の場所が分かりました。

彼女の夢を見始めてから約1年、お墓参りに行きたい衝動にかられてから約5ヶ月・・。ウチ(東久留米市)からは車で1時間半くらいの距離で、もちろん鎌倉よりずっと近い場所に、・・彼女はいました。

メールには、分かりやすい墓地の見取り図も添付されていました。霊園の一角にクリスチャンのための教会墓地があり、そこに彼女とご両親、親子三人の遺骨が納められているとのこと。

鎌倉から東京に転居した彼女の母親は、間も無く地元の、その教会に通うようになったそうです。そこで・・
「しばらくして、ご家族の墓を改葬したいと申し出られて、教団の墓にご主人と娘さんのご遺骨を改葬されました。・・お歳を召されてから当教会に来られるようになりましたので、娘さんについては存知あげておりません」

また、その教会(プロテスタント系)では、毎年「合同記念会(慰霊祭)」と言うものが開かれるそうで、それにより「親子三人の弔いは、ずっと続けられるので心配はありません」との説明がありました。

そして、牧師様は、次の一文も添えてくださいました。
「お母様も亡くなられたおり、故人をご存知の高橋様が墓参りされることは、何かの導きのように思えます」

「何かの導き」とは、さすがキリスト教の牧師様、まるでドラマのセリフのように仰る・・と、最初は思いました。ですが、次に書かれていた、彼女のお母様が亡くなられた日付を見たとき、ハッとして、漠然とですが、「これだったのか?」と思ったのです。

お母様が亡くなられたのは、「2020年7月7日」だったそうです。

お母様のご逝去が「2020年」。僕が夢を見るようになったのは、翌「2021年」からなのです。なぜ37年も過ぎてから?と疑問でしたが、ムリムリこじつければ、お母様ご逝去の時期と、夢の始まる時期が「ほぼシンクロしていた」と言うことになるのかも知れません。

つまり牧師様からすれば、彼女の母親が亡くなって、それと入れ替わるように、見も知らぬ僕が現れ「お墓参りをしたい」と申し出たのですから・・、それこそ「意味のある偶然?」のように見えて、少々驚かれたのでしょう。

それと、どうやらお母様は、「お一人で静かに暮らしていた」と言うことも次第にハッキリして来ました。僕が想像していたような「親族との同居」は無かったようなのです。

一つには、亡くなって一年半後にはご自宅が解体されたこと。そして二つ目は、牧師様の「親子三人の弔いは、ずっと続けられるので心配はありません」との言葉。これは、仏教的に解釈すれば、「無縁仏になる心配はありません」との意味に取ることが出来るのです。

これらのことから、お母様は、ご自分の意思で親族と距離を置き、最後まで孤高と信仰を貫いた、そんな姿が目に浮かぶのです。

マップを見ると、通われていた教会までの距離が約3km、バスや電車では遠回りでとても不便なのです。なので車庫に乗用車が有ったのも、やはりご自分で運転されていたと考えるのが自然でしょう。

でも、なぜ生まれ育った鎌倉を離れ、いきなり東京の郊外に・・と言うより、「東京の外れ」と言ってもいい場所に転居されたのか?、あえて理由を確かめたい気もしましたが、赤の他人にはここまでが限界でした。

ひとつ残念なのは、家が解体され、遺品としてそこにあったかも知れない、あの子が描いた油絵も処分された可能性がある?と言うこと。出来るなら、短いながらも精一杯生きた証として、彼女の筆あとが残る作品を一枚でいいから手元に置いておきたかった、それが心残りです。

いや、それよりも・・
かつて、幸福だったはずの親子三人がこの世界からいなくなり、その家族の墓参りのために「僕が導かれた」と言うのなら、遺品を預かるより意味のあることなのかも知れません。

もし、僕でよろしければ・・
出来るだけ早く時間を作って、霊園を訪れたいと思っています。そして・・
「心からの祈りを捧げる」
そう誓わずにはいられないのです。


*次回のお話しに、つづく・・


コメント

このブログの人気の投稿

クローン人間

★クローン人間のことが話題になると、その是非とは別に気になることがあります。キャプテン高橋は少年のころ友人たちと心霊研究をしていたことがあるのですが、そのときの知識に照らし合わせてみると、クローン人間とはどんなモノになるのか、とても興味があるのです。 まず普通の人々はクローン人間を、「肉体の DNA 的複製」とだけ考えがちですが、心霊的に見ればそれだけでは不完全で、その肉体に宿っている霊魂の方が人間の本体なのですから、霊魂まで複製しなければ完全なクローンとは言えないと言うことになります。 では、霊魂と言うのは、複製できるものなのでしょうか?  「複製」と言う概念からは外れるかも知れませんが、霊魂が分裂することはあります。たとえば一番分かりやすいのは「一卵性双生児」です。これはご存知のように、受精した一つの卵子が子宮内で二つに分かれ、二人の人間として生まれてくることですが、この時、同時に霊魂も二つに分かれます。 つまり本来一人の霊魂だったものが、二つの肉体に宿って生まれて来ると言うことになるわけで、我々が考える「クローン人間」に一番近い形と言うことになるかと思います。 逆に、複数の霊魂が合体することもあるようです。と言うより、ほとんどの人が、複数の霊魂が集まって一人の人間として生まれ変わって来ている、のだそうです。だから、一人の人間の中に、一言では表現しきれないようなたくさんの性格、性癖、本人にも分からない奥底の感情など、複雑な意識がうごめいているわけです。 ところが、その複数の人格が完全に統合されていない幼児期に、あまりにひどい虐待を受けたりすると、そのショックで統合に失敗し、人格がバラバラになったままになる「多重人格症」と言う精神病になってしまうわけです。 これは性格が入れ替わってしまうだけでなく、名前や生まれ育った場所、経験したことまで言い分けると言う特徴があります。心理学的には「創作された人格」だと言われていますが、海外では、副人格の言ったとおりの場所にその人の墓があった、なんて症例まで確認されているようです。 まあ、そんな病的ではないにしても、自分の中に、人には言えないような凶暴な性格が潜んでいて人知れず悩んでいたり、酒を飲むと突然人が変わってしまったり、それを翌朝には完全に忘れていたりなど、本来の自分ではない...

天神様と稲妻

★私の母にまつわる怪異現象?について、これまでもいくつか書きました。その中でも一番印象に残る話しとしては、天神様と呼ばれる山の上の神社で起こった落雷の話しだったと想うのですが、その後、母から聞き直してみたところ、いくつか実際と異なる部分があると分かりました。幼いころ何度も聞かされ、しっかり覚えていると思い込んでいたのですが、細かい部分で記憶違いがあることが判明したのです。なので、それを訂正したものをもう一回アップしたいと想います。 私の母は雷を異常に怖がります。雷が鳴りはじめると部屋に閉じこもり、何もしなくなってしまうくらいなのです。もちろんそれには、そうなるだけの理由、今で言う「トラウマ」となる出来事がありました。 私の母は昭和一桁生まれで、秋田県大仙市(当時の大曲)の小さな村で育ちました。が、小さいながら、当時は子供たちのたくさんいる活気に満ちた所だったとのことです。その村の中心には、天神様と呼ばれる山が有り、二百段ほどの石段を登ると、頂上には神社が有って、境内は十数人の子供が走り回って遊べるだけの小さな広場になっていました。(私も子供の頃、里帰りする母に連れられ何度も登ったことが有ります) その日、母は遊び友達の女の子と二人、天神様に向かって階段をかけ昇っていました。冬は雪に閉ざされ登れません。これは夏の良く晴れた日の出来事なのです。以前書いた時は、この時の母は10歳以下と思い込んでいたのですが、どうやらもう少し年上の、12〜13歳くらいだったようです。 途中母は、その友だちにいたずら話を持ちかけられました。昔から村の大人たちに絶対に見てはいけないと言われている、天神様の御神体を見てしまおうと言うのです。私の母は、そんなおっかねえことはやめようと、しきりに説得したのですが、相手の女の子は聞く耳を持ちません。 頂上に着くと、すでに授業を終えた小学生から中学生くらいの子供たちが遊んでいました。その中には母の弟(私の叔父)もいて、一緒に遊んでいたそうです。つまりこれは、子供ながら複数の目撃者がいた現象だったと言うことなのです。 その友だちは、神社に着くなり、尻込みする母の手を引っ張って社の階段を上って行くのでした。そうして引き止める母の声も聞かず、ほこりにまみれた扉を開け、御神体が祭られているはずの、奥の戸を開けてしまったのです。・・が、そこには、古びた丸い鏡が置か...

タイヤが危なかった

★「ぶんぶん戦」に行く途中、後輪からカツンカツンと言う異音がするので見てみたら、タイヤがブレーキシューに当たっていました。 で、てっきり自分の体重や荷物の重さで、ホイールが歪んだと思っていたのですが、試合後、更衣室の前で点検してみたら、原因はホイールでは有りませんでした。 タイヤがすり減って、その薄くなった部分をチューブが押し上げ、盛り上がっていたのです。しかも試合前と比べると、さらに膨れ具合が増しているようなのです(ちょっと分かりづらいですが、写真のようになっていました)。 これは非常に危険な状態なんですね。以前所有していた自転車も、同じような兆候から、走行中に大きな破裂音と共にバーストしたことが有ったんです。 もしこれもバーストしたら光が丘から家まで10kmくらい歩くことになるので、それは避けなければと、苦肉の策に出ました。ギリギリまで空気を抜いて、12〜13kmのゆっくりした速度で走るようにしたのです。 その状態で乗ってみると、後輪がグニョグニョと左右に揺れるので、けっこうアセりました。でもまあ、女子高生やオバさんたちに抜かれながらも、何とか保たせて無事帰宅することが出来ました。 もちろん新しいタイヤを購入しなければならないのですが、今日はとりあえず、古いタイヤに取り替えてみました。この自転車に純正で装着されていたのは「700×38C」と言うサイズで、分かる人は分かると思いますが、マウンテンバイク並みの太いタイヤなのです。仮装着したスペアタイヤは「700×35C」で、町乗り用のクロスバイクに標準で付いているサイズです(ママチャリくらいの太さかな?)。 これが何と、カッコワルいんですよね。デザイン的にバランスが取れないんです。泥よけとの間がスカスカになってるし、非常にカッコワルい。次に替える時は長距離走行を考慮し、やや細めの「700×35C」くらいにしようと思っていたのですが、これはダメそうです。 ようするに、この自転車のデザインが「700×38C」を想定して設計されていたと言うことなんです。まあ太い分、乗り心地はいいんですけどね。それと歩道などの段差を乗り越えるとき、リム打ちすることもなく安心できます(チューブを傷めパンクの原因になる)。 ともあれ、交換用の新しいパーツを探すと言うのも自転車の楽しみの一つなので、劣化して来た...

草野球の転換期

★僕は、草野球の試合では、主にセンターを守ることが多いのですが、たまに仲間から「守備位置が深いのでは?」とクレームが来ることが有ります。時折り、捕れそうな浅いフライに追いつけず、前に落としてしまう光景なんかを見ると、そう思うのかも知れません。(個人的には内野のあきらめが早すぎると想ってますが・・) まあ確かに、昔より足も遅くなって、追いつけない当たりも増えて来たとは思いますが、ただ、この「センターの守備位置」と言うのは、約20年間、およそ350試合に渡る(守備機会数までは分からないが)、僕の草野球経験から割り出した「絶妙な?守備位置」なのであって、簡単に「ちょっと深いんじゃない?」と言われても、なかなか動かしがたいものなんです。 これまでの経験から言うと、実は、草野球の外野の守備位置には「三度の転換期」が有りました。一つは「ビヨンドマックスの登場」。もう一つは「新軟球登場」。そして「イチローのメジャー移籍」です。 まず「ビヨンドマックス」などの登場で、打球の質が変わったこと。ただ、ビヨンドの売りである「飛距離の伸び」の印象は少なくて、それより打球が、フックやスライスなど変化を起こしやすくなったことの方が、捕りにくくてショックでした。ウレタンなど、バット面の摩擦増大によって、ボールのスピンが強烈になったのが原因だと思われます。 次に「新軟球の登場」。これによって、打球の放物線の形が変わりました。「旧軟球」では、打球が放物線の頂点に達したあと、空気抵抗のため急激に勢いを失い、そのまま尻すぼみで下に落ちて来ていました。ところが「新軟球」では空気抵抗が少ない分、きれいな放物線を描くようになり、飛距離が伸びました。なので旧軟球のイメージのままで追って行くと、5m~10m頭を超されてしまうのです。 ですが、人間の感覚と言うのは不思議なもので、いつの間にか慣れてしまうものなんですね。直後はあまりの変化に、「もうオレは外野は守れない」なんて弱気になったりしたのですが、今ではごく普通に捕球しており、「なんであんなに戸惑ったんだったんだろう」なんて、不思議に思い出したりするのです。 前者の二つは道具による物理的な変化でしたが、「イチロー選手のメジャー移籍」は、草野球のセオリーそのものを変えました。それまでの草野球のバッターは「引っ張る」...

映像記憶力について

★先日のシュガー戦終了後、相手のH投手が、アンディ選手と女子選手の安田さんに向かって、「オレから打った初ヒット、おめでとう!」と言ってました。 しかし、アンディ選手は確かに初ヒットなのですが、僕の記憶によれば、安田選手は、すでにH投手から4本は確実に打っているはずなのです。だから、なぜ初ヒットだと思い違いしたんだろうと不思議に思ったのです。非力な女子選手だから抑えて当然、と思い込んでいたのでしょうか。 シュガー戦での安田選手のヒットを振り返ってみると、まず一番分かりやすい1本は、ゴブリンズのDVDにも収録している、4年前に光が丘でシュガーに勝った試合です。ここでH投手から逆転打となるタイムリーを打ってます。 さらに、ゴブリンズが復活した直後、KONOリーグに1年間参加しまして、その時のシュガー戦でH投手に二安打完封されたことが有りました。この僅か2本のヒットのうち、1本が安田選手、もう1本が僕のヒットだったのです。 3本目は2005年の試合で、開始直前に新間投手が「肩が出来てないから先攻を選んでくれ」と慌てて言って来たので印象に残っているのですが、この試合で打ってます。残念ながらジャンケンに負け後攻になり、打ち込まれてしまったゲームでしたが、この試合では、H投手からレフト前に強烈なライナーでヒットを打っています。これまでで一番いい当たりだったと思います。これが3本目。そして今回の一本杉公園でのヒットで、計4本ですね。 WEBスコアブックの「SUGARー通算記録」で検索してみると、安田選手はシュガー戦で計5本打ってますから、なんと、この内4本が同じH投手からと言うことになります。つまり初ヒットどころか、H投手を得意としているバッターと言ってもいいくらいなのです。 なのに、人の記憶と言うのは曖昧なものなんですね。H投手だけでなく、その当人の安田選手さえもが、ヒットを打った記憶が無いと言うんです。 なんて言うと、二人をバカにしているみたいですが、そうじゃなくて、他のメンバーの記憶もだいたいこんなモンなんです。かといって、決して僕の記憶力が優れていると言いいたいわけでもないのです。むしろ記憶力は悪い方です。そのせいで学校の成績が上がらず非常に苦労して来たんですから。 それにメンバーは良く知っているはずですが、暗算もほぼ出来ません。暗算も記憶力...

ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」

★楽天で、期間限定の500ポイントをもらいまして、そのまま期限切れで消えてしまうのも惜しいし、かと言って、ちょっと中途半端な数だし・・と考えて、これが有ったのを思い出しました。 「科学特捜隊・流星ピンバッジ」。900円なので、ポイントにちょっと足せば、ちょうどいい値段で買えます。 「初代ウルトラマン」に登場する科学特捜隊が胸に付けていて、ドラマの設定では、アンテナを伸ばせば、メンバーどうし無線通信が可能なのです。 小学生の目にはとにかくカッコ良く見えて憧れました。厚紙に絵を描いて切り抜き、胸に付けて遊んだりしたのですが、アンテナの伸び縮みだけは再現できず、余計に思いはつのりました。 ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」いま手にしても楽しいですが、あの頃にこれが有ったなら、どんなに嬉しかっただろうかと思います。 ・・そう言えば、ウルトラマンの最終回は衝撃的でした。中学1年になって、夕方の時間帯に再放送が行われると、ビデオの無いあの時代、どうしても最終回が見たくて、野球部の友人二人と練習をサボって大急ぎで帰宅したものです。そんなことも思い出しました。 バッジの裏はこんな感じになっています。洋服に刺して、生地の裏から止めるようになっています。 使い道としては、ネクタイピンにしようかなんて考えています。これまではだいたい、クーパースタウンで購入した「ベースボールバッジ」を刺してましたが、これも中々面白いと思います。(でもやはり左胸に刺さないとダメだろうか?) ふと思いついて、「ユザワヤ」で買っておいた100円のケースに入れてみました。小さなアート作品を入れるつもりの箱でしたが、こんな感じで保存するのも中々イケる気がしました。 ◎【楽天市場】ウルトラマンショップ SHOT M78  

不二家のケーキ

★すでにご存知だとは思いますが、不二家が大変なことになってます。 で、ふと気になったことがあるのです。これは、こう言う事件が起きなければ書くことは無かった話しですが、じつは、もう何年も前から、「どうも不二家は今イチ美味しくない」と言うのが理由で、不二家のケーキ類は買わなくなっていたのです。ケーキが必要になった時は、他のメーカーか、自家製ケーキ屋さんで買うようになっていました。 では、何処が美味しくないのかと言うと、まあ、全体的な味はもちろんなんですが、ケーキで一番肝心な、しっとりフワフワしていなければならないはずの「スポンジ」が、カサカサと乾いてかたいのです。で、クリームのところだけ食べてスポンジは捨ててしまう、なんてもったいないことも何度かありました。 ずっとこれは技術的な問題なのだと思っていて、「不二家はケーキ作りがヘタだ」と思っていたわけですが、今回の「賞味(消費?)期限事件」が起きてからは、「ひょっとするとあのスポンジも、出来てからかなり日が経っていたのかも知れない」と疑うようになりました。 いくらなんでも、出来立てのケーキがあんなにパサパサしてるなんておかしいですよね。 同時に、それに気づいた自分の味覚をもっと信じてもいいのかな、とも思うようになりました。ブランドに惑わされず、「おかしいな・・」と思ったら買わないようにした方がいいのかも知れません。 じつは、不二家以外でも、どうも味がおかしい、あるいは最近おかしくなって来た、と感じる大手メーカーがいくつかあるのですが、少し自分を信じて、買い控えしようかと思います。 もちろんブログで名指しは出来ません。名誉毀損になりかねませんからね。   

自転車のライトにLED10連発!

★ホームセンター「ビッグサム新座店」で手ごろなライトを見つけました。LED5発でしかも安い!「税込み¥980」でした。自転車用でLED5発だと¥3000以上すると思います。 いわゆる「懐中電灯」なのですが、うまくすれば自転車にも使えそうです。メーカーは「マクサー電機」と言うところで、残念ながらあまり聞いたことは有りません。が、分解してみたところ作りはけっこうしっかりしていました。 ボディはいっぱしのアルミ製、ゴムのパッキンが付いていて、生意気にも生活防水になっているようです。レンズが集光ではなく普通の透明アクリルで、光が初期LEDの青白い色と言うのが今イチなのですが、それでも5連発はそれなりの明るさがあります。 それと自転車専用でないと振動に弱いものですが、叩いたり落としたりしてみたところ振動にも強そうです。 ◆マクサー電機 じつは、自転車のライトにはみんな苦労してまして「明るくて電池の寿命が長い理想的なライト」を求めて、何個も買い替えると言う人が多いんです。それだけ自転車で長距離を走る人にとって「安全確保」と言うのは重要な課題なんですね。 世の中には無灯火で走る人も多いですが、あれはまったく理解できない話しです。できるならオートバイみたいに明るいライトが欲しい!って考えているくらいなんですから。 で、僕 は思い立ちました。「このマクサーライトはそこそこ明るいし振動にも強い、しかも安い! ならばもう一本買って、ダブルマクサーライトLED10連発!にしてみようではないか!!」と・・ それがこれです。自転車用ではないので取り付けるホルダーがありません。そこでベルクロテープを使う「バイクライトホルダー」2個を購入し、それで固定してみました。ちょっと外観は野暮ったい感じですが、明るさは段違いに良くなりました。 「見た目よりも安全確保」がスローガンですから、これはこれでいいと思います。ただ付けっぱなしにしておくと盗難やイタズラの対象になりそうなので、普段は普通のライトで、ゴブリンズのナイターの帰りとか、ここぞと言う場面に取り付けて使用することにしましょう。 かかった費用。 ライト代 :980×2=1960 ホルダー代:525×2=1050 送料   :200 合計   :3210   

入間市博物館へ行った

★12月21日の水曜日、友人が20日〜25日まで「入間市博物館」でグループ展「絵画の今・2005」をやると言うので、自転車で行って来ました。 入間市博物館は、数年前ポタリング(自転車の散歩)に出かけたとき横を通りかかったことが有って、その時は入らなかったのですが、場所はだいだい分かると思って、地図も持たずに気楽な気持で出発しました。 ところがこれが失敗でした。自宅を出て1時間も走ると、写真のような農業地域になります。特にこの辺りは「狭山茶」で有名で、お茶畑もこの通りちゃんとあるのです。寒い日でしたが天気は上々で、非常に気分よく走っておりました。 で、調子に乗ってあちこち細い道など選んで楽しんでいるうちに、気が付くと完全に道に迷っていたのです。 それでもまあ、いざとなれば幹線道路に出て道路標示など見れば、だいたいの位置は分かると楽観していたのですが、かなり入り組んだ道を進み、思わぬところから大通りに抜けたりしていたので、以前来た時の記憶からは、博物館の場所を特定することが出来なくなっていました。 しかも新築の家がたくさん出来ていたり、巨大な工業団地が立ちふさがったりして、ほとんど見覚えがありません。けっきょく30〜40分くらいあちこち走り回ったあげく、目標物のひとつである「大妻女子大」と言う大学に出くわし、だいたいの位置をつかむことが出来ました。 そこからは変わった校舎で印象に残っていた「東野高校(写真右)」がすぐ見つかり、その隣にある博物館もようやく見つかりました。家からは片道約18kmで1時間半ほどなのですが、道に迷った分時間はかかってます。 「入間市博物館」は建物も立派で展示室も大きく、なかなか充実した展覧会でした。作品はみんな150号200号と言う大作ばかりで見応えがあります。展示室の様子をお見せできないのが残念ですが、実物はぜひ来館して見物してください(25日まで)。 招待してくれた友人の加藤氏と再会、話しをしながら1時間ほどいたでしょうか、日が傾いて来ると一気に寒くなるので、間もなく失礼することにしました。 ◆入間市博物館 帰りは当然のことながら行きよりも時間がかかりました。しかも性懲りも無く、好んで「見知らぬ道」を選んで進むため、またもや道に迷ってしまいます。何処とも知れぬ水路脇の道に出ました。 写真を撮っておこう...

「岬」をネット検索してみる

★むかしむかし、ゴブリンズメンバーのN君などと、インライン スケートでのロングツーリングをやっていた時期がありました。真夏の炎天下をインラインスケートで数日間(100km以上)滑り続けて旅をすると言う無棒?な行為です。 あの頃は「インターネット」はまだ普及しておらず、ゴブリンズの試合結果やいろんなエピソードなどは、全部ワープロで打って、コピーして製本して郵送する、と言う大変なことをやっていました。「ブレード走行記」もその一つです。 そのころ書いたもので「南房総に夏の終わりの夢を見た」「幻のBOSO100マイル」と言う二つの読み物があるのですが、その旅の途上で偶然立ち寄った「岬」と言う喫茶店で、面白いエピソードがありました。そのことをふと思い出しまして、その「岬」をインターネットで何気なく検索してみたら、出て来ました。そこそこの観光ポイントになってるんでしょうか。 (その後、喫茶・岬を舞台にした映画が作られました) 店そのもののホームページではありませんが、まだまだ健在でやっているようです。写真もいくつかありましたが、「こう言う建物だったかなあ?」と思うくらい記憶があやふやになってましたね。ただ色に関しては、我々が訪れた時とは確かに違っていました。壁のペンキを塗り替えたんでしょう。 今だったらこんな風にして、あのころ訪れた場所や宿などを、ネットで検索できるんですね。可能な限りリンクさせたら、ちょっとした観光案内が作れるかも知れないです。・・それにしても、毎年夏になると思い出してしまいます。 古いメンバーがいたころの話しなので知らない人も多いでしょうが、もし興味があったら、走行記も含めて参照してみてください。 ◎「岬」ネット情報 ◎ブレード走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」 ◎ブレード走行記「幻のBOSO100マイル」