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2月, 2008の投稿を表示しています

A型選手の行く末

★心霊現象を信じていると言うと、占いとか、そう言う類いのモノ全部を信じていると思われがちなのですが、じつは僕は「占い」にはほとんど興味が有りません。学生の頃までは面白がってましたが、今では気に留めることもないですね。 カテゴリー的に言えば、心霊は「スピリチュアリズム(精神主義)」。占いは「オカルティズム(神秘主義)」と言う大きな違いが有るのです。 この辺の違いは一般にはまあ分からんでしょうね。最近「江原バッシング」に夢中の某週刊誌も、僕の大嫌いな占い師の細◯◯子さんまで「スピリチュアル」と書いてごっちゃにしているので、非常に気分が悪くなります。 まあ、あの週刊誌は、昨今発行部数が激減しておりまして、生き残りに必死ですからね。少しくらいの誤謬は許して?あげましょうか。それに政治家ネタでは、時折り金脈を掘り当ててくれることもあるし・・ とは言いながら、中学生くらいのころ「手相」には興味を持っていました。これは、ある産婦人科の医師が、何かのエッセイで書いたのを読んで面白かったからです。 「どんな生まれたての赤ん坊でも、生命線・頭脳線・感情線の三本は必ずくっきりと刻まれている。が、先天性の異常や障害などがある場合、この三本線に乱れが生じることが多い」と言うのです。ですからその医師は、出産が終わったらまず赤ん坊の手を開いて見て、手相に異常が無いか確認するのだそうです。 占いとしての「手相」の信憑性については何とも言えません。ですが、「手は第二の脳」と呼ばれるように、脳の働きや体調などが、手のひらに「線」として刻まれることは確かなようです。 一時期、日本人に一番支持されていたのは「血液型占い」ではないでしょうか。さすがにこれは、当時面白いと思って本を買ったりしてました。 ただ大ヒットしたと同時に猛烈な反対論者も多く、著者がバッシングの対象になり、テレビでつるし上げにあったりして気の毒でした。終いには、信じない人の血液型を調べたらB型が多かった?なんて、オチもついてたりして、なんだかなあ〜(当時の流行語)って感じでしたね。 今では流行も終息したと言うか定着したと言うか、プロフィールに血液型が記されるのも当たり前になりました。それに自分の行動パターンを「わたしは◯型だから」なんて普通に説明する人もけっこう多いです。(超有名な脚本家の◯本聰氏、社会学者の◯台真司さんなんかも当たり前の

究極のペイントシステム

★絵の話しをしましょう。絵を描くとはどう言うことなのか・・ 簡単に説明すると、頭の中で思い描いた映像を、紙なりキャンバスなりに定着させる作業です。その時、頭に浮かんだイメージを100%忠実に描ければ、これはもう物凄い作品が出来上がるはずなんですが、現実はそうはいかない。 人間はアナログで出来てますから、脳がイメージした情報が、神経を、そして指先に伝わるまでに、どんどん劣化して、最終的に画面に現れるビジュアルは、絵描きがイメージしたものとは、かなり異なったものとなってしまうのです。 そこで石膏デッサンとか写生とか、さまざまなモノを見て描く修行をくり返し、イメージを損なわずに定着させる能力を養うわけですね。 ところで、ずいぶん前ですが、K君という超能力者と言われている青年が、「念力写真展」を開いたと言う話しを聞ききました。この話しに私は「なるほど」と思いましたね。 念写とは、その信憑性はさておき、頭で思い描いたイメージを印画紙に定着させると言う点では、「絵を描く行為」と非常に似通っているのです。これは私のような凡人には到底無理な話で、ある意味うらやましくもありした。 ところが、しばらくして「人間の脳波をビジュアルに変換する」実験をしている大学の研究室があると言う話しを新聞で読んだのです。その記事によれば、すでに「あ」の文字をコンピュータの画面に描き出すことには成功している、とあったのです。 驚きました。もしこのままうまく行けば、究極のペイントシステム、ホントの意味の「念写ぺインター」が完成するのではないか?!と期待は膨らみました。・・が、それ以後何年たっても話題にならないので、研究はかなり難航しているものと思われます。 しかしこの可能性は、私の想像力を大いに刺激してくれました。もしも、人間のイメージをコンピュータが瞬時に再現してくれたら、まったく新しいタイプのアーティストが登場することになります。 もちろん念写のように一枚絵を描くこともいいですが、処理能力を上げれば動画再生も可能になって来るはずです。 そうすれば、作家の頭の中を「動く映像」によって表現するこが出来ます。これまでアニメやビデオアートなどでやっていたことを、リアルタイムで上映することが出来るわけです。 さらにこれを、オムニマックスにするとか、バーチャルリアリティ再生するとかすれば、観客を集めて、壮大なアート

隠れ・・オフコース・ファン

★先日、小田和正氏と矢井田瞳さんの合作「恋バス」のことを書きましたが、じつはその後1ヶ月ほど、このブログのアクセス数がスゴかったのです。いつもの5、6倍はあったでしょうか。みんな検索の末にたどり着いたようですが、やはりあの歌は、かなりのインパクトがあったんですね。 僕が思うには、その内あの番組「クリスマスの約束」は、ミュージシャンにとって、特に若手にとって、紅白よりも出たい番組のひとつになるんじゃないか、そんな気がするのです。 あれに出たミュージシャンは、翌年明らかにCM起用率が上がってるんですよね。もちろんそれ以前に、今の若いミュージシャンにとっては、小田氏は「雲の上の人・憧れの人」的存在であって、共演できるだけでも相当嬉しいみたいなのです。 でもですね、おそらく彼ら若手は知らないのです。今では大御所となったその小田氏にも、誤解され差別された、不遇の時代があったことを・・ ・・もう、かれこれ20年くらい前のことになるんでしょうか。ある打ち合わせで小さなデザイン事務所を訪れまして、そこで数人のスタッフとミーティングをしておりました。確か女性は1人で、あと全員が男だったと記憶しています。 その事務所は、仕事場と打ち合わせコーナーが分かれておらず、スタッフが作業をしながら聴くために、ラジオなのか有線なのか、絶えず静かにBGMが流れておりました。 打ち合わせを初めて30分ぐらい経った頃でしょうか。BGMの何曲目かに「オフコース」の曲が流れたのです。そしてその時、打ち合わせをしていた内の1人が、曲に合わせて小さくハミングをしているのに気づいたのです。 全員の目が、いっせいに彼に向かって注がれました。しばらくして気づいたその男は、バツが悪そうに「失礼・・、じつはファン、なもんで・・」と言い、苦笑いをしました。その横では、女性スタッフが肩を揺らして笑いをこらえていたのです。 じつは、当時オフコースのファンであることを知られるのはちょっと恥ずかしいことだったのです。80年代バブル時代は「リゾートミュージック全盛」でした。「明るさ・軽さ」こそが命で、オフコースは「暗く軟弱な音楽」の象徴的存在として軽んじられ、したがって「オフコースファン」は次第に地下に潜り、「隠れファン?」として生活しなければならなかったのです。 じつは何を隠そう、私も熱心なオフコースファンでして、それはもう中学以

投げる神経・捕る神経

★これは実際に行われた実験の話しです。 ある野球経験の無い小学生のグループに、キャッチボールの練習をさせます。ただし、半分の子供達には「投げる練習だけ」、もう半分には「捕る練習だけ」をやらせるのです。 そして1週間ほどが過ぎ、それぞれに上達したあと、今度は互いに普通のキャッチボールをさせます。するとどうなるのか? 結果は、「投げるだけ練習」のグループは「捕る」ことが出来ず、「捕るだけ練習」のグループは「投げる」ことが出来なかったと言います。これはどう言うことかと言うと、「投げる」と「捕る」では、働いている脳細胞が別々だと言うことなんです。 キャッチボールと言うのは一連の同類の動作のように思えますが、異なる神経によって司られている動作だと言うことなんです。もっと極端に言うと、「脳は、ひとつの動作に対して、ひとつの神経回路しか割当てをしない」と言うことなんだそうです。 よく豪速球ピッチャーで、全力の速い球ならストライクが入るのに、緩いボールだと全然ストライクが取れない投手がいます。これはつまり、速いボールと遅いボールとでは、使う神経が全く違うということなのです。速球ばかり投げていると、緩いボール用の神経が発達しなくなってしまうのですね。 これはバッターも同様です。バッティングセンターへ行くと、「緩いボールならいつでも打てる。問題は速い球を打てるかどうか」という気持ちがあるので、どうしても一番速いボールのケージに入ってしまいがちです。 が、草野球のピッチャーは、たいていそれより遅い山なりのボールが多いので、速い球だけに対応した脳神経では、草野球投手の遅めのボールをうまく打てないことが多いのです。 で、けっきょく「バッティングセンターへ行ってもあまり効果無い」と言う話しになるのですが、それは、この脳神経の働きを理解せず、間違った練習をしているせいなのです。 守備ではさらに難しくなります。「ゴロを捕る」と、「送球する」という、二つの異なる動作を、一連の流れの中で行わなければならないからです。 捕る瞬間に投げる神経が働いてしまうとお手玉やエラーの原因になってしまうし、捕る神経が働いたままの状態のまま投げてしまうと悪送球になってしまいます。 つまり、守備が上手くなるには、「捕る・投げる・の二つの神経」を、「意識して瞬時に切り替える必要がある」ということなんです。 とは言え、「神経