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A型選手の行く末

★心霊現象を信じていると言うと、占いとか、そう言う類いのモノ全部を信じていると思われがちなのですが、じつは僕は「占い」にはほとんど興味が有りません。学生の頃までは面白がってましたが、今では気に留めることもないですね。

カテゴリー的に言えば、心霊は「スピリチュアリズム(精神主義)」。占いは「オカルティズム(神秘主義)」と言う大きな違いが有るのです。

この辺の違いは一般にはまあ分からんでしょうね。最近「江原バッシング」に夢中の某週刊誌も、僕の大嫌いな占い師の細◯◯子さんまで「スピリチュアル」と書いてごっちゃにしているので、非常に気分が悪くなります。

まあ、あの週刊誌は、昨今発行部数が激減しておりまして、生き残りに必死ですからね。少しくらいの誤謬は許して?あげましょうか。それに政治家ネタでは、時折り金脈を掘り当ててくれることもあるし・・

とは言いながら、中学生くらいのころ「手相」には興味を持っていました。これは、ある産婦人科の医師が、何かのエッセイで書いたのを読んで面白かったからです。

「どんな生まれたての赤ん坊でも、生命線・頭脳線・感情線の三本は必ずくっきりと刻まれている。が、先天性の異常や障害などがある場合、この三本線に乱れが生じることが多い」と言うのです。ですからその医師は、出産が終わったらまず赤ん坊の手を開いて見て、手相に異常が無いか確認するのだそうです。

占いとしての「手相」の信憑性については何とも言えません。ですが、「手は第二の脳」と呼ばれるように、脳の働きや体調などが、手のひらに「線」として刻まれることは確かなようです。

一時期、日本人に一番支持されていたのは「血液型占い」ではないでしょうか。さすがにこれは、当時面白いと思って本を買ったりしてました。

ただ大ヒットしたと同時に猛烈な反対論者も多く、著者がバッシングの対象になり、テレビでつるし上げにあったりして気の毒でした。終いには、信じない人の血液型を調べたらB型が多かった?なんて、オチもついてたりして、なんだかなあ〜(当時の流行語)って感じでしたね。

今では流行も終息したと言うか定着したと言うか、プロフィールに血液型が記されるのも当たり前になりました。それに自分の行動パターンを「わたしは◯型だから」なんて普通に説明する人もけっこう多いです。(超有名な脚本家の◯本聰氏、社会学者の◯台真司さんなんかも当たり前のように血液型性格を語ってますからね)

僕はと言うと、血液型占いに関しては、今ではほとんど興味が無くなってます。ただし、あの頃気になって、今も釈然としていないことは有るのです。

それはプロ野球選手の血液型。プロ野球選手の、特にエース投手や四番バッターには、血液型A型の選手が非常に少ないと言うのです。これは調べた人がいて、ちゃんとした統計なんだそうです。

不思議ですよね。日本人に一番多いのはA型なので、確率的にはA型の選手が一番多くなるはずなんです。でも、実際にはA型以外の選手が多い。それも主力級になるほどA型が少なくなって来る。

・・これはどう言うことなんでしょうか。不思議ですよね。自分がA型の野球好きなので、ちょっとしたガッカリ感と共に記憶していることなのです。

誰かこの謎を解いてくれませんかね。出来れば、猛烈反対論者にお願いしたいところなんですが、どうですか?

もちろん数少ないですが、A型の四番が居ないわけでは有りません。たとえば代表的なのが「阪神:田淵幸一」「巨人:原辰徳」「広島:小早川毅彦」などなど。・・って、これ、知る人ぞ知る、何か共通点を感じませんか?。

そうなんです。最初の内は新人王を取るくらい華々しく活躍するのに、次第に何となく尻すぼみになってしまう選手、そう言う人が多いんです。・・で、ついにはブーイングされたり、トレードに出されたり・・

じつは、I.D.野球で有名な野村克也氏も、「A型選手は大成しない」と語っていたそうです。素人の僕が言っても何の説得力も無いですが、「統計・確率が野球の真髄」と語る野村氏の発言となると、急に気になり始めた人もいるんじゃないですか?

みなさん、自分のひいきのプロ野球チームを調べてみてください。主力選手の血液型ははたして何型ですか。もし四番打者やエース投手が「A型」だったら要注意かも?ですよ。

A型選手の特徴は「二年目のジンクス」があまり無いこと。が、その代わり、力の衰えはほとんど無いのに、年々輝きを失って行くこと。大器晩成、大輪の花を咲かせるタイプではありません。

・・さて、どうでしょう。



  





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