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神宮ラストゲーム

★むかしむかしのお話しです。広島カープが創設26年目にして、ようやく初優勝を成し遂げた翌年、つまり1976年のこと・・

この年、神宮球場で行われるヤクルト×広島三連戦の、決まって三試合目に姿を現す二人の女子高生がいました。彼女たちは、紺色のブレザー姿のまま球場を訪れ、まだ芝生敷きだった外野席の一角に腰を下ろし、ヒザを抱え、どこかボンヤリとした雰囲気で、静かに野球を眺めていたのです。

彼女たちが、いつからどんな理由で姿を見せるようになったのかは分かりません。ただ、1976年のシーズンが終了するまで、それが間違いなく続いていたことだけは確かなのです。



当時、僕は美大受験(油絵)を目指す浪人生でした。現役、一浪目と失敗し、二浪目に突入していたのですが、その頃には、実はひどいスランプに陥っていたのです。

美大を目指すくらいなので、もちろん絵には自信が有りました。子供のころから写実的な描写が得意で、「絵の天才」などとチヤホヤされ、自分でもそう思い込んで育って来たました。が、そんな奴らは、世の中には数えきれないほどいたのです。

都心の美術研究所とは(美大予備校はこう呼ぶ)そんな「田舎の天才たち」が何百人と集まる場所でした。天才だったはずの僕は、いつしかその集団の中に埋もれ、すっかり「並みの人」になっていたのです。

毎月行われる油彩とデッサンのコンクールでも(いわゆる模擬試験?)何度描いても下位に低迷し、一位になる作品の何処がいいのかもさっぱり理解できない、そんな泥沼のような毎日が続いていました。

そんな時、ふとした思いつきで見つけた気晴らしが、神宮球場での野球見物でした。研究所が新宿に有ったこともあり、帰りに足を伸ばすにはちょうどいい距離だったのです。中学のころから熱烈な「広島ファン」だった僕は、ヤクルト×広島戦の予定を調べては出かけて行きました。

当時の「ヤクルト×広島戦」は、まるで人気の無いカードで、応援団のいる内野席はまだしも、外野席はいつもまばら、誰が何処にいるかもすぐに分かるほどでした。だから、制服姿の二人の女子高生を見つけることは、それほど難しいことではなかったのです。

当初は「あの子たち、また来てる・・」という程度の印象だったのですが、それが何度も続くとなると、やはり興味が湧いて来ます。いつしか神宮に来るたび、まずは外野席を見回し、彼女たちの居場所を探すようになっていました。

二人は決して熱狂的な観戦と言うのではなく、賑やかな応援団を遠巻きにして、時折り言葉を交わしながら、ゆったりと、神宮の森や、夕暮れの空や、やがて吹き抜ける、心地よい夜風を楽しんでいると言う風でした。神宮外苑の初夏は新緑が匂いたち、芝生席に寝転んでウトウト野球を楽しむには絶好の季節だったのです。

彼女たちの陣取る場所は試合ごとに違っていて、今日はレフト側かと想えば次はライト側、最前列かと想えばバックスクリーン近くだったりと、気まぐれでした。決まっているのは、二人は決して声を出さず拍手もせず、静かにゲームを眺めていると言うことでした。

だから、どちらのファンなのかは不明でした。僕が広島戦以外は見ないので、他のカードでどうしているのかも分かりません。しかしながら、ともかく「三連戦の必ず三試合目に現れる」と言うことだけは次第にハッキリとして来たのです。

僕も、少ない小遣いからチケット代をやり繰りするのは大変で、野球見物はカープが来た三連戦の三試合目、1ゲームだけと決めていました。で、この「三試合目」という少女たちとの偶然の合致に、何か不思議な縁でシンクロしているのかも知れない・・ そんな感じを覚えてしまったのです。

とは言え、近づいて声をかけようとか、そんな気持ちにはなりませんでした。ただ、試合が始まってから終わるまでの数時間、同じ空間を共有することで、「独りでは無い」という安堵感のような、はかない幸福感を味わっていたのです。

なので、時折り数人の男たちが近寄って二人に話しかけたりするのを見ると、やたらドキドキしました。ですが、彼女たちは一体どんな風にあしらっているのか、笑顔で会話すること数分、あきらめたように男たちが去って行くのが常でした。

そうやって、その年のシーズンが終了するまで、僕と二人の女子高生は、神宮球場で行われるヤクルト×広島三連戦の決まって三試合目に訪れ、閑散とした芝生敷きの外野席で、夜風に吹かれながら同じ時間を過ごすこととなったのです。


やがて夏が過ぎ、ペナントレースのゆくえもほぼ決定した10月・・

その日は、朝から小雨が降り続いていました。肌寒く開催も微妙かと想われましたが、消化試合と言うことで強行したのでしょう。神宮球場では広島×ヤクルトの最終戦が行われようとしていました。広島にとっては東京での今年最後の試合、そしてローテーションからすると、ほぼ間違いなくあの池谷投手が先発するはずでした。

いつものように研究所での作業を終えて球場へ向かい、外野席のチケットを購入しました。ところが、通路へ向かう途中、係員に呼び止められ、バックネット裏に行くようにと指示されたのです。じつはあまりにも観客が少なかったため、球場のはからいで、客全員がバックネット裏に集められたらしいのです。

バックネット裏は屋根付きで雨を避けることが出来ました。僕が行くころにはすでに数名が席についており、OL風の若い女性、ラフな服装の三十代らしき男、カップルと思しき男女二人、そして最前列には、なんと学生服姿のあの女子高生二人の姿もあったのです。僕はいつもよりかなり近い距離で彼女たちの後ろ姿を見ることになりました。

どうやら僕が最後だったらしく、その後は誰も来ませんでした。つまり、応援団の姿も無く、このたった7人だけが、このゲームの観客の全てだったのです。

一度だけ売り子が姿を見せ「アイスクリーム、いかがっスかあ!」と声を張り上げていましたが、こんな寒い夜にアイスもビールも売れるわけがありません。しかもこの人数・・ それ以降、売り子は二度と現れませんでした。

雨こそ避けられたものの、息も白くなるこんな夜に、一体どんな物好きがナイターなんか見に来るのか・・ ゲームの成り行きとは別に、何かとても興味深いことでした。そしてそれは恐らく、自分以外の全員も、それぞれに抱いた感情だったのではないかと想えてならないのです。

ゲームは予想通り、広島が池谷、ヤクルトが松岡のエース対決で始まりました。「もしかしたら、ついに池谷の20勝目をこの目で見ることが出来るかも知れない」僕は少し興奮を覚えていました。

・・が、2回、池谷投手は連打を浴び、早くも2点を失います。今日もあまり調子が良くないようでした。彼は9月の対阪神戦で、9回裏、満塁の走者を背負ってリリーフに立ち、阪神の四番・田淵に、逆転満塁さよならホームランを打たれて以来、立ち直れないでいたのです。

「まさか、今日もダメなのか?」と、僕は気が気ではありませんでした。彼はこれまで20勝目をかけて先発しながら、五度の失敗を重ねていたからです。

優勝に貢献した昨年の20勝投手、エース外古葉が肩痛のため戦線離脱。さらに三本柱のひとり、15勝の佐伯投手が不調。左の中継ぎ渡辺投手、抑えの宮本投手も乱調で、あれほど強かったチームも低迷。その中で池谷一人が奮闘し、19勝までは快調に飛ばして来たのです。(注*池谷投手は優勝時18勝でした)

決め球はストレート。ストレートと分かっていてもバットに当たらない、胸のすくような快速球でした。その鉄腕を買われたのでしょう。「頼りになるのは池谷だけ」と、当時の古葉監督は、崩壊した投手陣をあきらめ、池谷を先発・中継ぎ・抑えの全てに登板させるという、今ではあり得ない、酷使と呼ぶべき使い方をしてしまったのです。それでも、池谷はその期待に答え黙々と投げ続けました。

そしてあの劇的な投球が行われたのは、8月の巨人戦、後楽園球場でのことでした(長嶋監督就任2年目)。三連戦の二試合目、広島がリードするも、3回、先発投手がノーアウト満塁の大ピンチを招き、クリンアップを迎えると言う場面でした。

ここで古葉監督は、前日、完投勝利を上げたばかりの池谷をマウンドに送り出したのです。対するは、当時最強と言われた、張本・王・末次の三人。が、なんと、この大ピンチにも動じることなく、全てストレートで、三者連続空振りの三振に打ち取ってしまったのです。しかも彼は、雄叫びを上げるわけでも無く、ガッツポーズもせず、まるで高校球児のように小走りでベンチに戻って行ったのです。

「球がどうこうと言うより、悲壮感としか言いようが無いですね・・」
と、解説者は絶句し、僕はその言葉を聞きながら、熱いものがこみ上げて仕方ありませんでした。

そのころの僕は、精神状態がドン底まで落ち込んでいて、かなり心が弱っていたのです。襲いかかる最強の軍団に、たった一人で立ち向かう池谷投手の姿が、十字架を背負った救世主のように見えて仕方なかったのです。

二浪目が始まって、一浪のころ知り合った仲間たちがポロポロと脱落し始めていました。ある者は気力を失って故郷へ逃げ帰り、ある者は研究所のエレベーターで精神錯乱を起こし、同乗した者に抱きついたまま発狂してしまったり、そしてついには、急に姿を見せなくなった仲間について、「あいつアパートで自殺したんだって」と知らされたり・・

そんな出来事がいつも頭から離れず、押しつぶされそうになっていました。もともと美大を目指すような連中は、感受性が鋭い分、精神が繊細で傷つきやすく、社会にもうまく適応できないヤツが多いのです。(日本で初めて医務室に精神カウンセラーが常駐するようになったのは、東京芸大なんだそうな)

僕はと言えば、夜、悪夢を見てはうなされるようになりました。ヒドい時には、激しい吐き気で目を覚まし、あわててトイレに駆け込むなんてことも何回か有りました。便器の前であぶら汗を浮かべながら、
「いよいよ、オレの番かな・・」
なんて、いい知れぬ不安に苛まれていました。

そんな時に見たのが、池谷投手の「三者連続・空振り三振」の力投でした。「くそっ・・ オレも何とか・・」
理由は説明できませんが、たかが野球の試合で、熱い感動と、微かな力が湧き上がったような気がしました。

けっきょく池谷投手は、その試合も9回まで投げ続け、巨人打線は手も足も出ず、二日連続での勝利投手と言うことになりました。球数はトータル300球を超えていたそうです。

しかし当然のことながら、無茶な起用法がやがて裏目に出て来ました。ストレートの威力が痛々しいほどに落ちて来たのです。そしてあの、田淵に浴びせられた逆転満塁さよならホームラン・・

以後、何度登板しても打ち込まれ、20勝を目前にして、まったく勝てなくなってしまったのです。そして今夜、この神宮の試合でも池谷投手のストレートは走らず、2回に続き3回にも2点を奪われ、あっと言う間に4対0と引き離されてしまうのです。

すると、その姿を見かねたと言うのでしょうか。
「池谷さーん!、ガンバッてえ!」
と、意外にもあの二人の女子校生が大声を上げたのです。僕は驚きと同時に、やっぱり?!と想いました。

「池谷を応援すると言うことは、あの二人もカープ・ファン?」

「い、け、が、やー!」
その直後です。今度は男の野太い声でした。どうやらカップルの男が、連れの女にせっつかれて出したようでした。

それは、遠く外野席まで木霊するかのような大声で、あまりの声量に、女子高生二人はびっくりしたように顔を見合わせ、それから「くっ、くっ、くっ・・」と、肩を揺らして笑い始めました。

「なに?、あのカップルもカープ・ファン?」
その時、僕の頭には、妙な考えが浮かんだのです。

「まさか、この7人全員、カープ・ファンなんじゃないのか?」
アクションの無いOL風の若い女とラフな服装の男については分かりません。が、それにしても・・

こんな寒い雨の夜、応援団も見捨てた人気薄のゲームに、わざわざ見物に来る物好きって、どんなヤツらなのか?。もしも全員がカープファンで?、いや、池谷ファンなのだとしたら?。・・何となく、つじつまが合うような気がして来たのです。

僕が、巨人打線をストレート1本で押さえた姿に心打たれたように、彼らもまた、池谷のピッチングに、何処かで救われたのではないか?。人生の小さな壁に立ちすくむ心に、ささやかな勇気を与えてもらったのではないか?

もしそうなら、20勝達成の瞬間に立ち会い、心からの拍手を贈る・・、それが英雄に対する返礼だとしても、おかしくは有りません。

そう考えてみると、女子校生二人のこれまでの態度も、「物静かな野球見物」と言うよりは、悩みを抱えて「どこか物憂げ」、そんな感じにも想えて来るのです。

女子高生たちの声も、無骨な男の声も、恐らくマウンド上の池谷投手には届いていたことでしょう。ですが、声援も空しく、何度目かのピンチを迎えたところで監督がマウンドに歩み寄り、ピッチャーの交代を告げることになったのです。

池谷は監督の言葉にうなずき、静かにマウンドを降りて行きました。その姿を、バックネット裏の7人は無言で見送っていたのです。

けっきょく試合そのものは、ヤクルトがさらに1点を追加し、5対0で松岡投手が完封勝利を納めるのです。が、試合終了まで誰一人として席を立つことはありませんでした。その熱心な姿?に心動かされたのか、イニングの合間には、球場からのサービスで、全員に熱いコーヒーが届けられたのです。

そうして試合が終了すると、ヤクルトの選手全員がバックネット前に駆け寄り、一列に並んで「ありがとうございました!」と、深々と頭を下げました。僕たちは拍手でそれに答えるのです。

それから席を立ち、通路を抜けて行くと、今度は出口付近で広島の選手が一列に並び、僕たちを待ち受けていました。7人はそれぞれ選手に声をかけたり握手を求めたりと、別れを惜しむかのように、一歩ずつ出口へ足を進めるのでした。

表に出ると、冷たい雨の匂いがして、深い夜が広がっていました。街灯の明かりには、雨が霧状に降り注いでいるのが見えています。何人かは信濃町駅に向かっていましたが、その時にはもう、僕は女子高生二人の姿を見失っていました。

「まあ、いいか・・」とは想ったのですが、あと一回くらい姿を見てから帰りたい、そういう気持ちも無くはなかったのです。少しだけそんな心残りを感じながら、いつしか信濃町駅にたどり着いていたのでした。


その後、池谷投手は、地元の広島市民球場でようやく20勝を達成し、最終的には最多勝と沢村賞を獲得。終盤こそ苦しんだものの、投手として最高の栄誉を手にしてシーズンを終了しました。

そして僕はと言えば、長いスランプを脱出?したのか、研究所のコンクールで何とか一位を取り、その勢いのまま翌年の受験に合格、苦しみ抜いた二年間の雪辱を晴らすこととなったのです。

その喜びが一段落したころ、ふと彼女たちのことを想い出しました。そして久しぶりに神宮球場へ行ってみることにしたのです。

しかし、どんなに見回しても二人を見つけることは出来ませんでした。そうして春が過ぎ、初夏のころになっても、とうとう、あの二人の姿を見ることは有りませんでした。


「つまり、あれが彼女たちの、ラストゲームだったのだ・・」

あれから数十年が過ぎましたが、今でもシーズンの終わりが近づくと、時折り想い出すことが有ります。朝から小雨が降り続いていた神宮球場。バックネット裏に集まった7人。そしてその7人に、丁寧に頭を下げてくれた両チームの選手たち・・

神宮球場の広島戦は、今やカープ女子と呼ばれる若い女性ファンで一杯になるそうで、同じカープ・ファンとしては嬉しい限りですが、少しだけ場違いな感じもしないわけでは有りません。

「僕たちが熱狂したカープは終わった。
これからのカープは、もう彼女らのモノなんだ」

マエケンや堂林や、丸などに熱い声援を送る彼女たちは、むかしむかし、巨人の強力打線に、ストレート1本で立ち向かう男がいたことを知りません。20勝目前でスランプに陥り、あの神宮のマウンドから無念の降板をしたことも・・、そしてその姿を、じっと見守っていた少女たちがいたことも・・

あの女子高生二人は今ごろどうしているのでしょう。今でも神宮球場に来るなんてことが有るのでしょうか。ひょとすると気づかないだけで、今年たまたま見に行ったあの日、人混みのなか偶然、僕が座ったすぐ近くにいたのかも知れません。あの時、不思議なくらいシンクロしていた僕たちなのです。まったくあり得ないことじゃないと想いますが・・?

ただし、もし奇跡的にそんなことが有ったとしても、残念ですが、僕にはたぶん見つけ出すことは出来ないのです。何しろ、あのとき僕の心に深く刻まれたはずの、可憐で透き通るような少女たちの姿は、今ではもう、五十の大台に乗った、立派な「オバさん」になってるはずなので・・




  

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★「DVコンバータ」を買いました。これで、今まで録り溜めたビデオテープをデジタル化し、DVDにして保存しようと言う目論みなのです。 再放送もしない商品化もされていない、貴重な?ドラマのコレクションを持つ僕としては、以前から計画していたことなのですが、なかなかいい製品が見つからず二の足を踏んでいました。 で、ついこないだ気分が再燃し、探してみたらこれが見つかったと言うわけなのです。で、さっそく使ってみたところ、読み込みや編集は簡単でとても便利なのですが、DVDに焼く時間が非常に長い。一枚6時間くらいかかります。これがネックですね。パソコンの能力にもよるのでしょうが、一気にDVD化にすることは出来ません。気長にやるしか無いです。 でも、工夫すれば使い道はいろいろあって、こないだは録画した音楽のライブビデオを取り込んで、そこからサウンドファイルだけを取り出し、iTunesに入れることも出来ました。 この調子ならLPレコードの音も?と思ってやってみたのですが、当初はうまく行きませんでした。やはり映像と同調していないとダメなようです。そこでビデオを流しながら、音はレコードにつなぐと言う方法でやったら、何とかうまく行きました。 ともかくは、Macに対応していて良かったです。MacではiMovieと言う編集ソフトと連動させて使いますが、この手のものは、Windows版しか無くてガッカリ、なんてことも多いモンなんです。 そう言えば、iPodはWindows版も出て、Appleの方から歩み寄ったって感じが有りますが、そのお陰で随分売り上げを伸ばしましたね。 今ではMacよりもiPodの方が主力商品になってしまいました。そしてこれからは、「iPhone」がiPod以上に主力になって行くんでしょうが、こないだ面白いニュースを目にしました。 突然iPhoneが大幅に値下げされて、最初に高額で購入したユーザーからクレームが殺到したと言うのです。 これを聞いてちょっとビックリしました。Appleではこんなことは普通に有ることなので、何で今さら?と思ったのですが、けっきょくほとんどが「iPhone」を購入した「Windowsユーザー」からのクレーム、「常識的な消費者の反応」が起こったと言うわけなのです。 Apple製品と言うのは、予告も無く突然大幅な値下げ...

暑い夏には、チープな?カレーを作ろう!

★一時、カレー作りに凝っていました。 男が料理に懲り出すと、やたらウンチクを並べ立て周囲のひんしゅくをかうなんてことが多いですが、しかし、この時凝ったのは「ラーメン屋さんのカレー」あるいは「おそば屋さんのカレー」に相当する、非常にチープな味の追求でした。 「チープ」とは言っても、昔々、日本の家庭のカレーライス、いや「ライスカレー」と呼ばれていたカレーは、だいたいこの味だったと言ってよいのです。特にウチの場合には、亡くなった祖母が、時折り作ってくれるカレーがこの味だったので、私にとってはとても懐かしいメニューなのです。 ところで「ラーメン屋さんのカレー」と「おそば屋さんのカレー」ですが、この2種類は同じようでいて微妙な違いがあります。 まず「ラーメン屋さんのカレー」ですが、多めの油で小麦粉とカレー粉を炒めてルーを作り、ダシは鶏ガラ、味付けは塩と砂糖のみと言うものです。小麦粉の中に含まれるグルテンの作用で「とろみ」は自然につきます。で、これが昔懐かしい「ライスカレー」となるわけです。 これに対し「おそば屋さんのカレー」にはかつお ダシが使われており、味付けは主に醤油とみりん。そしてとろみは片栗粉でつけます。いわゆるカレー南蛮に使われているものと同じです。こちらは「小麦粉カレー」を参考に、おそば屋さんなりにアレンジしたものと思われます。 さらに、おそば屋さんの中には、皿で食べるカレーを「カレーライス」、どんぶりで食べるカレーを「カレー丼」と分けて、二種類出している所もあります。調べてみると、前者は「小麦粉カレー」、後者は「かつおダシカレー」と作り分けていることが分かりました。 さて、あれこれ調べて、ようやくレシピが分かって来たところで、実習に取りかかることにしたのですが、買って来たS&Bのカレー粉缶を見てがく然としました(大げさか?)。なんと缶の側面には、レシピのいっさいがっさいが説明されているでは有りませんか・・ けっきょくは、その能書きを見ながらの調理となったわけですが、小麦粉を炒めていると 次第に色が付いて粘りが出て来たりして、そんなことにけっこう感動しました。 そうしてルーを作り、そこからは普通に肉や野菜を加えて煮込みました。そして数十分、想い通りのチープ?で懐かしいカレーの出来上がりとなり...

レッグ・ガードを買った、ダイソーで

★レッグ・ガードを買いました。商品名は「レガース」となってましたが、サッカーの「シンガード」に近いですね。 買った店は100円ショップの「ダイソー」です。もちろんこれも100円。二つで200円です。 一ヶ月くらい前の試合で、スライディングした足を相手野手にスパイクで踏まれ、負傷したのです。当初は打ち身程度だろうと思っていたのですが、切れて出血が有り、その夜からは内出血もヒドくなって来ました。それでも「その内腫れが引くだろう」と、ずっとガマンしていたんですが、二週間目にとうとう堪え切れなくなり、医者へ行きました。 診断では、内出血と傷口からの化膿が少しあるとのことで、薬をもらいました。おかげで腫れは引いて来たんですが、スネを触ってもあまり感覚が無いので調べてもらったら、どうも神経が断裂しているらしい、と言うことになりました。神経はやがて再生すると言うので一安心ですが、回復までは時間がかかりそうです。 そんなことが有って、ちょっとプロテクターみたいな物が欲しいなと思い、探していたらダイソーで見つかったと言うわけです。最初は野球用を買おうと思ったのですが、あれは硬式の自打球よけで、かさばって走るのに不便らしいので不可(それに値段が¥3000〜¥4000)。サッカーのシンガードを買いに行ったら、私のスネの丸みに合わない物ばかりでダメ。 ・・で、ボールペンを買おうと何気なく入ったダイソーで、これが見つかったのです。 ただしこれは「子供用」。大人用の物ではありません。でも長さが20cmほどで、ソックスの中に入れるには好都合です。ケガをした箇所には最初ウレタンを入れていたんですが、一枚堅い物を入れると衝撃吸収が全然違いますね。100円でけっこう効果が有りそうなので、ケガ防止のために二つ買いました。(左右の区別は無いです) それにしても、草野球の場合、こっちがどんなにうまくスライディングしても、相手のフットワークが良いとは限らないので、こんな事故にもなります。最初はポイント式スパイクでやられたと思ってたんですが、神経が断裂するくらいの切れ味?を考えると、金具スパイクだったのかも知れません。 まあ、相手だけでなくゴブリンズもそうですが、野球経験の無い人が、カッコつけて金具スパイクを使用すると下手くそでどうしようも無いですね。下手な人はポイントスパイクを使ってくださいよ。   

プリティー・リーグの動画?

★何気なく検索していたら、映画「プリティー・リーグ (原題:A league of their own) 」の基となった「All-American Girls Professional Baseball League」の動画を見つけました。英語がダメなので、ほとんど分からないですが、なかなか興味深いですね。 映画に出てきた「ピーチズ」「ラシーン」の両チームは実在したチーム名だったようだし、ヒロイン?「ドティ」も実在の女子キャッチャーとして写真が出て来ます。それと、ユニフォームはホントにスカートだったんですね。 長い間、野球映画はヒットしないと言われていたのですが、20年ほど前「ナチュラル」「フィールド・オブ・ドリームス」などがヒットした影響で、その後たくさんの野球映画が作られました。それらの映画を、あの頃はよくゴブリンズのメンバー数人で見に行ったもんです。で、その中の一つが「プリティー・リーグ」だったんです。 これは良かったですね。面白かった。個人的には傑作だと思ってます。その前に見たベーブ・ルースの伝記映画「夢を生きた男 ザ・ベーブ」が今ひとつだっただけに、出来の違いがより鮮明になった記憶が有ります。 これは第二次大戦中、実際に存在した全米女子プロ野球リーグが基になってます。が、物語はフィクションで登場人物も架空のキャラクターだと思ってたんですが、それなりに史実に基づいているようです。 まあ、どちらにしろ、クライマックスからラストシーンへと続く演出の見事さが、ノンフィクションとしか思えないような感動を呼び起こしてくれるのは確かです。 それと、ラストのクーパーズタウン「ダブルデイフィールド」でのゲームシーンに登場する「お婆さんたち」は、間違いなく、かつてのプリティーリーグで活躍した女子選手たちなのでしょう。 容赦ない時の流れは、美少女たちを老婆に変えてしまいますが、それゆえに、人生には必ず「かけがえの無い時間」が有る、と言うことをこの映画は教えてくれているように思います。 (「プリティー・リーグ」って、愛称じゃなく、映画会社が勝手に付けた邦題?) ◎「All-American Girls Professional Baseball League」 ◎ Amazon「プリティーリーグ・DVD」