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巨大地震の夢を見た・・

★このところ、巨大地震の可能性の話しや、原発の地下が活断層になっている、なんて話しをよく聞くせいでしょうか。昨日(12/20)の早朝、地震の夢を見ました。 * *そこが何処なのか不明なのですが、私は何かの建物(ビル?)の中にいます。すると不意に建物が揺れ始め、次第に大きくなって行くのです。 「あっ、地震だ!」 と想った私は、とっさに「外に出た方が安全だ」と感じ、出口から少しだけ顔を出して上を見上げるのです。 建物の上階はヘビのようにうねって揺れていますが、ガラスが割れるとか、壁面が落ちて来る様子はまだ有りません。表に出て逃げるなら今のうちです。 私は勢いよく走り出し、広くて物が落下して来ないような場所を目指します。そして行き着いたところは、どう言うわけか大きな橋の上でした。が、そこも安全な場所では有りません。橋の路面はゆっくりとうねり出し、やがて大きく波打って、ほとんど立っていられない状態になってしまうのです。 私は恐ろしさに耐えながら欄干にしがみついて、何とか揺れをやり過ごそうとするのです。しかし橋はこらえ切れず崩壊、ガレキもろとも水面に投げ出されてしまいます。 水中に落ちた私は、そのまま何処までも沈みゆき、頭上に見えていた最後の空の光を見失うと、あたりは暗黒のまっただなか・・ 必死に手足を動かして、陸地と想われる方向へと泳ぐのですが、まるで進む感じがしません。そしてついに力つき、「オレはここで死ぬんだ‥‥」と想った瞬間、目が覚めたのです。 * ・・他人の夢の話しと言うのはつまらないもので、興味無いだろうことは重々分かっているのですが、ちょっとだけ書かせてもらいました。 じつこれにはもう一つ続きが有るのです。この二日ほど前らしいのですが、母親が同様に、大きな地震が起こる夢を見ていたことが判明しまして、その符合に少しばかり驚いたから、と言うことなのであります。 とは言え、同じ夜、同じ時刻に、同じような地震の夢を見たと言うならばいざ知らず、「二日ほどズレていた」と言うのは少々間の抜けた話しで、あまり大っぴらに書けば逆に恥をかくかも知れませんが、それでも、何となく引っかかりが有るような気がして、書かずにはいられなかったのです。 それと私の母親は、昔からよく正夢を見る人

新しいNikonのデジカメを買った

★「Nikon COOLPIX P310」・・久しぶりに新しいデジカメを買いました。持っていたデジカメ類がみんな故障してしまったのが理由です。 デジタルカメラと言うのはフィルムカメラと違って故障しやすい物のようで、特に、2,3ヶ月使用しないまま放っておくと、次に電源を入れた直後に壊れやすいみたいです。 で、カメラ1台くらいは有った方がいいと想い、Amazonを検索していたところ、前から気になっていた「COOLPIX P310」が、3万円台から格安の ¥16180- になっているのを見つけました。このモデルは2012年3月発売と言うことで、まだ「型落ち」までは行きませんが、そろそろ来年には新型の発表もあるかも知れず、このところ少しずつ値段が下がって来ていたのです。 で、中古でも¥15000くらいが相場なので、そろそろ買いかなあと想っていたら、さらに限定20台がタイムセールで値引きされていました(¥15800-)。それで試しにカートに入れようとしたら、今度は「キャンセル待ち状態」になってさらに購買意欲をそそられ、けっきょくは、キャンセル1台が出たところで、ややあわて気味に買ってしまった、と言うわけなのです。 じつは、Nikonのデジカメは4台目なんです。フィルム時代はCanon党だったのですが、デジカメではフィルムを再撮してデジタル化するキットが欲しくて、当時それが出来たモデル「Nikon COOLPIX 880」を選んだのがきっかけでした。 で、その時の色再現がナチュラルで気に入り、そのままNikonになってしまったと言うわけです。(たとえばCanonのデジカメはやや赤が強調され気味で、FUJIFILMは全体に黄色っぽく暖色系に偏る傾向あり) なので、今はもう「他のメーカーにしてみたい」と言う気持ちはあまり無いですね。Nikonの色にほとんど不満が無いと言うことが一番ですが、同じメーカーを使い続けると、各機能やレイアウトも過去モデルと共通する部分が多く、使い方に迷ったり、必要以上にマニュアルを読み直さなくていいので助かるのです。 最近は携帯電話やスマートフォンのカメラ機能で撮るのが当たり前になってますが(この写真もiPhoneで撮影)、やはり、細かい設定とかストロボとか、デジカメの方がはるかに有利であることに変

高橋フミアキ 手描きCG絵画展

★現在、個展を開いています (終了しました) 場所:中野画廊アベニュー (中野ブロードウェイ内 2F) 日程:2012年 11月8日(木)~13日(火) 時間:12:00~19:00(最終日は17:00) (ハガキの画像を拡大すると、詳細が分かります)     以前、絵を見せた友人から、 「な〜んだ、CGか。キーボードでパチパチやって簡単に出来ちゃうやつでしょ?」 とガッカリされまして、そこで、 「いやいや確かにパソコンだが、ペン・タブレットを使って、ひと筆ひと筆チマチマ描いてる。だから一枚完成させるまでに1ヶ月くらいはかかってるんだよ」 と必死で弁明した・・なんてことが有りました。 そこで今回は、あえて 「手描き」 であることをアピールする展覧会にしよう、と言うことになりました。ぜひ近づいて見てください。じっ〜と絵に近づいて見れば、油絵と同じような 「筆あと」 ?を発見することが出来るはずです。 来場する人からは、「ぜんぶフリーハンドなのか」「プリントの色は何年持つのか」「既存アートに対してのコンセプトは」「想像してたより質感が有る」など、やはり「手描きCG」への疑問、興味等がコメントとして寄せられています。 自分は「画材」のひとつとして選択したに過ぎず、他にもCGペイントで発表する作家は多くなっているのですが、世の中的には、まだまだ「珍しい物」として衝撃?を与えているようです(この画廊では初だそうです) その様子を見るにつけ、改めて、自分は考えていたよりも新しい世界に足を踏み入れていたのかも知れない、と想っているところです。13日までですが、ぜひ、その辺のことを目で見て確かめてください。 なお、プリントは「EPSON・PX-5600」の「PX-P/K3顔料インク」を使用。プロの写真家も展示等で使うものだそうで、メーカー発表の耐光性テストでは、30年~50年は退色しないとのことです。見に来られる方はみな変色を気にするらしいのですが、通常、家庭用のプリンターは「染料インク」で、これはすぐに変色してしまうため、その先入観で見てしまうようです。 現在自宅では、2005年に初めて展示発表した作品と、それ以降の作品20数点あまりを、アクリル板無し、プリント面むき出しの状態で壁にかけて

不思議な人々列伝

★ある時期僕は、具体的に言うと、1990年~1995年あたりにかけてですが、頻繁に不思議な人々に出会いました。何故か分りませんが、とにかくやたら会いました。 あのころはただ漠然と奇妙に想っただけでしたが、その後、世の中で、不可解な行動の人が多くなったり、動機不明の猟奇犯罪が増えて来たことを想うと、あそこが何かの分岐点と言うか予兆だったのではないか?、などと勝手に勘ぐったりしてしまうのです。・・そのいくつかを、記憶を頼りに書いてみます。 * ◇ 雨に濡れる人 ◇ 西武線「田無駅」近くでのことです。夕方からポツポツと降り始めた雨が、夜には本降りになっていました。帰宅のため電車を降り自転車に乗りかえた僕は、少し急ぎ気味に走っていました。いくつか曲がり角を折れ、田無警察の交差点の手前に来たところで、その「おかしな男」を見かけたのです。 彼はずぶ濡れになりながら、大股に足を開き、道のど真ん中に立っていました。両腕を肩の高さまで広げ、しかし、ひじから先はぶらりと垂れ下げた状態で立っているのです(分かりますかね?)。 「どうしたんだろう?」と想った僕は、横を通り過ぎる時にまじまじと顔を覗いてみたのですが、彼は黒縁のメガネをかけ無言のままこちらには目もくれず、なぜか薄笑いを浮かべて、いつまでも雨に濡れ続けているのでした。 ◇ おかしな外国人 ◇ 西武線「池袋駅」の地下でのことです。駅の改札を入り、ホームへの階段を上り始めると、上からひとりの外国人がおりて来ました。メガネをかけたスーツ姿の真面目そうな白人だったのですが、一箇所だけおかしなところが有りました。 何故かその白人は、厚いボール紙を首からヒモでぶら下げており、そこにつたない日本語で「ひみつけいさつ」と書いてあったのです。 僕は目を疑いました。そして、少しやり過ごしたあと、どうしても理由が知りたくなって数メートルほど追いけたのですが、人ごみに道を塞がれて追いつけず、そのまま彼は、平然と改札を抜け、地下街の雑踏の中へと姿を消してしまったのです。 ◇ ドアぎわの男 ◇ これもまた西武「池袋駅」でのことです。夕方6時ごろのある帰り・・ 僕は電車のドアぎわに立って発車を待っていました。ホームにはいろいろな人々が歩いています。その様子をぼんやりと眺めていたのですが、ある男の姿を見つけて我が目を疑いました。

SONY ステレオイヤホン MDR-AS21Jを買ってみた

★Amazonで安くなっていたので(¥1,600-)こんなのを買いました。耳に輪っかを掛けるタイプのイヤホンです。ジョギングとかウォーキングなどの、主にスポーツしながら使う用に出来ています。 少し前だったら自転車でも使えたんでしょうが、自転車の規制がキビシクなったので、道路交通法上、今は使えません。まあ、僕の場合にはブレード走行で使う、なんて手もあるとは想いますが・・ で、使ってみてどうだったのかと言うと、まずまずなんじゃないかと想います。耳にかけるのに手間りますが、いったんセットしてしまうと、そんなに緩んだりしません。ただし、部屋の中で聴いているだけなので、動いてみないと何とも言えませんが‥‥ 音はですね、これがそこそこいい感じの音なのです。写真を拡大して見て欲しいのですが、イヤホンがお椀にフタをしたような形をしていて、このフタ部分を前向きにして耳に差し込むようになってます。何となく中途半端で、「これで大丈夫?」って想うかも知れませんが、実はこれ「パーティカル・イン・ザ・イヤー方式」と言って、かつて、Sonyウォークマンに採用された、傑作?ヘッドホンと同じなのです。(うんと若い人は知らないでしょうね) その時のウォークマンは「WM-20」と言って、いわゆる「カセットサイズのウォークマン」として、一世を風靡した作品です。その付属品として「パーティカル・イン・ザ・イヤー方式ヘッドホン」が付いて来たんですが、これが不思議なくらいいい音がしたんですよね。その印象が残っていたので、「耳掛けタイプが欲しいな」と想って探した時、あまり迷い無く選択できたのです。 ◎ Sony Design「MDR-W30L」 ◎ Sony Design「WM-20 ウォークマン」 もちろん、最新のカナルタイプと比べると絶対的な音質は劣りますが、何かをしながら聴く分には問題有りません。むしろカナルタイプに有りがちな「タッチノイズ」が無くて、とても開放感が有るのです。 考えれば、インナーイヤータイプだと外れやすい、カナルタイプは動くたびにタッチノイズがうるさい、と悩んでいたとき、「そうだ!あれが有ったじゃないか!」と思い出し、復活採用になったんじゃないでしょうか。 Sonyの製品を買ったのはずいぶん久しぶりになりますが、なかなかいい買

映画「あ・うん」について

★高倉健さんの主演映画「あなたへ」が、もうじき公開とのことで、それについては、いずれ何処かの誰かが書くでしょうから、ここでは「健さんつながり」で、私の大好きな「あ・うん」のことを少し書いておくことにします。 じつは、恥ずかしながら、健さんの映画を見たのは「あ・うん」が初めてだったのです。見るきっかけとなったのは、あの板東英二さんの言葉でした。 * かつて、映画「あ・うん」の中で、主演の高倉健さんと共演し、親友役を演じた板東英二さんが、第13回日本アカデミー賞発表の壇上に上がってこう語ったのです。 (第13回日本アカデミー賞:1990年) 「いま、この会場に、王と長島がいてくれたら、どんなに誇らしいことか。たとえ彼らでも、高倉健と共演したことは無いだろう。こんな賞は取ったことが無いだろう、と・・」 板東さんは、最優秀助演男優賞を受賞したのです。そしてそれは、若くて一番いい時代を、王と長島の引き立て役にされてしまった野球選手の、大逆転勝利の瞬間でもありました。 私はと言えば、最初に書いたように、それまで一度も「高倉健」の映画を見たことが有りませんでした。ですから「高倉健」と共演することがどんなに誇らしいことなのか。そして「健さん」がどれほど魅力に満ちた俳優なのかが分からなかったのです。 が、坂東さんの感激ようにすごく興味を持ち、試しに「あ・うん」を見てみたら、やっと分かったのです。私はいっぺんにファンになってしまい、しばらくは健さんの出演作品を探し歩いたほどでした。 「鉄道員(ぽっぽや)」なんて、本編より先に予告編の「健さんが、吹雪きの中にたたずんでいる」、その姿を観ただけで、もう、胸が熱くなったりしましたっけ・・ それとテレビドラマでは、NHKの「チロルの挽歌」が実に良かったです。山田太一脚本で、音楽が東京ラブストーリーなどでブレイクした「日向敏文」で・・(これについても書きたいんですが、今回はやめておきましょう) しかしながら、数多い作品の中でも、私には「あ・うん」が特別な感じがしたのです(DVDも手に入れてしまいました)。何故だろうかと考えていたら、この作品だけ、健さんのキャラクター設定がいつもと違う気がして来たのです。 通常「高倉健」と言えば、無口で、不器用で、痛いほど人の

白戸家お父さん老眼鏡を買った

★ここ1,2年、本が読みにくくなったなと想っていて、そうこうする内に漫画の絵も見にくくなって来て、「どうしたんだ?。何か悪い眼病だろうか?」なんて恐れおののいていたのですが、なんてことは無い、老眼が進んで来ただけなのでした。 で、試しにホームセンターのメガネ売り場で老眼鏡を覗いてみたら、これが何と見やすいではないですか!。さっそく一個(+1.5・¥980)を買って、自宅用で重宝していたのですが、だんだん、電車などで文庫本などを読むために、携帯用が欲しくなりました。 持ち歩くものなので、出来れば面白い物をと探していたら、これが見つかりました。「白戸家お父さん老眼鏡」。正規品(¥2,680)はすでに完売していましたが、アウトレット品(¥1880)がいくつか残っていました。アウトレットのため希望の度数が無く、「+2.0」と、ちょっと高めの物を注文しました。(正規の値段はちと高いですな) ◎ SoftBank SELECTION 実際に使ってみたら、度数は+1.5の方がより見やすいですが、本を読むにはそれほど問題は無く、非情にコンパクトに折り畳める分、持ち運びに便利でいいかと想いました。携帯電話のストラップとしても取り付けが可能で、グッズとしても見た目がいいですね。 と言うことで、さっそく電車内での読書に使おうと想ってますが、ああ言うところでの時間つぶしには「宮部みゆき」の短編集なんかがいいですね。ミステリー作家として有名ですが、心霊現象にも共感できる部分が有って楽しいし、そうかと想えば、江戸時代物の人情ばなしにも卓越していて感動させられます。うっかり物語に没入していると、電車に乗っているのも忘れて涙があふれて来ることがあり、あわててしまいます。 そんなことを楽しむにも、「文庫本の活字がしっかり見える」と言うことは重要ですな。最近は「電子書籍」なんて方法も有りますが、まだそこまでは行ってません。今は、新しい老眼鏡で、たとえば昔読んだ小さな活字の文庫本を再び読めるようになったと言う、ささやかな喜びの方が大きいのです。 ただ、電子書籍が欲しいなと想うのは、数十年前の古い漫画を読みたくなった時でしょうか。僕がかつて夢中になった漫画家の作品はそのほとんどが絶版となり、しかも、所有していたあらゆる漫画本を手放してしまっているの

熱中症で倒れたことありますか?

★よく、台風が来た時に、その大波を狙って無謀なサーファーが海へくり出し、遭難して周囲に大迷惑をかけるなんて話しが有ります。で、そういう奴らを見て、我々は「この大バカ者が!」なんて激怒したりしますよね。 でも最近、救急医療の医者に言わせると、 「 35℃以上の猛暑日に屋外でスポーツをする者は、無謀サーファーと同じである 」 と言うことになるらしいです。 しかも熱中症は、無謀サーファーより事故率が高く、死亡率も高いので、奴ら以上に「大バカ者」?だと言うことになります。なので私は、草野球チームゴブリンズの代表者として「8月は夏休み」とし、特別なケース以外は試合を組まないようにして来ました。 かつては、夏の暑さに耐えながらスポーツをすると言うのが快感だったりカッコいいと思える時代も有りました。自分も同じそう言う思いで、8月の炎天下、ローラーブレードで数日間に渡って、百数十キロの公道を滑走すると言う、無謀な?行為をしたものでした。(持参した温度計では、路面上で40℃以上になることがしばしば有りました) で、じつは初めて「熱中症」になったのも、1994年に行ったそのブレード走行でのことでした。今にして思えば、ホントは病院にでも行って、しっかり治療しなければいけなかったのかも知れません。が、その時は、その症状が熱中症だとも知らず、道ばたで倒れて嘔吐しても、それでもまだ無謀に無謀を重ねて、路面温度40℃前後の道を一日6時間以上、丸三日間に渡って、フラフラになりながら滑り続けてしまったのです いま考えると、ちょっとゾッとしますね。無知と言うのは怖いもんです。何しろ熱中症になったのが初めてだったし 、それが「熱中症」だ言う自覚も無かったので、ひょっとしたら命を落としたかも知れない?なんて想像すら出来なかったんです。(携帯電話も無い時代でした ) 次に重い熱中症になったのは、2000年の9月2日でした。この年の東京は、9月のちょうどこの日に最高気温37.9℃を記録しました。我が草野球チーム・ゴブリンズは、二子玉川の河川敷でダブルヘッダーを組んでいました。 そのころから私は、球場まで自転車で行くのが習慣になっていました。その日も自宅から球場まで自転車で向かい、往復の約4時間(距離約36km)、それと試合の3時間(猛暑のため2

「ちい散歩」から「こころ旅」へ

★僕も好きでよく見ていた「ちい散歩」ですが、地井武男さんが病気療養のため降板、すでに加山雄三氏の「ゆうゆう散歩」が始まっています。ネットでは「存続か終了か」と、この手の番組としては異例の注目度で報道され続けていました。 いろいろ有る散歩番組(旅番組)の中で、なぜ「ちい散歩」だけがこんなに話題になったのか・・ ちょっと不思議な感じがしますが、じつは、ある友人からこんな話しを聞いたことが有ります。 「 ちい散歩はかったるい。早く店を紹介しろよ!って想ってしまう。アド街ック天国の方が手っ取り早い 」と、彼は言うのです。 僕はこの言葉を聞いて「なるほど、そうなのか」と想いました。そう言えば、ちい散歩は他の番組に比べて、ただ歩いているだけのシーンが長いような気がします。それが彼には退屈だったのでしょう。しかし僕は逆で、店や名所紹介にはほとんど興味が無く、「アド街ック天国」の方が苦手な番組だったんです。 けっきょく、地井さんが、ただ黙々と歩いて行く姿を見ているのが好きだったのかも知れません。もっと言えば「歩いている道」「移り変わる情景」を見ているのが好きだったんです。なので寄り道して名所旧跡に感動したり、店に入って食べ歩きをするなんてシーンが始まると、急にかったるくなり「早く歩いてくれ・・」なんて想ったりするのです。 「ちい散歩」でも特に好きだったのは水曜日の「ひと駅散歩」で、これは文字通り、何処かの路線の一駅分、駅から駅までのほんの数キロ、場所によっては500mほどしかない距離を歩くと言うコーナーです。 なにしろ距離が短いので、何のハプニングもないことが多く、ムリムリ地井さんのコメントだけで終了する、なんてこともまま有りました。が、この「何も起こらない」と言うシンプルさが、僕なんかにはたまらなく面白かったわけなのです。 これはどう言うことなのかと言うと、以前このブログで「水曜どうでしょうのロードムービー的なところが好きだ」ってことを書きましたが、けっきょく「ちい散歩」も、ロードムービーの一種として見ていたのだと思うのです。 極端なことを言うと、何処にも立ち寄らず、ひたすら歩いて、「道」と「通り過ぎる風景」を放送してくれるだけいいのです。が、もちろん、それでは番組として成り立ちません。なので、立ち寄りシーンではと

大飯原発再稼動‥‥ しかしまだ何も終わってはいない

★左の写真は写メールなんですが、僕の歳下の従兄弟なんです。見ての通り、防護服を着て、福島第一原発周辺の作業にかり出されているのです。 背後の林のすぐ向こうには、2号機3号機が見えるそうです。けっこう楽天的なヤツなので、調子に乗って送って来たみたいです。 彼のように、主に中小の土木関係、建築関係の社員は、一度は招集されるらしいです。が、一生の内に浴びても良いとされる放射線量を越えると、二度と現場に入れないことになっているので、もちろん期間限定です。 いや、いちおう、そのはずなんですが・・ 何しろ、メルトダウンした核燃料を拾い上げ廃炉を完了するまでに、少なくとも40年はかかると言うことなので、このままだと圧倒的に作業員の数が足りなくなってしまうらしいのです。 なので「強制的に二重招集されるのではないか」と不安がっている人もいるようです。でなければ、最悪の場合には、裁判員制度のように義務化されて、誰もが一度は現場に行かなければならない、ってことになるのかも知れません?。 と言うことで、我々はついつい「福島原発はだいぶ落ち着いて来たみたいだ」なんて錯覚してしまいますが、現実には、まだ何も終わってはいないのです。おまけに関東近県では、近い将来、100%の確率で大地震が起こると言われているのですから、福島第一原発は収束完了しないまま、さらなる絶望的ダメージを受ける恐れもあるのです。 そんな中で、ついに「大飯原発」の再稼動が発表されました。このニュースを聞いて、僕が最初に想ったのは、浜岡原発強制停止の前後から始まった、あの凄まじいまでの 「管降ろしキャンペーン」 の成果が、この日ついに結実したのだ、と言うことでした。もし「脱原発依存」を掲げるカン氏がまだ総理をやっていたら、一悶着あって、こんなにすんなりとは行かなかったかも知れません。 「すべてはこの日のために」 ・・これが原発推進巨大勢力の「先見の明?」と言うものなのでしょう。 あの騒動にまんまと取り込まれてしまった一般の人々を批判することは出来ませんが、物事には「千載一遇のチャンス」と言うことがあるのです。多少の難が有っても「ひとまず任せてみる」と言う選択肢は無かったんでしょうか。 自分の考えだと想っていたものが、じつは巧みに仕組まれたマインドコントロールの

東京スカイツリー見学

★東京スカイツリーの日時指定チケットが抽選発売されると言うことで、何気なく8カ所申し込んでおいたら、5月30日の1カ所4名分が当たりました。 何気なくだったんですが、いちおう、6月は梅雨で天気が悪そうだし、7月は暑くて出歩くのがおっくうだ、と言うことで、どうせ当たるなら5月、それ以外なら「まあいいや」と言うことは考えました。 と言うことで、当たった30日の朝は幸運にも快晴、現場に到着する10時頃にはやや雲が出て来ましたが、そこそこいい感じの天気です。 着いて、まず驚くのはその巨大な外観ですね。車などで浅草付近から眺めたことは何度も有りましたが、間近で見上げると、やはり圧倒されるような迫力が有ります。 さて、まずは展望デッキに昇ります。第一展望台の「展望デッキ」は、その時点で東京タワーのアンテナより高いと言うので、「わざわざ上の展望回廊まで行く必要も無いだろう」と想っていたのですが、デッキに昇ってチケット売り場を見たら、そんなに待たずに買えそうなので、さらに上へ行くことにしました。 で、昇ってみたら正解でした。下の展望デッキは室内が暗く、窓が逆光で疲れる感じなのですが、「展望回廊」の方は全体に光が入って明るく、はるかに外が見やすいのです。なので、これから訪れる人には、ぜひ「展望回廊」まで昇ることをおススメします。 それと、意外に役立ったのが望眼鏡でした。8倍~10倍くらいの物を携帯していけば、地平線や水平線付近が良く見えて楽しいですよ。 もちろんツリーには東京タワーに有ったようなコイン式の望遠鏡は有りません(東京タワーも数年前に撤去されたそうですが) ところで、展望回廊を歩き回っていたら、その内、妙な感覚に襲われました。何となくフラーッフラーッと、めまいと言うか、体がよろめくようで、まっすぐ歩きづらい感じになったのです。ですが、気分が悪いわけじゃ有りません。ただフラつくだけなのです。 急に気圧が下がったせいだろうか、とか、気づかない周期でゆっくりと揺れているんだろうか、など、いろいろ考えましたが、原因は不明でした。ただ、同行した者も同じことを言っていたし、周囲にいた人たちの雑談からも「なんか、フラフラしない?」と言う声が聞こえていたので、自分だけじゃなかった、と言うことは確かです。 テレビなどで

オレも見た、金環日食!

★「どうやら曇り気味らしい」とのウワサだったので、半分あきらめていたのですが、朝、目が覚めたらカンカンに日が照っていて、期待どおりの金環日食を見物することが出来ました。 左の写真は「iPhone」に「フィルターメガネ」を重ねて撮影したものです。撮れるわけないと想いながら撮ったんですが、ま、こんなもんですな。 メガネは一ヶ月以上前に新宿に行ったおり、東急ハンズで購入しました。あの時は、物色していてもほとんど売れる様子が無いので、「みんな興味無いのか?」なんて想ってましたが、当日になってみれば、やっぱり大騒ぎでしたね。 金環食になる時間には、近所に子供や親の声が響き始めてにぎやかでした。ここら辺の子供たちは、観察が終了してから登校することになっていたみたいで、8時を過ぎる頃、あたりはランドセルをしょった大量の小学生であふれていました。 最近の小学生は高学年でもランドセルを大切にするんですね。私の頃は2、3年生でランドセルを放棄、オリジナルバッグ?での登校が目立ってましたけど。 ところで肝心な金環日食ですが、小学生たちが「太陽が欠けて来た!」と騒いでいるのを聞きながら、「いや違う。月が食い込んで来てるんだ」と想ってる自分がいるのに気づきました。 3.11大震災の時もそうなんですが、次第に「自然災害」というより「地球の地殻変動だ!」という意識の方が強くなり、 「ああ、オレたちは、どうにも宇宙という冷徹な法則の中で生きているんだ」 って、感じることが多くなりました。 今月は月がいつもの1.4倍大きく見える「スーパームーン」も有ったし、6月には太陽を金星が横断する現象が見られるとのことで、さらにこの「宇宙意識?」は高まって行くのかも?、・・ってことでしょうか?   

水曜どうでしょう 2011新作&・・・

★今月3.11、東北の大震災から1年が過ぎ、いろいろな新事実が分かって来ました。 ・・で、あの「管降ろしの謎」を書いた手前、「その後」を書こうと想って、ごちょごちょ文章を練っていたのですが、同じ日に始まった「水曜どうでしょう2011年新作」を見ている内に、なんかどうでも良くなってしまい、日にちが経ってしまいました。 ◎ 水曜どうでしょう新作情報 「水曜どうでしょう」と言うのは、HTV(北海道テレビ放送)が制作した番組で、いろいろなバカバカしい企画を立てては旅をすると言うローカル番組です。 出演者は大泉洋氏と事務所の社長でもある鈴井貴之氏ですが、これに番組のディレクター二人もからんで来ると言うような展開で進みます。タイトルは水野晴郎さん解説の「水曜ロードショー」のパロディと言うことでしょう。 今や、様々なドラマや映画で主演級の働きをし、賞にも選ばれ大活躍の大泉氏ですが、この番組が始まった当時は大学生だったそうです。私が彼の存在を知ったのは、パフィが好きで当時よく見ていた「ぱぱぱぱパフィ」でのことでした。そこにたびたびゲストとして出ていた姿を見たのが始まりでした。 その時は「誰だコイツ?」なんてまったく素性が分からなかったのですが、その後、関東圏のローカル放送(UHF)で「水曜どうでしょう」が放送されると、「あっ、ぱぱぱぱパフィで見た奴だ!」と気づき、それが面白くて彼のファンになりました。 ただし、残念ながらアナログ時代のUHFでは画質が悪く、ゴーストまみれの画面でガマンしなければなりませんでした。ですが、それから数年がたち地デジ放送が始まると、ちょうど「水曜どうでしょう classic 」として再放送されていた同番組を、ゴースト無しのまともな映像で見ることが出来るようになり、再び欠かさず見るようになったのです。(今度は録画もして楽しんでます) そうして、こないだの3.11から、関東圏でも新作「2011原付日本列島制覇3」と言うのが始まりました。東京羽田から高知の桂浜まで、そば屋が使うような非力なスーパーカブで過酷な旅をする、と言うものです。今度はもちろんハイビジョン撮影の鮮明な映像です。 しかしながら、無名だったローカルタレント時代と違い、有名人となってしまった今、昔のように、人だかりを避けての、無鉄砲

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