スキップしてメイン コンテンツに移動

大飯原発再稼動‥‥ しかしまだ何も終わってはいない

★左の写真は写メールなんですが、僕の歳下の従兄弟なんです。見ての通り、防護服を着て、福島第一原発周辺の作業にかり出されているのです。

背後の林のすぐ向こうには、2号機3号機が見えるそうです。けっこう楽天的なヤツなので、調子に乗って送って来たみたいです。

彼のように、主に中小の土木関係、建築関係の社員は、一度は招集されるらしいです。が、一生の内に浴びても良いとされる放射線量を越えると、二度と現場に入れないことになっているので、もちろん期間限定です。

いや、いちおう、そのはずなんですが・・ 何しろ、メルトダウンした核燃料を拾い上げ廃炉を完了するまでに、少なくとも40年はかかると言うことなので、このままだと圧倒的に作業員の数が足りなくなってしまうらしいのです。

なので「強制的に二重招集されるのではないか」と不安がっている人もいるようです。でなければ、最悪の場合には、裁判員制度のように義務化されて、誰もが一度は現場に行かなければならない、ってことになるのかも知れません?。

と言うことで、我々はついつい「福島原発はだいぶ落ち着いて来たみたいだ」なんて錯覚してしまいますが、現実には、まだ何も終わってはいないのです。おまけに関東近県では、近い将来、100%の確率で大地震が起こると言われているのですから、福島第一原発は収束完了しないまま、さらなる絶望的ダメージを受ける恐れもあるのです。

そんな中で、ついに「大飯原発」の再稼動が発表されました。このニュースを聞いて、僕が最初に想ったのは、浜岡原発強制停止の前後から始まった、あの凄まじいまでの「管降ろしキャンペーン」の成果が、この日ついに結実したのだ、と言うことでした。もし「脱原発依存」を掲げるカン氏がまだ総理をやっていたら、一悶着あって、こんなにすんなりとは行かなかったかも知れません。

「すべてはこの日のために」
・・これが原発推進巨大勢力の「先見の明?」と言うものなのでしょう。

あの騒動にまんまと取り込まれてしまった一般の人々を批判することは出来ませんが、物事には「千載一遇のチャンス」と言うことがあるのです。多少の難が有っても「ひとまず任せてみる」と言う選択肢は無かったんでしょうか。

自分の考えだと想っていたものが、じつは巧みに仕組まれたマインドコントロールの誘導だった、なんてことが世の中にはけっこうあるのです。

「原子力村」と呼ばれる集団の中には、原発の広報をすることで利益を得るマスコミ関係者もいるのですよ。彼らなら、メディアを利用して、「管降ろし」への流れを情報操作をすることも不可能なことでは無かったでしょう。管元総理を極悪人に仕立て上げ、彼が打ち出した「脱原発政策」もろとも闇に葬ると言う・・・

とは言うものの、正直言えば、僕は、原発再稼動には「何がなんでも反対」と言う立場ではないのです。反対ではないが、廃炉を前提にした、再生可能エネルギー転換までの「つなぎ」としてなら稼動した方がいい、という風には想っているのです。再生可能エネルギーが現実味を帯びて来るのは、まだまだ先のことですからね。

しかしながら経団連・米倉会長が語ったと言う、橋下徹大阪市長らの「今夏に限定した再稼働」に対して「経済活動、事業(の実体)を全然ご存じない方の発言だ」と批判、なんて言葉を聞くと、ついつい反発したくなってしまうんですよね。どんなにエラい方かは存じませんが、周囲の賛同を得ようと想うなら、もっと言葉を慎んだ方がいいですな。

原発の使用済み核燃料(半減期一万年の高レベル放射性廃棄物)は、未だ完全な廃棄方法が確立しておりません。仕方ないので保管プールに溜め込んで冷やしているわけですが、その数、現在14,200トンだそうです。これが年間1,000トンずつ増え続け、あと6年であふれてしまうのだそうです(ETV特集「核燃料サイクル“迷走”の軌跡」より)。もしこれらがあふれ出してしまったら、大地震や津波などで破壊されたとしたら、いったいどんなことになるのか。

経団連の米倉会長さん、こう言うのを本当の「実体」とか「現実」と言うのです。米倉さんはたぶん、夢か何かを見ておられるのでしょう。まだ何も解決していないし、何も終わってはいないのです。しっかりして下さいよ。

まあ、そこそこお歳のようなので、そんな遠い未来のことなんか、もうどうでもいいのかも知れませんね。かく言う僕も、少々あきらめ気味ですから。

しかしながら、今回のように、身内が原発事故現場にかり出されたりすると、やはり心中穏やかではいられないのです。「せめて今の季節で良かった。もし真夏だったら」などと、身勝手なことを想ってしまうのです。

ブログ内関連記事

コメント欄から‥‥ こんな動画サイトを紹介してもらいました。
◎ 「緊急証言 菅総理元政策秘書が明かす官邸対応①②&核爆発と石棺化」
(その後リンク切れとなっていました)


Commented by 側溝のつぶやき at 2012-06-27 23:23
動画「緊急証言 菅総理元政策秘書が明かす官邸対応①②&核爆発と石棺化」もしまだご存知なければ、一見の価値ありかと・・。以下サイトからが、続けて見やすいかと思います。
http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56607522.html(リンク切れです)

Commented by 高橋GM at 2012-06-28 19:57
サイトのご紹介ありがとうございます。こういうのは知りませんでした。今まで「表」からしか見ていなかったゆえの謎が、ひとつひとつ解明されて行くような感じを受けました。


  

コメント

このブログの人気の投稿

管降ろしの謎:その2

★管内閣もそろそろ末期に近づいているようですが、へそ曲がりの私には、いまだフに落ちない点があり、まだ気になっているので、それらを一通り書いておくことにします。 そもそも管降ろしの始まりは、3/11震災後に起きた福島第一原発事故に対する、管総理の初動ミスだと言われていました。つまり・・・ 「管総理は、国民に好印象を与えるべく、パフォーマンスのためにヘリで福島原発へ視察に向かった。その間、総理への放射線被ばくを避けるため、ベント作業は延期され、結果、最悪の水素爆発を引き起こした」 ・・と言うものです。 これは、テレビや新聞、ネットなどあらゆる場所で、自民党政治家、評論家、大学教授、コラムニストなどあらゆる人物が、管総理へのバッシング理由として書き連ねていた内容です。もちろん最初は私も「管総理、エラいことをやらかしたな」と、正直想いました。 しかしその後、NHKなどを始め、あらゆる検証ドキュメンタリー番組を見たところ、報道とは違っていたことが分かりました。事故後間もなく 官邸からは「ただちにベント作業開始せよ」との指示 が出されていたのです。 が、にもかかわらず、一晩過ぎてもまったくベント作業が始まらないことから、業を煮やした管総理が 「なぜ始まらないんだ!電話じゃラチがあかん!」と言うことで、ヘリコプターで現地へ直談判に向かった、と言うのが真相でした。 (これは後に亀井静香氏も、石原慎太郎氏との対談で真相を明かしています。 「亀井氏:東日本大震災が起きた3月11日、私は官邸にいた。東京電力は冷静に対応できず、菅首相が癇癪(かんしゃく)を起こし、福島第一原発に行くまでまったく情報が無かった」 ) 実はこの時、福島第一原発のベント弁の開閉は「電動オンリー」で、電源喪失時に行われるはずの、 手動によるベント開閉 操作方法は存在しなかった そうです。 そのため「ベント解放せよ」の指示が出てもまったく動かすことが出来ず、真っ暗闇の中で設計図を引っ張りだしては、解決策を文字通り暗中模索していた、と言うのが真実のようです。 けっきょく「ヘリ視察」を批判した人々は、誰も原発の取材はしておらず(何しろ入れないんですから)、勝手な憶測でバッシングしていたことが明らかになりました。私の知るところでは、バッシングの間違いを...

2011年、山下達郎、ニューアルバムリリース

★先日、山下達郎氏の6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」が出ました。ホントは昨年の9月ごろ「WooHoo」と言うタイトルで出るはずだったんですが、発売延期のため、約1年遅れでのリリースとなったのです。 凝り性のタツロウ氏のことなので発売延期は珍しくないのですが、かつて「湯水のように金を使い、想い通りのコンセプトでアムバルを作りたい」と熱く語っていた同氏にしては、ずいぶん作り方が簡単と言うか、14曲中9曲がタイアップで、その他数曲ををまとめただけのモノになってる気がします。 まあ、アルバム(album)とは「閉じたもの、幾つかのものをまとめたもの」と言うことなので、本来の姿と言えなくもないのですが。 NEVER GROW OLD (アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング) 希望という名の光 (映画「てぃだかんかん-海とサンゴと小さな奇跡-」主題歌) 街物語 (ドラマ「新参者」主題歌) 僕らの夏の夢 (アニメ映画「サマーウォーズ」主題歌 ) ずっと一緒さ (ドラマ「薔薇のない花屋」主題歌 ) HAPPY GATHERING DAY (「ケンタッキー・フライド・チキン」CMソング ) MY MORNING PRAYER (NTV系「ZIP!」テーマ・ソング ) 愛してるって言えなくたって (ドラマ「冬のサクラ」主題歌 ) バラ色の人生~ラヴィアンローズ (TBS「ブロードキャスター」テーマ・ソング ) こう並べてみると、メロディ的にはかつての面影は少なく、むしろ「新しいタイプの歌謡曲」と言えなくも有りません。なので、昔からのマニアックなファンにしてみれば、「タツロウは終わった」なんて痛烈な批判も出そうですが、私は、これはこれでいいんじゃないかと想ってます。 と言うのも、以前タツロウ氏がFMラジオで、「40歳過ぎても音楽の仕事が出来るとは想ってなかった。それでも仕事をくださるクライアント様には感謝しかない」と語っていたのを聴いていたからです。 ある年齢を過ぎてからは、仕事を選ばず依頼されたことに全力で取り組む、そう言う姿を貫いているのだと想います。「ARTIST」ではなく、まさに「音の職人:ARTISAN」と言ったところでしょうか。 たとえばドラマや映画のテーマ曲なんかでも、既成の曲をあてがうと言うのはまず無いのです。ス...

「おくりびと」と「つみきのいえ」

★「第81回アカデミー賞」で「おくりびと」が外国語映画部門のオスカーを受賞し、大変な話題になっていますが、短編アニメーション部門の加藤久仁生監督(31)「つみきのいえ」の受賞も素晴らしかったですよね。 この作家は以前「shockwave」と言うサイトにて「或る旅人の日記」と言うのを発表し、それを見て、とても良い作品だったので、こちらのサイトでも紹介したことが有りました。 そのアニメ作家が、やがてアカデミー賞を取るまでになるとは思いませんでしたが、自分の見立ては正しかったと、「やっぱりな」と言う気持で嬉しく思いました。 「つみきのいえ」は受賞ニュースの映像でしか見て無いのですが、なんとなく「或る旅人の日記」の方をもう一度見たくなり、サイトを訪問してみたら、「shockwaveサービス終了」と言うことになっていました。いろいろな理由で立ち行かなくなったのでしょうか。 それにしても、喜びと、ある種の寂寥感を覚えた一日でした。      

神宮ラストゲーム

★むかしむかしのお話しです。広島カープが創設26年目にして、ようやく初優勝を成し遂げた翌年、つまり1976年のこと・・ この年、神宮球場で行われるヤクルト×広島三連戦の、決まって三試合目に姿を現す二人の女子高生がいました。彼女たちは、紺色のブレザー姿のまま球場を訪れ、まだ芝生敷きだった外野席の一角に腰を下ろし、ヒザを抱え、どこかボンヤリとした雰囲気で、静かに野球を眺めていたのです。 彼女たちが、いつからどんな理由で姿を見せるようになったのかは分かりません。ただ、1976年のシーズンが終了するまで、それが間違いなく続いていたことだけは確かなのです。 当時、僕は美大受験(油絵)を目指す浪人生でした。現役、一浪目と失敗し、二浪目に突入していたのですが、その頃には、実はひどいスランプに陥っていたのです。 美大を目指すくらいなので、もちろん絵には自信が有りました。子供のころから写実的な描写が得意で、「絵の天才」などとチヤホヤされ、自分でもそう思い込んで育って来たました。が、そんな奴らは、世の中には数えきれないほどいたのです。 都心の美術研究所とは(美大予備校はこう呼ぶ)そんな「田舎の天才たち」が何百人と集まる場所でした。天才だったはずの僕は、いつしかその集団の中に埋もれ、すっかり「並みの人」になっていたのです。 毎月行われる油彩とデッサンのコンクールでも(いわゆる模擬試験?)何度描いても下位に低迷し、一位になる作品の何処がいいのかもさっぱり理解できない、そんな泥沼のような毎日が続いていました。 そんな時、ふとした思いつきで見つけた気晴らしが、神宮球場での野球見物でした。研究所が新宿に有ったこともあり、帰りに足を伸ばすにはちょうどいい距離だったのです。中学のころから熱烈な「広島ファン」だった僕は、ヤクルト×広島戦の予定を調べては出かけて行きました。 当時の「ヤクルト×広島戦」は、まるで人気の無いカードで、応援団のいる内野席はまだしも、外野席はいつもまばら、誰が何処にいるかもすぐに分かるほどでした。だから、制服姿の二人の女子高生を見つけることは、それほど難しいことではなかったのです。 当初は「あの子たち、また来てる・・」という程度の印象だったのですが、それが何度も続くとなると、やはり興味が湧いて来ます。いつしか神宮に来るたび、まずは外野席を見回し、彼女たちの居場所を探すようになっ...

3「今ごろ?''facebook''を始めてみた」

前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそう...

水曜どうでしょう 2011新作&・・・

★今月3.11、東北の大震災から1年が過ぎ、いろいろな新事実が分かって来ました。 ・・で、あの「管降ろしの謎」を書いた手前、「その後」を書こうと想って、ごちょごちょ文章を練っていたのですが、同じ日に始まった「水曜どうでしょう2011年新作」を見ている内に、なんかどうでも良くなってしまい、日にちが経ってしまいました。 ◎ 水曜どうでしょう新作情報 「水曜どうでしょう」と言うのは、HTV(北海道テレビ放送)が制作した番組で、いろいろなバカバカしい企画を立てては旅をすると言うローカル番組です。 出演者は大泉洋氏と事務所の社長でもある鈴井貴之氏ですが、これに番組のディレクター二人もからんで来ると言うような展開で進みます。タイトルは水野晴郎さん解説の「水曜ロードショー」のパロディと言うことでしょう。 今や、様々なドラマや映画で主演級の働きをし、賞にも選ばれ大活躍の大泉氏ですが、この番組が始まった当時は大学生だったそうです。私が彼の存在を知ったのは、パフィが好きで当時よく見ていた「ぱぱぱぱパフィ」でのことでした。そこにたびたびゲストとして出ていた姿を見たのが始まりでした。 その時は「誰だコイツ?」なんてまったく素性が分からなかったのですが、その後、関東圏のローカル放送(UHF)で「水曜どうでしょう」が放送されると、「あっ、ぱぱぱぱパフィで見た奴だ!」と気づき、それが面白くて彼のファンになりました。 ただし、残念ながらアナログ時代のUHFでは画質が悪く、ゴーストまみれの画面でガマンしなければなりませんでした。ですが、それから数年がたち地デジ放送が始まると、ちょうど「水曜どうでしょう classic 」として再放送されていた同番組を、ゴースト無しのまともな映像で見ることが出来るようになり、再び欠かさず見るようになったのです。(今度は録画もして楽しんでます) そうして、こないだの3.11から、関東圏でも新作「2011原付日本列島制覇3」と言うのが始まりました。東京羽田から高知の桂浜まで、そば屋が使うような非力なスーパーカブで過酷な旅をする、と言うものです。今度はもちろんハイビジョン撮影の鮮明な映像です。 しかしながら、無名だったローカルタレント時代と違い、有名人となってしまった今、昔のように、人だかりを避けての、無鉄砲...

「Keep Trying'」と「時効警察」と「蟲師」と・・

★僕もけっこうな歳になったので、その分、数え切れないほどの映画やドラマ、小説などを鑑賞して来ています。なので、たいがいのモノはプロローグや予告編を見ただけで、ほぼストーリー展開が分かってしまうようになってしまいました。そうなると、残念なことにだんだんと面白く感じる作品が少なくなるわけです。 もっとも、じつは「物語のすべてのパターン」は、シェークスピアがすでに書き尽くしていて、後世の作家は、それらを元に手を変え品を変え、焼き直ししているに過ぎないと言う説もありますが・・・ まあどちらにしろ、歳を取れば取るほどに、あらゆるタイプの作品を見て来ているわけで、次第に 新鮮味のある作品に出会える機会が減ると言うことだけは確かなのです。 それゆえの苦肉の策と言うことなんでしょうか?、最近のハリウッド映画は、公開前に一般人をモニターにして、事前に用意したいくつかの結末の中から、好きなものを選ばせると言う手法を取っているのだそうです。 一般人をバカにするワケではないですが、最大公約数的選択をすると、どうしても予定調和?「水戸黄門的」になり易いので、かえって失敗作を生んでしまう恐れがあります。 デザインでも何でもそうなんですが、色んな人の意見を聞いちゃダメなんです。むしろ独断で、普通の人が「え〜?!」と首を傾げるくらいのアイデアでないと、新しいモノを生み出すことは出来ません。 一般人と言うのは、「むかし何処かで見たことがあるモノ」を、良し悪しの基準にしているので、彼らが良いと思うものは、すでに存在しているもの、誰かが発案した古いアイデアがほとんどなのです。これでは新しい作品は作れません。下手すると無意識にパクリをしちゃう場合も有るので要注意です。 音楽についても同じようなことが言えます。若い人をコケにする(表現古い?)つもりは無いんですが、若い人の作るメロディーは、どうしても何処かで聴いたようなのが多いんです。もちろん「パクリ」って意味じゃなくて、若い人ほど聴いた音楽の数が少ないわけで、すでに使い古されたメロディーでも、自分が初めて創り出したような錯覚に陥ったり、聴く方も新鮮に感じてしまうって事があるのです。 音楽全体をコンピュータで解析してみると、すでにあらゆるドレミの組み合わせは使い古されており、完全に新しいメロディを作り出すことは不可能なんだそう...

中古ギターと白黒写真

★先日、ギターを売って来ました。売ったのはエレキギターとエレキベースの2本です。「いつか使うかも知れない?」と、ずっと保管しておいたのですが、その可能性も少なくなり、けっこう邪魔なので思い切って売ることにしました。 ネットで探したら、何と「ひばりが丘駅」のすぐ近くに「中古ギター買い取り販売」の店があることが判明し、そこへ持って行きました。 プロの演歌作曲家の友人から、「中古の買い取りは安いよ」と聞いていたので、あまり期待はしてなかったのですが、査定してもらったら、イバニーズの9万のギターを2万(今はアイバニーズと言うらしい)、グレコの8万のベースも2万、計4万円で買い取ってくれることになりました。 (もともとエレキにはさほど思い入れは無かったのですが、しかしまあ、少し寂しい気持にはなりました) 1本5〜6千円だと思っていたので、意外に高く売れたのでビックリしました。でも、店の人は「この形は今は人気が無いのでこれ以上は高くできない」と恐縮していましたよ。すごく人気があるモデルだと、原価よりも高い場合があるそうです。 で、手元に残ったのはアコースティックの「マーチンD-35」と、E君がハワイへの転職時に預かった「フェンダー・ストラトキャスター」の2本になりました。 ところで、売る前にギターケースのポケットを調べたら、思いがけずバンド活動をしていた頃の写真が出てきました。スタジオでの練習風景ですね。仲間が撮ってくれたヤツです。なのでこれを、「エレキギター決別記念」としてアップしておきます。 確か29歳だったと思います。若くて見栄えがいいので、「これがホントのオレの姿なんだ!」と豪語したいところですが、残念ながら違います。 これはすでに過ぎ去った幻影であり、ホントの自分は、それから35年が過ぎた現在の私の姿なのであります。 ・・いや、あと5年10年たてば、今の姿もやがて過去のものとなってしまうわけで、今の自分も、本当の自分とは言えなくなってしまうんですね。 つまり本当の自分の姿とは、今でもない、過去でもない、未来でもない、どの年代であるとも定めることは出来ず、生きている一瞬一瞬の「幻」にすぎない、と言うことなんでしょうか?  ・・と、哲学の夜はふけてゆくのでありました。 白黒なのはあえて撮ったもので、カラーフィルムが無い時代だからではありません?   

ナックル姫?と草野球

★「全6球ナックル勝負!えりちゃん涙の復帰!」だそうです。 どうもこの、「ちゃんづけ」や「姫」と呼ぶのも好きになれませんが、男でも「王子」なんて呼んだりしてるので、まあ、こんなもんなんでしょう。 でもとにかく、関西独立リーグも幾つか新しいスポンサーを見つけたり、募金活動などの努力で存続、吉田えり投手も復活できて良かったです。 ところで、この「女子選手」と言う存在、草野球の世界ではけっこう風当たりが強いと言うのを知っていますか。幾つかの草野球サイトの「フォーラム」では、必ず一度は男に混じってプレーする「女子選手」に関するスレッドが立ち、そこでは、女子選手が「真剣勝負にどれほど邪魔で不必要な存在か」と言うことが延々と語られているのです。 ゴブリンズにはこれまで述べ3名の女子選手が在籍していたので、複雑な思いでそれらの記事を読んでいました。内容の説明は面倒なので、興味のある人は草野球サイトを検索してみて下さい。 ・・で、今回ちょっと気になったのは、そんなプライド高き男たちが、「吉田えり投手」について何も語っていないと言うことなんです。あちこちサイトを覗いて見たのですが、それに関するスレッドはまったく見当たりませんでした。 あれだけ女子選手について饒舌に(悪態を?)書いた人たちなら、「女子選手のプロ入り」についても、どんどん発言して当たり前のはずなのに、どうしちゃったんでしょう。 もしや、彼女は独立リーグと言えども「プロ」なので、草野球のテーマにはそぐわないとでも思ったのでしょうか。それとも?、ホンキで野球への夢を追いかける彼女に、気後れしてしまったのでしょうか。 考えてみれば、「吉田えり投手」がやっている野球の方が、硬式球使用の9イニングで行う「本物の野球」なわけで、屈強な?男たちがどんなに頑張ったところで、2時間7イニングの「お遊び草野球」では、分が悪いのです。でも沈黙はいけません。怖気づいて逃げたと思われても仕方無いですな。 草野球(軟式野球)とは、残念ながら「本物の野球」では有りません。ミニ・ベースボールです。サッカーとフットサルの関係だと思えば分かりやすいでしょう。 しかしそのフットサルも、今では「ミニ・サッカー」と言う位置づけではなく、独立したスポーツとして成り立っているわけで、軟...

東松山市へ行って来た、自転車で・・

★ 1月10日(土)に「原爆の図」で有名な「丸木美術館」に行って来ました。友人がそこでグループ展をするとのことで、招待状をもらっていたのです。 ◎ 原爆の図 丸木美術館 展覧会は11月から開かれていたのですが、なかなか行けないまま、年末年始でゴブリンズDVD.vol2の制作と発送に時間を取られ、けっきょく最終日の10日に行く事になってしまいました。で、野球のシーズン前の自主トレもかねよう言うことで、今回も自転車で行くことにしました。 場所は埼玉県東松山市の下唐子と言うことろです。都幾川という川沿いに有ります。地図で調べると、山道を避けた最短の距離で、片道約43kmだということが分かりました。距離は何とかなりそうですが、問題は天気です。前日の天気予報では、晴れるが北風が強くなるとのことでした。 8時30分ごろ出発して気温は3℃くらい。ダウンジャケットで出たのですが、熱いだろうかと心配していたら、寒くて大変でした。下もジーパンの上に防寒用のパンツを履いています。写真はすでに入間川の八瀬大橋です。風はそれほどもなかったのですが、橋の上はさすがにスゴく、3枚写真を撮ってブレてないのはこれだけでした。 橋の向こう側付近です。天気は上々ですが、かなり寒いです。これを降りてしばらくすると関越自動車道とぶつかり、そこを過ぎて狭山市から鶴ヶ島市に入ります。出来るだけ最短をと、この辺で細い住宅街に入るのですが、住宅街は道に迷う危険が大きいので、注意が必要です。と、思っていたら案の定迷ってしまいました。 しかしこのアクシデントは、持参した地図を見ながら何とかリカバリーに成功、予定の道に復帰しました。とりあえず一安心ですが、辺りはどんどん広々として来て、その分風が強くなって来ました。が、まだまだ時速20km以上をキープしたまま前進しています。 ですが、道に迷ってホントに大変だったのは、坂戸市に入ってからでした。途中まで関越自動車道づたいなので、高速道路を目印にしていたのですが、鶴ヶ島JCで間違って「圏央道」沿いに進んでしまったのです。写真は圏央道の測道です。風も吹かないし日が当たってポカポカで、気持ち良過ぎてボーッとしていたようです。 どうもオカしいと思い地図を見ても合致する場所が無いのです。で、ここで活躍したの...