スキップしてメイン コンテンツに移動

「ちい散歩」から「こころ旅」へ

★僕も好きでよく見ていた「ちい散歩」ですが、地井武男さんが病気療養のため降板、すでに加山雄三氏の「ゆうゆう散歩」が始まっています。ネットでは「存続か終了か」と、この手の番組としては異例の注目度で報道され続けていました。

いろいろ有る散歩番組(旅番組)の中で、なぜ「ちい散歩」だけがこんなに話題になったのか・・ ちょっと不思議な感じがしますが、じつは、ある友人からこんな話しを聞いたことが有ります。

ちい散歩はかったるい。早く店を紹介しろよ!って想ってしまう。アド街ック天国の方が手っ取り早い」と、彼は言うのです。

僕はこの言葉を聞いて「なるほど、そうなのか」と想いました。そう言えば、ちい散歩は他の番組に比べて、ただ歩いているだけのシーンが長いような気がします。それが彼には退屈だったのでしょう。しかし僕は逆で、店や名所紹介にはほとんど興味が無く、「アド街ック天国」の方が苦手な番組だったんです。

けっきょく、地井さんが、ただ黙々と歩いて行く姿を見ているのが好きだったのかも知れません。もっと言えば「歩いている道」「移り変わる情景」を見ているのが好きだったんです。なので寄り道して名所旧跡に感動したり、店に入って食べ歩きをするなんてシーンが始まると、急にかったるくなり「早く歩いてくれ・・」なんて想ったりするのです。

「ちい散歩」でも特に好きだったのは水曜日の「ひと駅散歩」で、これは文字通り、何処かの路線の一駅分、駅から駅までのほんの数キロ、場所によっては500mほどしかない距離を歩くと言うコーナーです。

なにしろ距離が短いので、何のハプニングもないことが多く、ムリムリ地井さんのコメントだけで終了する、なんてこともまま有りました。が、この「何も起こらない」と言うシンプルさが、僕なんかにはたまらなく面白かったわけなのです。

これはどう言うことなのかと言うと、以前このブログで「水曜どうでしょうのロードムービー的なところが好きだ」ってことを書きましたが、けっきょく「ちい散歩」も、ロードムービーの一種として見ていたのだと思うのです。

極端なことを言うと、何処にも立ち寄らず、ひたすら歩いて、「道」と「通り過ぎる風景」を放送してくれるだけいいのです。が、もちろん、それでは番組として成り立ちません。なので、立ち寄りシーンではとりあえずガマンして見ていたと言うわけです。

で、「ゆうゆう散歩」になってからはどうなのか?と言うと、残念ながらそう言う意味での面白さは半減しました。確かに加山氏は頑張ってはいますが、何せ、歩く場所が浅草だの吉祥寺だのとハデなのです。

番組の新装開店で、景気付けなのかも知れませんが、ちい散歩のように、名も知らぬ郊外を歩いてはくれないのです。「こんな何も無い町にも来てくれるんだ?」とか「ウチの近所がテレビに映った!」なんて感動が無いんです。

果たしてこれから、加山氏が旅慣れ?して来たら、そんな「見知らぬ町」にも出かけていくのか分かりませんが、確かに地味な町を歩くには、加山雄三と言うキャラクターはハデですよね。

と言うことで、残念ながら僕の好きな番組がひとつ終わってしまったのですが、その代わり最近良く観ているのが、NHK-BSプレミアムの「日本縦断・こころ旅」ですかね。これは2011年から始まったもので、視聴者から寄せられた「こころに残る風景」の手紙をもとに、火野正平氏がその場所を自転車で尋ねて回る、と言う番組です。

これは一度見れば分かりますが、「ロードムービー」そのものなんです。とにかく火野氏が自転車で走る姿を映しているだけなんです。いちおう目的地は有りますが、一般人の想い出の風景ですから、名所旧跡と言うわけには行きません。何の変哲も無い、そこらに転がっている風景の中で、寄せられた想い出の手紙を読んで、それだけで終わりなのです。

「何てことない風景だけどな。それでも人には残るんだ・・」
火野氏が目的地にたどり着いて呟いた言葉通り、何てことの無い、空と道と田舎の風景が、ただただ連続して映されるだけの番組です。

これは僕なんかにとっては、ホント、たまらん番組なんですが、逆に「アド街ック天国好き」の人にとっては、退屈きわまりないモノとも言えるでしょう。

ですが、僕と同じく「ちい散歩」のファンだった人なら、これの良さが分かるんじゃないでしょうか。その証拠、と言うわけでも無いですが、放送開始から一年たった今、「ガンバレ!」とか「ご苦労さん」などとあちこちで声をかけられ、握手を求められる姿が、ちい散歩の地井さんと似て来たような気がするのです。

火野氏本人も、あまりに多くの人が「いつも楽しみに見てるよ!」なんて言うので、「これ、サッカーのワールドカップくらい視聴率あるんとちゃうか?」なんて驚く始末で、どうも、すでにマニアは増えつつあるように想えます。

当初は、自転車好きの若くて体力のあるタレントなんか他にたくさんいるし、なぜ火野正平なのか不思議でした。が、その点についても本人が、「俳優の需要が少なくなってきたので、自転車に乗ることにしました」なんて平然と説明していて、そう言うところ、変なプライドとか、カッコつける気配が無いところが、面白い人なんだと想いました。

見ていると、高所恐怖症で橋では自転車を降りちゃうし、上り坂では息切れして歩き始めるし、農家の軽トラックを見つけてはズルして乗せてもらうなど、実にいい加減な自転車旅行なんです。

おまけにタバコは吸うし、キレイな女性を見つけると必ずチョッカイを出すと言う始末で、最近ありがちな「苦しみを耐え抜いて最後まで走り抜く、涙の感動作品」とは、ほど遠いものと言えるでしょう。(とは言え、1日に数十キロはちゃんと走ってるみたいですが・・)

しかしながら一つ感心するのは、地井さんもそうだったんですが、花の名前や動物の種類などについて、とてもよく知っているところでしょうか。そうものにウトい僕からすると、さり気なくてカッコいいなあと想うのです。(鼻歌の歌詞でもかなり細部まで覚えているんです)

と言うことなんですが、2012年の春シリーズ、津波で破壊された風景ばかりが続いた、「東北太平洋側~北海道ルート」もそろそろ終わりに近づいています。秋からは、沖縄まで向かう南下シリーズが始まるそうなので、興味を持った人は、一度見てみてはいかがでしょう。


(ちなみに、今年のブレード隊のルート「印旛沼・安食~村上」も、実は「日本縦断・こころ旅」の走行ルートを参考に、決定させてもらいました)


追伸*地井武男さんが、29日の朝、亡くなりました。この記事を書いた翌朝のことです。ちいさん、ずいぶん遠くまで散歩に行ってしまいましたなあ・・
  




  
   

コメント

このブログの人気の投稿

ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帳」を見たら・・

 ★先日、タイトルの書いていないDVDを何枚か見つけまして、「ハテ、何を録画したんだっけ?」と見てみると、2013年にフジテレビで放送した「ビブリア古書堂の事件手帳」でした。 これはチマタでは「月9ドラマ史上最低の視聴率」などと散々な言われ方をしたヤツですが、僕の感性によれば、地味で小品ながら中々の出来映えだったと想ってます。 逆に、すごい視聴率をマークした「半沢直樹」などは、もちろん全部拝見した上で言わせてもらえれば、あれは、すごく面白かったけど、見終わった後味が「大げさな水戸黄門」みたいだった、と想いました。 さて「ビブリア古書堂」ですが、元々は小説が原作で、主人公、古書堂の若い女性店主「篠川栞子(剛力彩芽)」が、鋭い洞察力と推理力で、一冊の古書をめぐる謎を解いて行く話しです。 相手役に「五浦大輔(EXILE AKIRA)」。この五浦大輔と言う男は、ひょんなことからビブリア古書堂のアルバイト店員になるのですが、何と「本が読めない男」と言うムチャな?設定なのです。強引に本を読もうとすると、貧血やめまいを起こしてしまうと言うことになっているのです。 「これ、視聴者は理解できるのかな?」と、少し不安になりました。フツウの人にとって、本がまったく読めない人間なんてリアリティを感じないかも?と想ったのです。ですが、こういう人ってホントにいるんですよ。何故そう断言できるかというと、僕自身がかつてそうだったからです。 あれは十代、ちょうど中学生の頃でした。ドラマの五浦君は「めまい・貧血」と言うやや病的な症状のようですが、僕の場合はそうじゃなくて、ふわーっと、いつの間にか別のことを考えてしまうと言う妄想癖でした。 詳しくいうと、本を読もうと文字を追っていくうち、何かの単語に気を取られてしまうのです。するとその単語にまつわる色んな連想が沸き上がり、ついには、文脈とは関係の無い妄想の世界に入り込んでしまう、と言う感じでした。途中ハッと我に返り、「いけない、文章を読まなければ」と、戻そうとしてももうダメで、どんどん本と関係のない空想の中に入り込んでしまうのです。 後々分かることなんですが、これは「雑念恐怖症」と言う、神経症の一種だったようです。(今もこう呼ぶのかは不明です)。人によっては、本に集中できないことに深く悩み、余計に症状を悪化させてしまうことも有るようです。 僕の場...

7「回想,真夜中のローラー・スケート」

前回までのお話し →  「37年越しの・・、墓参り」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 東京芸術大学  1979年〜1982年 美術学部絵画科 油画アトリエ・・ 芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。 この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。 それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」 彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。 「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」 「タ、ツ、ロ、ウ・・?」 「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」 ・・それが、僕たちの会話の始まりでした。 それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です) 「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」 と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。 それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって...

6「37年越しの・・、墓参り」

前回までのお話し →  5「二通の手紙、二つの返信」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★教会の牧師様からの連絡で、37年前に亡くなった女の 子と、彼女のご両親が眠るお墓の場所が分かりました。しかし、用事や天候の影響で、実際に墓地を訪れるまでには二週間ほどかかってしまいました。 八王子の「東京霊園」までは、ウチから車で1時間半くらいです。圏央道に乗り、ちょっとしたドライブ気分で車を走らせ、ほどなく到着しました。 とても広い霊園でした。中まで道路が通り、季節の行事の際には周回バスも走るそうです。いちおう霊園地図も用意しましたが、カーナビが効いたので、ギリギリまで難なく辿り着くことが出来ました。 駐車スペースに車を停め、そこから花を持って徒歩で向か います。今回は、近所の花屋で自分で選びました。キリスト教の墓参では、主に白い色の、ユリ、カーネーション、スプレーマムなどでアレンジする、と「冠婚葬祭」の本に書いてあったのですが、仏式が中心のここの売店には無さそうな気がしたのです。 そして間も無く教会墓地の前に着きました。 37年ぶり・・、でした。 1985年10月に祭場で拾った彼女のお骨、一度は遠く離れ、長い年月を巡り巡って・・ 2022年4月7日、何故かこの地で再会することになりました。目の前の、この固い納骨堂の中にあの子はいるので す。それも、ご両親の遺骨と一緒に ・・ 最初の印象で、ここで良かったと思いました。綺麗で広くて落ち着いた場所で。特に今日は、二週間遅れが幸いして、ちょうど桜が満開になっていました。 「いま、確かに安らかにしている」 素直にそう思える場所に彼女はいたのです。 墓前に、まずお花と、Nさんが作った陶器の「白の器」を置きました。そこにウチから持参した水筒で「水」を注ぎます。 キリスト教式では「お花とお祈り」だけだそうですが、そこはそれ、僕は仏教徒だから・・(ニセモノだけど?)お水は上げないと、どうもしっくり来ないのです。 それに、ここまで僕の「道しるべ」になってくれたのは「Nさん」だからです。彼女がいなければ、到底ここまで辿り着くことは出来ませんでした。なので、ぜひNさんが作った器でお水を上げたいと思っていたのです。 お花を供え、お水を上げ、長い時間手を合わせ祈っていると、 「こんなシーン・・、むかし、何かの映画で見た...

5「二通の手紙、二つの返信」

前回までのお話し →  4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年、2月17日。鎌倉の寿福寺を訪れ、37年前に若くして亡くなった女性の墓参りをしようとしたものの、すでにお墓は無くなっていました。東京に転居した母親の手によって、何処かの墓地に改葬されたと言うのです。 そのおり寿福寺で、母親の転居先が東京の「日の出町」だと教えられた僕は、まず「Googleマップ」で場所を確認してみることにしました。すると、ストリートビューには綺麗な白い家が現れました。さらに門の部分を拡大して見ると、確かに表札には○○との苗字が見えました。 車庫には乗用車が停まっていました。80歳を越えていると言うお母様が運転するとは思えず、もしかすると、どなたか親族の方と同居しているのかも知れないと想像しました。 ただし、ストリートビューの写真は「2019年」のまま更新されておらず、それを見た僕はふっと思ったのです。 「この2年ほどの間に、何も起こっていなければいいが」と・・ まず、母親宛に手紙を書いてみようと思いました。ありのままを正直に・・、2021年、何度も見るようになったご息女の夢の話しから、芸大時代のローラー・スケートの話し、鎌倉寿福寺での出来事、そしてこの住所に辿り着いたいきさつを・・ とにかく怪しまれぬよう、失礼にならぬよう、慎重に何度も読み返しては書き直し、出来あがるまで結局二週間もかかってしまいました。そして最後に身分証明として、東京芸大の卒業証書 のコピーも同封しました。 返事はなかなか来ませんでした。3月3日に投函して、一週間過ぎてもまだ来ません。最近は土日に配達しないそうなので、その分だけ遅れているのだと自分に言い聞かせましたが・・。いや違う、母堂を不快な気持ちにさせてしまい、破り捨てられたのだ?・・などなど、様々な想いが去来しました。 ・・それでも中々来ることはなく、 「頑張ってはみたけど・・、どうやらここまでかなあ」 と、少しずつあきらめの気持ちになって行った3月12日、土曜の夕方、スマホに着信があったのです。 見知らぬ番号でしたが、出てみました。 「私、◯◯様から遺言執行人を依頼されました、弁護士の◯◯と申しますが・・。高橋様からのお手紙を転送先で受け取りまして、お電話差し上げました」 と言うの...

正義感の強い人々

★こないだラジオでこんな話しを聴きました。 TBS の詠六助さんの番組で、作家の「水上勉さん」のことを「みずかみ・つとむ」と言ったところ、聴いていた人たちから「 " みずかみ " ではない。 " みなかみ " と読むのだ」と、抗議やら忠告やらの電話が殺到したそうです。 僕はそのむかし文学少年だったのでよく知っているのですが、あの作家は詠さんが言った通り、「みずかみ」と言うのが正しいのです。つまり、まったく見当違いの抗議だったと言うわけです。 そしてもう一つ。経済ニュース番組で「小豆」のことを「しょうず」と読んだところ、「あれは " あずき " と読むのだ。テレビ局はアナウンサーにどんな教育をしてるんだ!」と、これまた抗議の電話が殺到したらしいです。 この「小豆(しょうず)」とは、じつは経済用語だそうでして、「大豆(だいず)」に対して「小豆(しょうず)」と読むことで分かりやすく伝達する、経済業界では当たり前の読み方だと言うことなのです。なので、これまた間違いではないのです。 驚くのはその行動力なんです。たとえ本当に間違っていたとしても、わざわざ電話するまでに至るその行動力?、すごいです。面倒くさがりの僕にはちょっと想像がつきません。むしろその気力に恐怖心を覚えてしまいます。 たとえば松本サリン事件の時も、現場近くに住んでいた「河野さん」が犯人扱いされましたが、あの時の抗議の電話とか、嫌がらせの手紙なんかすごかったそうです。これはちょっと想像以上の、相当な恐怖だったと思いますよ。 ただ、後々疑いが晴れると、何人かの抗議をした人たちから、「間違って申し訳ないことをした。すみません」と言う、お詫びの電話や手紙が来たそうなんです。 (じつは「お詫びの言葉」を寄せたのはほんの数名で、その他の数百?数千?の人たちは残念ながらだんまりを決め込んだそうですが) とは言え「詫びる」と言う行為から察するに、こう言う的外れの抗議も、単に異常にヒステリックな人がする事と言うわけではなく、あまり強すぎる正義感の為せるわざ、と言うことは有るようです。 すごく " いい人 " ではあるが、思い込みが激しく、自分だけが完全な正義だと勘違いしている、そんな...

二年前の事件の話し・異聞

*これは実際に有った話しです。そのため、文章中に登場する人物の名前は、筆者・高橋を除いて全て仮名にしてあります。・・なお、できれば前編「二年前の殺人事件の話し」から読んでいただければ、より興味深い展開になるかと思います。 ◎ 前編「 二年前の事件の話し 」 ★まず最初に、何故この話しを再アップしようと思ったか・・ (これは元々1990〜1993年の出来事で、当時すでに別の媒体で発表しています) 僕はこれまで、不思議な体験をすることが時々あって、これらを「みんなに教えたらきっと面白がるだろう」と思い、いくつかをブログに載せて来ました。ですがある時、気づいたのです。 どの話しもけっきょく「自分一人の主観」でしか無く、信じない人に「作り話でしょ?」と言われたらそれまでだと・・ そこで昔「*ゴブリンズ・レター」に載せたこの話しを思い出したのです。 これを読んでもらえれば、少しは他の「不思議な話し」にも信憑性が増すのではないだろうか・・ なぜなら、 唯一この話しには、客観的証人となりうる人物が登場するからです。それが、僕が参加していた草野球チーム「GOBLINS」に、新メンバーとしてやって来た「飯沼君」でした。 * ゴブリンズ・レターとは? 草野球チーム「GOBLINS」の会報のこと。まだネットの無い時代、メンバー間の情報交換を郵送で行ってた。その紙上に時折り高橋がエッセイなどを書くことがあり、その一つが 『二年前の殺人事件の話し』だった。 それは「二年前の殺人事件の話し」を*ゴブリンズ・レター紙上に書いて間もなくのこと。ある日曜日にかかって来た、ゴブリンズ飯沼君の電話から始まります・・ * 昼食後、坂を下って行くと、キャプテン高橋は豆腐屋のお爺さんに、 「それ(ローラー・ブレード)は何ですか?」 と捕まった。色々説明して、最後に、 「鴨川まで行きます」と言うと、 「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」 と丁寧にお辞儀をされた。有り難う。お元気で長生きしてください。一期一会、袖擦り会うも他生の縁。 飯沼君とは何の因果か解りません 。   これは1992年の夏、ゴブリンズ・レターに書いた、『 千葉-鴨川ブレード走行記 』の中の一説である。このとき僕は、ある不思議な感覚の中にいた。 『なぜオレは、今コイツと一緒にいるんだ?』 年齢は一回りも違う。野球要員としてメンバーが会...

4「ついに墓地に辿り着く。ところが・・」

前回までのお話し →  3「今ごろ?”facebook”を初めてみた」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2022年2月17日、午前8時半ごろ。僕は鎌倉にあるお寺「寿福寺」の参道を歩いていました。久しぶりに第三京浜から横浜横須賀道路へと車を走らせ、下に降りてから数キロの山道を越えやって来たのです。 2021年の春ごろから、僕は、37年前に若くして亡くなった、大学同期の女性の夢を何度も見るようになりました。そして、その彼女の墓参りに行きたい衝動にかられるのです。 そこで、手がかりを探してネット検索すると、偶然、やはり同期の女性NさんのWebサイトが見つかります。 Nさんは、彼女の訃報を知らせてくれた人でした。もしかして?との思いからメールで連絡を取り、理由を伏せたまま、こ ちらも2021年12月、37年ぶりの再会を果たすのですが・・ しかしながら、本来の目的だった「夢の事情」をNさんに打ち明けるのは、再会してからさらに二ヶ月が過ぎたころでした。 始めたばかりの「facebook」を見ていたところ、 年が明けた 2022年2月、Nさんがまた別の展示をすると言う告知がアップされていたのです。 天気予報では、その展示の二日目あたりに「東京が大雪の恐れ」との話しだったので、晴天間違い無しの初日にそこへ向かうことにしました。 その会場で二度目に会 ったとき、ついに堪えきれなくなり、笑われるのを覚悟で、恐る恐る「夢の事情」を説明してみたのです。すると笑われるどころか、むしろNさんは少し驚いて、 「それならそうと早く言ってよ!  あなた、あの子に呼ばれてるのかも知れないよ!」 と、強く叱咤するのでした。 Nさんから「Facebook」を勧められたとき、「もしや、何かがシンクロしているのでは?」と感じた通り、Nさんはやはり 僕が探していた、 ''お墓の場所を知っている人'' でした。 それどころか、当時何年もお墓参りに通 っていた人物、と言うことが判明するのです。 もし「Facebook」を始めていなければ?、Nさんとの再会もその場限りで、二度目に会って「夢の事情」を語るチャンスは無かったかも知れません。 「お墓は、鎌倉、寿福寺の墓地だよ。すぐに行ってあげて!」 と、半ば尻を叩かれる形で、墓参りを決意をすることになりました。そ...

3「今ごろ?''facebook''を始めてみた」

前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそう...

東北楽天敗退・・

★ひょっとしたら?と淡い期待をしましたが、やはり東北楽天はダメでした。まあ、これが実力と言うものなのでしょう。 が、プロ野球人気低迷のこの時期、これだけの盛り上がりを見せてくれたのはスゴかった。これを失ってしまうのは残念ですね。何しろ、スポーツ新聞の扱いが、勝ち抜けた巨人より楽天の方が大きかったくらいなんですから。 それでもセリーグが中日ドラゴンズでなくて、巨人だったのがせめてもの救い?でしょうか。私はもともとは強烈なアンチ巨人なんですが、それでも、今年の中日のWBC拒否は納得が行かなかったので、今回だけは巨人に頑張って欲しかったのです。 もちろん落合監督以下、中日関係者は、「あくまでも選手の意思」と否定していますが、苦しい言い訳ですね。何より、このところの落合監督の、あのケンカ腰の試合後インタビューがそれを物語っています。あの件での原監督との対立が、相当頭に引っかかってたってことでしょう。 WBCでの二連覇と言うのは、日本のプロ野球史において、かなり重要な出来事だったと思います。あの代表メンバーは確実に歴史に名を残すだろうし、それに行けるチャンスが有りながら行かなかった中日の選手にとって、「千載一遇のチャンスを棒に振った」くらいの悔いとなってしまうかも知れません。ヤンキースの松井選手なんかもそうですね。あれ以来、すごく頑張っていい成績を残しているのに、なんか影が薄いような感じがしてなりません。 それに比べて、楽天の選手たちの、何と影の濃いかったこと!。CSの間ずっとテレビ中継に引き寄せられてしまったくらいです。なので、岩隈投手やマー君以外にも、ずいぶん名前を覚えましたよ。 で、名前と同時に、いろんな選手の打撃フォームを興味深く見せてもらったんですが、印象的だったのは、楽天打者の多くが「脇を閉めて構えている」と言うことでした。 自分で野球をやる人なら分かると思いますが、バッティングで構えた時、右バッターなら右脇、左バッターなら左脇を閉めるか開けるかで、スイングがかなり違って来るんです。 昔はよく「脇を閉めろ」なんて指導されたもんですが、今ではイチロー選手を始め、だいたいのバッターは、余計な力が入らぬよう 脇を開けて構え、インパクトの瞬間だけ強く閉める傾向に有ります。 その方が腕の自由度が増し、いろんな球種...

東松山市へ行って来た、自転車で・・

★ 1月10日(土)に「原爆の図」で有名な「丸木美術館」に行って来ました。友人がそこでグループ展をするとのことで、招待状をもらっていたのです。 ◎ 原爆の図 丸木美術館 展覧会は11月から開かれていたのですが、なかなか行けないまま、年末年始でゴブリンズDVD.vol2の制作と発送に時間を取られ、けっきょく最終日の10日に行く事になってしまいました。で、野球のシーズン前の自主トレもかねよう言うことで、今回も自転車で行くことにしました。 場所は埼玉県東松山市の下唐子と言うことろです。都幾川という川沿いに有ります。地図で調べると、山道を避けた最短の距離で、片道約43kmだということが分かりました。距離は何とかなりそうですが、問題は天気です。前日の天気予報では、晴れるが北風が強くなるとのことでした。 8時30分ごろ出発して気温は3℃くらい。ダウンジャケットで出たのですが、熱いだろうかと心配していたら、寒くて大変でした。下もジーパンの上に防寒用のパンツを履いています。写真はすでに入間川の八瀬大橋です。風はそれほどもなかったのですが、橋の上はさすがにスゴく、3枚写真を撮ってブレてないのはこれだけでした。 橋の向こう側付近です。天気は上々ですが、かなり寒いです。これを降りてしばらくすると関越自動車道とぶつかり、そこを過ぎて狭山市から鶴ヶ島市に入ります。出来るだけ最短をと、この辺で細い住宅街に入るのですが、住宅街は道に迷う危険が大きいので、注意が必要です。と、思っていたら案の定迷ってしまいました。 しかしこのアクシデントは、持参した地図を見ながら何とかリカバリーに成功、予定の道に復帰しました。とりあえず一安心ですが、辺りはどんどん広々として来て、その分風が強くなって来ました。が、まだまだ時速20km以上をキープしたまま前進しています。 ですが、道に迷ってホントに大変だったのは、坂戸市に入ってからでした。途中まで関越自動車道づたいなので、高速道路を目印にしていたのですが、鶴ヶ島JCで間違って「圏央道」沿いに進んでしまったのです。写真は圏央道の測道です。風も吹かないし日が当たってポカポカで、気持ち良過ぎてボーッとしていたようです。 どうもオカしいと思い地図を見ても合致する場所が無いのです。で、ここで活躍したの...