2009年9月9日水曜日

あの夏の日、怪物くんが・・・

★今年の甲子園は面白かったです。夢中になりました。幸い?昼間にテレビを見れる環境にいたのですが、高校野球はあまり興味が無い方だったので、こんなに引きつけられるとは意外でした。とにかく一方的になる試合が少なく、逆転に次ぐ逆転のスリリングなゲームの連続は、必死の選手たちには申し訳ないですが、なかなか上質のエンターテイメントでした。

あるスポーツジャーナリストによれば、各高校が「有力選手集め」を自粛したためだと言います。つまり、某プロ球団ではないですが、スゴい選手ばかり集めても、すぐに優勝できるほど単純なものではない、という事実をようやく認識し、いわゆる「野球留学」が減ったためなのです。その結果、いい選手が各校に分散することになり、戦力が拮抗してゲームが非常に面白くなったってことですね。‥‥人気低迷のプロ野球には、いい教訓ですな。

ところで、今年は栃木の作新学院が、36年ぶりに出場したとの話題が有りました。36年ぶりと言えば、つまりあの怪物くん「江川卓投手」で出場して以来と言うことになるんでしょうか。当時は、藤子不二雄原作のアニメ「怪物くん」がヒットして間もない頃だったので、新聞などによっては、ただ「怪物」と言うより、「怪物くん」との見出しをつけることも多かったようです。

その怪物くんが登場した1973年のあの日、僕は友人たち四人と、伊豆大島の「砂の浜海岸」にいました。海辺で「一週間のキャンプ」をしていたのです。四人は中学時代からの友人同士で、その関係は、それぞれが別々の高校に進んでからも続いていました。

僕たちは、深夜に墓地を歩き回ったり、人跡未踏の原生林や洞窟の中にまでテントを張って一夜を過ごしたり、その手記を、ガリ版刷りの小冊子にして学校中に配ったりなど、一風変わったことをやっては、周囲を驚かせていました。そうやって、まわりの少年たちとは違う「風変わり」「変人」を気取っていたのです。

そんな変人たちにとって、海辺でのキャンプはノーマル過ぎるかとも思えましたが、何事にも限度というものが有ります。まるまる一週間海辺に居続けるという行為は、考えていた以上に過酷なことでした。それは始まってすぐにわかりました。あまりの陽射しの強さに、このまま全員、焼け死んでしまうかも知れない、という恐怖を味わうことになりました。

逆に思わぬ楽しみも見つけました。泳ぎに来る地元の少女たちの着替えが、あまりに大胆だったのです。海の家なんて無かったし、人の少ない海岸だったせいもあるでしょうが、それでも数人でやって来て、いきなり砂浜のど真ん中で脱ぎ始める様子には驚きました。それも、大きなタオルを頑丈に巻き付けるでもなく、まあ下半身はスカートで隠しながらですが、下着を脱ぐ瞬間は興奮モノだったし、上半身はけっこうポロポロと見えていました。

僕らのテントはそこから少し離れた場所だったので、「しまった!双眼鏡が有ればなあ!」と皆で舌打ちをしましたが、それでも、ほぼ毎日のようにやって来ては、着替えシーンを披露してくれる彼女たちに、ただただ感謝??の日々でした。(今ではこんな光景はあり得ないでしょう)

双眼鏡は無かったのですが、天体望遠鏡なら用意してありました。仲間の一人が天文好きで、空気の澄んでいる大島なら是非にと、わざわざ背負って来たのです。(それでも軽い方です。僕は何とギターを担いで行きました)。おかげで、僕は初めて「天体望遠鏡で星を見る」という体験をさせてもらいました。

ちょっとワクワクしながら覗いたレンズの中に見えたのは、想像していた「図鑑」のような星ではありませんでした。輪郭がボンヤリして、ゆらゆらと陽炎のように揺れる光の球でした。「地球の大気のせいなんだ」と、その友人は説明してくれました。それが木星だったのか土星だったのか、今では思い出せません。

キャンプをしていたのは僕らだけでは有りませんでした。それぞれ少し距離をおきながら、数張りのテントが有ったでしょうか。いつしか夜になると、対テント同士で「ロケット花火」の打ち合いが始まるようになりました。もちろん悪意が有ったわけではなく、退屈しのぎと言うか、ほんの遊び心でした。そのミサイル合戦は毎晩のように続き、次第にエスカレートして、各テントの前には、手の込んだ発射台が構築されるようになりました。

花火は丘の上に一軒だけ有った売店に置いてありました。各テント同士の交流はほとんど無かったのですが、たまにそこでロケット花火を購入する若い奴らと出くわし、互いに苦笑しながら、指差し合うこともありました。

飯ごうの米を研ぐのには、その売店の井戸水を使わせてもらいました。が、海が近いせいか、海水の匂いや味が残っていて、飲料水としては僕らには飲めませんでした。なので、サイダーやラムネを水代わり買って飲んでいました。(ミネラルウォーター、ウーロン茶なんて無い時代です)

そうして、どこか気だるい安逸の時間が、ゆっくりと過ぎて行きました。水平線のすぐ上に、幾つもの雲が沸き上がっては消え、激しい波が、大きな岩を打ち砕くがごとく轟音を響かせるのです。たき火が消えるほどのもの凄い夕立で、潮でバリバリになった髪の毛を洗ったこともありました。

毎朝、太陽の暑さで目を覚まし、飯ごうで朝飯を炊き、手分けして食器を洗う頃には昼近くなっていて、それからちょっと海で泳いで、身体を陽に焼いて、女の子たちの着替えに興奮したあと、ウトウト昼寝をしていると、やがて陽が傾いて来たことに気づくのです。僕たちは、そんな何もしない長い一日を、「贅沢」だとか「優雅」だと言っては身を任せていました。

しかし幾つも有ったテントが、ポツリポツリと姿を消し、やがて僕たちだけが広い海辺に取り残されると、「何もしない一日」が、漠然とした不安となって胸に迫って来るのでした。気がつけば、8月も半ばを過ぎようとしていたのです。

そんな時でした。いつのように携帯ラジオを聞きながら昼寝をしていたN君が、興奮気味に駆け寄って来たのです。「やったぜ!、江川負けたぞ!。ざまあみろ!」。N君はそう叫んでいました。夏の甲子園で、怪物くんと呼ばれた超高校級投手「江川卓」が、降り続く雨の中、延長12回裏、満塁の場面で力尽き、押し出しのフォアボールでさよなら負けを喫したのです。 

N君だけなく、僕たち四人はそろって強烈なアンチ巨人で、巨人入りを熱望していた江川投手を嫌っていました。いや、「憎悪」に近いものだったように思います。それは才能有る同世代への嫉妬だったのかも知れませんが、個人的には、彼がその才能ゆえに他の部員たちから浮き上がり、巨人軍へのアピールのためだけに勝ち続ける、チームワークとは無縁な、孤独で独善的なエースだと言う話しを耳にしたとき、無性に腹が立って来たのです。

だから、江川の敗北は快感そのものでした。それも劇的な「さよならヒット」ではなく、四球による「さよなら押し出し」という惨めな負け方が、いかにもカッコ悪くて、すこぶる気持ち良かったのです。

・・しかし、それにしても、海辺のまぶしい陽射しの中で、雨の甲子園を想像するのは難しいことでした。まるで別の世界の出来ごとのように思えました。

大島での最後の夜、真っ暗な海辺で僕たち四人だけなると、何をするあても無くなり、波の音だけを聞いていました。夜空には見事に満天の星が輝き、水平線の近くには、南へ向かうらしいフェリーボートの明かりが見えていました。

天文好きの友人が「寝転んでみろよ、流れ星が見えるよ」と言うので、四人とも砂浜に仰向けになって夜空を見上げました。するとその言葉どおり、いくつもの流れ星を見ることが出来ました。その時は「空気が澄んでいれば、こんな簡単に見れるものなんだ」と思いましたが、今にして思えば、あれは「ペルセウス流星群」の名残りだったのかも知れません。

流星にも飽きた頃、僕はフォークギターを取り出しました。そして周囲に誰もいないのを良いことに、ギターをガンガンかき鳴らして、四人で大声で歌うことになりました。

・・が、いい調子で歌っていると、突然A君が「ちょっと待て!」と声を上げ、じーっと辺りを見回し始めるのです。そして「誰かの声がしなかったか?」と言うのです。が、他の三人には波の音ばかりで何も聞こえません。で、気のせいだと言う事になって、再び歌い始めるのですが、またA君が「ちょっと!」と言ってさえぎり、同じように聞き耳を立てるのです。

けっきょく二度三度そんな事を繰り返しているうち、皆、気味が悪くなって押し黙ってしまいました。A君によれば、叫ぶような感じで、「なんだー!」とか「何やってんだー!」と聞こえたのだと言います。

それが、そのキャンプでの最後の記憶でした。17歳の夏の夜の海辺。僕たちの少年時代が、やがて終わろうとしていました。

そのキャンプを境に、僕たちはあまり会わなくなりました。「風変わり」を気取っていた僕たちですが、高校に上がって「普通の少年たち」の中に紛れ、受験や就職など、どんどん生活に飲み込まれて行くうちに、その流れに抗うことが出来なくなって行ったようです。もともとは、その最後の抵抗として「大島一週間過酷キャンプ」を敢行したはずだったのですが、逆に、何かに打ちのめされて帰宅してしまった、そんな気がしてなりません。

かの江川投手は、ドラフトで巨人以外のチームに指名され、大学へ進むことになりました。さらに数年後、いわゆる「空白の一日事件」を起こして巨人入団を宣言したものの、世間のあまりに厳しい非難の声に一度は断念。が、ドラフトで阪神に指名されると、今度は巨人のエース小林投手との、前代未聞の密約トレード事件を起こし、力づくで巨人入りを成し遂げるのです。

その、あまりにルールを無視したやり方ゆえ、僕の「江川憎悪」はさらに続くことになりました。でも、これも何かの運命?なんでしょうか。僕は、たまたま観戦した後楽園球場での「巨人対広島」で、江川投手のプロ入り初勝利を、生で目撃してしまうことになるのです。江川投手の真新しいスパイクが、カクテル光線に反射してキラキラ瞬いていた様子は、未だに脳裏に蘇ってきます。

そしてさらに年月が経ち、僕が「そのエピソード」を知るのは、江川投手が現役引退してから、ずっと後のことでした。

ある日僕は、本屋で物色をしていました。すると、一冊の本が目に止まったのです。それはあるスポーツライターが書いた、江川卓のノンフィクションでした。で、これも運命??なんでしょうか。何気なくパラっとめくったページに、あの甲子園での押し出しの場面が描かれていたのです。それは僕にとって、とても意外な内容でした。江川にはあり得ないと思っていた、とても印象深いエピソードでした。

あの大島でのキャンプの時、あの同じ夏の日、同じ時刻に、彼はこんなことを考えていたのかと・・


うろ覚えですが、こんな感じのお話しでした。

・・雨が降り続く甲子園球場。
12回裏、一死満塁、ツースリー。相手は強豪銚子商業。
雨でボールが滑る。四球なら押し出しさよなら負けだ。
作新学院のエース江川卓は、甲子園に来て初めて逡巡していた。
「次の一球で、勝負が決まってしまう」
江川はマウンドに野手を集め、こう尋ねた。
「オレは、次のボール、ストレートを思いっきり投げようと思うんだけど、みんな、どう思う?」
それを聞くと、みな互いに顔を見合わせ、最後はキャプテンに視線が集まった。
「オレたちは、お前のお陰でここまで来れて、満足してる。あとはお前の好きなようにやってくれ」
この一言で、江川の迷いが吹っ切れる。


甲子園最後の一球を、自分自身のために投げることに決めたのだ。