スキップしてメイン コンテンツに移動

あの夏の日、怪物くんが・・・

★今年の甲子園は面白かったです。夢中になりました。幸い?昼間にテレビを見れる環境にいたのですが、高校野球はあまり興味が無い方だったので、こんなに引きつけられるとは意外でした。とにかく一方的になる試合が少なく、逆転に次ぐ逆転のスリリングなゲームの連続は、必死の選手たちには申し訳ないですが、なかなか上質のエンターテイメントでした。

あるスポーツジャーナリストによれば、各高校が「有力選手集め」を自粛したためだと言います。つまり、某プロ球団ではないですが、スゴい選手ばかり集めても、すぐに優勝できるほど単純なものではない、という事実をようやく認識し、いわゆる「野球留学」が減ったためなのです。その結果、いい選手が各校に分散することになり、戦力が拮抗してゲームが非常に面白くなったってことですね。・・人気低迷のプロ野球には、いい教訓ですな。

ところで、今年は栃木の作新学院が、36年ぶりに出場したとの話題が有りました。36年ぶりと言えば、つまりあの怪物くん「江川卓投手」で出場して以来と言うことになるんでしょうか。当時は、藤子不二雄原作のアニメ「怪物くん」がヒットして間もない頃だったので、新聞などによっては、ただ「怪物」と言うより、「怪物くん」との見出しをつけることも多かったようです。

その怪物くんが登場した1973年のあの日、僕は友人たち四人と、伊豆大島の「砂の浜海岸」にいました。海辺で「一週間のキャンプ」をしていたのです。四人は中学時代からの友人同士で、その関係は、それぞれが別々の高校に進んでからも続いていました。

僕たちは、深夜に墓地を歩き回ったり、人跡未踏の原生林や洞窟の中にまでテントを張って一夜を過ごしたり、その手記を、ガリ版刷りの小冊子にして学校中に配ったりなど、一風変わったことをやっては、周囲を驚かせていました。そうやって、まわりの少年たちとは違う「風変わり」「変人」を気取っていたのです。

そんな変人たちにとって、海辺でのキャンプはノーマル過ぎるかとも思えましたが、何事にも限度というものが有ります。まるまる一週間海辺に居続けるという行為は、考えていた以上に過酷なことでした。それは始まってすぐにわかりました。あまりの陽射しの強さに、このまま全員、焼け死んでしまうかも知れない、という恐怖を味わうことになりました。

逆に思わぬ楽しみも見つけました。泳ぎに来る地元の少女たちの着替えが、あまりに大胆だったのです。海の家なんて無かったし、人の少ない海岸だったせいもあるでしょうが、それでも数人でやって来て、いきなり砂浜のど真ん中で脱ぎ始める様子には驚きました。それも、大きなタオルを頑丈に巻き付けるでもなく、まあ下半身はスカートで隠しながらですが、下着を脱ぐ瞬間は興奮モノだったし、上半身はけっこうポロポロと見えていました。

僕らのテントはそこから少し離れた場所だったので、「しまった!双眼鏡が有ればなあ!」と皆で舌打ちをしましたが、それでも、ほぼ毎日のようにやって来ては、着替えシーンを披露してくれる彼女たちに、ただただ感謝??の日々でした。(今ではこんな光景はあり得ないでしょう)

双眼鏡は無かったのですが、天体望遠鏡なら用意してありました。仲間の一人が天文好きで、空気の澄んでいる大島なら是非にと、わざわざ背負って来たのです。(それでも軽い方です。僕は何とギターを担いで行きました)。おかげで、僕は初めて「天体望遠鏡で星を見る」という体験をさせてもらいました。

ちょっとワクワクしながら覗いたレンズの中に見えたのは、想像していた「図鑑」のような星ではありませんでした。輪郭がボンヤリして、ゆらゆらと陽炎のように揺れる光の球でした。「地球の大気のせいなんだ」と、その友人は説明してくれました。それが木星だったのか土星だったのか、今では思い出せません。

キャンプをしていたのは僕らだけでは有りませんでした。それぞれ少し距離をおきながら、数張りのテントが有ったでしょうか。いつしか夜になると、対テント同士で「ロケット花火」の打ち合いが始まるようになりました。もちろん悪意が有ったわけではなく、退屈しのぎと言うか、ほんの遊び心でした。そのミサイル合戦は毎晩のように続き、次第にエスカレートして、各テントの前には、手の込んだ発射台が構築されるようになりました。

花火は丘の上に一軒だけ有った売店に置いてありました。各テント同士の交流はほとんど無かったのですが、たまにそこでロケット花火を購入する若い奴らと出くわし、互いに苦笑しながら、指差し合うこともありました。

飯ごうの米を研ぐのには、その売店の井戸水を使わせてもらいました。が、海が近いせいか、海水の匂いや味が残っていて、飲料水としては僕らには飲めませんでした。なので、サイダーやラムネを水代わり買って飲んでいました。(ミネラルウォーター、ウーロン茶なんて無い時代です)

そうして、どこか気だるい安逸の時間が、ゆっくりと過ぎて行きました。水平線のすぐ上に、幾つもの雲が沸き上がっては消え、激しい波が、大きな岩を打ち砕くがごとく轟音を響かせるのです。たき火が消えるほどのもの凄い夕立で、潮でバリバリになった髪の毛を洗ったこともありました。

毎朝、太陽の暑さで目を覚まし、飯ごうで朝飯を炊き、手分けして食器を洗う頃には昼近くなっていて、それからちょっと海で泳いで、身体を陽に焼いて、女の子たちの着替えに興奮したあと、ウトウト昼寝をしていると、やがて陽が傾いて来たことに気づくのです。僕たちは、そんな何もしない長い一日を、「贅沢」だとか「優雅」だと言っては身を任せていました。

しかし幾つも有ったテントが、ポツリポツリと姿を消し、やがて僕たちだけが広い海辺に取り残されると、「何もしない一日」が、漠然とした不安となって胸に迫って来るのでした。気がつけば、8月も半ばを過ぎようとしていたのです。

そんな時でした。いつのように携帯ラジオを聞きながら昼寝をしていたN君が、興奮気味に駆け寄って来たのです。「やったぜ!、江川負けたぞ!。ざまあみろ!」。N君はそう叫んでいました。夏の甲子園で、怪物くんと呼ばれた超高校級投手「江川卓」が、降り続く雨の中、延長12回裏、満塁の場面で力尽き、押し出しのフォアボールでさよなら負けを喫したのです。

N君だけなく、僕たち四人はそろって強烈なアンチ巨人で、巨人入りを熱望していた江川投手を嫌っていました。いや、「憎悪」に近いものだったように思います。それは才能有る同世代への嫉妬だったのかも知れませんが、個人的には、彼がその才能ゆえに他の部員たちから浮き上がり、巨人軍へのアピールのためだけに勝ち続ける、チームワークとは無縁な、孤独で独善的なエースだと言う話しを耳にしたとき、無性に腹が立って来たのです。

だから、江川の敗北は快感そのものでした。それも劇的な「さよならヒット」ではなく、四球による「さよなら押し出し」という惨めな負け方が、いかにもカッコ悪くて、すこぶる気持ち良かったのです。

・・しかし、それにしても、海辺のまぶしい陽射しの中で、雨の甲子園を想像するのは難しいことでした。まるで別の世界の出来ごとのように思えました。

大島での最後の夜、真っ暗な海辺で僕たち四人だけなると、何をするあても無くなり、波の音だけを聞いていました。夜空には見事に満天の星が輝き、水平線の近くには、南へ向かうらしいフェリーボートの明かりが見えていました。

天文好きの友人が「寝転んでみろよ、流れ星が見えるよ」と言うので、四人とも砂浜に仰向けになって夜空を見上げました。するとその言葉どおり、いくつもの流れ星を見ることが出来ました。その時は「空気が澄んでいれば、こんな簡単に見れるものなんだ」と思いましたが、今にして思えば、あれは「ペルセウス流星群」の名残りだったのかも知れません。

流星にも飽きた頃、僕はフォークギターを取り出しました。そして周囲に誰もいないのを良いことに、ギターをガンガンかき鳴らして、四人で大声で歌うことになりました。

・・が、いい調子で歌っていると、突然A君が「ちょっと待て!」と声を上げ、じーっと辺りを見回し始めるのです。そして「誰かの声がしなかったか?」と言うのです。が、他の三人には波の音ばかりで何も聞こえません。で、気のせいだと言う事になって、再び歌い始めるのですが、またA君が「ちょっと!」と言ってさえぎり、同じように聞き耳を立てるのです。

けっきょく二度三度そんな事を繰り返しているうち、皆、気味が悪くなって押し黙ってしまいました。A君によれば、叫ぶような感じで、「なんだー!」とか「何やってんだー!」と聞こえたのだと言います。

それが、そのキャンプでの最後の記憶でした。17歳の夏の夜の海辺。僕たちの少年時代が、やがて終わろうとしていました。

そのキャンプを境に、僕たちはあまり会わなくなりました。「風変わり」を気取っていた僕たちですが、高校に上がって「普通の少年たち」の中に紛れ、受験や就職など、どんどん生活に飲み込まれて行くうちに、その流れに抗うことが出来なくなって行ったようです。もともとは、その最後の抵抗として「大島一週間過酷キャンプ」を敢行したはずだったのですが、逆に、何かに打ちのめされて帰宅してしまった、そんな気がしてなりません。

かの江川投手は、ドラフトで巨人以外のチームに指名され、大学へ進むことになりました。さらに数年後、いわゆる「空白の一日事件」を起こして巨人入団を宣言したものの、世間のあまりに厳しい非難の声に一度は断念。が、ドラフトで阪神に指名されると、今度は巨人のエース小林投手との、前代未聞の密約トレード事件を起こし、力づくで巨人入りを成し遂げるのです。

その、あまりにルールを無視したやり方ゆえ、僕の「江川憎悪」はさらに続くことになりました。でも、これも何かの運命?なんでしょうか。僕は、たまたま観戦した後楽園球場での「巨人対広島」で、江川投手のプロ入り初勝利を、生で目撃してしまうことになるのです。江川投手の真新しいスパイクが、カクテル光線に反射してキラキラ瞬いていた様子は、未だに脳裏に蘇ってきます。

そしてさらに年月が経ち、僕が「そのエピソード」を知るのは、江川投手が現役引退してから、ずっと後のことでした。

ある日僕は、本屋で物色をしていました。すると、一冊の本が目に止まったのです。それはあるスポーツライターが書いた、江川卓のノンフィクションでした。で、これも運命??なんでしょうか。何気なくパラっとめくったページに、あの甲子園での押し出しの場面が描かれていたのです。それは僕にとって、とても意外な内容でした。江川にはあり得ないと思っていた、とても印象深いエピソードでした。

あの大島でのキャンプの時、あの同じ夏の日、同じ時刻に、彼はこんなことを考えていたのかと・・

うろ覚えですが、こんな感じのお話しでした。

・・雨が降り続く甲子園球場。
12回裏、一死満塁、ツースリー。相手は強豪銚子商業。
雨でボールが滑る。四球なら押し出しさよなら負けだ。
作新学院のエース江川卓は、甲子園に来て初めて逡巡していた。
「次の一球で、勝負が決まってしまう」
江川はマウンドに野手を集め、こう尋ねた。
「オレは、次のボール、ストレートを思いっきり投げようと思うんだけど、みんな、どう思う?」
それを聞くと、みな互いに顔を見合わせ、最後はキャプテンに視線が集まった。
「オレたちは、お前のお陰でここまで来れて、満足してる。あとはお前の好きなようにやってくれ」
この一言で、江川の迷いが吹っ切れる。

甲子園最後の一球を、自分自身のために投げることに決めたのだ。



  

コメント

このブログの人気の投稿

クローン人間

★クローン人間のことが話題になると、その是非とは別に気になることがあります。キャプテン高橋は少年のころ友人たちと心霊研究をしていたことがあるのですが、そのときの知識に照らし合わせてみると、クローン人間とはどんなモノになるのか、とても興味があるのです。 まず普通の人々はクローン人間を、「肉体の DNA 的複製」とだけ考えがちですが、心霊的に見ればそれだけでは不完全で、その肉体に宿っている霊魂の方が人間の本体なのですから、霊魂まで複製しなければ完全なクローンとは言えないと言うことになります。 では、霊魂と言うのは、複製できるものなのでしょうか?  「複製」と言う概念からは外れるかも知れませんが、霊魂が分裂することはあります。たとえば一番分かりやすいのは「一卵性双生児」です。これはご存知のように、受精した一つの卵子が子宮内で二つに分かれ、二人の人間として生まれてくることですが、この時、同時に霊魂も二つに分かれます。 つまり本来一人の霊魂だったものが、二つの肉体に宿って生まれて来ると言うことになるわけで、我々が考える「クローン人間」に一番近い形と言うことになるかと思います。 逆に、複数の霊魂が合体することもあるようです。と言うより、ほとんどの人が、複数の霊魂が集まって一人の人間として生まれ変わって来ている、のだそうです。だから、一人の人間の中に、一言では表現しきれないようなたくさんの性格、性癖、本人にも分からない奥底の感情など、複雑な意識がうごめいているわけです。 ところが、その複数の人格が完全に統合されていない幼児期に、あまりにひどい虐待を受けたりすると、そのショックで統合に失敗し、人格がバラバラになったままになる「多重人格症」と言う精神病になってしまうわけです。 これは性格が入れ替わってしまうだけでなく、名前や生まれ育った場所、経験したことまで言い分けると言う特徴があります。心理学的には「創作された人格」だと言われていますが、海外では、副人格の言ったとおりの場所にその人の墓があった、なんて症例まで確認されているようです。 まあ、そんな病的ではないにしても、自分の中に、人には言えないような凶暴な性格が潜んでいて人知れず悩んでいたり、酒を飲むと突然人が変わってしまったり、それを翌朝には完全に忘れていたりなど、本来の自分ではない...

掘り出し物

★電池を買いに、すぐ近所のホームセンター「ケーヨー D2 」へ行ったら、写真のような「単眼鏡(小型の望遠鏡)」を 1000 円均一で売ってました。 前々から自転車やインラインスケート用に欲しいと思っていたので、安物だけどいいや、と思って買って帰りました。 ところが家に戻って覗いて見ると、これが非常にクリアで大きく見えるんですよ。おもちゃみたいな物だから、色がにじんだりボヤけたりするだろうと思い込んでいたので、驚きました。 そこで良くメーカーを見てみたら、「 Kenko 」って印刷してあるじゃないですか。なるほどこれは、カメラのレンズやフィルターなどで名の知れた「 Kenko 」の商品だったんですね。良く見えて当たり前です。失礼しました。・・と、言うことで、ちょっと嬉しくなってしまったので、書き込みました。 何に使うのかと言えば、自転車やスケートで長距離を走行中、初めての場所などで道が分からなくなる時があるんです。その時、道路表示の看板を見ればいいわけなのですが、それが何百メートルも先にあって、やっとたどり着いて確認したら反対方向で、また何百メートルも逆戻りしなければならない、なんてことがあるんですね。そう言う時に威力を発揮するのです。つまり、わざわざ表示板の下まで行かずに、遠くから覗いて読み取り、道を確認できるわけです。 ただ、携帯に便利な小型の物で、しかも性能がいい奴って言うと、けっこう高いんですよ。安くても¥ 5000 くらいはしますね。それが¥ 1000 で手に入ったと言うのはとてもラッキーでした。これでまた、初夏のブレード長距離走行に向けて張り合いが出て来ました。何とか行ってきたいものです。   

「まゆゆ」引退・・

 ★「今ごろかよ!」って言われそうですが、元AKBの神セブンと呼ばれた一人、渡辺麻友さんが芸能界を引退しました。 昨年(2020)のことです。しかし、芸能界では大物タレントのコロナ死や自殺など、衝撃的なニュースが相次ぎ、ファン以外ではそれほど?話題にならなかったような気がします。しかし僕にとってはちょっと興味深い存在だったので、少し書いておこうかと思いました。 単刀直入に言うと、「音楽の価値観を一変させられた?」とでも言いましょうか、彼女が歌った一曲に、これまで培って来た音楽の感性を一撃で破壊されてしまった、そんな存在だったのです。(大袈裟か・・) かく言う僕は、もともと若い頃はアイドルと言うモノには興味がありませんでした。自分で言うのもナンですが、変わり者だったし、多少歌にも自信があったので、当時のヘタウマアイドル歌手はどうでもいい、と言うのが本音でした。 世間では「歌のうまいアイドル」として評判だった「松田聖子さん」でさえ、僕が聴いた限りでは微妙に音を外していて、それが気になってダメだったのです。 周囲の人たちは、その「説」を信じませんでしたが、彼女がアメリカ進出を試みた時、向こうのプロデューサーから「音程が外れている。このままだとアメリカでは通用しない」と、長期間のレッスンを受ける予定との芸能ニュースを見た時、ひとり「ほらね!」と思ったものでした。(ただし、帰国後は素晴らしい歌手に変貌していましたよ、念のため) では、そんなだった僕を、還暦近くなって、一変させてしまった一曲とは何かと言うと、「まゆゆ」が歌う、その名も「麻友のために」でした。 どうですか?。声質は典型的な舌足らずの「アイドル系ガールボイス」で、一見ヘタそうに聴こえるのですが、注意して聴くと、しっかり音を外さずに歌い切ってることが分かるのです。しかもサビの部分、低音からいきなり高音に飛ぶ高低差の激しい曲にもかかわらず、後半になってもしっかり音程を保ち続けている・・  かつてのアイドル嫌いの僕は、「AKB48」と言うのは、とりあえず可愛い女の子をたくさん集めて、一度に大勢で歌わせれば歌のマズさはごまかせるってやり方だ、と思っていました。なので、これを聴いた時、「あれっ?」と思ったんです。 「ちょっとこれ、ホントは、歌の上手い女の子なんじゃないの?」と興味が湧いたんです。音程があまりにフラット...

草野球のグラウンド入れ替え、5分前理論の謎?

★もう、ずいぶん前のことなんですが、ある草野球サイトのフォーラムで、グラウンドの撤収時間についての書き込みが有りました。 「終了時間5分前になっても、なかなかグラウンドから出ないチームがある。トンボ整備や荷物出しも含め、5分前には完全撤収するのが球場使用のマナーである」 ・・・と、言うのです。 で、前のチームが5分前に撤収した後はどうするのかと言うと、この5分間は、次のチームの入れ替え時間に当てられると言うわけです。 たとえば「11:00 - 13:00」の2時間を確保しているなら、10:55から入場して荷物の搬入を済ませれば、11:00ちょうどからウォームアップを始められます。その分グラウンドを有効に使える、と言うのが彼らの言い分です。 なるほど、この人のチームは、しっかりしたマナーの良いチームで、対戦しても気持ちよくゲームが出来るはずだと想います。もちろん「5分前撤収」を言い出すからには、必ずや、自分たちも「5分前撤収」を厳守していることでしょう。 ところがです。残念ながらこの考え方を推し進めると、どうしても奇妙な?現象が起こってしまうのです。それを説明するために、簡単な図を描いてみました。次の図が、いわゆる「5分前理論」をグラフにしてみたものです。 どうでしょう?。草野球をやる人なら分かると想いますが、通常、グラウンドは2時間単位で各チームに貸し与えられます。この割り当てに対し、例の「前のチームは5分前に撤収、次のチームは5分前に入場可」理論を当てはめ、そのつど繰り返していると、けっきょくは 「全体的に5分前倒しにしただけ」 になってしまうのです。彼らが言うような、時間を有効利用したことにはならないのです。 せっかく管理者が「使用時間11:00 - 13:00」と線引きしてくれてるのに、そのルールを、利用者がわざわざ「10:55 - 12:55」と複雑に解釈する必要があるでしょうか?。どう見ても、利点の無いムダなことのように想えます。それどころか、フォーラムの書き込みのように、解釈の違うチームとの確執が起こってしまうケースも有るようです。 ならば、余計なことは考えず、与えられた時間通りに使用したらどうでしょうか。「11:00 - 13:00」なら、その2時間内ですべてを処理すればいいので...

楽しいこと

★友人知人などに、「毎週のように草野球をやってる」と言うと、驚く人が多いですよね。さらに、そのために毎日柔軟と軽いトレーニングをしている言うと、「何も遊びのためにそこまでしなくても・・」と呆れられます。 でもですね、呆れているその友人たちが、失礼だけど、もうヨボヨボになりかけてるんですよ。その姿を見ていると、やっぱりやっていて良かったと思ってしまいますね。もちろん「健康のために・・」と思ったことは一度も無くて、楽しいことを相手よりもっと多く楽しみたい、と言う欲求からだけだったんですが、結果として同年代の友人たちより「動ける体」になっている自分がとても小気味よいです。 まあ出来るだけ、自転車球場入りと、インラインスケートでの長距離走行は続けたいもんです。もちろん「健康のために」ではなくて、ただ面白いこと、楽しいことを長く続けたいためにですけどね。   

敗けると大変だ

★平日のワイドショーを見てない人は、ちょっとピンと来ないかも知れないですが、星野批判がスゴいですよ。もちろんオリンピック惨敗のことです。 まあ、僕もその一人だったので、何とも言い難いですが・・ でも「後からそんなことを言うな!」と言われそうで、けっこう遠慮がちに書いたつもりだったんです。ですが、世の中はもっとあからさまでした。 特にプロ野球関係者の批判はすごいですね。野村監督なんか「データをまったく生かしてない」なんて好き勝手言ってるけど、もともとは「オリンピックに調子のいい選手を持ってかれちゃ、かなわん」みたいなことを言ってたんだし、それは無いですよ。 落合監督は「岩瀬は使い方を間違えなければ、ちゃんと抑えるんだ」って言ってました。・・うーむ。でも、この論理おかしくないですかね。 あれほどダメだったオリンピック組が、ペナントレースに復帰してからほぼ全員が活躍してます。阿部捕手は大ホームラン?、GG佐藤くんはレーザービーム?、村田選手もタイムリー?。これって、ようするに日本のプロ野球のレベルが低いってことなんじゃないですか? 我々草野球でもそうですよ。相手が弱ければバカバカ打つし、強ければぜんぜん打てなくて大敗します。そう言うもんです。つまり、オリンピックで打てなくて国内でガンガン打つってことは、オリンピックの他国のレベルが高かったって理屈になりますよね。 だから、ドラゴンズに戻った岩瀬くんが抑えたのは「使い方が正しかったから」ではなく、「日本の打者のレベルが低いから」って論理にもなると思いますよ。 あっ、すみません。オレ、落◯監督って大嫌いなので、ついつい余計なこと書いちゃいました。   

河童のクゥと夏休み

★夏休みなので何かテレビで面白いものは無いかな、と思い、ちょうど放送されていたアニメ、「河童のクゥと夏休み」を録画しておきました。 で、何気なく観ていたのですが、物語が進んでいくうちに、背景画がやけに見たことあるような風景ばかりだなあ、と気になり始めました。 そこでもしや?と思って調べてみたら、やっぱりでした。主人公の少年が住んでいる町は私が住んでいる「東久留米市」で舞台で 、河童を見つけた川は「黒目川」と言う設定でした。 ◎ 河童のクゥと夏休み そうと分かったら妙に親近感が湧いて来まして、ついつい見入ってしまいました。「ああ、この背景はあそこだ」と、すぐに分かるくらい実際の風景を克明にスケッチしていたのには驚きでした。東久留米はメボしい観光資源も無く、ドラマやアニメの舞台になるとは思ってもいなかったので驚きましたね。 で、なぜ東久留米なのだろう?と調べてみたら、原作者の「小暮正夫氏」が東久留米在住だったからなのだそうです。さらに 監督自身も、上京して初めて住んだ町が、「ひばりケ丘(東久留米周辺)」だったことから、 そこを舞台にアニメ化しよう、と考えた大きな理由だったみたいです。 まあ黒目川にも、昔から農家の人が川にキュウリを供え、水難に会わないよう祈る習わしがあったそうで、まったくの場違いでは無いと言うことのようですが・・ よく知らないなあ、と言う人はGoogleマップなどで「東久留米市小山」と検索してみてください。 河童が見つかる「黒目川」が見つかるはずです。北側に「小山小学校」が有りますが、これが少年が通っていた設定の学校なのでしょう。それと、南側に「久留米中学」と言うのが有りますが、これは私が通っていた中学なんです。校舎の裏はすぐに川になっていました。 この川を挟んだ、向こう岸の岡の上には「故手塚治虫氏」の自宅がありまして、初めてそのことを知った時には思わず身震したものです。当時漫画家を目指していた私にとって、「これは運命に違いない」などと、勝手に感動してしまったのです。 が、じつはこの東久留米は、漫画家がたくさん住んでいる(いた?)町で、まあ、たまたまだったと言うことですな。手塚氏以外にも、「ジロがゆく」の「真崎守氏」や、「キックの鬼」の「中条けんたろう氏」、そして私の家のすぐ近所にはギャグ漫...

常識は変わる、とうにお盆を過ぎて・・

★僕が子供のころ、「大人は(特に男は)みなタバコを吸うものだ」と思っていました。でも今は違います。当たり前のように吸われていたタバコも、どんどん禁煙する人が増えて、新幹線が全面禁煙になるのも時間の問題だと言われているのです。 こんな風にして、今まで常識だと思い込んでいたことが常識でなくなり、新しい価値観がどんどん生まれて来るものなんです。 前にも何度か書きましたが、中学生のころ仲間と遊び半分で心霊研究をやってました。そのころの「心霊」と言えば、いわゆる「怪談」で、もちろん僕らも単純に、「怖いもの見たさ」で始めたのです。 ところが様々な心霊関係の書物を集めて読破して行くと、どうもそれだけでは無いと言うことが次第に分かって来ました。 特に古い時代の日本と海外の文献を比較してみて、興味深いことが分かって来ました。ほとんど国交が無く、情報の行き来が無い時代の書物にもかかわらず、日本と海外の心霊の説明が、細かいところまで非常に似通っていることが判明したのです。つまり勝手に作り出した話では有り得ない共通点が、世界中で見つかったことになるのです。 それら書物から得た知識として、「守護霊」とか「自縛霊」とか、「オーラ」とか「ドッペルゲンガー」「ポルターガイスト」などとか言った、いわゆる心霊用語があります。今から約40年前、こんな言葉を知っている人はまずいませんでした。・・って言うより、奇人変人扱いされかねない、そんな時代だったように思います。つまりそれがその頃の「常識」だったんです。 ところが今では、特殊だった心霊用語もちゃんと通じるようになってます。特に「オーラ」なんてごく普通に使われてるし、これは、あの頃からすれば想像もつかないことなんです。だから思うのです。 心霊に関してもどんどん時代は動いている、「常識」はやがて変わるのだと・・ そして今、その象徴的な存在となっているのが「江原啓之」と言う人物ではないでしょうか。数年前からテレビに登場するようになり、昨今は「オーラの泉」や「天国からの手紙」と言う番組で人気を得るようになっています。 初めてこれらの番組を見たときはホントにビックリしました。驚くと言うより「こんな番組やっていいのか?」と言う心配の方が先に立ちました。「この人、あちこちからバッシング受けて、いつか世の中に潰されるぞ!」、他人事ながらそん...

カレー専門店「ボルツ」との出会いと別れ

★このごろ、草野球仲間とゲーム後にカレーを食べる機会が増えたのですが、色んな店に入るたび、ずいぶん美味しいカレー屋さんが増えたなあ、と思ってしまいます。 特にインド人やネパール人が調理する、「ナン」を浸して食べる本場のカレーは、かつては、都心まで出なければ有りつけませんでしたが、今では、郊外の商店街でも見かけるようになり、「こんなところでも食べられるようになったのかあ」と、感慨ひとしおです。 思い返してみれば、その昔、もう30年以上前になりますか?、当時、カレー好きなら誰もが知っていた、「ボルツ」と言う、東京で一世を風靡したカレー専門のチェーン店が有りました。ある時期、親会社が撤退したことから店舗数が激減、現在では、味を継承した店がわずかに残っているだけのようですが・・ ネット調べでは、どうやら発祥の地は渋谷だったそうで、1970年代に設立され、1980〜90年には全盛期を迎え、都心の色んな街にチェーン店が出店されたそうです。かつて流行した「辛さ◯倍カレー」の元祖のお店でもあります。 それまで有名カレーと言えば「新宿中村屋」のカレーだったでしょうか。今ではすっかりご無沙汰ですが、印象としては「すごく美味しい西欧風カレー」だった気がします。ホームページには「純インド風カレー」と記されてますが、あの時の味のままならば、スパイシーではあるが、やはり本場インド風とは違うと思います。 今や国民食とも言える「カレーライス」ですが、元々は英国から伝わったものだそうです。インドが英国の植民地だったころ、インド料理に魅了されたイギリス人が、母国でも簡単に作れるようにと、インド産の香辛料をブレンドして粉状にし、缶詰にしたのが始まりだそうです。 それが「カレー粉」として日本に伝わり、さらに小麦粉と油を混ぜて固め、「カレー・ルー」として売り出したことで爆発的に広まったらしいのです。つまり、日本人が大好きな「カレーライス」とは、イギリスを経由してきた「西欧風」であって、「インド風」では無いと言うことになります。 と言うことで、「新宿中村屋のカレー」はとても美味しいけれど、やはり西欧風の極上美味しいヤツって感じで、「インド風」とはどこか違う。「いつか本物のインドカレーを食べてみたい」と願っていた僕には、だんだんと飽き足らない味になって行ったのです。そうして、色んなカレー屋さんを食べ歩くようにな...

加藤・高橋 二人展終了

★急に暑くなって画廊に通うのも大変でしたが、何とか終了しました。 もう一人の作家、加藤氏の作品とはまったくタイプが違い、最初はどうなるかと思ったのですが、まあ、何とかなったようです。今回は全部で9点。CGペイントになってからは最も数の多い展示となりました。 一番大きい物で 960mm×960mm と、サイズだけは油彩なみに近づけたような気がします。またCGペイントを知らない人々からは質問攻めにあい、分かりやすく説明するのは大変でしたが、それなりのカルチャーショックを与えることは出来たようです。こちらとしても、大きなCG作品、多数の作品を展示する時のノウハウなどを得ることができ、その点でも収穫でした。 まあ一般には、展覧会と言うと「趣味で描いた絵が溜まったので展示をした」程度に思われ、「一枚でこんな値段するの?」などとビックリされることも多いのですが、我々にとっては、仕事そのもの。大げさに言えば「命を削って生み出すもの」とでも言えばいいでしょうか、それくらい必死の作品群でもあるわけなんです(少々オーバーか?)。 それと、CGと言うと、キーボード操作で一瞬の内に完成してしまうと誤解している人もいて(友人なんですが‥)、その人に詳しく説明して改めて驚愕されたなんてケースも有りました。ちなみに私の場合、1点の作品を完成させるまでにおよそ1ヶ月はかかります。これを単純に日当1万円で計算すると、30万円以上で売れなければ採算が合わないことになります。そんなことでも理解してもらえればと思います。 それから、現在のCGペイントに到達したのがここ数年のことで、つまり40歳半ばを過ぎてから、ようやく自分の思う表現方法に近づけたとも言えるのです。同じ頃、今回二人展をした加藤氏と再会し、作品発表の扉を開かせてもらいました。それまでは、20代の学生の頃から含めて約30年間、「何をどう表現したいのか分からない」、七転八倒の孤独と苦悩の日々でした(自分で言うのはオコガマシイが)。 てなわけで、あとどのくらい描けるのかは分かりませんが(次の発表も未定ですが)、命を削って?描いた作品群の行く末を、これからもみなさんに見届けてもらえればと思います。 ★中学時代に一緒に絵を描いていた知り合いより、二人展の感想が寄せられました。コメント欄で...