★今月3.11、東北の大震災から1年が過ぎ、いろいろな新事実が分かって来ました。
・・で、あの「管降ろしの謎」を書いた手前、「その後」を書こうと想って、ごちょごちょ文章を練っていたのですが、同じ日に始まった「水曜どうでしょう2011年新作」を見ている内に、なんかどうでも良くなってしまい、日にちが経ってしまいました。
「水曜どうでしょう」と言うのは、HTV(北海道テレビ放送)が制作した番組で、いろいろなバカバカしい企画を立てては旅をすると言うローカル番組です。
出演者は大泉洋氏と事務所の社長でもある鈴井貴之氏ですが、これに番組のディレクター二人もからんで来ると言うような展開で進みます。タイトルは水野晴郎さん解説の「水曜ロードショー」のパロディと言うことでしょう。
出演者は大泉洋氏と事務所の社長でもある鈴井貴之氏ですが、これに番組のディレクター二人もからんで来ると言うような展開で進みます。タイトルは水野晴郎さん解説の「水曜ロードショー」のパロディと言うことでしょう。
今や、様々なドラマや映画で主演級の働きをし、賞にも選ばれ大活躍の大泉氏ですが、この番組が始まった当時は大学生だったそうです。私が彼の存在を知ったのは、パフィが好きで当時よく見ていた「ぱぱぱぱパフィ」でのことでした。そこにたびたびゲストとして出ていた姿を見たのが始まりでした。
その時は「誰だコイツ?」なんてまったく素性が分からなかったのですが、その後、関東圏のローカル放送(UHF)で「水曜どうでしょう」が放送されると、「あっ、ぱぱぱぱパフィで見た奴だ!」と気づき、それが面白くて彼のファンになりました。
その時は「誰だコイツ?」なんてまったく素性が分からなかったのですが、その後、関東圏のローカル放送(UHF)で「水曜どうでしょう」が放送されると、「あっ、ぱぱぱぱパフィで見た奴だ!」と気づき、それが面白くて彼のファンになりました。
ただし、残念ながらアナログ時代のUHFでは画質が悪く、ゴーストまみれの画面でガマンしなければなりませんでした。ですが、それから数年がたち地デジ放送が始まると、ちょうど「水曜どうでしょうclassic」として再放送されていた同番組を、ゴースト無しのまともな映像で見ることが出来るようになり、再び欠かさず見るようになったのです。(今度は録画もして楽しんでます)
そうして、こないだの3.11から、関東圏でも新作「2011原付日本列島制覇3」と言うのが始まりました。東京羽田から高知の桂浜まで、そば屋が使うような非力なスーパーカブで過酷な旅をする、と言うものです。今度はもちろんハイビジョン撮影の鮮明な映像です。
しかしながら、無名だったローカルタレント時代と違い、有名人となってしまった今、昔のように、人だかりを避けての、無鉄砲なロケが出来るのだろうかとの心配もしましたが、なるほど、ヘルメットを被って、ほぼ顔を隠した状態なら何とかなるのだなと想いました。
このスーパーカブの旅なんですが、他にもいくつかのシリーズが有りまして、何とベトナム縦断ロケなんかまでやっているのです。
で、想ったんですが、これはいわゆる「ロードムービー」の一種ではないのかと。私は「ロードムービー」と言うヤツが大好きで、このカブシリーズは、正にロードームービーの雰囲気そのもの、好きな企画の一つなのです。
で、想ったんですが、これはいわゆる「ロードムービー」の一種ではないのかと。私は「ロードムービー」と言うヤツが大好きで、このカブシリーズは、正にロードームービーの雰囲気そのもの、好きな企画の一つなのです。
かく言う私も、かれこれ20年に渡って「ブレード走行」と言う、インラインスケートによる言わば企画もの?の旅を続けて来たのですが、「水曜どうでしょう」を見た時には、「ようするに、こう言う旅をしたかったのかも知れない」なんて想ったものです。
「ブレード走行」は1992年に始めまして、「水曜どうでしょう」は1997年開始、関東で放送されたのはその数年後なので、ブレードの方がずっと先なのですが、ずいぶん影響を受けたような気がします。
「ブレード走行」は1992年に始めまして、「水曜どうでしょう」は1997年開始、関東で放送されたのはその数年後なので、ブレードの方がずっと先なのですが、ずいぶん影響を受けたような気がします。
と言うことで、まだ見たことが無いと言う人は、試しに「水曜どうでしょう 2011新作」はどうでしょう?。現在「TOKYO MX(毎週日曜21:30〜22:00)」では、すでに三週目に入っていますが、「TVKテレビ神奈川」では「4月2日(月)22:00〜22:30」から第一回が始まるようです。(クラッシック版もあちこちで放送されています)
その他おススメ
◎映画「しあわせのパン」
菅降ろしの謎・その後
★・・さて、以上なのですが、せっかくなので「管降ろしの謎、その後」も、ほんの少しだけ書いておきましょうか。
2011年、嫌われ者ランキング堂々の第一位を獲得したカンさんですが、思い付きパフォーマンスと酷評された「脱原発:再生可能エネルギーの推進」について、じつはかつて野党時代に国会で質疑を行っていたと言う事実が判明したそうです。もちろん議事録も残っています。
つまりカン氏にとっては思い付きどころか、長年温めて来たホンキ中のホンキ構想であって、それを「政府の原発推進構想」と言う大きな流れに抗い現実化するためには、あのタイミングで宣言するしかなかったと言うことなのでしょう。
その国会での質疑を、当時与党で答弁した自民・公明が忘れるわけが有りません。もちろん同じ民主党員も知らないはずは無いのです。
つまりその危険な記憶?ゆえ、カン氏が強引に「浜岡原発」を停止させ、「脱原発依存宣言」すると言いだした時、原発推進派の政治家たちは慌てふためき、この「ホンキの政策」を、何が何でも「思い付き」と言うことで撲滅させ、カン氏を総理の座から引き摺り下ろさなければならない。その大きな理由が、あそこには有ったと言うことですな。
つまりその危険な記憶?ゆえ、カン氏が強引に「浜岡原発」を停止させ、「脱原発依存宣言」すると言いだした時、原発推進派の政治家たちは慌てふためき、この「ホンキの政策」を、何が何でも「思い付き」と言うことで撲滅させ、カン氏を総理の座から引き摺り下ろさなければならない。その大きな理由が、あそこには有ったと言うことですな。
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