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6「37年越しの・・、墓参り」


★教会の牧師様からの連絡で、37年前に亡くなった女の子と、彼女のご両親が眠るお墓の場所が分かりました。しかし、用事や天候の影響で、実際に墓地を訪れるまでには二週間ほどかかってしまいました。

八王子の「東京霊園」までは、ウチから車で1時間半くらいです。圏央道に乗り、ちょっとしたドライブ気分で車を走らせ、ほどなく到着しました。

とても広い霊園でした。中まで道路が通り、季節の行事の際には周回バスも走るそうです。いちおう霊園地図も用意しましたが、カーナビが効いたので、ギリギリまで難なく辿り着くことが出来ました。

駐車スペースに車を停め、そこから花を持って徒歩で向かいます。今回は、近所の花屋で自分で選びました。キリスト教の墓参では、主に白い色の、ユリ、カーネーション、スプレーマムなどでアレンジする、と「冠婚葬祭」の本に書いてあったのですが、仏式が中心のここの売店には無さそうな気がしたのです。

そして間も無く教会墓地の前に着きました。
37年ぶり・・、でした。

1985年10月に祭場で拾った彼女のお骨、一度は遠く離れ、長い年月を巡り巡って・・

2022年4月7日、何故かこの地で再会することになりました。目の前の、この固い納骨堂の中にあの子はいるのです。それも、ご両親の遺骨と一緒に・・

最初の印象で、ここで良かったと思いました。綺麗で広くて落ち着いた場所で。特に今日は、二週間遅れが幸いして、ちょうど桜が満開になっていました。

「いま、確かに安らかにしている」
素直にそう思える場所に彼女はいたのです。

墓前に、まずお花と、Nさんが作った陶器の「白の器」を置きました。そこにウチから持参した水筒で「水」を注ぎます。

キリスト教式では「お花とお祈り」だけだそうですが、そこはそれ、僕は仏教徒だから・・(ニセモノだけど?)お水は上げないと、どうもしっくり来ないのです。

それに、ここまで僕の「道しるべ」になってくれたのは「Nさん」だからです。彼女がいなければ、到底ここまで辿り着くことは出来ませんでした。なので、ぜひNさんが作った器でお水を上げたいと思っていたのです。

お花を供え、お水を上げ、長い時間手を合わせ祈っていると、
「こんなシーン・・、むかし、何かの映画で見たような気がする・・」
そう思えて来ました。

どうせなら、高倉健みたいにカッコ良かったらいいのに・・
いや、彼女は・・、原田芳雄が近所に住んでいて、「たまに見かけて、すごくドキドキする!」と言っていたのを思い出しました。

まあ、どちらにしろ、こんなショボいオジサンになってから、やっと来たよ。
もちろん、キミも生きていれば、立派なオバサンだけど・・

それから、Nさんに報告するため、写真を撮ることにしました。
「納得するまで、何度でも何度でもお参りしてあげて」
Nさんにはそう言われていました。

もちろん、この小さな納骨堂に、ホンキで、彼女の魂が眠っていると信じているわけではありません。ただ、これは、とうとうやり遂げたと言う安堵感・・

37年も過ぎて、場所も連絡先も分からない、雲をつかむようなところから1年を費やし、遺骨があると言うこの霊園にたどり着くまで・・。もうこの世にいない人との、「夢の中の約束」を果たすには、これしか思いつきませんでした。

・・ふと、お母様の姿が頭を過ぎりました。37年前に斎場で見た、ハンカチで目頭を押さえる横顔、そのおぼろげな記憶です。

一人娘を失い、やがてご主人も亡くし、お母様はひとり、生まれ育った鎌倉を後にします。そして二人の遺骨も、遠く離れたこの霊園に改葬したのです。

それからご自身が亡くなるまで、何度も何度も、同じこの風景を眺めたのに違いありません。いま僕が立っている、正にこの場所にたたずんで・・

とうとう、お会いすることは叶いませんでした。
勝手に、失礼かも知れませんが・・、代わりにお花を手向けます、何度でも何度でも。いつまで続けられるかは、分かりませんけど・・・









帰りは少し時間があったので、お母様が住んでいたという町に、立ち寄ってみることにしました。霊園からは10kmほどで、20分もあれば到着します。

着いてみると「遺言執行人」の言葉通り、家は完全に解体され更地になっていました。かつてその場所に「白い綺麗な家」が有ったことなど、想像すら出来ません。

乾いた色の、跡形も無い剥き出しの地面・・

打ちのめされていました。自分が産み育てた一人娘を、若くして失ってしまった母親の、37年間と言う、あまりの時間の長さに・・

それはいいのですが、僕はいったい、ここで何をしているんでしょう。見ている内に妙な気持ちになって来ました。親戚でも無い、話しをしたことも無い、赤の他人の住居跡を見ているのです。そして、呆然と喪失感に見舞われているのです・・

Googleマップで検索すると、解体前の2019年ごろの家を見ることが出来ます。その庭先には、小さな赤い屋根の「離れ」らしき建物が有るのですが・・

僕の勝手な想像ですが、これは礼拝の部屋だったような気がするのです。クリスチャンだった母堂は、来る日も来る日も、ここで祭壇に向かい、祈りを捧げたのではないでしょうか。

なんて、エラそうに言ってますが、僕は、キリスト教について何も知りません。興味本位で聖書は持っていますが、ペラペラと数ページめくっただけで、教会に行ったことも無いし、「神父」と「牧師」の違いも今回調べて初めて知ったくらいで、とにかく、ホンの上っ面の知識しか無いのです。

だから・・、なんでだろうって、じつはずっと不思議に思ってたんです。一番最初の「土手の上の夢」を見た時のこと。目が覚めて間も無く、布団の中で、遠藤周作の小説の一節、「若き神父の寓話」のことを考えていたのですが・・

なぜ、あの寝起きのボンヤリした頭で、よりによって「キリスト教のたとえ話し」を思い浮かべたのか?、ずっと不思議だったんです。


まさか・・
「僕を、あの霊園まで導いて下さったのは、お母様ですか?」


その答えは、返っては来ません。これはただの妄想なんです。
僕は、空っぽの地面を眺めていました。そこに、根っこが残っていたのでしょうか、水仙の花が咲いているのです。








お墓参りに行ってみて・・、寿福寺では、思いがけず涙も流したので、今回も「もしかして感涙にむせぶのか?」なんて想像したのですが、実際には、清潔な霊園の雰囲気に、むしろ清々しいような穏やかな気分になって帰りました。

で、「思ったより呆気なかったかな?」と、眠りについたその夜・・、午前3時か4時くらいのことです。少し不思議な夢を見ました。

・・場所は分かりません。ただ、何と言うのでしょう、全体にうす紫色の、ややグレーがかった世界にいるのです。そして僕の目の前には、後ろ姿の女性が立っています。

僕はその背中に近寄り、思わず後ろから抱きしめてしまうのです。が、それが誰なのか分かりません。顔も見えません。なのに、よく知っている女の人・・、そんな気がしてならないのです。

その時ふと、右後ろに誰かの気配を感じます。顔を向けてそちらを見ると、見知らぬお爺さんとお婆さんがいるのです。そして二人とも合掌し、熱心に何か祈っている?ようなのです。

そして、しばらく祈りを続けたあと、お婆さんの方が大きな声で、
「よし、だいじょうぶ。はらわれた!」
と言ったのです。

・・そこで目が覚めました。部屋はまだ暗いままでした。

布団の中で、「何だ?今の・・」と、夢のイメージを思い返していました。内容は意味不明でしたが、映像の鮮明度、記憶の残り方などからして、体験的に「いつもの夢とは違う」と言うことだけは分かりました。

気になったのは、老人二人がお祈りポーズだったと言うこと。そして、お婆さんが放った「よし、だいじょうぶ。はらわれた!」という言葉。「はらわれた」とは、漢字で書くと、「祓われた」になるんでしょうか?。

だとしたら、意味は「けがれや災いを取り除く、清める」だし、「よし、だいじょうぶ」とは、それがうまく行った、と言う意味になりますが・・

いやいや、夢に意味を求めること自体バカなことかも知れませんね。それに、キリスト教の墓参に行った夜にしては、夢の老人二人が、「仏式・行者風」だったのも奇妙ですけど・・

ただし、一年に及んだ、僕にとってある意味「過去へのタイムスリップ」とも言える、「尋ね人」のこの旅が、「夢」から始まり「夢」で締めくくられる・・、何だか象徴的な出来事だと思ったので、書いておくことにしました。




*最終回のお話しに、つづく・・


 
 

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