で、ウトウトとNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の昼の再放送を観ているうち、いつの間にか眠りに落ちてしまい、何やら子供の頃の夢を見ていました。
僕は子供の頃から不思議大好き少年だったため、水木漫画はことのほか好きでした。なので、小学四年?の時に、小遣いを貯めて初めて買った漫画の本も、手塚漫画でもなく石ノ森漫画でもない、「水木しげる著・死者の招き(サンコミックス)」と言う単行本だったんです。
それを買いに行ったのは、小学校の友人が、肺炎で田無市(現・西東京市)の病院に入院したことがきっかけでした。友だち何人かとお見舞いに行くことになり、バスに乗って田無駅まで向かったのです。
家から田無駅までは、大人なら自転車で普通に行ける距離ですが、小学四年の子供にとってははるか遠方で、いつでも簡単に行けるような場所ではありませんでした。
駅前には大きな本屋が有って、欲しい水木漫画の単行本が有るのも知っていました。なので、お見舞いなら好都合、こんなチャンスは滅多に無いからついでに買ってしまおうと考えたのです。
バスを降り、ぞろぞろと、まだ木造だった病棟の一室に入りました。入院していた友人はすでに良くなっていて、ことのほか元気でした。何日も一人で過ごしていたせいか、僕たちを見るととても喜んで、話しが止まらなくなってしまいました。
で、僕はと言えば、話しが長引くうちに、だんだんと漫画本のことが気になって仕方なくなり、「そうだ、今のうちに買ってしまおうか?」なんて思ってしまったのです。だいたい見舞いが終わったあと本屋に寄ると、友人たちを足止めし、面倒をかけてしまうかも?しれません。・・と、自分勝手に考えて、一人でこっそり病室を抜け出し本屋へと向かうことにしました。
本屋に入ってすぐに漫画コーナーへ行きました。そうして、いくつも並んだ水木作品を見比べて、何度も迷ったあげく(何が決めてかは忘れましたが)「死者の招き」と言う短編集を購入したのです。
本を抱え、すこし後ろめたい気持ちで病室に戻ると、すでに仲間たちはおらず、代わりに見知らぬ美少女が見舞いに来ていてドギマギしました。で、ベッドから僕を見つけた友人に「あいつら帰ったよ」と言われ、後味の悪い思いをしながら、そそくさと病室を後にしたのです。
それが僕の、初めての「漫画本購入記」と言うわけです。
夢から覚めて、「あのときは、申し訳ないことをしたな・・」などと、夏風邪にうなされながらボンヤリと考えていました。そして、こんな夢を見たのも「ゲゲゲの女房」のせいだろうか、なんてふと思ったのです。
僕にとって「ゲゲゲの女房」は、「おはなはん」以来およそ40年ぶりに(古い!?)まともに見ている朝ドラです。原作が「水木しげる氏」の奥さんが書いた自伝と言うことで、特別な興味が湧いたわけなんです。演出もなかなか面白いですよ。
物語はいよいよ佳境にさしかかると言うところですが、ここまで見てみると、当初「暗い」「気持ち悪い」と水木漫画に見向きもしなかった人と、「面白い」「何かが有る」と先進性を見抜いた人(編集者)の差とは何だったのだろうと思ってしまいます。
そしてそれは、いつの時代にも当てはまることのようですね。
Commented by リバウンドなし。 at 2010-09-06 04:25
「死者の招き」「猫又」「原始さん」、Sun Conics のこの3冊は、私もかつて繰り返し読み、今も持ってます。「猫又」には、水木さんの開運作「テレビくん」も載ってますね。色々読み返して見ると、たった8ページの小品でも、大胆で荒唐無稽な展開が実にユニークで、「惑星」なんて傑作ですね。貸本漫画の匂いもします。それにしても随分と時が流れてしまいました。貸本屋と言えば、43.4年前、ひばりが丘団地の商店街を左に見ながら中原小学校のT字路を左に曲がって少しの処に貸本屋がありました。店には水木さんの漫画に出て来そうなオジさんとオバさんがいていつもハタキをかけてた。最初の時「借りたいんですけど・・」というと「お母さんに言ってお米の通帳を持って来なさい。」って言われたのを覚えてます。ははは、まだそんなもんがあったんだねぇ。ところで先日ふと、久留米団地に行ってみました。中城けんたろうさんの居た側はすっかり建替えられていて、道を挟んだ反対側は往年の時間の墓標の様なたたずまいで、最後まで居残った人の干し物に薄れ陽が揺れていました。「ああ、やっぱり俺たちの時代は終わったんだな・・。」そんな想いが込み上げてきました。あれ?、ワタシは誰でしたっけ?。
Commented by 高橋10 at 2010-09-06 19:39
コメントありがとう。たぶん、ダイケ氏ですな?。貸本屋が有ったのは覚えてますよ。よく通ってました。でも借りたことは無かったですね。いつも売り本の方を利用してました。あの頃はあの商店街も繁盛していて、TBSラジオの番組で毒蝮三太夫も来たくらいにぎわってました。が、今では寂れて、すっかりシャッター街になってしまいました。それに、かつてそこには食品スーパー「ことぶきや」と言うのが有って、その店がファミリーレストラン「すかいらーく」の創業者だったと言う話しも数年前に知りました。ひばりが丘団地にちなんで「ひばり = すかいらーく」と名付けたらしいですね。その「すかいらーく」と言う名前も、もう無くなってしまったと言うわけです・・
(そう言えば、みんなで中城けんたろうさんに、自作の漫画を見てもらいに行きましたねえ・・。本人は留守で、アシスタントと母堂しかいませんでしたけど)
コメント
コメントを投稿