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ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帳」を見たら・・

 ★先日、タイトルの書いていないDVDを何枚か見つけまして、「ハテ、何を録画したんだっけ?」と見てみると、2013年にフジテレビで放送した「ビブリア古書堂の事件手帳」でした。

これはチマタでは「月9ドラマ史上最低の視聴率」などと散々な言われ方をしたヤツですが、僕の感性によれば、地味で小品ながら中々の出来映えだったと想ってます。

逆に、すごい視聴率をマークした「半沢直樹」などは、もちろん全部拝見した上で言わせてもらえれば、あれは、すごく面白かったけど、見終わった後味が「大げさな水戸黄門」みたいだった、と想いました。

さて「ビブリア古書堂」ですが、元々は小説が原作で、主人公、古書堂の若い女性店主「篠川栞子(剛力彩芽)」が、鋭い洞察力と推理力で、一冊の古書をめぐる謎を解いて行く話しです。

相手役に「五浦大輔(EXILE AKIRA)」。この五浦大輔と言う男は、ひょんなことからビブリア古書堂のアルバイト店員になるのですが、何と「本が読めない男」と言うムチャな?設定なのです。強引に本を読もうとすると、貧血やめまいを起こしてしまうと言うことになっているのです。

「これ、視聴者は理解できるのかな?」と、少し不安になりました。フツウの人にとって、本がまったく読めない人間なんてリアリティを感じないかも?と想ったのです。ですが、こういう人ってホントにいるんですよ。何故そう断言できるかというと、僕自身がかつてそうだったからです。

あれは十代、ちょうど中学生の頃でした。ドラマの五浦君は「めまい・貧血」と言うやや病的な症状のようですが、僕の場合はそうじゃなくて、ふわーっと、いつの間にか別のことを考えてしまうと言う妄想癖でした。

詳しくいうと、本を読もうと文字を追っていくうち、何かの単語に気を取られてしまうのです。するとその単語にまつわる色んな連想が沸き上がり、ついには、文脈とは関係の無い妄想の世界に入り込んでしまう、と言う感じでした。途中ハッと我に返り、「いけない、文章を読まなければ」と、戻そうとしてももうダメで、どんどん本と関係のない空想の中に入り込んでしまうのです。

後々分かることなんですが、これは「雑念恐怖症」と言う、神経症の一種だったようです。(今もこう呼ぶのかは不明です)。人によっては、本に集中できないことに深く悩み、余計に症状を悪化させてしまうことも有るようです。

僕の場合、あまり深刻には想わなかったものの、中学時代に本が読めなくなると言うことは、即ち「教科書」が読めなくなると言うことで、学生にとっては致命的でした。なので、当然のように成績は急降下して行ったのです。さらには、教師の話しの最中にも同じ症状が起こるようになり、やがてまったく授業についていけなくなりました。

それでも、他人には知られたくないと言う「プライド」のようなものが有って、誰かに相談するなんてことはしませんでした。ただ一つ逃げ道があり、それは「絵を描く」と言う行為でした。好きな絵を描く時だけは、どんなに雑念や妄想が起こっても気にせず集中できたのです。言ってみれば「物思いにフケりながら絵を描いている」と言う感覚で、むしろ心地よい時間でした。

何故だろうと、今になって考えてみると、あれはやはり「右脳・左脳」の違いではなかったかと想うのです。つまり、言葉の連想や雑念は、読書や勉強といった、言語を司る左脳の活動とバッティングしてしまうと言うことではないでしょうか。

それに引き換え、絵を描くと言う行為は、主に感受性や感情を司る「右脳」が処理するため影響が少ない。ようするに、右脳と左脳が別々に活動する「マルチタスク状態」になっていた、と考えると理解しやすいのです。

ともあれ、そんなこともあって、中学の三年間、学校以外のほとんどの時間、絵を描き続けることになりました。本来、勉強に費やすはずの時間を全て絵につぎ込んだのですから、勉強はどん底、逆に絵が飛び抜けてうまくなったのは当然の結果です。

以前、超速弾きギタリスト「Char」が、毎日10時間ギターを弾いて、それを10年続けたら、ようやく想い通りのフレーズが弾けるようになった、と言う話しをしてましたが、そのくらいやらないと「芸能」や「芸術」はモノにならないと言うことの証明なんでしょう。

そう考えると、僕の「読書恐怖症」も、ある意味うまい具合に「運命的な方向」に導いてくれたのかなあ、なんてことを想ったりしてしまいます。まあ「1日10時間弾きっぱなし」と言うことは、当然学校をサボっていたことになりますが、僕の場合、そこまでの度胸は有りませんでした。

そんな経験が有るので、たとえば最近の子供たちの「ゲームに費やす時間」のあまりの長さを想うと、すごくもったいない気がするのです。もしかしたら、そのゲームで失われた膨大な時間の中に、とてつもない運命が隠れていたかも知れないのに・・ なんて、ついつい想ってしまうのは老婆心なんですかね。

そんな僕でしたが、ようやく本が読めるようになる日がやって来るのです。「ビブリア古書堂」の五浦君は、本が読めるその日が来るまで、店主の篠川栞子さんに読み聞かせをしてもらうとのことでしたが、僕の場合は自力で脱出?することに成功、それも、かの「太宰治」がきっかけでした。

中学の三年間はまったく本を読めず、勉強も出来なかったので、高校受験はそりゃあもう大変でした。普段は「まあいいか」と想ってましたが、あの時ほど「読書恐怖症」を恨んだことはありません。しかしそれでも、何とか1つ目の滑り止めで引っかかり、そこへ通うようになりました。

で、ある日の高校からの帰り道、画集を探そうとたまたま立ち寄った本屋で、新しい講談社文庫を見つけたのです。それは、それまでの文庫分のような、黄ばんだ安っぽい紙?に印刷したモノではなく、真っ白で厚みのある上質紙にオフセット印刷、製本や装丁も立派、とても美しい文庫本だったのです。(今はもう違います)

その、今までに無い高級感のある文庫本に魅了され、何か一冊買っておきたいと想ってしまったのです。で、いろいろ物色したあげく、太宰治の短編集「晩年」を選んだのです。

・・で、それが始まりでした。家に帰り、ちょっと読み始めたら、もう止まらなくなってしまったのです。自分でも驚きましたが、もう一気読みでした。文章の一字一句がしみ渡るように頭の中に入って来たのです。久々に、小学校の時に読んだ「少年探偵団」以来の、読書の快感、物語に没入して行く恍惚感を味わった気がしました。

何故そんなことになったかは、まったく分かりません。ただもう「太宰マジック」と言うほか無いでしょう。太宰文学には、何か、迷える少年たちを引き寄せる、不思議な力が有るように想えるのです。

ともかくそれを機会に、まずは書店・古書店に並んでいる太宰治の本は全て読みあさりました。それが尽きると、夏目漱石や森鴎外などの文豪?シリーズ、それも尽きると、今度は小松左京などの一連のSF大作にのめり込みました。翻訳物は苦手だったのですが、それでも映画「華氏451」を見たのがきっかけで、レイ・ブラッドベリの不可思議なSF世界にも触れるようになりました。

同時に、本を読む時間・速度もどんどん増し、家ではもちろん、高校では休み時間の全部、さらには授業中にも読みふけり、最後は夜寝る前に・・ 枕元に本を開いたまま眠りに落ちる、と言う毎日でした。

その結果、ほぼ1日に1冊のペースで読み終えて行きました。つまり一年間に約350冊、気がつけば、高校の三年間で1千冊近くを読み終えていたことになるのです。本の種類も当初は小説ばかりでしたが、それだけでは飽き足らず、エッセイや詩集、哲学書、最先端物理学の入門書などにも手を出すようになって行きました。

・・そうして、ふと気がつけば、僕の少年期を悩ませた「読書恐怖症・雑念恐怖症」は、いつの間にか終わりを告げていたのです。

で、その1千冊を読み終えて分かったことは、「明らかに頭がスッキリした」と言うことでした。それまでは、いつも何か薄い膜に覆われたようにボンヤリしていた脳ミソが、膜が破けて、ハッキリと物事を考えられる感じになっていたのです。

「本が読めるって、こう言うことなのか・・」変な話し、長い長い夢から覚めたような感じでした。

その1千冊を覚えているのかと言うと、もうほとんど内容は忘れていると想います。ですが、今でも強く印象に残っている二つの作品が有るので、一応それを紹介しておきます。(有名な作品で今更ですが・・)

◎ 富嶽百景(太宰治)

◎ 城のある町にて(梶井基次郎)

ところで、「ビブリア古書堂の事件手帳」を見直していて、もう一つ発見がありました。第二話「小山清:落ち穂拾い・聖アンデルセン」の回を見た時です。本放送では気にならなかったのですが、録画したDVDを見ている内に、何故か急にこの作者について検索したくなったんです。

で、ネットで調べてみたら、なんと、自分と作者の「小山清氏」とは、ホンの少しなんですが、細~いクモの糸?くらいの縁のある人物だったと分かったのです。

いや、もちろん作家本人にはまったくお会いしたことはありません。ですが、その作家の息子さんとは、古い古い知り合いだったのです。もう、かれこれ40年ほども前のことですが、美大に通っていた頃の同期の仲間でした。アトリエも同じで、作品制作はもちろん、遊びにも一緒によく出かけたものでした。

それとなく彼の父親が小説家で、太宰治とも交友があったとは聞いていたのですが、父母ともに早くに亡くしたと知り、そのままになっていました。

僕らのような親に金を出してもらっていた甘ちゃんとは違い、画材代はおろか学費までも稼ごうと、夜遅くまでファミレスで働いていたことも知っていたし、そのせいで疲れるのか、アトリエで眠り込む姿も何度も見ていましたから・・ なので、それ以上尋ねるのは失礼かと想ったのです。

そんな彼とも今ではすっかり縁遠くなってしまいましたが、こう言う形で想い出すことになるとは、とても意外でした。

小山清という作家も知っていたし、友人の父親が小説家だということも知っていた。しかし、記憶の中の「作家・小山清」と「友人の父親」と言う別々の二人が、実は同一人物で、それも40年後に見たテレビドラマをきっかけに知ることになるなんて・・

個人的な想いに過ぎませんが、そんないきさつにとても感慨深いものを感じ、とりあえずブログでご報告を・・、と想った次第です。

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