★北海道日本ハムファイターズ、パリーグ優勝!やりましたね。ただし、まだプレーオフが有るので一位通過という言い方になりますが・・。日ハムファンではありませんが、密かに応援してました。これはもう球史に残る偉業ではないだろうか?と思ってるくらいなんです。
「北海道には巨人ファンしかいない」と、ホーム移転が疑問視されていたその札幌で、これだけのファンを巻き込んでの1位通過は感動ものです。ベースボールの本来の姿を見せてもらった、そんな気がします。
恐らくこの姿を、全国区球団?を自負する巨人関係者は苦々しく見ていたことでしょう。今まで巨人独占だった場所で、ファンを奪われたあげく、こんな素晴らしい勝利を見せつけられてしまったんですから。
東京ドームでの交流試合、対日ハム戦の直前には、「新庄に絶対パフォーマンスをやらせるな!」との厳戒令が敷かれたほど神経質になっていましたが、あれは間違いなく日ハム快進撃に対する警戒心の表れだったのでしょう。それと、同時に、どうしたら巨人も日ハムのような人気や強さを取り戻すことが出来るのか、真剣に考え始めている証拠なのかも知れません。
かつて長嶋選手が巨人に入団したての昭和30年代は、プロ野球よりもプロレスの方が人気がありました。そのプロレスを映していた「街頭テレビ」に人々が群がり、熱狂しどよめく光景を見ながら、長嶋選手は、「どうしたら野球もこんな風に人気が出るだろうか?」と真剣に考えたんだそうです。
そこで思いついたのが「パフォーマンス」。プロレスのように、ちょっとしたことでも大げさに振る舞うことで観衆を盛り上げようと思ったのです。たとえば帽子やヘルメットのサイズを大きめにして、スイングした瞬間すぐに脱げてしまうように細工し、よりプレーの激しさや迫力を強調しようとした。これは有名な話しですよね。
このような長島選手の、たゆみ無い「パフォーマンス野球」の努力が有ったからそこ、巨人はどんどん人気が出て、一躍全国区球団となることが出来たのです。ところが、長嶋氏を尊敬する友人にこれを話したら、「長嶋さんをプロレスと一緒にするな!」と激怒されました。
が、「プロレスからヒントを得た」と言うのは、長嶋氏本人が、自分の口で語ったことなのでありまして、それを僕に当たり散らすと言うのは迷惑千万、むしろ、そんなことも知らないで、よくもまあ「長島ファン」を名乗ってるもんだと、呆れてしまいます。
それはそれとして、長嶋氏のこの種のサービス精神は、形の違いこそあれ、そのまま新庄選手の姿と重なり合うと思うのです。だから巨人関係者は、絶対に新庄パフォーマンスを否定してはいけなかったんです。
新庄パフォーマンスを否定すると言うことは、そっくりそのまま長嶋パフォーマンスの否定にもつながることになるのです。何より、まだ巨人に情を残していた札幌ファンの反感を買って、余計に巨人びいきを減らしてしまうことにもなるでしょう。
それもまあ仕方ない流れですね。これからは、かつての巨人のような「全国区ファン」の時代は終わると思います。地域に根ざした「オラが町のチーム」が主軸になって行くことでしょう。元来スポーツと言うものは「都市対抗」の戦いであり、メジャーリーグにしろサッカーにしろ、都市名がチーム名になっているのはそのためです。
念のため説明しておきますが、たとえば「ニューヨーク・ヤンキース」なら、チーム名は「ニューヨーク」、「ヤンキース」はニックネームになるのです。これを日ハムで言うなら、チーム名は「北海道」、ニックネームが「ファイターズ」と言うことになるわけです。
どうしても企業名「日ハム」が入ってしまうのは残念ですが・・、なんてことを言いながら、実はこんなブログを書き時など、短く「日ハム」と省略できるので重宝?では有るのです。
それにしても、新庄選手が野球を続けていてくれて良かったですね。今回の日ハムのこれ程までに輝かしい優勝は、新庄選手無しでは・・、いや、新庄選手のパフォーマンス野球無しでは有りえませんでした。
かつて阪神時代、当時の監督にイジメ抜かれて引退しそうになったこともあったそうですが、あきらめずメジャーへ行って正解でした。まあ、これとても野茂投手が先陣を切っていなかったら、そう言う選択肢があったかどうか分からないわけで・・・
すべては、この日のために用意されていたのかも知れません?
「北海道には巨人ファンしかいない」と、ホーム移転が疑問視されていたその札幌で、これだけのファンを巻き込んでの1位通過は感動ものです。ベースボールの本来の姿を見せてもらった、そんな気がします。
恐らくこの姿を、全国区球団?を自負する巨人関係者は苦々しく見ていたことでしょう。今まで巨人独占だった場所で、ファンを奪われたあげく、こんな素晴らしい勝利を見せつけられてしまったんですから。
東京ドームでの交流試合、対日ハム戦の直前には、「新庄に絶対パフォーマンスをやらせるな!」との厳戒令が敷かれたほど神経質になっていましたが、あれは間違いなく日ハム快進撃に対する警戒心の表れだったのでしょう。それと、同時に、どうしたら巨人も日ハムのような人気や強さを取り戻すことが出来るのか、真剣に考え始めている証拠なのかも知れません。
かつて長嶋選手が巨人に入団したての昭和30年代は、プロ野球よりもプロレスの方が人気がありました。そのプロレスを映していた「街頭テレビ」に人々が群がり、熱狂しどよめく光景を見ながら、長嶋選手は、「どうしたら野球もこんな風に人気が出るだろうか?」と真剣に考えたんだそうです。
そこで思いついたのが「パフォーマンス」。プロレスのように、ちょっとしたことでも大げさに振る舞うことで観衆を盛り上げようと思ったのです。たとえば帽子やヘルメットのサイズを大きめにして、スイングした瞬間すぐに脱げてしまうように細工し、よりプレーの激しさや迫力を強調しようとした。これは有名な話しですよね。
このような長島選手の、たゆみ無い「パフォーマンス野球」の努力が有ったからそこ、巨人はどんどん人気が出て、一躍全国区球団となることが出来たのです。ところが、長嶋氏を尊敬する友人にこれを話したら、「長嶋さんをプロレスと一緒にするな!」と激怒されました。
が、「プロレスからヒントを得た」と言うのは、長嶋氏本人が、自分の口で語ったことなのでありまして、それを僕に当たり散らすと言うのは迷惑千万、むしろ、そんなことも知らないで、よくもまあ「長島ファン」を名乗ってるもんだと、呆れてしまいます。
それはそれとして、長嶋氏のこの種のサービス精神は、形の違いこそあれ、そのまま新庄選手の姿と重なり合うと思うのです。だから巨人関係者は、絶対に新庄パフォーマンスを否定してはいけなかったんです。
新庄パフォーマンスを否定すると言うことは、そっくりそのまま長嶋パフォーマンスの否定にもつながることになるのです。何より、まだ巨人に情を残していた札幌ファンの反感を買って、余計に巨人びいきを減らしてしまうことにもなるでしょう。
それもまあ仕方ない流れですね。これからは、かつての巨人のような「全国区ファン」の時代は終わると思います。地域に根ざした「オラが町のチーム」が主軸になって行くことでしょう。元来スポーツと言うものは「都市対抗」の戦いであり、メジャーリーグにしろサッカーにしろ、都市名がチーム名になっているのはそのためです。
念のため説明しておきますが、たとえば「ニューヨーク・ヤンキース」なら、チーム名は「ニューヨーク」、「ヤンキース」はニックネームになるのです。これを日ハムで言うなら、チーム名は「北海道」、ニックネームが「ファイターズ」と言うことになるわけです。
どうしても企業名「日ハム」が入ってしまうのは残念ですが・・、なんてことを言いながら、実はこんなブログを書き時など、短く「日ハム」と省略できるので重宝?では有るのです。
それにしても、新庄選手が野球を続けていてくれて良かったですね。今回の日ハムのこれ程までに輝かしい優勝は、新庄選手無しでは・・、いや、新庄選手のパフォーマンス野球無しでは有りえませんでした。
かつて阪神時代、当時の監督にイジメ抜かれて引退しそうになったこともあったそうですが、あきらめずメジャーへ行って正解でした。まあ、これとても野茂投手が先陣を切っていなかったら、そう言う選択肢があったかどうか分からないわけで・・・
すべては、この日のために用意されていたのかも知れません?
コメント
コメントを投稿