★今では漫画もイラストも、コンピュータで描きデータ納品することが当たり前で、納品もメールかダウンロードで先方に送るのが常識となってますが、これはまだ僕が、イラストボードに絵の具で描いていた頃の話しです。
その日は、出来上がったイラストを納品するために、都心の、とあるデザイン事務所に出かけていました。そこは皇居のお堀の近くで、ビル(マンション?)の7階でした。デザイナーに作品を手渡し、エレベーターで1階まで降りる途中のことです。
何階だったか忘れましたが、不意にエレベーターが止まり扉が開きました。乗り込んで来たのは、小太りで白髪まじりの初老の男性でした。見たことのある顔だったので、僕は反射的に、「あっ、こんにちは・・」と笑顔で挨拶してしまったのです。が、相手は怪訝そうな表情でこちらを覗き込み、それから低い声で「こんにちは」と返して来たのです。
その様子にこちらも不安になり、「顔は知ってるんだけど、ハテ、誰だったっけ?」と、背中を見ながらアレコレ考えている内に、「あっ!この人、自動車評論家の徳大寺有恒さんだ!」と想い出したのです。いろんなメディアで見ていたので、つい「顔見知り」だと思い込んでいたようです。
「しまった・・ マズかったかな?」と少しバツの悪い想いをしていたのですが、1階に到着し扉が開くと、「では、お先に」と、軽く会釈しながら外へ出て行かれたのでした。その自然な振る舞いのおかげで、後味の悪い想いをせずにすんだのです。
その「徳大寺有恒さん」が、11月7日に亡くなりました。訃報が流れた時、しばし言葉を失い、免許とりたてで車に夢中になっていた頃のことを想い出していました。
同氏の著書「間違いだらけの車選び」のシリーズがヒットしていた頃で、夢中で読みあさった記憶があります。徳大寺氏の「間違いだらけの車選び」と、三本和彦氏の「新車情報(TVK)」が、車に関する欠かせない情報源でした。
徳大寺氏の著書で一番印象に残っている言葉は、「群れて走るな!」と言う一節です。これは「間違いだらけ・・」だったのか、それとも他のエッセイ本だったのか、もう想い出すことは出来ませんが、これは今でも僕の運転の信条となっています。まあ一般道ではある程度仕方無いですが、高速などでは、極力他の車が見えないくらいの距離をおいて走るようにしています。
これは中々難しいのですが、いわゆる「金魚のフン」みたいになっている群れを見つけると、速度を上げて通過するか、逆に少し速度を落としてやり過ごすか、どちらかの方法を試みるわけです。とにかく「群れ」から抜け出すことが、巻き込まれ事故を回避する重要な手段だからです。
特に最近の高速道路は「金魚のフン」がヒドくなってまして、100kmのスピードで走っているのに、車間はほとんど10m前後、ミラー越しに運転手の顔がハッキリ分かるくらいです。でも、見るとごく普通の人々で、どうやらアオってるつもりは無いようなんです。
・・が、どう言うわけか10台20台、長々とつながって走ってますよね。あんな運転で何処が面白いのか、まったく理解不能なんですが、とにかくみんなそうやって、危険きわまりない走り方をするのです。
行楽シーズンになると、案の定、必ず何処かで「玉突き事故」のニュースが流れるので、気の毒だとは想うんですが、あれじゃあ残念ながらどうしようも無いかなあ、なんて想います。なので、そんな「善良な金魚のフンたち」に囲まれた時は、僕は徳大寺さんの「群れて走るな!」を想い出し、その危険な「群れ」から抜け出すことに専念するのです。
だいたい、前の車のケツばかり見て何が面白いんでしょう。僕は視野を全開にし、フロントガラスをロードムービーのスクリーンだと想って、迫り来る風景を楽しみながら運転してますからね。前後左右、視界を塞がれると非常に不愉快なのであります。
車の運転マナー、モラルと言うものは、その時代の交通社会の「中心世代の気質」が反映されるものなので、「今はそういう人々が、世の中を支配してるのかな」なんて、ついつい考えてしまいます。今こそ「群れて走るな!」との言葉が生かされるべきなのかも知れませんが、それを語るはずの徳大寺氏は、もういないのです。
「さようなら。そして、たくさんの面白い本を有りがとう」そんな言葉を、別れの挨拶として贈りたいと想います。
・・ところで、高倉健や菅原文太など、このところ多くの有名人が亡くなっているのに、なぜ徳大寺有恒氏なのか?との疑問を持つ人も有るかと想いますが、これは、「袖振り合うも他生の縁」と言うことわざが有りまして、この言葉に由来しているのです。
これは「道で見知らぬ人とすれ違うとき、袖が触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ」という意味なのですが、とあるビルのエレベーターで偶然乗り合わせ、偶然にも挨拶を交わした間柄なら、数百年前の前世では「袖振り合う」以上の、そこそこ関わりの有った人物なのではないか?という勝手な妄想を抱きまして、今回は「高倉健よりも徳大寺有恒」という結論に達したわけなのであります。
それに、高倉健氏については、以前「映画あ・うん、について」と言う記事をすでに書いていまして、それが、高倉氏訃報の影響で、検索によるアクセス数が一日数千に達すると言う、我が人気薄のブログにしては、あまりに膨大な数に昇ったため、「まあ今回は、この記事で追悼とすることにしよう」という結論に達したからでもあります。
*追悼特集?ブログ記事
◎ 映画「あ・うん」について
コメント
コメントを投稿