★正直、今回はアップするか否か迷いました。
今年9月(2021)のお彼岸のころ、「土手の上で、夢の中の約束」と言うブログ記事を書きました。37年前に亡くなった女の子の夢を見た、と言う話しです。当初は「珍しい人の夢」と言う、ある意味「懐かしさ」を書こうとしたものでした。
ところが、じつはその人の夢、まだ終わっていないんです。断続的にですが、続いているんです。数にして、10回近くは見ているかも知れません。
こんなにたびたび同じ人の、しかも亡くなった人の夢なんて初めてで(両親が亡くなった時でさえこんなことは無く・・)、それだけに、何か「意味のある出来事?」のように思え、忘れない内に書き留めておこう、そんな気持ちになったのですが・・
しかしです、ふとワレに返りまして、疑心暗鬼にもなってしまったのです。どんなに一生懸命書いても、伝わらないんじゃないか?。「作り話しでしょ?」って言われたらそれまでだと・・
僕の亡くなった母親は、ちょくちょく「正夢」を見る人でした。たとえば「田舎の親戚が大ケガする夢を見た」と言って電話をすると、ホントに大ケガをしていたとか・・
僕には離婚歴がありますが、何も伝えて無いのに電話がかかって来て、「二人が別々に歩いて行く夢を見た。なんか有ったんじゃないだろうね!」なんて、怒った口調で問い詰められ、しどろもどろになったことも有りました。
僕自身は、ここまで特別な夢体験も無く生きて来たのですが、そんな母に、たびたび話しを聞かされて来たので、「夢がメッセージを運ぶ」ってのは、まあまあ有ることだろうとは思っていました。
が、まさか自分が、「メッセージ夢?」を見ると思ってなかったし、今回もすぐに「何か意味があるのでは?」と、信じたわけではないのです。
しかし、何回か、亡くなった同じ女の子の夢を見て、それがいつもより鮮明で、目が覚めても薄れて行かなくて・・、そんなことを繰り返している内に、「まさか、もしかして?」と、少しずつ気持ちが傾いて行ったと言うワケなのです。
だから、そうじゃない普通の?人々にとっては、いきなりそんな話しをされても・・、さて、どんなモンでしょう。やはり、奇異な感じに映るだけなのではないでしょうか?
しかしです。それでも、夢を見るたびに感じる、「ただの夢じゃない」と言う違和感、胸騒ぎのようなもの、これは、どうにも抑えきれないのです。
この感じはたぶん伝わらない。でも書かずにはいられない・・
これから先どんな展開になるのか、正直、自分でも分からないのですが、
まあ、続きを読んでみてください。
*
最初に見た夢は、「37年前に亡くなった女の子との土手の上での会話」でした。確か2021年4月か5月頃だったでしょうか?。多少気にはなったものの、そのまま忘れてしまいました。ところがそこから数ヶ月、確か8月頃のこと?、次の「彼女の葬儀にたどり着けない夢」を見たのです。
そこで、「亡くなった人の夢を二度も見る、しかも文章に書けるくらいハッキリ覚えている」、これは珍しいことだと思い、ブログの下書きとして残しておきました。それを9月のお彼岸に合わせて清書し、アップしたところ、そこから急に夢の数が増え出したのです。
そこで、その中の幾つかを書いておくことにします。
その後の夢・・
二夜連続で「彼女が他の男に連れ去られる夢」
ブログに「土手の上で、夢の中の約束」をアップして数日後・・
ブログに「土手の上で、夢の中の約束」をアップして数日後・・
僕が彼女と住宅街のような場所を歩いていると、ほんの少し目を離したスキに、数人の男たちが彼女を引き離し、取り囲んで連れて行ってしまう夢を見ました。
僕は驚いて彼女を追うのですが、なぜかどうしても追いつくことが出来ず、ついに、何処かの曲がり角で見失ってしまうのです。
・・そこで目を覚ましました。これは、今こうして書いていても辛く苦しい光景で、ホントは書きたく無いくらいなのですが、良いことばかり書いてもウソっぽいかと思い、あえて書きました。そして、ほぼ同じ内容の「彼女を失ってしまう夢」が、じつは二晩も続いたのです。
二日連続でとても嫌な気分で目を覚ましました。かなり落ち込んで、ひどく憂鬱な二日間を過ごすことになりました。しかも、ほとんど忘れていた「学生時代の記憶」までもが蘇って来るのです。交わした言葉の一字一句、感情の動きまでがハッキリと・・
「たかが夢のせいで、なんでこんな思いをしなきゃならないんだ!?」
と腹が立ちましたが、同時に、自分の意識が、どんどん「過去」にタイムスリップして行く感覚も覚えました。
「スペイン坂で?、再会の夢」
二夜続けて彼女が連れ去られる夢を見て、その翌日、三夜目のことだったと思います。その日の夢には最初から彼女の姿は有りませんでした。ただ「何処かへ連れ去られた」を言う意識だけが残っていて、僕はどこまでも街中を歩き、延々と彼女を探し続けているのです。
二夜続けて彼女が連れ去られる夢を見て、その翌日、三夜目のことだったと思います。その日の夢には最初から彼女の姿は有りませんでした。ただ「何処かへ連れ去られた」を言う意識だけが残っていて、僕はどこまでも街中を歩き、延々と彼女を探し続けているのです。
どれくらいの距離を歩いたのでしょうか、いつしか、渋谷のスペイン坂のような場所に迷い込んでいました。そこの狭く入り組んだ場所を抜け、さらに歩いて行くと、また道が狭まり、その先は階段になっていました。
その階段の途中まで登って立ち止まり、「この上に、いるだろうか?」と見上げていると、いつの間にか後ろから、僕の左腕にそっと腕を絡ませて来る者がいるのです。「誰?」と、振り返ると、彼女でした。彼女は黙ったままでしたが、満面の笑みで僕を見返していました。
・・そこで目が覚めました。珍しいと思ったのは、見失ってから再会するまでの、三夜連続の夢物語になっていたことです。そして「たかが夢」にもかかわらず、彼女と再会できたことにホッとして、三日ぶりに安らかな朝を迎えることになりました。
・・そこで目が覚めました。珍しいと思ったのは、見失ってから再会するまでの、三夜連続の夢物語になっていたことです。そして「たかが夢」にもかかわらず、彼女と再会できたことにホッとして、三日ぶりに安らかな朝を迎えることになりました。
「迷いこんだ猫の夢」
これはそれから確か、1〜2週間後の夢です・・
これはそれから確か、1〜2週間後の夢です・・
家で作業をしていると、眩しい日が差し込む温かい部屋の中に、一匹の猫が迷い込んで来ました。「どこの猫だろう?」と思いながら抱き上げると、それが彼女の化身であることが分かったのです。どう言うわけか、猫の姿はしていてもそれが彼女なのだと僕には分かるのです。なぜ?と問われても答えようがありません。何しろ夢だからです。
猫はするりと僕の手から抜けると、窓際までぴょんぴょんと跳ねて行き、そしてそのままずっと、明るいオレンジ色の陽だまりの中で遊んでいました。僕は黙って、その無邪気に動き回る猫の姿を眺めているのです。
・・そんな夢でした。学生の頃、彼女は東京のお祖母さんの家に同居していて、部屋で猫を飼っていました。その時の、猫を可愛がる姿の印象なのかも知れません。
「夢の終わり? 別れの言葉?」
それは何処かの薄暗く狭い部屋で、大勢が雑魚寝をしています。なぜ雑魚寝なのか?、夢なので理由はわかりません。もしかすると、僕が三十代の頃よく出かけていた登山の山小屋・・、その記憶なのかもしれません。
僕は思うように足が伸ばせず、つま先で隙間を探ったりしています。そんなことをしていると、僕の右腕の中に、誰かがモゾモゾともぐり込んで来る感触がありました。そして、右肩近くに頭を乗せて身体を寄せ、僕の腕枕でスヤスヤと眠り始めるのです。
誰だろう?と思って顔を覗くと、彼女でした。やっぱり生きてたんだ!、よかった・・と安堵し、嬉しさのあまり抱きしめたくなったのですが、起こしてはいけないと思い、腕枕のままじっとしていました。
小柄な上に背を丸くして、さらに小さく見える彼女の身体を感じながら、たとえようの無い幸福感に満たされていました。が、しばらくすると目を覚ましたのか、彼女はゆっくりと起き上がりました。僕は少し残念な気がして、もっと寝ていればいいのに、・・お手洗いかな?と思っています。
すると彼女は僕の枕元に立ち、少し後ろへ下がったあと、
「信じてくれたから、・・・・だよ」
と言うのです。が、途中の「・・・・だよ」のところが良く聞き取れなくて、「えっ?」と思っていると、彼女は扉を開け、部屋の外に出て行ってしまったのです。
・・そこで目が覚めました。時刻は早朝5時ごろ。夢が妙にリアルだったせいか、そのまま眠れなくなりました。
「またか・・」と思いながら不思議なことに気がつきました。僕の寝ぞうが、夢の中の格好とまったく同じ、少し右腕を広げた「腕枕」の形になっていたのです。
夢の中の、彼女の言葉を思い出しながら、直感的に「これが最後。もう、彼女の夢は見ないかも知れない」と思っていました。もしかすると、彼女が完全に昇天する前触れではないか?と思ったのです。
若くして亡くなり何処かに無念の思いを残していた・・
しかし長かった迷いも晴れ、いよいよその日が近づいている・・
だとしたら、少し寂しい気もするけど・・
「これでいい。・・それと、会いに来てくれてありがとう」
ぼんやりと、そう思っていました。
*
これがホントに何かのメッセージだったのか、それとも、ただの雑夢に過ぎなかったのか、亡き母とは違い、すぐに電話して確かめることも出来ません。
ただ、こんな風に、何度も亡くなった人の夢を見るとき、世間ではよく「お墓参りに行く」なんて聞きますが、じつは僕も、こないだから墓参りがしたい衝動にかられて仕方ないのです。
この何十年、ほとんど忘れていたのに・・
今は、朝、目が覚めると同時に、あの子のことを考え始めているのです。そして一日中、片時も頭から離れること無く、何か作業をしていても、ふと気がつくと、あの日交わした言葉や、いくつかの場面を思い出し、手が止まっている・・
「もう一度、会いたい」
なのに、どうすることも出来ません。
そんな苦しい日々が、夢を見て以来、何日も何日も続いていました。
''これはいったい、いつまで続くんだ?''
''まさか、このままずっと、忘れることが出来ないのか?!''
僕は途方に暮れました。
「あの子が眠る場所を探しなさい。そして会い行きなさい」
そう言うことなのかも知れないと・・
しかし、なんせ遠い昔のこと。お墓の場所はもちろん、実家の連絡先も分からないのです(聞いたのは、鎌倉と言うことだけ)。葬儀の時、一人娘を失ったご両親があまりに可哀想で、お香典はおろか、声すらかけることが出来なかったんです。
それに、もし連絡先が分かったとしても、少し前に僕の両親が亡くなったことを思えば、彼女のご両親もご存命かどうか、微妙な年月が経過しています。
当時、東京の彼女の部屋には何度か訪れたことがあり、お祖母さんの家での同居だと聞いていたので、親族の方が引き継いでいる可能性はあります。そこを訪ねて問い合わせれば、と思うのですが、住所は覚えておらず、ならばと、ストリートビューで記憶をたどってみたものの、方向音痴の僕には、心当たりの場所を見つけることが出来ませんでした。
当時、東京の彼女の部屋には何度か訪れたことがあり、お祖母さんの家での同居だと聞いていたので、親族の方が引き継いでいる可能性はあります。そこを訪ねて問い合わせれば、と思うのですが、住所は覚えておらず、ならばと、ストリートビューで記憶をたどってみたものの、方向音痴の僕には、心当たりの場所を見つけることが出来ませんでした。
あとは、何処かにしまったはずの「卒業生名簿」を探し出すとか・・、奥の手としては、大学へ行って、過去の卒業生の情報を調べてもらうとかすれば、何かヒントはあるかもしれませんが、実家の情報まであるかどうか・・
何十年も何もして来なかったのに、今さら・・
自分でもどうかしてると思います。でも、何故かそうせずにはいられない、不思議な気分の2021年11月、今日このごろなのであります。
・・さて、あれから随分経ちますが、その後、彼女の夢は一つも見ていません。
・・さて、あれから随分経ちますが、その後、彼女の夢は一つも見ていません。
コメント
コメントを投稿