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ショウヘイ・オオタニとロイ・ハブス

★今や、大谷翔平選手は、歴史を塗り替える大活躍!

エンゼルス以外のMLB各球団は、2017年の「ショウヘイ・オオタニ争奪戦失敗」で、今更のように地団駄を踏んでいるそうです。シアトル・マリナーズもその一つで、ジェリー・ディポトGMは、当時、大谷選手のことを「ロイ・ハブス」と呼び「全力で獲りに行く!」と豪語していたそうです。

「ロイ・ハブス」とは?。1984年公開の傑作野球映画「ナチュラル」の主人公の名前です。演じたのはロバート・レッドフォード。で、そのヒーローを彷彿とさせると言うことで、オオタニ獲得のプロジェクトネーム、隠語で「ロイ・ハブス」と呼んでいたと言うことでしょうか。

なるほど、ロイ・ハブスは、映画ではピッチャーでもバッターでも行ける天才野球選手との設定で、僕も一瞬?ですが、「大谷くんはロイ・ハブスみたいだな」と思ったことは有りました。ただロイは、プロ入り直前に殺人未遂事件に巻き込まれ、一度はプロ入りを断念する悲運の天才でもあったので、大谷くんと重ねるのは「う〜む?」と思ったことも確かでした。

とは言え、僕にとって「ナチュラル」は、「フィールド・オブ・ドリームス」「プリティ・リーグ」と並ぶ三大傑作野球映画なので、公開から30年以上過ぎた今も、「ロイ・ハブス」の名が、天才野球選手を象徴する言葉として使われていることに、嬉しさを感じたりもしたのです。

日本では、何かのヒット映画と抱き合わせで購入された作品で、公開された劇場もたった二館、すぐ終了する予定だったそうです。それが「面白い」と評判になり、宣伝広告も無し、人々のクチコミだけでロングラン大ヒットとなった、異色の野球映画だったんです。僕もその二館のウチのひとつで見ました。

ただし、今の若い人にとって「クチコミ」とは、TwitterなどSNSのことだそうで、ネットもスマホも無いあの時代、「クチコミ」が人から人への噂話しのことで、「口頭によるコミュニケーション」、略して「口コミ」とは到底「ありえない!」って事らしいですね。

それくらい映画「ナチュラル」には、物語としての「パワー」があったのだと思います。ちなみに、監督は「レインマン」で数々の受賞をした、バリー・レビンソン監督。

「ナチュラル」序盤のあらすじ
1950年代?。片田舎の農場に生まれ育ったロイ・ハブスは、19歳の時、老スカウトにピッチャーの才能を見込まれ、カブスの入団テストを受けにシカゴへと向かいます。ところが、その途中、地元に婚約者がありながら、列車の中で知り合った妖艶な女性に惹かれてしまうのです。

そして、その女性とまた会う約束をした翌日、ホテルの電話で呼び出されたロイが部屋に行くと、何故か女性は喪服姿で立ち、手には拳銃を持っていました。そして彼に「球界で最高の名選手になるんでしょ?」と問いかけたあと銃口を向け、轟音と共に、ロイは撃たれてしまうのです。

じつはその女性、スポーツ選手ばかりを狙う「殺人鬼」だったのです。有能なアスリートを見つけては誘い出し、謎かけをして、彼女が望む知的な答えができない者は「存在価値無し」とばかりに、「銀の弾丸」によって暗殺してしまう、サイコパスだったのです。

では、列車での、ロイと女性が交わした会話を一部再現してみましょう。
女性「あなたきっと伝説になるわ。
   ランスロット卿とタークイン卿の腕比べね。マルデマア卿だったかしら?」
ロイ「・・・・・??」
女性「ホーマーを知っていて?」
ロイ「ホーマー・・?。ホームランなら知ってるけど(笑)」
女性「英雄や神々のことを書いた詩人よ。
   あなたを見たら、きっと野球のことを詩に書くわ」
ロイ「そのうち、記録という記録を破ってみせる。・・自信がある」
女性「その先の目標は?」
ロイ「人は僕を見て言う。”史上最高の名選手”だと」
女性「それだけ?」
ロイ「・・他に何がある?(笑)」
女性「あるわよ(キッと強い視線で見返し)
   その他にも。輝かしいことが」
ロイ「・・・・・」

この会話を通して、どうも彼女は、記録を破ることや、名声にしか興味の無いロイ・ハブスに失望したようです。頂点に上り詰めたその先の、哲学や精神性を語ることの出来ないアスリートは、存在すら汚らわしい「スポーツバカ?」として、「処刑」に値すると判断したのかも知れません。

しかしながら不幸中の幸い、銀の弾丸は急所を外れていました。ロイは命拾いをしたのです。しかしながら、もちろん入団テストには行けず、婚約者への後ろめたさから故郷にも帰れず、そのまま何処かへと姿を消してしまうのです。

・・そして16年後。35歳になったロイは、ふとしたきっかけで、大リーグのニューヨーク・ナイツに入団することになります。当初はロートル・ルーキーとバカにされましたが、ボールの革を剥がし糸くずの塊にしてしまうほどの打撃力を見せつけると、やがて身元不明の「謎の天才バッター」として本塁打を量産、ついにチームと共に快進撃を始めるのです。

・・とまあ、破壊力抜群のバッティング、投手でも打者でも行ける「超天才」ってことろは似ているかも知れませんが、好青年「ショウヘイ・オオタニ」を、忌わしい過去を持つ男、「ロイ・ハブス」に例えるのは少々ムリがありますかね。

今や大谷選手は、日本はおろか全米でも話題沸騰の選手です。しかもその活躍だけでなく、爽やかで無邪気な人柄や、小さなゴミも拾って歩く紳士的な姿が共感を呼び、ナイスガイ!と呼ぶに相応しい人物として、好感度上がりっ放しなのです。

逆に、彼の輝きを見るにつけ思うのが、東京オリンピックの参加選手たちの気の毒な状況です。未だに中止を望む人が半数もいて、やるとしても無観客、史上最も不運なポーツの祭典と言わざるを得ません。ワクチンが行き届いたMLBの球場、大歓声に迎えられ、伸び伸びとプレーに打ち込む大谷選手とは大違いです。

「あくまで選手に罪は無いのだが・・」と言うのが大方の評価ですが、ここまでこじれると、パンデミックについて本心を明らかにせず、「自分たちはただ、与えられた環境で最高を目指して頑張るだけ」を貫く選手に対して、ネガティブなイメージ、憎しみを感じる人がいてもおかしくありません。

オリンピックは四年に一度のアスリートの夢・・ でも、緊急事態宣言で客足が途絶えたお店の人にも「繁盛店を作りたい」そんな夢が確かにあったはずなんです。ライブ中止に追い込まれた無名のバンドは、ブレイクする最後のチャンスを失ったのかも?知れないのです。

コロナ禍で、あちこちで店が閉まり、失業し、色んな人が色んな夢をあきらめました。そんな時でもオリンピックだけは特別・・では、やっぱりマズいでしょう。

思うにオリンピアンたちは今、若きロイ・ハブスが試されたように、コロナ禍でもなおあきらめ切れない「スポーツの夢」、その謎の答えを迫られているのかも知れません。あらゆる記録という記録を破ったあとの、その先に残る「もっと輝かしいもの」について・・

MLBオールスターで見せた大谷選手の満面の笑顔、あらゆる人々の歓迎ぶり、あの姿に比べ、「東京2020オリンピアン」が置かれた環境のキビしさは対照的です。これってもう人智ではどうすることも出来ない、生まれ持った「運命」ってことなんですかね?

先日、大谷くんが少年時代に作ったという「目標達成シート」が公開されました。特に興味深かったのは、「運」についての考察でした。どの分野でも成功した人の言葉には、「才能」や「努力」だけではダメ、誰よりも強い「運」を持っていなければならない、と有ります。

ですが人間の力で、「運」を支配する方法なんてあるんでしょうか?。で、大谷少年は考えました。小さなゴミを拾ったり、折れたバットを丁寧に手渡したり・・、そうやって、人々が簡単に手放してしまう小さな幸運、そのカケラのひとつひとつを拾い集めるのだと・・

日本では「普段の行いの良し悪し」なんて良く言いますけど、だとしたら大谷くん、少年の頃から、よっぽど沢山の周囲への思いやり、「徳」を積んで来たってことでしょうか?。

まあ、オリンピック選手があちこちゴミを散らかして歩いてる、なんて言ってるんじゃありませんがね(念のため?)。が、外出自粛要請を無視して、路上飲みしている人たちなんか見てると、確かに・・、小さな幸運を自ら手放してる感じはしますよね。

それにしても、大谷少年が考えた「運の法則」がホントだとしたら・・、子育て中の親御さんにとっては、願っても無い「しつけ」のお手本だし、全米の人々にとっても、「幸運」とは戦いによって勝ち取るモノでなく、平和な心に引き寄せられるモノなのだと知る、いい機会になるはずです(特に罵声と攻撃のトランプさんとかね)。

・・さて、その後「ナチュラル」のロイ・ハブスがどうなったかと言うと、彼の活躍でNYナイツはあと一勝すればリーグ優勝!ってとこで、ロイは、野球賭博でナイツ敗退に賭けた連中に毒を盛られてしまうのです。さらに胃の洗浄のため入院した先で、左脇腹に残った「銀の弾丸」が発見され手術することになります。・・もちろん最終戦出場は絶望的です。

その時、ロイは何を考えたのか?。じつは、ロイの活躍を耳にしたかつての婚約者(グレン・クローズ)が現れ、二人は再会を果たしていました。そして病室を訪れた彼女は、すべてを失い意気消沈するロイに向かって、静かに語り始めるのです。

ロイ「野球は終わりだ。過ちはいつまでもたたる。
   ・・知らない女だったんだ」
彼女「列車の女?」
ロイ(うなづく)
彼女「惹かれたのね」
ロイ「そうだ。だが、まさか・・」
彼女「若かったのよ」
ロイ「人生が変わった。16年間、最高の野球選手になれると思ってた」
彼女「(笑顔で)そうなったわ!」
ロイ「なっていない・・。全記録を破りたかったんだ」
彼女「それで?(ロイを優しく見つめながら)」
ロイ「それで?!。・・道を歩くと人が言う。球界最高の名選手だと」
  (そう言って、うなだれる)
彼女「人生には二つあるのよ。学ぶ人生と、その後を生きる人生と。
   記録がどうあれ、大勢の少年があなたの影響を受けたわ。大勢よ!」
ロイ「(考え込み)おやじが・・(と言いかけて沈黙)
   ・・野球が好きだ」

奇しくもロイは、殺人鬼の女と、婚約者の彼女とに、時を経て同じ問いを投げかけられたのです。記録という記録を全て破ったあとの、その先は?・・と。

そして今度もやはり、ロイは明確な答えを示すことが出来ませんでした。答えが見つからないまま、それでもロイは彼女の言葉に励まされ、ついに選手生命を賭けて、最終戦へと向かう決意をするのです。

・・ロイとは違って、ショウヘイ・オオタニは若く、誰からも愛され、幸運にも恵まれています。もしかするとこの先、ロイ・ハブスが出来なかった、記録という記録を塗り替える瞬間が訪れるかも知れません。だから今は、毎日が興奮と感動の連続で、「それで?」と言う謎かけの答えを探しているヒマは無いでしょう。

大谷選手はこないだ27歳の誕生日を迎えたと言うので、40歳前後まで活躍するとして、残りざっと15年ほど?。僕は、彼が引退するころには70歳を越えています。最悪、彼の引退を見届けることが出来ないかも知れませんが、どちらにしろ、僕が目撃する最後の「野球伝説」になることは確かです。

果たして大谷選手は、ベース・ボールと言うスポーツの謎、勝負と言う、終わりのない無限ループの謎を解くことが出来るのでしょうか。

そのうち、記録という記録を全て破ってみせる
人は僕を見て言う。”史上最高の名選手”だと

「・・それで?


追伸・・・
最終戦に挑んだロイは、最後の打席、大きなファールを打ったはずみで、大切なバットを真っ二つに折ってしまいます。それは少年時代からずっと使い続けた時別なバットでした。

彼はとても動揺するのですが、同時にそれは、ロイの長く苦しい「学ぶための人生」が終わり、「その後を生きる人生」が始まったことを告げる合図でもありました・・

この後どうなる?。まだ見てない人は、購入するかレンタルでどうぞ。ロバート・レッドフォード氏は若いころ野球特待生で進学しただけあって、打撃フォームは見事です。

ロイ・ハブス、大リーグ初打席

あと、映画「ナチュラル」を見てもらうと分かりますが、出会う女性によって運・不運が大きく左右される、それも大きなモチーフの一つとなっています。大谷くんは相当モテそうなので、つき合う女性選びは、とにかくしっかり慎重に・・・

ホント、マジで・・



*もちろん、運・不運は男女逆でもありますよね。
(映画は1980年代に作られたもので、物語の舞台は1950年代の話しなのでご了承を・・)
 

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★昔からアウトドア用品に興味があり、ちょくちょく検索していたところ、コンパクトな折りたたみ式コンロを見つけました。 組み立ててイワタニのガス缶をつければ簡単に使えます。ボンベがコンビニでも買えるので便利かもな、と思って見ていたら、購入者のレビューには「災害用に購入」と言うのがとても多くてビックリでした。 「なるほど、そう言う時代なのかもな」と思うと同時に、僕も本格登山用コンロを持ってますが、確かにいざと言うとき登山用ガスボンベは近所の店では手に入りにくい、と思い至り、自分もひとつ買っておこうと言う気になりました。 届いた物は本格的なヤツよりやや重いですが、思いのほかコンパクトで良かったです。着火はワンタッチでライターいらずです。 コンロを買ったついでに、アウトドア用鍋(クッカー)も購入しました。 これは「ドッペルギャンガー」と言うメーカーの「ラーメン、コーヒー、そして俺(クッカー&パーコレーター・ミルセット)」と言う、何とも面倒な名前のモノなんです。 が、そのネーミング通り、ラーメン調理を主に、ミルで挽いたコーヒー豆をパーコレータに入れて鍋の中で煮出し、レギュラーコーヒーが楽しめると言うのが売りなのです。 ラーメン用にはちょっと底が深過ぎですが、吹きこぼれを防げるのと、カップ麺なら二杯分のお湯が沸かせるなど、いろいろ兼用できると言う点では良いと思います。 (半分をカップ麺に、残った半分でコーヒーを入れることも可能です)。アルミに特殊なコーティングをしてあるとかで、持った感じは軽いです。 あとついでに、「ダイソー」でアウトドア用カップとコッフェル二種類、それとスプーンとフォークを買いました。全部ステンレス製で、もちろんそれぞれ100円、消費税込みの合計540円です。 最初は「どうかなあ?」と迷いましたが、意外とよく出来ていますよ。まあ最近の登山ではチタン製が当たり前なので、人気薄のステンレス製は想像以上に安く売れるのかも知れません。スプーン・フォークも折りたたみ式で、組み立てるとガタつきなど無く、立派なモンです。 ・・とまあ、そんなワケで、アウトドア・クッキング用品一式が、・・否!「緊急災害用炊き出し用品一式」が無事そろったと言うことになります。あとはインスタント・ラーメンとコーヒー豆を備蓄しておくことにしますか・・ ただし、何事も無く世の中が進んで行ってくれたらそれ

3「今ごろ?''facebook''を始めてみた」

前回までのお話し →  2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★2021年の12月、急に「facebook」を始めることになりました・・ 2004年に立ち上げられたと言われる「facebook」ですが、話題になった当初からずっと関心が無く・・、って言うより、どっちかと言うと避けて来たはずなのに、どう言うわけか、とうとう始めることになってしまったんです。 今回はその理由について、簡単に書いてみたいと思います。 じつは、僕は、十代のころ、ずっと強迫神経症に悩まされて来ました。次から次へと、主な神経症のほとんどを経験したのかも知れません。 中でも「群衆恐怖症・閉所恐怖症」が特に酷く、その後遺症とでも言うのでしょうか、今でも「人混みが苦手・閉じた空間が苦手」が少し残っているのです。で、「facebook」及び「SNS」と言うものを知った時(普通の人には理解できないと思いますが)僕は「軽い恐怖」を感じたのです。 アカウントを作らなければ中に入ることが出来ない・・ 外から中の様子を探ることさえ出来ない・・ 初めから開かれているブログなどとは全く違う、この、他を寄せ付けない閉ざされた世界は、僕にとって「閉所恐怖症」をフラッシュバックさせるに十分でした。 さらに日本での普及率ですが、2020年調べで、「facebook」利用率は、インターネット利用者の内の「約34%」でしか無いのです(最高時は約40%)。これも不安要素でした。利用率がたとえば「LINE」のように80%を越えていれば、ある程度解放感もあるのですが、34%と言う低さは、より「閉鎖世界」の印象を強くしてしまいました。 そしてもう一つ、「facebookは成功者のツールである」と言う説。これはあるIT評論家のコラムからですが、一時、時代の寵児と騒がれたあるIT起業家が、事業に失敗して電話もメールも断ち、消息不明になってしまったと言う話し・・ が、人格が素晴らしく尊敬できる人物だったので、 IT評論家は「ぜひ、もう一度いっしょに仕事がしたい!」と、探し回ったのだそうです。 で、ふと、とにかく新し物好きだった彼なら、当時発表されたばかりの「facebook」に絶対飛びつくはず、facebookで彼を見つけ、事業再建の後押しがしたいと、来る日も来る日も探したそうなのです