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ロト7のCMが面白いと評判です

★重役会議に呼ばれた妻夫木くんが、不安そうに「なんの話しでしょう・・」と言うと、隣を歩く上司の柳葉氏が、「心配するな。お前のことはオレが守る」と力強く語るのです。

・・が、いざ会議室に入って、かつて柳葉氏が名刺と間違えて渡してしまったロトカードを見たとたん、「私ではありません。そんなものは今初めて見ました」と、平気な顔でしらばっくれるのです。「えっ!?」と驚き、呆然と立ち尽くす妻夫木くん・・

これを見たとたん、じつは、僕の身にホントに起こった、良く似た出来事を思い出していました。


僕は美大を卒業した1982年、日本初のCGプロダクションと言われたJ会社に入社しました。J社は当初、「テレビ用連続アニメをフルCGで制作する」を目標に立ち上げられました。ところが、今ならパソコンレベルで出来るような作業も、当時は、フルCGどころか毎回数秒のCGカットを入れるだけで精一杯、残りのほとんどのシーンは手描きアニメ頼みという状態でした。億単位で導入したDEC社の大型コンピュータ「VAX11-780」の演算速度が遅すぎたのです。

J社は赤字状態のまま1年、2年が過ぎ、ようやく誰もが、これは人の問題ではなくコンピュータそのものの限界なのだと気づき始めました。しかし社長をはじめ上層部はそうは考えていませんでした。あくまで現場スタッフの能力不足であると言い張り、マシンは24時間フル稼働、スタッフはコンピュータに合わせて夜昼なく働け、と言うことになりました。

僕らは、食事や休憩で集まるたびに危機感を話し合うようになりました。で、この状況を打開するには、誰かが、社長に現実を伝えなければならない。そうやって新しい方向性を模索しなければ、もはや倒産への道をまっしぐらに転げ落ちるしかない、今がその分かれ道なのだ、と言うことになりました。

そしていろいろ話し合ったあと、CM部門の部長T氏が、僕を呼んでこう言いました。「お前、理論武装しろ。それで、次の管理者会議で社長に現場のありのままを話すんだ。そうしないともう何も前に進まない」当時僕は現場のチーフとして管理者会議に出席していたのです。

「でも、そんなこと言って大丈夫っスかね?」と尋ねると、T氏は「もし社長がわめき出したら、オレがお前をバックアップする」と、T部長はあのギバちゃんのように力強く語ったのです。

そして次の月曜日、僕はT部長をはじめ各部長や営業担当と共に、管理者会議に出席しました。やがて僕の発言順になった時でした。T部長との約束通り、炎上覚悟で現場報告を行いました。早い話しが、いろんな言葉を連ねた上で、やんわりと「いま使ってるコンピュータはポンコツだ」と言うことを告げたわけです。

案の定、社長は、僕が話し終えるのを待たず怒鳴り散らしました。
「業績の悪化を!マシンのせいにするな!」と・・・

いったんこうなると、まあ短くても30分は怒鳴り声が止まらなくなります。その間僕らは黙ってじっと聴いているしかないのです。T部長との約束を知らぬ他の面々は、「余計なこと言いやがって!」と言う目つきで僕をニラんでいました。

ですが、T部長との約束だから仕方ないのです。冷や汗をかきながらも、なおも僕は現場の状況を正直に訴えました。が、言えば言うほど社長は逆上し、さらに声を荒らげてこう言いました。「他の者もマシンのせいだと考えているのか!えっ!どうなんだ!?」

すると、ずっと沈黙していたT部長がゆっくりと口を開いたのです。そして語られたその言葉とは・・・

「社長のおっしゃる通りです。高橋チーフの言っている一連のことは、現場のリーダーとして不適格な発言で、まったく賛同することが出来ません」

その瞬間、僕は、全身から血の気が引いて行くのを感じました。バックアップどころか「不適格」とまで言われ、凍り付いてしまいました。たぶん、あの妻夫木くんと同じように目を見開き、T部長を凝視していたのに違い有りません。が、T部長は僕を一瞥することもなく、会議テーブルの真ん中あたりに視線を落としたままでした。

彼がなぜあのような言動に走ったのか、それは不明です。僕の理論武装?があまりに幼稚で呆れてしまったのか、それとも最初から落し入れる策略だったのか、あるいは、社長のあまりのケンマクに恐れおののき、思わず保身に走ってしまったのか?

理由が何であれ、そのような言動に出た上司にもう付いて行くことは出来ません。それからと言うもの、事有るごとにT部長と対立するようになり、あわや殴り合い?と言う場面も何度かありました。

しかしながら、そのきっかけとなる会議室での出来事を、他のスタッフに話すことは無かったので、たぶん周囲では「あの二人、なんであんなに仲が悪いんだろう」と、不思議に想っていたのかも知れません。

まあ、最後にはT部長が人事権も有する役職に付いたことで、僕はCGとは関係の無い部門に飛ばされる?ことになりました。

その原因は、ある大手企業のPR映像の制作で、クライアントの大阪電通が追加作業のオーダーをして来たことがきっかけでした。すでに予算も決定し、外部ディレクターの絵コンテも完成している段階だったので、追加作業を行うには、数百万円の料金アップが必要なのです(外部ディレクターは実写部分、僕はCG部分の担当でした)。

担当のSプロデューサーは遠慮して金額のことを言い出せず、ディレクターも「いまさら演出変更かよ」と言う感じで、やや険悪な雰囲気が漂っていました。で、仕方なく、弱気なSプロデューサーになり代わって僕が、「今の予算ではこれが限界なんですよねえ・・」と告げることにしたのです。すると外部ディレクターも「私もそのように聞いてますよ」と、フォローしてくれた御陰で、その場は何とかおさまりました。

ところが、そのSプロデューサーが、自分のヘマをT部長に何と言ったのか知りませんが、僕はいつの間にか、「電通を怒らせた男」と言うことになっていて、その懲罰として、CGディレクターを降格、映像とはまったく関係の無い部署への出向を命じられたのです。


・・そんなこんなで数年間が過ぎましたが、僕は新たに設けられたデザイン部の長として現場に復帰、そこそこ毎日を過ごしていました。

が、ある日のこと、突然、T部長がJ社を辞めることになりました。実質、プロダクション運営をも担って来た部長の辞職だっただけに、現場では「なぜ今ごろ?」と言う当惑と不安が広がりました。

ところがその数ヶ月後、さらに驚くべき事態が起こったのです。何と、プロダクションが経営不振のため健闘も空しく解散と言うことになり、そっくりそのままゲーム会社のN社に引き取られることになったのです。

「これだったのか・・」そのとき僕はそう想いました。

当時T部長は経営状況を細かに知る立場に有り、以前から倒産時期を予測していたのに違い有りません。そこで、その渦に巻き込まれぬよう、たくさんの若い部下たちを置き去りに、ひとり逃げ出して行ったと言うわけです。まるで沈みゆく運命の船からネズミが逃げて行くように・・。もちろんわざわざ送別会まで開いてもらい、すぐさまライバルCG会社に再就職すると言う手際の良さでした。


・・とまあ、ずっと昔に、こんなことが有りましたとさ、と言うお話しです。T氏はその後もCG業界で活躍?されまして、いろいろなウワサも聴こえて来ましたが、・・まあ、ここではこのくらいでいいでしょう。

それよりも、CMの、人の良さそうな妻夫木くんはこれからどうするのかと心配になります。この先もなお、上司ギバちゃんに付いて行くのでしょうかね。あまりおススメはしませんが、さりとて対立し過ぎるのも得策ではない、とも言っておきましょうか。






  

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